5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

思い出してホローリくる家族との思い出

1 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/25(水) 21:59
ふと思い出すと、じんわりくる家族との思い出ってありますよね。

ちなみに私は母と兄と三人で近所の公園にプッチンプリンを持って散歩に
行ったことを思い出すとじんわりします。

2 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/25(水) 22:00
ほのぼの板よりもこちらかと思って移動させました。

3 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/25(水) 22:02
親父に肩車されて銭湯に行く。
もちろん親父は下駄をカランコロン鳴らして歩く。
空にはぽっかりと満月が浮かんでる。

俺「なんでお月様がずっとついて来るの?」
親父「お前と友達になりたいんだろ・・・」
俺「そっかー!」

(ほのぼの板より)

4 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/25(水) 22:49
亡くなった母との思い出・・・

5 :4:2001/07/25(水) 22:54
母を殺めた思い出・・・

6 :4:2001/07/25(水) 22:56
亡くなった母のへそくりをネコババした思い出・・・

7 :4:2001/07/25(水) 22:57
亡くなった母に首を絞められた思い出・・・

8 :4:2001/07/25(水) 22:59
>>5-6
ナンデワカッタ・・・

9 :4:2001/07/25(水) 23:00
>>5-8
お前ら、騙りはやめろよゴルァ、ゴルァ、ゴルァ!

10 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/25(水) 23:01
仕事が忙しくて、休日にも父親がいないのが普通だったうち。
父親がガラス切って手作りの万華鏡を作ってくれたっけなぁ。
すごく上手で、模様もよく見えた。
しかしおとうやん、うちには祖父母が買ってくれた既製品の万華鏡も
5本くらいあったんやけど。

11 :4:2001/07/25(水) 23:02
>>5-9
本物は俺だ!

12 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/25(水) 23:03
Go!Look bck again

13 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/25(水) 23:04
あちゃー

14 ::2001/07/25(水) 23:04
>>5-9
あのう。なんで私がたくさんいるのですか〜?
元気な頃の母との思い出が全部、ほろりと来るの
ですが〜

15 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/25(水) 23:10
ねたスレに変化したかな?

16 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/25(水) 23:11
低学年の時、海水浴をしていて足が届かないところまで(浮き輪をして)
来てしまい、戻れなくなってしまっていたら、兄が手を引いて泳いでくれた。
いつも喧嘩ばっかりしてたので、とても照れくさかったなぁ・・・。

17 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 00:12
ねたスレ防止age

18 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 00:19
二度と笑われへんようにしたる…by宮迫妻

19 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 00:24
バイトで生活していたのでお金が無かった。
7000円の中古自転車を買ったとおばーちゃんに言ったら
後日果物とかを宅配便で送ってくれて、その中に7000円の
入った封筒が下の方に入ってた。

20 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 00:26
お父さんのボーナスが出た日は、家族みんなで西武百貨店のスエヒロで
ステーキを食べて、コロンバン(喫茶店)でアイスクリームを食べるの
が年2回のイベントだった。うーん思い出す。

21 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 01:19
昔、香り付きの消しゴムがはやったとき、キウイの香りの消しゴムを買った。
が、すぐにクラスで盗難事件に遭い、結局出てこなかった。
ちなみにこのことはクラスで大事件になってしまった(その時一年生)。

とても悔しかったので家に帰って母に泣きながら話した。
数日後、母はコケシの形をした消しゴムを買ってきてくれた。
その時は良い香りもしないし、こんなのかわいくないとか
思ったけど、今考えると泣きそうになる。

22 ::2001/07/26(木) 01:26
亡くなったママ・・・
いつもレモンティーを一緒に飲んだ。
レモンティーを飲むと涙が出るよ

23 :4:2001/07/26(木) 03:51
亡くなったママン・・・
いつもママレモンを一緒に飲んだ。
洗剤を飲むとアム隷になれるよ

24 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 04:15
母のお葬式の時、斎場で「まま・・まま・・」と私(当時8才)が泣いてたら
横にいた兄(当時11才)が「泣いても母さんも悲しむから、泣いちゃだめだ・・」
と私を励ましながら自分も涙流してた。すごく印象に残ってる・・・
頼りになるお兄ちゃん、今でも大好きだよ。

25 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 04:17
泣いても母さんも悲しむ ×
泣いたら母さんも悲しむ ○ です

26 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 04:20
中学に入ったすぐくらいは成績も優秀でまじめだったんだけど、次第に
悪い先輩やら友達やらとつるみ始めたと同時に反抗期がきたようで、
親に対して色々と口汚いことを罵ったりしていた。中2のあるひ、万引き
で捕まって、父は一言も口を聞いてくれず、母は私の部屋を家捜ししていた。

でも、次の日の晩、母が私の部屋にきて「この手が悪かったんだね」と
手をつないでいっしょに寝てくれた。もう絶対に母を悲しませるようなこと
はすまいと堅く心に誓った。涙がいっぱいでた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

が、しかしのど元過ぎれば熱さも忘れ、大学生になり、ろくでもない男に
ひっかかり、アヘアヘ暮らしてしまいました。

27 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 04:25
>>26
・・・・・・の前がすごくイイ!でも、・・・・・の後の方がもっとイイ!!

28 :4:2001/07/26(木) 13:10
亡くなったママ・・・
いつも、お弁当にお顔のおにぎり入れてくれた
それと、ラップに包んだマヨネーズも・・

29 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 13:15
憂タ日子由真江鵜有余他湯祖他用亜手鵜

30 :ななしさん:2001/07/26(木) 13:59
オヤジの暴力と浮気が原因で、家を飛び出した母親に連れられて、
私と弟の三人で静岡県内を行く当てもなく、ぐるぐるとさまよったこと。
確か3回くらいあったが、小学2年生の夏休みはずーっと車中生活だった。
途中からは母親の実家に身を寄せたが、母は再婚で実家を出てから20年
も立っていたので、実家はすでに世代交代していて、身の置き所がなかった
ようだ。

31 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 14:01
母は私を産む前に2回流産している。
そのことを聞いた3歳くらいの私。
「でも、それで私に会えたんやからええやん」などと
歯の浮くような台詞をいってのけた。
今ならとても言えん。
何か思い出すと、母への感謝の気持ちとともに
ちょっと自分にも感動する。ハズカシ

32 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 18:57
ひっしこいて田舎から東京の大学に出てきた。
学生時代はそれこそ家が貧乏で支援はほとんどないので
バイトばかりだった。一応大学の成績は悪くはなかった。
卒業後、名のある会社に就職したが2年で退社。
しかしあまりにも会社の体質が粗悪。自分はこんな会社に入るために
学生時代頑張ってきたわけではなかったのに…
辞めた後父親から電話があった。
『今辞めたら今までやってきたことが無駄になる…』
ほとんど私の進路に口出ししてこなかった父が言う。
この人とは折り合いが良くなかった。
しかし一番わかっていたのも父親だったのだ。
昨日の話です。

33 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 21:41
五歳くらいだったのかなー。
母親と父親とおんなじ部屋で寝ていて、私は親父と同じ布団に
寝ていました。自分でもはっきり覚えているんだけど、なんか
夢みたらしくて、年寄りになったら死ぬ・・って漠然とした
恐怖が突然襲ってきて、しくしく泣き出しました。
親父はびっくりして母親に私を渡しました。
そして「ばあちゃんになったら、しわしわになって、しぬー」って怯えて
泣く私に「大きくなったらお母さんにこんなかかとの高い靴をかってね」
って母は慰めてくれて、泣き止んだのをすごいはっきりと覚えてる。

34 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 22:33
小さい時、親の事情で、おばあちゃんの家に預けられていた。
母親が私を置いて帰るとき、5歳の私は壁に向かって
「お母さん、早く迎えに来てね」
と泣きながら小さな声で言っていた。
どうして、母親に向かって言えなかったのか、
それが無理なわがままだと分かっていたからなのかな。

35 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 22:56
「あ、今日のハンバーグおいしいー!」
おいしそうに食べる兄 その日は、私が作ったの
その次の日未明に、兄は事故で亡くなった
私高一の春のこと…・

36 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/26(木) 23:17
幼稚園の頃、夜どうしても寝つけなかった日があり、
「早く寝なさい」と言われていたので眠れないことに罪悪感を
覚えていたのでしょう。
居間の母親の所に、「眠れない」と泣きながら行きました。
母はビックリしていたけれど、桜餅を出してくれ、2人で
NHKの銀河小説(連続ドラマ?)を見ながら食べました。
すっごく鮮明に覚えています。

37 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 02:06
age

38 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 02:09
ケッ くっだらねー

39 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 02:11
104です。ごめんなさい。
きみらみたいな低脳茶髪には理解不能な高等なシュールなギャグ書いて。
ほんとにごめんなさい

40 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 02:24
>>39
未来からきたのですか

41 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 02:33
小学5年くらいかな。
ソファの父親にいつもみたいに「お膝においで、だっこしよう」と言われたとき、
急に恥ずかしくて「やらしいなエロじじい!」とか?叫んでしまった。
冗談のつもりだったのに居間の空気が凍ってしまって、そのあと父親がグウの手で涙をぬぐった
母親がとりなしてくれたけど、父親を泣かせたショックは大きかった。
ゴメンネ・・
大人になった今思えば子供時代決別の瞬間だったな・・

42 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 02:37
婆ちゃんがお年玉くれたとき「袋は要らない」と言って、礼も言わず目の前で
袋だけポイってやったとき婆ちゃんは泣きそうな顔したネ。
まいったネこりゃ

43 :エロじじい:2001/07/27(金) 02:49
あの時は辛かった。。。

44 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 02:52
>>38
くだらないのはキミの存在だYO!

45 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 03:19
大人になると親の気持ちとかがわかって、ホローリするよね・・・

46 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 03:47
中学生の時、母と大掃除をしてたら母が初給料で、自分の為に買ったとゆう指輪が出てきた。
デザインも古く、安物のちっぽけな指輪だった。
母は3人兄弟の長女で中2の時に父親を亡くし、祖母と一緒に家計を支える為に高校進学も諦め、卒業と同時に東京に働きに出るしかなかった。
安給料の中から半分以上は仕送りをした。
自分の為に唯一買ったのがこのオモチャのような指輪。
母の苦労を思って、大泣きしてしまった。
母はビックリしてたけど黙って頭をずっと撫でてくれてた。

なのに高校の時、財布から金抜きとってばっかいてゴメン

47 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 04:12
>>46
こんなに感激しても財布から金を抜き取る・・
親になるって大変ネーー・・

48 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 04:20
>>41ホローリきたヨ

49 :46:2001/07/27(金) 04:23
>>47
ほんと・・めっちゃ反省してる
おかあさんいつもゴメンネ

50 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 05:46
弟が小さかった頃、お年玉をもらうと母親が取り上げて
「袋は*ちゃんね、中身はママ」
と金を抜いたポチ袋を与えていた。
それを後生大事にコレクションしていた弟よ・・ホロリ。

51 ::2001/07/27(金) 07:50
>>50
うちもです・・・ママがいつもお年玉を取っちゃう
ママが昼寝中に、こっそりバックを開けたら、家計費を
ポチ袋に入れてた・・・自分のお年玉と思い込み、それを
持って駄菓子店に・・・10円のガムだけ買った・・・
オレンジの絵とかイチゴの絵が書いてて、開けるとはずれ、
当たりがある奴・・・残りのお金はママに返す。ママ怒らなかった・・・
どうしてママは死んだの?

52 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 08:07
みんな、いいなあ。うちの母は「自分の理想に合った子供」を作り上げるのに
必死なタイプだったから、気がつくと彼女のことが嫌いで、いい思い出も
消えちゃった。(それでも小さい頃は「お母様〜」って言って抱っこしてもらうのが
大好きだったんだけどね)

覚えていることと言えば「こんなに汚くされたら、お母様が疲れるだけでしょう!
失敗するなら、作ってくれなくてもいいわ」(彼女の誕生日にケーキを作ろうとした
ときの一言)とか「今日のお稽古は全然駄目だったじゃない!みんなの前でお母様
に恥をかかせたわね」とかそんなんばっか。嫌な思い出が多すぎてさ。

53 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 08:36
>>52
「お母様」って…

54 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 08:43
52です。
>>53
そう呼ばされてたんだよ。彼女のお眼鏡にかなった「良い子」
のお友達も、そんなんばっかでした。「お父様、お母様」って
呼ぶのが普通、みたいな。

55 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 09:35
私の祖父はかなりの頑固ジジイ。
私は覚えてないんだけど
まだ私が赤ちゃんの時、かなり夜泣きがひどかったらしくて
母は祖父に、夜中に泣かすな!うるさい!ってよく言われて
真冬の寒い夜中、外で私をあやしていたと聞いた。
ただでもそんな頑固ジジイが後半は
ボケ出して母はさらに苦労している。
そんな母を尊敬してます。

56 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 09:38
私「ねえねえ今まで私があげたプレゼントの中で一番嬉しかったのって何」
母「んーそーだねー。アンタが5歳くらいのときに、野っ原から花つんできて、
  お母さんおたんじょうびおめでとうってくれたヤツかなー」
今はまだ学生で親不孝してるけど、ごめんよ母ちゃん。
100万倍にして借りは返すぜ。

57 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 09:56
5−6才の頃、自転車売りのお豆腐やさんにお使いで買いに行き、
帰り道、転んでボウルに入れた豆腐を道にぶちまけてしまった。

グチャグチャになった豆腐をかき集めてボウルに戻し、
「絶対怒られる」と思い泣きながら家に帰った。
けれど母は泣き顔の私と豆腐を見て
「あら、これじゃダメねぇ。。」と言っただけで一言も怒らなかった。

普段はヒステリーで怒ってばかりいた母だったので意外だった。
今もそれを思い出すと何故か泣きたくなる。

58 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 10:04
父が死んでしまう日の前日、それも意識が混濁する寸前に、ベッドに横たわった
ままの姿勢で母と兄と私の頭を一度に抱いてくれたこと。
「こんな病気ばっかりの俺によくついて来てくれたな」と。

やべ、会社なのに涙出てきた〜

59 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 12:04
だめだ・・・
書こうと思うけど涙が込み上げて書けない。

60 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 12:14
>>59
私は泣きながら書いたぞ!>>35より

61 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 12:22
消防の頃、私が父のパソコンで遊んでたら、突然「バチッ!!!」
と音がして、画面がフリーズし、薬品臭が漂った。
怖くなってスイッチ切って避難したんだけど、子供心にパソコンは
決して安くないって分かってたから「叱られる、絶対叱られる」って
思って覚悟してた。普段から私に非がないことでも怒って殴るような
父だったから。
でも、その事を父に言ったら、別に全く怒らないで
「おまえに何もなくてよかった」と言っただけなので、拍子抜けして
ちょっと目が潤んでしまった。

62 ::2001/07/27(金) 12:47
亡くなったママ・・・
いつもお人形、お洋服、手作りだった・・・
手作りのプリン。おいしかったよ・・・
ママ、プリンの作り方、教えてよ
どうして亡くなったの?

63 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 14:53
青春の殺人者っちゅう映画を観ろ!

64 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 14:55
親のありがたみがわからないようでは子どもだよ

65 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 15:05
横レスですみません

>親のありがたみがわからないようでは子どもだよ

その通りなんだよ。俺も友達の親が死んだという話を聞いたときに
ふ〜ん程度だったけど、自分の両親が死んだときに初めて
人も死についての悲しさや辛さが分かった。親が生きてる人は
多分わからないと思う。親孝行したいときには親はなくじゃないけど
まさにその通りなんだよ。
死んだら話もできないし、喧嘩もできないし、ましてや親孝行
なんてできないんだよ。本当に親が生きている間に一杯喋ったり、
大事にした方が良いよ。

66 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 15:18



    人    
   (__)  
   (__)  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´_ゝ`)< ふーん
  (    )  \_____
  | | |
  (__)_)

67 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 16:58
友人の話。

友人はその時のことは覚えていないそうだが、彼が3才の頃、
家の前でみんなで遊んでいた所自動車事故にあったんだそうな。
足をダイレクトに轢かれた彼はその場に倒れて気絶してしまったそうなのだが、
その時彼を介抱した近所のおばちゃんによるとあわてて降りて来た運転手に向って彼の姉(当時6才)が
「弟を返せ!返せ!!ばかーばかぁ!!!」と大人もびびる凄い剣幕で泣きながらくってかかったんだそうな。

彼いわく、「その話を聞いた時から姉ちゃんにだけは頭あがんねぇ」だそうな。

68 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 17:16
>>67
そういう話で「頭が上がらない」という表現は
日本語としておかしいです。
弟は轢かれて馬鹿になったんですか?

69 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 17:22
>>68
おかしいのはテメェの頭だ。アフォ

70 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 17:24
>>68
じゃあ轢かれて足が上がらない。

71 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 17:24
うん。67は、何もおかしくない。

72 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 17:27
>>68
はずかしい!

73 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 17:27
>>64
私も長らくそういう考えだったし、今もそうだけど、
オカ板とかの「親にされた酷い仕打ち」とかのスレ読んだら
そうとばかりは言えないのかもと思ったよ。

74 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 18:24
>>73
私も親に感謝してないわけじゃないけど(実際>>61書いたの私だし、ほかにも色々
と感謝してる)一方で親に随分ひどい目にもあったし、今でもあんまり好きじゃない。
親に対しては感謝の気持ちと嫌悪の気持ちがないまぜになった、複雑な気持ちです。

75 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 19:41
結婚当初は凄く貧乏で、私の実家の両親(別に裕福でもない、ごく一般的な家)が
しょっちゅう車で食料や家庭用品、お金の援助をしてくれた。
阪神大震災の時は、体育館に避難して2日後、実家の父と弟が片道6時間かけて
歩いて迎えに来てくれた。
今年のお正月、父親と2人で話をした時、父親が自分自身は末期癌なのに、
「体には気をつけろよ、あんまり無理すんなよ」と励ましてくれた。

など諸々思い出す度に泣いてる。
親孝行はしてもしてもし足りないくらいにしても罰は当たらない。
(一概にそうだと言えない例もあるが)
生きてるうちは「ありがとう」って言えないけど、死んでから言っても遅い。
感謝の気持ちはずっとあったけど、伝わってたかどうか。今じゃ分かんないしな。

76 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/27(金) 23:18
ホローリage

77 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 00:41
お正月に家族が集まったときに。
父親が私にかずのこを食え食えとうるさくしていた。
なまものは苦手な私がキレて「しつこい!いらないっていってるでしょー!!」
と怒鳴ったら、弟がとても静かに、
「お前が食えばパパが嬉しいんだから、一口食えよ」と言った。
その雰囲気に圧倒されて父親の箸からぱくりと食べてしまった。
・・・結婚していつのまにかオトナになっていたバカ弟に・・ショック・・。
父親も、弟に庇われてちょっと言葉を失っていた・・。

78 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 00:43
>>77
↑結婚して、じゃなくて赤ちゃんが産まれて と書くべきだった。

79 :名無しさん:2001/07/28(土) 01:07
>77
いい弟さんだ、よろしくいっておいてください。

80 ::2001/07/28(土) 01:13
亡くなったママ・・・
朝連の時、みんなに差し入れしてくれたよ
おいしかったよ。おにぎり・・・
みんなも喜んでたよ・・・
どうしてママ、死んじゃったの?

81 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 01:32
小さい頃から子供にあまりかまわなかった父。
悪い人ではなかったが、自分の気の向いたときしか相手にしなかった。
3年前、私が眼の上の手術をしたとき、手術の日だけ一人でお見舞いに来てた。
手術後で私の顔が腫れているのを見てすごく狼狽して
「お父さんが代わりに手術を受ければよかったね。」
と言ってた。普段はそんなことを言わない人だったからびっくりした。
後でお母さんに聞くとその日だけは自分が行く!と譲らなかったそうだ。
普通の家のお父さんだったら普通に言うことかもしれないけど。
なんで死んだのよ。

82 :81:2001/07/28(土) 01:39
お母さんのことが好きで好きでたまらなかったお父さん。
ずっと「お母さんとハワイに行くのが僕の夢」と言ってた。
が、家が自営業なので、二人で旅行に行くとなったら店を閉めなければならず、
それが嫌で行くのをためらっていたらしい。
去年私が「店はあたしが出来るけん、来年の春にでも元気なうちに行っとき。」と言ったら
すごくうれしそうに「本当にいいと?」と何度も聞いてきた。
今年の冬、いきなり倒れて帰らぬ人となった。
今となってはもっと早く行かせとけばよかったとそればかり悔やまれる。
来年、お母さんと私とお父さんの骨とお父さんが大好きだったハワイに行こうと思う。

83 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 02:34
ケッ くっだらねえ

84 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 02:39
>>81
福岡の人?

お父さんの分までハワイ楽しんできてね。

85 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 02:42
>>83
お前はマジで最低だ。

86 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 02:55
ケッ もうやめちまえ
ばーかばーか

87 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 03:19
86、涙目になってる・・・

88 :86:2001/07/28(土) 03:33
まあアゲルから。もっと書きこめ
ばーか くっだらねー(泪

89 :86:2001/07/28(土) 03:38
>>46 が一番泣きましたけど

90 :86:2001/07/28(土) 03:41
>>77 も泣きましたけど、何か?

91 :86:2001/07/28(土) 03:42
>>88-90も泣きましたけど、何か?

92 :86:2001/07/28(土) 03:43
>>1-999も泣きましたけど、何か?

93 :86:2001/07/28(土) 03:46
>>91-92 は私じゃありませんけど、何か?

94 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 16:58
小学校2年くらいの時、母と弟と三人で寝ていたら
何でもない日なのに弟が抱っこしてもらっていた。
うらやましかったので近くにいったらぎゅっとしてくれた。
子供が急にかわいく思えた瞬間ってやつだったのかなと今思う。

95 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 18:22
高校生の時、悪戯電話がかかってきて私が隣町の車通りの多い道でカーセックス
をやってて有名になっているとか、いろいろなありもしない事を言われたらしく、
電話を取った母親がそれを間に受けて「あんた!正直に言いなさい!」と半狂乱
になって私を問い詰めた。私はただショックのあまり「そんな事してないよぅ」と
メソメソ泣く事しかできずにいたら、いつも喧嘩ばかりしている姉が「XXX(私の名前)
がそんな事する訳無いじゃない!親が子供を信用できなくてどうすんのよ!」と
大泣きしながら母親を叱咤し、かばってくれた。

96 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 19:20
>>95
良いお姉さんですね。
お母さんとはその後どうですか。
よその家庭の事に立ち入っちゃってゴメソ

97 :ヨシヒロ:2001/07/28(土) 20:31
保育園の時です。
ちょっと貧乏だった私の家は、共働きでした。
保育園は3時に終わるのですが、親が仕事などで迎えに来れない子は
保育園が延長保育で見てくれていました。
私を含め、10人くらいいました。
みんなで運動場でゲームをやったり、遊具に乗ったりして、迎えが来るまで過ごすのですが、
夕方になるにつれ、だんだん迎えがきて
最後は私と2人の先生だけになりました。
私は子供心に
「私だけまだ居て、先生に悪いなぁー」とか
「もう、母さんこないのかなぁ」とか、考えてました。
なんだか寂しくなってきたころ、ふと外を見ると・・・

98 :ヨシヒロ:2001/07/28(土) 20:32
「ヨシーっ!ヨ〜〜〜〜〜シっ!」
夕焼けで真っ赤に染まった道路の向こうから、
母が自転車に乗ってやってきました。私の名を呼んでいます。

あの時の母の呼び声と、夕焼けの赤さと、先生の優しい顔が
脳裏に焼き付いてます。
その光景を思い出すと、なんだか涙ぐんでしまいます。
ただの日常的な光景なのにね・・・

99 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 21:13
感動age

100 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 21:51
夕焼けって寂しいYO!

101 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 22:04
いいなぁこのスレ・・マジ泣ける話多いYO!(TT)
>>97感動しました。ママンに会いたくなりました。

102 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 22:57
>>97
やべぇ。涙出てきた
親孝行しなきゃな。。。

103 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/28(土) 23:13
良スレの予感・・・・ 

104 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 00:26
>>103
胴衣。でも私には文章力がなくいい話がかけないので
誰かに代わりを。で、age。

105 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 00:32
>83
かわいそうな人ね。
家族に恵まれてないんだろうなあ。
死んだほうが良いよ。

106 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 01:17
いや、逆に恵まれてるんだと思うな。>>83は。

107 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 01:20
まだ気付いてないんですね、>>83は。

108 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 01:21
いいやつじゃん>>83
ケッとか言いつつ涙ぐんでんだよ!
それを師ねはないでしょう。

109 :95:2001/07/29(日) 01:24
>>96
母は精神的に弱いところがあるので、心配の余りに取る行動が「なりふり構わず」的
なので、結果裏目に出る事が多いのです。
彼女とは仲はいいですよ。でもこういう人なので、離れて暮らしている今でも絶対に
「いつも元気で頑張ってます。何も心配はありません。お母さんはいつも家でニコニコ
と安心してて下さい」というふりをしていないと、相変わらずダメですけれど。

本当は抑うつ神経症で精神科通いしてるだなんて事を知られたら、きっとショックで
大騒ぎされたあげくに無理心中されてしまいます。。。
本当の私の状況は、常に姉にしか報告していません。姉にいてもらって私の人生どれだけ助かったか。

強くて優しい姉なんです。誰か嫁にもらって下さいませんか...
顔は中田英寿似なので、ちょっとマニア向けです。今年31になります。

110 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 01:25
江戸っ子!?(゜o゜) 

111 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 03:54
なんと言っていいかわかりませんが、いいお姉さんをお持ちで本当に
うらやましいです。>>95
マニア向けの人ですか、、、自分が男だったらそういう女性を好きになる
のにな。

112 :松本:2001/07/29(日) 03:57
>>95
ホントはヤッタんだろ?
イッパイ見られてコーフンするんだね
ヘヘヘ悪いコだなァヘヘヘヘヘヘヘヘヘ

113 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 03:59
>>112
このスレを荒らしやがって
少しは反省しろ!
反省したら、反省文を書いてこい、何でもいい、自分が思った事をな、
2度とこのスレ荒らすんじゃねーぞ、わかったな、んじゃ。

114 :松本:2001/07/29(日) 04:02
********* 反省文 **********

煽り煽られ今宵も2チャン(字余り)。

115 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 04:04
・・・・・氏んで下さい。たのんます

116 :松本:2001/07/29(日) 04:05
ごめん別に字余りじゃなかった

117 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 04:20
3才の頃家族3人で行った海水浴。
その後一年後に母親が子宮ガンで亡くなりました。
あれから25年経ちましたが、いまだに海を見ると寂しくなります。
>>97さんのように延長保育にいたので、よく遅くまで父親を待っていました。
小学校の授業参観がすごくいやだった。
授業中、のどがぎゅっと締め付けられるような感じがするんだよね。
恥ずかしいから父親には来てもらいたくなかったから、
来ないでいいって言ったけど、会社を早退していつも来てくれてた。
なんでもっと素直に喜べなかったんだろう。

118 :名無し:2001/07/29(日) 04:52
昔、兄と毎日のように喧嘩していたら
父が突然泣き出した。
「おまえら兄弟が仲良くしてくれなくて悲しい。」
今まで父の泣く姿など見たことなく、自分はものすごい親不孝者だと
罪悪感にさいなまれた。

高校3年の時、父の背中を流していて
不覚にも「親父の背中って大きいな」と感じてしまったこともあった。
高校3年にもなってなにやってんだか。

119 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 09:31
今のところ、ホロ〜〜リ大賞は。。。
大賞>>97
準優秀賞>>3
佳作>>41
だな

120 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 09:33
>>119はセンス無し

121 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 11:36
>120は情緒なし

122 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 11:41
人の思い出に序列つけんな>>119
どの話もホローリ大賞だよ!

123 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 11:51
>>122
いいこと言うね。感動した。

124 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 12:16
涙が一杯出た!感動した!ありがとう!!

125 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 13:00
うおおお!勘当だあああ

126 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 14:06
おれ、一浪して、第一志望の大学に受かって、
入学のてつずき、おやにまかせてたのね、
オレも親も、浮かれていたら、期限が過ぎちゃってて、
母親が泣きそうになって、大学にいけなくなっちゃったよって。
父親も、風呂から、飛び出してきて、
三人で、暗くなってた。
オレは、なぜだか、全然怒る気もなく
母親に、「いいよ、働くから。」
っていって、父親が、翌日、大学にお願いに行くって話になって。
すごいあの時は、一体感があった。

翌日父親が、大学に行ったら、ほんと、土下座して、おねがいしてくれたらしく
反省文書いて、オッケイということになった。
おれもいっしょにおねがいにいくっていったら、
「いい、ひとりで行く。」といった父親。

泣きながら、土下座してくれたとは思わなくて、
なんか、すごい感謝してる。

それにつけて、姉の結婚式が近かったから、
さらに悲壮感が漂ってた、
今でもその話は、姉には、内緒。

たぶん母親も、ちょっと寿命が、みじかくなったかもな。
ほんと、なきそうだった。

あのことを思い出すと、
大学生活無駄にはしちゃいけないと思えるね。

いまでは、「うるさい!!」
とかおやにたいしていっちゃうんだけどね。

文章力なくてごめんね。

127 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 16:40
ホロ〜〜リ大賞は>>122

128 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 16:47
>>126
>入学のてつずき

平仮名で各場合はてつづきね! て・つ・づ・き!

それと、入学手続きくらい自分でやろうね!


ホローリ

129 :129:2001/07/29(日) 16:47
各場合じゃなくて、書く場合ね!

ホローリ

130 :小泉:2001/07/29(日) 23:20
ここは2ちゃんでいっちゃんいいとこだね!
感動した!

131 :扇痴影:2001/07/29(日) 23:35
ワシも入学手続きほったらかしにしてて締め切りが迫ってることに気づいてオカンにマジギレしたことがある。
「おいババア!俺が大学行かれへんかったらどうすんねんゴルア」と。
そしたら隣で聞いてたジジイが
「お前そんなん自分でせんかい!」と逆ギレしたので
腹に思いっきりパンチしたら入院騒動になったよ
ホローリ

132 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/29(日) 23:48
いつも子供達と冗談ばかり言い合っている父。
子供の頃のある時、「もしも私が誘拐されたらどうする?」とふざけて聞いたら
「『ああ、良かった!』って言って抱きしめてやる!!」と涙目になった。
その他にも、兄弟ゲンカをしてる時に「お父さんはどっちが好きなの?」と聞いたら
「お母さんが1番好きだ」って。
お父さんが私のお父さんで良かった。

133 :扇痴影:2001/07/29(日) 23:49
>>132 面白くもなんともない

134 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 00:33
tetuzukiってどう打つのよ??いってみー?
128さん

135 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 00:39
>134
tetuduki→てつづき だけどなー?
128じゃないよー。

136 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 02:22
>>97さん。
なんだか昔のほうが夕焼けって赤かったですよね。。。

137 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 02:35
なんでみんな入学手続き親にさせるのー???
信じられない。

138 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 03:37
うちのじいちゃんはひよこまんじゅうが好きで、昔それを持って映画に
連れて行ってくれたことがあった。

先日病院にお見舞いに行った時に、ひよこを持っていったらとても
おいしそうに食べてくれた。
88歳で呆け気味で、私のことも思い出すのに時間がかかるみたい
だけど、嬉しかったなー。

これからお見舞いのたびにひよこを持っていこうと思ったよ・・・。

139 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 03:47
うちは貧乏だった。
消防のとき運動靴を買ってもらった 欲しくて欲しくてねだってやっと。
その後喫茶店でジュースを飲んだら、その店に買ってもらった靴を
忘れてしまった。
あわてて戻ったらもう無かった
私も泣いたが、お母さんはもっと悔しそうだった。
もう一つ買う余裕は無かったみたい。
ごめんね、お母さん。

140 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 04:24
中学生の頃、夏休みに自分で一週間の少年キャンプに申し込んで
参加した。結構スパルタっぽいとこだったんだけど
なんだか自分を鍛えたかったから。

両親は離婚してたので母とは別居してたのだけど
その母が終了日の解散場所に1時間半かけて迎えに来て
嬉しそうに手を振ってた。

「最後まで一人で成し遂げたかった」自分は
「なんで迎えに来たの、一人で帰りたかったのに!」とムクれ
帰り道、口をきかなかった。母は「そんな事言ったってお前・・」と
泣きそうな顔して「ごめんね」と呟いてた。

あの時はせっかく迎えに来てくれたのに
ヒドい事言ってゴメン。反省してる。

141 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 08:26
ココ読んで思ったんだけど、
もし親が倒れた、
ちょうどその時自分は2ちゃんやってた、なんてことはイヤだなぁ...。

142 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 11:08
みんなそれぞれ、大変やね。うちなんか
オレが小1、妹が幼稚園の時に離婚してから
親子3人の会話では、ずっと「あの人」扱いだよ。
(ちょーバカにされてます。「あの人」=父親)
ちょっと、なが〜いグチだが聞いておくれ。
両親が離婚してオレ達兄妹はおかんに引き取られ生活する
ようになった。
養育費は下の妹が私立〇〇〇〇大出るまで毎月3万(←
少くねー、今時3万円でガキが育つかっつーの)で父親と
顔を会わせるのは誕生日やクリスマス、お正月などイベン
トがある時くらいだった。
僕が長男だったせいもあったが、ボクは精神年齢が高くなる
につれ「自分の父親は絶対に越えてやる」みたいな気持ちを
持ちあわせていたから、中学の頃とかは夢(外交官になりた
いとかパイロット、フランス料理のシェフ、etc,etc)
も人並みにあったがそれとは別に目標があって
それは
「豊関テストで一番とって西高トップで入ってやる!」
(今って豊関テストないのな。中3受験生は自分の順位が
どの位置にあるのかマジ分かんないから不安らしい)
という今考えてもちょっと無謀?きわまりないものだった。
オレの親父はアタマだけは良くて(ってゆうか親父の家系
である〇〇家はエリート揃いで3人兄弟(親父は3男)の
上の兄貴2人は長男が九州大学:経済学部の教授で、次男
が医者(現:下関中央病院に勤務))、親父は北九州大学
英文科を卒業後、しばらく教師をしていた。
(もちろん、その後先生やめた。理由はあまりにも馬鹿馬鹿
しくて、人には話せましぇ〜ん。)
だからオレも県立高校からだが、北九州大くらいハナクソ楽勝
で受かってやらあ!と、本気で思い、
(本命は東京外語大、次に神戸市立外語大すべて英米学科ね。)
そして、見事に沈没した。
結局、2浪して公務員となったが役所に入った直後は、まだ
その気持ちがくすぶっていたから
「俺は国家1種(2種も)試験に合格して上に行ってやる!」
ということを周りにも平気で言っていた。
`父親を越えること`それがが当たり前だと思っていたが、
ある人にそのことを言ったら、
「自分の父親を越えることは永遠にできないよ。」
と教えられた、(長崎にいた頃にね。)
だが言われたくらいで納得できるアタマをこっちは持ち合わせ
ていないので、この気持ちは25歳くらいまではずっと持って
いた。
最近では、「そういうものなのかも、な・・・。」という気持ち
が漠然とだが思うようになった。
しかし、一家の主でありながら、その責任を放棄したことはオレ
的には絶対に納得がゆかない。たとえどんな理由があろうとも。
まあ、養育費が毎月50万円くらい入ってくるなら許せるが。
(実際、そういう人は下関に存在した。妹の同級生の親たちだ!)
「この親父、一発どついとかんとイカンな。」
そう思っていたが、おかんに「あんたやめときよ。」といわれた。
だからまだ殴ってはいない。
・・・・・・・・・・おかん、やっぱりあんた、優しすぎるわ。

143 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 11:12
申し訳ないが北九大ってマジでハナクソだと思う。

144 : :2001/07/30(月) 11:19
っていうかみんな両親死んでるのかよ!

145 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 11:24
離婚家庭はクラスに2〜3人はいたね。

146 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 11:37
>>142
「あんたやめときや」
は、意味の無い事やるなって事だと思う。
いつまでも子供みたいにオヤジに張り合ってないで、
自分の人生のこと考えろってね。

147 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 12:22
純粋にドキョソと係わりたくないんでしょ

148 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 16:17
>>142
幸せな家庭を築いて、将来あなたの子供が
「うちの父はこんなにいいお父さんだったんだよー!」って
いっぱいホローリとする思い出を持てるようにしてやれば、
あなたのお父さんをじゅうぶんに超えた事になるよ。
どんないい学校出る事より「自分と家族を幸せにする事」の方が
立派なんだよー

149 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 16:19
あれま・・・
親子スレが書き込めないので今度はここですか。
自分で新スレ立てる勇気はないのかな?

150 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/30(月) 17:55
ホローリときた話だけでお願いします。
家族に対する愚痴は他でやりましょう。

151 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/31(火) 01:29
age

152 :142desu:2001/07/31(火) 13:14
新スレたてるなんて考えなくってスミマセン。
146、148さんアドバイスありがとうございます。
ではどこかの板でお会いしましょう。

153 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/31(火) 22:32
もっとホロホロさせてくれーーー

154 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/31(火) 23:30
私が小学校低学年の頃、父親と近所の喫茶店にブルーベリーヨーグルトを食べに行ったことがある。

2回くらいしか行った事は無いと思うのだけど、父はいつも「あの時は楽しかったな〜」と言う。

155 :おさかなくわえた名無しさん:2001/07/31(火) 23:33
>>154また食べに行ってあげて。
お父さん、きっとまた行きたいからそういう事言うんだよ。

156 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/01(水) 00:48
もっとホロホロ〜

157 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/01(水) 01:05
うちの母、青森出身。小学1年の時に、
母にみてもらいながら「青」の漢字書き取り練習してた。

母は「青」のあとに「森」を書いて
「これで”青森”っていう字になるのよ。ちょっと難しいかもね」と笑った。

中卒で東京に出てきて苦労した母、きっと故郷を思い出していたのだろう。
その時のなんとなく遠くを見るような目をしてた母に、子供心にも何かを感じて
その時の場面は「青森」という漢字と共に鮮明に記憶に残っている。

158 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/01(水) 01:49
ううっグスっホロホロ〜

159 :大阪ママ:2001/08/01(水) 01:53
ええ話しばっかりやでぇ〜

160 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/01(水) 02:28
小学生の頃、お誕生会をしたんだけど、友達へのおみやげに、母親が
巾着を作ってくれた。
見栄っ張りな子供だったんで、ねだって作ってもらったんだけど、
私のお母さんはこんなの作れるんだよ、みたいなかんじで鼻が高かったな。
ありがとう。

161 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/01(水) 23:58
ageホローリカモン

162 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/02(木) 02:00
現在の私からは想像できないくらい内気で大人しかった小学生の頃。
雪が降る下校途中、履いていた長靴に雪が入り立ったまま脱いで雪を
払っていた。そしたら通りかかった近所のいじめっこ二人組(男)に
脱いで置いていた長靴を蹴飛ばされ何メートルか滑っていってしまった。
半べそかき、けんけんしながら取りに行った。

そこに一つ年上の姉が通りかかった。事情を聞いた姉はダッシュでいじめっこを
追いかけ、家に逃げ込んだ彼らに「うちの○○をいじめやがって!!!」と
怒鳴ったらしい。それからいじめられることはなくなった。
何年か経っていじめっ子だった1人と話をする機会があった。
「お前の姉ちゃん、恐かった…」

つい最近この話を姉にしてみたが、私には大事な思い出なのに
本人すっかり忘れていた…。そんなところも大好きだ。

163 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/02(木) 19:08
二十歳ぐらいの時、離婚して別居してた母に会い、出かけた。
雑踏でちょっと離れた時に母は小学生ぐらいの女の子の後姿に向かって
「○○(私の名前)ちゃん、こっちよ!」と呼びかけた。

一瞬で間違いに気づき、ビックリしてる私を見て
「アラ、間違えちゃったわ、お前にそっくりだったから」と照れくさそうに言った。
その女の子の後姿はちょうど両親が離婚した頃の私に似てた。

母の記憶の中で私の姿はその年齢で止まっていたのかもしれない。
私も一瞬、その子の姿に自分がダブり
タイムスリップしたような不思議な感覚がした。

164 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/02(木) 23:42
>>163
なんて言うのかよくわからんけど、ホロッときた。
ずっとずっと胸の中で「私の娘。私の娘。」って大事に思ってたんだろね。
そんなわけないのに、何の疑問ももたず小学生に呼びかけちゃうくらい、
最後に見たあなたの姿を大事に大事に何度も何度も
思い浮かべてたんだろうね。

165 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/03(金) 10:49
ホロリアゲ

166 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/03(金) 13:08
ひそかに>>4シリーズのファンです。

167 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/03(金) 13:42
高校3の時の話。
一番最初に受けた推薦の受験にあえなく玉砕。
全然勉強してなくて当たり前だったんだけど、それで一般入試に3つほど受験しました。
その3つの中での本命は一番最後だったので、其処の合格発表があるまで毎日ぴりぴり。
結局全部合格したんだけどね。
無事本命も受かって其処の入学手続気をしたいと母親にいったら
「お父さんが@@大(一番先に合格したところ)にすぐお金(入学準備金)を振り込んじゃったのよ、大喜びで」と
苦笑いしながら言うの。
「それでそのあと本命に受かって入学手続きなんて@@大はしなかったかったら其処の事務所から電話があってね、
 入金されてはいますけど手続きの締め切りが過ぎてますけどいかがしますかって。
 お父さん、喜び過ぎて先走っちゃったわ。」
普段はどっちか言えばむすっとしたかんじだったし、思春期だったからまともに口もきいてなかったけど
凄く嬉しかった事を覚えてる。
大した話でなくてスマソ。

168 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/03(金) 14:07
あげとくよ〜。
なみだなしでは読めないっす・・・。

169 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/05(日) 00:16
週末age

170 :独男板より:2001/08/05(日) 01:35
309 名前:Mr.名無しさん 投稿日:2001/07/26(木) 16:34
今年のGWに親父、オフクロ、弟2人と妹の6人で野球を見に行ったこと。

数十年後、親父やオフクロが他界し、兄弟がそれぞれ独立した時に、
「あの頃は幸せだったなぁ」と思うんだろうな・・・。

27年間、彼女は出来なかったけど、オレは幸せだ。

171 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/05(日) 01:38
↑未来の思い出ってヤツだね。

172 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/05(日) 01:54
私がアメリカに留学してた時、両親と祖母が遊びに来た。
英語圏でキンチョー気味の両親よりも90近い祖母の方が
いろんなものに興味を示し外人にも臆する事ないのに驚いた。

その祖母が帰国間近になって私に「英語を教えてくれ」と言う。
私が教えた簡単な挨拶、会話を手帳に書きとめ
「天国でおじいさんに会ったら”ハロー”って言って驚かせてやるんだ」と
子供みたいに悪戯っぽく笑った。

なんだか感激して祖母達が帰国後、子供向け英語教材本を買って送った。

その祖母も去年95歳で大往生。
おばあちゃん、天国でおじいちゃんに「ハロー」って言って
驚かす事できたかな。

173 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/05(日) 10:59
>>172
なんて、素敵なばあちゃんだ。

174 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/05(日) 11:49
>>172
だめだー!!爆泣してしまった!!
どうしよう!

175 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/05(日) 12:08
>>167一番最初に受けた推薦の受験にあえなく玉砕。
全然勉強してなくて当たり前だったんだけど、
親が聞いたら泣くね。あんた、ばか?

176 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/05(日) 15:44
みんな氏ねばーか

177 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/05(日) 16:19
俺は、時々入る煽りよりも>>142を見て一挙にシラケタよ。

178 :オマンコ_カイーノ:2001/08/05(日) 16:36
長いので飛ばしてたが、ちょとよんでみた。
確かに、おやじを越えられないはずだwa!

179 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/06(月) 11:55
煽るなバーカ

180 :オマソコ@ビラビラ:2001/08/06(月) 12:12
煽られるなYO! バーカ

181 :(0.0):2001/08/06(月) 23:43
ホローリさせてよ!!

182 :ひょっとして:2001/08/07(火) 08:58
176、177、178って同じ人物じゃあ・・・変な人。

183 :177:2001/08/07(火) 09:43
>>182
違うよ。折角いい話が多かったのに>>142見て萎えただけ。
煽りは短い文が多いので、読んでしまっても後に残らんが、
>>142は長い上に全然いい話じゃないので余計にタチ悪い。
ていうか182=142じゃないのか(藁

184 :177:2001/08/07(火) 09:58
最後の1行はもちろん冗談で余計でしたが、
すぐに人物を特定するのはやめて頂戴。

185 :オマソコ@ビラビラ:2001/08/07(火) 10:28
>>184
正直、実際は特定できてないのれす。

186 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 14:24
成人した今でもワタシ(当方女)や弟にむかって
「お父さんのダイスキな○○ちゃんと○○くん」と言ってくる父。
恥ずかしいし、何て答えていいのかわからねぇーよ。。
うれしいんだけどね。

187 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 14:31
>>186 いい話だねぇ。

188 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 15:09
>>186
6歳の娘に毎日言ってますが、何か?

189 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 15:14
>188
あなた、国語は苦手でしたね?

190 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 15:14
>>189
国語はすごく得意です。

191 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 16:53
親父との思いでは本当に少なくて、こんなのしかないけど。

昔貧乏で、親父は休日に50円しか小遣いがなく、ピース1箱で終わり。
だから俺は何も買ってもらえず、いつも「ケチー」と怒っていた。
ある日、電車に乗って遠くに遊びにつれて行ってくれる事になった。
わくわくしながら付いていくと、会社のそばの駅で降りて散髪するだけ。
(自分は定期、俺はお子様だからただ)
親父が生きていれば、あれはいったい何だったんだと聞きたい。

ごめん全然ホローリと来ない。鬱だ逝ってきます

192 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 16:58
>>191ホローリきたヨ

193 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 17:33
貧乏で涙を誘うのはフェアじゃないね

194 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 17:37
ひきょうだぞ

195 :オカ板でひろってきた:2001/08/07(火) 17:41
119 名前:死のゲーム 投稿日:2001/08/07(火) 17:31
5人でK2にトライしていたパーティーが遭難し、ついにひとりが
寒さと過労で死んでしまった。こんなところに遺体を放っては
行けないと、残りの4人は交代で重い遺体を必死におぶって進んだ。
ようやく小さな山小屋を発見してほっとしたが、小屋には照明も、
暖をとる手段もない。冷凍庫のような真っ暗な小屋でじっとしている
内に、メンバーは次第に激しい睡魔に襲われてコックリコックリしは
じめた。
このまま眠ったら確実に全員死んでしまう。いっそこのまま寝てしまい
たい誘惑を振り払いつつリーダーが提案した。
「4人がそれぞれ部屋の4隅で休むことにして、まずひとりが壁を伝って
その先にいるやつの所へ行く。そしてもしそいつが寝ていたらたたき起
こす。二人目もまた壁にそって手探りしていく。これを朝まで続ければ
みんな眠らずにすむぞ」
メンバーはそれに賛成し、なんとか朝までこのゲームを続けて助かった。

数か月後、メンバーが全員集まって酒を飲みながら思い出話をしていると、
ひとりがふと気がついた。
「なあ、俺たち朝まであのゲームをしていたよな」
「ん? ああ、あれはほんとにきつかったよ」
「そうそう。真っ暗で何も見えないし、寒いしよ」
「だけど…」
「どうした?」
「…よく考えてみろよ。このゲームは4人じゃできないじゃないか!」
全員驚いてしばらく黙っていたが、やがてリーダーが目にうっすらと涙
を浮かべて静かに言った。
「俺達は4人じゃなかったよ」

196 :191:2001/08/07(火) 17:44
ごめん、自分でも何か違うなと思ったけど書いちゃいました。

自分の変な書き込みに3ケもレスが付いたことを
今後思い出してホローリするよ。

197 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 17:53
>>195
それ、昔の進検ゼミの夏の特集で載ってたネタだよ
今の20代の人ならだいたい聞いたことあるんじゃない?

198 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 17:57
昔から仲の悪かった私と父親。
中学生の時のある出来事がきっかけでその仲の悪さは決定的なものに
なってしまいました。それから父親とはほとんど口をきいてません
私は父親にされたことをきっとずっと忘れないし、感謝はしてるけど
尊敬は出来ない。きっとこの人が死んでも涙は出ないんじゃないかとさえ思う。
そう思いながら十年以上たちます。でも最近私が毎日家にかえると
前はぜったいそんなこと言わなかったのに必ず「おかえり」って言うんです。
私が返事をしなくてもシカトしていても毎日必ず。私の背中に向かって
言うんです。今更なんなんですかね。なんで今になってそんな事しだすんですかね
今更そんな事いわれたって、もうどうしていいかわかんないのにね・・・

199 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 18:02
>>198
なんで「うるせーハゲ」って言わない?

200 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 18:12
>>199
ホロリしたいのに、笑ってしもたやないかい!どうするよ

201 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 19:40
私も父親との間に確執ありまくり。
子供の頃は大好きだった。
でも両親の離婚、母親が家を出たこと、がきっかけで
父親の怒りが私達子供に向かうようになり
お互い似たもの親子の激しい性格からくる喧嘩、
いつしか父を憎むほど嫌いになっていった。

その父は私が19の時に親戚の紹介で再婚。
義理の母はとてもいい人で父も少し丸くなったモヨウ。
子供達も皆家を離れ、二人で旅行もよくするらしい。

その旅行の話しを義理の母としていたら、旅行先は
昔家族そろっていた頃に行ったところばかりだという。
そして行く先々で私達子供がここでは何をした、
あそこではこうだった、という話しばかりするらしい。

確かに子煩悩でいろんなところに連れて行ってくれた父だった。
でも今では父とはあまり話したくない、話すと喧嘩になる事が多い。
だからこの話しを聞いてちょっと驚いた。

202 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 19:42
>>198
父からの詫び状なんだろう・・・

許せるかどうかは、あんたの器量。

203 :オマソコ@ビラビラ:2001/08/07(火) 19:43
>>201
いいお父さんなのです。

ビラビラ (゚Д゚) ビラビラ

204 :>>198:2001/08/07(火) 19:44
とりあえず、聞こえないぐらい小さい声で
「ただいま」と言ってみては。
背中を向けたままで。その他の変化は一切なしで。

205 :オアンコ@ピフピフ:2001/08/07(火) 19:47
>203
ビラビラ (゚Д゚) ビラビラ

206 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 19:47
>>204
お父さん泣いちゃうかも

207 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 19:47
>>203
あんた、けっこう好きかも。

ただそのコテハンがなー

208 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 19:52
そのHN流行ってんの?
どうでもいいけどスレ台無しだよねー

209 :オアンコ@ピフピフ:2001/08/07(火) 19:55
>>203 が偽者なのです。

210 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/07(火) 23:48
カミサンから聞いた話。
カミサン4人姉妹の末っ子で、子供のとき盆、祭り、正月は来ても
クリスマスは来ない家だったそうだ。(カナーリ田舎)
で、生まれて初めてクリスマスケーキを母親が買って来てくれた。
みんな大喜びで、テーブルに広げたら停電になり、
しばらく暗闇が続き、ようやく電気が点いたらなんと
ケーキの上がタバコの灰だらけ。
父親が暗闇で白くて丸いから灰皿だと思ったんだって。
みんなで泣いたそうだ。

今でも怒って涙が出ると言っているが、俺はその晩の義父の気持ちを
考えると思わずホローリしてしまうよ。

211 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 02:04
>>210
わかる!(ホローリ

212 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 02:10
夜遊びして帰ると父親が必ず私の部屋の前で
酔っ払って寝ている。すごいウザっ!て思った
けど心配してくれたんだね。パパりん。

213 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 02:21
一番最初の自分の記憶は、三才の頃。
家族で動物園へ行った時、父と「コーヒーカップ」に乗った。
怖くて泣き出した。
山羊の檻の前ですましたポーズで父に写真を撮ってもらった。
山羊が私のブラウスの袖をくわえてなかなか離さず、泣いた。
父は笑っていた。
一週間後、父は事故に遭い、病院のベッドにいた。
私が持っていたビスケットを「一つパパにちょうだい」
と、云われたが、包帯を頭にぐるぐる巻いているのが怖くて
いやいやをした。
その日、容態が急変し、還らぬ人となった。
大人が皆ベッドの周りで泣いていた。
私は訳もわからずに
「わ〜い、おとながないてるよ〜、○○ちゃんはつよいから
なかないもんねえ〜」と、手を叩いてはしゃいでいた。

最後にビスケットをあげれば良かったと悔やんでいる。

214 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 02:46
反抗期が割と早く終わった私は、両親の誕生日や、父の日、母の日なのどのイベント
の時には、まめにバイト代で花束やちょっとしたプレゼントなどを送っていた。
そんな時父はいつも、
「えー、そんなもん いらんのに。」
としか言ってくれなかった。

ある年の父の日に、バイト代が沢山入った事もあって奮発していつもより高めの
花束を送った。例年どおり、父が「いらんのに・・」というと、横から母が
「お父さん、ものを貰ったらありがとうやろ」と言ってくれた。以前私が母に
冗談で父がいらないというから、あげる方も格好が悪いという事を言ったからだった。
すると、父は私から少し目を放して「ありがとう」と言ってくれた。
それ以降からは、毎年父の「ありがとう」が聞ける。

でも本当は、父の照れて、そっけなく言う「いらんなのに」がなつかしい。

215 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 09:30
214あんたいい人だ。えらいほ。

216 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 17:06
うちの父親もどうも照れくさいんだね。
父の日や実家に帰った時などにプレゼントやお土産を渡しても
母からお礼を言われるだけ。
今年の母の日にプレゼントを送ったら「自分の分がない」と拗ねたらしい。
母親が「父の日に送ってくるよ。」となだめたらしいです。
電話で聞いて大笑いしちゃいました。
なのでちゃんと父の日に喜びそうな物を送ったら大喜びだったそうで
母からお礼の電話がありました。
どうもいつも私が贈るものはすぐに身につけたりしているらしいです。
お礼は聞いた事はないけど、いつもそんな父を可愛いと思ってしまいます。

217 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 17:15
>>213
感動した。

218 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 17:20
みんなのお父さん、いいなぁ・・・。
私の父親は、小学6年生の修学旅行の土産に対して、
「もうちょっといいモン買ってきてくれ」って
平気で言えちゃう人だからね・・・。
別の意味でホロリだよ。

219 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 17:21
>>218
親を反面教師と思えば〜

220 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 17:47
>>218
ウチも、別の意味でホロリときてしまうので、とりあえずみなさんを
羨ましがります。いいなあ。

俺は>>216みたいなお父さんになれるといいな・・・・

221 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 17:57
最後に母と話したのは死ぬ1週間前でした。
平成11年1月22日から静岡での法事とお寺関係の行事があり鹿児
島を留守にしていました。
22日に静岡に着いてから実家に電話したとき留守電でメッセージを
いれ、その後母からおいらの携帯にかかってきたときは
「ごめん、ごめん。ご飯食べにいってたの・・」というものでした。
これがおいらと母の最後の会話でした。
その後、調子が悪くなり入院したと父から聞いたときはびっくりしました
が、まぁ、いつものことだから(入院は)ゆっくりと病院で休んで早く元気
になってくれればいいな・・・
ぐらいにしか思っていなかったのです。
まさか、そのまま帰らぬ人になってしまうなんて微塵にも思わなかった。
1/29日朝、父からの混乱した電話。
「母さんの息が止まった!!」と・・・・。
急いで弟の○○にも連絡をとり名古屋空港から鹿児島へ・・・・。
途中、父からの電話で呼吸も復活して今は落ち着いているということ
だったので、少し安心して病院に向かいました。
病院につくと、ご近所の方や親戚のかたもいて、非常事態だという
雰囲気が伝わってきました。すぐに、病室にはいると・・・・・・
そこには、なにやらたいそうな管とかコードをつけ、呼びか
けても返事をしてくれない母がいました。
なんど、よびかけても・・・・よびかけても・・・・・目は開きません。
呼吸は自分で出来ていたそうですが、意識はなく、ただ機械
の音とおいらたちの声と泣き声・・・・。
その後、医者の話を聞くと奇跡を待つしかない。今は低空飛行が続い
ている状態とのこと。ショックをうけました。
なんで、こんなことに。
医者のことを疑ったりもしました。嘘だと思いたかったです。
交代で母の元につき、手や足をもんで奇跡を待ちます。
時折来る看護婦さんと話をしても状態は変わっていないと言われるばか
り。それどころか、少しづつ悪くなっていると言われました。
29日、11時30分頃・・・母の元にはおいら一人になりました。
今までは、母に向かって「がんばって!」「帰ってきて!」と励ましていた
のですが、その時ぽつりとおいらは言ってしまったのです。
「今まで、本当に有り難う・・・。お疲れさま・・・。本当に有り難う・・」と。
すると、今まで規則正しく波打っていた心電図の画面が急に間延びしました。
はっ!と顔をあげるとバタバタと看護婦さんと医者が部屋に入って来まし
た。

222 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 17:58
でも、医者はなんにもしません。
部屋に入ってきたあとはゆっくりとおいらに近づいてきて「いよいよです。
もう心臓が持たなくなってきました。今の内に会わせたい人を呼んで下
さい」とさびしそうに言いました。
すぐに病院に残っている家族、親戚をよんで母を囲みました。
みんな、様々に声を掛けています。
手を握り、足をさすり、みんな母の最後の温もりを自分の手に覚え
させようとしています。
30日0時26分・・・・もう、心電図の画面は時折、波を打つぐらいでほと
んど直線のままです。
医者も少し離れたところでずっと見守ってくれています。
いよいよ、別れの時が来たようです。
医者はおいら達に近づき、「この少しの波は皆さんが身体をさわってい
るために起こる振動です。もうよろしいでしょうか・・・・」
と言ってきました。
誰からともなく、母から離れ、至る所で泣き声がきこえます。
もちろん、おいらも泣きました。
めちゃくちゃ泣きました。
管とかコードが母から離されます。
看護婦さんが母をきれいにして下さり、母は無言の帰宅となりました。

通夜、葬式と沢山の人が来てくれました。
ものすごく沢山の人が、母との別れを惜しんで泣いてくれました。
おいら達は、通夜・葬式とまるで夢でも見ているような感じで
流れに身を任せ、その時その時を過ごしました。

もっと、もっと親孝行すればよかった。
もっと、もっと母と話をすればよかった。
もっと、もっと母の痛みを解ってあげられればよかった。
もっと、もっと・・・・もっと、もっと。
もう1日早く帰ってきて、意識のある母と話がしたかった。
元気づけてあげたかった。
母は、幸せだったのだろうか。
母は、満足していけたのだろうか。
おいらは、母の息子でよかった・・・。

223 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 19:24
>>221-222
随分と力作ですが、ビミョーにスレ違いのような気が・・・。

224 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 20:04
 消防のころ、いじめられてて学校ギライだったわたしは、
しょっちゅうお腹痛いとか頭痛いとかいってずる休みしていた。
ある日、おかあが「病院にいくよ。」と言った。
私はほんとはどこも悪く無いのに、でもそんなこと言えないし、一緒に病院にいった。
病院にいって診察してもらったけど、別に何の症状もない。(当たり前だけど)
すると先生が突然「学校は楽しいかい?」と聞いてきた。
私はドキッとして「‥はい」と答えた。
先生は「異常はみられないけど、念のため精密検査をうけたほうがいいですね。」と言った。
おかあ「ぜひお願いします!」
そんでCTスキャンやレントゲンまでとることになった。
その間わたしは「どこも悪く無いのに、どこも悪く無いのに‥」罪悪感でいっぱい。
でもいじめられてる事言ったらもっとおかあは心配する。
検査終わって、体は何の異常もなく、家に帰る途中おかあが
「ちゃんと診てもらって、何とも無いってわかったら安心したでしょ。
 おかあちゃんも心配だったけど安心したよ。」
私はものすごい罪悪感でいっぱいだった。
次の日から学校にいくようになった。
おかあを心配させたくないもの。
学校に友達はいないけど、家に帰ればおかあがいるもの。ってがんばったよ。
いっぱい親孝行すっぞー!

225 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 20:30

で、で、でもさぁー、2ちゃん見て
初めて泣いちった。
  
   ´ `。 ぽろーん
    〜  

226 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 21:19
親の死を語ってくれたんだから。おれはスレ違いだとは
思わないけど、たとえスレ違いだったとしてもそういう
台詞はやめてくれよ。「力作」とかな。不快だよ。>>223

227 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 21:34
おかあちゃーん   (。´∞`。)
         ゜ ⊃⊂ ゜

228 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 21:39
>>225
222で? 224?

229 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 21:42
>>226
でもなんかここにはそぐわないよ。
2分割してるのに、両方とも省略されてるとこも間抜けだし。

230 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 21:52
>>229
かちゅーしゃで見てください。

231 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 22:11
>>229
だからさ、そぐわないなと思っても、書いてある内容に
よって煽ったりちゃかしたりしようよ。
な? わかんねーか? おまえは間抜けじゃないのかも
しれないけど、たぶん心ない人でなしの部類だろうよ。

232 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 22:19
>>218
わしは修学旅行で逝った東映太秦映画村で
300円で売ってた仏像のミニチュアを家族5人分(1500円)買って
2500円(旅行の小遣い4000−1500)を着服した。
父ちゃんは「こんなモン要らん」と言って捨てた。
母ちゃんは1個仏壇に飾ってくれた。
姉ちゃんは一応「ありがとう」と言って引き出しに仕舞い、
その後仏像は陽の目を見ることはなかった。
妹と弟は最初の数日間だけ人形代わりに遊んでいた。

ホローリ?

233 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 22:32
>>232
ホロ笑い(w

234 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/08(水) 22:54
おばちゃんがガンで亡くなったとき、おれはまだ七、八歳ぐらい
だったと思う。東京から関西圏のはずれまで母がなんども会いに
行っていたが、どうやらもう助からないらしいという段階で最後に
おれを連れていったらしい。おれはおばちゃんが大好きだったね。
やさしくて明るくてね。母の姉なんだけど。
病室に入っていくと母親が挨拶しなさいと言って、ベッドに横に
なっていたおばちゃんの所へ導いた。おばちゃんは寝たまま横を
向いて俺を見て「おやヤスオも来てくれたのかい?」と笑った。
おれの目線の高さとベッドの上のおばちゃんの目の高さとほとんど
おなじだったからおばちゃんの目がよく見えた。
にこにこしてたおばちゃんの目から急に涙がこぼれて、「ありがとう
ね」と何度も言いながら泣いた。母もまわりにいた親族の人達もいっ
せいに顔をおおっちゃって。おれはなんにも言えないしなんにもでき
なかった。あの目を思い出すと切ない。

235 :ウルトラの父:2001/08/08(水) 23:38
父は仕事の関係で単身赴任をしており気付くと小学校高学年から思春期の頃
ほとんど家にいなかった。
ところで、家には不思議な座布団があった。
兄の学習机用だったのだが、無地のオレンジ色座布団に、マジックで
飛んでいるウルトラマンと、ロゴが描いてある。微妙に違うが割と上手だった。

長年謎だったのだが、大人になったある日親に聞いてみた。
あの座布団なんだったの?
母が、あれは ウルトラマンが好きだった**(私の兄)が幼い時
お父さんが描いてあげたのよ。けっこううまいでしょ。と少し
誇らしげに答えた。

父は存命しているがすっかり白髪のおじいさんになってしまった。
若い頃は家も顧みず働き尽くめの日々だった。
とてもしつけに厳しく、女の私でも自分の過ちを認められなければ
叩かれた。今思うと かなりやさしく叩いていたはずだが、
めったに父と会えなかった私には父は畏怖の対象であった。
そんな父の意外な一面。不器用な愛情表現。
いまだに その座布団を思い出すと鼻の奥がツーンとして
涙目になってしまうのだ。

236 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 00:04
誕生日も父の日も一度もあげたことがない。
物心つく頃から父とは接点がほとんど無くて。
そんな父に小学5年ときの修学旅行で買った、西陣織の名刺入れ
を17年経った今でも大事に使ってくれている。
もうボロボロなのに。
呆け始めていて癇癪をすぐ起こす父と喧嘩してしまったけど、
やはり幸せな老後を送って欲しいと思う。

237 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 00:08
小学生の時、林間学校で初めて親元を離れて宿泊し、
家に帰ってきたときのこと。
母親が妙に優しいというか安心したような、いつもと違う雰囲気で、
「おみそ汁を食べるか?」と聞くので、あまり欲しくはなかったが
「食べる」と答え、食後すぐに昼寝のためにふとんを敷いてくれた。
あの時の眠りにつくまでの、見慣れた窓の外の風景と青い空と、
心の底から安らいだ気持ちを今でも覚えている。

238 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 00:14
あげ

239 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 00:17
父親が、お弁当の海苔を、ウルトラマンの顔に切ってくれたのに、
それを恥ずかしいと泣いて、フツーの海苔弁にしてもらってこと。
30年前のことなのに、父親の残念そうな顔がいまだに忘れられない。
母親の「おとーさん、何時に起きたと思ってるの!
何度も失敗したのよ!あなたが喜ぶと思ったから・・・」の言葉もね。

240 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 00:32
僕が野暮用で九州のある田舎から名古屋に10日ほど行くことになった
んです。で、出発前日、母と話しをしていたら10日も駐車場に停めとい
て大丈夫か?私が送り迎えしてあげるよ。
って言ってくれたんです。
でも、そのときの母は体の調子が悪かったので、僕は断りました。
そして、僕が旅たった数日後、母は入院してそのまま死んでしまいま
した。僕が帰ってくる前の日に・・・。
そんな具合が悪かったのに「送り迎えしてあげるよ」と言ってくれた
母のことを思い出すと・・・・ホロリ(涙)
ちなみに空港まで来るまで片道1時間半。

241 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 01:46
>>240
うん・・・親って、それやるよね。も少し自分を大事にしてもいいよね・・・。
でもそれがよろこびなのかなあ。もらいホローリ。

242 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 08:17
ばっかみたい

243 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 08:33
まあそう言うなって(w >>242

244 :おさかなくわえた名無しさん :2001/08/09(木) 09:11
>>242
なら、来なきゃいいのに。
こう言うスレなの。

245 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 09:25
たのむから、空気の読めない低脳は 回線切って
首つってくれ
>>242

246 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 09:50
>>242
あんたがこのスレのなかで、いちばん
バカにみえるんだけど(笑)

247 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 10:32
ばか。
所詮他人じゃん

248 :ウサギ好きなの:2001/08/09(木) 16:38
>>242のことはこれでおしまい、まい。

249 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 16:50
ホロっとくるってわけじゃないけど・・・

たぶん幼稚園の年長のころだったと思う。
ある日妹と何か忘れたけど、とんでもないことを
した(いたずら?)時、母が真剣に
「人生60年、お母さんはもう半分しかない・・云々」
その前後の言葉は忘れたけど、今でもこの言葉が
頭に焼き付いて離れない。

母も来年60才、平均寿命以上に長生きしてもらいたい。

250 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 19:51
だめだ、ここ読んでると涙があふれちゃう・・・。

251 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 20:30
結婚して、義父がとてもよくしてくださって、
その気持ちはよく伝わってきたんだけど、
緊張してたのと、照れてお礼が言えなかった。
そのうち、何年ももたない病気にかかってしまい、
そうとなっては「あのときはありがとうございました。うれしかったです」
とか言うと、寿命が少ないことを悟られそうで言えなかった。
言えないまま、義父は他界してしまった。
こんなに後悔していることはないです。
これからは、大事なことを思ったら必ずすぐ伝えようと決めてる。

252 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 20:47
おやじさんは、わかってたと思うね。
心は言わなくても伝わるもの。
251の気持ちはきっと分かってたよ。

253 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 21:07
二年前、年があけてすぐ、祖父が入院した。
私は一人暮らしで病院から遠く離れていて、見舞いに行けなかった。
その年の夏の休暇に家に戻り、祖父を両親と兄と5歳の姪と一緒に
祖父を見舞いに行った。祖父はぼんやりと天井をみている状態だった。
誰の事も覚えていないのだと両親は言った。

が、祖父は姪を見て、急に笑い、もつれた舌で言った。
「いい子、おまえが一番好きだからね、○○ちゃん」
○○は私の小さい頃の愛称だった。
姪は私の小さいときとそっくりだと両親はよく言っていた。

陰気な子で上手く両親に甘えられず、両親にじゃれつく兄を
うらやましげに見ていた時に、祖父はさりげなく私の傍に来て
私にそう言ってくれていた事を思い出し、泣けた。

254 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 22:34
母親が初めてSEXがレイプだったらしいというのを聞かされて育った
男性不信がちだったけど、普通に彼氏も出来てSEXもした
母と出かけているときに車の中で何気に報告したら

「初めてが好きな人とでよかった、お母さん嬉しい」

って泣き出しちゃって

・・・反応に困った( ;^^)

255 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 22:42
私は現在海外赴任しているので、祖父母には5年近く会っていません。
この夏で赴任も終わり、来週かえるのですがそれも両親にお盆前に戻って、
一緒に祖父母の所へ行こうと言われたからです。
内心税金の整理やこちらの家の整理等で忙しくなるので、なるべく遅くに
帰ろう計画していたので、面倒臭く感じていました。
でも、祖父母とも80を超えているので、いつ会えなくなるのかわからないんですよね。
会える時に、会って孝行する!このスレを読んで改めて感じました。

256 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/09(木) 22:47
>>254
…い、いいお母さんジャナイカ!

257 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/10(金) 00:04
ホロリあげ

258 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/10(金) 00:06
>>258
いいおじいさんですね。うらやましいです。

259 :123 ◆JvENNg1Y:2001/08/10(金) 00:07
名前欄にこう→123#456いれたらこう↑なるんだね

260 :123 ◆JvENNg1Y:2001/08/10(金) 00:09
>>259
トリップテストの誤爆です。なんでだよー。

261 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/10(金) 00:40
皆さんは今まで書かれた中で、一番のホロホロ話はどれでしたか?
私は>>3かな。
皆さんのホロホロ感覚が知りたいので、教えてくださーい。

262 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/10(金) 01:00
全部読み返していたら泣けてきたよ。
>>67かな、私は。弟もいるからなおさら。
自分と重なる部分があるとホロホロしますよね。

263 :恐妻家:2001/08/10(金) 01:04
自分は>>18かな。ホロリとしたよ。 (半分マジです)

264 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/10(金) 01:13
どの話もみんなホロリだよ!
書いた人みんな思い入れある話書いてるんだから、優劣付けるような
事しないで欲しい・・・

265 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/10(金) 01:36
>>264
まあまあ、それは承知の上の事でしょうから・・・。

266 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/10(金) 11:33
くだらない

267 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/10(金) 11:54
うちの父は40をすぎた頃から、脳天がはげていきました。
当時小学生だった私は、テレビで育毛剤やカツラのCMが流れるたびに
「パパ!やってるよ!!」とうれしそうに叫んでいて
父はだまって笑っていました。
そんなある日、母が私と弟を呼んで
「お父さんは本気で悩んでいるから、もう言っちゃだめ」と言いました。
それ以来父の髪の毛の話は我が家のタブーとなったのです。
それから20年・・・私の髪も父と同じ運命をたどりつつあります。
毎日ハラリハラリと抜けていきます・・・

268 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/10(金) 12:55
いま、アデランスって増量サービスやってるんだよね

269 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/11(土) 19:49
みんな頑張ってくれ。
ここ読むとホントに親が生きているうちに
孝行しようと思った。
少しお金を貯めて良い所に旅行にでも
誘おうかなと考えた。もう60代になってるので。

270 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/11(土) 21:59
直接覚えているわけではないけど、
私が3歳、弟が6カ月頃の家族の会話を吹き込んだカセットテープがある。

休日のお昼だったらしく、母が台所で焼きソバを作っていて
私と父が居間で弟をあやしながら、大声で歌を歌っていた。
桜田じゅんこの「くちーづけーのそのあとでー…」と私が歌えば、
父が北島三郎の「はーるばるきたぜ、はーこだてー…」と熱唱。
その合間に弟の声が「あ〜、う〜」と入っている。
そして、母の「焼きソバできたよ〜」の声が。
「○○(私)焼そばきら〜い」
「え〜でもごはん炊いてないで〜」
「○○、なんでも好き嫌いせんと食べなあかんやん」…

こんなありきたりな場面だけど、私にとってはホロリとくる思い出です。
両親とも早くに亡くなっちゃったからかな。
もっと長生きしてほしかった。
今、あの頃の私達姉弟みたいな孫が2人いるのにね。
見せたかった、だっこさせてあげたかったよ。

271 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/11(土) 22:58
>>270
最後の2行がタマリマセン(涙

272 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/12(日) 17:49
age

273 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/12(日) 18:00
小学校3年生の時に2人目の弟が生まれた。
1人目のときは4歳だったからあまり覚えてない
んだけど、2人目の時はすごく嬉しくていつも
一緒におつかいに行ってた。
雪が積もっているある日、車が通らない道を弟をそりに乗せて
引っ張りながらおつかいに行った。走ると喜ぶので思い切り
走ったら、急にそりが軽くなった。
振り向くと弟は道端に転がってた。……スマヌ弟よ。

あと、弟の歌を作ったことがあった。兄弟で歌ってテープに
録音した。20年以上たった今でもまだ歌える…。

274 :>all:2001/08/12(日) 18:11
やめろや作り話くっだらねぇ

275 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/13(月) 13:57
母親の話なんだけど、母親は3人兄弟の末っ子。
夏のある日、家族で子供に付けた名前の由来について話していた時の事。
「本当は子供は2人で良かったけど出来たから産んでやった。
名前はなんでも良かったから、近所の喫茶店の名前を付けた。」
と、ばあちゃん(私の祖母)に言われ、母は泣いてしまったそうです。
そしたら、じいちゃん(私の祖父)が
「違う。おまえの名前はおまえが生まれる前からワシが考えてた。」
と優しく言ってくれたそうです。
それまでは仕事もロクにしないで、家族に暴力ばかり振るっていた人が
初めて言った優しい言葉だったそう。
そのすぐ後に両親は離婚して、じいちゃんとは数回しか会わなかったそうですが
風鈴の音を聞くと、あの時のじいちゃんの優しい笑顔を思い出すとか。

母親の話なのでsage

276 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/14(火) 00:56
age

277 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/14(火) 00:57
sage

278 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/14(火) 01:18
旦那の母親は一昨年他界した。
余命1年と知らされたとき旦那がぽつりと
「あと何回お母さんに会えるだろう」と。
実家は電車で2時間の距離。
義父は元気だけど「あと何回」というのが頭に残ってる私は
毎週実家へ帰るよう奨めてる。実際は月イチ帰れるかどうかだけど。
お盆休みはずっと実家へ行ってます。
以前は親と会える回数が限られるなんて考えたこともなかったです。
私も親も年取ったなあ。

279 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/16(木) 14:09
age

280 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/18(土) 02:49
盆あけたしホローリ

281 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/18(土) 03:39
小学生の頃、夏になると母がきりぎりすを捕まえてくれた。
買い物の帰り道きりぎりすの声が聞こえてくるとガーゼのハンカチを広げて母は忍び足で歩いていく。私は母の後ろでわくわくして待っていた。
近所には当時まだ原っぱがところどころに残っていたのだ。
プラスチックの籠のきりぎりすは夏休みの間中「ギーチョン、ギーチョン」と鳴いて我が家を楽しませてくれた。
でも夏が終わるころに籠の中で死んでしまう。
それがつらくて、ある年、母と弟と三人で近くの原っぱにきりぎりすを放しにいった。
半分に切ったたまねぎを置いてきりぎりすにありがとうとさよならを言った。
きりぎりすはあっというまに姿を消した。
その時なぜか涙がでて止まらなかった。
今にも雨が降りそうなどんよりと曇った日の夕方だったのを覚えている。
今はもうきりぎりすの声を近所で聞くこともない。
たまねぎの皮をむく時ときどき思い出して鼻の奥がつーんとする。

282 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/18(土) 04:12
父の財布には、私が小学生の時修学旅行のお土産であげた
蛙のキーホルダー(人形に紐がついてるだけの安い代物)がついていた。
当時わたしは、お小遣いをうかせるのに必死で店中で一番やすいのを選んだんだ・・・
財布を替えても付けてくれててありがとう。ほんとうれしかった。

283 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/18(土) 09:32
実家に帰っていつもご馳走になるばかり
では悪いと思い
母と買い物に行った時、酒代は私が払うよ
と言ったらすごく申し訳なさそうに
 (じゃあ今日はあんたにおごってもらうね)
と言われた。
そんな遠慮がちにならないで、お母さん。
泣けてくるよ。私を育てるためにあなたが払った
労力と時間と我慢に比べたら
こんなことで(ありがとう)を言われては恥ずかしいよ。
親には絶対かなわない、感謝してもし過ぎなんてことは
絶対ない。親ってなんて偉大なんだろう。

284 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/18(土) 11:58
>>281
>たまねぎの皮をむく時ときどき思い出して鼻の奥がつーんとする

ワラタ

285 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/18(土) 14:17
子供の頃、仕事をしていた母は忙しくて、なかなか私にかまってくれなかった。
そのことを寂しく感じていたある日、小学校から帰ると、何故か母が家にいて居間で昼寝をしていた。
母が「○○も一緒に寝よう」といってくれたので、傍らに寄り添い寝た。
本当は、全然眠くなんかなかった。ただ母と一緒にいたくて狸寝入りしていた。
母の匂いや、やわらかさを感じながらずっとお母さんが家にいてくれたら良いのに…と思っていた。

286 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/18(土) 17:17
たびたび家族のいらっしゃらない方が、水を差しているようですが、
彼もきっと家族の事を思い出しながら、これを見てると思いますので、
どうか放っておいてください。

287 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/18(土) 19:04
>>283
偉い…ホロリ。
わたしゃ残ったビール根こそぎいただいて帰るつうのに。

288 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/20(月) 20:36
もっとホローリ したいので揚げ。

289 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/20(月) 22:57
ココ読んでたら泣きすぎて、目が腫れ 鼻がつまってしまいました。

290 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/20(月) 23:35
先日、母とデパートでパフェを食べていた時のこと。
私が2歳の頃、デパートではぐれてしまい、母は狂ったように捜した事を教えてくれた。
その時の私の着ていた服を忘れる事ができない、と言いながら、涙目になって
いたので、私までホローリときてしまった。

ちなみに2歳の私は1階下のフロアーをうろうろしていたらしい。何してたんだろうね。

291 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 00:07
昔使ってた二段ベッドの横の板に油性ペンで弟が(当時小学生)「ぼくのコロコロ勝手に読んだら100万円、
ボンボン読んだら150万円もらう」ってデカデカと書いたのを久々に思い出した。
私はときどき友だちに弟の漫画を又貸ししていたのでよほど腹がたったんだろう。
そんな弟も今じゃ舌ピアス。

292 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 00:15
転勤族で同年代の同性の友達が出来にくかった小学校低学年時代の私。
いつも兄と兄の友達と遊んでもらっていた。近くの小川が流れる公園で
遊んだ後ウチに移動したんだけど、そこにアミを忘れてきたことに気がついた。
後で取りに行こう、という兄達にいいところを見せたくて、
「あたしがとってくる!」と家を出て公園に向かったのはいいけど、
知らない男の子達が勝手にアミを使って遊んでいた。
「返して」と言いたかったけど、どうしてもどうしても言う勇気が出ずに、
何度も何度も公園の中をウロウロしてた。1時間くらいたっても戻ってこないのを
心配してか、兄が母を連れてきた。
「どうしたの」と聞かれ、素直に「怖くて何も言えなかった」と答えれば良かったのに、
強がりで「あの男の子達が俺達のだ!って言って返してくれないの」と嘘を言った。
そしたら兄がすぐに彼等のところに行って、
「妹をバカにするな!返せ!」とツッこんでいって取り返していた。
母も「ゴメンね、このアミはウチのなの。ゴメンね」と言っていた。
兄と母に手を連れられて帰ったけど、物凄く悔しいのと恥ずかしいのと
ホッとしたのと罪悪感でワンワン泣いた。
兄は知ってか知らずか「もう大丈夫だから」とずっとなだめてくれた。
今思い出しても、自分のふがいなさに泣けてくる。

293 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 00:32
>>291
なつかし〜。私も弟と二段ベッドを共有していた。
アグネスちゃんとかロボコンのロビンちゃんなどのお気に入りのシール貼ってました。

294 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 00:54
混んだデパートで喫茶店難民となってしまって
不二家パーラーなんかに入った。
そこで見つけたメニュー「ペコちゃんサンデー」!!
30年前、祖母にデパートにつれってってもらうと
必ず食べさせてもらえたものだった。
当時はパフェなんて滅多に食べられないし、デパートには
「よそいき」の服を着て行っていた。
家に帰って電話をして話したら、祖母も覚えていて当時の私の
「よそいき」ワンピースやら靴バッグまで詳細に覚えていて
「孫には全員にごちそうしたよ。ひ孫にもするよ。」と嬉しそうに言っていた。
私の子は0才。おばあちゃんは85才くらい。
そんな日がほんとに来るといいな。

295 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 00:55
おばさんになってまで婆と電話で話す神経がわからん
遺産があるのか?

296 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 00:56
子供に厳しく自分に甘い親父。糖尿のクセに毎日酒を飲んでは説教の毎日だった。

やがて自分も独立し数年過ぎたある時、糖尿が災いしたのか脳梗塞で倒れた。
見舞いに行くと、そこには酒を飲んでは怒鳴り散らすかつての面影は無く痩せ衰え
た姿が。
しかも障害のため涙もろくなって、帰る時には大泣きされてしまった。そんな姿を
みてこっちもホローリした事を思い出したよ。

そんな親父も3年前に他界。死ぬ1ヶ月前に見舞いに行った時の涙が最後の別れの
挨拶だった。

297 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 01:07
>>295
お前のほうがわからんよ。

いい話じゃないか

298 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 02:53
>>295  >>294だけど
祖母は耳が遠くなってきて電話だと何度も聞き返されるんだ。
部屋で一人テレビみてると頭がぼうっとすることがあるそう。
でもね、話始めは気弱な声で聞き返しが多くても、しゃべっているうち
生き生きと元気になって、いくらでも話が飛びだしてくる。
最後は電話切るタイミングが掴めなくなるくらい(ワラ
小さいときウンと可愛がってもらったからさ。
時間と話題作っては電話かけるようにしてるんだ。
家は離れてるからね。

299 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 03:06
>>292
お兄さんもお母さんもあなたのことが本当に大切なんだろうね。
だから心配するし、守ろうとするんだろうな。
ええなあ、ちょっとジーンときたよ。

300 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 03:14
>>290
その時の御母さんの心境がこっちまで伝わってくるよ。
短い話だけど、ジーンと来たぞ。

301 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 03:15
>>298
お子さんとあなたと御婆様が三人で仲良くパフェを食べる・・・
その日が早く来るといいっすね、マジで。
きっと御婆様も楽しみにしてらっしゃるんじゃないかな?

302 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 06:21
おばーちゃんとの思い出って
ほんわかしててあったかくて切ないよなー。
亡くなってから6年経つけど、いまだに(会いたいなー)
と時々思う。
祖母が亡くなったあと3日目くらいに
私の所に来ました。
夜寝ていたら、私の肘をつかむ人が…。
すごく冷たい手で、でも手の感触とかはっきり
わかりました。
祖母が最期の挨拶をしにきたんだなーと思い
寂しくて泣きました。
すごく可愛がってくれたおばあちゃん、
大好きだったおばあちゃん、
もっともっと長生きしてほしかった。

303 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 06:36
気づいたら母はいつも化粧品だのなんだののパートに出ていた。
私と弟は母の仕事によくついて歩いていた。
冬、雪が降るとソリに荷物を載せて引っ張るんだけど
たまに私や弟もソリに乗って母に引いてもらってすごく楽しかった。
経済的にそれほど苦しいわけではなかったけど
舅姑&舅の自営業の為の弟子数人との大所帯生活の中での
母の大切な息抜きタイムが外に出てパートをすることだったらしい。
また、父は酒乱系なので夜になると荒れ状態に一転する日々が
毎日続いてたので、私や弟にとっても母と接する大切な時間だった。
懐かしい、ちょっと切ない、大切な大切な想い出。

304 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 07:05
>>302
おばあさんは、きっとあなたのこと見守ってくださっていますよ。

305 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 07:44
子供の頃、土曜の夜に家族で出かけて食事し、帰りに
デパートの本屋さんでマンガか本を買ってもらうのが楽しみだった。

小4ぐらいの時、いつものとおり家に帰ったあとコタツでポテトチップを食べながら
家族それぞれが買ってきた本やらマンガを読んでいた。
その時、突然心の底からしみじみと「ああ、幸せだなぁ」とハッキリ感じた。

「明日は学校休み」「コタツでホカホカ温かい」「家族みんな揃ってる」
全てのことが重なって全く心配事のない、心の底からの安心感をなったのだろう。

その後、両親離婚やらなんやらそれなりに波乱含みだった
私の人生で「一点の曇りもない幸福感」を自覚したのは
後にも先にもあの時だけ。

306 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/21(火) 07:54
2年前に亡くなった父は営業職30年のベテランでした。
さすがに喋りがうまくて、ともかく人をそらさない。
どんな話題でも話を膨らませるし、笑いのツボもおさえてるし、
我が父ながら素人にしておくのが惜しいと思うくらいでした。
一方僕は、小さな頃から無口で、これが親子かと疑うほど口下手。
そんな僕が去年就職して、不運にも営業職に回されました。
毎日が苦痛で苦痛でたまらなかったのですが、
先日帰省したおり、実家の母から
「仕事毎日大変やろ?お父さんも勤めだした頃は、
毎日くたくたになって帰ってきた。他人と喋るのが苦手な人やったから」
と、父の意外な側面を聞くことが出来ました。
口から生まれたかのような父にも人知れぬ努力があったのだと知り、
仕事辞めようかと悩んでいたのですが、もう少し頑張ってみようという気になれました。
ありがとう、お父さん。

307 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/22(水) 00:08
ええ話や・・・

308 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/22(水) 02:12
先月クビになったんですが
その事を親に電話で報告した折り
母親に慰められたのがホローリとしました。

・・・漏れも毎夜2chで逃避ばかりしてないで
そろそろ動かないとダメっすね。

309 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/22(水) 02:45
>>308
体だけはこわさないように・・・。
元気があれば何でもできる、と猪木先生も言ってます。
ガンバレ〜

310 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/22(水) 05:25
>>308
そうそう健康でさえあれば大丈夫だ。
わたしも応援してるよ。前より自分にあった仕事が見つかるかも。

311 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/22(水) 06:41
ここ読んで涙し、煽りに大笑い(すまん)、明け方から一人でPC
の前騒いでしまった。

おばあちゃんの思い出
幼い頃はよくデパートに連れて行ってくれた。でも、だんだん
年取って一緒にでかけなくなってきた矢先。高校3年になって
受験勉強もあって祖母との交流が少なくなってきた頃だった。
倒れて「もうダメかもしれない」そう連絡があり、親から高校
に連絡があって早退した。夏の終わりで午後の天気の良い日だった。
家に向かい自転車をこいでる時、視界がにじんだ。家についた
時はなぜか冷静になっていたけど、あの自転車こいでた時の
視界は今でも覚えている。

312 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/22(水) 10:33
何年か前の年末、いつもは手をつけない押入れの大掃除をした母が、
「こんなの出てきたのよ」って防災用リュックを持ってきた。
母自身もいつ用意したものだか忘れているくらいの代物だそうで、
何が入っているのか全然わからなかったらしい。
非常用として封筒に入れてあったお金(なんと10万円分!)は、
まだお札が聖徳太子と伊藤博文だったし、缶詰類もところどころサビていた。
「でね、これみて!」って母が笑いながら差し出した白い布は、
動物かなにかのバックプリントの入った児童用のパンツだった。
私はもう20代半ばだったのに。
ひとしきり笑った後部屋に帰ってから、何かホロリとした。
15年以上放置されていたそのリュックから出てきた、
乾パンの缶詰のサビがうつったパンツを見て、親の愛を感じた。

313 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/22(水) 13:51
思い出すこと10数年前中学1年のとき、両親の勧めで夏休みに東北の祖父母の家に一人で遊びに行った。
ところがいざ行ったものの、ずっと離れて暮らしていた祖父母と何を話していいかわからないという理由でずっと2階にこもって漫画読んでた。
それだけでも十分失礼なのに初めての一人旅でホームシックになって、夜「もう帰りたい」と涙ぐんで電話しているところもばっちり見られ、さらに失礼極まりない事態に。
結局翌日?に帰ることになったが、最寄駅まで歩いて帰る途中ふと振り返ると、玄関先で別れたはずの祖母が乗れない自転車を押してついてきている。
「一人で大丈夫だよ〜」と祖母の思いも考えず言ったけど、失礼な孫を気遣って「いいからいいから」と駅まで見送ってくれた。
後日、祖父母からは夏休み中の私の態度を責めるような手紙(それはもちろん寂しかったから)が来たが、「だって本当に話すことなかったもん」と悪びれもせず母に頼まれたからと超適当な返事を出した。
その2年後、祖父は亡くなり、祖母は痴呆になってしまった。
両親はそれでもちょくちょく会いに行ってたけど、身内も忘れてしまっていると言う状況を聞いたらなんだか怖いような気がして私は会えずじまいだった。
それでも祖母は具合のいいとき私の(大昔に終わった)七五三のことなど気にしていたらしい。
その祖母も今から7年ほど前に亡くなった。
あの失礼な私の滞在より7年の年月が流れていた。
それだけの年月が過ぎるまで私は自分の犯した罪の重さに気づけなかった。
今も思い出すと涙が出てくる。
話したいこと、謝りたいこと、孝行したいこと…したいと思ったときにその人がいないというのは本当に切ない。
親には出来るだけ孝行したいと思っている…(でも照れくさくてなかなかできずにいる…)。

おじいちゃん、おばあちゃん、あの時だけじゃないです、たくさん謝りたいことがあります。
ごめんなさい。
直接謝れなくてごめんなさい。

314 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/24(金) 00:47
2chで泣けたのはじめてだよ。あげ。

315 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/24(金) 02:40
うちは共働きで、私の面倒を見てくれたのは祖母と曽祖父。祖母が畑に行っている間は曽祖父に連れられてあちこち回った。
私が物心ついたときはすでに80歳すぎてたけど、NHKの健康体操番組を見ながら一緒に体操したり、毎日2時間ほど散歩したりして健康的なじいさんだった。
散歩についていったときに買ってもらった明治の黄色いキャラメル、当時は30円だか50円だったがこないだ見ると90円になっていた。時の流れを感じる。
耳が遠くて、ご飯やお風呂の時は耳元で怒鳴らないと聞こえないようだった。
そのうち面倒くさくなり、私は「めし!」「ふろ!」と単語でしか話さないようになっていた。
私が10代くらいになったとき、私と曽祖父に対する家庭内暴力が始まった。
私は自分に降りかかる暴力に怯えるばかりで、曽祖父を助けてあげられなかった。
あれほど元気だった曽祖父は、見る影もなく弱々しくなって死んだ。
しかし、暴力を振るった張本人に対する恨み言は一言も言わなかった。親戚達にも秘密をつらぬいた。
生きていた時はそう好きではなかったけど、死んでから小さい私の面倒をみてくれたことやらいろいろ思い出して何度も泣いた。
頑固でしょうがない人だったけど、残された親族に災いの種をまかないよう全て腹の中に納めて死んだ曽祖父をすごいと思う。
私なら暴力を振るった本人に取り憑きそうなものだけど。
曽祖父の姿で思い出すのは、セーターを着て帽子をかぶり、農道をひょこひょこ散歩している後姿だ。

316 :いい話ですなみんな。。。:2001/08/24(金) 02:56
 就職して、初めての年、正月、雪深い実家に帰った。いつも私とは
仲が悪かった祖母とはもちろん、あまり口をきかなかった。
 正月休みも終わり、帰る日の朝、新幹線が朝早い時間しか取れなかったんで、
朝の6時くらいに朝ごはん食べてたら、祖母がおもむろに、私の前に
座った。食べてる間、TVも見ず、じっと私の顔を見るので、
「なんだよ」と言ったら、「お前、お盆も帰ってこなかったから、
次いつ来るかと思って。顔、よっく見ておかねばな、忘れっからな、
年寄りはよ」 いやーまいったおばーちゃん。ごはん食べながら泣きそうに
なったよー

317 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/24(金) 03:01
>>313
>>315
こんな夜中にものすごく声をあげて泣いてしまったよ。
あの世にいるおじいちゃん、おばあちゃんたちに、
思いはきっと伝わってるよ。

318 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/24(金) 03:10
私が6年生の時に父は退職、その後母親と2人で
家で仕事を始め、夜の11時頃まで働いていました。
両親の身体が心配なのと寂しかったのでよく
「もうそろそろ終わったら?」と呼びに言ったのが
思い出です。
私立高校まで出してくれて就職、さあこれから楽
をしてもらおうとしたときに父親は脳血栓で倒れ
7年間の闘病生活のあと死去。現在81歳の母も軽い
脳梗塞で入院中です。何か苦労かけっぱなしで
ごめんね、母さん。

319 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/24(金) 03:12
母に毛糸の帽子を編んだ。変な形になって、母はいらないと笑った。
中学生だった私は結構がっくりきてしまった。ちょうど遊びに
来ていた祖父が来て、俺がもらうよ、と言って持って帰った。
その祖父は私が高校生のときなくなった。
49日がすぎて祖母が祖父の品物を片付けているときに、私の
編んだ帽子を取り出していった。
「じいちゃん、孫に編んでもらった帽子だって行って、
ゲートボールするときかぶっていってみんなに自慢してたのよ」

じいちゃん、お小遣い貰うばっかりでなんにもしてあげなかった。
今、生きていてくれたらどんな帽子でも買ってあげるのに。

320 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/24(金) 03:37
高校卒業した翌日ぐらいに、小学校から使っていた机を捨てようと思った。
何故ならオシャーレな部屋にしたいのに、こういうのがあるとジャマだし、
まったくそぐわないから。
ある程度解体して、ゴミ袋に入るようノコギリでギコギコ切っていたら、
後ろに母が立っていた。
「どうしても捨てないといけないの?」と涙ぐんで立っていた。
「だってジャマだし、もう使わないじゃん!」と相手にしなかったが、
今頃になって母の気持ちが痛いほどよくわかる。

今、ひとり暮らしをしているけど、親から買ってもらったものが
一個も残ってないから。全部捨ててしまってた。
なんであんなことしたんだろう。

321 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/24(金) 07:41
>>320さん
小学校に入るときに買う机ってのは、かなり
親の思い入れがあるんだよな。いやみじゃないよん

322 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/24(金) 11:26
>>319さん

それは、あなたが「作った」帽子だから、価値が有ったんだと思うよ。
買ってもらったらもらったで、嬉しいと思うけど
おじいさんはあなたの手作りの方が嬉しかったんじゃないかなぁ…。

323 :おさかなくわえた名無しさん:2001/08/24(金) 12:20
>>319
うんうん。その変な形も自慢の一つだったに違いないよ。

324 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/26 23:30 ID:M0cKEEUo
age

325 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/27 12:30 ID:0MeChg3c
親から聞かされた話だが、俺がまだ小学生で、弟が保育園児だったころ
弟は、いっつも俺の後ろをついて回っていたそうだ。
そんなある日、いつものように俺の後ろにくっついて外に遊びに出た弟が
一人で泣きながら家に帰ってきた。親は「どうしたの?お兄ちゃんは?」と
弟に聞くと「お兄ちゃんがお金くれるから一人で家に帰れって・・・」と5円玉
ひとつを握りしめ答えたそうだ。

あまりホロリとしないけど・・・此処読んでちょっと思い出した。

326 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/27 13:12 ID:cj6ISauM
なんだよ、こんないいスレあったんだ。
今まで知らなくてスマン。
最近色んな事がありすぎて、鬱になってたが少し元気が出てきた.
良い話ありがとう!!

327 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/27 13:31 ID:9cIA4C2E
がんばれ、>>326

328 : :01/08/27 13:31 ID:LJ/BJBAs
がんばれ、>>326

329 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/27 13:31 ID:VcQtjgwE
がんばれ、>>326

330 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/27 15:46 ID:w2muwIQQ
がんばれ、>>326

331 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/28 09:48 ID:ZnZZLWxg
小さいときに祖父におこずかいちょうだい
といったらなぜか財布に1銭玉が入っていた。

332 :おさかなくわえた名無しさん :01/08/28 10:41 ID:HG3w3ZBM
高校のころ生まれてはじめてのアルバイトの給料日。バイト代をもらった帰りに
祖母の大好きな和菓子を買って「ばあちゃんの好きな**堂の最中かってきたよ」
ってプレゼントした。照れ屋のばあちゃんがあのときすごく喜んでくれた。
それから何日か後 このまえはありがとな。って1万円こっそり渡してくれた。
亡くなった祖母と私の20年前の思い出です。
>>>>
その後俺は大学入学のため上京しましたが夏休みなどで帰省する友人に ばあちゃんには
絶対お土産買ってけよ。1000円のまんじゅうが一万円になるぞ。と教えてみんなから
感謝されました。

333 :あぁ:01/08/28 18:53 ID:A.T.gNGk
stay gold

334 : :01/08/28 20:52 ID:xkNr7kqM
涙がとまらないよう。
いいスレやね・・・。
あげます。

335 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/30 00:21 ID:ssXcKwMs
age

336 :ローリング・三ダー:01/08/30 00:42 ID:Cgef0W/6
年の離れた弟を保育園に迎えに行き、そして川原を散歩したり、公園で遊んだりするのが
私の日課だった。
暮れて帰ると家から夕飯のいい匂いがしてくる。肉じゃがやー、とかシチューやーとか
弟と二人で当てっこしながら家に帰る。

あの少年(女)期から随分こっちに来てしまったなぁ・・・。
今は正月だってろくに実家に帰らない。だから余計にあの頃の幸福が身に染みるよ・・・。

夕方、帰途に着くと何処からかいい匂いがするんだよなぁ・・・。
みんながしあわせで、家族一緒に美味しいもの食べれますように・・・。

337 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/30 07:36 ID:O6iaWn3E
多分現在進行形だとは思う。
私が作った食事を旦那や子供達とわいわい言いながら食べる。
「ちゃんと野菜も食べないとデザートあげないよ。」とか
「え〜、ピーマン嫌いだからこの一個だけでもいい?」だとか
「おとうさん、@@(子供の名前)がビールついであげる!」だのと騒がしい。
その合間に学校での話や買って欲しい物のおねだりがあったり。
何の変哲もないただの食事の風景。
その三時間後くらいには今度は夫婦2人でのおしゃべりの時間。
仕事の話から子供の様々な事に付いての相談、他愛ない話。
ビール片手にのんびりと話す。
そして「明日も頑張ろう」って眠りに付く。
なんて事な風景だけど、結構幸せ。

338 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/30 19:48 ID:9fBgf.vk
思い出したので書き込み。
まだ入園前の娘と暗くなってから外を歩いていた時。
丁度綺麗な満月が出てた。
娘 「ねえ、おかあさん、お月様、ず〜っと@@(自分の名前)の後付いて来るね。」
私 「ほんまやねえ、なんでやろ?」
娘 「@@と追いかけっこしたいんかな?」
私 「そうかもしれへんなぁ。」
娘 「お〜い、お月様〜、こっちやで〜。」と家に向かって走る。
娘 「おかあさん、まだついてきてるなあ、お月様。」
私 「@@と追いかけっこしたかったんやろ、お月様にバイバイ言うて家入り。」
娘 「お月様、ばいば〜い。」
なんてことのない風景だけど、綺麗なお月様の出ていた夜と言うのはよく覚えてる。
今では成長してそんな可愛い事も言ってくれなくなった娘とたまに暗くなった道を歩くと思い出す。

339 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/31 17:07 ID:/Zw0XanQ
大学の時、私は実家を離れて一人暮らしをしていました。
一人暮らしに慣れて、なかなか実家に帰らずじまいでした。
ある日、まだ講義を受けている時間に、電話がかかってきて、
「今、アンタの下宿先にきてるから、はやくかえっておいで。」と言いました。
私はちょうどそのころ、男に二股かけられ、あげくの果てに、授業もいそがしく、
友達には裏切られ、精神的にまいっていて、イライラしていました。
私は母に、
「どうして連絡ナシに、急にくるの?!私だって予定があるのに!
もう、かえって!!」と、言ってしまった。
家に帰ると、机の上に母が実家から作ってきたお弁当とおこずかいと手紙。
「暖めて食べなさい。体に気をつけて頑張るんですよ。何があってもお母さんは
あなたの味方です。母」
私に、何かがおこったというのを、多分感ずいたのでしょう。
その手紙と、手作りのお弁当を見て、大泣きしていました。
あとから弟から聴いた話では、母は目を真っ赤にしてかえってきたそうです。

そんな私も、卒業して、地元に就職。
ケンカも未だにするし、八つ当たりもしちゃうけど、
お母さんの子で、良かった。
いつか親孝行できるようにがんばるね。

340 :おさかなくわえた名無しさん:01/08/31 17:26 ID:AQsGxiss
2chで泣くとは思わなかった

341 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/01 09:47 ID:p3uVysos
age

342 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/01 11:23 ID:6UpjWwvM
age

343 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/01 12:15 ID:KTJtUvvo
先日、実家に帰ったんだけれど、
ひっそり目立たないところで、
私の幼稚園頃の写真を、写真立てに飾ってある。
何年か前に、将来のことを考えたりして、真面目に話をした時に、
改まって親宛に書いた手紙(今読むと、きっと恥ずかしい(W)が、
他の手紙とはより分けて、状差しに入っている。
私もあえて気づいたそぶりはしないけれど、
子として思われているんだなぁ。。。って思う。
親孝行するよ。

344 :おさかなくわえた名無しさん :01/09/01 12:33 ID:kr7BcsEY
うちも兄弟3人全員が家を出て生活始めた頃から
小さい頃の3人で写っている写真を写真立てに入れて
飾ってるなあ・・
にぎやかだったころが懐かしいんだろうな・・

345 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/01 12:53 ID:ocn37Qvw
以前の彼と3年ほど同居してんだけど(付き合い自体はもっと長い)
彼のほうから別ればなしを持ちだされ、ちょっと距離を置くことになった。
実家に帰ってしまっては通勤が遠くて苦痛なので、
半月くらい当時横浜に単身赴任していた父親のマンションに
居候させてもらっていた。
実家で一緒に住んでいた時はロクに口も聞かなかったのに、
2人で食事にいったり飲みに行っていろいろ話をしたりしている
うちに鬱な気持ちもどんどん楽になっていったなー。
最終的に彼から別れようと携帯に電話が来たのは
父の行き着けのスナックで飲んでいる最中で、お店の外でひとしきり
話して席に戻ってきたらなんと父が泣いてる!!
生まれて初めて見てしまった・・・お婆ちゃんの葬式でも泣いた姿は
見たことなかったのにー!
で、結果を告げると一言、
「そんな大事なことを電話で決めるな!今すぐ行って話し合ってこい!」
と横浜から世田谷へのタクシー代2万円を握らされ・・・。
半泣きでタクシーに飛び乗ったよ・・・。結果は変わらなかったけど
父親を泣かせるようなことをするのはもうやめようと思った。

346 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/01 15:13 ID:3KmPDn7k
age
おとうちゃん最高。

347 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/02 01:21 ID:joer4WcQ
小さい頃、市販のものは砂糖が多いからと、母親が100%ジュースを使って
ゼリーやアイス(型に入れるだけだけど)作ってくれてたことを、今自分で作った
100%オレンジジュースのゼリーを食べながらココを読んだらホローリ。
同じ味がするんだもん(泣)。

348 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/02 08:21 ID:N/iafP9A
>>339
泣けた!普通の母親だったらヒステリーになってるのに娘の数言で
その状況を察した。そしてそっと帰った。何という賢母。
「何があってもお母さんはあなたの味方です。母」
はあなたがお母さんからもらったかけがえのない
財産だね。一生枯らすことないよう大事にしてください。
羨ましいぞぉー!!

349 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/02 10:25 ID:ifeytWAA
涙あげです。
>347
「食べ物と思い出」ってくるよね・・・・。
うちのおばあちゃんは料理上手で几帳面な人でした。
家事に手を抜くということもなかったけど
このあいだおうちに久しぶりに遊びに行ったら
鍋はコゲだらけ、部屋のなかは埃まみれで以前とはまるで様子が
違いました。
そんな部屋の中でコンビニのお弁当をおばあちゃんは食べていた。
ずっとほったらかしにしていて
ほんとにごめんと心の底から思った。

350 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/02 13:10 ID:gQ6PeuhU
>>348
ありがとう!
親孝行しますね。
   from >>339

351 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/02 13:13 ID:v90JC54o
http://www.i-love-you.gr.jp/kensyou/index2.html
懸賞板避難所はこちら。。。

352 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/02 14:47 ID:bYt3cXEQ
なんでこんなに泣けるんだあげ

353 :おさかなくわえたななしさん:01/09/02 23:40 ID:6Ljou28k
ほんとだぁ。はじめ、こんなんじゃ泣かん、と思ってたけど
1度ホロリときたら、ずぅっと涙が乾かないよぅ〜泣

354 :sage:01/09/02 23:44 ID:7QYpUDZg
いいスレだね。何も書けん自分が鬱だ氏のう。

355 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/03 01:44 ID:PdKNBSsQ
こないだ父親と一緒に映画を見たりお茶したり
数年ぶりに丸一日デートしました。たいした会話もしないで
そっけなく駅で別れたんですが、その日の晩にメールが来て
「なんだかすっかり大人になってしまって照れくさくて
まともに話ができませんでした。でも楽しかった」って
書いてあって、なんだかジーンとしてしまいました。

あんまりホローリな話じゃなくてスマソ

356 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/03 01:47 ID:soagn0.M
俺「どうして蛍はあんなに綺麗に光るの?」
父「短い間しか生きられないから、その分綺麗なんだよ」
俺「あんなに綺麗なのにもったいないね」
父「そうだな。でも、お前がずっと覚えてたら、蛍も嬉しいと思うぞ」
俺「うん、分かった。忘れないようにする」

そういって、飽きるまでずっと蛍を見てた。
ちょうど5、6歳の頃だった。
普段ふざけたことばっか言う親父がこんなこというから覚えてる。
おれも、あんなに純粋だったんだなぁ・・・。

357 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/03 02:05 ID:9gh.wYz6
別にケコーンなんてしてもしなくてもいいやと思っていたけど
ココを読んだら「おかあさん」になりたくなった。

358 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/03 02:27 ID:ez6nhyJs
死ぬ程学校へ行きたくなくて、家出を試みた。
地元の小さな駅でベンチに座り、始発を待っていたら
そこへ父が現れ、強制的に家へ連れ戻された。
家へ帰るまでの車中、父はずっと無言だったが、
家に着いたとたんに私に向かい泣きながらこう言った。
「俺は、お前がいなくなったらどうすればいいんだ」と。

普段絶対に泣いたりする事のない父の涙にびっくりした反面、
私の為に泣いてくれた父の愛情が嬉しかった。
お父さん。あの時は私を見つけてくれて、ありがとう。

359 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/03 02:48 ID:laho6TJo
いいスレですね。
もっと他にも泣けるスレはありませんか?

360 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/03 05:06 ID:6FpFIrA.
私は、父が大嫌いだ。
小さい頃(多分、私が小学校高学年くらい)夫婦仲がすごく悪かった両親。
家族みんなで食卓を囲んでTVを見ながら家族5人そろって食事。(両親・兄2人・私)
凄く覚えてるのが、大河ドラマを父が見ていて
私たちがマンガを見たかったのを母が気づいてくれて、父にチャンネルを
変えてくれるように頼んだ。すると食卓にあった漬物を母に投げつけた。
その時本当に、殺してやりたいくらい憎い感情がでてきた。
昔から父との楽しい思いでなんてない。両親とも共働きだったので
遊びに連れて行ってもらった記憶もほとんどない。
兄が中学生になり、反抗期にも入って、地元でも有名なヤンキーになっていった。
父とももちろん仲が悪く、殴り合いのケンカなんて日常茶飯事だった。
私はいつも泣きながらそれを見ていた。
お兄ちゃん早く、殺して・・・って願いながら。
私が中学生に上がった頃は別居をしていた。とはいっても歩いて3分の距離なんだけどね。
新しく家を建てて、そこにお母さんと私達兄弟が住んだ。
父は祖父母と一緒に住んでいた。
(ずっと祖父母と一緒に住んでいたので父はそこに残った・・・という形)
それから、別居生活は5年続いた。
私は母にずっと「あんなヤツ大嫌い!早く離婚して!」って何度もお願いした。
でも、母は笑ってるだけだった。
父があるとき、仕事を急に辞めた。(料理関係の仕事)
フランスに行って料理の勉強をしにいくと言うのだ。(父当時50さいくらい)
私は意味がわからなく、とにかく腹立たしかった。中途半端にするくせに。
どうせ、出来もしない事言うくせに・・・って。実際、フランスには行かなかったし
再就職もした。余計父が嫌いになった。
兄も父の事は憎んでいた。よく三人で父の悪口を言った。
ある日突然母から父が一緒に暮らす事になった。と告げられた。
私は泣きながら駄々をこねた。心底嫌だった。
兄は、2人とも結婚して家にはいなくなった時期だった。
あんなヤツとなんて暮らしたくない!5年の空白が埋まるわけでもない。
5年・・・そんなに離れていた人と一緒にくらすなんて、不可能・・・。
でも、私がどんなに我侭言っても仕方ない事だった。
それから3年経った今。父と交わす言葉はほとんどない。
私は今でも大嫌いだ。はやく死んでほしいと思っている。
ある時、お兄ちゃんに子供が出来たので家に帰ってきた。
お兄ちゃんと父は普通に会話していた。とても仲良さそうに。
父も兄も優しい顔でいろんな事話してた。
親子にみえた。親子なんだけど・・・。
なんだか、それを見ると泣けてきた。
父なんて大嫌いなのに・・・。羨ましく思えた。
そう思うと、また泣けてきた。

長文スマソ。

361 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/03 05:43 ID:k8JtJ52A
「親子にみえた。親子なんだけど・・・。」ってところが好きだ

362 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/03 11:25 ID:kmJa57ns
>>359
老犬な日々
http://www.geocities.co.jp/Playtown-King/2478/naki/rouken.html

オヤジとサシで・・・
http://yasai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=sake&key=977201195

さよなら、青い鳥。
http://members.tripodasia.com.my/sudobec567/

363 :kapu:01/09/03 17:56 ID:TabflCnk
大学3年生の夏、一人暮らしをしていた俺は、同級生の彼女を妊娠させてしまった。
学生の力じゃ所詮子供を育てる経済力も無い。実家も家計が苦しい中、無理して俺を私立大学へいれてくれた事もあって、
ほとんど経済的な余裕は無い。なので俺は学校をやめて働く決意をして、
彼女の家へまずは謝罪と、結婚の意思を伝えに言った。
彼女の住んでいるところは地方の田舎町で、特有の決まりや慣わし、習慣などがあった。
その中でも彼女の一家は特に権威が強く、親も役員として町では有名な人だった。
もちろん、娘が大学生なのに出来ちゃった結婚で、しかも相手もどこの奴かも知れない学生となると、
そんな一家が俺を許してくれるはずもなく、何度も俺は殴られ、何度も玄関払いされた。
俺はこれ以上何度も押しかけても相手を怒らせるだけだと言うことに気付き、
とりあえず実家に帰った。
実家に帰っても、どうせ親に思いっきり怒られて、何やってんだ馬鹿野郎と怒鳴られると思っていた。
しかし、実家の玄関を開けたときに、母親はそのことには触れず、笑顔で「何も食べてないんでしょ?支度するから待ってて」
と言ってくれた。
今まで俺の将来を期待して、自分のやりたいことも我慢して俺のために頑張ってくれた両親。
しかし俺は自分の快楽におぼれてその全てを無駄にしてしまった。
なのに家族は俺を当たり前のように温かく迎えてくれた。
俺は今までの自分の親不孝ぶりを思うと、泣けて泣けて仕方なかった。

↓続く

364 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/04 00:19 ID:wKTqdkX.
ありがとうage

365 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/04 00:25 ID:VRFfl9DM
東京から新幹線乗る地方に嫁いだ私だけど、東京離れる最後の日
送られると泣けてしまいそうなんで、家の玄関で家族と別れた。
出るまでずっと「もう○○家の子になるんだからな」と言ってた父が
最後に玄関の奥で「やっぱりうちの子だから、いつでも帰っておいで」って
悲しそうに笑いながら言ってくれた。
母と照れくさい私は笑いながら「何言ってんの〜」と言って「じゃぁね」と
家を出たんだけど、夜の人通りの少ない大通りを泣きながら歩いたよ。
今でもあの時の父を思い出すと泣ける。
余談だけど「○○も○○(孫達の名前)も可愛いけど、お前が一番お父さんは
可愛いなぁ〜」と今でも電話で言ってくれる父が大好きだ。遠くに嫁いでごめん。

366 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/04 01:15 ID:raxncLzY
>>363
続きは?

367 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/04 02:39 ID:0RQKY8R6
 かーさんのなくなるまぎわに「ごめんね、心配かけて」とつぶやいたら
 「本当に心配したよ」と混濁した意識の中でつぶやいた母さん。

 一人っ子のおいらのことを本当に心配したんだろうなぁ

 ああ、会いたいなぁ

368 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/04 02:55 ID:XRQUBGJ2
wakaru

369 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/04 07:29 ID:w3QoVhjc
このスレ最高

370 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/04 07:45 ID:rq/Vqxnc
このスレに書く事じゃないけど、なんか自分がやだな。
両親の嫌味の言い合いみたいなのを10何年間見てきた自分には
親を尊敬するなんて絶対出来ないし、人間的にものすごく嫌いだ。
だからといって、今まで受けた恩までその恨みつらみの中に
しまい込んで忘れようとしてる自分がいて、ものすごく自己嫌悪。
俺も、もうちょっと大人になれて、恩が身にしみるようになったら
いつか両親2人に面と向かって感謝を伝え・・・・・・たいような、
伝えたくないような・・・。まだまだ心は反抗期かも。

371 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/04 07:49 ID:72997dtc
370の気持ちワ(・∀・)カル!!

372 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/04 07:59 ID:zW0mT3QM
私が幼児の頃、仕事に行く父を見送る時に大泣きしてたらしい。
そのうちに「行ってらっしゃい」と共に「泣かないで待ってるよ」と
言うようになったそうだ。自分では泣きたいのを我慢しながら
「泣かないで待ってるよ」と言ってたのをかすかに覚えている。

今、私は独身だけど誰かが自分の帰りを泣きそうになるほど待っててくれたらな、なんて時々ふと思う。

373 :kapu:01/09/04 11:17 ID:7k7RlOAY
>>363の続き。
結局彼女は親に無理やり中絶させられてしまった。
彼女の両親は、身の回りの世界を、何事も無かったような日常へと無理やり引き戻した。全ての事実は闇の中へと消えた。
俺も彼女もお互い快楽におぼれてしまった結果とはいえ、
やっぱり体を傷つけるのは女だ。それ以上に彼女は心に非常に深い傷を負ってしまっただろう。
俺への家族の愛・・・俺を今まで身を粉にして育ててくれた。なのに俺は大学を辞めざるをえない状況にしてしまった。
彼女を愛している彼女の家族・・・彼女の将来をも奪ってしまうところだった。
俺の彼女に対する愛・・・本当に大切に思っているなら、きちんと避妊すべきであった。
俺はその全ての愛を裏切るような行為をしてしまったわけだ。
しかし、やっぱり人間は一度過ちを犯さないと、その過ちの重さを理解できないのだと解った。
「冬は寒いと言うが、暖かさを一番知る季節だ」と言う言葉もあるように、
俺は過ちを犯して初めて家族の大切さを痛感させられた。
ごめんなさい。みんな。そしてありがとう。
今は俺は大学4年生。就職も決まった。
そしてあんなにつらい思いをしたのに、今でも俺を思ってくれている彼女。
俺はいつかきっと彼女の家族に認めてもらえるような男になるべきだと、
硬い意思を持って今を生きている。

374 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/04 12:16 ID:ekVoaq4U
うちの両親は昔、あんまり仲が良くなかった。
ある日の夕飯時、母がいつものように私たち姉弟をネチネチ叱っていると
寡黙でおとなしい父がついにキレて皿を投げた。
その皿は事もあろうに弟の頭を直撃。食卓に血しぶきが飛んだ。
放心状態の弟を、私と母は震えながら病院へ連れていった。
弟は頭を3針縫った。
そして私だけ先に家に戻ってみると、
父が床を転げまわりながら、おんおん泣いていた。
「俺はバカだ〜」「なぜあんなことをしたんだ〜」
あと、弟の名前を繰り返しながら。

そんな父母も歳と共になんだかすっかり仲が良くなって、
特に父が定年になってからは毎週のように二人であちこち出掛けてます。


これ書いてるうちに、結婚記念日に何か贈ってあげようかなあという気持ちになりました。

375 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/04 13:13 ID:gPNHQwys
>これ書いてるうちに、結婚記念日に何か贈ってあげようかなあという気持ちになりました。

その気持ち分かる!
でもふと気がつけば両親の結婚記念日を知らない……

376 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/05 01:56 ID:VhXUZCjY
このスレいいねぇ。久しぶりにこういうの見た。ナイタヨ。

つい最近まで続いていた「嗚咽」に匹敵すると思う。
こちらも2ch屈指の泣けるスレです。よろしければご覧あれ。
http://metro.fargaia.com/backup/973086841.html

377 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/06 07:17 ID:UNt0cQlM
age

378 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/06 10:52 ID:czrxG8Ng
>>376
こんなスレがあったとは。教えてくれてありがとう。
でも、仕事中に読んではいけないスレだね。
涙でディスプレイが霞んでます。

379 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/06 15:13 ID:N.NLcybI
癌になった。
母の家系が癌家系。
母は定期的に検診を受け今のところ大丈夫
まさか若い私がなるとは、思っていなかった。
「わたしのせいでごめんね、ごめんね」と
泣きながら謝るけど、

お母さんの子でよかったよ。
お母さんの子じゃないと嫌だから
癌家系とかそんなのどうでもいいよ。

癌保険入ってて良かった。
最後の孝行だから、
お母さん、長生きしてね。

380 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/06 15:41 ID:ZiC0DjP6
いろんなすれで書いてるんだけど
3歳の頃だっだかなぁ
お母さんが作ってくれたホットケーキ、嬉しくて美味しかったなぁ。
お父さんもお母さんももう死んじゃったよ。
書いて手涙が出てきた、
泣いてくるね。

381 :dd:01/09/06 15:49 ID:aT2OyB9k
弟が東大に合格したとき父親に真顔で
「おまえは失敗だった。」言われたとき

382 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/06 16:01 ID:uSwKnfLM
お婆ちゃんの笑顔を思い出すと、目頭が熱くなる。
妻、そして子供を、お婆ちゃんに一目見て欲しかったなあ。

383 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/06 16:18 ID:CkADWt0Y
久々に実家に帰り、親父と外に食べに行った。
働き出してまだ2年くらいしか経ってなかったが、
いっちょ前に「社会人は大変だ」みたいな話をしてみたり、色々と話をした。
親父は酒を飲みつつ静かに聞いてくれた。
次の日、帰る直前に玄関で、親父がお金の入った封筒をポケットに突っ込んできた。
俺は、「もう自分で稼いでるし、俺じゃ無くて自分の事で使ってよ」と、
返そうとしたが、受け取ってくれない。
親父は涙目で「親にとって、いつまでたっても、子供は子供なんだ」
「俺にはコレくらいしか出来ないんだ、取っとけ」
と言いつつ、家の中に行ってしまった。
少し寂しい感じもしたが、不器用な親父の精一杯の気遣いだったと思った。
そのまま俺は帰ったが、封筒はいまもそのまま残っている。
親父の誕生日にでも、いい酒買って帰ろうかな?
そして呑みつつまたゆっくり話がしたい。

384 :無責任だが言ってやる:01/09/06 16:23 ID:bpUMEsqE
>>379
お母さんだけじゃなくお前も長生きしろ。
まだ若いんだろ、頑張れ!!

385 :383:01/09/06 16:26 ID:CkADWt0Y
でも、親父に話せないでいる事がある、おふくろにも言えないが、
俺(独身)、今、不倫中なんだ。
隠し事してすまないと思っている。
いつか、言える時が来たら、話すつもりだ。
略奪婚して、いきなり大きい孫が出来ても、俺の親でいて下さい。
コレから親不孝する前に、少しだけ親孝行させて下さい。

386 :無責任その2:01/09/06 16:30 ID:9iqBcMQA
>>379
そーだよ。
負けるな。頑張れっ!

387 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/06 17:57 ID:NS2zfRDc
>>379
治る人も確実に居る!
気持ちを強く持って頑張れ!

388 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/06 18:54 ID:Geti68WQ
オマエラ全員シネ

389 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/06 18:59 ID:bpUMEsqE
>388
辛い事あったの?

390 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/06 20:09 ID:Y5lztT0E
切迫早産で2人部屋に入院してたとき、となりのベッドに
体外受精後、出血したっていう妊婦さんが入院してきた。
やっと受精して3個の受精卵が育っているとのことだった。
でも、どうもそのうちの2個の成長が止まっているらしい。
検査の日、大丈夫かなあ。。。っと言いながら部屋を出ていった彼女。
数時間後、顔をハンカチで覆いながら戻ってきた。
受精卵全て成長してなくて、早いうちに掻爬しないといけないらしい。
涙があふれて止まらなかった。。。彼女はその日のうちに退院していき
数日後、病室を訪ねて来てくれた。そして笑顔で
「今日お腹の中の子どもたちを天に送りだしたの。また頑張る。○ちゃんも
頑張って元気な赤ちゃん産んでね。」っと励ましてくれた。辛かったと思う。
私はそれから2ヶ月程入院して無事出産したけど、彼女にもまた新しい生命が
宿っていてほしいと願わずにはいられない。

391 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/06 20:11 ID:Y5lztT0E
↑家族じゃなかった。スレ違い。スマソ。

392 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/07 01:41
           
                Λ_Λ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                ミ ゚Д゚彡 < 1-400まで幸福保証!
             _φ___⊂)__ \________
           /旦/三/ /|
        | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
        | 占い適当 |/
 

393 :DVD名作:01/09/07 11:43
http://homepage.grabit.net/soft/
DVD洋画 サウンド・オブ・ミュージック
DVD洋画 イージー☆ライダー コレクターズ・エディション
DVD洋画 風と共に去りぬ
DVD洋画 クレオパトラ
DVD洋画 卒業
DVD洋画 卒業白書
DVD洋画 テス
DVD洋画 ディア・ハンター
DVD洋画 何がジェーンに起こったか?
DVD洋画 ナバロンの要塞 コレクターズ・エディション
DVD洋画 バージニア・ウルフなんかこわくない
DVD洋画 パピヨン
DVD洋画 ひまわり
DVD洋画 マイ・フェア・レディ
DVD洋画 郵便配達は二度ベルを鳴らす

394 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/07 15:55
age

395 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/08 01:38 ID:mK7Ubi3Q


396 :おさかなくわえた名無しさん :01/09/08 02:31 ID:fuvBvnaQ
そして静かに沈んで逝く・・・

397 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/08 02:58 ID:Vy3ptaE2
・・・のを阻止するためにあげる。

398 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/08 15:41 ID:Xkg2KHD2
私が中学生だった頃、父に連れられて親戚のおばちゃんの家に行った。
おばちゃんは若い頃結婚に失敗し、弟は戦争で死に、姉(父の母親)は先月肺ガンで
死んだばかりでアパートで一人暮しをしていた。

私が来た事をすごく喜んでくれて、お餅をいっぱい焼いて昔のお金をくれた。
でも正直、ごちそうとお小遣いを期待していたわたしはガッカリした。
おばちゃんの家のテレビが無くなっていることに気付いた父が「どうしたの?」と
尋ねると「お水をこぼしちゃって修理に出してるの」と笑って答てたのをよく覚えてる。

その夜、おばちゃんは倒れて帰らぬ人となった。
お通夜の時、「おばちゃんは貧乏だったからお餅と古いお金しかお前にやれなかったんだよ」と聞かされた。
後日テレビも質に入れていたことがわかった。
どうしてあの時、家にあるテレビをすぐに持って行ってやらなかったんだろうと父も後悔している。

おばちゃん、あのときはまだ子供で、がっかりしてゴメンね。
今なら週一回でもアパートを訪ねて寂しい思いをさせなかったのにね。
経済的にも援助できたのにね。

399 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/08 18:42 ID:aPBu4jxk
2ちゃんで大泣きしちゃったよ・・。

400 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/08 18:49 ID:u668GDiw
>398
「ゴメン」なんて言われるときっとおばあちゃん困るよ。
今だからこそ「お餅とお金、ありがとう」って言ってあげてほしいな。

401 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/09 00:29 ID:dpD1VtAM
結婚して長女が産まれ、顔を見せていらい1年半ぶりに実家にいった。
長女は母によくなついて「おばあちゃん〜」とくつっいてまわって母も楽しそうだった。
父も死んで姉も私も結婚して一人暮らしだったから、、。
絵本を広げて手遊び歌やあやとり、、
長男も産まれた。嬉しそうに抱っこする母。
また都合で会えない日が続いたが、それから2年ぶりに実家に帰った。
やんちゃ盛りの長男は「おばあちゃんと寝る〜」と」言って母を喜ばせた。
その時が元気な母に会った最後。
母はもういない。予期せぬ死だった。
孫の顔は見せてあげたけど私はホントに世話の焼ける子だった。
ごめんね、お母さん。

402 :大坊:01/09/09 00:39 ID:GiFp/erg
引っ越しするから50万くれって言ったら
父ちゃんと母ちゃんが大学やめろと言ったので
婆ちゃんの通帳から100万借りてみましたドキドキ

403 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/09 01:05 ID:XEN0WCAk
>>402
おばあちゃんに返した方がいいよ。

404 :大坊:01/09/09 01:08 ID:GiFp/erg
婆ちゃんに言ったらたぶん杖でしばかれる・・

405 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/09 01:31 ID:XEN0WCAk
>>404
自分が悪いのだから仕方ないでしょう。

406 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/09 01:34 ID:Bnt4Vmmo
>>402-405
短いやりとりを続けるのはこのスレに相応しくないかと

407 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/09 01:35 ID:nV7yFdTA
八年前の真冬の夜。
特にイベントがあった訳でもないのに
家族と父母の友人家族とで外食に行った。
その晩は寒さのせいか星がとてもきれいで
私たち家族は少し遠回りをして帰った。

父が心筋梗塞で急逝したのはその日の深夜の事でした。

408 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/09 01:39 ID:HIdn7A7w
>390と同じような事があった。
お腹の中でこどもが死んでしまって、掻爬しなければならなかった時。
私と全く同じ状態の人と2人で同じ日に入院した。
手術の前の晩に、子宮口を開く為の処置をすることになって
覚悟は決めていたつもりだったのに、いざ処置してみたら
精神的に追いつかなくなってしまい
痛みと、口では説明できない大きなショックで
自分のベッドに戻るなり声を出して泣いてしまった。
相部屋で、他にも切迫流産の人とかも入院していたし我慢しなくちゃと思っているのに
でも口に手を当ててこらえてもこらえても嗚咽が止まらなくてどうしようもなかった。
ふと気付くとカーテンの隙間から一緒に入院した彼女が私を呼んでいて
「痛む?大丈夫?あまりひどいようだったら痛み止めもらった方がいいよ。」
とやさしく声をかけてくれた。彼女は私よりも痛みがひどかったようで、
看護婦さんが痛み止めを持ってくるのに間に合わずにトイレで吐いていた。

手術が終わり退院して何日か後の診察日。
待合室で彼女と会った。あの日泣いていた私のことを心配していてくれた。
彼女は今までなかなか妊娠しなくて不妊治療を受けていたそうだ。
「でも今回で妊娠できるってわかっただけよかった。あなたは私より若いんだから
 また、頑張って。元気でね」
と言って帰っていった。

あれから4年が経って、私も2歳の子供がいます。
久しぶりに彼女の事を思い出して泣いてしまった。どうもありがとう。
長文失礼しました。

409 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/09 01:42 ID:HIdn7A7w
私も家族の話じゃなかった・・・。しかも長文、今すぐ回線切って(略

410 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/09 09:24 ID:nV6LBD2Q
>409
今すぐ回線切って子供にほおずりする事。

411 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/10 10:31 ID:RuFSBH0U
>>410の言葉に涙

412 :でじこ:01/09/14 04:54 ID:KAaDfqIw
ちくしょう!泣いちまったじゃねーか!

413 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/15 00:14 ID:J7NZT9z2
いい話だ

414 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/15 00:59 ID:rvpDxbnY
久しぶりにage

415 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/15 01:58 ID:.Cp2AU4.
物心ついた時から私には仲の悪いようにしか見えなかった両親。
何かあればすぐ言い争いをして、特に母は父を馬鹿にしているとしか思えなかった。
父は父で、身体の弱い母を気遣っていただけなのに…
そんな母が嫌いで嫌いで、私は高校卒業したら県外の大学に進学してこんな家出てやる、と決めていた。
しかし高校3年の秋に新しい家に引っ越した後、進学の事で家族会議をした時、
「どうしてもでてくの?」と母がぽつり。
普段不在がちな父は「家建てたばっかりだけど行きたいなら仕方ない」という意見。
もちろん、それでも私の決心は揺るぐことなく、東京の大学を志望。
しかし年の明けたある日、母の叔母との電話の会話を聞いてしまった。
「お父さんはほとんど家に居ないし、息子は遊び惚けて帰ってこないし、○○(私)は東京に出るって
言ってきかないし……やっぱ私、家族に対する愛情が足りなかったのかしらねぇ…」
と言いながら、電話口で泣いている母の姿。
泣いている母の姿を見たのはそれが初めてで、そしてそれが私の決心を変えたのは言うまでもなく…
結局、自宅から通える大学にしました。
不器用なだけだったんだね、母さん。

416 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/16 02:44 ID:HZwfI9Xk
大人にならないとわからないことってあるよね・・・(ホローリ

417 :おさかなくわえた名無しさん :01/09/16 05:10 ID:QZ12baZw
昨年、両親と旅行した。温泉で一泊して、帰り道、父が昔三人で行った
有名なお寺にもう一度行ってみようと車を走らせた。
両親はそのお寺で懐かしいを連発し、ここでお前と写真をとった、この池には
あの時は白鳥がいて、お前はお弁当のおにぎりを差し出していたと
にこにこしながら話した。けれど、私はまだその時、小さかったので、両親の
いう事もおぼろげにしか覚えていなかった。
そんな事もあったような気がするなぁ、と笑いながら聞いていた。

その寺には、胎内めぐり、といって、暗い回廊のような所があって、
その途中に何段にもなったろうそくを立てる所がある。その場所に来ると
父は、ろうそく代金を入れる箱にお金をいれ、ろうそくを三本とって、
私と母に一本ずつ渡してくれた。
三人で火をつけて、ろうそくを立てようとした時に、ふいに思い出した。
ろうそくを持った小さかった私を抱え上げて、父はろうそく立ての
一番てっぺんの真ん中に、私にろうそくを立てさせてくれた事を。

私は大きくなって、もう、らくらくと自分でその場所にろうそくを立てる
事ができて、私のそばには私より随分小さくなった両親がにこにこしている。
「あ、あの時もおまえは、てっぺんがいいんだ、そこじゃないと嫌だって、
その場所にろうそくを立てたよ」そういって、私を見て笑う両親。

両親の思い出の中に、こうやって小さい時からの私がいつもいるんだな、と思った。
暗い回廊の中、両親の後ろを歩きながら、なんとなく涙が出た。

418 :おさかなくわえた名無しさん :01/09/18 02:13 ID:jtMUqRSE
小学校のとき、新しい学年になると、その年にクラスで使う雑巾を各自が一枚ずつ持参する、というのがあった。
「明日持って行かなきゃいけないから、作って欲しい」とお願いした日(いつもギリギリに言って迷惑かけてた…)、食事時に何かがきっかけで喧嘩になった。
酷い言葉を投げ付ける私に、母は耐えきれず泣き崩れた。

雑巾作りをお願いしている事も忘れて、その後自分の部屋に戻り知らない間に寝てしまったらしく、中途半端な時間(夜中)に目を覚ました。
お手洗いに行こうと部屋を出ると、居間に明かりがついている。
ドアのガラス部分から覗き込むと、母親が私のための雑巾を縫ってくれている姿がうつっていた。

声をかけずに部屋に戻り、布団の中で「ごめんなさい。ごめんなさい。」と心で謝り続けていました。
翌日、どうしても口に出してその一言が言えなかったなあ…。

文章苦手。わかりにくくてごめんなさい。

419 :418:01/09/18 02:14 ID:jtMUqRSE
改行してなくて、更に読みにくくなってしまった。
スマソ。

420 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/18 06:28 ID:/f4AiA0U
まさしく<親の心子知らず>だな…。

421 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/19 03:17 ID:dVv/Xrkg
 小学生の頃。咳が出るので風邪だろうと寝ていたけど、どんどん
苦しくなって、深夜我慢できずに泣き出した時。
 母がぎゅっと抱きしめてくれて、「大丈夫、どんなことをしても
なおしてあげる」と。昔のことですし田舎なので深夜診療している
医院など近所にはなく、母は必死になってあちこちに電話をかけ、
その日の当番医を探し、私を毛布にくるんで車で市を縦断して
救急病院まで連れていってくれました。
 結局、小児喘息ということで発作は翌朝には治まりました。
その後も何度も深夜や早朝に発作を起こしたのですが、そのたび
私を抱えて病院に走ってくれた母には感謝しています。

このスレを読んで2年田舎に帰ってないことを思い出しました。
今年の正月は実家に帰って母の肩でもたたこうと思います……。

422 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/19 22:08 ID:cmX/5hYU
2chではじめて泣いたスレです

423 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/20 14:37 ID:p3hqjO.U
一昨日、テロ騒ぎのNYから帰国した。
呑気な観光旅行だったんだけどそれも一変。
家族に連絡とろうにも電話がつながらない。それでもやっと
翌日に電話がつながって一緒に住んでる姉としゃべることができた。
最初のうちは事務的なこと(日本への飛行機の話とか、米国内での連絡先とか)
を話してたんだけど、ぽつりと姉が
「もう死んじゃったかと思って眠れなかったよ…」と言った。
一気に泣けてきた。

無事帰国してから家に帰ると実家から送られてきた私の好物の数々
…おはぎとかシュークリームとかおこわとか餃子とかが
どっさり冷蔵庫に入っていて、その取り合わせの悪さにひとしきり笑ったあと
またこっそり泣いた。
家族が大好きだ。

424 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/20 15:03 ID:xnkUGumE
>423
無事で良かったですね。
読んでいてなんかホロリときたなぁ。

久々に実家に帰って母と一緒の部屋で寝たときの事。
(うちは夫婦仲が悪いので普段は母が私の部屋を使っている)
色々話を終え、電気を消したとき母が
「大人になったねぇ、、、」
とぽつりと言った時。
なんかじ〜んときた。

425 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/20 17:01 ID:iDD60alY
コジマ電気でパソコンが¥19.800の限定品オープン特価を出して
その広告をみながら私がポツリと『欲しーな・・・』とつぶやいた。
(本当は既にPCを持っているので対して欲しくはなかったのだが)
それを聞いていたと思われる父が夜中に文庫本と座布団を持って
並びに行ったそうな・・・。翌日、母が笑いながらその話をした時に
何だか切なくなった。(パソコンは手に入りませんでした)  

当方26歳♀ 実家にお世話になってるパラサイト。ごめんよぉ。
あまり関係ないのでsageますわ。

426 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/20 19:55 ID:p8QR67Rw
なんの話してたか忘れたがある土曜日のお昼に
お父さんと二人でご飯を食べていたら(当時小4くらい)
父「・・・お父さんがいなくなったらどうする・・・?」と聞くので
私「えー!困るよ!親が離婚して一人しかいない子と友達だけど
やっぱり寂しいっていってたよーん!」(父子&母子家庭の方ごめんなさい)
といつもどおりの調子で答えたら普段あまり感情を見せない父が
なぜか号泣。つられて私も号泣。
なんで泣いたのかよくわからないんだけど、きっと母にも祖母にも
日ごろから尻にしかれバカにされてるので色々思うところがあったのか・・・
それまでもこれからも父の涙はみたことない。
へらへらしてて出世もできず世渡りの下手な人だけど私は大好きだ、お父さん。

427 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/20 21:01 ID:2c8xfDaU
うちの両親は離婚してる。親父とは正月に30分くらい遭うだけ。
人格に問題のある人だから、今でもあまり話したくない。
でも、このスレを読んで泣いた後寝たら、夢に見て思い出してしまった。

小5くらいのとき初めて東京の親戚のところに行った。
親父が駅まで送ってくれたのだけど、早く着きすぎて
買っておいたおやつをふたりでホームで食べたこと。
たしかボンタンあめと、まだ凍っていた不二家ネクターだった。

小学校にあがる前、Gメン75を見ながら
えんぴつとかおはじきとか定規に小さく名前を入れてくれたこと。
母親は字がヘタだから、漏れが「お父ちゃん書いてえ」とせがんだからだ。
漏れは「お父ちゃん」て呼んでたんだ。そんなこと忘れていた。

泣きながら目が覚めたのなんて何年ぶりだろう。
親父の性格も親子の関係も変わらないことは分かっている。
でも、今日の景色はいつもより違ってなぜか生々しく見えたよ。
ここに書いてくれたみんなに感謝。

428 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 10:12 ID:HieijscY
>427
泣けました。
泣いて起きる時ってものすごく悲しいですよね。

もしできるなら、今度のお正月は
もう30分くらい長くお父さんと話してみては・・・?

429 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 10:37 ID:WMCaqNW6
畜生 仕事中なのに ないちったじゃねえか
目薬さしてごまかそう

そういえば 家族と断絶して 家飛び出して8年
妹としか連絡とってない いまさら帰れないが

ふっとあいたくなるもんだ

430 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 12:35 ID:GbkzCnFA
>>429
わたしにもそんな日がくるのでしょうか・・・

今は酷い目に合わしてくれた親が許せない。ドキュンな兄に会いたくない。
むぅぅぅ・・・

431 :430:01/09/21 12:48 ID:GbkzCnFA
レスを色々読んでて書きたくなってしまったので・・


小学校2年生のとき万引きした。近所の大きなスーパーで。
確かキャラクターもののバンドエイドだったと思う。
母親にそれがバレて、「返してこい!!」と怒鳴られた。
一人じゃ行けないので、父がついてきてくれた。

父と一緒にそのバンドエイドを持ってレジに向かい、おばさんに
万引きしたことを話して二人で謝った。
そのときのおばさんの視線・・・もう二人一緒にいたおばさんの
視線・・・今でも忘れないくらい冷たいものだった。
蔑んで嘲笑って・・・そんな目だった。

でも父はその後「本屋で何か買ってあげよう」と言ってくれた。
そのとき本が欲しいとは思わなかったけれど、父の言葉に甘えて
読んだことの無いハードカバーの絵本(と言うのか?)を買って
もらった。今まで漫画しか買わなかったのに。

母から精神的肉体的暴力を振るわれて逃げ場の無かった私を唯一
わかってくれたのは父だった。
抱きしめてくれたのも父が最初で最後の人だった。
そんな父は私が小5のとき脳梗塞で寝たきりになり、今胆石で
大変な状態になっている。

私は・・・・母に会うのが怖くて見舞いにすら最近行ってない。
ああ・・・どうしよう・・。

432 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 13:33 ID:hrugtT/Y
うちはびんぼう(w

小学生の頃、近所で友達と遊んでたら
500円札を拾った。(時代だねぇ)
田舎ゆえ警察がえらく遠かったので、
穴掘って埋めた。
帰って母に話した。

翌日、シャベルを手にした母が、
埋めたあたりを掘り返していた。
しかしどうしても500円はみつからなかった。

500円のためになりふりかまわない母の姿が
(いや、ネコババしようとしてたんだけど)
重く悲しく印象に残った。
やっぱりうちはびんぼうなんだなって。

<後日談>
「確かにここに埋めたのに…」とひたすら不思議だったけど、
その友達が、掘り返して一人占めしてたんだ。

すさんだ話でゴメソ

みんないい話だね。2,3読んだだけで泣けてきた。

433 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 13:56 ID:OwMT9doU
大学に入って一人暮らしをすることが決まった。
引越しの2、3日前の日の夕食の席でのこと。
母がテレビを消して私と弟に話をはじめた。
その内容は覚えていないが、最後の
「お前(私)はここんちの子供なんだからね、何かあってもなくてもいつ帰ってきてもいいんだよ」
と泣きながらのセリフに私も泣いた。

最初のGWに帰ったら「もう帰ってきたの」って言われたのはなぜ?

434 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 14:01 ID:vtJcCHlE
>433
ワロタ
感動の一人立ちから再会のズッコケがちびまるこちゃんみたいだね

435 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 15:07 ID:OwMT9doU
>434
しかもその日家族それぞれ用事で出かけて、
私も友達と遊んでて結局何しに帰ったんだかわからず終い・・・
ウトゥ

436 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 15:29 ID:IlyNUOw2
>431
おかんが怖くても勇気を出してお父さんをお見舞いしに
いったほうがいいとおもいます。
きっと喜んでくれると思います。がんばれ!

437 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 15:33 ID:iTi7/SRc
>>432
ワラタ
ハライテー ゲラゲラ
ビ、ビ、ビンボ――――――――――――――――――――――――――――――!!!

438 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 15:51 ID:iTi7/SRc
ヒーヒー、オタスケー ゲラゲラ ハライテ ヒー

ところで、当時の500円って今のどれくらいの価値があるの?

439 : :01/09/21 16:17 ID:WMCaqNW6
>437

荒しか基地外か?
ここは おまえのいる場所じゃないよ
さっさと 病院にお帰り
もうぬけだすんじゃ ねえよ バカ 氏ね

440 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 16:26 ID:DqHvkc3.
色々あって自分勝手な両親が大嫌いになり言葉を交わすこともほとんどなかった。
そんな両親から逃げるように家から飛び出るように結婚した私。
引越し当日、滅多に家に帰って来ない母が朝から家に居て、
父は何も言わずにいた。荷物を積んだ旦那の車の窓から
「じゃぁね」と一言両親に言うと、両親とも深々と頭を下げた。
バックミラーで見ていると、私たちの車が見えなくなるまで下げていた。

441 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 22:21 ID:zFm6yiHY
大学の時一人暮ししていました。
それまではそんなにひどくなかったアトピーが一人暮しのせいかどわっと出てきて
外に出れないくらい赤鬼さんのような状態になってしまった。
実家からの電話で母親はいつも聞いてた。「アトピーの調子はどう?」
離れているし心配かけたくないので私は「うん、まぁまぁ。悪くないよ」と答えてた。
ある日母が遊びに来た。
私を見てちょっとびっくりしたみたいだけど、別にそのことについては何もふれなかった。
母が実家に帰って2,3日後に手紙が届いた。
「○○ちゃん、あんなに酷くなってたなんて・・・全然気付いてあげられなくてごめんね。
 お母さん、○○ちゃんがお腹の中にいた時に何か悪いことしたのかもしれない。
 それでバチがあたったのかもしれないね。お母さん、○○ちゃんになんてお詫びしていいか
 分からないよ、本当にごめんね」

泣きました。大好きなお母さん、いつも私のことを考えてくれてるお母さん。
アトピーで私もつらいけど、同じくらいお母さんも辛かったんだね。
今は大分よくなって、実家から会社に行ってます。
こないだ両親で食卓を囲んでた時、母がポツリ。
「家族みんなが健康なのが、なにより幸せだね。御飯がおいしいね」・・・って。
私は今25歳ですけど、家族のありがたみをひしひしと感じます。

でも、アトピー遺伝するとか言うし、子供がアトピーになっちゃったら・・・とか考えると
う〜〜んって思ってしまいます。子供に辛い思いさせたくないですもん・・・

442 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/21 22:22 ID:yWfSwKwE
>>431

いますぐ見舞いに行くべし。
じゃないと一生後悔するぞ。きっと。

443 :431:01/09/21 22:44 ID:g5bnzmdM
>436
>442

勇気出して逝ってきました。妹と一緒だったから行けました。
父は個室に移ってて、しんどそうではあったけど、様態は安定
してました(呼吸器付けて・・・だけど)。

なんだかスッキリしました。つっかえてたものが取れたというか・・。
母は居ませんでした。明日明後日は休みだから来るでしょう。
チャンスは今日しかなかったので、思い切って逝ってよかった。
このスレのお陰です。ありがとう。

444 :442:01/09/21 22:54 ID:yWfSwKwE
>>443

オイラの書き込みを見る前に、お見舞いに行けたようですな。

詳しい事情はわかりませんが、お父さんが元気になることを
お祈りしています。

445 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/22 21:54 ID:qQf330Ls
>441
お母さんの優しい心も遺伝するよ。きっと大丈夫さ♪

446 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/23 03:11 ID:EQqPziSI
スレ立てた本人です。
皆さんのホローリ話を拝見させてもらっては泣いております。
ステキな家族をお持ちの方ばかりですね。

結婚して、自分も家族を持ってから「家族」という存在を以前よりも大きく感じる様になりました。
マメに電話したり、いろんな機会にプレゼントを贈ったりしてしまいます。
不思議なものですね。

以前母に言われた、「親は子供の為なら何でもしてやりたいって思ってるものなのよ」
という言葉が身にしみます。

447 :おさかなくわえた名無しさん :01/09/23 09:08 ID:5cthGySM
みなさんの話を読むと複雑、もちろん泣けてしまうのですが、タイトルからして、
読むのを避けていました。
今は家族がなく、ひとりなんですが、みなさんの事、羨ましい。
でも、いい話をたくさん読ませて頂いて、有り難う。不思議に元気がでました。

448 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/23 10:24 ID:3rFGGxd2
私の夫の話。

夫が5歳のとき、初めて覚えた電話番号がおじいちゃんとおばあちゃんの家
の番号だった。
夫は嬉しくておじいちゃんに電話をかけた。

爺・・「お、○○(夫の名前)、突然どうした?」
夫・・「あのね、自転車が欲しいの」

初めてかけた電話でおねだりをする夫・・・・。
その日の夕方、夫の家に突然おじいちゃんが自転車を持ってやってきた。
普段はとても口数が少なく、とても厳しい昔の男のおじいちゃんも、孫で
ある夫にはとても甘かった。

そんなおじいちゃんも夫が13歳のときに他界。
痴呆が少し出てしまっていた入院中、夕方5時のサイレンが鳴るたびに
「○○はちゃんと防空壕に入ったか?」
と、か細い声で付き添いの人に聞いていたらしい。
おじいちゃんが他界したとき、夫は狂ったように泣き喚いたそう。


私は祖母と仲が悪かったので、話を聞いてとても夫が羨ましかった。
彼の優しい性格はそんなところから来てるんだなと実感した。
私もおじいちゃんに会いたかった。
「○○の嫁です」って言ってみたかった。

449 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/24 00:44 ID:h0ams8wM
いいスレだ

450 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/24 01:23 ID:k9wjLFvY
頑張って生きていこう。
思い出を胸に大事に持って。

451 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/24 05:30 ID:9cBfxCjo

5歳頃まで、母親の「ほっぺにキス」が大好きだった。
ご褒美にいつもほっぺにキスをしてくれた。

最近ふとそんな思い出が甦る。

もう絶縁して2度と会わないだろうけれど、良い思い出は消えない。

452 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/24 09:04 ID:fLuoGdMY
どなたか思い出の料理(だったかな?)スレッドをご存知ないでしょうか?
ここを読んだらもう一回読みたくなってしまった・・・。

453 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/24 09:53 ID:W0UGyO6k
http://mentai.2ch.net/food/kako/951/951552846.html
一応googleとかで探してみてね。

454 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/24 19:06 ID:Vq043Hmw
今やってるのはこれかな
http://salami.2ch.net/test/read.cgi?bbs=food&key=961373743

455 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/27 00:10 ID:O2oaU.cI


456 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/28 02:10 ID:J/sjB7Fs
 

457 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/29 03:18 ID:nWJTAy8U

              ∧            ∧
              / ・           / ';,
             /  ';          /  ';
             /   ;______/   ;
          /                  \
         /    /          \     \
        /´   (  ) |____|  (  )      |
       |  /////  (  |     :|    )  /////    |
       |    (   ) :|      |  (   (       |
        |    )  (  |     |   )   )      |
        |   (   ) ';    /   (   (     /
         \  )  (   \/    )   )  ../
           ヽ              ........:::::::<

458 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/29 03:52 ID:Uk3T8O6Q
 

459 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/30 23:35 ID:wRzIUagk
実家に帰ってアルバムを見ていたら、母のお腹に入っているときから
1歳ぐらいまでの写真が出てきました。
父・母・祖父・祖母・・・いろんな人に愛されてるいんだなぁと
思って思わず大泣きしてしまいました。

460 :おさかなくわえた名無しさん:01/09/30 23:45 ID:q2Z2ntWY
俺はもう40前のおっさんで2児のパパ、働き盛り。
そんな俺は田舎の貧しい家庭で育った。今の人には想像もできないだろうが
日本でもまだまだ田舎へ行くと本当に生活が苦しい地方がある。
ほとんど自給自足の生活、そして村社会。
ウチは本当に貧乏のどん底で、電気やガスが止められることもしばしば。
だけど生活保護は受けられなかった。正確に言うと近所の目が、村が
そういうモノを受け取ることを許さなかった。
それでも俺がなんとか高校を出て、大学に進学できたのは
母と2人の姉のおかげだ。俺が幼い頃は、なんでよその爺さんがウチに上がりこんで
裸でいるのかよく理解できなかった。小学校にあがるころには
上の姉(16歳くらい)が、俺が中学生になったときには下の姉も
身体を売って生活を支えていた。もちろん自宅でだ。田舎の村だったから女3人が
身体を売っても得られる金などたかが知れている。
それでも下の姉は24,5歳になるまで、俺に学費を送ってくれたよ。
そんな俺も大学では酒と麻雀ばっかりやって中退し、母と姉を泣かせたよ。

461 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/01 01:57 ID:3xIsbo4M
>460
マジ?
生活保護の方がましだと思うんだが・・・・・
>近所の目が、村が、、
売○のことは何も言われなかったんですかね・・・・
そっちの方がよほど困ると思うんですが。
あなたのお姉さんやお母さんを責めてるわけではないですよ
て、いうか、結構大きくなってからも
そういうお金とわかってて甘んじていたあなたのこと
どうしたものかな・・?と思ってしまいますよ。
田舎だからと言ってもそんな。

462 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/01 02:18 ID:qZ7epsGg
母は膠原病という身体の組織が徐々に固まっていくという難病でした。
ある日、買い物へ行く途中、ふっと母と手を繋ぐと、
母の指先はマネキンのように固くなっていました。

今も人と手を繋ぐと、あの時のほんのり暖かく、
そしてしわだらけの手を思い出して辛くなります。

もっと親孝行すればよかった。

463 :460:01/10/01 02:43 ID:3j8d6lOw
>461
いや、貧しい家庭の売春は昔からあったし、村全体が黙認していたという感じ。
大きくなってからはそりゃ辛かった。
高校時分には上級生から「お前んとこの姉ちゃんで筆おろしした」とか
聞いて悔しかったよ。いつも優しそうな近所の床屋のオヤジとか
たまに会うと、「家に風呂くらい造ってくれよ」などと笑いながら言われた。
別に借金があって強制されていたわけじゃないけど
姉は近所のオヤジたちや学校の知り合いなどを相手にするときは
本当に辛そうだった。だけど「ウチは貧乏だから仕方ない」って。
一番上の姉は成績も良くて器量もかなり良かったから
ウチが貧乏でなければちゃんとした家柄の人と普通に恋愛して結婚していた
はずだった。今思うと本当に情けないし、家族の愛を感じるよ。

464 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/01 02:49 ID:L8MIsJDo
>463
お母さん、お姉さん達を大事にしてあげて下さい。

465 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/01 15:34 ID:1gbeMeqw
>462
胸が痛みます。

466 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/01 21:09 ID:qZ7epsGg
病院のベットに寝たきりで、もう食事も出来なくなった母。
私はその目の前で、売店で買った団子を食べてました。

「食事できない人の前で・・・・」と母が呟き、
私はその時「しまった・・・・」とだけ思いました。

乳癌だの脳溢血だの、膠原病だの、難病ばかりを繰り返して、
小学生くらいの時から入院ばかりしていた母。
私は母が死ぬなんて、その時も全然考えてなかったのです。
だから今回もまた治って帰ってくると思っていたのでした。

その時母は喉頭癌の末期だったのです・・・・。
もう二度と食事が出来ないまま亡くなりました。

今でも団子を見ると思い出して辛いです。
お母さんごめんなさい。

467 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/01 21:40 ID:rCutPTqQ
パパはカレーをお箸で食べ、クリスマスやお誕生ケーキも
ご馳走をたべたお箸で食べていた。
子供心に田舎臭いなーと馬鹿にしてたけど(パパの実家は田舎のほう)
こないだスプーンでカレー食べてた。
脳溢血をやったからかな。手が器用じゃなくなってるんだとホローリ。

468 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/01 22:01 ID:wYLJk21A
海の見える病院にて。

すごく天気のいい日で、点滴やら何やらチューブにつながれ、
酸素確保のために、咽喉の切開をして声も出なかった父が外を指差す。

『パパお天気いいね?』といったら、
自分と私を交互に指差し、外を指差す。
『お散歩?今はダメだよー』といったら、
すごく怖い顔と悲しい顔をした。
『今じゃなきゃだめなんだよ』と言いたいのがハッキリわかった。
絶対外に出れない状態なのに。

それから2日後、やっぱりお天気のいい朝に亡くなりました。
今でもお天気のいい日はチョット悲しくなります。

469 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/02 09:20 ID:CexP2cCE
>463
高校自分には上級生から
「お前んとこの姉ちゃんで筆おろしした。」とか聞いて悔しかったよ。
高校生なら何かしらバイトでもして家計ぐらい助けてたのか?
甘えるのも大概にしたら?
最低だよ、あんた、。
あんたの悔しさなんてどうでもいい。お母さんやお姉さんが気の毒すぎる。

470 : :01/10/02 10:43 ID:6PXYNSD6
>469
そういう金ってわかっていながら
酒とマージャンとは・・・

おまえよっぽど腐ってんな
もう逝っていいよ せめて保険金かけて 最低限の
罪滅ぼしはしていけよ

471 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/02 10:50 ID:hsBbZv32
>470
レスの相手間違えてませんかね?
あなたは>>460>>463にレスしたつもりなのでしょ?
よく読んでみてはどうでしょう。

472 : :01/10/02 10:52 ID:6PXYNSD6
間違えた
失敬

473 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/02 13:50 ID:Ab3zxSZA
>460の話は本当なの・・・?いや疑ってるわけじゃなく、むしろネタで
あってほしいというか。
借金のカタに、ってたぐいではないんでしょう?じゃあどうして・・・。
>得られる金などたかが知れれる
ってくらいなら他のどんな仕事でもあったでしょうに。いや私も
あなたの母上やお姉さまを責めてるのではなく、本当にこんなことが
20年(くらい?)前のこの国にあったってことがなんかショックです。

474 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/02 13:54 ID:0BW0cNbM
てかそんな金だとわかってたくせに
酒と麻雀にうつつを抜かした挙句中退とは・・・
酷すぎ。
そりゃ姉も母も泣くだろうて。
近所のおじさん達の相手を嫌でも金のためにするのを見てたくせに。
鬼畜だ。
全然ホロリとこない話だ。

475 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/02 14:16 ID:gSC8U6NY
>474
つーか、母や姉達の境遇に身をつまされて胸が痛むホロリだ・・
もちろんマージャンで大学学費をドブに捨てた460には怒りを感じるが。

476 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/02 15:53 ID:HjhfK442
ホローリきた。いいお姉さんですね。

477 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/02 16:26 ID:V5vLPGBc
460読んで「1の田舎へ向かった」とかいうコピペ思い出しちった
それだけ。

478 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/02 21:01 ID:iH0ByFN2
もう戻ってこないお父さんとお母さん。
天国で仲良くしていますか?
この世は辛いことばかりでしたね
でもあなた達が生きた証がここにあります。
可愛がってくれてありがとう
お花だけは絶やさないようにしています
他に何もできないから、、、。

479 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/02 23:28 ID:g8iunxrs
私は、中2まで父に髪を切ってもらってました。
いつも、おかっぱで前髪はオンザになるので
凄く嫌でした。反抗期もあって、勝手に美容院に行き
髪を切ってきた日、後ろめたさから父と大喧嘩しました。

今、思えば父は娘の髪を切る事が楽しみだったのだと思います。
もう切ってもらえないけど、日曜日の晴れた日、新聞紙を敷いて
鏡を持たされて文句を言いながら過ごした事は大切な思い出です。

早く大人になりたかったけど、ずーっと子供のままでいたかった。

480 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/03 09:17 ID:5NnLwluA
>早く大人になりたかったけど、ずーっと子供のままでいたかった。
同意です。

481 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/03 17:05 ID:9YUQ9CdQ
家族でそろってテレビなんか見て、父のつまんないギャグで
母と私で苦笑してる、そんな瞬間にいつもホロリとくる。
なんか、ラストで不幸になるとわかってるドラマで、途中の幸せなシーンを
見てるときみたいな感じ。

ひとりっこでナマケモノだから、大学生なのにバイトもやめちゃって、
それでも「お金足りてる?」なんていつも聞いてくれて仕送りしてくれてアリガト。
ちゃんとバイト探して、負担軽くするからね。でも、このスレ見てたら

。゜(゚´Д`゚)゜。 ウエーン実家にカエリタイヨー
         ママンとパパンにアイタイヨー

泣きすぎでティッシュ無くなっちゃって、買いに行きたいけど目とか腫れて外出できない・・・

482 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/03 19:35 ID:l4UBJYcU
母が仕事で帰ってこなかった日、私と弟の為にご飯を作ってくれたおとうさん。
慣れない手つきで焼いた卵焼きは、真っ黒で、油でべとべとで、味が薄くて、
母のご飯が恋しくて「こんなのイヤ!」って食べなかった。
あの時の悲しそうな顔を、忘れる事ができない。
母がいなくてぐずってた私たちをなだめようと、一生懸命作ってくれたのにね。

そういえば、私が作ったご飯、食べてもらった事ないよね。
今度、ご馳走作って食べさせてあげたい。

483 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/03 23:50 ID:FH7iycWA
このスレ見て、この2日間。仕事中や車運転中や
食事中もふと思い出して泣いてばかりいました。

甘えてばかりで、何もしてなかった。
イライラしてばかりで、優しくしてあげてなかった。
父や母に。
ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。

484 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/03 23:57 ID:4iKqxb0M
ホローリあげっ

485 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/04 00:02 ID:JNRPNvrs
いいなあ、みんなイイ思い出があって・・・。
私はどうしても許せない、苦しい痛い辛かった事しか思い出せない。

486 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/04 00:19 ID:9LNalqHk
>>485
これから、つくっていけばいいんだよ。
今までの親対子だけが家族の思い出じゃないよ。

487 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/04 00:29 ID:Glusn9LM
小学生の頃、お母さんに反抗すると決まって外に出されました。
田舎に住んでいたので周りには田んぼしか無く、行く当てもなかったので
泣きながらじっと車庫に身をひそめていました。

そんな時いつも助けてくれたのが姉でした。
ある程度時間が経つと決まって車庫に迎えに来てくれたなぁ。

488 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/04 01:28 ID:AuvmV2Ho
今日、ディープインパクトをみて泣きました。
たとえもし私が助かることになっても、
お父さんやお母さんをおいてなんて行けないよ。
親の立場になってみれば
自分のことはともかく、子供には助かって欲しいと思うのに。

親は見捨てたくない。でも親の期待に応えなくちゃ。
私だったらどうするだろう。

お母さん、今日電話をくれてありがとう。
お父さん、不器用で肝心なことは何も言わないけど
実家に帰ると黙ってビールを勧めてくれてありがとう。

結婚できなくてごめんなさい。
仕事やめちゃってごめんなさい。
いつか親孝行します。

489 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/04 10:32 ID:1gdT0l/E
この年になると
親やきょうだいの温もりが懐かしくなるよね、、

490 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/04 14:32 ID:U/0NEJ1o
小さい頃電車に乗っていろんなところに連れて行ってくれたなぁ。。
動物園に行くときが一番楽しかったなぁ、
いつも家族一緒だった、
お父さんは病弱で通院していたけど
月に一度は遠出して出かけた。
共働きだったせいもあるけど家事も手伝っていたし
今の自分からは考えられない。
親は偉大だなと思う。

491 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/04 16:51 ID:NGbfEAcE
戦時中、田舎の親戚宅に疎開していた、父の話です。
大家族だったその家に、ある日誰かが、大箱にしゅうまいをいっぱい
買ってきました。食べ物の少ない時代、まだ幼かった父には、しゅうまいが
ものすごいご馳走に思えました。

「ひとつぐらい食べたって、ええやろ」・・・ぱく。
これが夕食時、大騒ぎになるとは知らず・・・・

「誰や! しゅうまいをつまみ食いした泥棒は!
 ○○(父の名)やろ! お前しかおらん!」
怒鳴り、怒りまくる親戚の前に、立ちはだかった父の母親(私から見ると祖母)。
「ええ加減なこと言いいなや! ○○は、そんなことをする子やないっ!!!!」

真犯人の父は、母親の剣幕に何も言えなかったそうです。
父は笑いながらこの話を聞かせてくれましたが、心では泣いてたんじゃないかな。

492 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/05 17:00 ID:qwU.qrpI
私が4歳ぐらいの頃。

父が仕事をせず、バクチで借金を作り
母を無理やり、飲みやで働かせた。

それまで、母に寝かしつけてもらっていた私は
毎晩、母親が出勤に行くと、大泣きをし
父親に「早く寝ろー!」と布団に押し込まれた。

そんなある日、真夜中にすっかり熟睡している私を
仕事を終えた母が「お寿司を買ってきたから、食べよう」と、
起こした。私は、凄く眠かったので
テーブルに座らせながら、半分眠っていた。
「ほら、ほらお寿司だよ。おいしいよ。食べなよ」と
一生懸命、私を起こそうとする母。
そのまま、眠り込む私。

小さな子供を夜中に起こしてまで、お寿司をすすめた母。
きっと、お母さんも寂しかったんだね。

493 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/05 17:58 ID:jhvUqN9I
私が小学生の時に母は他界。
それから父と兄弟3人暮らしになった。
思春期になった頃から父親が嫌いで
最低限の会話しかしていなかった。
当時父は、私達兄弟の為に小腹がすいた時用にカップラーメンを
何個か買ってビニールに入れてキッチンに置いといてくれてたのですが
どれが好評なのか袋をチェックして、そればっかり買ってきた。
反抗期とはいえ、そんな父がかわいく思えた。
その後父も病気で亡くなったが今思い出しても胸がキュッっとなる。

494 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/05 18:58 ID:hfWtnnpo
ひいばあさんが危篤に陥った時、親戚中が集まった。
そんな中、かすかに意識を取り戻した彼女は、声を出してある方向を指差した。
「かしわ餅があるから、ひ孫に食べさせろ」と言っているようだ。
それから彼女は死んだのだが、そのひ孫が私だったりする。

495 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/05 20:40 ID:7V/teh62
age

496 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/05 20:48 ID:VtvQXFZY
小さい頃、鏡の前で髪を梳かしている母に
「キレイね」って言ったら
「ありがとう」ってニッコリ笑ってくれた。
私は叱られてばかりで、母を怖い人だって思ってたから
なんだか とっても嬉しかった。

497 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 01:37 ID:Ml4faMog
美容師だった母は、どんなに忙しくても、たまにある
私のお弁当の日には必ず早起きして用意するようにしてくれてた。
でも彼女が作ったオニギリは、彼女の手に染み付いてしまった
パーマ液の匂いがかすかにしてた。

お母さん、「オニギリ、お母さんが握ると臭い」って私が言ってから、
オニギリだけはおばあちゃんに握ってもらってたでしょう。
食べたらすぐ分ったよ。そんですごく悲しくなった。
お母さん、ごめんなさい。

498 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 15:46 ID:Tgub69fA
>497
わかる〜。
うちの旦那が買ってくるサンドイッチ、店側の管理が悪いのか洗剤のにおいが
した。でも我慢して食ってたら、私が喜んでるんだと思い込んで、毎日
買ってくるようになった。こっそり捨てるのも忍びなくて、
ある日、思い切って「臭い」と言ったら、
旦那が泣いた。ごめんよぉおおおお!

499 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 16:07 ID:Kbje67Yo
初めてこのスレ読みました。
涙が止まらなくなりました。
なんだかなー。私も年とったんかなー・・・。

500 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 17:16 ID:SsowDTCI
うちのお母さんは、かなり甘ったれた可愛い人でした。
洋服買うの好きなくせに、服装センスが全然なくて、
自分が出掛ける時は、必ず朝っぱら叩き起こされた。
「ねぇねぇ、この服おかしくなーい?」って。
そんでその通り変な組み合わせだったりするから、仕方なく、
寝起きでイライラしながらも「あーでもない、こーでもない」と、
女二人で洋服選んでた。楽しかったな。

501 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 17:26 ID:JpCqGBEw
小さい頃、貧乏だったんで、
オモチャもほとんど買ってもらえなかった。
流行っていたオモチャを買ってもらえなかった妹が
不憫になり、万引きした。
大喜びの妹。でも、その後すぐ、罪悪感で
どうしようもなくなり、妹をぶん殴って取り上げ
川に捨てた。妹は誰にも言わなかった。
余計、辛い思いさせちゃって馬鹿だよなぁ。自分って。

502 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 19:20 ID:Md8uN2Xs
45年前のアルバムにある一枚の写真、
写真好きでマメな父は必ず枠外に一筆添えていた。
「◯◯も紅葉のような両手で何か喰べている」(旧かな使い)

家族で撮った食事風景、生まれて間もない私への父の愛情がよくわかる。
その父も今は寝たきりで体重も38キロ、、大きく育った自分が軽々とかかえられる。
真面目を絵に書いたような生き方をした父、長生きして欲しい。

503 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 19:34 ID:75juXCQw
だめだ!このスレはマジホローリきてしまう!ホローリホローリ;;
家族ネタと特攻隊ネタにはめちゃくちゃ弱いのねー;;ホローリホローリ

504 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 20:45 ID:9jD4yKGM
何千もある2chのスレッドの中で一番優良スレだね。age

505 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 20:51 ID:85psh5Hg
結婚したその次の年の正月に、縁遠くなっていた父方の祖母の家に行った。
おばあちゃんに会ったのはおじいちゃんの葬式以来だったので6〜7年振り。
すっかり小さくなってしまったおばあちゃんは私と夫の為にと
お酒の後に白飯と塩鮭を焼いてくれて、それがとても美味しかった。
それから2ヵ月後に老衰で亡くなったんだけど、その時親戚のおばちゃんから
「おばあちゃんは、○○ちゃん(私)が来るのをほんとに楽しみにしてたんだよ。
台所もピカピカに磨いて待っていたよ」って。
そういえば台所に立った時に流しとかレンジ台がピカピカ光ってるなぁ…と
感心してたんだけど、立ち上がるのも苦労のおばあちゃんが
そこまでして待っていてくれたなんて思わなくて
棺桶のおばあちゃんの顔を見てボロボロ泣いてしまった。

小さい頃はおばあちゃんが大好きでよく遊びに行ったけど
思春期以降は数えるほどしか会っていなかった。
今更だけどもっと遊びに行っておけばよかったと思います。

506 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 21:02 ID:Md8uN2Xs
あ、あかん、、顔洗って外出しようと思ってたのに、
また泣けて来て顔ぐしゃぐしゃやんけ〜

みんな優しいなあ・・・(涙)

507 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 23:37 ID:w8guyrA6
このスレ読んで、まだ家族があった頃の写真を見た。
おじいちゃんも、おばあちゃんも、母も、父も、
そして私も、皆ニコニコしてました。

もう、家族はバラバラで無いけれど、
もう、あの頃に戻れないけれど、
自分を育て、愛してくれた大切な血の繋がった家族の事を
私は心から愛する。そして、感謝する。

508 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/06 23:41 ID:3GIRNT4I
>507
「家族があった頃」という言葉にちょとホロリ。
子供の頃は永遠にあるようなもんだと思ってたな。

509 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 00:24 ID:JjQBYYCo
「お姉ちゃんがいつもこうしてたじゃん。」

中学生の時、後輩は必ず先輩を見かけたら挨拶。
先輩は無視だったり、適当に返事すればいいんだけど、
私はいつも「おはようございます」「さようなら」って答えてたんだって。

「それがすごくカッコよくてさ、あたしもそうしてるんだ。」

そんなところを見られてるなんて思ってもみなかった。
照れくさいのと、嬉しいのとで、妹のこと泣きそうに大切に思った。

510 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 01:09 ID:cclDSy1c
物凄く言葉や肉体的な暴力を、毎日振るってくる父親で・・・
で、私も要領悪くてイチイチ反抗するから、そのつど大喧嘩。
もう我慢できなくなって、ある時
「自殺してやる!!もう嫌だ!!死ぬ!!自殺する!!」と喚いた。
その瞬間、見たことのないような青ざめた父親の表情
強暴な父親が初めて一瞬で怯んだ

それからしばらくして、父の実父(私にとっての祖父)、兄、弟の三人が
昔、それぞれ自殺で亡くなっていたことを母から知らされた

511 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 01:48 ID:Oo88Yq02
今日、一人暮らしの私の部屋にお母さんが来た。

帰るというので、窓から顔を出して見送っていた。
お母さんは、何度も何度も振り返り、手を振り、
それを見えなくなるまで繰り返した。

それほど遠くに住んでるわけではないし、
会おうと思えばいつでも会えるのだが、
何回も振り返っては手を振るお母さんを見ていたら泣きたくなってしまった。

えへへ。ただそれだけです。

512 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 02:00 ID:F/3AmNj2
私が幼稚園くらいの頃、6つ上の姉が持っていたクマのぬいぐるみが
すごくうらやましてく私も欲しいとよく言っていた。
それを知った祖母が、私の誕生日になったら買ってあげるというので
その日をとてもとても楽しみにしていた。
そして誕生日当日。ワクワクしながら包みを開けると
そこにはクマのぬいぐるみ。でも姉のとはちがうものだった。
まったく同じものを期待していた私にはものすごくショックで
「こんなのいらないー同じのがいいのにーーー!!」
と、そのぬいぐるみを投げ捨てて自分の部屋に走って行って真っ暗な部屋で大泣きした。

その後、私も中学生くらいになって
その時の祖母の気持ちを考えるととても申し訳なくて
よくそのクマのぬいぐるみを抱いて「おばあちゃんごめんね。ごめんね」と泣いたな。
結局謝れないまま祖母は亡くなったけど
今見ると、お姉ちゃんのクマよりおばあちゃんに貰ったクマの方が
断然かわいい。薄汚れてるけどずっと大事にするよ。ありがとうおばあちゃん。

513 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 02:52 ID:RuCfNVpQ
>>512
大きくなっていろいろわかってくると有り難味がわかってきてせつないね。
でも俺の場合はガキの頃から結構気を使うようなませガキでした。
小学校にあがったばかりの頃、病気で2週間ほど入院したことがあります。
たいした病気じゃなかったけど、結構遠いところに住んでた婆ちゃんが
泊りがけでお見舞いに来てくれて「何か欲しいものある?」と訊くので
「本が欲しい!!!」と言った。当時、ガキながら学校の勉強、特に国語が嫌いではなく
今でもそうなんだけど読書が好きだった。
翌日また婆ちゃんが来てくれて本をくれたんだけど、それが超期待外れ!
教科書に載ってるような低学年向けの物語の本を期待していたのに
婆ちゃんが買ってきたのは「NHKおかあさんといっしょ」の絵本版。
俺はもうこんなの読むようなガキじゃねえー!!と思ったけど
婆ちゃんがニコニコしながら「いろんな本屋さん行ってきたんだよ」と言うと
何も言えなくなって「うわー!ありがとう」とガキなりに演技した。
結局ほとんど目を通すことは無かったが、婆ちゃんが来るたびに
その絵本を取り出して読むフリをしていたっけ。

514 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 06:48 ID:Qgus5u0A
ある年のお正月を田舎で過ごした子供の時、テレビを見ながらウトウトと寝てしまった。
すると一緒にテレビを見ていた祖父がふわりと毛布をかけてくれたのがわかった。
その頃祖父は杖と誰かの支ええなしでは歩けない状態。
部屋の反対側から移動して毛布をかけるだけでも大分時間がかかったと思う。

祖父は私がものごころついた頃には既にボケていて
年に1-2回、田舎に遊びに行った時も祖父との会話はほとんどなかったが
ボケた祖父の思いやりが子供心にもなんだか心に沁みたのを覚えている。

515 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 10:15 ID:brRameAI
わーーー!やめれ!
本気で涙が止まらないじゃないか!ウッウッ・・・。
嗚咽age

516 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 10:48 ID:g4EXBLCQ
>>510
すげーな、既に3人も自殺に追い込んでだのか (w

517 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 11:00 ID:brRameAI
ココ読んでホローリとしてたら思い出した。

宝石店の販売をしていたころ、少々先輩とトラブルがあり、
嫌がらせが始まった。仕事をさせてもらえないのだ。
成績もあがらないし、一日中ヒマにしているのが辛かった。
そんな愚痴を母にした事があった。
母は「いつまでも、続くわけじゃないわよ」と余り
取り合ってはくれなかった。
それから、2・3日後、店にフラリと妹がやってきた。
20分位、見て回りわりと高価な物を買って行ってくれた。
宝石になど興味がなさそうな妹が来たのは、
私の愚痴を隣の部屋で聞いていたに違いなかった。
その頃、妹はろくでもない男と不倫中で
誰の忠告も聞かず、やりたい放題に行動していたので
家族の中でも四面楚歌状態が続いていた。
そんな妹が突然来たので、とても戸惑った。
今から考えれば、当時、妹もそれなりに悩んでの
行動だったと思えるのだが、その時の私はそうとは
思えず、せっかく来てくれたのに、冷たくあしらい
帰してしまった。優しい気持ちで来てくれたのに・・・。
そんな妹も今では結婚、遠くに引越してしまった。
今でも、あの時、ちょっと照れくさそうに
「お姉ちゃん、これ頂戴」と言った妹の顔を思い出す度に
胸がつまって涙が出てしまうのだ。

518 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 11:06 ID:637KOlyE
子供の頃は母の作る洋服が大嫌いだった。
母の作るお菓子も市販のものに比べるとあまり美味しくなかった。

いつも文句を言ってたけど、いろいろ覚えてて時々思い出す。
Tシャツにボタンと刺繍でお花柄を作ってくれた事。
チーズやシナモン入りのパン、マドレーヌ、
二段重ねの誕生日ケーキに牛乳寒天。

文句言いつつも友達には羨ましがられてたから
母の事がちょっと自慢だった。
もっとちゃんと喜んであげればよかったなー。

519 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 13:07 ID:bbRzewa6

確か高校生くらいの頃だったと思うけど。
中間だか期末試験だかが間近で、俺は夕食中にも教科書を広げていたさ。
んで、母親に「もう、こんな時にまで勉強してないで。そんなにそれって
難しいの?」って聞かれて、昔から解らないことは何でも親に聞いて育った
俺だったから、立場が逆転したのを感じてちょっと頭に乗って、
「うん、難しいよ。まあ、母さんみたいな短大卒には絶対解らないね」
とか言ってしまったんだよ。
泣かれた、無茶苦茶泣かれた。と言っても別に悔しいから泣いたって訳じゃなくて。
母親が俺の父親と結婚するとき、母方の祖父母が父方の祖父母に挨拶にいったんだけど、
その時母親の父が中卒だったってことで、当時ブルジョアだった父方の祖父母に
酷く馬鹿にされたんだそうだ。
母親はそれがたまらなく悔しくて、すごく悲しかったらしい。
で、俺までそんな偏見を持ってしまったのかって泣いてしまったんだと。

その話を聞いて、俺はもう自分がたまらなく情けなくなった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」ってもう何度も何度も謝って、
その日は夕食後もしばらくベッドにうずくまって後悔しまくってた。

それまでは、俺の幼馴染の優等生の母親が数学の教師で羨ましいと思っていた
んだけど、その日以来俺は母さんが母さんで良かったなあって思っている。

520 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 15:46 ID:mUfjdpsI
5年前、姉の結婚式で父と再会した。
小学生のとき親が離婚しているので十数年ぶりの再会である。
事前に知らされていなかった母と私は驚いた。
小さい頃からやさしかった姉は、父に花嫁姿を見せてあげたいと思ったらしい。
式の前日姉は嫁ぎ先の土地を観光案内してくれた。
その間中父はニコニコしていた。
浮気を繰り返し、母や子供たちに暴力をふるっていたあの頃の父とはまるで別人だった。
式も無事終わり、帰ろうとする父を私はエレベーターのところまで見送った。
一人エレベーターに乗った父は、
「母さんをよろしくお願いします」
と深々と頭を下げた。
あんなに威圧的だった父がとても小さく弱々しく見えた。
父さん元気かなぁ…。

521 :466:01/10/07 16:11 ID:wz8W.daU
>>511さんの話し読んで思い出した。

うちの母も私が出掛けるとき。必ず2階の窓から手を振ってくれました。
学校へ、仕事へ、遊びで出掛けるときも。
大きくなってからは恥ずかしくて、余り手を振り返さなかったけど。

あと20歳の頃、無理矢理ウグイス嬢なんぞをやらされてたのですが、
とうとう出陣という時に、車に乗って出発する私に向かって
母が泣きながら手を振ってくれました。
もーその時はなんだそりゃ恥ずかしいよお母さん!って感じだったんだけど、
今思えば、みそっかすな私が立派に仕事してるってのが
本当に嬉しかったんだろうなぁって、人目もはばからず泣いてさ。

・・・・泣けてきた(T_T)
せめて孫の顔を見せたかったよ。
それくらいしか親孝行出来てないのに、もういないんだもんな。
きっとものすごい可愛がったと思うと切ないや。

522 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 18:14 ID:A/QYv4JY
>>521さん
元気を出して下さいね。
優しくて、子供が自分のすべて、というような生き方をされたんだと思います。
天国のお母さんはきっと見ていて下さるはずですよ!

523 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/07 23:58 ID:sip/kmFM
age

524 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 01:32 ID:C9mXK0FE
さっき母さんと大ケンカしたばっかりなのにこのスレ読んで大泣き。
死んだ親父と曾ばあちゃんのこと思い出した。 すまん、二つほど語らせてくれ。

俺が五歳くらいのとき。 よく当時は親戚そろって実家のばあちゃんちでご飯を食べていた。
けど大所帯だから全員テーブルに座る場所がなくて、曾ばあちゃんだけがとなりに小さいテーブル
を出してそこでご飯を食べていた。それを見て俺が「なんでおばあちゃんだけ一人でご飯食べてるの?
かわいそうだよ!」と怒った。
 みんな一斉にシーンとなったのでそのことは今でも覚えている。
「○ちゃんは優しいね」とか言われて、恥ずかしくなってそのときは二階に上がっていったのだが。

何年かして曾ばあちゃんが死んだとき、母さんが「あの時おばあちゃん泣きながらね、
「○○さん(母さんの名前)、立派な子産んでくれて本当にありがとうって喜んでくれたのよ」
と言ってくれた。 なんかくすぐったかったけど、嬉しかった。

525 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 01:38 ID:mwxPYCGY
私はずっとずっとハムスターが飼いたかったのですが、
両親が動物嫌いなのであきらめていました。

が、ある日、友達から一匹もらえる事になったので
そのまま無理矢理飼ってしまったのです。
その時、父は入院していたのですが、
「ひまわりの種はおやつ程度だぞ」とか
「ハウスちゃんと入れてるか?水入れてるか?」と
やたら詳しい。
そう、父は私が飼いたがってるのに気づいてて、こっそり
私が読んでた飼育書を熟読してたんです。
その後、父は急に病気がなくなり悪化し、ハムちゃんと会うことは
ありませんでした。

ちなみに、もう一人の動物嫌いの母は、現在私のメシは知らん顔でも、
ハムスターにはいい物食わしてます(笑)

526 :524:01/10/08 01:56 ID:4Yekp4i.
親父の話。
中学の時、親父と一緒に泣いた映画が「LEON」だった。
そのエンディングテーマがスティングの「SHAPE OF MY HEART」だったんだが、
あまり洋楽に詳しいわけでもない親父は、「ああ、この曲いいな」と、
なんどもエンディングのテロップだけ巻き戻して訊いていた。
その後、LEONのサントラ密かに買ったのだが、EDテーマは入ってなかったようで、
とても残念そうだった。
それからしばらくして偶然、中古屋でその曲が入ったスティングのアルバムを
発見したので、買ってプレゼントしてやった。 親父は大喜びしてたっけな。
CDプレーヤーがないもんだから、ずっと俺の部屋に転がりこんでリピート再生して、
「飽きたから次の曲かけてよ」とか言っても、鼻歌口ずさむばかりで聞いちゃいなかった。
結局、その曲だけがダビングしたテープをプレゼントしてやった。

そのあとすぐに親父が発作で死んだ。 死ぬ直前はいろいろあって苦痛だったけど、
いい思い出を思い出そうとすると決まって思い出すのが、「SHAPE OF MY HEART」
を俺の部屋で聞いていた親父の、満足げな表情だった。

母さんの車に乗ると、たまに父さんにあげたテープを流すことがある。
「父さん、この曲好きだったよね・・・・」
何度も聞かされた「SHAPE OF MY HEART」だけど、それを聞くたびに涙が出そうになる。
それは母さんの聞く唯一の洋楽だった。

・・・・ああ語った語った。 明日からは、もうちょっと母さんに優しく接しようと思う。

527 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 02:13 ID:TqTq4.gI
つい、親不孝だな、って事しちゃっても、ココに来ると反省。
うー、皆様有り難うぅぅぅ


528 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 02:33 ID:/o3vfqSw
小学生の頃、母が入院していたときに写生大会があって弁当が必要だった。
父は料理なんて全くしない人だけど、「弁当はまかせとけ。」と言ってくれた。
それでも前の夜は心配でなかなか寝付けなかった。
でも朝起きたらちゃんと弁当が出来ていて、父は四苦八苦しながらも
綺麗に弁当箱に詰めてくれた。
一生懸命作ってくれたのが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
「いってらっしゃい。」と言ったとき、父は凄くいい顔をしていた。

ココの話を読んで、久しぶりにこの事を思い出しました。
父にもっと感謝しないと、と思います。

529 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 04:11 ID:.ufM6rCI
2chとは思えないage

530 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 15:44 ID:NXJqnLNA
小学生の頃、今は亡き父と一緒に行った魚釣り。
自分でウキを作るくらい釣り好きな父と、船に乗って行ったな。
糸の結び方を教わって、竿の投げ方を教わって。
普段あんまり会話をしない寡黙な父が、嬉しそうに笑ってた光景が、
そしてあの時食べたおにぎりの味が、忘れられない。
岩場に立って、勇ましく竿を振る父の背中が、とても大きく見えた。
「父さん、凄いや」って、妙に感激しちゃって。
結局小さい魚しか釣れなくて、帰りに店で買って帰ったんだっけ。
本当にマンガみたいな話。
遠い昔の・・・。

今度、久しぶりに釣りにでも行くかな。
父の形見のウキと一緒に。
ねぇ、父さん・・・

・・・あぁ、思い出したら泣けてきた。
くっそう、なんて泣けるスレなんだ!
今日はこのスレの皆に、乾杯や!

531 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 15:55 ID:v4snM9m.
一度も涙を見せなかった母親が、私の前で泣いたことは忘れられない。
母親は仕事をしていた人だったので、小学校の授業参観には
来られなかった。それを私が責めたら、急に私を抱きしめ、
「ごめんね」といって泣いた。わたしはすごくびっくりして、
それ以来そのことに関して責めることはやめた。今思い出しても、
心が痛む。そんな母が次に涙を見せたのは、私の結婚式だった。
その涙は私を安心させた。

532 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 16:01 ID:X/iPelMQ
あぁ、みんないい話しで鼻水流しながら見ています。ちゆ占いが初めて当たった。

私も思い出をひとつ、上の方に絵のついたバンソウコを万引きしたって言う
話しがあったけど、おんなじ様な話しでびっくりです。

家は母子家庭で小さい頃は結構貧乏で、欲しいものもおねだりできるような
雰囲気ではありませんでした。でもその頃、はやっていた絵のついた可愛いバンソウコ
が欲しくて、母と買い物している時にポケットに忍ばせてしまいました。
母が気付いたらしく、「そんな事しないで。ちゃんと言えば買ってあげるから。」
と、とっても悲しい顔をしていました。

貧乏だったけど、お母さんその後も沢山働いてくれて
留学までさせてくれました。本当に感謝しているよ。お母さんの子でよかった。
ちゃんと卒業して早く楽さしてあげたいな。

533 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 17:32 ID:/s8Vb2Mw
こんなに泣いたのは「フランダースの犬最終回」以来や。。。

534 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 17:38 ID:pKBcfyl.
>>142-143 最高ー!

535 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 17:49 ID:n9kAUw36
>>534
古いの引っ張って来たな。このスレで最悪のレスじゃん(w

536 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 18:48 ID:wt493zCM
今日、初めて読みました。
泣けました。少し元気が出ました。ありがとう。

537 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/08 20:22 ID:PA39Z8II
なんだか祖父の事を思い出した。

酒を飲める歳になった頃、地元に戻ったとき祖父と差し向かいで酒を飲む機会が何度かあった。
寡黙な祖父が、その時は饒舌だった。

後に祖母に聞いたんだが、孫と酒を飲むっていうのが余程嬉しかったらしい。
亡くなる間際まで度々祖母にそのときの事を語っていたそうだ。

俺は祖父に、少しは孝行出来たのかなぁ・・・

538 :A:01/10/08 22:34 ID:7xOluoc.
本当に...ここ...好いですよ...
元気でます...!
明日から色々な人にやさしくできそうだ...
ありがとう...

539 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 00:09 ID:MWx1p3e2
生活が楽ではないのに、時々遊びに行くと
野菜や、お菓子を持たせてくれたおばあちゃん。
「ちゃんと、食べなきゃだめだよ。もっと太らなきゃだめだよ。」
いつもの口癖でした。自分が満足に生活していないのに、
孫の私には、精一杯の食料を与えてくれました。

例えば、悲しい時やつらいときに鼻歌を歌っているような人でした。

540 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 00:18 ID:iRqkRB1c
主人のおばあちゃんは、庭で色々な果物や野菜を作って
います。最近は、骨折したりして、歩くのもやっとなのに
少しだけれど、と言って、庭のトマトや柿、イチゴなどを
宅急便で送ってくれます。はっきり言って、送料の方が高く
ついていると思いますが、曾孫(息子)が喜んで食べました
とお礼の電話をすると、来年はもっと美味しくできるから、
といつも言ってくれます。私も来年を楽しみにしています、
と言うのですが、電話を切った後、来年も食べられるのかな、
と、とてもせつない気持ちになります。

何時までも、宅急便送って下さいね、おばあちゃん。

541 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 00:31 ID:Gcvkhnzk
普段から家族内で喧嘩の絶えない私の実家。そこがいやで一人暮しをはじめてもう2年。
今でも父と母はことあるごとに決裂状態。
昔っから怒りっぽい父が悪いんだと、母親と女同士で愚痴っているうちにそう決めつけていた。

1年半前に定年まであと7年を残して、リストラ対象となり退職した父。
それからはますます家の中の空気は悪化していった。
母はそれに耐えかねて、結婚以来はじめてパートではあるが仕事に出るようになった。
それからは家事は父がするようになったようで、台所に立つ父を最近よくみかける。
それでも何かにつけて怒鳴り散らす父に、「お父さん!仕事探してるの?いつまで家に
いるつもり?妹だってまだ大学生でお金はかかるんだから!」と言った私に。。。

「仕事は探してる。でもな、なかなかないんだ。50歳過ぎての再就職は難しいんだ。
それに父さんだって一日中家にいると誰とも喋らなくなって、最近うまく話せなく
なってる。言葉が思うように出ないんだ。耳鳴りも不眠も仕事を辞めてからずっと
続いてる。体重も6`痩せた。そのイライラを母さん達にぶつけてしまってるのは
重中承知してるつもりなんだよ。でもな、思うように喋れないんだ。」

ショックだった。確かに痩せた背中を見つめながら、今まで退職してからの父を
責めつづけてた自分が恥ずかしく思えた。
父の意見など聞こうともせずに、一方的に悪者扱いしていた自分。
何よりあれだけ強かった父がそこまで追い詰められてたなんて・・・。

お父さん。私達娘2人にできることって何かある?
今夜妹の部屋に泊まっていくよ。んで二人でお父さんの事について、いっぱい
考えてみるよ。
ごめんね、ずっと話し聞いてあげなくて。しんどかったよね。ごめんね。

542 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 00:59 ID:LwfpApAY
ホローリ。皆、優しいなぁ。
年老いていくというシチュエーションたまらん。(涙

543 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 01:33 ID:6lPskPCQ
反抗期、何度か両親に
「死ね!!ボケ!!さっさと死ね!!」と言った
あの時の自分を殺したい・・・・・・

544 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 01:34 ID:hCvWrLoQ
ホローリではないけど…

小学3、4年生の頃、姉から誕生日プレゼントを貰った。
小さなキキララの箱に入っていたのは、やはりキキララの小物がいっぱい。
ハンカチ、ティッシュ、ピン止め、鉛筆のキャップ。
当時キキララが大好きだった私は本当に嬉しかった。
もったいなくてひとつも使わないで、大事に取っておいた。
母、姉と家を出る日まで。
慌てて出たから持って来られなかった。

手元にはないけど、心の中に今も大事にしまってるからね。

545 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 01:36 ID:HL49rj0.
>543
イタいねえ・・・まあ、みんなそういう時期があるのを
あなたみたいに反省してる人の親御さんなら
わかってくれるでしょう・・

546 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 01:37 ID:VO3VwFhc
>543
そう思ってくれたって分かれば、両親も許してくれるよ。

547 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 01:44 ID:BPd1wmeo
大学生の頃かな。
誕生日に午前様で帰ったら母が用意したケーキがあった。
居間で食べていたら父が帰宅。泥酔してた私は父にもケーキをだした。
父はそれを食べながら、
「パパね、こんなのちっとも美味いと思わないよ」と言った。
私は「私のお誕生ケーキなのに」と言い捨てワザと食いかけケーキを
放って部屋に戻ったら、父、すごーいショックだったらしくて、
寝ていた母を起こして追いかけてきて大騒ぎになった。
「だからパパの分も○ちゃんが全部食べなって言うつもりだったんだ」
とかナントカ言い訳たらたら、顔面蒼白、死にそうになってた。
ま、そこで許してあげれば良かったのに、黙っていたら
半年くらいそのことを気にして私に気を遣い、ショボンとしていた・・。
今でもケーキを見るとトラウマがうずくらしい。
ごめんね。ほんとは私はちーっとも傷ついてなかったんだよ。
ただ父親の傷つきっぷりが恐かった。
私の泥酔&午前様がちょっと気に入らなくて、ブッキラボー
だったのもわかってた。ごめんね。

548 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 01:46 ID:YTGLfabA
>>547 ゴメン、全然意味がわかんない。いやホント、ゴメン。

549 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 01:53 ID:6lPskPCQ
いつも物を壊したり、暴力を振るう父親だった。
仕事のストレスを家族に当たることで解消する人だった
だからって、まだ手を付けてない兄貴の誕生日のケ―キを
庭に放り投げてぐちゃぐちゃにするのはあんまりだ・・・
大人になった今でも、あの時の母と兄貴の悲しそうな表情が
わすれられない。
当時私は6歳ぐらいだったけど、強烈に残っている嫌な思い出

550 :>547:01/10/09 01:56 ID:OxULFBlU
ええお父さんやね…可愛い。
私んちの父もそんなだったらよかったのに。
傷ついたと言ったりしたら「今更うるさい黙れ」と殴られたよ。
女なのに首しめられた。
優等生でなければ愛してもらえないから、
すごく真面目に生きてきて、問題起こしたこと1度もない私…。
三十越えて初めて戦いを挑んでいます。
不良になりたかった。

551 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 01:57 ID:KQNBMdcE
>>549
いやいや、ここはホローリするところですよ?

552 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 02:01 ID:HL49rj0.

今だ!552番ゲットォォォォ!!
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
       》
     Λ《Λ  ズザーーーーーッ
    ( / ⌒ヽ
    ノノ   ノ     (´´;;;    (´
    (ノ  /ノ  ≡≡≡≡   (´´
    ノ ノノ ≡≡≡≡(´⌒(´⌒;;≡≡
   (ノノ     (´⌒(´⌒;;
   

553 :ブタ郎:01/10/09 02:05 ID:YTGLfabA
ちょっと思い出したホローリ。
ウチは決して裕福じゃないけど貧しくもない普通の家庭。
でも姉が3人いて3女+1男の4人兄弟。だから上の3人が短大に行ったお陰で
ちょっと家計が苦しかったときがあった。ちょうど俺が高校生の頃ね。
親父は姉たちにはちょっと甘いが、一人息子の俺にはちょっと厳しかった。
大学受験のとき「国立落ちたら進学は諦めろ」と厳しく言われていた。
結局、私立大学も受けたんだけど、受験料は自分の貯金で受験した。
そして国立は前期日程で落ちてしまった。
これで落ちたら俺は高卒で働くんやな〜と思いながら後期日程の試験の日の朝。
通勤のついでに父が駅まで車で送ってくれた。そして別れ際に…
「お前、大学行きたいんだろ?コレ、30万あるから。もし国立受からなかったら
 私立のD大学に行くための入学金だ。今までよく頑張ったんだから、コレはご褒美だよ」
と言って30万キャッシュでくれた。嬉しかったなあ〜。
でも結局国立受かって、奨学金ももらってるから
もう親の世話にはなってないんだけどね。

554 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 02:08 ID:BPd1wmeo
もうすぐ娘が生まれるからか、親との思いでをよく思い出すよ・・ホロリ。

555 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 02:13 ID:PVHmJ2lw
本日初めて読みました。
月の話がよく出てきますが、私も思い出しました。
夜、祭か何かの帰り道。俺五つか六つの頃。
俺「どうしてお月様は追っかけてくるの?」
父「いやアレは月が大きすぎて自分たちの視野から
  外れないんだよ。例えばあのテレビ塔を見てご
  らん。あれは・・・(中略)・・・世の中の出
  来事には皆ちゃんとした理由があるんだ。お前
  もそれを見誤らないようにな。」
俺「・・うん。」(←半分も理解してない。)
・・・と何を質問しても常に本気の答えが返ってく
る父でしたが、今やすっかりぼけて寝ターキリ。病院で
父の足の爪を切りつつ、昔の理論派の父を思いだして
ちょっとオトーコ泣きしたよ。

でもオヤジのことだから「いやボケることはしょうが
ないことなんだから気にするな。」とか思ってるんだ
ろうなぁ。

556 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 02:48 ID:Fzmv6Ja.
やさしかったおばあちゃん、、
子供の頃、おねしょをした時、そ〜っと起きておばあちゃんを起こしに行くと
だまって下着を替えてくれた。彼岸には四天王寺さんへいつも付いて行って、
おもちゃやお菓子を買ってもらった。一度だけおばあちゃんの生れ育った家に
泊まりに行った時、そこの人たちはみんなやさしかった。

でもそんなおばあちゃんにもボケがきて、自分の受験生時代には家で粗相をする
ようになり、よく小さくなったおばあちゃんに当り散らしていた。結局その夏の
暑い日に予備校に行ってる間におばあちゃんは亡くなった。いなくなって始めて
気付いても遅かったが、おばあちゃんに受けた愛情を自分は一体何で返したのか、
1人になった時仏壇の前で大泣きした。今、曲がりなりにもお年寄りには優しく
できるのも、おばあちゃんのおかげかも知れません。俺がそっちに行ったら今度は
いっぱい孝行するからね。






やさしかったおばあちゃんの事は絶対に
忘れません。

557 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 02:51 ID:BNf0MMMU
大学生の時、父が愛人つくって家を出た。父は何も知らない私に愛人の子供の家庭教師をさせていた。全部ばれて母が自殺未遂したとき、母のためというより、自分の腹立ち
で父の住民票を勝手に異動して、最後通牒した。だから、本当は追い出したのだ。父はその後すぐ入院して、知人に連絡をもらった時には意識がなかった。
葬式の意地でウチからだした。もう少し私が大人な態度で父と母の間にいたら二人の人生ちがったかもと思う。
娘を抱く母をみて特にそう思うようになった。

558 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 04:00 ID:FSedWlQE
 数年前に、相次いで田舎の祖父母が続いて亡くなった。
小さい頃は、でかい(190cm位あったじいさんだった)上、厳しく
て恐いって印象だった爺ちゃんも、私が高校大学〜と、成長する
につれて、小さくなっていって、うっすらと寂しさを感じたりした。
そして、婆ちゃんは、優しくて、たまにしか行かない、遠地の孫
の私が、小さい頃好きだったと言うお菓子を、何時でも、買い溜し
といてくれたっけ。
離れてたので、最後の最後は、見送れなかったけれど、病院の配慮
で同室にベット並べて貰って入院していた二人の姿や、惚けて余り
分からないであろう私の事を、ニコニコしながら手を握ってくれた
事も、もう、過去の事なんだなぁ...と、こんな夜中にじんわり涙。
 厳しく、教えてくれた爺ちゃんの御陰で、今でも、箸の持ち方や
ら、作法やらは、私の中に根付いている。婆ちゃんのよく漬けてた
漬け物、昔は嫌いで食べれなかったけれど、今はちょっと美味しさ
が分って来た。(これは私の年のせい?笑)
 時代は流れて、会えなくなる人は居るけれど、その人と過ごした
時間や、思い、色んな事が、生きてる人間の中には生き続けている
んだな..うん、今日も一日、頑張ろう。

559 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 15:58 ID:nYeRV.VY
うちには絵に描いた様な江戸っ子じぃちゃんがいた。
両親が共働きな事もあり、私はコバンザメのように
じぃちゃんに張り付いて歩いた。

ある日、「じじぃと子供」とあからさまに人を馬鹿にするような
人間がいた。じぃちゃんは啖呵をきり、喧嘩を仕掛けた。
物凄い迫力だった。ハーモニカをポケットから出したところで
刃物とでも思ったのだろうか、相手は捨て台詞を吐いて逃げていった。
「かぁちゃんには内緒だぞ」と言いながら、上機嫌でハーモニカを吹いた。

ある日、じぃちゃんは麻雀の最中に、よっぽど良い手が揃ったのだろうか
脳の血管が切れ、あっけなく死んでしまった。
今になっても、小さかった頃の思い出が甦る。
共働きでも寂しい思いをしなかったのは、じぃちゃんのお陰。
もっと、色々な事を教わりたかったよ。
今でも、悩みがあると考える「じぃちゃんだったら、どうするだろう」
じぃちゃんのような粋な人間には到底なれないけど頑張るよ。
じぃちゃん、ありがとう。

560 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 18:39 ID:nHHzJOCU
他のスレにもちょこっとかいたんだけど・・

私のおばーちゃんは、私が遊びに行くと必ずりんごジュースを作ってくれた。
ジュースといってもりんごをそのまますりおろしたようなどろどろしたやつで
色も茶色くなっちゃって、とても美味しそうに見えない。
しわだらけの手で差し出すジュース、いっつも無理矢理飲んでいた。

私は生まれつき心臓が悪く、外で遊ぶことも出来なかった。
歩いて2分のおばーちゃんの所にいくのがやっと。
両親は共働きだったので、殆どばーちゃんのところで過ごしていた。
退屈で退屈で、でも外で遊べなくて、ずっと絵ばかり描いていた。
女の子の絵をよく描いていたが、ほとんど泣いている女の子だったそうだ。
空が真っ黒で、その空の下で泣いている女の子。
ばーちゃんは、そんな絵を見て
「@@は絵を描くのが上手だね。おおきくなったら絵書きさんになるんだね」って
ずっとずっと言っていた。
学校でも怒られたような絵なのに。

ばーちゃんは最後迄「@@は絵書きになったか?」って言ってた。
死ぬ真際まで言ってた。
その時私は中学生だった。

今、なんとか絵書きさんになれました。
毎日毎日いっぱい絵描いてます。
ばーちゃん、ありがとう。いっぱいいっぱいありがとう。
そのうち、私もばーちゃんの所に行くだろうけど、
そん時はどろどろのりんごジュース作ってね。

561 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 19:05 ID:yxk/y2As
>>559
おじいちゃんステキだね。
ほんとにステキ。
おじいちゃんありがとう。私からもお礼を・・・

562 :kuma:01/10/09 20:39 ID:3ChJWnso
>>560
昔はリンゴをすりおろしてジュースにするのは最高の贅沢だったんだよ。
俺も子供の頃、風邪で寝込んだ時なんかによく作ってもらった。

560さんは良く頑張って絵描きになったんだね。
体を大切にしていい絵をいっぱい描いて下さい。
そのうちではなく、おばあちゃんに逢いに行くのはずっと先でいいじゃないか。
おばあちゃんも天国からそれを望んでいるはずだよ。

563 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 23:15 ID:1.8vH6qw
おばあちゃんおじいちゃん。会いたいよ。
小さい頃みんなしんじゃった。
大人になった今出来る話がしたい。
じじばば孝行したい。


じいちゃんばあちゃんが生きてるみんな。大事にしてね。

564 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/09 23:21 ID:mPmlAgOM
>>555
ナイスなお父さんだね。
親孝行してあげてくださいね。

565 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/10 00:01 ID:STEXv21Q
 家は結構理想的な家族だったと思う。
祖父がお金持ちだったし、父の稼ぎもそれなりにあった。中流中から中流の上ぐらいだったのではなかろうか。

 親父は強い絶対的な存在だったが、ユーモアを忘れない人だった。
母は苦労しているだけあって口うるさいことがあったがそのとき意外は優しい母親だった。
 私が長男で、下に妹、弟、の五人家族。給料日には毎月外食し、家族で遊びにもよく行っていた。
理想的な家族だったのではないかと思う。

 でも私が小6の時弟が心臓病で死んだ。
母が半狂乱になって泣き喚く姿が忘れられない。父の涙を見たのはその時が最初で最後だった。
それ以来、家では死という言葉が使われなくなり。母は異常に心配性になった。
若々しく、友達に羨ましがられていた母が急激に老けていくのも悲しかった。家族で出かけることもなくなった。

 あれから時がたち俺は成人した。妹も来年ぐらいだろう、俺と妹は同じ年に社会人になりそうだ(理由は聞くな)。
初任給で妹と一緒に親孝行で何かプレゼントしようと思うがまだ先の話。
 今でも祝い事があると家族で焼肉を食べるのだが、そのときには、5人家族だった頃のことを思い出しほろりと来る。
早く社会人になって親を安心させたいのだけども、まだ時間がかかりそうだ。

 弟よ、俺はともかく妹がしっかりしているので両親のことは任せろ(だめ兄貴)。
いつか、両親がそっちに行った時がおまえの番だぞ。

 何かいてるのかわからなくなった・・・・。乱文失礼。

566 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/10 00:48 ID:.77mIhgc
>565

ウチも、来年の春になれば俺と兄がウチをでて、弟とおかんの二人暮し。
進路のことでいつもケンカしてたけど、母の友達に「二人はさびしい」といった
ようなことを電話で愚痴っていたのを廊下で訊いてしまい、ちょっと泣いた。
お互い、親が生きてるうちに親孝行しような。 このレス見てると自然にそう思えてくる

567 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/10 01:31 ID:WH/mwXik
敬老の日に、なんにもしてないことを思いだした。
電話ぐらい、するんだったなぁ・・・・

おじいちゃんも、おばあちゃんもまだ元気だけど
二人で田舎で、毎日同じ生活してると思う。

手紙でも、書こうかな、子供の写真入れて・・・。

568 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/10 04:59 ID:PirZrJc2
>>567
きっと喜ぶよ。
大した事ないことでも、
切ないくらいに喜んでくれるんだよね。
じーちゃん・ばーちゃんって。

569 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/10 05:50 ID:RFiFCmr6
いいスレだ。
アメリカの人たちも、アフガンの人たちも、
これを読んだら、泣けちゃうよなと思うと、
なんか悲しくなってきた。
みんなきっと、やさしいのになーと。
性善説派になりそう。

570 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/10 05:53 ID:BAvh.Wis
>>560
絵描きさんになったんだね。
すごいね、よかったね。
おばあちゃんも喜んでいるよね、きっと。

571 :ななし:01/10/10 08:52 ID:YO5Wbc5c
俺は俺の母方の祖母が嫌いだった。大嫌いだった。本当に心の底から大嫌いだった。
一日中テレビの前に陣取って寝転んでるだけの癖にあれこれ口やかましく
母や父に難癖をつけ俺の頭を小突き、俺が反抗すると泣きながら母を罵倒する。
毎日毎日「コイツさっさと死んでくれねえかな、っていうかばれない殺人ってできなえもんか」
と考えていた。しまいに祖母はボケ、俺の部屋がヤツの寝る部屋として与えられ、
寝たきりになった祖母は毎日毎日か細い、しわがれた、なんとも神経に触る声で
「ななしちゃ〜ん、ななしちゃ〜ん」と俺を呼びつけトイレの世話をさせ、
日に日に老人独特の臭いと糞便の臭いに汚染されていく俺の部屋とそこにいるクソババア
を見て毎日毎日家に帰るのが苦痛になった。二年程してようやく老人ホームに押し込めることが
でき、そのことを母親から知らされたときは思わず快哉の声をあげた。
それからも月一ほどで老人ホームに見舞いに行かされたが今度は正真正銘ボケている
祖母の「で、いつ帰れるの?あたしはもうこんな監獄みたいなところは嫌ですからね!」
とヒステリックに喚きたてているところをきつく抱擁しながら「てめえが死んだら、だ。墓碑には
憎まれっ子ようやくここに眠る、と刻んでやるから安心しろや」などと言いすっきりしていた。
 で。
ようやく二ヶ月ほど前に死んだ。俺がどうしたかって?訃報を電話で聞いたときに思わず叫んだよ!
「よっしゃァァァァァァァァァァァッ!」
葬式も笑いをこらえるのに大変だったよ!
そして葬式の後でやった親族だけの飲み会で親父が言いやがった。
「クソババアの死に、乾杯!」

572 : :01/10/10 10:45 ID:HhwDQNfg
>570
あの、スレ違いのような気が・・・

573 : :01/10/10 10:45 ID:HhwDQNfg
まちがえたー
ごめん >571だ

574 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/10 14:45 ID:qKAJ3jO6
私は県外の大学を卒業してから実家に戻り、社会人になった。
同居していた母方のおばあちゃんは、私の行動に対していちいちネチネチと
文句を言い、私と祖母は顔を合わせる度喧嘩していた犬猿の仲だった。
その頃、実家は家を新築し、1階におばあちゃん専用の部屋を作ったにも
かかわらず「わたしゃ2階に部屋が欲しい」とわがままを言い、結局私の部屋を
アコーディオンカーテンで仕切って、おばあちゃんの部屋を作った。
新築数ヶ月後くらいから、隣の部屋からはおばあちゃんのせきがひっきりなしに
聞こえるようになった。
心配して病院に行くように進めても一向に行こうとしないおばあちゃんに苛立ち、
せきが聞こえるたびに私は「うるさい!静かにして!」と声を荒げてなじった。
ますますおばあちゃんのせきはひどくなっていった。

年が明け、あれだけ病院に行くのを嫌がっていたおばあちゃんが自分から
「病院に行く」と言い出した。肺がんだった。医者からは半月もたないと言われた。
母はおばあちゃんに付き添うため、長女の私が家事一切を引き受けた。
その頃私はすごい風邪を引いていたため、おばあちゃんに付き添うことが
出来なかった。だから、毎朝おばあちゃんにおにぎりを3つ届け、会社に通った。

入院から10日後、おばあちゃんは他界した。母は涙しながら私にいった。
「おばあちゃん、病院の食事は一切手をつけなかったのに、あなたが毎朝届けた
お握りだけはおいしい、おいしいって言いながら3つとも全部食べてたのよ。」
私は号泣した。おばあちゃんに逆らってばかりいたことを一度も謝らなかった。
おばあちゃん、本当にごめん。本当は大好きだった。一度も言えなかった。

575 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/10 16:27 ID:u5xyHKrk
そして今日もないてしまう私。
ホローリホロホロage
>>574
本当は優しい子だって事、
おばあちゃんは分かってたんだと思うよ。
おにぎり持って天国へ行ったんだね。

576 :\\\:01/10/10 16:38 ID:U3Qb5FzM
全く泣けない話なうえ、スレ違いかもしれんが、
まだ5歳ぐらいの時に、母親が熱を出した。
で、普段料理なんかしない父親がカレーを作った。
そのカレーは水が異様に多い薄味カレーだった。
それから十数年、今も父親は料理をしないが、
あのカレーは忘れられん。
もう1回作れって言っても無理だろうな。。。

577 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/10 17:13 ID:qwVLgTUg
>576
買ってくるとか出前取るとか、もっと簡単な物にするとかあっただろうに
カレーをがんばって作ったお父さん。なんかいい!

578 :\\\:01/10/10 17:44 ID:7fiMAaJo
>>577
作ったのはその時だけで、あとは大抵弁当屋とか、カップラーメンだけどね(w

579 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/10 23:48 ID:fG4WAMA2
>>576
おんなじ状況で、うちの父親は牛乳入れ過ぎの白いカレーを作ったらしい。
母から何度も聞かされたから、実は嬉しかったんじゃないかなぁと思ってる。

580 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/12 03:14 ID:ohcX1a9c
なんか最近行き詰まっててこのスレみて泣けてきた。
親父に肩車してもらったり、お袋に抱きついて泣いたり
そんな何気ない家族とのひとときがかけがえのないもの
だと、今になっておもうよ。
ほんとに、普通に幸せな暮らしをするのがどれだけ大変な
ことなのかも、、、

どうしようもない犯罪犯しても、家族だけは最期まで味方に
なってくれるんだろうな、、、

581 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/12 03:19 ID:VYkMbdog
>>580
小学校乱入殺傷事件の親は、そうでも無かったようだけど

582 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/12 06:31 ID:95nEcsms
俺の大切なファ−ストキスは、ばあちゃんによって
既に0歳の頃奪われていたことが判明。
なんてことしてくれたんだ。。。。

583 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/12 06:53 ID:vcp3xAlg
子供のころ自転車の練習で自転車の後ろ
ずっと持って走ってくれたおとうさん・・・

584 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/12 15:33 ID:ts/bxDGA
中学の頃、娘との自転車二人乗りが嬉しかったのか
家に着いてから、もう一周してしまったお父さん・・・。

585 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/12 15:46 ID:/yQYoQSU
>>582
そういうのはノーカウントだろぅ。

586 :\\\:01/10/12 15:49 ID:qEfhQcyg
消防の頃、近所のマセたヤシ(1個年上)に奪われそうになった。
風の噂では、現在ヤリマソだとか。



ウチのチャリはどういうわけかキティちゃんの奴だった。
幼坊ながらに恥ずかしかったよ。
おとっつぁん曰く、すぐに乗れたらしい。

587 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/12 23:51 ID:7Ido6mIk
4才か5才の時、兄と父が自転車を買いに行ってくれた。
家の前で待ってると、父が私用のピンクの小さい自転車を押してやってくるのが見えた。

その場面だけ切り取ったように覚えてるなぁ。

588 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/13 00:23 ID:w6O4CTB.
当時小学二年生だったわたし。そのころ死というものに興味を
もち、ふざけて父に『わたしかおとうさん、どっちかが死ななきゃならないと
したらどうする?』ときいたら、『おとうさんが死ぬよ ○○はまだまだ
生きなきゃいけないからね』とまじめに答えてくれました

実はこの父は後から知ったのですが、母の2番目のだんなさんで
籍ははいってませんでした。ちいさなときからいたので、ほんとうの
父だとおもっていました

今この人は、ある大きな犯罪を犯して指名手配中で行方がわかりません。
20年前に家をでたきり、帰ってこなくなり、あるひ、新聞で
指名手配犯になっているとしりました。(人殺しではありません)

589 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/13 17:43 ID:/ay7TKQY
超遅レススマソ
>>42 ひどい。
>>50 それで良し。

しかし私も42のような感覚で昔いたことがあります。
どうしてお金より、その気持ちがうれしいと思わなかったのだろう
どうして物よりも、隠された気持ちに気づかなかったのだろう
そう思ってももう遅いか… まさか愛されていたなんて…

590 :おさかなくわえた名無しさん :01/10/15 17:11 ID:BdvUxfTF
夕食の後片付けで皿を洗っていた時、手が滑って割ってしまった事があった。
絶対殴られると思ってたら、怪我は?!と聞かれてびっくりした。
キッチンドランカーで気に入らない事があると酒をぶっ掛けてくるし
借金つくってばっかりでどーしょもなくて絶対捨ててやるとかいつも思うんだけど
そのたびに思い出して結局捨てらんない。

591 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/15 18:17 ID:yCeNMxSJ
中学生の時に、親に隠れてたばこを吸ってたんだけど、ある日
たばこケースをあけたら、そこにはたばこは一本も入ってなくて、
代わりにミントチョコレートがギッシリ詰まってた。
ミントチョコは、母親の大好物なんだ…

その日以来、たばこやめたよ。

592 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 02:02 ID:zskeLzFm
>591
お母さんステキ。
その気持ちをわかってあげられたあなたもステキ。

593 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 06:16 ID:vx6xFbMB
>591
テキトーにそこらへんのもん詰めただけじゃねえのお?
と思った私はロクデナシですか?(涙

594 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 12:42 ID:bkoAbIJf
何年か前の正月に家から出ていた私達兄弟が全員揃い、みんなであーだこーだと
わいわい話ながらご飯を食べているとき、その輪の中に入れずにいたじいちゃんが
「メシの時は黙って食え!」
といつものように言った。

カチンときた私が
「正月くらいしか家族が揃わないんだから話くらいしたっていいでしょーが!」
間髪入れずに言ったら今まで見たことがないくらいしゅんとして
「いいよ、ほら話しろ・・・うん、そーだな、久しぶりだからな」
と言い出したのにはマジでびっくり&ちょっとショックだった。
俺イズム全開のじーちゃんしか見たことなかったから。

そんなじーちゃんも今は入院中。こないだお見舞いに行ったら
「こんな所(病院)にいたら病気になるから早く帰れ」
って言われてなんだか悲しくなった。早く元気なじーちゃんといっぱい話をしたいと
本気で思った。

そんなじーちゃん、曾孫からの『おおじじ、はやくげんきになってね』と書かれた
手紙をベットの中でも話さないと看護婦さんから聞いた。その場で泣きそうになったよ。

595 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 12:43 ID:GOXdVCt8
>593
非常に残念ながらロクデナシです。(スマソ

596 :594:01/10/16 12:44 ID:bkoAbIJf
「話さない」じゃなくて「離さない」だった。失礼。

597 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 12:45 ID:Yh2nO3YI
なんかここのスレ、涙が出てくる。。

598 :ななしん:01/10/16 13:10 ID:eCHpu8ks
1日1回はここにきます。
みなさん素敵な話をありがとう。
私も話を1つ^^;

私の結婚式(教会式)の日取りが決まった夜
家族4人でいつも通りの夕食を食べているとき
妹が「お姉ちゃんは10センチのヒールを履くんだから
バージンロードをお父さんと歩くときは
お父さんの方が背が低いなくるね」と言った。
うーんと言い父は困ったような顔。
母がいつもどおりのんびりした口調で
「大丈夫、シークレットシューズあるから」と父に言った。
父、母、妹、私、4人で笑った。
夕食では糖尿病の父の為に母が作った
味付けの薄いおかずを家族も一緒に食べる。
なんか幸せだなぁと感じた。

599 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 15:04 ID:smRInMFj
私の結婚が決まって、結婚式場から貰った紹介ビデオを見ながら
「やけに老けた旦那だな」と父が言った。
父はバージンロードを父と娘が歩くものだと知らなかった。
「何言ってるの。父さんだよ。」と言うと
「え!?じゃ、俺が歩かなくちゃいけないのか?
ダメだ!ダメだ!却下」と言って逃げてしまった。

でも、結局ロボットのようになりながらも歩いてくれた。
感謝してるよ。父さん。

600 :聖人:01/10/16 15:19 ID:VympR9/W
小学校2年のとき、郵便局に社会科見学に行った。
前日に先生から
「誰かに出す手紙を書いてきましょう、
 それを明日、郵便局で自分の手で投函してみましょう」
と言われていて、別に手紙なんか出す人もいなかったので
母方のじいちゃんに出した。内容は全く覚えていない。

=======それから18年後========

出張のついでに何年ぶりかにじいちゃん家を訪ねた。
そこで何気なくリビングのレターケースに、自分が出した手紙を発見。
18年ぶりの自分の字はカワイイかったよ
大事に取っておいてくれてありがとう。

601 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 16:05 ID:Yh2nO3YI
感動的だよ〜
        [壁]ノ_<。)グシュ

602 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 16:26 ID:2HgvvJlh
家の父親は、早くに両親をなくして、親戚の世話になって育った。
それでだかどうだか、子供への接し方がわからないみたいで、
小さいときは、何も話さない怖い人だと思ってた。

小学校に入学する年、学用品やらを、
母がひとそろえして買ってかえって来た日の夜、
父親が筆記用具をもってきて、ひとつひとつ、私の名前を
書いてくれた。
父は、何も言わなかったけど、
私も黙って、隣で見てただけだったけど、
うれしかった。すごく鮮明に覚えている。
おとうさん どうもありがとう。
 

603 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 17:19 ID:OtY+Owys
このスレはあかん。あかん、あかん。(涙目)

604 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 20:21 ID:CeY6AlYt
母が末期癌で余命半年と(告知はしていた)言われた秋。
押し入れを片付けしていたら、お雛様がでてきて、
当時、結婚していなかった私に「来年、みんなでちゃんと飾るんだよ」
と私に背中を向けたまま言った。
悲しくって返事できなかった。

605 :猫は夜でも目が見える:01/10/16 20:23 ID:sK1k7UG/
誰か,このスレを翻訳して,ビンラディンやブッシュに読ませてやってくれ。

606 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 21:25 ID:Yh2nO3YI
ここのスレ、短編集として本を出版できそうだよ。
一杯のかけそばだっけ?
あれよりも感動的じゃん。

607 :長文スマソ:01/10/16 21:26 ID:g9KKqWcU
高校卒業してすぐ就職し、ひとり暮らしをはじめた自分。
うちはそんなに裕福じゃなかったから、これでもう両親に負担をかける
ことはないとホッとすると同時に何か大人になった気分だった。

けれど都会での生活は高卒の給料ぐらいじゃまかなえるようなものではなく、
食う物を減らし人付き合いも希薄になり、実家に連絡することも少なくなっていった。

最近免許を取るため教習所に通い始めたが、生来の運動神経の鈍さからか
規定時間は軽くオーバー、大丈夫と言われていた検定も落ちかなり沈んでいた。

そんなとき実家から電話がかかってきた。母だった。
久し振りに聞く母の声に気持ちがほぐれていくのが分かった。

それでも心配かけまいと明るく振る舞っていたのだが母にそれが分からないわけがなく
母「・・・お金、ないんやろ」 自分「・・・・・・」
母「いくらいるんね」 自分「いいよ、大丈夫って」
母「あんた、自分の親に甘えんでどうするんね」 自分「・・・・・・」
母「じゃあとりあえず10万送るけんね。足りなくなったらまた連絡しなさい」

数日後届いた封筒の中には諭吉10人と、走り書き程度のメモが1枚。
「何も心配いらないから。焦らずにゆっくりやりなさい」

自分が家を出たところで生活が楽になるわけでもなく、今も弁当屋で安い時給で働く母。
「大学に行かせてやれる金がない」工房だった自分に泣きながら頭を下げた母。
そんな母が自分の欲しい物買うの我慢して送ってくれたお金。
手紙を握りしめてしばらく涙が止まらなかった。

母さん、20歳も過ぎたのにまだまだ子供でごめんね。
免許取ったら、前から行きたいって言いよった温泉連れて行くけん楽しみにしとってよ。

608 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 21:50 ID:K9iKykI8
小さいときからばぁちゃん子の私。
祖母が末期の癌で自宅療養してたとき。
「今日、私誕生日なんだ」と伝えると
「いくつになった?」と祖母。
「21」
そして祖母から受け取ったメモは
[みんなに祝福される結婚をして
  幸せになって欲しい
 世界で一番愛したみゆきへ ]

 そして3日後に亡くなった。

ばぁちゃん。幸せになりました。
2人の曾孫も生まれたよ

609 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 23:34 ID:Rd2FzfIJ
小学校の時の臨海学校。うちの学校では『命ふだ』という、かまぼこ板にマジックで
6−1 ○田○子 と記入してタコ糸を通して首からぶらさげるものが必要だった。
もう6年生だし、自分でかまぼこ買って来て自分で作ろうと思ってた矢先、
土曜日の夜お父さんが照れくさそうに渡してくれた、お父さんのお手製の命ふだ。
でも事情をよく知らなかったお父さんは、何年何組と書かずに○田とだけ、
マイナスドライバーの先をガスコンロで熱して、かまぼこ板に焼印のように記してくれていた。

「学年とクラスも書かないとダメなのに!下の名前も書かないとダメなのに!」
友達と違うものを持って行くのがイヤな年頃だった私は、結局自分でかまぼこを買ってきて
自分でマジックで名前を書いて、それを持って臨海学校に行った。

でもわかってたよ。
自分の娘が、もし海で溺れた時にマジックで書いたものじゃ消えてしまうかもしれない、
ちゃんと消えないようにしないと、って思ってくれて作ってくれたこと。
でもね、恥ずかしかったんだ。独りだけ違うものを持って行くのは。
結局お父さんが作ってくれた命ふだはお守り代わりに、持って行くだけ持って行ったんだ。
そして12年経った今でもちゃんと取ってあるんだ。

口下手で照れ屋のお父さん。
好きなお酒を飲むとき、ビールの時は私があげたなんの変哲もないバレンタインチョコに
ついてたグラスで、焼酎を飲む時は妹が小学校の修学旅行で買ってきた土産モノの湯呑み。

お父さんに似て私も口下手だから普段は言えないけど、
そんなお父さんが私のお父さんで良かった、って思ってるよ。
ありがとう。

610 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/16 23:58 ID:k5XvN0Nq
ほろーりどころじゃねぇよこのスレ(涙

611 :おさかなくわえた名無しさん :01/10/17 00:46 ID:vVXWgDAG
>610
禿同(涙

私も一つ書きます。長文スマソ
父親が去年入院していたときのこと。
実家を離れて住んでたせいもあって、
お見舞いにいけるのは週末だけでした。

ある日、調子がいいのか、ベッドに座っていた父は、
私を「隣に座れ」と、自分の隣に座らせました。
「自分のために、毎週毎週遠いのに悪いな。ありがとう」
とボソッといいました。

頑固で厳しい父からそんな言葉を聞くなんて、思いませんでした。
びっくりしたと同時に、涙があふれてきて、
「あたりまえじゃん」と言うのが精一杯でした。

父が死んでそろそろ一年が経ちます。
なんとか毎日頑張ってるよ、お父さん。

612 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 01:01 ID:8p0LYmSf
晩婚の私が同棲してた彼氏を連れて、私の父親を飲みに誘った時、
「結婚の約束もしてない男と一緒に飲めるかっ」って断られた。
半年後正式に結婚が決まり、初めてホテルで私の両親と食事したの。
その後父親の馴染みのカラオケスナックに言った時、そこのママや
ホステスや常連客みんなに、だんなを紹介して回ってた。
白髪混じりのいい歳したおじさんが、そりゃもう大はしゃぎで。。
それみてたら、本当に結婚が決まって良かったと思ったよ。
なんかこっちの方が涙出てきたもん。

613 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 01:42 ID:A3uM+2u8
>611 って、あんたも泣かせてどうするよーーーー

614 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 01:44 ID:C7eIO4H6
父がよくマックで65円バーガーを買ってくるんだけど
まずくて私はいつも無理矢理食べていた。
ある日、
「こんなまずいもん、食えないからもう買ってこなくていいよ。」
と言うと
父がすごく哀しそうな顔をした。
ごめん、お父さん、
気持ちは本当に嬉しいんだけど
お父さんの少ないお小遣いをあんなまずいもんに費やしてほしくなかったんだ・・・

615 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 02:24 ID:8p0LYmSf
:・。・゜゜・(≧◯≦)・゜゜・。・え〜〜〜〜〜〜〜〜ん!!! 

616 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 02:25 ID:8p0LYmSf
ココロにしみるよぅ。。

617 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 03:30 ID:bL7hxWv/
しかしさんざん涙した後でふとギモン。
これってまさかネタじゃ〜ないよね。。。
こんなギモン感じちゃうなんて・・・純粋な心(だったはず)の私はどこに逝ったぁ〜!?

618 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 07:39 ID:QSJHOYRK
この際ネタでも構わん!って思ったり(笑
自分は、たくさん溜めておいて泣きたい気分の時に
一気に読むことにしてる。もう涙ボロボロ
大人になると日常で泣くことなんてほとんどなくなるけど、
泣いた後ってなんだかすっきりした気分になるよね。

619 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 07:51 ID:4Rjl/sxs
このスレ読んで、泣かない親世代はいないんじゃないかと思うよ。
そのくらい涙ウルウル、いやジャージャー。(w
家の母親なんか、ただでさえ泣き虫なのに
これ読ませたら泣き死ぬんじゃないか?

「感動の短編」で出版できるぞ。ひろゆき!

620 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 15:45 ID:oyhR3uFB
私が小学5年の時、金持ちの同級生に「アンタ、まだその服着てるのー」と
3年の時から着ている服をばかにされた。

ウチは貧乏の4兄弟で私は姉やいとこのお下がりを着ることが多かったのだが
自分では全然気にしていなかったし、その時着ていた服も気に入っていたモノ
だったので「今日学校でまだその服きてるのかって言われたよ」と帰ってから
フツーに親に言った。

その週の休日、父がいきなり私にクマのアップリケのようなものがついている可愛い
トレーナーを買ってきた。
「こんなの好きじゃない!」と自分のタンスにも入れずにほったらかしにしていたが
中学に入って小さくなった服の整理をしているときにその時のトレーナーが出てきた。
母が「おまえが学校でいじめられてるのかと思ってお父さん買ってきたんだけどね、
あんた可愛い服嫌いだったし、おまけにあの時じゃ大きいよね。今丁度いいもんね。」
と言ったのを聞いて「とーちゃん、ゴメンよ」と思った。

最近落ち込みまくっている私をさりげなく慰めてくれるのもとーちゃん。
30すぎても心配かけてスマンね。大好きだよ。

621 : :01/10/17 15:55 ID:8NqBMwm8
生活板で 唯一の 感動スレ

よくむかつきたい時は、 ドキュ老人スレに逝き、
その後このスレでほんのーりする。

そんな俺は、親知らず。 捨て子だったらしいから、
みんなうらやましいな。 孤児院での思い出なんて ろくでもないものばっか

622 :34歳2児の母:01/10/17 16:00 ID:GJIGfCJA
もう30年も前の話。
小さい頃はお母さんもとても優しくて大好きだった。
お母さんが作ってくれるホットケーキが大好きで
おやつによくリクエストしてた。
メイプルシロップは高いから・・(w
砂糖と水を煮溶かして作ったシロップをかけて食べていた。
甘くて美味しかったなぁ・・
私が幼稚園年長の頃、お父さんが病気になって人事不省・・
それからは坂を転がる様に家が傾いていったっけ。
お父さんが退院して療養している頃
人の良いお母さんが近所の人の借金の保証人になって
返済を肩代わりする羽目になったり・・
優しかったお母さんは人が変ったようになって
怒りっぽくなっていつもイライラするようになった。
歳月が流れて父も死んで母も死んだ。
あの頃のホットケーキが食べたい・・・・

623 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 16:57 ID:kaRfFi63
両親とも蒸発してしまい、小さかった私と弟を引き取り育ててくれた祖父
ギャンブル好きで口が悪くて手もあげる人だったけど、末期の胃ガンで余命残りわずかになり入院生活を送っていた時
もう自分で爪を切る事もできなくて、弟と二人で切ってあげてたら
「二人とも大きくなったなぁ…」って今まで見た事ないような笑顔で言ったの。そんな事絶対言わない祖父だったのに…
告知をしないまま、その2ヶ月後に亡くなった。
今度生まれ変わるとしたら、また祖父の子供になりたい。不器用だったけど、たくさん愛してくれてありがとう

624 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 17:17 ID:BJske4ZK
ううう。このスレ読むと涙が止まらない・・・。

私もひとつ書かせてくだされ。
反抗期だった15の私は父のことは大好きだったけど母親とは
どうにもソリがあわず(実母なのに。しかもいまだに嫌い)
夜中に家を飛びだした。全速力で走る私を追っかける父。
だけどおじさんと若者の足が同じはずはなく父は転倒。(気配でわかった)
なのに父は裸足で!走りつづけようとした(涙)
そんな父を振り切ることは出来ず一緒に家に帰ったけど
優しい父は家で待っていた祖母や叔母の前で一言も叱らず
「○○は優しい。靴が脱げた俺を見て立ち止まってくれたんだから」って・・。

お父さん、その後も色々迷惑かけてごめんなさい。
今は少し親孝行の真似事できてるよね?
長文スマソ。

625 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 18:16 ID:yGKmcItN
母がガンだと分かった。
持っていたデジカメで母の後ろ姿を気づかれないように撮影した。
気づかれてはいけないと思った。
最後の写真にはなってほしくないけれど
離れて暮らしているので、いつもその写真も見ては
涙がでそうになる。
おかあさん、あと何回会えますか。
本当は何もかも捨てて、いますぐそっちへ帰りたい。

626 :コピペ風(藁:01/10/17 21:18 ID:8kLd59Ge
>>606

昔話でも聞いてくれるか?

ちくり・裏事情板に1つのスレッドがあったんだわ。
「ネットだから書けるあなたの人生」って言うスレッドがね。

そりゃもうフィクションかと思うくらいの波乱万丈の人生を送った
人たちが淡々と書き込んでいた。
自分の過去を振り返り、年表形式を基本としつつも、ときおり私情を挟み、
誰かに伝えるような形で、ぶっちゃけ「日本一短い家族への手紙」みたいな
主旨のスレッドだった。

オカルト板にも行ったか? あそこでは「心霊ちょっといい話」スレッドが
立ってるよな。いい話ばっかだよな。泣けるよな。でもほんわかしてくるよな。

この2つのスレッドで、自称編集者がレスをまとめて本にしたいと言ってきた
ことがある。
この書き込みに対する意見は見事に分かれたよ。ほら。
http://piza.2ch.net/occult/kako/986/986954470.html

627 : :01/10/17 21:46 ID:jd3bPtDZ
家庭板にも
名物ライターが2、3人いたみたいだね

んで、編集者が その人に 実際にかいてくれ
っていってたみたい。
「突然ドキュソが身内になったら」ってやつかな

もはや 2ちゃんねるは日本を代表するBBSなんだから
天才や名人がたくさんいても当然なんだけどね

628 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 22:19 ID:4V9+GVce
母のひざの上に頭をのせて耳掃除をしてもらったな。
エプロンに顔をつけると母の匂いがして安心できた。
八年前に他界してから、病院での苦しそうな母の夢ばっかり
見てきたけど最近やっとそんなウレシ懐かしい夢も見れる
ようになってきたよ・・・。

629 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 22:31 ID:TGv8uU80
おかあさ〜〜〜んあげ

630 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 23:06 ID:wvop+PRV
別スレでも書き込んだんだけど
イギリス留学中に母が会いに来た。
いろいろと問題を抱えていた私は
アレが見たい、ここに行きたいとはしゃぐ母に
対しむかついて、ロンドンの真ん中に置き去りにしてしまった。
あれから何年も経ってるけど、このことを思い出すたびに
自己嫌悪で涙が出てくる(今も泣きながら書き込んでる)。
私のバカ。お母さんごめんなさい。絶対親孝行するからね。

631 :おさかなくわえた名無しさん :01/10/17 23:17 ID:yPVR9g5M
ここ、涙なしではよめないね。

ってんで、うちの母の話。
上京して何年か働いて、ある男と同棲して
そいつが何だかとんでもない奴で、実家に戻ったわたし。
ストレスやらなんやらで体に湿疹ができてしまい、「まったく!あんたって娘は!」
って言いながらも、皮膚にいい温泉を聞いてきては連れていってくれた母。
早くに父を亡くし、女手一つで私たち4人を育ててくれて。
結婚するまで末っ子で一番迷惑かけて、一番けんかしたけど、
今では「あんたの事は、もう安心して見ていられるよ」っていってくれて。

今は実家で猫と生活してる母。
まだ、現役バリバリで仕事してるけど、やっぱり年取ったって思う。
ずっと、安心させてあげなきゃな・・・。

632 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 23:26 ID:ZmMTcEdY
人間って災害や不慮の事故で死ぬ間際って、ほとんどの人が「お母さんっ!」って
叫んだり思ったりするんだって。
それだけ母親っていうのは、偉大なんだよね。
もちろん父親だってそうだけど、私達はみんな母親から産まれてきたんだもの。
母親が恋しくて当然なんだろうね。
そんな私もお母さんが大好きな一人です。

633 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 23:33 ID:8p0LYmSf
静かな音楽かけながらここのスレ見てると、
涙がポロポロ出てくる。
親孝行について、改めて考えさせられるよ。
2ちゃんも捨てたもんじゃないね。

634 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/17 23:42 ID:8nbXZae1
中学生の時、ものすごく反抗期だった私は
母と殴り合いのけんかもしたし
ものすごい暴言も吐きまくった。
でも、
中2の時に起こった阪神大震災の時、
母は私の上に覆いかぶさって
私を守ろうとしてくれた。
幸い家族はみんな無事だったからよかったけど
今もあのときのことを思い出すと泣ける。

635 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/18 10:59 ID:tpwc5Lzg
母は子供の頃から貧乏で、働いて働いて、
結婚してからも、遊び人の親父のせいで
働いて働いて、、、。
家でも、座ってる母を見た事がない位、良く働く。
私は母が「働くのが好きな女」なんだと思ってた。
ある日、生年月日占いと言うのが雑誌に載っていて
戯れに「占ってやる」と母親に言った。
母親は働きながら聞いていた。
「いつでも"忙しい"と1人で言っている、ご苦労なヤツ」
と書いてあった。私は思わず爆笑してしまった。
でも聞いていた母親が突然泣いた。
すごいショックだった。
「この人、辛い事を全部、自分に封印して働き続けて
ここまで来たんだ」と初めて分かった。
親孝行しなくちゃと初めて思った。
私も、お母さんが少しは休めるよう頑張るよ。
身体だけは大事にしてください。

636 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/18 11:09 ID:wl2gTtOZ


     ( p_q)

637 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/18 12:23 ID:unkinN0s
>>626
どうせなら本スレも紹介しておきましょう
◆◇心霊ちょっといい話◇◆
http://piza.2ch.net/occult/kako/981/981981363.html

638 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/18 13:00 ID:KrlhnZnl
ココを読むとホローリじんわりとはするんだけど
どーしても自分の両親とか祖父母兄弟に
感謝愛情を持てない自分がウーツ
みんな私の分もシアワセあーんど親孝行
してください。

639 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/18 14:54 ID:K8vRkv0L
604だけど、思い出した。
母が死ぬ1週間前に入院してた時、かなり強いモルヒネ打たれてて
意識もうろう状態だったのね。
姉が結婚したばかりだったんだけど(姉は難病で結婚できて母はとても
喜んでた)旦那さんを連れてお見舞いに来た時、
寝てたのにいきなりベッドの上で正座して
「この子をお願いします、お願いします」って何度も言ったの。
どんな時でも親は親なんだなと思った。

自分も親孝行出来ずにすごく後悔したけど、子供が産まれた今
親より先に子供が死なない事が、一番の親孝行かなと思う。
健康でいてくれる事が一番なんじゃないかな。

640 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/18 15:02 ID:8RYi3LIy
>638
子供が出来たときには、良い思い出ができるような幸せな家族を築いてください

641 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/18 21:56 ID:taZllxbn
しかし いいスレだここ・・
一日に何度も読んで
うるうるしてます。 のage

642 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/19 09:15 ID:o9N8AE1S
>>640
638ですが多分子供産んで家庭築いてなんて
書いた通りの人間だから一生しません。

643 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/19 10:10 ID:YdMjW8BB
うちは父がどうしようもない人間だった。
いや、人間とも思えない最低の奴だった。
もしも母がいなければ、私は今どうなっていたかわからない。
多分まともな人間になっていなかったか、ひょっとしたら
父に殺されていたかもしれない。
母は4年前に亡くなっている。ガンだった。
母が亡くなるまでは、母はそこにいて当たり前の存在で、
母の偉大さやありがたさが全くわからなかった。
いちいち口うるさいなぁ…なんて思っていた。
だから親孝行なんてしなかった。
「子供」として、うちの母のような話のわからない
口うるさいおばさんにはなりたくないとまで思った。
結婚した今、主婦として母として完璧だった母のことが
いろいろ思い出される。そして母がいたからこそ今私が
こうしていられるんだってことがようやくわかった。
母を尊敬している。母のようになりたい…
そのことを母に言えないこと、母にお礼を言えないこと、
そして何一つ親孝行できなかったことが悔やまれてならない。
でも、母が今まだ生きていたら、素直にそう言うことを
母に言えるかはわからない。

644 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/19 11:26 ID:5UJkE1cD
>>643 スレ違いです。sage

645 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/20 11:31 ID:J2nrj/04
みんなで見ましょ
 age

646 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/20 22:54 ID:GT211bXr
オレの家族の情景は6畳の居間での夕食。
いつもオヤジが仏壇の前に座って黙って日本酒を飲んでる。にこにこしながら。
子供たち(オレと妹)とオフクロはその日の出来事をしゃべりながら飯を食う。
それを見ながら親父は日本酒をチューッと呑む。ヒョットコのような顔をして。
2合も飲んだら眠くなる。ウトウトしてると、オフクロがちゃぶ台の上を片付ける。
名残惜しそうに徳利を振り振り、残りを猪口に注ぎ込む。

好き嫌いを言わないオヤジ
晩飯がカレーライスのときはカレーのルーを舐め舐め、日本酒をチューッ
スパゲティの時はスパゲティをすすりながら、日本酒をチューッ
その情景がいまも強く残っている。

そのオヤジも2年前に死んだ。
オヤジの影響かオレも日本酒大好き。真似するわけじゃないが、
おれも毎晩日本酒をチューッと呑む。オヤジの形見の大き目の猪口で。
2合も呑むと眠くなるのも親父譲りか?
マリナーズのイチローの活躍を見ながら、最後の一杯を猪口にいれてウトウト。
気がつくと猪口が空になっている。あれ?呑んだっけ?
怪訝そうな顔してると、そばに寝そべっている高校生の息子が「やっぱイチローはスゲエなぁ」
とわざとらしくつぶやく。普段めったに口も聞かないやつが・・・
「呑んだなコイツ」と心でつぶやき、仏壇を見るとオヤジの写真も苦笑いしてるような気が。
「アンタの孫だよ。確かにコイツは」とオレも苦笑い。さあ寝るか。

647 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/20 23:39 ID:zhziRJJe
>>626
これか?私はこのスレが長くて読みきれていないが。
http://isweb20.infoseek.co.jp/computer/log_chan/company05.html

今はまだ私は独身で、両親も健在。
これといってあまり思い出もでてこない。ま、ホローリだ。
しかし5年後、10年後にこのスレを見てホローリで済んでいるかは
自信ない。
号泣してるかも。

648 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/21 01:02 ID:psrMT82v
>>637さん
リンクたどったら、こんなのまで読んでしまったではないか〜!(冷汗

洒落にならないくらい恐い話を集めてみない?
http://216.218.139.83/occult/kako/965/965152644.html

649 :執行猶予:01/10/21 01:04 ID:ugIiNgun
涙が出るじゃないか!!ゴルァ!!(涙)

650 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/21 02:27 ID:BWs2RKom
祖父は亡くなる半年前から、ずっと入院していて祖母が世話をしていた。
鼻と口と肛門にチュ−ブを入れていて、しゃべれない。
見舞いの歳に家族でその姿を見て涙した。
しかし、何か口を一生懸命動かしているのに気がついた
誰かの名前を繰り返しているので酸素マスクをはずしてあげると
「明美、明美。」とハッキリ言った(祖母の名前は純子なのに)
キョトンとしてる私たちをおいて、ばあさんは怒って病室を出ていった。
後から聞くと、明美さんというのは祖父の若い頃めちゃくちゃ
遊びまくってたころの浮気相手の名前だった・・・
それからすぐ逝ってしまわれたが、ばあさんは(元気です)いまだに
怒っている

651 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/21 02:31 ID:3jU/1YQE
高校時代、母親がいつも弁当に果物のデザートをつけてくれていて
グレープフルーツが2週間にいっぺんくらい入ってた。
しかもそれは母親が手で内側の皮までむいててくれてるもの。
そういう日はグレープフルーツをむいたイイ匂いの手で私を起こしに来て
「今日はデザート、グレープフルーツだよ〜」と私に手をかざす。
部活の朝練続きで眠くて眠くてたまらない日も、
それが「グレープフルーツの日」ならすっきり起きれた。
私は今もグレープフルーツが大好物。
もし私に子供が出来たら同じ事をしてあげようと思う。
今は一緒に住んでないけど、お母さん、毎日お弁当作ってくれてありがと。

652 :おさかなくわえた名無しさん :01/10/21 02:32 ID:5adEYMd1
おとうさん、おかあさん、ごめんなさい
ここよんでたら、なんかしらんが誤りたくなったよ

653 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/21 03:47 ID:HMB4Fdg2
誤ってはいけない。
謝りなさい。

654 :キャラメル:01/10/21 03:48 ID:dWP29E5y
仕事が忙しく、ほとんど家庭を顧みなかった父。いつも暖かかった母。
父はいつも眉間にしわを寄せていて、一緒の部屋にいるだけでも緊張した。
もちろん会話もない。なにを話していいのかわからなかった。
自営だったので家族で出かけることもなく、夏休みも冬休みもどこにも行ったことがなかった。
そんな両親も年老いてきて、今では笑いの絶えない家庭になっている。
2年前、26歳にして初めて親元(関西)を離れ上京。一人暮しを始めた。
「なにも東京に行くことはないのに」と母。
「お前が一人で食っていけるわけがない」と父。
出発の日、父はテレビを見ていた。母はバス停まで送ってくれた。
バスに乗り後ろを振り向くと、母が手を振ってくれていた。私の姿が見えなくなるまで。
駅に着くと携帯が鳴った。父からだった。「頑張れよ」と涙声で一言だけ。
人がいっぱいいる中で泣きそうになった。
それから数年後、恥ずかしながら私は自己破産をしてしまった。
両親に話すと「だから言わんこっちゃない!」と父に怒られた。
「一度、帰っておいで」と母に言われ、実家に帰った。
自己破産のことは何も聞かれなかったが、父と二人きりになったとき、
「またゼロからやり直せばいい。お前はまだ若いんだ。いくらでもやり直しが出来る」と
言われ、泣きそうになったので「うん」としか言えなかった。
東京に帰るとき、また母がバス停でずっと手を振ってくれた。
それから週に一度は必ず父が電話をくれる。「元気にやってるか?」と。
父が定年を迎えた今年、久しぶりに帰省した。
「もうすぐ寒くなるから」と父がトレーナーを買ってくれていた。
「ろくなもの食べてないんでしょう」と母が煮物を作ってくれていた。
たしかに、東京での私の食生活はカップラーメンはほとんどだ。
偶然、父の日記を発見し、ちょっと覗いてみると
「○○(私の名前)から定年祝いが届いた。一生の宝物だ」の文字が。
電話では「あんなものいらねぇよ」と言っていたけど、こう思っていてくれたことが嬉しかった。
東京へ帰る日、「いつでも帰って来い。ここはお前の家だ」と父が言ってくれ、
「愚痴でも何でもいいから何かあったら電話してきなさい」と母が言ってくれた。
そして母はいつものように、私の姿が見えなくなるまでバス停で手を振ってくれた。
今の私の目標は、両親を二人揃って旅行に連れていってあげること。
上京して初めてわかったこと。“親って偉大だね”。

655 :おさかなくわえた名無しさん :01/10/21 12:52 ID:z8/gdmKS
age

656 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/21 16:57 ID:S11jnW3B
主婦になって判ったのは、炊事や色々でめちゃめちゃ手荒れするってこと。
そんな手で>>651さんのお母さんはグレープフルーツを手で剥いてくれたなんて…
しみて痛いこともあっただろうに、651さんの笑顔が見たくて剥いてくれたんだろうね。

果物つながりで私の母の話。
朝早く仕事に出かけて、帰ってくるとすぐ晩ご飯の仕度。
疲れてるだろうに休むことなく家事をこなしていた母。
冬になるとこたつに入りながらいらない広告紙の上で柿を剥いてくれた。
美味しかったなぁ…
私の手も、だんだん母の手に似てきました。

657 :貧乏:01/10/21 20:41 ID:br0qFIUi
自己破産すんな

658 :ナナシ:01/10/21 22:12 ID:6WarinaX
このスレ読んで急に親と接触したくなって
夕飯を食べに釜飯屋に両親と3人で行った。

それぞれ別の釜飯を頼んで3人でお茶碗をまわしながら食べた。
母親は自分の分をガンガン勧めてきて大変だったが
この何気ない時間が幸せなんだなぁと思った。

659 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/21 22:15 ID:VKBinacT
高校入試の時。
朝、試験に行く前に姉から手紙をもらった。
「○○ちゃん。大丈夫!落ち着いて頑張って!!etc...」
一日がかりの試験だったので弁当持参。
お昼にお弁当を食べようと空けた時弁当箱の上に白い紙切れが…
??と思って開いたら母からの手紙が。
「○○ちゃん。お疲れ様。後一息!落ち着いて頑張って!!etc...」
当時はそれほど思わなかったけど今思い出してうるうるきた。。

660 :おさかなくわえた名無しさん :01/10/21 22:26 ID:HxAVHHNG
ええ姉ちゃんやのう・・・。受かったのか?

661 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/21 22:38 ID:VKBinacT
>660
無事に合格しました。
母ちゃん、姉ちゃん、ついでに父ちゃん?ありがとう。

662 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/21 23:39 ID:9ISIHrYY
生活全般板初書き込みです。曽祖母の話。

ひいばあちゃんの母親は宗教狂いで、家庭のことはほったらかしだった。
病気になったときも病院に連れて行ってくれずにただただその宗教の
本尊に祈るばかりだったためひいばあちゃんの体には後遺症が残った。
そういうわけでひいばあちゃんは母親の両親に引き取られた。
でもあまり愛情を受けて育ったわけではないとひいばあちゃんは言っていた。
当然、ひいばあちゃんは自分を捨てた母親を恨んでいた。

ある日、ひいばあちゃんは私の母(ひいばあちゃんから見て孫に当たる)に
「わしな、もう母親のこと許したろと思うねん。
長いあいだ恨んできたけどな、もうええねん」
とポツリと語った。その数週間後、ひいばあちゃんは急死した。

あまり話をする機会のなかったひいばあちゃんだったけど、
自分の母親を恨みながら死んでいったんじゃないんだなーと思うとなんだか泣けた。
明治生まれのひいばあちゃん、もっと色んな話しとけば良かった。

663 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 00:02 ID:qBv7EXWS
このスレ見てると、親に何かしてあげたくなるなあ。。
同居中で今は近くにいて、元気なのが当たり前で
憎まれ口とかたたくけど。。。
でも照れくさくて、いざとなると何もできん(爆)
両親の好きなハ−ゲンダッツでも買って
さりげ〜に置くぐらいしかできん、スマン

664 :キャラメル:01/10/22 01:44 ID:nMDy8JGf
>663
そうなんですよね〜。
一緒に住んでると「いて当たり前」みたいに思っちゃう。
芸能人(名前忘れた)の母親が亡くなったときに言ってたコメントで
「人間いつかは死ぬことはわかってるけど、
自分の親だけは死なないものだと思ってた」というのを聞いて、
深く同感しました。
一緒に住んでたときは照れくさかったから面と向かって「ありがとう」とか言えなかったけど、
離れて住んでる今は素直に「ありがとう」とか「寒くなるから体に気をつけてね」って
言えるようになりました。

665 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 02:02 ID:TksVfZnW
祖父に、私が1歳の頃に亡くなった祖母のことを「どんな人だった?」と聞いた。
そしたら手帳に挟んだ写真を取り出し、遠い目で「優しくて明るくて素敵な人だった。
生まれ変わったらまた出会いたいな」と・・・
80過ぎたおじーちゃんがそんなこと言うなんて・・・とウルウルした。

666 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 02:15 ID:SeTlqONl
>人間いつかは死ぬことはわかってるけど、
>自分の親だけは死なないものだと思ってた

やばい・・・泣けちゃった・・・。

667 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 02:18 ID:qBv7EXWS
18歳の時、初めて無断外泊。
朝方家に帰ると両親は一睡もせず目を真っ赤にして待っていた・・・
泣きながら
「夜の街をふらふら遊び歩いてヤクザに捕まり言葉巧みに
暴力団の事務所に連れ込まれ強姦された後無理やり覚せい剤を
うたれ意識もうろうとしたところを風俗に売り飛ばされたと・・」
と思いこみ警察に捜索願い出す寸前だったと。

・・・・・・あんたらなあ・・・

668 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 02:20 ID:BxLCIZOu
ほんと、私も親孝行出来る事ならしたいです。
うちは父も母も結構はやくに亡くしてるので
親御さんがお元気なだけで羨ましく思います。
別にものすごく仲良しだった訳ではなかったけど
やっぱりもっと色んな事聞いたり教わったり叱られたりしたかったです。
私は20代の女ですが、友達とかには
「親御さんがご健在なうちに出来ることいっぱいしておきな」って言ってます。
私は、料理を教わったり、大人になってからの仕来たりを教わったり
両親の詳しいなれ初めとか、結婚する前の恋の話を聞いたり
もちろん親孝行、子供の顔も見せたかったし・・・etc
聞いておきたかった事、しておきたかった事いっぱいあります。
実際、うちの親が生きていても恥ずかしかったりして
出来ない事もあるかもしれないけど
ご両親がご健在の方には後悔して欲しくないって思います。

669 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 02:50 ID:XJSHn0zZ
ここを読んで、私も両親の愛情のおかげで今があるんだなぁ、と
改めて実感しています。

私はどうゆうわけか幼少の頃から両親が自分より先に死ぬことを
異常に意識していて、毎晩寝る前に神様にお祈りしていました。
無宗教なんだけどね。
「パパとママと妹とおじいちゃんとおばあちゃんが私よりも長生きしますように。
痛い思いをしませんように。死んだり痛い思いをする時は自分が代わりますから
お願いします。」ってなかんじで。
家族が死ぬことが一番の恐怖だったから毎晩祈りながらビビッて泣いてました。
思い出って罪だよなぁ、と幼稚園児の頃から感じていました。

親孝行、照れてる場合じゃないですよね。
家族に対する愛情は伝わってるかもしれないけど、心配かけたり
迷惑かけたりするのをやめよう・・・

以上、独り言でした。

670 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 03:33 ID:iVRNwkcy
小学生の娘の子育て真っ最中の姉の言葉。
「子供って、生まれてから5歳くらいまでの間に、一生分の
親孝行をしてくれてるんだよね」

なので、今、親孝行できなくてとか、親が好きになれなくて
とか、いっさい悩む必要は無いんだな、と。
ありがとう。姉ちゃん。

671 :キャラメル:01/10/22 03:53 ID:nMDy8JGf
親孝行で思い出したことがあったので。

20歳のときに幼なじみが乳がんで亡くなったんだけど、
葬式に行ったとき、彼女のお母さんと話してると、
「親はね、子供が元気でいる姿を見るのが一番嬉しいの。生き甲斐なんだよ。
あとね、子供が親より先に死なないというのが一番の親孝行なんだよ」と
涙ながらに話してくれたことがありました。

672 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 04:14 ID:HBQKdvPu
>665
いい話だね。

673 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 07:39 ID:5RThzvIH
>667
不謹慎かもしれないけど笑った(w
かわいい&想像力豊かなご両親だね!
きっと「うちの子はそんな事でもないかぎり無断外泊なんかするわけない!」と
思ってたんだよ〜
心配させちゃダメよ〜(w

674 :おさかなくわえた名無しさん :01/10/22 08:14 ID:Ef8IapoP
大学に合格して一人暮らしを始める為に実家を離れる事になった時の事。
父は仕事一筋で家庭を顧み無い人、母も口五月蝿くてしょっちゅう
口喧嘩をしていたので家から出られる事が嬉しかった。
引越し当日、父と母と私で父の運転する車で下宿先のアパートへ向かった。
車中、母はきちんと勉強しろだの三食食べろ、夜更かしするな等
何時もの様に言ってきたので「ウザい」と思いつつ聞流してた。
そんな時、カーラジオからさだまさしの「案山子」が流れた。
今まで五月蝿かった母は黙り俯いている。
助手席のバックミラーを見ると母はハンカチで目を押さえていた。
父もハンドルを握る手が些か震えていた気がした。

この光景を思い出すたびに泣けてくる。

675 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 11:13 ID:aKkY2IDG
全然スレ違いかもしれませんがごめんなさい。
自分の話ではないんだけど。

仕事・名誉のためには、女も家庭も犠牲にするような、
世間で言う、ろくでもない男(既婚者)とつきあってました。
口癖は「子供ができていなかったら、絶対結婚していなかった。」
私は勝手に、若い頃衝動的な行為をしたために、しかたなく責任をとっている
ドライな人だと思っていました。

ある日、昔つきあった女に脅されているということを聞きました。
「嫁と別れてほしい、さもなければ子供にとんでもないことをするぞ」と。
私は思いました。はっきり言って自業自得。この人だったら、
できるもんならやってみろ、というのだろう、と。

その後、嫁に全部うちあけたそうです。別れるんなら別れてくれと。
私 「どうしてそんなことするの。自分の不始末なんだから
   隠し通すのが嫁さんに対する礼儀じゃないの。」

彼 「・・・・おれが一番大切なのは、子供たちだ。
   あいつらだけは、守らなければならない。どんなことをしても。
   もし、何かしてみろ、おれは、相手を刺しに行く。
   ・・・・おまえが、なんで泣いてる?」

この人からそんな言葉が出てくるとは思っていませんでした。
こんな人でも、子供のことは愛してるんだ・・・・

676 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 11:14 ID:V/0DSxid
その次の日です、小学校児童殺傷事件があったのは。

私の周りの子どもを持つ親は、
どんないいかげんそうに見える人でも、
どんな遊びまくっている人でも、
一般的に、子供が嫌いという人も、
聞いた人全員、即答で

「自分の子供があんなこと(事件のような)されたら?
もちろん犯人を刺しにいくに決まってるやないか。」

と答えていました。

私も親に、かわいがられて育っていませんが、
自分が親になるまで、親の気持ちというものはわからないのかもなあ、と
思いました。

なにがいいたかったのかわからない上、長文スマソです。

677 : :01/10/22 11:22 ID:UyJCd1rf
なにがいいたいのか わからんが、要するに
676は不倫を正当化してるってことか?

すれ違い 逝け

678 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 11:35 ID:wd3DLAqn
ドラえもん「のび太の結婚前夜」と
「おばあちゃんの思い出」って定番だよね。
柴田理恵が号泣してたの見て
「そうだろ、そうだろ」と思った。
「元気にしてるだけで親孝行」なんて切な過ぎる。

679 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 11:48 ID:evl3WRsK
>675さんは単に不倫相手に騙されてる気がする。
子供達は守らなきゃいけないって、不倫してる人間の言う事か?
なんか口先だけって感じ。

680 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 12:50 ID:aKkY2IDG
>677
いいえ、そんなこといってません。
ろくでもない男でも、子どものことは大切なんだなって
思ったことを言いたかっただけ。
自分の親が最低な人間でも、本心では大切に思ってるんだね、と
思ったから。
仰せの通り逝ってきます。

681 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/22 17:44 ID:gHIb/1NY
>>679
禿胴。
まるでソープランド行って、抜くだけ抜いてソープ嬢に説教こいてるオヤジだな。

682 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/23 00:57 ID:HaqBcj8+
>677
ちょっと・・
このスレは2ちゃんで一番ホッとできる数少ない癒し系なのに。
不倫相手が子供を思う気持ちとか、そ-ゆうのは別の板があると
思うのでやめてくれないかなあ。。
っていうかさ、貴方自分の今のやっている不倫について
あなた自身のご両親がどう感じるかをまず考えてみては?

683 :682:01/10/23 01:00 ID:HaqBcj8+
>680の間違いスマン

684 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/23 01:11 ID:kDWGPhxS
680は「つきあってました」て過去形じゃんね。
もう反省したから書いてんだろうよ。放置しろよ。
あんたもネンチャックだな。

685 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/23 01:12 ID:WQtM4o2K
まあまあ。逝ったんだから、もういいでしょう。
お口直しに次の方!!

686 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/24 00:07 ID:G9x6iYqx
それでは大好きだった、私の祖母の話を・・・

私が高校を卒業をした年の冬、祖母が風邪をこじらせ肺炎になり入院しました。
父に覚悟をしておけと言われ、初めて身内の死を意識するようになりました。
当時就職もせずプーだった私は、毎日病院へ行き、祖母の入れ歯を洗ったり
ポータブルトイレの中をトイレへ捨てに行ったり、身の回りの事をしました。
最初は大部屋で、少し時間はかかるけど退院できるだろうと思っていました。
しかし、田舎なので入院すると早くお見舞いに行かなければならないという
風潮があり、ご近所の方々が入れ替わり立ち代り来て下さいました。
祖母は顔が広く、本当に沢山の方が一挙にお見舞いに来られ
その度に祖母は、入院までの経緯や世間話などをし、お見舞いに来られた方が
帰られる頃にはいつも体力を使い果たし、ぐったりしていました。
私は「しんどいんやったら、無理して喋ったらアカンよ」と言ったのですが
祖母は「せっかく、お見舞いに来てくれはったんやから・・・」と。
目に見えて毎日少しづつ衰えていく祖母・・・
祖母の為にお見舞いに来て頂いているのですが、正直迷惑でした。

ある日、昼食を終えて、同じ部屋の方々と雑談している時
祖母がおかしな事を言い始めました。
「今・・畑仕事・・して・・・休憩・・・する・・わ」そのまま意識を無くし
心停止に陥ってしまいました。私はただ泣き喚くばかり・・・
すぐさま個室に移され、なんとか蘇生する事が出来ました。
しかし意識はなく、管だらけになってしまいました。
昏睡状態が続き、口も開けっ放しになっていた為
口の中の水分が無くなり皮が剥けてしまったので、数分毎に
ガーゼに水を含ませ、口を湿らせてあげました。幸い、付き添い可の
病院でしたので夜中も寝ずに見守りました。傍にいないと不安で・・・

奇跡は3日後に起きました。みんなが呼びかけると、目を開けようと
必死に頑張っているのです!そして、お腹に力の入らない弱々しい声で
一生懸命私に体を起こしてくれと言うのです。
当然、体を起こしてあげる事ができず、私は「ごめんね」しか言えません・・・
でも、嬉しかった。最初に私の名前を呼んで、私を頼ってくれた事が。
それから、なんとか流動食が食べられるまで回復し
私が小さな頃から、家でいつも祖母と一緒に食べていたプリンを
食べたり出来るようになりました。祖母は美味しいと言って食べてくれました。

しかし運命の日は、またやって来ました。
その日、朝から病院へ行くと、いつもとは違う異常な苦しみ方をしている祖母。
あまりの苦しがりように、薬がきつく、一日一本しか打てない注射を打っても
一向に良くならず、看護婦さんに来ていただいたその場で
また祖母は意識を無くし、今度はそのまま帰って来てくれませんでした・・・

初めて経験した身内の死・・・両親は私が小さな頃から共働きで
ずっと祖母に面倒をみて貰っていて、祖母が大好きでした。
その祖母の死がすごくショックで、しばらく事実を受け入れる事が
出来ず、毎日泣いてばかりいました。
入院中、私に「いい人にお嫁に貰ってもらいや」と言っていた祖母。
今、私も24歳になり彼氏が出来、日取りは決まっていませんが
結婚の約束をしています。花嫁姿も孫の顔も見せてあげられなかったけど
祖母が見守ってくれていると信じて、幸せになろうと思います。

687 :686:01/10/24 00:10 ID:G9x6iYqx
長文スマソ・・・

688 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/24 09:56 ID:dhapQYPu
>686
幸せになってね。

689 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/24 15:06 ID:UicwLi/D
学生時代完全に遊び呆けてて、家に帰るのは週に1回あるかないかでした。
家に帰れば「どこ行ってたの!」「何考えてるんだ!」と、両親から怒鳴られ、
いい加減自由にさせろ!と、私も怒鳴り返してました。

弟に聞いた話ですが、お母さんとお父さんは、毎晩毎晩、1晩も欠か
さず、ベランダで、何時間も外を見ながら「○○(私の名前)、今夜は帰って
くるかもね」と話しながら、待っていたそうです。
ブーツの足音がすると二人でハッとして、ベランダから乗り出して、私を待っ
ていてくれたそうです。

それを聞いて、いい加減帰るか・・・と、半年ぶりに家に帰ると。
真冬に毎晩何時間も立ちっぱなしでベランダにいた母は、とうとう神経痛
とヘルニアが祟ってしまい、杖なしでは歩けない状態になっていました。
まだ50歳前なのに、杖の生活になってしまいました。

母には、いくら謝っても謝りきれない。
最愛の妻をこんな風にされた、父にも謝りきれない。

今、結婚して、実家の隣に住み、夫婦で母の生活をサポートしてます。
父は元気に仕事をしていて、母は「杖あったって、こんなに私は幸せよ」
と言いながら、一緒に夕飯の買い物に付き合ってくれます。
結婚しても私の家族。時間が止まって欲しいくらい、幸せになりました。
両親が幸せ、って言ってくれるのが、私の幸せになりました。

690 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/24 15:51 ID:iGwFw5kj
ちょっとマジやばい!!
大号泣あげ!

691 :長文スマソ:01/10/24 18:59 ID:NoukReO9
こういうスレを読むと、私が中3の時に亡くなった母方の祖母を思い出す。

反抗期真っ盛りで、両親からも父方の祖母からも怒られてばかりだった私。
でも、母方の祖母はいつも何も言わなかった。
母から私の態度も聞いていたはずなのに。
なにも言わない所か、たまに会うと両親の私に対する愚痴からかばってくれた。

その祖母が体調を崩して入院した時、私は1度しかお見舞いに行かなかった。
そのまま祖母は病院で亡くなった。膵臓癌だったらしい。
お通夜には行けなかった。お葬式にも行きたくなかった。
小さい頃、働いていた母の代わりに、いつも私を見てくれていた
祖母の死を、確認するのが怖かった。
お通夜に行かないという私を、父が「わがままだ」と泣きながら叱った。
『おばあちゃんが死んだのを確認したくないから行かない』とは言えなかった。
お通夜の夜、家でひとりでたくさん泣いた。
もっと優しくすればよかった、もっと会いに行けばよかった。
いくら後悔してももう戻れない。

しばらくして、母から1冊の日記帳を渡された。
祖母がずっと書いていた日記だった。
12人もいた孫の中で、私の名前が一番多く出てきた。
『●●が高校に合格しますように』
『●●は、本当はとてもいい子。』
『かわいい●●ちゃん、●●ちゃんがいてくれて嬉しい。ありがとう』
毎日のように出てくる私の名前に、初めて自分がどんなに心配をかけていたか知った。
おばあちゃん、何も言わなかったから、わからなかった。
本当に子供だった自分を、心から情けないと思った。
過去に戻れるなら、その日記を14歳の私に突き付けてやりたいと思った。
今でもお見舞いに行かなかった事を、死ぬほど後悔している。

おばあちゃん、私ももう大人になったよ。
結婚はまだできそうにもないけど、がんばって働いてるよ。
だからあまり心配しないで。
おばあちゃんにできなかった分、お父さんとお母さん、
もう一人のおばあちゃんを大事にする。がんばるからね。

692 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/24 21:27 ID:HVNkkFtH
厳密に言うと、思い出とは言えないかもしれないけど。

2年前、小さい頃から面倒を見てくれた祖母が3ヶ月の入院の末、
他界した。
覚悟していたけど悲しくて悲しくて、
夢で出てきてくれるのをずっと待ってた。
亡くなって10日くらいたった後、
おばあちゃんが私の部屋で座ってテレビを見てる夢を見た。
夢の中で私はベットで横になっていたけど、
すぐ飛び上がっておばあちゃんに抱きついた。
夢だとはっきり分かってたけど、「来てくれた!」と思って
嬉しくて仕方なかった。
夢の中で二言三言話して目が覚めた。
目が覚めてから涙が止めどなく流れた。
普段は夢の中で触感を感じることはないのに、あの夢の中で
おばあちゃんが着てた定番の毛糸のベストの感触ははっきり感じた。

あの時だけは、本当におばあちゃんが来てくれたのだと信じてる。
私にとっての、おばあちゃんとの最後の思い出。

693 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/24 21:40 ID:KqbRo3Br
私が関係した思い出ではないけれど、じーちゃんばーちゃんの話。
うちのじーちゃんもばーちゃんも日本人じゃなく、
じーちゃんは腕に刺青の入っているような強面オーストラリア人。
幼い頃はただ単に怖い人っていうイメージしかなかった。
そのじーちゃんが末期癌でもう、息を引き取るっていう時に、
「Ria,I Love You」
ってばーちゃんの名前を呼んだそうだ。

それを聞いてもうなんだか泣けて泣けて。
もっとじーちゃんと仲良くしておけばよかったなぁって後悔。

あと。こういう台詞が決まる外人さんってイイなあとも。(w

694 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/25 19:31 ID:Ip6hwae3
一気に読んでもうた(泣

どうしようもないほど親に迷惑かけて生きてきた俺が、
やっと所帯を持ったとき、思わず
「これからは親孝行せなあかんな・・・」
と両親にもらすと、こう言われた。
「何言うとんねん、おまえは生まれてきたことが親孝行や」
って。

なんでやねん、それ? と思とったけど、
俺の子どもが無事生まれてきて、
ちゃんと成長しているのを見たとき、
親が言った言葉の意味がやっとわかったよ。

695 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/25 19:41 ID:6K0SiIvh
父には突発的な暴力を、母親からは精神的虐待を受けて育ったけれど、
ひとつだけ、それを支えに頑張ってきた思い出がある。

それは、私が小学校4年生だったとき、軽いいじめをされて、
登校拒否をしたとき、母親は泣きながら学校に行きたくないという私の話を聞いて、
なぜ行きたくないのかなど余計な質問をせずに、ただ一緒に泣いてくれた。
問題の多い母だったけれど、その後も虐待されつづけたけれど、
あのときの母親との思い出だけを頼りに、家を出るまで頑張った。

その実家とも、縁を切って3年。同じ市内に住んでいるので、
そろそろ、連絡とってみようかなあと思っている。
一生会うものかと思ってきたけれど、ふと、夫の親に孝行していると、
実家の親にもしたいなあと思うことが増えてきた。
親も老いて丸くなっただろうし、何よりも、自分のキャパシティが広がった自信がある。
2週間ほど前、子供の運動会の写真を同封して手紙を書いて、投函した。
返事はないけれど、近々、会いにゆこうかと思っている。

696 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/26 01:57 ID:JT/0TgIk
父が母と二人で寿司屋に行った時。
父が板さんに「娘と上手く喋れない。どうすればいいのかわからない」
って酔っ払いながら話していたと母から聞いて泣きそうになった。
いい加減いい年だし、優しくしたいと思うのだけど。
いざ父親の前に出ると乱暴な言い方しか出来なくなる。
そんな24才の秋。ウトゥ。

697 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/26 01:59 ID:baMfM7CE
>>696
私も24歳の秋だけど、
優しくしたいしたいと思ってるうちにお父さんころっと死んじゃった。
せめてあなたは優しくしてあげて。

698 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/26 13:50 ID:ySh807TK
中学に入り父が妙にキライで会話をしなかった頃。
何かにつけて私に手紙を書いてくれたのに、ずっと無視しつづけた。
私が就職して実家を離れて父の入院でようやく関係を修復できた気がする。
年末帰省してたまたま母が留守をしていて、めんどくさいや、と母のベッドで
寝てしまった。
ウチの父は魚市場で勤務してるからいつも朝3時出勤。父は私の布団を
掛け直して出勤の準備を始めた。
私はベット中で父の準備する様子を聞いているうちに、なんか泣けてきてしまった。
父は何年もこうやって寒い日も毎日、私たちのためにこうやって働いてくれてたんだ。
仕事や病気で辛い日もあったはずなのに一度もグチなんて聞いたことなかった。
自分も働いてやっと父が理解できたと思う。突然泣き出した私に驚いた父だったけど
何か感じたのか、お前もがんばってるもんな、と頭をなでてくれた。他人が聞くと
どうってことのない話しだけど、親不幸な私がやっと親のありがたみを感じた出来事
だった。普段会わないから、たまに会うと病気が進行したのが分かる。
もう無理はさせないで、親孝行してあげたい。来週帰るからね。

699 :696:01/10/26 22:47 ID:SGFn3XoH
>697
うん…。ありがとう(TдT)

698の話を読んでてまたホロッとなった。
いいスレだ。

700 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/26 23:05 ID:L2uLYKa9
うちのおじいちゃん、最近痴呆が進んで
よく電波受信しちゃってるんだけど(w
たまに症状がおさまってる時に実家に帰ると
「ええ人にもろてもらわいえ(いい人にお嫁に貰ってもらいなさい。の意)
と言ってくれます。昔から口数が多い人ではなかったので
言葉で愛情表現された記憶がなかったけれど
あぁ、私の事思ってくれてるんだなぁと感じる・・・(涙

701 :700:01/10/26 23:24 ID:L2uLYKa9
続けて・・・

今は彼氏と同棲していて、実家を離れているけれど
たまに帰ると、本当に家族に愛されているんだと実感する・・・
具体的にどこで感じるか?って聞かれると
ハッキリは答えられないけれど(w
車に乗ってるので、暗いから気を付けろスピード出すな
雨が降ってたら、滑るから気を付けろだの
言われなくても解ってるって!!!!って事を帰る度言われる。
きっと10代の頃なら口うるさいだけに聞こえてたんだろうけど
今は、心配で心配で言わずにはいられないんだろうなぁと
理解できるようになった(w
他愛もない言葉の中にギッシリと愛が詰まってるというか・・
昔なら聞き流していた言葉が胸に染み込んでくる。

702 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/26 23:31 ID:FnD5eJJw
いいスレだねえ・・・しみじみ・・・。
私もひとつ書いてもいい?

私は父親っ子だったの。両親の大反対を若さで突っ切り、22歳で
結婚して数年たった頃、あれだけ反対してた父が「孫の顔が見たい」
というようになった。ちょうど私も欲しくなっていたんだけど、なか
なかできなかった。

父はもともと高血圧で、病院嫌いの人だったから、ツアコンやってた
私はあちこちの観光地で、血圧に良い物産品とか本とか見つけると、
いつも買ってきてた。
ある日仕事から帰宅すると、父の友人から電話で「父が突然倒れて
救急車で運ばれた」と。どうやって病院まで運転したかも覚えてない
位動揺してたけど、駆けつけた時は既に意識がなかった。脳内出血
だった。降圧剤を飲み忘れたらしかった。医師も手の施し様がなく、
そのままICUに入ったままだった。父は友人と車に乗っていた時に
朦朧となったらしく、最後の言葉は「家に帰りたい」だったらしい。
それから家族で交代で病院に泊まり、看病していた。数日して私が
看病の番になり、父のそばにいると、なぜだか「私は妊娠してる」と
ふと思い(生理が遅れていたわけでもないのに、本当になぜか・・)
、意識のない父の手を私のおなかに当ててあげた。
翌朝廊下で目を覚ますと、看護婦さんが呼びに来て、父の心臓が止まった
と。どうしても家族にみとってもらいたくて、薬で心臓だけ動かして
もらい、急いで駆けつけた家族にみとられて、父は亡くなりました。

父の49日が近くなった頃、私が妊娠していることがわかりました。
そして、予定日は、父の誕生日でした。
結局予定日とズレて誕生しましたが(苦笑)、出産を終えて退院して
すぐに仏前に報告しながら、一人でおんおん泣きました。
・・・その子も今年9歳になりました。
もっと親孝行すればよかった・・・孫を見てほしかった。抱っこして
ほしかったなって思います。

703 :ここで一句:01/10/27 01:53 ID:wAz8xiQB

「いつまでも、あると思うな、親と金」

歌丸です。

704 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/27 02:15 ID:zFI/d1BX
10年前に他界した、曽じいちゃんとの思い出。

物心ついた時から寝たきりで、しかも数年に一度しか会わない曽祖父は、
子供にしたら、ベッドの付属品くらいの意識しかなかった。
泊りに行くと、いつも曾じいちゃんの部屋で私と弟は遊んでいた。
曾じいちゃんは目が覚めると何時も、遊んでいる私達を枕元に呼んで、
佐久間の缶ドロップから「はっか」をくれた。
色んな味があるのに、いつもハッカを選んで・・・・。
私はあまりハッカが好きではなかったが、外面のいいこだったので
お礼を言って食べていた。

大人になって気付いた。
曾じいちゃんはきっと、一番はっかが大好きだったんだ。
自分が一番美味しいと思うものを、曾孫の私達にくれていたんだ。
とっても愛しいと思っていてくれたんだ・・・・と。
気付くのが遅かったけど、大切な記憶です。

705 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/27 02:19 ID:zFI/d1BX
704
家族・・・じゃないから、ちょいスレ違いかな(^^;
なんか思い出して泣きながら書いたら、文章変だし。
すんません。

706 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/27 03:17 ID:XMFsHBa4
妹は小さい頃から、難しい子供で考えすぎる傾向にあった。

ある時「死」という概念にとらわれすぎてパニックになり
泣きながら「死ぬとどうなるの。燃やされるとどうなるの。」と
パニック状態になってた時、父親が
「お前が死んだら、すぐに俺も死ぬから大丈夫だ」
と妹を抱きしめていた。親って大変だなと思った。

今、自分も親となり、ようやく親の有難さが分かってきた。
ここ読んだら、早く親孝行しなくちゃと思ったよ。

707 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/27 08:50 ID:pKUSHa/D
大学に合格して、田舎から東京に出てきた時の話。引っ越しから入学式までの1週間ぐらい、
ずっと母が一緒にいてくれた。で、入学式にも出席してもらい、
式の後は生徒だけのガイダンスがあったので母は帰っていった。(田舎にね)
その後ガイダンスも終わり部屋に帰ったら、ケーキの箱と置き手紙が。

「今から帰ります。入学祝いにケーキを買っておきました。これからひとりになって、
淋しいことや、つらいこともあるだろうけど頑張れ!自分の選んだ道だからへこたれるな。
何かあったら家に電話するように。 母より」

初めての一人暮らしの淋しさと不安に、この置き手紙とケーキはあったかすぎるよ母ちゃん!
…号泣しながらケーキを食べました。

708 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/27 19:33 ID:XC0T8/h0
小2くらいの時、幼稚園くらいから別居してた父が家に戻ってくることになった。
父には仕事ばっかりしていて休みの日は寝てる人、くらいの印象しかなかった。
その年父が帰ってきた年の夏、生まれてはじめて海水浴に行った。(勿論家族で)
オトウサンがいるとこんな楽しいことがあるのか、て思ったなぁ。

今思うと仕事ばっかりで全然あそべなかった罪滅ぼしだったのかな。
そんな父は最近不倫してまた離婚の危機。面白い人です。母はいい迷惑だろうけど。

709 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/29 00:45 ID:GXcY4KtY
このスレで涙した人や、思い切って
書き込みした人。
どうか、幸せで居て欲しいと思う。

きれい事みたいだけど、そしてここは2ちゃんだけど、
真面目に思った。しあわせでありますように。

710 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/29 02:17 ID:Ot8Yq2ML
ウチの親父は酒ばっか飲んでいつも家族に迷惑ばかりかけている。
そんな父が兄弟で大切に飼っている、熱帯魚を買ってきた。
何日か経って父が熱帯魚の水槽の水を替えている現場にでくわした。
その日、熱帯魚が大量虐殺されたすがたで発見された。
父が入れた水は除湿機の除湿後の水だったのだ。
父のやさしさと現実が交錯したその日私達は何も言うことが出来なかった。
そして父はあれからさらに酒が好きになったようだ。

711 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/29 02:54 ID:n78hcHBe
涙が・・止まりません。

712 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/29 02:59 ID:Nj4UMZJO
2CHで泣くとは思わなかった。

713 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/29 03:01 ID:grZ/5UE5
脳梗塞で倒れたが、幸い一命をとりとめたじーさん。
記憶に障害が出て、あらゆる事を忘れていた。
唯一、覚えていたのが孫の私とひ孫の名前。
しかも平仮名さえ覚束ないのに、漢字で名前を書いてくれた。
ちょっと、カンドー。

714 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/29 03:49 ID:ZVlXiygC
母方の祖父が無くなった時の事を思い出した。
祖父は早くに両親を無くし、男手一つで兄弟を育て上げた人。
他人にも自分にも厳しい人だった。
もちろん身内にも厳しくて、母が下の子を出産する時に、弟が祖父の家に3日ほど
預けられた。弟は甘えん坊で予防注射のときは泣きまくるし、
握り箸でご飯は食べるし、もうやり放題。
祖父はどうやったのか、たった3日の間に躾し直して弟を帰宅させた。
母はビックリしてた。私も幼稚園だったけど、よく覚えてる。
その祖父が肝臓ガンになった。
医者ももう長くは無いと判断したのだろう、そろそろ親しい人を呼んでください、
ということになった。
私は病院に駆けつけた。でも、祖父が亡くなるなんていう実感なかったし、
普段から厳しくて頑固な人だったから、少し近寄りがたかったし、
病気のせいか、少しボケて私の事を母と間違えるし、はっきり言って会うのが
億劫だった。
そんな祖父が私を見るなり、

「キレイになったなぁ〜!」

ビックリした。

おじいちゃん、楽しみにしてくれてた私の結婚式、間に合わなくてごめんね。
おばあちゃんには、きっと見せてあげるから。
私の結婚式見るまでは死ねない、って普段から言ってるし。(笑

715 :おさかなくわえた名無しさん :01/10/29 04:07 ID:bytovEoS
かなり、ホローリとさせられたけど
ネタも多くないか?なんとなく。

716 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/29 04:20 ID:Zna0F378
>>715
確かめようもないんだし、
ネタかどうかは自分の気持ち次第でいいんじゃないん?

ま、置いといて。

祖母が死ぬ1週間前に遊びに来た。
「あたしゃね、まだ走れるんだよ」と
外を走ったり、なんだか、はしゃいでいるようだった。
帰る時、私を呼んでこういった。
「あんた、ベッピンだから、幸せになるよ」
「結婚するとイヤな事も多いけど、年取るとね、
昔の事は、良い事バッカリ思い出すよ。大丈夫。頑張りな。」

その後、時代劇を見ながら脳梗塞で死んでしまった。
「あたしはね、入院したり呆けたりしないよ」と言った通り、
周りには一切の迷惑をかけない死に際だった。
苦労も沢山したろうけど、見事な生き方だと思った。

717 : :01/10/29 05:04 ID:bBG6cAXa
一市井でありながら立派な末期の老婆に感じ入る
若い吉宗であった・・・

718 :他板より:01/10/29 05:11 ID:9xpvtjOe
ええ話ばかりやのー・・・(TдT)

ウチ貧乏波乱万丈&ほのぼの系家族だからネタいっぱいあるなあ。
そのうち書かせてもらいます。

719 :15歳女:01/10/29 06:51 ID:U6TRluqr
今年の高校受験。県内でも進学校なK高校に受験する自分は受験ノイローゼ気味
で毎日不安で、しょっちゅう家族に当たっていました。
受験の前日、大学生で一人暮らし中の兄が深夜突然家に来た。
2つ隣の県からバイクで来た兄は帰って来るなり自分に腕時計を渡して、
「これ兄ちゃんが大学受験の時使ったヤツ。まあ、2流私大だからK高校に
通用するかわからんけど」って言って。
意外でした。中学、高校と成績よくなくて毎晩遊び歩いていた兄を
自分は軽蔑してて、ほとんど口をきかなかったのに。

訳わかんない変な気持ちのまま受験当日を迎えた。
当日の朝K高校まで送ってくれる約束だった父の車が原因不明の故障で
動かなくなった。半泣きで父にどなりちらしてた時兄が起きてきた。
そして兄はバイクでK高校まで送ってくれた。

兄のバイクの後ろで自分は小学生の頃、いつも兄の自転車の後ろに乗って
兄に付いてまわっていた事を思い出していつのまにか泣いていました。
それにきずいた兄は「バイクは目に風、入るよな〜」って言いました。
ミラー越しに見た兄の目も真っ赤でした。

腕時計の効果?もあって自分はK高校に合格できました。
バイクを運転してた兄はやっぱり風が目に入って泣いてたのかな〜?
って今でも時々考えます。
学歴とかの以前の大切な物にきずかされた受験でした。

720 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/29 10:00 ID:2I8r/UTS
うちの父親は厳格で典型的な亭主関白、小さい頃から少しでも反抗すると
家族全員連帯責任で父の座敷の前の廊下に正座させられ竹刀で殴るような人だった
厳しい父に反抗して思春期は家で過ごす事もなくまったく会わないまま
進学と同時に上京。
今年の正月母がうるさいので10年ぶりに実家に帰ったら父がいつもの座敷にいて
廊下から挨拶して立ち去ろうとしたら財布から500円出して
「これでアイスクリームを買いなさい」
15年ぶりの会話がそれ、私はもう子供じゃないのにと母に500円を見せながら言ったら
私が子供の頃、夜泣きが酷くて買い物なんか絶対自分で行かなかった父が
毎晩アイスクリームを買ってきて食べさせていた事を教えてくれた。
「お父さんとあんたの思い出ってそれしかないから」と母は笑ってた。
実家で過ごした三日間、毎日アイスクリーム代を頂きました。

721 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/29 10:24 ID:w3FTAmyZ
>720
いいお父さんだね。
今からでも充分親孝行してあげてください。

では私も父に関した大したこと無い話ですが。
子供の夏休み、実家にしばらく居候するのが恒例です。
でも田舎ゆえテレビのチャンネル数も少なく、ケーブルにも入って無くて
実家にある本を暇つぶしに読んでました。
我が家はみんな本好きで、父の本棚を見ると「鬼平犯科帳」や「剣客商売」などがあって
どうやら最近父が購入したものらしかったです。
普段そんな時代劇ものなんて読まない私ですが、
その時は「どうせ暇だし・・。」くらいな軽い気持ちで
そこの本棚から数冊借りて読みました。
で、「鬼平」や「剣客商売」って結構長いシリーズなんです。
読んでみたら面白かったのですが、始めの数冊しか家にはありませんでした。
後日皆で揃って本屋に行って物色してる時に父に
「もう鬼平の続きは読まないの?」って聞いたんですね。
その時の父の顔は、なんでだか凄く嬉しそうで(普段はわりと恐そうな表情です)
「お前、あれ読んだのか?」って聞いてきました。
「読んだよ、面白かったよ。」と返事をして、子供の所へ行きました。
帰宅してみたら、続きの「鬼平」が何冊かダイニングの上に置いてありました。
親子で同じ本を読むのが嬉しかったのでしょうか。
時々その時の父の顔を思い出すと胸がじんわりと温かくなります。

722 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/29 11:45 ID:c40OvYRz
甲斐性の無い男と結婚した私は狭いボロアパートに新居を構えた。
Kとは言えないほど狭い台所には食器棚を置くスペースも無く、
収納にはかなりストレスを感じていた。
そんな時、いきなり父が遊びに来た。
大きなサンマ皿を5枚も持って。
私は「こんなのしまう場所がない」と礼どころか文句を言った。
父は怒って帰ってしまった。
後から考えた。父が食器屋で食器を買うのはどんな気持ちだったのだろう。
重かったろう。喜ぶだろうなと期待して来ただろう。
・・・あぁ、私は馬鹿な娘だ。
あの食器はうちで1番活躍してるよ。ごめんね。父さん。

723 :722:01/10/29 11:52 ID:c40OvYRz
読んでるだけでホローリだったのに、
722を書いてたら涙が止まらんようになってしまった。
書くんじゃなかった。オーイオイオイオイ、ヒック(涙)

724 :.:01/10/29 13:41 ID:K7klW77q
母のお葬式の時、斎場で「まま・・まま・・」と私(当時8才)が泣いてたら
横にいた兄(当時11才)が「泣いても母さんも悲しむから、泣いちゃだめだ・・」
と私を励ましながら自分も涙流してた。すごく印象に残ってる・・・
頼りになるお兄ちゃん、今でも大好きだよ。

725 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/29 21:26 ID:PMQeWEjV
亡くなった祖父の通夜の前夜、母からの急な呼び出しで叔父の家に向かった。
家の中に入って見ると、母方の二人の叔父が取っ組み合いの喧嘩をしている。
それをそれぞれの奥さんが必死になって止めていた。他に男手はおらず、近くにすんでいる自分が呼ばれたらしい。
座敷を見れば祖父の遺影は割れているし、叔父(兄)の片目には青アザができている。
とりあえず気性の激しい叔父(弟)の方を止めたのだが、興奮醒めやらず、木刀まで持ち出す始末。
当然すぐ取り押さえたのだが自分は何発か木刀で殴られた。水もかけられた。
その場は何とか年長者の登場で事なきを得たのだが、その後、話し合いが4時間ほど続いた。
その間、あまりの情けなさと非常識さに涙が出てきた。ご霊前、遺影は無残にも砕け、酒に酔った上、取っ組み合いの喧嘩。
しかも出てくる言葉は祖父への手向けの言葉ではなく、親族間の祖父母に関する処遇や不平不満。
後ろに横たわっている祖父の顔を見ると、とても悲しそうに見えた。
このとき自分は18歳。そして現在19歳。叔父(兄)と母には「忘れろ」と言われたが、忘れられるわけがない。
あんな体験と祖父の顔は。

726 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/30 01:44 ID:laJxBnnd
age

727 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/30 09:49 ID:99qTjKCP
>>725
今までとは違った意味でホローリだったんだね。
でも君が正しいと思うよ。
優しい人だね。

728 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/31 01:15 ID:32YTiPPr
涙が止まりません・・私にも書かせてください。

半年前、両親が大喧嘩をした。
父がキレ、一方的に母が責められていて、
このまま我が家が崩壊してしまうのかと思った。

次の日、居間に居た母に、
「辛いだろうけど、がんばって」と一言。
私はそのまま自分の部屋に戻ったのだが、
母が気になり居間に近づくと、声を上げて泣いていた
そんな母を見るのは初めてで涙が止まらなかった。
いつも厳しく、私の目からはとても強く見えていた母。
だけどずっと我慢してたんだね・・・
何か少し手伝えないかな?

729 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/31 02:42 ID:DohI9v3H
少し年の離れた妹が産まれるとき、
いろいろと準備で忙しいということで、
私は祖母のところにしばらく預けられる事になったらしい。
最初はお泊まりだーと騒いでいた私だったが、
やっぱり子供なので、私は夜になって、いきなり「やっぱり帰りたい」と言いだした。
じいちゃんは黙って夜遅くに私を家まで送ってくれた。
乗客も少なくなった、当時国鉄に揺られて見た夜景や座席のシート、
祖母に連れられていくとき、玄関で見送った母のマタニティのワンピースの柄はよく覚えている。

そんなじいちゃんも私が成人後すぐにガンで逝去。
私はその頃訳あって祖母の家に世話になっていたが、
若かったし、反抗期で、半ばプーだったくせにじいちゃんの世話なんかこれっぽっちもしなかった。

じいちゃんの死に顔を見たときは、もう何だか訳もわからなくてとにかく泣いた。
ほんとに死んじゃったんだ……
身内が死んだのは始めてだったし。

白髪一本抜くたび10円おこずかいをくれたよね。
ばあちゃんに怒られるから隠れて酒を買ってこいって
お金を渡して残りをおこづかいにくれたりした。

私は、生きているうちに何にもしてあげられなかった。

730 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/31 06:35 ID:ukzWlnxX
それにしてもこのスレはいい。
プリントアウトして、今度の道徳の時間に使おうかな?ワラ
でも、ここが2ちゃんねるだっていうことが、話をさらに感動的にしてるんだろうな。
2ちゃんねるから切り離した場所で読んだら、普通のくさい話になってしまいそうな気がするし・・・。

それはおいといて、とにかく僕はこのスレが好きだ。永久保存希望。
次に好きなのは半角板だけどね。

731 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/31 16:37 ID:u16UgIov
>次に好きなのは半角板だけどね。

(・∀・)イイ!

732 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/31 18:00 ID:m+oZ/EiS
半角板ってなに?
初心者でスマソ

733 :おさかなくわえた名無しさん:01/10/31 23:56 ID:jxSNvKhi
>>732
エッチな画像がわんさか転がってる板です。

では↓の方、引き続き思い出どうぞ。

734 :730:01/11/01 08:14 ID:FvXWi8h/
下品な話はやめて、自分のも書いときます。

僕は3人兄弟の真ん中なんです。真ん中というのはどうも中途半端な存在で、親からはいまいちかわいがってもらえません。
そのかわりといってはなんなんですが、同居していた祖父には、とてもかわいがってもらっていました。
何度も泊まりで旅行に連れて行ってもらいましたし、いろんな物を買ってもらいました。
祖父は農業をしていて、いちごなどを作っていたので、お金を結構持っていたのでした。
そして、作っているいるいちごをよく食べさせてもらっていました。そのいちごが本当においしかったのを覚えています。

そんなある日のこと。
小学校からの帰り道、パトカーが道にとまって、何かを調べていました。
好奇心旺盛な年頃ですので、当然のように見に行きました。
どうやら事故がおこったようでした。
家に帰ってきておどろきました。その事故の当事者が祖父だったのです。
畑から家に帰る途中に原付に乗っていて、自動車と衝突してしまったんだそうです。
原付のかごには、その年初めてとれたいちごが入っていました。私たちに食べさせようと思っていたのでしょう。
祖父はその日から数日後、意識を回復することなく亡くなりました。

数年後に新しい事実がわかりました。祖父と祖母には子どもができなかったんだそうです。
母は祖母の妹から、養女にもらわれてきたらしいのです。
つまり、祖父は私とまったく血がつながっていなかったのです。

じいちゃん、かわいがってくれてありがとう。
おかげでなんとかひねくれもせずに、今もこうやってがんばって生きてるよ。

735 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/01 10:12 ID:E01iqiKy
去年の暮れの事、父が突然倒れた。
病院に運ばれたが医者には「これから緊急手術に入りますが、
手術中に75%以上は死亡すると覚悟しておいて下さい。」と言われた。

そんな事を知らない父が手術室に運ばれていく。
「手術すれば直るんだって頑張りなよ!」と言う私に、
父は薄れ行く意識の中でハッキリと両手でブイサインを出していた。
「これが最後の会話になってしまうかも知れないんだ。」
大丈夫と信じたいのと裏腹に不吉な考えばかりが頭をよぎった。

10時間以上にも及ぶ手術の間中、身を切られるような辛さだった。
「がんばれ、がんばれ」とつぶやく事と祈る事しか私には出来なかった。
父は幸い命を取り留めたが家族が死ぬかも知れないという事は
大変な辛さなんだと分かった。

それ以来、救急車の音を聞くと「どうか、無事で」と心の中で
祈るようになった。

736 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/01 10:35 ID:dZQjZatu
>735
おめでとうございます。
私の父は、もう大丈夫と2回も言われたのに、駄目でした。
先月のことです。
色々、ぼ〜としてしまいます。
救急車の音を聞くと泣いてしまいます。
どうぞ、私の分も親孝行してください。

737 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/01 10:57 ID:/2fYRybx
おばあちゃんが入院したと時のこと。

私はお見舞いに持っていこうと
ペーパーフラワーのキッドを買い一生懸命作りました。
そしておばあちゃんに渡したところ
大変喜んでくれ、ずっと飾っていてくれた。

でも後から気づいたんですが
その花は「桔梗」
白と紫の、仏事のイメージが強いものでした。
幼い私はその意味を知らなかったのですが
当然年寄りは知っていたでしょう。

何も言わず、「孫がくれたのよ」と喜んでくれたおばあちゃん
ありがとう、そしてごめんなさい。

738 :735:01/11/01 11:22 ID:muMluSwF
ありがとう。
あなたの言葉を読んだら涙が沢山でてきてしまい
仕事中に困ってるところです。(笑
お父さん、残念でした。
お父さんの分も頑張ってください。

739 :735:01/11/01 11:25 ID:muMluSwF
上のは736さんへの返事でした。
尚且つ、サゲ忘れてしまいました。
失礼しました。

740 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/01 11:49 ID:P9sj/+Z8
>>728
お母さんはあなたの一言で張りつめた糸が切れたん
だろうね。でも泣きながらきっと「この子(あなたの
ことね)がいるからがんばろう!」って思えたのでは?

>何か少し手伝えないかな?
気持ち、伝わってると思う。

741 :森ビル:01/11/01 13:23 ID:mR9V8Bk5
去年親父が氏んだ。
帰郷して通夜の前に親父の寝室に入ったら、使い出したばかりの携帯電話がひっそりと置いてあった。
思わず、着信履歴とか見てみたら、親戚の名前ばっかり出てくる。
氏ぬ前は、どうしようもない家庭内離婚状態だったんでさびしかったんだろうな。
で、自分の名前登録されてるかなと調べてみたら、無かった。
そこで一気に嗚咽してしまった。

何で無いんだよ、って言う寂しさと、もっと話し相手になってやればよかったという後悔とで。

742 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/01 14:48 ID:pExWwN1J
そりゃ哀しい
でも親父なんてそんなもんかも

743 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/01 15:22 ID:C7PHd+uh
736>735さん
お仕事中に申し訳有りませんでした。
父から、生きると言うことは一日一日を大切にすることだと
教えられた気がしております。
私が元気で幸せになることが一番の父への供養だと思っています。
父には何も親孝行出来ませんでしたが、せめて母には
親孝行していこうと思います。

744 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/01 15:24 ID:JiXShS4v
仕事中に2chするな>>738

745 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/01 17:02 ID:ptNqzZ3V
ほろ〜りしたい方へおすすめします。

軍事板より「泣ける話」
http://yasai.2ch.net/army/kako/984/984375960.html

746 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/02 01:08 ID:4KdlEXfG
感動あげ

747 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/02 09:48 ID:0uHNwOwm
良かった。みんなにも読んで欲しい。

748 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/03 00:59 ID:BeEnYrwt
彼氏のお父さんの実話・・・・
もんのすごぉい資産家だったけど負債だして、会社を倒産。
彼や家族に内緒で父親は数千万持って、東京に雲隠れしたそうだ
つまりいきなり蒸発。。。。。
彼は大学をやめて就職し、色々借金の整理をして必死に生活していた。
2年後に蒸発していた父親がいきなり家に帰ってきて
真顔で「日本中の美味いものを食った」←グルメ旅行してたらしい・・・
で、もっていた数千万もゼ−ンブ使ったから帰ってきたそうだ。
言うまでもなく絶縁中です

749 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/04 03:21 ID:CwbVYFlP
リーマンやってますが、連休で実家に久しぶりに帰ってます。
たまには両親の顔を見るのもいいもんです。元気だなーと思うし。
この板を見て実家に行かなきゃなーと思ってましたので。。。
ただ、親父の髪の毛が会うたびに薄くなっていくような気がするんだよな…
しょうがないのかもしれない。白くもなっていきます。年をとってるんだよな…
消防とかのころ、薄い髪の毛をからかってたけどごめん。本当にごめん。
気にしてる髪の毛のことでからかってたり、よくないよね。
おれ、親父みたいに偉くはなれないけど、精一杯がんばって親孝行するよ。
たまには帰るしさ。うまいもんとか食いにつれてくよ。今度の初ボーナスで。
いかん、涙が出てきた。

750 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/04 10:45 ID:CwbVYFlP
age

751 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/04 11:02 ID:nd463+ee
 数年前、両親に聞いた話。
ちょうど夏休みのころ、田舎にある実家の自動車修理工場にタイヤがパンクした
車がやってきたそうです。 話を聞くと彼らは大学生で、九州(実家は九州です)を
ドライブ旅行していたところ、運悪くパンクしてしまったと言ってたそうです。

 修理も無事終わり、大学生たちが「いくらですか?」って言ったら、
両親は「お金はいいよ。」って言ったそうです。
当時、大学生でお金の無かった僕はそれを聞いて泣いてしまいました。

752 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 04:21 ID:C66Hyv/g
夫婦喧嘩で母に
「出て行け!!二度と戻ってくるな!!」と怒鳴りながら、
こそこそ母の全ての履物、車のキ−、財布を隠そうとする
うちの父

753 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 07:30 ID:X+zjFiys
ここ読んでて思い出したよ。
小学校前くらいの時、「自分がお父さんくらいの歳になったら
きっとお父さんも母さんも死んじゃうんだな」って漠然と思って
泣いたこと。

これも小学校前、庭で遊んでた時、野良犬がきたのが怖くて逃げ出し、
家に帰れなくて、近所の家の裏で泣いてた。一時間くらいして近所の人に
連れられて帰った時、母親が俺を抱きしめて泣いたこと。後で聞いたら
母、兄、隣、向かいの人総出で俺を探してたらしい。

来年に就職が決まってる。稼げるようになったら親孝行しないとな。
小さい頃、初任給で父の大好物イカの刺身(つつましやか)を買ってあげるって
約束したっけな。極上の海鮮買って里帰りしよう。

754 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 08:18 ID:3TqpqPiz
小学校の工作の宿題。
自分じゃ工作の本を片手にかなり頑張って
作ったつもりだったんだけど、母親に
「何?そんなボロボロのもの持ってくの?やめなさい」
とさらっと言われて泣いたことがあります。
頭きて泣きながら違うもの作りましたよ。

でも始業式の日の工作発表の時、ボロボロって言われたものと
おんなじものをすごく上手に作ってたやつがいて
からかわれなくて済んで
すごくありがたかったってことがありました。

755 :真性大坊:01/11/05 10:55 ID:PoiStFnr
兄が死ぬ夢を見た。
兄は今東京で働いている。
ここ4年ほど連絡を取っていない。
実家経由で近況を聞いたくらいで
声も忘れかけてきた・・・

今晩、電話してみよう。

756 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 11:07 ID:x9SRF0+g
父が病気で自宅療養してた時、それなのに父は母にわがまま
ばっかり言っていた。その年の初詣で「パパがもうわがまま
言いませんように。」ってお願いしたら本当に父はもう
二度とわがままを言うことはなくなってしまった。

それから2ヶ月後父は亡くなりました。私も当時中学生で
あれから十数年経ちましたが、今でもあんなことお願いする
んじゃなかった、と思っています。

親孝行したいときに親はなし。

757 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 14:16 ID:y3+9iEG1
age

758 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 17:29 ID:Fv4ZALXi
>>756
おとうさん、きっとよろこんでるよ。
今でも、お父さんを思い出してホローリしているんだもん。
これも立派な親孝行だよ・・・。ねっ。

759 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 18:09 ID:Fv4ZALXi
昔から、私は妹が羨ましかった。
全部私とは正反対だった。
顔からしても、妹ははっきりした二重で、赤ちゃんみたいに小さな顔で
よくハーフに間違えられるのに、私は一重の純日本人顔。
体が弱かったせいで、色もましっろで、細くて、小さくて、華奢。
私は、日に焼けていたし、がちがちの筋肉質。

街で、よくスカウトされていた。
私の後ろに隠れる妹が可愛くもあり、憎らしくもあった。
学校にあまり行かなかった彼女の遊び相手はいつも私で
うしろに付いて来るのが 自慢でもあり、コンプレックスでもあった。

体調を崩し入院しても、
先生方にも可愛がられ、どこにいっても「かわいい」と言われていた。
病気でもいいから、あんな容姿になりたいと思った。

妹の病気に家族中、気を使っていた。
母親は妹の言う事ならなんでも聞いた。
私は受験勉強でいらいらしてたのもあり、
そのことにすごく嫌気がさしていた。

病状が悪化するにつれ、いろいろなストレスからか
彼女は退行(精神年齢が子供みたいになる)して
すごく甘えるようになった。

その甘える様子さえ腹が立ち、ちょっとした意地悪をすると
大きな声でわーんと泣き出す。
それを見た母親が、妹を抱きしめながら、私を怒る。
今考えれば、どうして、意地悪なんかしたんだろう。

亡くなる少し前に、
「お姉ちゃんはなんでもできる!なんでももっててずるい!!」
と大泣きした。
その時は、(何でももってるのは、あなただよ、母親の愛情も
みんなからの注目も全て持ってる!泣きたいのはこっちだよ)
と思ったけど、
今なら判るよ。やっとわかるようになったよ。
私には、これから、何でも出来る時間がある
何でも手に入れる時間がある。

ごめんね。ゴメンネ。
分けてあげれなくてごめん。
半分ずつして、もう一回、姉妹やりたいね。

今度生まれ来る時も、妹になってね。
きっと、可愛がるから、もう意地悪しないから。

760 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 18:10 ID:CbwFCihV
ここ読んで、号泣してしまったよ。
私の父が今年のお正月亡くなったので、色んな事が走馬燈のように
頭の中をかけめぐりました。
立ち直ったつもりだったのに・・・。
命って、かけがえのないものですね。

お父さん、親孝行できなかったね。ごめんなさい・・・。

761 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 18:23 ID:z7yxG6PD
私が6才頃の時、
親にもらった大事なブローチの裏に
2つ下の妹がマジックでモジャモジャの落書きをした。
私は、激怒して妹を罵倒し思いっきり泣かした。

そのあとで母から
「お姉ちゃんの大事なものだからって、無くさないように名前をかいてあげていたんだよ」
と聞いて
隠れて号泣した。

小さい時って全ての持ち物に名前書くじゃないですか。それ見てたらしくって。
てか、親はそれ見て止めなかったんかい。

762 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 19:40 ID:TGYK0tkA
>755
電話した?早くして。私も同じような経験があったけど間に合わなかったから。
話が出来るうちにたくさん話をして欲しい。
・・・よく考えたら縁起でもないこと言ってるな。ゴメソ。お兄さんと仲良くね。

763 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 22:11 ID:U2etvv3o
息子が三歳の頃
「おかあさん、そっちはくるまがたくさんきてあぶないよ。
もっとこっちにきて。ぼくがまもってあげるから」

来年は高校生(予定)。この話したら怒るだろうな(笑
でもね、あの時、なんだか嬉しくて涙が出そうになったんだよ。

764 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 22:32 ID:CWCEAElg
クリスマスが近付くと、決まってある夢を見る。いつも涙でグショグショにぬれてしまって、
その涙で夢とうつつをさまよってしまう。その中で、娘は幼稚園児で、大声で泣きじゃくっている。
あれは、23年ぐらい前のクリスマスの日だった。枕元のプレゼントを見つけ、その中身がトランプ
だったことを知り、「わあいわあい、とってもほしかったトランプだ。うれしいな」と大喜び。
そして親友の優子ちゃんちに、トランプを持って小躍りして駆け出していった。
あんなに喜んでいったのに、血相を変えて帰ってくるなり「明希は悪い子なの?」と泣きじゃくる。
「なぜ悪い子だと思うの?いい子だからこそ、サンタさんがトランプのプレゼントをくれたんじゃないの?」
「トランプだって欲しかったんだけど、あーん」と、もう言葉にならないほど泣きじゃくっている。
私は、優子ちゃんちへ走り、プレゼントを見せてもらった。

765 :764:01/11/05 22:34 ID:CWCEAElg
何ときらびやかな、何と美しい音も出て、回る回る・・・。
一体何なのか、田舎者の私には想像もつかないものなんだけど、すごく素敵、高そう。
欲しいと思った。「うちは一人っ子だから買えたのよ」と、両親は言った。
明希は「プレゼントってサンタさんがくれるんでしょ。優子ちゃんはいい子だから、
あんないいものもらえたって」
明希もいい子なんだよ。抱きしめて、二人して泣いた朝だった。

766 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 22:47 ID:2sEaZaNx
>>764
悪いけど意味わかんない

767 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 22:49 ID:2sEaZaNx
優子ちゃんは幼い頃の764さんですか?
トランプは隣の子がもらったんですか???

768 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 22:54 ID:U+BgiRD9
はて。一人称は明希の母でしょう。
>トランプは隣の子がもらったんですか???
隣りの子って?

769 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 22:56 ID:2sEaZaNx
親が優子ちゃんちへ行ってプレゼント見せてもらったの?

770 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 22:57 ID:2sEaZaNx
両親って誰の両親??おじいちゃんとおばあちゃんのこと?

771 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 23:03 ID:U+BgiRD9
2sEaZaNxって読解力ねえなあ。もしかしてネタ?と思いつつマジレス。
764も主語ないからわかりにくいけど。
明季の母親が、優子ちゃんちに行ったんだよ。
両親=どう考えても優子ちゃんの両親だろうが。

772 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 23:10 ID:2sEaZaNx
読解力ねえなあ、、、って。偉っそうに。
マトモな文章書けばいいだけの話でしょ

773 :これでいい?:01/11/05 23:14 ID:U+BgiRD9
クリスマスが近付くと、決まってある夢を見る。いつも涙でグショグショにぬれてしまって、
その涙で夢とうつつをさまよってしまう。その中で、娘の明希は幼稚園児で、大声で泣きじゃくっている。
あれは、23年前のクリスマスの日だった。明希は枕元のプレゼントを見つけ、その中身がトランプ
だったことを知り、「わあいわあい、とってもほしかったトランプだ。うれしいな」と大喜び。
そして親友の優子ちゃんちに、トランプを持って小躍りして駆け出していった。
あんなに喜んでいったのに、血相を変えて帰ってくるなり「明希は悪い子なの?」と泣きじゃくる。
「なぜ悪い子だと思うの?いい子だからこそ、サンタさんがトランプのプレゼントをくれたんじゃないの?」
「トランプだって欲しかったんだけど、あーん」と、もう言葉にならないほど泣きじゃくっている。
私は、優子ちゃんちへ走り、プレゼントを見せてもらった。
何ときらびやかな、何と美しい音も出て、回る回る・・・。
一体何なのか、田舎者の私には想像もつかないものなんだけど、すごく素敵、高そう。
欲しいと思った。「うちは一人っ子だから買えたのよ」と、優子ちゃんの両親は言った。
明希は「プレゼントってサンタさんがくれるんでしょ。優子ちゃんはいい子だから、
あんないいものもらえたって」
明希もいい子なんだよ。抱きしめて、二人して泣いた朝だった。

774 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 23:15 ID:jKpujJ3r
いや、誰が見てもあんた読解力ないって(藁

775 :774:01/11/05 23:16 ID:jKpujJ3r
>>772がね。

776 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 23:27 ID:HdKKpMcA
やめようよ、せっかく優良スレなのにさ

777 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 23:29 ID:/Lani7HU
777!!!

778 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/05 23:31 ID:cahLnwWJ
ええはなしや・・・

779 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 01:03 ID:gDYjv5rm
全部読んだよぉ・・・・・
涙が止まらなくなってしまってやばいです。
明日は早いのにこんな時間まで読んでた。
夢中になってた。
明日家族にこの間入ったバイト代でなにか
お土産を買ってこようと思います。
優しさを思い出させてくれてありがとう。

780 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 01:20 ID:mmBu+eC/
>>779
そうだね。何か土産かってあげようよ。
高いものじゃなくても、そういう気持ちだけですごくうれしいと思うよ。
俺も、このスレ読んで家族を大切にしなきゃってマジで思ったよ。
離れて暮らしてるだけに余計感じるね。
良いスレ上げ!!!!!!!!

781 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 01:35 ID:PlAaBesd
泣いたAGE

782 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 01:40 ID:PlAaBesd
>>759
意地悪したのはきっとあなたもつらかったんだよね。
えらいね、頑張ったね・・・。
かわいい妹さんも分も精一杯、生きてあげて。
2人分の幸せが、あなたにありますように!!

783 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 01:48 ID:e51yDgJa
長くなりそう。スマソ。
俺が結婚して一年半、妻がめでたく懐妊。
それは俺の両親にとっては初孫だった。今まで見たことがないくらい
大喜びしてくれた。そして臨月の頃、父親が倒れた。
末期の肝臓ガン。酒が好きな人だったから。
父の余命と妻の出産予定日、父が頑張ってくれれば孫を見せられるだろうか、というくらい。
あまりにも悲しい運命を感じながら、妻を気遣い父を見舞い、忙しい日々を送った。
予定日より二日ほど早く妻が産気づいて病院に向かった。母は電話で、「お父さんは
大丈夫だから、○○さん(妻)についててあげなさい」と。それに甘えた。
かなりの安産だったらしく、無事出産。母に報告。と、
「こんなおめでたいときにごめんね。さっきはあんたが可哀想で言えなかったけど…」
父の容態が悪化し、すでに意識はないらしい。二日前はまだ反応してくれたのに…。
それから数日の小康状態。いよいよ危ないかというときに、俺は産婦人科医に土下座した。
父に孫を見せたいと事情を話し、退院予定予定の前日の夜、赤ん坊を連れ出す許可を
もらった。頼りない命をワレモノのように抱えて父の病院へ。
「おい!孫の顔見るまで生きるゆうたろが!目ェあけろや!待ってた孫やで!!」
父は口とまぶたをもぞもぞと動かした。声もなく、目も開けず、それだけの反応。
それでもわかってくれたのだろうか。俺は無理は出来ない子どもを産婦人科に
連れかえった。そして、即Uターンしたが父の死に目に会えず。
俺が出てからものの数分でこと切れたそうだった。
10年ほど前の話だが、今でも強烈な思い出。一生分の波乱万丈を数日で過ごした
気分だった。小学4年生になった息子は、頑固なところが父に似ている。
自分はこの子の子に会えるだろうかと思うと、今から切なくなってしまう。

長々と、すみませんでした。

784 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 02:06 ID:a0VmHRRy
>俺は産婦人科医に土下座した。
カコイイ!!!!ホレタ。

785 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 12:52 ID:JAUvvS+h
全部読んで目が腫れてしまった。
どんな人でも、人の子であり、また人の親なんですよね。
ここ読んでたら
本当は世の中に悪い人なんていないんじゃないかと思えてくる。
なのに、つい普段はエゴのぶつかりあい・・特に他人ともなると。
人を思い遣る気持を思い出したよ。

786 :おさかなくわえた名無しさん :01/11/06 13:44 ID:eHBfn5X+
馬鹿野郎

仕事中なのに号泣したじゃねえか

787 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 16:17 ID:0sHK2Oq9
二年前の冬、四才になったばかりの娘を自動車事故で失いました。
それからの妻の落ち込みようは尋常でなく、僕の方はといえば、
仕事が手につかない日々の連続で、転職を繰り返しながら過去の
思い出に浸る毎日でした。
娘が生きていたときのような笑い声は家の中から消えてしまって
いました。街を歩いていても、テレビを見ていても、小さい女の子
を見るたび心が重苦しくなってきて…自分でもその状態から脱した
かったのに、どうしようもなかったのです。

先々月、朝起きると妻がいきなり「お墓参りに行こうよ」と言い出し、
僕は会社を休んで電車で三時間かけて、あの子の眠る墓へ。
その日はとても青空が澄んでいて、久しぶりのデートみたいに二人
ともなんだか気持ちが弾みました。

お参りしたあと、妻と固く握手。
そのまま2時間くらい、握手したまま二人で大声で泣きました。
こんなに出るのかと思うくらい涙が流れたあと、
二人で娘の墓の前で約束したんです。僕たちは一生懸命生きるよ。

788 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 16:31 ID:xj71oc+s
>787
頑張って。。。応援してるよ
娘さんはきっと、空から2人を見てるよ!

789 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 17:59 ID:4vx4TZsn
涙がでそうです

私の家は小さなころから共働きで
祖父母に育ててもらっていました
私は劣等生で祖母によく怒られていましたが
出来の悪い孫がかわいかったのか
祖父はとても私のことをかわいがってくれました

中学生のときに父(祖父にとって息子)が病気で他界しました
そのことは、10年くらいたった今でも
私の中でうまく整理がつかないのでおいておきます。
父がいなくなってから、数年後、私が大学生になり
もう少しで実家を出てひとり暮らしをしようとする頃、
祖父は軽い病気になりました
命をおびやかすような病気ではなかったですが。
病院にお見舞いに行ったら、祖父は笑顔で迎えてくれ、
いろいろ話したあとに
「オレは長生きをしないといけない。○○(私の名前)ちゃんが
お嫁に行くときに、もし教会で結婚式を挙げるようなことになったら
○○ちゃんのお父さんはいないから一緒に歩く人がいない。
オレは必ず一緒に歩く」
と言って笑ってくれました。泣きました。

それ以来、私が結婚するときは(まだまだ予定はないですが)
必ず教会で結婚式を挙げ、祖父とバージンロードを
歩こうと決めています。

今でも、そんなに私の将来のことまで考えてくれている祖父を
思うと感動して泣きます。
おじいちゃん、大好きです。

790 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 19:42 ID:Nj5j8W2k
小さい頃はいつもお兄ちゃんと一緒に遊んでた気がするよ。
ままごとより、カンけりの方が楽しかった。
一緒にお風呂入ったりもしたよね。
けど、いつも目を離すと私を置いてすぐいなくなっちゃう。
落ち着きがなくて、ちょこまかしてたね。

高校生の時も、あぶなかしかったから心配してたんだよ。
お兄ちゃんの友達に、面倒みてね、って頼んだりしてた。
免許とった時も心配だった。
事故った時、頭打ったなんて言うから
「ちゃんと病院行ってよ!!」って私は言った。いつも心配させるんだから。
けど、優しくてすごく好きなんだ。
車で迎えに来てくれたりして。
「カップルだと思われたらイヤだな〜」なんて言っちゃったけど。

二度目の事故の時。
警察から電話来てびっくりしたよ。「本人かどうか確認してください」
なんてさ。
意識失っちゃった!?
それとも身元の確認ってそんなに必要なの!?って思った。

お母さんと一緒に病院に向かって、受付のところで
「あの〜先ほど事故にあったと連絡が来たんですが、病室どこですか?」
って聞いたら

「もう亡くなってますよ」

なんて・・・。
あっさり言った看護婦にむかつきを覚えた。でもそれ以上に・・・
喪失感があった。ずっとずっとずっと泣いてた。

昨日ネットのこととか色々教えてもらったり、CD買ったら貸してね〜なんて言ってたのに。

ケンカもいっぱいしたし、嫌な部分もあったけど、
私なんかよりずっと優しくて、心が広かったね。

もうすぐ1年たつね。お兄ちゃんの年を越えるのは嫌だけど、
私の中ではずっとお兄ちゃんのまんまだよ。

・・・会いたいな。

長文すみません。

791 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 20:20 ID:GMAov81k
号泣age

792 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 20:31 ID:gDYjv5rm
うわぁぁぁぁんお兄ちゃーん

793 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/06 23:51 ID:EWqgJkLr
うちの両親は一応お見合い結婚、ということになっているが
実はその昔、父が母を海でナンパしたらしい

794 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/07 00:08 ID:ZQeC+4N7
なぜよりにもよってこのスレに誤爆・・・

795 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/07 03:49 ID:lOq8JvcR
>>793
カプール板へお戻り!

796 :ナゲシさん:01/11/07 06:02 ID:lPgk708h
男手一つで育てようとしたが
色々有って息子(3歳)を両親に預かってもらっている。
本当なら親孝行せんといかんのに孫とは言え一番手の掛かる
時期なのにゴメン育ててもらって・・・
「お母さんに任せなさい!」って言ってくれたお陰で
仕事を続けることが出来ますが何時も心で感謝することしか
今は出来ません・・・
可愛い盛りの息子には会えないし
両親には親孝行出来んし
実家戻りたい・・・負けそう・・・不景気で。

797 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/07 08:21 ID:ECKtEHim
がんばれ〜
子供の笑顔見たら、またがんばれるよ!

798 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/07 08:43 ID:ihUaMjCh
このスレみてると、
「一言」の持つ意味が極めて大きいことがわかるね

1も草葉の陰でさぞよろこんでいることだろう

799 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/07 08:58 ID:JWp0gdGO
「孝行したい時に親はなし」ホントだわ。
もう二人ともいないから。
私とお姉ちゃんだけ
それぞれ家庭があるからしみじみ浸れない
生活ってこういうものなのか
けどどっぷり浸かったら帰ってこれないや、私達。
あまりにも悲惨だったから
スレ違いかな
ごめんよ。

800 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/07 11:41 ID:kUJ/W9Nj
中学の時、5時間目の授業が終わって、
帰りのHRの前にちょっとトイレにいって教室にかえってきたら
みんなが窓の方に集まって下を見てる。
下にはうちの母が大声で「うちの○○(私)いる〜!?」
「傘もってきたのよぉ〜!」
私は「おかーさん!!」クラスのみんな爆笑。
猛ダッシュで昇降口へ。
母「今日雨降るっていうのにあんた傘持ってってないから‥」
私「もう!お母さんのバカーッ!恥ずかしいでしょ!いいから早く帰ってよ!」
さんざん文句言って母を追い返した後一応傘をもって教室に戻ると男子がクスクス笑ってる。
友達が「お母さんやさしいね」
私「やだよ、チョー恥ずかしいよ!最悪だよ!ばかおかあ」
 ‥‥と言ってしまったものの、だんだん罪悪感が出てきて、
お母さん傷ついたかなって頭ん中はそればっか。
早く家に帰りたくて部活は手につかずうわの空。
部活が終わる頃には外はどしゃぶりの雨。
やっと部活が終わって、学校飛び出すように出て、傘さして急いで帰った。
家について、びしょぬれの私を見て、
母「あんたびしょぬれじゃない!傘差さないで帰ってきたの?」
私「さしたけど走って帰ってきたの」
母「バッカだねぇー。傘の意味無いじゃない。
  お風呂わいてるから風邪ひかないうちにはいんなさい。」
私はお風呂で泣きながらお母さんにありがとうとごめんなさいを何回も唱えてました。
神様に、あのとき「ばかおかあ」といった自分を殴り殺して下さいと願いました。
お風呂あがって母に謝りました。母はそんなの気にしてない、すぐ忘れちゃうと言いましたが、
私は一生忘れないです。
母の優しさと自分のバカさが身にしみた日なのでした。

801 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/07 11:44 ID:P6fHaOzd
800、かわいいぞ!

802 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/07 11:56 ID:ihUaMjCh
>800
その母上も 全て知っての言葉だったんでしょう。
母上は偉大だ。

それに反してニュー速の 実母殺しのスレ見てくれ。

http://news.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1004607514/
地獄だ

803 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/07 12:17 ID:aMGP62lR
>800
泣きました。
涙が...。お母さんっていいよね...。

804 :ナゲシさん:01/11/07 18:02 ID:NG0/5Ux8
>>797
有難う。来月会いに行きます
(車で8時間かかるものでナカナカ合えないんす)

805 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/07 20:18 ID:kUJ/W9Nj
感動age

806 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/07 21:57 ID:/Bwqjl/T
最近、このスレ読むようになってから
亡くなった父の事をよく思い出すようになったんだけど
そのせいか、昨晩、父が夢に出てきた。

先日手術した私の体を思ってか
「元気になって良かったなぁ」と言ってくれた。
生前私は、母に偉そうな態度ばかりとる父が大嫌いだったから
そんな会話は全くしたことがなかったのに。
今もどっかでいつも見ていてくれてるのかもなぁ。

父の事、大嫌いだったまま亡くなってしまったので
私の中には未だに後悔がいっぱいです。
重い病気にかかっている事も知らずに
「死んじゃえ」とまで言ってしまった。
「そうか、お父さんは死んだ方がいいのか」と言った一言が
一生忘れられない。
あの時、もっと私が温かい心を持っていれば
家族の為にもっと体を治す努力をしてくれたかも・・


孝行したい時に親はなし。
皆 後悔はしないように!

807 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 02:06 ID:v2OujbAV
このスレ好きなのでageます

808 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 10:51 ID:/Odp4ViU
http://www15.big.or.jp/~mios/minnanouta/sa/siroimiti.html
このすれにピッタリのBGMじゃけん

809 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 16:25 ID:SDLDWxcf
感動だよ

810 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 16:33 ID:SDLDWxcf
小学生の頃のこと。
癇癪もちだった親父がある日、
「マンガばっかり描いてるんじゃない!」
といって原稿を取りあげ、
ビリビリに破ってしまった。
その夜、ふと目が覚めると
隣の部屋から灯りがもれていて、
母親が破れた原稿をセロテープで貼っていた。
その背中が忘れられない。

811 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 18:11 ID:siTjpbCg
>810
ウッ、、うわぁ〜ん...(号泣)

812 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 19:00 ID:S+7jaHvv
泣きすぎて鼻がつまって口で息してます…。

わたしもボーっと日向ぼっこをしているときとかに、
海の家でカキ氷食って、真っ赤になった舌を弟に見せた日とか、
プールで必死にしがみついてた父の背中の太陽のにおいとか、
映写機みたいな記憶がふとよみがえってくるときがあります。
なんでもない日常を思い出すとホローリ。。

813 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 19:54 ID:07kNnIv4
ここはヤバ過ぎる。

涙が止まらん、
泣きすぎて頭痛&鼻かみすぎて鼻の下がヒリヒリ。

私は、親が離婚、兄弟はバラバラ。
暖かさが羨ましいです。

814 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 20:14 ID:OcZT6pwP
ささいな事なんだけどさ。
ユニクロがニュースになってた去年の春かな、実家帰ったとき
父親の車でユニクロ行った。実家用の部屋着を買おうと思って。
店で姿が見えなくなった父を捜したら、鏡の前でコーデュロイの
シャツを当ててニマニマしてた。
「似合う色だね。買ってあげよっか」と声をかけたらあわてて
「いやお父さんいらないよいらないよ」と商品を棚に投げて逃げた。
(駐車場まで帰ってしまった)よっぽど恥ずかしかったらしい。
で、コソーリそれを買って、家に戻ってから「じゃーん!」と言って渡して
ビックリさせた。
あれから一年くらいたつ。父親はそのシャツを3シーズン着倒したらしい。
ユニクロだから、もう色も褪せてぼろぼろなんだけど、相変わらず
「○○が買ってくれたユニクロの」と言い回って着ているらしい。
……そして相変わらず、若向きの流行ブランドだと思ってるらしい>ユニクロ

815 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 20:51 ID:3UNzbbIS
可愛いお父さん&優しい814さんage
なんだかあったかいね

816 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 20:56 ID:zNQ+A4EO
最後の1行がちょっとワラタけど
いいおとっちゃんだね

817 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 21:10 ID:xktx3VN8
こないだ、共依存からわたしの鬱病が悪くなってしまうため、
実家の両親と三年間音信不通にしていたのだけれど、
会ってきました。
男親に泣かれました。
女親に、子供名義の貯蓄、100万円をもらいました。
親のスポンサーで、温泉でも、という話もすぐに持ちあがりました。
わたしが元気になって笑顔で実家へ帰ってくることを信じて、
あれこれ、そのときは・・って考えてくれてたみたいです。

まだまだ鬱病その他の病気とは戦っていかなくちゃならないけれど、
でも、これで、お父さんとお母さんの必要ならば援護射撃を受けられると
思うと、ほっと安心して、力強い味方ができたと思いました。

3年、自我を確立させるための期間も確かに必要だったけれど、
信じて待っていてくれた両親にも感謝です。
お正月には、今は多忙で行けない夫も一緒に連れてゆくつもりです。
何せ、同じ市内に住んでいるのですから。

そして、義務でも強制でもなく、親の老後はわたしが面倒みよう! と、
思いました。夫の親とかちあっちゃうと大変だけれど、自分にできることしよう、と。

精神病を抱え込んでの育児・家事も大変だけれど、自分が何かして
喜んでくれるひとが、こんなクズみたいな人間のわたしでもいるんだ〜と
認識できたことが、嬉しかったです。

舞い上がって、乱文になってます。ごめんなさい。
すべての人に幸せを〜★

818 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 21:14 ID:bvVX/3pl
>817
よかったね。ご両親、旦那さん、お子さんにとって、
あなたは代わりのない、かけがえのない存在なんだよ。

819 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/08 22:02 ID:ayijiKoQ
実家からアパートに引っ越した日。
車で10分の距離で大袈裟なもんじゃなかったし、
つきあいの長い彼氏(今の旦那)と同棲することも両親は知っていたので
お気楽な雰囲気で引越し当日をむかえた。
荷物もちっぽけなので、普通車で何往復かに分けて運んだ。
その日は平日で両親は仕事で不在、実家には祖母だけがいたのだが
最後の荷物を積み終えて「んじゃね、また来るからさ」と呑気に
言い放つ私に「ホントにいなくなっちゃうんだね・・・」とつぶやいた祖母。
車が見えなくなるまで窓際に立っていた祖母が忘れられない。
結婚してからも週二回は実家に子供を連れて行くけれど、
少し呆けの症状が出てきた祖母が「また明日来てね、また明日・・・」
と帰り際に何度も言う。出来る限り、ばーちゃん孝行するからね。

820 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/09 00:49 ID:w1LQ4aOF
私の父親は仕事と遊びに忙しく、ほとんど家にはおらず、
家に居ても、口が悪いうえに、喧嘩早く私は父を恥と思っていた。

ある時、仕事をしているとかなり夜遅くなってしまった。
夜道を歩いていると急に怖くなった。少し前に同じ道で痴漢にあったからだ。
母か兄に迎えに来てもらおうと家に電話を入れた。
あいにく父しかいなかった。「ばかやろー。面倒掛けんじゃねー。」等と
怒鳴りつつも車で来てくれるという。珍しい事だ。

しばらく待っていると遠くから、物凄い勢いで自転車が近づいてくる。
それは、もう必死で漕いでいる。近くに来るとそれは父だった。
「ばかやろー!クルマねーじゃねーか!!ゼーハー!」と怒鳴りながらも
心配で思い切り急いできたらしい事が分かった。
生まれて初めて父と自転車の二人乗りをして家まで帰った。

それから、父とは相変わらずクチも聞かない関係が続いているが
私の父に対する見方は大きく変わったのだ。
どんなのでも父は父だ。私は父の子供で良かったのかも知れない。

821 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/09 01:06 ID:wd60rF5p
中学生の時、両親が離婚した。
私と、9歳だった弟は父について行く事にした。

それからしばらく経ったある日、弟が悪い事をして父にこっぴどく叱られた。
弟はただ泣きじゃくるばかり。
すると、父が私をこっそりと呼び出し、「弟を慰めてやれ」と言う。
本当なら、父親に怒られた時、母親が慰めてあげる物なのに、
その母親はもういないのだから、と。

しかし、中学生だった私には、それがどうしても出来なかった。
照れくさかったのか、どうしたらいいのか分からなかったのか、
ただ立ち尽くすばかりだった。

すると、いつまでも泣き続ける弟を、父がなだめ始めた。
自分が何もできない事を思い知らされ、父にとても申し訳なかった。
一生、父親を大事にしようと思った。

822 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/09 02:16 ID:B01TUBME
>>821

そう思ってくれただけでもお父さんはうれしかったでしょう。
つーか、なんか涙でてきた・・・。
泣かせんな!ゴラァ

823 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/09 18:01 ID:il73K2Kn
ageねばならぬ

824 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/09 18:43 ID:HMbh4yus
>>815
私の父も、海外旅行の土産として渡したシャツを
ことあるごとに着てくれてます。
父「いや〜、わしにはちょっと若いんじゃないか?」
と少し照れながらも、普段着るものに無頓着な父が
「あのシャツに合うと思って・・・」とズボンや上着などもわざわざ
自分で買い揃えてきた。
母も「お父さんがオシャレになった」と喜んでいる。
ちょっとしたことだけど、少し親孝行した気分を味わえた。



だからやっぱり言うのやめとくね、
そのシャツ、旅行直後に別れた彼へのお土産だったこと。
(お父さんごめんなさい)

825 :824:01/11/09 18:48 ID:HMbh4yus
>>824>>814さんへです。
ごめんなさい。

826 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/09 18:49 ID:qVGrF2vu
私が中学生の頃、母親が家を出て行き
両親の離婚が決まった。朝、起きるとスーパーのチラシの裏に
「今まで何もできなくてごめんね、幸せになってください。父より」
と書いてあった。(父はすでに会社の出勤していた。)
涙が出た。

827 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/09 19:08 ID:l1yLGGXh
オカンの財布がボロボロだったので、
妹と二人で金出し合って、ちょっと高いやつをプレゼントして
やった。
ところが一月経っても二月経っても相変わらずオカンは
ボロボロの財布を使いつづけている。
気の短いおれはある日とうとうキレて、

「せっかく買うてやったのに、何で使わへんねん!」
と怒鳴ってしまった。
そこでいつもなら強気に言い返してくるオカンが、
ちょっと照れくさそうに

「いやぁ、子供に買うてもろたやつや思たら、
なんかもったいのうてなあ・・・」

おれ、絶句・・・
・・・いっつもアホみたいなことばっか言ってるオカンが
こんなこと思ってたとは、と少しホロリときたな。

下手な文で失礼。

828 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/09 23:31 ID:iuyEqcRd
あげなきゃいかんがね!こんな優良スレ

829 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/09 23:40 ID:WT7vVovc
昨晩このスレ読んだせいで、布団に入った途端に
ホローリな思い出が次々と頭を巡り、涙で枕を濡らしましたよ。

で、思い出したこと。
高校時代は私の家が友人達の溜まり場になってました。
男っ気は全然無くて、友達と一緒にいるのがひたすら楽しかった。
喫煙していたので部屋中煙もうもう。週末は飲み会したり。
週末・平日関係なしに週二回は友達をそのまま家に泊まらせたりもした。
そんな中でうちの親は「夕飯食べてきな」と声をかけてくれたり、
平日に泊まった翌日は、頼んでもいないのに人数分(2.3人)の弁当を作って
私達を学校へと送り出してくれた。
祖母はお手製のはんてんを作ってくれた。「○○さんは背が高いからこれね」
と、ちゃんと友人達のサイズぴったりの物。冬はフローリングの私の部屋は
とても冷えるので、毎日はんてんを着てお喋りしてたっけ。
もうみんな結婚してバラバラだけど、たまに集まると
「○○(私)の家族には本当に感謝してる、一度お礼に行きたい」と言われる。

当時はそれが当たり前のことのように受け止めてきたけれど、
ガラの悪い私達にいつも優しかった家族には感謝、感謝です。
わが子の友達にもそこまでできるだろうか・・・

830 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/10 00:03 ID:ELMFOit+
>829
ドキュソ…

831 :829:01/11/10 00:20 ID:5XjBKcJk
>830
ゴメソ、ここに書き込むようなことじゃなかったかも知れない。
私の中では若い頃の良い思い出なんだけれども、、、逝ってくる
  

832 :長文、ごめんね:01/11/10 00:30 ID:t05RJHA6
ちょうど一ヶ月前の今日、父親が亡くなった。
頑固で口より先に手が出て、いつも優秀な姉と比べて私を罵倒する、
大嫌いな父親だった。 私は高校卒業と同時に家を出て以来6年間、一度も帰ること
はなく、父親もそれでいいと思っているようだった。 入院して一度だけ病院へ行ったが
「お前にあうと気分が悪くなる。帰ってくれ」といわれ、バスに乗りながら泣いた。

亡くなる前の日、母が電話をかけてきて私に言った。
「明日、母さん用事でどうしてもいけないから、あなたが着替えを届けてちょうだい」
しぶしぶ引き受け、当日、重い足をやっとの思いで進めながら病院へたどり着くと、
そこには全身を管でつながれた父親の姿が。ベッドの横には、来れないはずの母親も
地方に嫁いだはずの姉も、正月ぐらいにしか会わない親戚もいて、みんな目に涙を
浮かべている。

そのうち、母親がみんなに病室を出るように言い、私と父だけが残った。
酸素のチューブを鼻に通したまま、声にならないような声で父は言った。
「いままで、ごめんな。 くるしめててごめんな。 ほんと、ごめんな」
ものごころがついてから、初めて父の手を握ったような気がした。
細く、小さくなった手を握って、私は涙が止まらなかった。 本当は、
ずっとこうやって甘えたかった。

それから2時間ぐらいして、みんなに見守られながら父は亡くなった。
どうしても会いたいから私を呼び出してくれと頼まれたのだと、お通夜の席で母から聞いた。
父は自分の死期を知っていたのだろうか。
反抗してばかりだったね。私も謝りたい。
できることなら、もう一度あなたの娘をやり直したいよ。 会いたいな・・・。

833 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/10 00:40 ID:+S7G2osa
>>832
秋雨の週末に
ジン…ときた
age

834 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/10 00:48 ID:blso1GGq
このスレはあげなければならない。
もう涙が止まらない。

835 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/10 01:16 ID:H+kE0qdk
2年前の夏、大学1年の妹が脳炎で倒れた。
ずっと意識不明で、医者には「希望を捨てないように」と言われた。
目を開ける事はあるんだけど、ただ目が開いてるだけ。何も認識してない。
妹の視界に入って名前を呼び掛けても何の反応も示さない。
なぜ家族で一番年若い妹がこんな事になってしまったのかと、
本当に本当に悲しくて、でも両親共に精神に限界がきてるっぽく、
「ここで私が泣いちゃいけない!」と、風呂場で涙が枯れるまで泣いた。

その後、外界からの刺激に反応するようになった。喋れるようになった。
でも、看護婦さんが私を指して「この人は誰?」と聞いても分からないらしく、答えてくれず。
妹の私に対する「知らない人を見る目」は本当に痛かった。20年間見て来た姉の顔を忘れたのか!と。

幸いにもそれから日ごと回復していき、ある日、看護婦さんの私を指しての「この人誰?」の問いに
「…お姉ちゃん。」と答えてくれた時は、今度は嬉しくて涙が出た。
結局、妹は医師もビックリの回復を見せ、現在は薬が手放せないだけで、ほとんど治りました。

先日、初めて妹が大学でやってる演劇の公演に行ったんだけど、
生き生きと演技してる妹の姿を見たら泣けてきました。…チョイ役だったけどね。
姉の私でこれだから、両親の喜びはもっとすごいんだろうなあ。
妹よ、もう病気なんかして家族を泣かせるんじゃないぞ!

836 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/10 03:14 ID:ezDY7pLO
>829
私はいい話だと思ったよ〜

829の事をものすごく大事な大事な娘として見てたからこそ、
829の友達の事も自然に「どうでもいいよその子」じゃなく、
「他所様の大事な大事な娘さん」として見えてたんだろうね。
確かに、飲酒に喫煙ってガラ悪いけど、
そんな風に「大事な宝物」として扱ってくれる人がいると、
自分を粗末にできなくなるもの。
829の家族がいなかったらほんとにドキュソになってたかもしれないね。

837 :趣旨違いでごめんね:01/11/10 18:11 ID:cKAc0E6J
今日、親父から電話がかかってきた(当方、学生で親元を離れて一人暮らし)。
「元気でやっているか。」
それだけだった。母親が亡くなって三年半ほど経つ。姉も結婚が決まった。
最近、ここの話を読んでいただけに、何だか無性に熱くなった。きっと親父も
寂しかろう。そう感じた。なかなか帰省することはできないけど、帰ったらま
た一緒に酒を酌み交わしたいと思う。

タイトルの趣旨とは違うけど、書かせて頂きました。趣旨違いでごめん。

838 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/10 18:20 ID:ScUVA9K2
>833
うん・・・

839 :age:01/11/11 18:14 ID:H1a+DOzx
国連認定(するくらい)第一級優良スレッド

840 :名無しさん:01/11/11 22:05 ID:38dUfD6E
中2の時に闘病の末に亡くなった父とはホローリな思い出が1つだけ。
亡くなった後、読んで知ったのですが、彼が仕事でアテンドした方の
本に綴られた文。
○月○日、仕事の後、お世話になった、○○氏を食事会にお誘いしたが、
娘さんの誕生日という事で、足早に帰宅された。
本当に愛されていたと実感してます。
嫌な想い出は無いけど生きていたら、厳格な人だけに衝突が
繰り広げられていたでしょう・・。
嫌な想い出でも、ぶつかりながら、父から色んな事を学びたかったな、
そして、いつか花嫁の父の娘を味わいたかった・・。

841 :名無しさん:01/11/11 22:16 ID:38dUfD6E
いつも、口うるさくて、やさしい言葉を聞いた事がなかった
母から・・・。
社会人になり、海外でひたすら仕事をしながら、どうしようもない
会社と社長の愚痴を綴った幾度かの手紙の返信で・・・、
「そんなに辛いならもう、こっちに帰ってきたら?そんな所に
いつまでもいる必要は無い」と。
色んな形の友人からの激励の手紙をもっらたが、この手紙を読み、
号泣した。甘えを許さない母の不意打ちの言葉に逆に食いしばって
頑張った。結局、その後約2年働いた後、社長と大喧嘩して
日本に帰った。母は何も言わなかった。とても、温かったよ。
ありがとう。

842 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/11 22:22 ID:jc7hbSLs
一気に読むのもったいないから、少しずつよむことにする。

843 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/11 22:28 ID:jKcUoRvz
小さい頃、納屋で兄貴と遊んでてんだ。
そん時、兄貴の上に馬鹿デカイ蛇が落ちてきてね。
あの時、オイラは思ったんだよ。
「兄貴が喰われたぁ!」ってね。
んでも、あれから20年。
未だにオイラは三男坊なんだ。

844 :名無しさん:01/11/11 22:29 ID:YLieQOqu
幼少の頃、日本人が100名も住んでいない国での思い出。
三人兄弟で本当に、仲の悪い兄弟でした。
それまで仲の良かった友達二人に、
「チンチョン、チャイニーズ!」と言われ、石を頭にぶつけられました。
英語が堪能な姉が近くにいたときの出来事で、家に着くなり、
二人の親に電話しながら、泣きながら、そして怒鳴りながら
抗議していました。しかも私に知られない様に、地下の部屋で。
その時は、まさか彼女が私の為にするなんて!と驚き、照れくさく
知らない振りをしていました。今でも、照れくさくてあの日の事は
言ってませんが、Thank you for your great Love!

845 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/11 22:34 ID:1HuVMPSv
>844
ワラタ。何処の国? 石を頭にって…

846 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/11 22:43 ID:NRuzux7P
>845
何がおかしいの?
黄色人種が差別される国が、世界には今もってたくさんあるんだよ。

847 :名無しさん:01/11/11 22:52 ID:YLieQOqu
今や、観光客もメジローしのリゾート地っす!
ちなみに同世代はイスラム教、キリスト教、ヒンズー教、仏教
色々いたで。さすがにブードゥはいなかったけど。
父に聞いた想い出。「うちは何教?」「無神だよ、でも、
きっと仏教が一番良いのだろうね」
ウサマもブッシュも時代錯誤はハナハナ止めて、このスレの様に
原点に還って欲しいわ・・・。

848 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/11 22:53 ID:KTQhzs6w
ここを読むと家族のありがたみを再認識するね。
親兄弟に囲まれた自分がどれだけ恵まれた環境にいるのかも。
でもそれらがいつか消えるという事に実感が湧かなくて
ついつい親にそっけない態度を取ってしまったり当り散らしたり
年甲斐もなく兄弟喧嘩してみたり…。

もしかしたら自分は家族を失う日まで、受けた愛情を返すこともなく
その時になって初めて後悔するんじゃないかと不安になったよ。

849 :名無しさん:01/11/11 22:54 ID:YLieQOqu
ごめん
847のレスは>845にね

850 :名無しさん:01/11/11 23:03 ID:a7x/XQ9s
どうしようも無い、バカヤローでも、ホローリな想い出は
ある物。殺伐とした社会の中で、優しさを再認識しないと
マルでダメ男くんになっちゃう。
ここは優良スレだ。
明日からまた、小さな事に感謝するわよ。
これって、偽善??

851 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/11 23:38 ID:WG0rK3sk
age

852 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/11 23:55 ID:5iuGE+B1
>850
問題無し。偽善だと思って何もしないより、
たとえ偽善でも感謝の気持ちを持ってる方がよっぽど上等。

853 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 00:02 ID:7GAKRAP5
子供の頃、蒸し暑い夜。なかなか寝られないのでベットを出て
明かりの点いている居間に行った。お袋が起きていたので、
「寝られない」と言った。だけど「こんな時間に起きて来るんじゃない!」
と大きな声で怒られ、しょうがなく部屋にもどり、ベットに入った。
寝苦しかったけど、いつの間にか寝てしまっていた。
ふと目が覚めて横を見ると、薄明かりの中お袋が団扇であおいでくれていた。

854 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 10:46 ID:7A9PkJ1s
久しぶりに田舎の年老いた母親と風呂に入った。
風呂に入ってる間も風呂場のちょっとした汚れを
こすったりする母。
「お風呂ぐらい、ゆっくり入れば?」と言うと
「そうだね。落ち着かないよね。ごめん。」と言った。
なんでだろう。思い出すと涙が出るんだ。

855 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 11:18 ID:NcaHTMGv
>854
なんか私までホローリしてきた・・・

856 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 14:12 ID:xBuJL0FE
小学校に入る前だから、5・6才の頃かなぁ。
母親に五百円札をもらって、近所のスーパーに初めてのお使いに行った。
なんだか誇らしい気持ちでいっぱいで、近所のおばちゃん達に
「これから一人でお買い物行くんだよ」なんて自慢げに話したりして。

で、そのスーパーに着いた時、買い物のメモを見ようと思ったんだけど
どこにもないの。ポケットをひっくり返しても見つからなかった。
そして・…お金も一緒に落としてた。
なんだかやるせない気持ちで、自分がみじめで泣きながら帰った。
母親に怒られるのかなぁと思って気が重かったんだけど、うちに
帰った時に二才年上の姉が僕の涙を見て、すべてを察したらしく
「ん?ここにお金はいってるよ。泣かなくてもいいから、いっしょに
お買い物についていってあげるから」と、姉の手にはお金が。
ポケットの中は全部探したはずだったのに…

そのあと、二人で一緒に買い物にいって、何もなかったように
帰ってきました。20年も前のお話。

このスレッドに書きこもうとして、ここで今思い出したぞ!
母さんから渡されたお金は五百円札だったのに、姉ちゃんが
手に持ってたお金はたしかに百円玉とか十円玉が混ざってた。
あれ、お小遣いから出してくれてたんだね。

857 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 14:25 ID:ncrVwqIe
>853
何か戦前を考えてしまう・・・。いい感じ。

>856
お母さんは怒ると恐い人だったのですか?優しいお姉ちゃんで良かったですね。

858 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 14:34 ID:PVH8gADu
>>856
お姉ちゃん、当時7、8才だっただろうに
賢い&いいコ過ぎ!!

859 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 15:35 ID:7GAKRAP5
>>856
ほんとう優しいお姉ちゃんて感じです。暖かいはなしやねー。

860 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 16:28 ID:ZM3LJMGW
摂食障害でかなり長年悩んでいた私。
勿論、親にはずっと内緒にしてたけど、親元を離れて一人暮らしをしてるにも関わらず
母親は薄々感づいていたようで、かなり頻繁に食料を宅急便で送りつけては
あれやこれや無理に食べさせようとする。
これって摂食障害相手にはすっごく逆効果なやり方なんだけどね…(余計かたくなになるから)。
私は、母親がつくってくれた大量の食料を腐るまで冷蔵庫にいれっぱなしにし
その後、捨てるを繰り返してた。
あるいは一気に食べて吐いて、などということをやっていた。
そういう日々が続いたあるとき、あまりにも状態が悪そうなので一度実家に帰って(遊びに)きたら?
と言われて渋々帰った。
母は父と離婚して自営業なので昼間は忙しい。
私はすることもなく家の中を「何か読む本でもないかな」と捜していたら
母親の寝室でわかりやすい精神病(摂食障害)の本を見つけた。
うちの母ははっきり言って本なんか読むタイプではない。苦手な方だ。
料理の本と、一緒に置いてあったその本を見たとき、なんだか胸がつまった。
ずっと、自分の身体は自分のものなんだから!私の好きにさせてよ、誰にも迷惑かけてないでしょ!と
思っていたし、そうはっきり母親に言って喧嘩になったこともあった。
でもそうじゃないんだ、とやっとわかったような気がした。
その晩、私は母の出してくれる料理を「美味しいね」と次々平らげた。
母親はそれはそれは嬉しそうにキッチンとテーブルを往復していた。
お腹いっぱい笑いながら食べて、吐かなかったのは本当何年ぶりだったろう。
摂食障害が完治するまではそれからもいろいろあったし時間はかかったが
今はすっかり普通の生活。
それもあのときの母のお陰だと思う。

861 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 17:22 ID:yuaUlZ/J
もうすぐ、家族になるはずだった彼女の話です。
彼女はちっちゃい体の割には、すっごいパワフルで元気いっぱい。
いっつも僕はしりに敷かれてました。(笑)
その日もいつものように、仕事が終っていつもの場所で待っていました。
ですが、いつまでたっても彼女は来ない。電話をしてもつながらないし。
「ほんま何しとんねん」とちょっとだけ怒りながら、近くの店に入って時間をつぶ
していたら、彼女の親から電話が。「○○(彼女)が交通事故にあった。」って。
急いで病院に行ったら、ちっちゃな彼女の体は機械に取り囲まれていました。
もう手の施しようがないとのこと。話したいことがあれば今のうちにと医者に言わ
れ僕は彼女の手を握りにいきました。
朦朧としながらも彼女は気付いてくれたみたいで、「あんた。うちのぶんまで人生
楽しみや。」いつも元気良さを装うように言ってくれました。
僕が「あほか。そんなこと言うな。」って言うと、「大丈夫。うちがあんたの背後
霊になって、あんたがえー子と一緒になれるようにしたるし。」いつものような明る
さを見せてくれてた。
そして最後にすごい優しい声で、「○○君(僕)の彼女になれて、うちほんま幸せ
やったよ。」って。
肺に骨が刺さって、ほんまはめっちゃ苦しいはずやのに・・・。
ほんまはめっちゃ痛いはずなのに・・・。
その5時間後くらいに彼女は息を引き取りました。

僕も思ってまいす。
○○(彼女)の彼氏になることができて、
喜びも悲しみも共有することができて、
人生を一緒に歩くことができて、ほんま幸せやったでって。

862 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 20:31 ID:vjDjLb1Q
おととし自分と母子ふたりだった母親が死んだ、八十四才だった
入院したときは、まさかそんなに悪い病状だとは思ってもいなかった
検査の結果は肝臓・腎臓・骨盤と、どこから発症したかわからないほど
転移しまくりの末期がんだった、、、半年間の闘病ののち他界した
最後の半月までは意識もあったしベッドの上に起きてもいた
これなら一年ぐらいは生きてるだろう、いや治るかもしれない
それぐらい安心していたんだ。
仕事帰りに三日に一度ぐらい病院に顔を出した
たまーに一週間に一度ぐらいになった
いつもは無精な自分があまりマメだとあやしまれるとおもった
あるとき隣のベッドのおばちゃんが被っているナイトキヤップの様な
ネットの帽子が欲しいといった
似た様なものを買って来てくれといった。
男の俺はそんなおばちゃん向けの衣料品をどこに買いにいけばいいのか
良く分からなかったので結局忘れてしまっていた。
しばらく顔を出していなかった、ある日の深夜三時に電話がなった
意識不明だという、慌ててタクシーを飛ばした
つい先週まで起きて元気そうだった母が昏睡状態に陥っていた
結局、一度も意識が戻らず帰らぬ人となった。
不思議だったのは母が欲しいといっていた帽子を被っていたことだった
借り物だと困るので、看護付さんに聞いてが分からなかった。
葬儀の最中はあわただしくそんなことは忘れていた
出棺するときも最後に身に着けていたしあれだけ欲しがっていたんだからと
その帽子のまま見送った。
親類も、母の知り合いもみなくちぐちに、
いつも身の回りをキチンとしていた人だから
最後まで身だしなみに気をつかったんだよといっていた。
荼毘に付すため、ホテルのロビーのように妙にこぎれいになった
焼き場の控室で親類連中と食事をしていた、
すると他の人の葬儀で通りかかった身知らぬ人が
母の遺影に気がつき声をかけて来た、
母のとなりのベッドに入院していたおばちゃんの知り合いだという
おばちゃんのお見舞にいったおり母に帽子をかって来てくれと頼まれて
おつかいにいったという、、、
なんというぐうぜんか、、、
ありがとうございますありがとうございます
ただただ号泣するしかなかった。
なぜ自分が母の願いをかなえられなかったのか
なぜ赤の他人に頼まなければいけなかったのか
そしてここで引き合わされてお礼をいえという母が
死んだあとのことまできちんと後始末をした母が
かなしく、そしてうれしかった。

墓に衣は着せられぬ 孝行をしたいときには親は無し

まさしくそのとおりでございます。 長文スマソ

863 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 21:08 ID:MLSg/oia
洒落抜きで、潔癖症ドケチの祖父。しかも暴君。祖母とは毎日喧嘩。
今思ってもそこに愛があったとは思えない。
孫のことも愛せず、遊びに行っては、祖母にあいつらはいつ帰るんだ?!
と怒鳴り散らしていました。
その祖父が、祖母が亡くなり一軒家で一人寂しく暮らしてるのを気遣い、
母と姉と三人で遊びに行った時、会話が無く、沈黙の数時間後、帰宅の徒についている時、
祖父の「おーい、おーい」と言う声が聞こえました。
絶対に断言できるほどそんな事をしなかった祖父が、私の目から見ても
米粒に見えるほどの距離の私たちに別れを告げていました。
ほんと〜に寂しかったのだと、実感します。家族みんな、彼のことを嫌っていましたが
その日の帰り道は一言も離さず、切ない気持ちで一杯でした。

864 :>861:01/11/12 21:19 ID:dKWT5Vze
あまりにも悲しい話ですね。
久々になきました。

865 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 21:21 ID:MLSg/oia
やばーい。今、ドツボの私。高校卒業してから、実家から
海を越え、てん点としてる私。
まじっで、帰りたい。
もう、30手前。ここのスレ読んで、
最近ダメになった彼との未来を思い、号泣。
私も家族を作りたい・・・。今はもう、とにかく帰りたい、
あの暖かい家族との日々に・・・・。

866 :オヤジ系27歳:01/11/12 21:25 ID:NX8LAmMb
帰りたーいー
帰れーなーいー
さよなーらー
カントリーロード

867 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 22:15 ID:MlCPri81
age

868 :GAMBETTA:01/11/12 22:51 ID:7GAKRAP5
>>1みたいな悲しくはないけど、なんかじんわり来てしまう話をもっとプリーズ。

869 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 22:56 ID:V89Obe5n
>865
元気出して。
休みがとれたら、帰っておいで。

870 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 23:25 ID:BN5zRUpa
なんかココロが温まるスレだ
ココ↓の「思ひで」も結構ホロ〜リくるYO!

http://www.geocities.com/crazydizzy2001/

871 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/12 23:29 ID:BYqOXuqn
今日、久々にジャンクフードが食べたくなってマックに行った。
中年の細身のおじさんが、隅っこの席でひとりでハンバーガー食べてた。
その丸まった背中が、父親を彷彿させた。
数年前、癌で胃のほとんどを摘出してしまった彼は、もっと痩せてて
50過ぎには見えないほど老けてしまった。
ここ数年、彼は単身赴任でたまにしか実家に帰って来ない。
あんまり無茶しないでよね・・・。

872 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/13 23:32 ID:Iv9CJQjZ
ホローリというか、けっこう号泣なスレ…。

小さい頃、冬の夜はこたつに入ってテレビをみながら
いつの間にか寝ちゃうことってよくあった。
そんなとき、父や母がそのまま抱き上げて
お布団まで運んでくれたものだった。
途中で気づいても、めんどくさかったし
抱き上げられて運ばれるのがうれしくて寝たふり。
そんな両親も、年とっちゃったなあ。

私は、いまじゃ、誰も抱き起こしてもくれない
でかい女になってしまいました。

873 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/14 00:46 ID:J22+5MRB
小学校入ってすぐの頃、学校で「○日までにお道具箱を用意して下さい」
という内容のプリントをもらったまま存在を忘れ、放置。
気付いたのは「○日」の前日の夜。もう買いに行くことはできない。
消防なりたての私は動揺しまくったが、母になだめられ眠りについた。
翌朝、出かけぎわに「これに入れといたから大丈夫」と母に袋を渡され、
「?」と思いながらも学校についてその袋を開けると、
空き箱にキャラクターの切抜きを貼ったお手製お道具箱が。

遅くまで起きてやってくれたんだなーと思ってすごくうれしくて。
他のクラスメイトの、買ったばかりのお道具箱にも負けていなかった。
親は「今度ちゃんとしたの買ってあげるから」と言ってくれたけど、
それがお気に入りでボロボロになるまで使い続けた。

今でも、あの袋を開けたときの驚きは忘れられない。
大したことない話だけど、私にとってはホローリ。お母さんありがとう。
長くてすみません。

874 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/14 00:54 ID:BC9Dhco0
>>832
貴方とても心の優しい人

875 : :01/11/14 01:08 ID:fH2fZNMt

俺が厨房で荒れていたある日の午後
母親を振り払うのに背負い投げした事を思い出すと切なくなる。
その時初めて子供の頃から強い守ってくれる存在だった母親が泣くのを見た。

学校をサボって遊びまくり親の金騙し取っていた
真性で目も当てられないDQNだったがその後改心して
海外の学位を取り海外に移住して親を遊びに呼んであげたり
一緒に旅行へ行ったりしてすることで親に償っているつもり。
とっても感謝されているのは感じるし、喜んでもらえるのが嬉しいし、
肝心の親とは仲良いしそんな事全然覚えていないらしいんだけど
当の本人は子供心に覚えているんだよネ・・
ごめんよ〜。

876 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/14 01:09 ID:YDSC3V3r
>>873
俺もほろーりしたよ。
そういうのは捨てずにいつまでも持っておきたいね。

877 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/14 01:53 ID:ShfkJDi9
age

878 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/14 01:57 ID:rQGDShF8
>875 「覚えてない」と言っているのは親心

879 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/14 02:05 ID:5vO/Va5F
age

880 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/14 02:47 ID:t/ubWFs6
>>873
私も同じことあった。
でも、私はその貼ってあったもの(っていうか縫ってあったんだけど)
それが気に入らなくて(他の子のと違う!と思って)、学校で
はがしちゃったんだよね。そんで家に帰って「変なもん縫って!」って
親に怒ったんだよ。
謝ってないな…あの時はごめんねママ。

881 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/14 10:17 ID:CWn2Wy0g
>875
背負い投げ!?振り払うのに??
ダイナミックな荒れ方だなあ(w
でも背負い投げって、後ろにいる人を自分の前に投げ倒すんじゃなかった?
あんまり振り払うって感じじゃないよね。

882 :No1:01/11/14 14:59 ID:nP2/kmIF
まだ>>1-23 しか読んでないけど。
ネタが面白すぎ!!! 期待age

883 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/14 16:11 ID:0UpDFTB5
長いけど祖父のこと。

共働きだった両親にかわって面倒みてくれたのが一緒に住んでた祖父母。
とくに祖父と仲良しで、小さい頃はいっしょにお風呂にはいったり、
だっこしてもらっておこたつにあたって相撲みてた。

去年からがくっとから体調わるくなって、痴呆も出てきた。
あんなに頭もしっかりしてて丈夫だったのに。
帰省していて2人きりになったとき、

「おい、○○子や。オレな、ちょっとバカになってきてるからな。
 おかしなことやってたらしたら叱ってくれや。
 ○○子のいうことなら、オレはきくから。」

って。
しわしわでごわごわでかさかさの手であたしの手を握って言った。
あったかかった。
叱れるわけないじゃん…

その数ヶ月後、91歳で亡くなっちゃった。
横たわってる祖父は冷たかった。
組んであった手も冷たかった。
1晩明けて、また祖父の手を触った。
きのうよりも冷たく硬くなってて涙でた。

おじぃちゃんのいっぱい働いた手、忘れないよ。
よしよしって頭なでてくれた手、忘れないよ。
あったかい手、忘れないよ。

884 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/14 16:54 ID:bJXB8jc3
小説とか映画とか、
「死んでしまった人に、もう一度だけ会う」シーンって結構あるよね。
そうゆうのに昔から弱かったんだけど。


実際に今年に家族が亡くなって
その手のストーリーを思い出すだけで涙ぐんでしまう。

二度目の別れが辛すぎるからなんだよね。

もしもタイムマシーンで、大切な人が生きていた頃の
「一日」に戻れたら・・・・・なんて想像してしまう。
そのときは、今はもうできないことを思う存分して
楽しい一日を終えたい。

でも、「失う日」を知ってる自分は、
顔を見ただけで泣き崩れてしまいそうだ。

独り言でスマソ。
ホロ〜リ話じゃないから、sage。

885 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 02:07 ID:29qL4Yjb
く〜 泣ける。

886 : :01/11/15 02:48 ID:M3VH6syj
まぁ思いでは殆ど美化されるからね。

887 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 10:36 ID:xLy/Lj1q
>>886
私は美化されてないけど。
嫌な事は嫌な事、良い事は良い事のまんまだよ。
自分の中で美化する必要を感じないよ。

888 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 10:53 ID:65iHQHPg
昔、他のスレにも書いた気がするけど…

うちの母は、若い頃とても体が弱かった。
入院や手術を繰り返す母に、父は
「わしの元気を半分やりだい・・・」
と言ったそうで、母はすごく感動したらしい。
が、次の瞬間父は
「いや、半分もあげたらわしの元気が足りなくなるしなぁ・・・」
と考え込んだそうな。
その話を教えてもらったとき、母は
本当にもらえるものでもないのにね、と笑ってたけど、嬉しそうだった。

ちなみに今、母は山登りの好きなスーパー体育会系の
元気な人です。

889 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 10:59 ID:65iHQHPg
このスレ、本当に危険だ…
仕事中にサボって読むんじゃなかった
涙が〜〜〜

げ、社長が帰ってきた…
どうしよう

890 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 11:07 ID:ByHCdhnY
19歳のときに父が45歳でガンで亡くなりました。
お葬式も初七日も済んで少し落ち着いてきた頃に、夢に父が出てきました。

私が一人居間でTVを見ていると、休みの日の格好(セーターにジーパン)の父が
「ただいま」と言って居間(2階)に入ってきました。
私は死んだはずの父が帰ってきたのでビクーリして声も出ず、ただただ父の
泣きながら手を握りました。
父は「一つだけ言い忘れたんだけど、お母ちゃま(父は母のことを昔から
こう呼んでいた)のこと、本当に頼むよ・・・」(ちなみに私は一人娘デス)
とだけ言って、部屋から立ち去ろうとしました。
私は階下にいる母に会わせてあげなきゃ・・・!と必死に母を呼びますが、
気付いてもらえず・・・

というところで目が覚めたのですが、眠りながら本当に泣いていたらしく、
自分の泣きじゃっくり?で起きたようでした。

亡くなって7年経ちますが、この夢は今でもハッキリ覚えています。
長文スマソ・・・。

891 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 11:10 ID:ByHCdhnY
>>890

>ただただ父の泣きながら手を握りました。
 ↑
ただただ泣きながら父の手を握りました。

ハズカシイ・・・。

892 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 11:52 ID:TbFey9lx
     ヽ(`Д´)ノ ドイツモコイツモ、ナカセンジャネーヨ!
       (  )   ウワワァァァァァン!
       / ヽ

893 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 12:06 ID:7k12mydr
父との会話が減っていた高校時代、家族旅行に行った時のこと。
旅先で偶然、十数年ぶりに父の仕事上の後輩だか部下だかに
再会(母と私はその人には初対面)。
挨拶を交わしたあと、その人が父に「こちらがあのご自慢の
お嬢さんですね」と私のことを指して言っていた。
そういえば小さい頃はパパにべったりだったから、父も会社で
親バカぶりを披露してたのかなあと思って、なんだかほっこり
したのでした。パパ、大切にするからね〜。

894 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 13:08 ID:Z6cG9bKs
天気のいい日には必ずうちのマンションの前に椅子を出して座ってる
赤い毛糸の帽子をかぶったお爺さんがいました。
数ヶ月後、外から帰ってくると、小学生くらいの子供数人が
お爺さんに向かって生卵を投げてるのを目撃。
怒鳴って近寄ると、マンションの大家の子供とその友達でした。
「何してんねん!」と子供の頭を叩くと
「だって、この人、お金払ってないから苛めてもええよってお父さんが言うたんやもん」。
お爺さんは家賃を滞納していたようで、大家である子供の父は、
子供を使ってお爺さんを追い出そうとしていたらしいのです。
子供を追いかえし、卵で汚れたお爺さんの上着を洗濯。
今までは挨拶程度だったのですが、このときはいろいろ話しました。
数年前に奥さんを亡くし、年金で暮らしていたそうなのですが
息子さんの子供が中学校に入り、なにかと物入りのようで
唯一入ってくる年金の半分以上を息子さんに持って行かれるとか。
それでも、お孫さんの話をするときはとても優しい笑顔になるんです。
家賃も払えず、電気、ガス、水道、電話も止まったまま。
私自身、小さい頃貧乏で、近所の方に助けていただいたこともあるので、
夫と相談し、家賃と公共料金を支払いました。
大きなお世話だったかもしれないけど、もう本当に見ていられなかったのです。
その数ヶ月後、お爺さんは亡くなりました。
お葬式から数ヶ月たったある日、お爺さんの息子さんが訪ねてこられたのです。
「父からです」と差し出された物は、
お爺さんがいつもかぶっていた赤い毛糸の帽子と封筒に入ったお金。
帽子を私にあげてほしいとの遺言だったそうです。
お金は、私たちが支払った家賃と公共料金の分を返そうと、
年金を少しずつ貯めたものらしく、「半分にも満たなくて申し訳ありません」の手紙が。
帽子だけありがたく譲っていただきました。
帽子を見ると、お爺さんの優しい笑顔を思い出して涙が出てきます。


長文スマソ。

895 :894:01/11/15 13:12 ID:Z6cG9bKs
つーか、家族の話じゃないし。
重ね重ねスマソ。

896 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 14:41 ID:aAO34BAX
>890さん、わかります。
夢の中で会えると、すっごいあせりますよね。
私は今年の夏に父を亡くしました。

私の場合は「これは夢」とわかってるので余計にです。
(今、今のうちに会話をしなければ!!)って慌てちゃうんです。

死に目に立ち会えなかったので、例え夢であろうと
話ができるのならば、その機会を逃したくなくてパニックになって
胸がつまってしまうの。。。。
(待って、待って、消えないで!!母にも姉にも逢って行って!)と
慌ててしまって泣くだけ。

890さんと同じで、目が覚めると顔中が涙でした。

897 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 17:20 ID:n8rGaetN
>895
いいじゃない。
謝らなくて良いよ。
とっても良い話をありがとう。(泣

898 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/15 19:38 ID:nra7VVvj
まだ女子高生だったころ、ともだちと年末カウントダウンライブに行った。
事情をよく知らなかったため、終了が予定していたより大幅に遅かった。
電車のダイヤは普段と違うし、その頃携帯なんて持って無かったし、
迎えにきてもらうための電話をしたのは自宅近くの駅についてから。

迎えに来た父は「心配した、こんなことするなんて…」と怒っていた。
私は悪くないのにねちねち言うなんてヒドイ。自分はあちこち遊びに
行くくせにわたしが行くのは気に入らないんだ…とちょっと恨んでいた。

けど、ここのスレみてその時どんだけ心配かけたのかやっとわかった。
きっと「電話ないよ〜、○○からまだかかってこないよ〜、どうしよう〜」
と部屋をぐるぐる歩いていたに違いない。
なんか、想像しただけで涙が出てきた。
心配させちゃってゴメンね。ありがとう。
今度帰省したら何かおいしいもの作ってあげたい。

899 : :01/11/15 22:37 ID:2jZTPQP4
                       ああああ(涙


                      おやじいいい!!!!!

900 : :01/11/15 22:37 ID:2jZTPQP4
で900げっちゃ!

901 : ?:01/11/15 22:52 ID:wmydQMa2
私の両親は離婚してます。正式に離婚したのは私が15の時でしたが
それ以前から母は度々家出をしていました。
不意に家を出ていって、何ヶ月も帰って来ないのです。
ある日目覚めると、母がいない。父に聞いても「知らん!」と言われる。
でもいつか帰ってきてくれると信じて、いつも通りの生活をしていました。
数ヶ月後、「今から帰る」と言う母からの連絡で、楽しみに待っていたのに
帰って来た母は、無言で自分の荷物をまとめ始めました。
「お母さん、帰ってきたんじゃないの?どこ行くの?」
「ごめんね、もうこのうちにはいられないの。○○(妹)の事、頼むね。
 お姉ちゃんの言う事よく聞いて、元気でね」
「どこに行くの?私も行く!」
「あんたを連れて行く事はできないの。お父さんとの約束だから・・・」
そんな会話を交わし、わずか20分足らずで母は家を出て行きました。
妹と二人、泣きながらタクシーをおいかけましたが追いつくはずもなく・・・。
後日、父の浮気が原因だったと姉に聞かされました。
あれから18年、母の消息はわかりません。

902 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/16 00:42 ID:QtuScoTv
小学生のころ、たまに夜家族で車でドライブに行くことがありました。
車の中にある飴などを舐め、音楽はお父さんやお母さんの好きな
『リバーサイドホテル』や『いっそセレナーデ』、『恋人よ』などが流れていました。
別にそこらの流行の音楽でもよかったし、当時チャゲアスに興味を持ち始めた俺でしたが、
この時間には昔の曲を聞くのが好きでした。

行き先はどこと決まっているわけでもなく、
ただ暗い夜道をブーンと車で走っていくのがものすごく楽しかったのです。
当時の会話とかはまったく覚えてないのですが、
雨と音楽、暗い夜道というのは何かにつけて頭に浮かんできます。

あの時は楽しかったなぁ・・・

もう離婚してしまって二度とは体験できないけれど、
いや、だからこそ心に残るのかもしれないです。

これまでのレスを見て思ったのですが、
もし離婚した父が亡くなっても俺の元にはきっと連絡はこないんでしょうね・・・
今だって生きてるって保証はないんだから。
小さい頃から育ててくれた父なのに、離婚したら会えなくなるって寂しいな。

どうか父が今でも元気で生きていますように。

903 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/16 02:08 ID:AmFK6sqq
僕は親孝行がいつできるんだろうか・・・

何かあった時は必ず父が解決してくれた。
ファザコンとよばれてもかまわない。
父の息子である僕は父に迷惑をかけっぱなしだ・・。

904 : :01/11/16 03:18 ID:68YWyqdp

 幼稚園の頃遠足でサンリオピューロランドへ行った時
5000円のサンリオ商品券で親と一緒に
色々小さなもの買いものしたり歩いて回ったのを鮮明に覚えています。
今じゃ親と一緒に買い物なんて恥ずかしくて出来ないけど(21歳男)
あの頃よく一緒に買い物したり出かけたの超嬉しくて楽しかった。
今まだ心配かける身だけどいつか結婚して子供で来たら
お袋に俺にしてくれたように孫にも同じ事させてあげたいな!
恥ずかしくてこんな事言えないけどお袋今でも大好きだぜ!

905 :アニヲタじゃないけど、:01/11/16 13:19 ID:2Oljzqeq
「自分は親孝行できてない(できなかった)のではないか」と悩んでる方達は、
ドラえもんの「のび太の結婚前夜」を観よう!
昨日子供と一緒に観てて涙腺が激しく刺激されました。
ジャイアンもいい味出してます(w

906 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/16 15:33 ID:5hfMi/Uu
>>904
涙が出そう。
そんな私は来月、息子が生まれます。

907 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/16 15:47 ID:vHZ3FRKA
>906
>そんな私は来月、息子が生まれます。
青い鳥スレを思い出したよ…

908 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/16 16:41 ID:AYUd0xNe
ここを見てると、「親にされたひどい仕打ち」の方が合う私は
来月絶縁しようと思っても先延ばしにしてしまう。
みんなのようなホローリの思いでは何一つないし、この先もひどくなりそうだけど
やっぱり親だからね。みんなええ子に育ったなぁ。グスン

909 :お詫びいたします:01/11/16 17:01 ID:zJq8CtqJ
>>882 です。
全てのレスを読ませていただきました。
感動で涙が止まりません。
このスレを読破する為に2日間仕事をしていませんが後悔は無いです。
私をここまで育ててくれた両親の為にも来週からバリバリ働きます。
この冬のボーナスで旅行にでも招待したい気分ですが、
その前に借りてるお金返します >お母ちゃん 

910 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/16 17:04 ID:fu4FQqVc
読むだけで2日もかかるかなぁ。30分あれば読めると思うけど。

911 :909:01/11/16 17:39 ID:zJq8CtqJ
>>910
会社で読んでるんで・・・ コッソリと・・・
って30分(゚д゚) 無理ッス

912 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/16 18:19 ID:ViKp+R2m
>>908
これだけの心あたたまるレスを見ても、一方で貴方のように不幸にも
親に恵まれなかった子供が存在する事実も否定できません。
スレ住民は嫌いだけど「馬鹿親スレ」があるように。

けどそれを反面教師にして貴方がほのぼの家族を新たに作ることが出来たなら
生んでくれたことだけでも、親御さんに感謝できるかもしれませんね。

913 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/16 18:24 ID:VLM4aKPd
親の反対を押し切って一人暮らしを始めた。
最初は快調だったのだけど、色々な事が重なって、身体を壊して
入院した。
それも内緒にしてたはずなのに、どうも友達が知らせてくれたら
しい。身の回りのものや、好きだった果物を持って来てくれた。

目がさめた時、母親と父親が顔を覗き込んで、手を握っていてく
れたのが一番嬉しかった。
結局単なる疲労だったんだのだが、退院するまで毎日遠いところ
を二人で来てくれて、結局入院費まで貸してくれた。
「身体が辛くてどうにもならなかったら連絡くらいしなさい」と
叱られたのが、懐かしくて、親が帰ってから泣いた。
一生懸命持ってきてくれたタオルから家のにおいがして、とても
切なくなった。

それからは、数ヶ月に一回は会って食事をするようにしたりしてる。
あの時、「家にはお前の衣類がなかったから」って慌てて持って来て
くれたのが母の下着だったのが後からじんわり笑えていい。
やっぱり親はいいなーと思った。何かすごーく困った時や苦しい時、
つい「お母さん…」と思ってしまう自分が情けなくもあるが。

914 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/16 19:45 ID:z6+PI6vn
家族じゃないけど。
実家から遠く離れた片田舎の専門学校生のとき。
授業が厳しく、その日も家に帰ったのが夜の12時頃。
ベッドの上に小包が。
何だろう?と思い、宛名を見ると高校時代の親友からでした。
中にはT-シャツと手紙が・・・。
「初ボーナスがでて、買物してたら○○に似合いそうなの見付けたので買っちゃった!
趣味じゃなかったらごめんね、でも暑いところだから何枚あっても良いよね!」
少しホームシックも掛かっていたし、号泣しちゃった・・・。
今でも、ホロリします。
その親友は先月結婚しました。相変わらずの辺境の地からの出席で
とても感謝してくれて、直々にブーケ貰っちゃいました!
私のほうがありがとうだよ・・・!
人って、ちょっとの事に感激出来ちゃう物なんだよね。
これからも頑張って生きていこう!

915 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/16 20:19 ID:iZlZkyF1
貧乏な小学1年の時、一年に1度行くデパートのレストランで
「スパゲティナポリタン」と「グラタン」ですごく迷ってた時
両方とって食べさせてくれたこと。母は私の残りだけ食べてたな。

916 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/17 16:22 ID:9IZsyCKg
>905
ドラエモンなら、ノビタがタイムマシンで
生前のおばあちゃんに会いに行く話で号泣した。
あれを見た後、用もないのに祖父母の家へTELしたよ。

917 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/18 16:30 ID:K2WpVV0W
>915
ほろり。。

母親って家族の残りもの食べてたりとか、娘の着なくなった服とかきてたりしませんか。
なんだか私の世代って贅沢でわがまま?

私の母が、私が高校の時に使ってた古い定期入れを使っているのを見て、
母の誕生日にブランドものの赤い定期入れを買ったら
すごく喜んでいた。
その晩、母のバッグの横を見ると、同じような新しい赤い定期入れが!
なんと、私は昨年も同じことを考えて同じ物をあげていたのだった。
だけど、母は同じものを貰ってもそんな事全く気にしてないようで
ほんとうに素直に喜んでくれていた。
昔っからそういう人でした、全くおしつけがましい所がなくって。
心の底から尊敬してます。

918 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/18 16:35 ID:qJ1AdvOp
>>917
なんでそんなお母さんから
こんなガサツな奴が誕生したんだろ(w?
不思議だね(w

919 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/18 16:57 ID:WOh5X8qd
>918
ちょっとワラタ

920 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/18 17:20 ID:RD7VgURg
>>918
子どもの原材料は母親だけじゃなかろうて。

921 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/18 17:22 ID:O8m91f7+
ここ読んでなかなか会えない両親にシャツをそれぞれ
買った。孫の学校の記念写真添えて送ろうっと。

922 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/18 17:46 ID:hxlnQyNk
>>914
読んで感動しちゃったよ。
この頃涙腺ゆるゆる、年かな。

923 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/19 04:14 ID:pTxs4HMN
僕も一つだけ大切に覚えているのがある。


 貧乏だった小学生の頃一車両5000円くらいする
電車の小型模型ラジコン(ゼロゲージだっけ?)が学校で流行っていて、
周りの友達は皆それに夢中だった。中には10両位持っている友達もいて
僕はいっつも羨ましいなって思ってた。でも家には今兄姉が医大へ行ってて
お金が全く無かった。

ある日お母さんと近くのデパートに食料品の買い物についていき、
入ったデパートの入り口にあったその電車の模型に目が止まった僕は
当時その模型がとっても高価なもので買ってもらう気なんて
全然なかったのでせめてずーっと「いいなー」って具合に眺めていたんだけど、
それを見た母親が
安いパートの給料で稼いだ5000円札が1枚だけ入った
赤い古くなった財布から財布をパチッて開けて、
なんとその電車を僕に
「いい子にお留守番してるからプレゼントね」って言って買ってくれた。
凄い嬉しかったけど子供心に大変なのに親に悪いな〜って思ったのを覚えている。

それから夕方自転車で食料品は何も買えずに家へ帰った。
一回り大きな自転車に乗っていたお母さんは
なぜか凄く満足そうな顔で笑いかけていてくれた。

924 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/19 08:13 ID:LBHmiJLd
>923
ホロっとジワっときた。
お母さんも、きっとすごく嬉しかったんだね。

925 :おかさなくわえた名無しきん:01/11/19 09:59 ID:Z6Z0hObV
福岡県でAVの充実してるビデオ屋知りませんか?
できれば大野城方面でお願いします。

926 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/19 10:50 ID:ewaYpsgD
両親は私が小学校の時離婚し、
母とずっと一緒に住んでいたがその母がおととしなくなった。
父は今どこで何しているか知らない。

ここ読んで両親が仲良かった頃、
3人でドライブして海のそばのホテルでご飯たべて
青いクリームソーダーを飲んだことを思い出した。ホローリ

927 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/19 11:03 ID:pQDAD4HX
>926
なんか君の事ギュッと抱きしめたくなった。

928 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/19 11:06 ID:ewaYpsgD
>927
ありがとう!

929 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/19 11:18 ID:RLv8uhLe
>>923-925
気持ちがふわ〜っとあがってガーーンと落ちた。

930 :929:01/11/19 11:19 ID:RLv8uhLe
でも>926でまた気持ちがふんわりあがった。

931 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/19 11:24 ID:Xkdo/4FF
余計なお世話なんですが両親がご健在なうちに「ありがとう」と
言ってくださいね・・皆様。
私は両親を亡くしているので・・
父には「ありがとう」と言えずじまいで亡くなったし
母には「ありがとう」と書いた手紙を棺にいれるのが精一杯でした。

932 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/19 12:26 ID:EEJhiYjy
昔、高3の頃の話。
父親は怒ると、とても怖くて隠れてタバコを吸っていたのだが、
或る日、父が仕事で留守中に隠しておいたタバコを取り出そうとしたら、
なぜか封を切っていない新しいタバコが置いてあった。
 ばれてたのねぇ…
その後、父から「酒のタバコも程ほどにしろ。」とヤンワリ怒られました。
 DQNですまん

933 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/19 13:25 ID:OFKvpkAl
>>932

年頃の男の子ならよくあること。
親父さん、大切にしなよ。

934 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/19 14:07 ID:+rN0xt14
末期ガンの父。ガンによる腸閉塞でまったく口から食べれなくなった。
点滴だけで生きていた。
そんな父とある日言い合いになった。
私は1人暮らしだったので食事はコンビニとかで済ましていた。
父は、そんな私を見て
「ちゃんとご飯を作りなさい!女なんだから」と。
私は
「1人分作ったってあまるだけだもん。」
そうしたら
「お父さんが食べてあげる!
 あ、もう食べれないんだった。」と言い悲しそうな顔をした。
そして
「1度でいい。おまえの作るご飯が食べたかった。」

それから亡くなってしまったお父さん。
本当に作ってあげられなくってごめんね。

935 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/19 15:03 ID:1VKZ4jKO
泣けた…
私もお父さんにすなおに「ありがとう」って
言えないんだよね…
なんか照れくさくて。

ここ見てたら家に帰りたくなった。
(実家に住んでんだけど、今仕事中)

936 :932:01/11/19 19:36 ID:vl9noc4S
>393
はい、大切にはして来た筈です。
なにせ、30年間、2人暮らしでしたから。

 うちの両親は俺が小さい頃に離婚していまして、
ずっと父と暮らしていたのですが今年、父が亡くなりました。
葬儀の後、相続手続きの為、両親の離婚により養子に出た
弟と連絡を取る必要が出て来た。
戸籍謄本を頼りに、何とか向こうの父親と連絡を取る事が出来、
無事、相続手続きは終了しました。
父からは何も聞かされては云なかった為、怖かったのですが向こうの小父さんは
快く、応じてくれた(と思う)。

 その後、49日法要(と新盆)に弟が来てくれる事になり、
其処で実に30年ぶりに弟と再会する事となりました。
30年ぶりの弟は若い頃の父に良く似ていて、確かにこれは弟だと思いました。
 49日法要終了後、家で弟と話をした。きっと、こんな事でも無ければ
会う事も無かったかもしれない。何と無く会っては見たいと思っていたが、
きっかけが必要だったのは確かだと思います。
 取あえず、弟に「捜し出してくれて有難う。」と云われたのは、
嬉しかったです。

937 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/20 02:03 ID:epmtMcrH
>936
今度は弟さんと仲良く人生送って頂きたい。
お父様も喜ばれる筈でしょう。

938 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/20 16:46 ID:ewU3w7iO
age

939 :332=336です:01/11/20 17:35 ID:ctabfY6A
度々、すみません。

>937
頑張ります。

 弟とは再会出来ましたが、後は離婚した母親の事が残っていました。
正直、弟のことよりも悩んだ。何せ離婚したのは30年前で母は20代前半の筈で、
再婚をしていても可笑しくない。
だいたい、離婚をした理由も知らないのです。
色々悩んだが、取あえず父が亡くなった事と弟と再会出来たと言う事だけでも
報告しようと思い、手紙を書きました。
宛先はやっぱり、戸籍謄本に書かれていた母の本籍です。
 返事は約2週間後に来た。
その日の夜、母から電話がり、其処で初めて知った離婚の理由は
母が体を壊したので、実家で静養を取る為との事でした。
今は、別の所に住んでいるとの事。一度こっちへ来て見たらと誘われましたが、
「其の内に。」と答えて電話を切る。
「再婚したのか?」と云う事を訊きそびれてしまった事に気が付いたのは、
電話を切ってからでした。

聞くのが怖かったのかもしれません。

(つづきます)

940 :332=336です :01/11/20 17:37 ID:ctabfY6A
(つづきです)

 しばらくして納骨式の為、弟がやって来ました。
納骨式の後、母に納骨式を済ませた事を電話で報告し、
弟も家に来ていたので弟と電話を変ろうと思い、
 「弟と変わろうか」と母に伝えた時、しばらく間があったのは、
やはり、母も気にしていたと云う事か?
 「代わって。」と云われ、弟に受話器を渡し、洗濯物を取りに行く振りをして、
外に出ました。

 取あえず、一度、逢いに行かないといけないかなと弟と話し合いました。

 まだ、弟に対しても母に対しても、ぎこちない対応しか出来ませんが、
30年のぶりな訳だし、ゆっくり、やって行こうと思います。

941 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/20 21:29 ID:DEeVPaOq
>940
そうだね、ゆっくりやっていけばいいよ。

942 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/21 01:45 ID:WrGGxz1W
しかし、1もよい徳を積んだね。

たとえ死んで地獄に行っても、1のところには極楽から蜘蛛の糸が下りてきそうだ。

943 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/22 17:55 ID:Nr+YOj3v
age----!

944 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/23 00:37 ID:SvfvMdb0
うーむ。
書きたいことは有るのだが、文章に出来ない
自分が悲しい。

945 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/23 02:06 ID:gBkHo1RG
学校で陰湿な虐めに会っていた頃、歯を喰いしばって毎日行ってたけれど、
クラス換えの時にその頃一番酷い虐めを仕掛けていたグループと
また一緒のクラスになった。(先生は、その事を知っていたのに放置された)
「あ、もう駄目だ」と思って、始業式の夜に自殺を図った。
離婚して当時深夜まで働いていた母が、偶然にも早退して意識不明の私を
発見したらしい。
その時は、離れて暮らしていた父も病院まで駆けつけてくれたなぁ。
意識が戻った時も、あの口煩い母が、一言も問いたださなかった。
私も「虐められている」と親に言うのがたまらなく恥かしくて、何も言わなかった。
でも、それから1年余りヒキになった私を毎日「xxちゃんのこと、大好きよ」
と、本当に毎日言ってくれた。自分は汚くて、クズで、気持ち悪いイキモノと
思っていたから、母の「大好き」って言ってくれる言葉を聞くたびに、何だか
自分が生きている事が許されていくみたいで嬉しかった。

あれからもう10年。
今では、曲りなりに自活しているけれど、今思うと離婚直後で精神的に参って
いた時、疲れ果てて帰宅して、そこに意識不明の子供を発見した母の気持ちを
思うと、申し訳なさでいっぱいになる。
お母さん。未だにあの事は一言も話題にのせないし、聞きもしない貴方の
優しい姿を見る度に、貴方の子で、そうして今も生きてて良かったと思うよ。

946 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/23 02:50 ID:6l4bjt7K
中学生くらいになってから発見した自分の育児日記。
ぱらぱらとめくると始めの方に少し書いているだけで、
あとは真っ白になっていた。
なんだかがっかりして最後の方の文章に目を落とすと、
「仕事をすることになったので、もう書けません。ごめんなさい」と
何度も私に謝っていた。 ホローリした。

947 :cat ◆XaPDK2RQ :01/11/23 19:39 ID:bNZ85486
涙が止まらん・・・age

948 :123:01/11/23 19:52 ID:I5HEzjiO
感動した。

949 :名無しさん:01/11/24 22:00 ID:bTWDul4i
夢破れてからのこの3ヶ月、ここのスレを読みながら、ホームシックに
なったり、逆に自分を振るいを立たせたり、頑張ってきました。
でも、まだまだ立ち直れないんです!
毎日、心身病にならないように格闘してます。
だれか、想い出をカキコしてくださ〜い!
他力本願ですいません。

950 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/24 22:07 ID:+vSvFW+F
昔の写真を見ると、
言葉を発し始める、とか、ご近所のワンちゃん(犬)と
仲良しになる、とか、お気に入りの三輪車でち〜ず!、とか
いろいろ書いてあるんだよね。

俺も早く相手見つけないとな。

951 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/25 00:50 ID:01V4lKhz
そだね、最近ネタつきちゃったのか回転遅いよね・・・

952 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/25 01:22 ID:ZMrAKGLe
>>951
・・・誤爆?

>>950
このまえ実家に帰ったとき、アルバム見て大泣きしました。
愛情注いでもらってたんだなーと思って。

953 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/25 03:29 ID:53AQGi7D
小学校低学年の時、夏休みに家族で旅行に行った。
八月も終わりのころだったんだけど、旅行最後の日に学校の宿題を全然やってない
ことを思い出してしまった。その日の夜、宿題の事と明日で帰らなきゃいけないって
いうのとで布団の中でしくしく泣いてたら母親が「大丈夫だよ。終わらなかったら手伝って
あげるから」みたいなことを言っててくれた。そしたら安心して寝れた。
子供のころってほんの些細な事ですごい心配したり怖くなっちゃうんだよね。
今でもたまに思い出してホローリ。

954 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/26 09:19 ID:5Aaj2VyO
いい話age

955 : :01/11/27 00:57 ID:MXrVjgDE
あげたい

956 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 01:24 ID:xkRV58tE
小学校の低学年だった頃、虫歯になり歯医者に行くことになった。
当時、両親は共働きで、仕事を休むこともできなかった為、
私は一人で片道2キロある歯医者まで歩いて通うことになった。
(カナーリ田舎だったので・・・)
初めて歯医者に行く前の晩、「保険証を出す」「”初診です”と言う」
等という受付の方法を母は事細かに説明してくれた。
うん、うん、と頷きながらも私は不安でいっぱいだった。

翌朝、保険証とお金の入った小さな手提げ袋を持たされた。
その袋は昨日の晩、私が寝てから母が作ったのだという。
裁縫などすることのなかった母の作った手提げ袋は、
あまり出来の良いものでもなかったが、私はとても嬉しかった。

その当時は新しい手提げ袋をもらったことが嬉しかったのだと思うが、
今思い返すと、一人で歯医者に行かなければならない小さな娘を
思いやったであろう母の気持ちが心に響く・・・。

957 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 01:27 ID:9jKgqJnN
貧乏だったたので家には風呂が有りませんでした

子供の頃、とっても寒い日に父と銭湯に行くときに父は暖かい手で
手を握り「パパのポッケにいれとこなー。○○ちゃん(私)が寒いしな」と言って
父のコートを、着せて抱っこして銭湯まで行きました
心がとっても暖かかったこと、今でも覚えています

958 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 01:33 ID:7tJiDVIx
特別なことじゃなくて、ごく普通のことがものすごく懐かしく
ホローリと思い出されることあるよね。

例えば、朝起こしてくれた時の母の声。「〜ちゃーん、朝よー」
眠りの淵で聞こえてくるので、いつもの母の声と少し違って聞こえる。
あの独特の響きを思い出すとたまらなくキュンとする。

現在一人暮らし中です。おかあさーん

959 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 01:38 ID:KVLPR2l1
うちは「○○!いい加減にしなさいよ!!」という
怒鳴り声です。いつも「うっせーな!くそばばー!!」と
叫び返してました。朝っぱらから騒がしい我が家でした。
ホロ〜

960 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 01:40 ID:KEzD/Wrr
いまでも電話で起こしてもらっていますが、何か?

正直、ママの声がないと起きれません。

961 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 01:44 ID:F6newyzX
「体育袋」を忘れて大泣きしながら家に戻った。
家に戻って「体育袋」は確保したが
今から学校に行っても完全遅刻。パニック状態の私。

そしたら、母は私の手を握りながら
いきなり通りの車(女性トラッカー)をヒッチハイクして
学校まで送り届けてくれた。そんな小一の春。

母の勇気と行動力・・・今から思うとカッコイイ。
お母さんありがとう。トラックのネーチャンもありがとう。

962 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 02:23 ID:60q91c5N
ほんとにカッコイイ!!
ええお母さんじゃー!

963 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 02:50 ID:1+Xjrzh1
母子家庭で母は毎日働きづめ。
物をねだるなんて悪くてできなかったけど、一つだけどうしても欲しいものがあった。
友達が持っていた手作りの手提げバッグ。お母さんに作って貰ったらしく、キルト素材で名前のフェルトが縫いつけてあった。
母に言うと「作ってあげる」と笑顔。
翌日、可愛い花柄で名前入りの手提げがあった。とっても嬉しくて、手垢で真っ黒になるまで使いました。
今思えば、寝る暇もなかった母がどうやって時間を作ったんだろう。
貧乏だったのに布代をどうやって捻出したんだろう。
母の優しさがしみる小3の秋の事でした。

964 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 04:12 ID:XG3ObTC2
(ー∀ー)ホロリ。

965 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 05:31 ID:2irXPXwy
何年か前に大雪が降った時の話。
当時、実家から自転車で10分程度のところにアパートを借りて一人暮らししてた。
電車で2時間のバイト先から帰る途中、大雪の為に電車が大幅に遅れ、ラッシュ時
みたいな混雑の中やっと乗ることが出来た。
だけど、降りる駅の1つ手前に着く前に電車は止まってしまい、駅と駅の間で
4時間も缶詰め状態。
結局電車は動かなくて、線路を歩いて駅まで行くハメに。
時間はとっくに深夜になっていたけど、グチのつもりで思わず母に電話した。
タクシーも全然来ない状態だったので、仕方なく1駅歩いて帰ると話して
電話を切った。
深夜に慣れない雪道を2時間歩き、やっとのことでアパートに着いたので
再び実家に電話すると、妹が出て「お母さん(最寄の)駅へ行ったよ」と。
『行き違いになったんだ。お母さん携帯持ってないし、も〜』なんて
ちょっとウンザリしながら駅へ引き返すと、母がいた。
そこから私のアパートまで一緒に歩き、着くと帰っていった。
わざわざ迎えに来なくて良かったのに。と思いつつ、親の愛情を感じた。
普段憎まれ口しかきけない私。素直には言えないけど、お母さんありがとう。

あんまりホロリ話じゃないな…長文スマソ。

966 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 09:30 ID:px7rhPyR
お願い・・・この感動を次の世代(次スレ)へ伝えて・・・

967 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 10:45 ID:RjPcI4CX
>>966
まだちと早い。
980超えたらにしませんか?

968 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 15:27 ID:v7DqLaBV
大学4年の秋だったかな。就職活動でどこからも内定がもらえなくて、
院試にも落ちて八方塞の状態(要するにプー確定)だったとき、
親からの電話で父からは
「一年ぐらいどうってことない。俺は6年かけて大学出たんだ。気にするな」
母からは
「お金のことは心配しなくていい。こんなこともあろうかと積み立てておいた。
 これからゆっくり考えて進路を決めなさい」
と励まされた。電話を切った後部屋で長いこと泣いた。

こんな俺も今では公務員だ…親父お袋老後は心配すんな。
俺が絶対世話するから。

969 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/27 18:34 ID:C9zZ3Hc3
高熱でうつらうつらしながら寝ていたときのこと。
母はそばにいるわけでもなく、普通に家事をこなして別の部屋にいた。
「ああ、あんまり大事にされてないな…」と病床でウトゥに。

翌朝、まくらも布団も昨日のままなのにどうも違和感を感じるようになった。
もしやと思い敷布団をめくると、お経が書かれた札のようなものが置いてあった。
母が、何時の間にか神頼みをしていたらしい。

どこまで冗談でどこから本気なのかよくわからない人なんだけど、なんだか
気持ちが伝わってきてうれしかった。

970 :mage:01/11/28 00:48 ID:Pkw2y/PN
あげたい

971 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/29 02:37 ID:4Q0Mg3pX
良スレage

972 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/29 02:47 ID:JIzEKvlj
>>969
最後の2行が、すごくイイ

973 :971:01/11/29 05:45 ID:z70sgVbF
>>969
あなたにはすごく馬鹿らしいと思える宗教でも
お母さんにとっては違うんですね。
純粋にあなたの体を心配したお母さん…涙
再びage

974 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/29 15:03 ID:rPPx76SK
人間ってまだまだ見捨てたもんじゃないね!

975 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/29 19:50 ID:r2oXm/uG
定期的に食べに行ってたうどん屋。
好きなものを食べなさい、と言う母。
またいつものヤツか?、と父。
私が何にしたの?と聞いても注文の時まで教えてくれない姉。

精一杯のホローリ。何でもないけど、幸せだった思い出。
4年前、姉は他界。両親は事実上離婚。違う意味でホローリ…

976 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/29 20:53 ID:YfecYA+a
このスレをずっと読んできて、少し感謝をしたくなったので
書かせて頂きます。
 まず、産みの母親に父と結婚し生んでくれて、アリガトウ。
あなたが居なかったら、俺はこの世に居ませんでした。
Sさん、晩年の父に付き合い楽しみを与えてくれて、アリガトウ。
 あなたが居なかったら、もっと早くに父は老け込んでいたかもしれません。
籍は入っていなかったけど、あなたは俺にとって充分、御袋さんでした。
 親戚の皆さん、母の代わりに色々と面倒を見てくれて、アリガトウ。
小さい頃から父が亡くなった時まで沢山のフォローが、
あった御蔭でここまで来れました。
 父さん、母と別れ小さかった俺をここまで育ててくれて、アリガトウ。
下手にグレずに来れたのは、あなたの御蔭です。

 最後に、このスレを立ててくれた1さんと沢山の思い出を書いてくれた
皆さん、アリガトウ。
なんかホローリと言うか、じんわりしました。

 あ、言っておきますが感謝をしたいだけですよ。
死にはしませんからね。
このスレそろそろ、1000行きそうなので記念に書いてみました。

では・・・。

977 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/29 21:16 ID:Pkz1PudK
婚約してた彼が急に心変わりして破談。
もらった婚約指輪を見ながら父と弟が
「これはガラスじゃないのか?こんな安そうな指輪をくれる男なんか大したこと無い。」
というような事をおもしろおかしく言ってしばらく笑わせてくれた。
普段、弟とは仲が悪かったのに一生懸命そうやって励ましてくれたから
笑いながら、涙が出そうだった。
 

978 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/29 21:55 ID:7ulMKr6h
海外で働いているのだけど、このスレ見て
親とおばあちゃんに久々に電話してみた。
なんか、急に電話した事で逆にびっくりされたけど(藁

今度日本に帰る時に、いっぱい親孝行しようと思います。
両親や、親戚にすぐ会える人がちょっと羨ましいな。

大学生の時にお母さんが他界してしまったのだけど、
お母さんに親孝行あまりできなかった分いっぱい親孝行しようっと。

979 :1:01/11/29 23:22 ID:LnccQ2O5
2を作ってもいいのでしょうか?

980 :おさかなくわえた名無しさん :01/11/29 23:49 ID:7Sl6ZdGz
お願いしますです。

981 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/29 23:57 ID:xavX+GQ7
正直に言わせてもらえれば、家庭板でやって欲しい。

982 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/29 23:57 ID:TX3ong0l
ここのレス読むと、不満だらけの自分の生活だけど、実はとっても幸せで恵まれているんだと
実感。2立ててくださいませ。

983 ::01/11/30 00:06 ID:0wfviUXv
新スレ立てました。
http://life.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1007046017/

よろしくお願いします。

>>981
ちょうどすれ違いでこちら(生活板)に新スレを立ててしまいました。
こちらで差し支えが出て参りましたら、また考えます。

984 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/30 07:27 ID:/2lDylew
思い出して泣いてる内に、自分の母親の事思い出してしもたのでちょっと
書かせてちょ。

子供の頃の私は、すごい食物アレルギーで、米はおろか、肉、魚、大豆、乳製品
全て駄目な子でした。
食べられるのはひえと緑黄色野菜のみ。

でもそんな私に母は幼稚園から中学生までずっとお弁当を作り続けてくれました。
(幼稚園も小学校も給食制だった)
しかもその日の給食の献立に合わせてなるべくそっくりな物を作って。
ひえ(米?の一種)と野菜だけで給食のメニューを本当にそっくり
真似して作ってくれて…
(きっとすごく大変だったと思います。自分が料理するようになってから分かった)

いま思うと、給食と違うのを注目されて虐められるのを防いでくれたんでしょうね。

そして、そのお弁当。朝持っていくなら良くありそうな話ですけど、母はいつも
暖かいままで食べさせたいから…と、給食の時間15分前にわざわざ届けに
来てくれていました。
母自身ピアノの先生をしていて、その合間をぬって弁当作って届けてくれて。
しかもそれは7年間一日も欠かす事はありませんでした。

その時の私はそれが当たり前と感じていましたが、今思うとすごく
苦労かけたな〜と思います。

そしてそれを何も言わず7年間やり続けてきた母に。今だからこそ言いたいです。

本当にありがとう。私は貴女の娘として生まれてこれたことを本当に感謝します。
ありがとう。お母さん。そして苦労かけてごめんね。

これからは本当に出来る限りの事をするから…。



長文&泣けない話でごめんなさい。
でもどこかにこの私の気持ちを載せたかった。
電話なんかで話してると言えないから、ここで予行演習させてもらった気分(藁)

今度帰ったら必ずこの気持ちを伝えよう!

985 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/30 11:08 ID:0cyHbWD8
>984
>長文&泣けない話でごめんなさい。
>でもどこかにこの私の気持ちを載せたかった。

ホローリな、じんわりな、家族の思い出を
書くスレだから泣ける話だろうが泣けない話だろうがOKと思う。
っていうか、私は泣いちゃいましたけど。
いいおかあさんだね。

986 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/30 11:13 ID:eHM9Fdpr
このスレ書込みしている人が羨ましい。

親の言葉の虐待・暴力で育てられたので親を憎む事しか知らないので
このスレ読めない。

子供が出来たら子供には愛情持って育ててください。

987 :おさかなくわえた名無しさん:01/11/30 21:07 ID:nlWhXyR6
>986
私も親のこと憎んで生きてきたよ。
でもね、それでもほんのり暖かい想い出はどこかにあったんだ。
ほんと、ほんの些細なことで他から見たら小さなことなんだけれどね。

貴方も思い出せるとよいな・・・

988 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/01 02:29 ID:e2pZBbLh
あのー、感涙のところ恐れ入りますが、
新スレたってるんですが…

989 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/01 03:59 ID:fSi1UwNb
http://life.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1007046017/
以降は此方でお願いします。

990 :おさかなくわえた名無しさん:01/12/01 22:22 ID:2xqJfmOU
>>984
十分泣ける(涙

383 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.02 2018/11/22 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)