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αマリヤ崇敬は迷信であるω

1 ::01/10/04 04:18
マリヤ崇敬が間違いである事の動かぬ証拠。

@マリヤ崇敬は、神に背く偶像礼拝である。出エジプト記20:4
A偶像礼拝をすると悪霊と交わる事になる。第1コリント10:20
B人は、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められ救われるのであり、マリヤ崇敬によって救われるものではない。ガラテヤ2:16
C神と人との間の仲介者は唯一、人としてのキリスト・イエスであり、マリヤは仲介者では有り得ない。第1テモテ2:5
Dイエスが人として生まれたのはマリヤからであるが、神として生まれたのは、全てのものが造られる前であり、マリヤは神の母では有り得ない。コロサイ1:15
E聖書のどこにも(外典にさえ)マリヤ崇敬をせよとは書かれていない。黙示録22:18
Fカトリック教徒が聖伝と呼ぶものは、正典に匹敵するものではなく、信仰基準とはなり得ない。内容が正典に反しているものなど論外である。マルコ7:8

以上のように、マリヤ崇敬が間違いであることは明らかであり、反論の余地は全くなく、一見、反論のような書き込みがあっても、それは、全て詭弁に過ぎません。又、いくら詭弁を並べても、マリヤ崇敬が間違いであるという事実は変動するものではありません。

カトリック教徒が掲示板上で、傍観者を名乗ってプロテスタント批判をしたり、プロテスタントを名乗って同様の妨害をする場合が以前ありました。惑わされないようにしてください。
しかし時々、神父に「様」を付けたりするので、区別は付くと思います。

エキュメニカルに関して
カトリックの教義には、多くの迷信が含まれています。彼等とは団結するべきではありません。

ルルド、ファチマ、落涙等に関する見解と、その他の必読事項を直後に書き込む予定。
>>1-1001

2 ::01/10/04 04:19
ルルド、ファチマ、落涙等の奇跡に関しては、おおよそ次のようなものである。
ルルドでマリヤを見たというベルナデットの遺体が百年以上、腐敗していない事については、ウソである。
腐敗(若しくはミイラ化、又は、白骨化)した遺体にロウを被せて、腐敗していないと主張しているだけである。
町興しのために大袈裟な宣伝をしているように思われる。教会も、いくらか伝道になると思って黙認、助長しているようである。
ファチマでマリヤを見たというヤシンタの遺体が腐敗していないというのも、ルルドのベルナデットと同様、ロウ細工による奇跡の捏造である。
1917年10月13日にファチマで起こったという太陽の奇跡に関しては、天候が悪かったのに急に太陽が出たので、奇跡を期待して集まっていた人たちが太陽の方を見て、眩しさのあまり錯覚を起してしまったものである。
しかし、何万もの人が同時に同じ錯覚を起すことは考えられないことである。一部の人が錯覚を起しパニック状態になり、他の人もつられて大騒ぎになり、何か大変なことが起っているような雰囲気になってしまったのだと思われる。
第一次大戦中で精神的に不安定な状態の人たちが、奇跡を期待して何万人も集まっていたのであるから、そのような事があっても不思議ではない。
新聞も、売り上げを伸ばす為に大袈裟に書き立てた。
その他の怪奇現象も、聖書に反する行為に伴なって起ったものであり、癒しを含めて、悪霊によるものと人による演出である。

稀に、マリヤの像が涙を流す事について。
何年か前ワイドショーで、仏像が涙を流した事を報じていたが、それと同様、悪霊による怪奇現象である。
CBSドキュメントによると、簡単な細工をするだけで像から落涙させる事も出来るそうである。

イシス崇拝との関係
http://www.toshima.ne.jp/~yufu/sub5-3.htm
http://www.ffortune.net/symbol/egypt/gods/isis.htm

3 ::01/10/04 04:20
マリヤ崇敬は明らかに間違いであり、カトリック教徒は、遅くとも何度か忠告を受けた段階で間違いに気付いています。
意地になって反発するカトリック教徒の心理状態は次のようなものである、と私は考えます。
1、組織の方針を持って、真理の代用とした方が楽である。
2、マリヤ崇敬を正しいと信じ込んでいる事を装い、悪いと知らずに罪を犯しているように振る舞っていれば、不可抗力と見做され、罰せられないのではないだろうか?
正しいと信じ込んでいる事を装うには、この罪を平然と犯し、正当な行為だと主張していくべきだ、と考えている。
(注意:正しいと信じている事と、正しいと信じている事を装う事は正反対である)
3、滅茶苦茶な事をしていれば、誰かが、それを見兼ねて何とかするだろう、と期待している。


これまでに、私以外の者が「俺」と名乗って書き込みをする場合が時々ありました。
単純な荒らしの他に、支援者によると思われるもの、私とほぼ同じ事を主張し、混乱を招くような要素を部分的に含む巧妙な荒らしなどがありました。
混乱を避ける為に、私は次のレス以降には、なるべく書き込まない事にします。どうしても書き込みたくなった場合には「俺」とは名乗らずに書き込むつもりです。

前回までのスレッド
http://mentai.2ch.net/psy/kako/991/991333542.html
http://mentai.2ch.net/psy/kako/993/993050226.html
http://mentai.2ch.net/psy/kako/994/994977032.html
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=995890849&ls=50
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=995907916&st=1&to=2
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=psy&key=998655039&st=1&to=3
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1000127135

−−−−−−−−−−−−−

4 :名無しさん@1周年:01/10/04 13:26
うひょひょひょひょ

5 :マリア:01/10/04 14:05
タイトル変えたのね。

尊敬も崇敬の範疇ですので、やめましょうとなる
可能性が強いけど、どうするの?

6 :名無しさん@1周年:01/10/04 14:11
唯物論者の俺氏いい加減にしろ。

7 :名無しさん@1周年:01/10/04 20:07
>>4-6
荒らしても、マリヤ崇敬が間違いであるという
事実は変動しない。

8 :名無しさん@1周年:01/10/04 20:14
唯物論者の俺氏がクリスチャンという偽りの自称をし、
教会の教理批判をするスレに何の信頼性も見出せませんね。

9 :名無しさん@1周年:01/10/04 20:19
8が何を書き込んでも
マリヤ崇敬は迷信である。

10 :名無しさん@1周年:01/10/04 20:23
9が何を書き込んでも
俺氏は唯物論者で気違っています。

11 :名無しさん@1周年:01/10/04 20:40
8が何を書き込もうと
9が何を書き込もうと
10が何を書き込もうと
マリヤ崇敬が間違いであるという事実は不変である。

12 :名無しさん@1周年:01/10/04 20:54
7が何を書き込もうと
9が何を書き込もうと
11が何を書き込もうと
俺氏は唯物論者で気違っています。

13 :名無しさん@1周年:01/10/04 20:56
7が何を書き込もうと
9が何を書き込もうと
11が何を書き込もうと
原理主義が何を書き込もうと
俺氏は唯物論者で気違っています。

14 :名無しさん@1周年:01/10/04 21:26
7が何を書き込もうと
9が何を書き込もうと
11が何を書き込もうと
原理主義が何を書き込もうと
俺氏は唯物論者で基地外であるという事実は不変である。

15 :名無しさん@1周年:01/10/04 22:10
俺氏が基地外だろうと何だろうと
マリヤ崇敬は間違いだ

16 :名無しさん@1周年:01/10/04 22:14
基地外の言うこと信頼するより、
異端の言うこと信頼するより、
唯物論者の言うことを信頼するより、
使徒継承の教会の聖伝の方を信頼するべきだ。
マリア崇敬は正統です。

17 :名無しさん@1周年:01/10/04 22:41
1より
Fカトリック教徒が聖伝と呼ぶものは、正典に匹敵するものではなく、信仰基準とはなり得ない。内容が正典に反しているものなど論外である。マルコ7:8

18 :名無しさん@1周年:01/10/04 22:44
本スレの結論

俺氏の原理主義的仮定「聖書以外に、神の言葉の存在は認めない。」は、
「主日を安息日とするのは迷信であり誤謬である。」
「モーセは偶像礼拝をした。」
「正典と偽典を区別する根拠が無い。」
「聖書には神の言葉ではない誤謬が含まれる。」
という結論に達する。
それでも、地上の教会を無理に存在させると、
エホバの証人、モルモン教をも教会として認めることになる。
さらに地上で最も誤謬や迷信の少ない教会はSDA、メシアニック・イスラエル
のどちらかであり、更にその中の聖霊派である。

上の通り全ての教会の福音に誤謬を含むを考えると
新教も教会であるといえる。
しかしながら、教派の異なる他の教会を批判できなくなる。
それがエホバの証人やモルモン教に対する教理の違い、「マリア崇敬」に関してもである。

伝承を認める教会(旧教、正教)は教会が1つであるとは主張できても、
どれが正しいか、即ち少なくとも正教か旧教か特定はできない。
なぜなら、どの教派の教会も教理において論理的に閉じているてめである。

従って、互いに教理の共通する部分で接し、それぞれの教理を守るしかない。

19 :名無しさん@1周年:01/10/04 22:57
悪あがきはヨセ

20 :名無しさん@1周年:01/10/04 23:05
いい加減に諦めたら。
幾らマリア崇敬を批判しても、俺氏の異端教会は使徒継承の教会にはなれないから。
反って、再び俺氏が唯物論者っていう恥をひけらかすだけだぞ。

21 :名無しさん@1周年:01/10/04 23:13
>>20でたらめカキコ逝って良し

22 :名無しさん@1周年:01/10/04 23:25
>>21
俺氏こそいい加減に出鱈目なスレばっか立てるの止めろ。
どうせ俺氏の頭じゃ、出鱈目書き込みばっかりで、筋の通った理屈なんて出てこないくせに。

23 :名無しさん@1周年:01/10/04 23:42
出だしから荒れてるねえ

24 :マリア:01/10/05 11:55
議論にならないわね。

まず、これだけはハッキリと言っておくわ。
プロテスタント教会で行われている尊敬は、
記念、記憶を伴うため、カトリック・オーソドックスから見れば
既に崇敬の領域に入っているわ。
だから、プロテスタントが崇敬をやっていないと言うのは、
真っ赤な嘘なのよ。非常に残念だけど。
なんであれば、崇敬についてカトリックやオーソドックスの
定義に照らし合わせて御覧なさいよ。

これを覆すためには、俺さんのグループが、
最初にイエズスの母マリアへの尊敬を直ちに否定すること。
マリアは崇敬や尊敬に値する女性ではない、という説を掲げるとよ。

ただ、預言の実行のためにマリアを神が選んだ。
そして、イエズスは、父ヨゼフの保護も母マリアの保護も受けずに育った。
逆に、産まれてからずっと家事を含めて働いて
ヨゼフやマリアや兄弟を養ってきた。
という説を立てればいいのよ。

産まれた時には、東方の博士たちが、色んな貢物を捧げた。
その他にも、色んな文献等をくっつければ、簡単に説は成立するわよ。
「おまけに、処女懐妊は母マリアと魔術師との創作で、
イエスはローマ兵との間に生まれた子というのが本当である。
イエスの教えを歪めるために、弟子たちから見捨てられていた
母マリアの、自分を高く上げたいという腐り切った欲望と、
キリスト教を潰したい魔術師が、手を結んで聖書に付け加えた説。
こんな女を崇敬や尊敬をするのは間違っている」と言えばいいのよ。

証拠も、適当に色んな文献と聖書の言葉をつなぎ合わせれば、成立するわよ。

25 :名無しさん@1周年:01/10/05 13:56
俺氏もいい加減にしろ。
プロテスタント教会とカトリック教会と東方正教会とやってることの名前が違うだけじゃん。
αマリヤ崇敬は間違っているω
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/psy/998655039/900-1000
のスレで大体そういう結論がでたんだから、これ以上議論しても意味ありません。
むしろ、俺氏の教会の聖書のみが唯一の信仰基準っていう、理屈にも合わん教理こそ改めたらどうだ。

26 :名無したん:01/10/05 19:01
無駄スレたてるのも、いい加減にしろや。
MRI撮って精神科にまわすぞ ゴルァ。

27 :名無しさん@1周年:01/10/06 04:25
マリヤ崇敬の間違いはハッキリしている。
お前等には間違いを認める他道はない。

28 :名無しさん@1周年:01/10/06 11:38
聖書を逐語的に解釈する原理主義の間違いはハッキリしている。
お前等には間違いを認める他道はない。

29 :名無しさん@1周年:01/10/06 12:45
αマリヤ崇敬は間違っているω
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/psy/998655039/900-1000
で立証されたのは、マリア崇敬が間違いということではなく、
聖書を逐語的に解釈する原理主義の間違いということです。

30 :マリア:01/10/06 14:38
>>29追加するなら、プロテスタント側は、
崇敬を尊敬と言い変えてやっているのだから、
言い換えればいい、というものでもないわね。
俺さんの、崇敬=崇拝との捉えは、
昔の誰かが思いついた新しい迷信に取り憑かれているだけよ。

聖母マリアを拝めば、おかしくなるのは当然という事よ。
カトリック・オーソドックスでは、聖母マリアを拝む習慣はないのだから。
カトリックを名乗る幻視者たちの新説に、惑わされたんじゃない?

31 :名無しさん@1周年:01/10/06 14:46
>>24
キリスト教徒でもない人間がいいかげんなことを言うな。

32 :名無しさん@1周年:01/10/06 14:48
>>31
今のマリアさんはキリスト教徒の血が騒いでんだろうな。

33 :名無しさん@1周年:01/10/06 14:53
「キリスト教徒の血が騒いでんだろうな」?
キリストの救いにあずかった人なのか、ちがうだろ。
彼はキリスト教と関係ない。

34 :マリア:01/10/06 15:00
>>31なら、いい加減なこと言うのはおよしなさいよ。
マリア崇敬の否定をするなら、
自身の教派がマリア尊敬を辞めるようにしなければならない。
ただし、それをやると聖書の否定につながるから、厄介なの。

彼女の事を、悪く書いている箇所はどこにもないからね。
イスラム教でさえ、イエズス同様に彼女の事を崇敬するからね。
していないのは、ユダヤ教のみ。
ユダヤ教は、イエズスの出自をローマ兵の子という。
タビデの家系に連ならないと解く。

崇敬・尊敬の根拠は聖書にあるのだから、
それを迷信と否定するという事は、聖書も否定すべきよ。

35 :名無しさん@1周年:01/10/06 15:07
>>25
レスをつけるからだよ。
一切放置しとけば?

36 :名無しさん@1周年:01/10/06 15:08
>34
その他にも、色んな文献等をくっつければ、簡単に説は成立するわよ。
「おまけに、処女懐妊は母マリアと魔術師との創作で、
イエスはローマ兵との間に生まれた子というのが本当である。
イエスの教えを歪めるために、弟子たちから見捨てられていた
母マリアの、自分を高く上げたいという腐り切った欲望と、
キリスト教を潰したい魔術師が、手を結んで聖書に付け加えた説。
こんな女を崇敬や尊敬をするのは間違っている」と言えばいいのよ。

こういうキリスト教徒を侮辱するようなことを言うな、といってるの。
君はキリスト教と関係の無い人間だろ。

37 :マリア:01/10/06 15:30
>>36あたし?まだ籍はあるわよ。一応。

この件に関して、どうしても否定しなければ気が済まないなら、
そこまでやらなければ、旧教系の教派は崇拝をしていないから、
論破されると言っているのよ。
そこまで掘り下げるなら、一応は正論となるわけよ。

38 :マリア:01/10/06 15:36
それから、重要なのは中身の事でしょう?
カトリック・オーソドックスの聖母・生神女崇敬
=プロテスタントのマリアへの尊敬。
というのは、もう分かりきっている話しなのだから、
その次のことよ。

でも、その次のことに関しては、
ここで語るものではないでしょうよ。

全キリスト信者が、本当に語りたければ、
そこで語ればいいことよ。

39 :名無しさん@1周年:01/10/06 15:45
>>37
あなたの言い分を聞いてると
とてもカトリックがまともな信仰をもってるようには思えてこないが、
そのように受け取ってよいのか。
プロテスタントのわたしにとって、
個人的にはどちらでもよいことだが。

40 :マリア:01/10/06 16:54
>>39あたし=カトリックの公式的見解という物の見方ね。
これは、あくまで、あたしの個人的見解。
あたしの信仰の中身をとうのは勝手だけど、
あたしの主張からカトリック教会の信仰を問うのは?ね。
問いたいなら、司教や教皇に同じことを問うべきでしょう。

この問題は、中身の問題について議論すべきで、
外見の、崇敬=崇拝のはずという視点で、
議論すべきではないわけよ。

そういう話にもっていってるのに、
否定に拘るなら、徹底的に否定しなさいと言ったまで。
「あなたに、ここまで出来るの?」と問うたまで。

41 :マリア:01/10/06 16:59
さて、
1,崇敬=崇拝議論を続ける。
2,中身の問題に移る。
3,終了する。

選択肢は、三つ。さて、俺さんはどれを選ぶのかしら?

42 :金 玉姫:01/10/06 17:08
金 玉姫、同姓同名は実在する。
http://www5.yomiuri.co.jp/kyushu/nsurf/nsurf41/nsu4102/nsu410205b.htm
http://www.korea-np.co.jp/Sinboj/sinboj1997/sinboj1997/sinboj97-6/sinboj970603/sinboj97060381.htm
http://www.sakura-sakura.co.jp/homepage/1971/19710301.html

43 :金 玉姫:01/10/06 17:10
>>41
1,崇敬=崇拝議論を続ける。

44 :マリア:01/10/06 17:32
金 玉姫さん=俺さんだったのね?(笑)

カトリックの信者さんは、これなら引き上げてしまうかもね。
事実を認める日が来ることように、
祈りの言葉を添えて。

45 :金 玉姫:01/10/06 18:02
こちらで続けていまんねん。
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1000127135

46 :名無しさん@1周年:01/10/07 16:59
>>43
> 1,崇敬=崇拝議論を続ける。
とか何とか言うだけ。
原理主義の人たちは、理屈の通った語論なんて端からする気無いんでしょ。

47 :名無しさん@1周年:01/10/07 17:39
>>39
> あなたの言い分を聞いてると
> とてもカトリックがまともな信仰をもってるようには思えてこないが、
> そのように受け取ってよいのか。
もし、言葉に粗相があれば赦して下さい。
ただカトリックや正教会が「マリア崇敬」と言った場合、
マリアを主によって聖とされた方であるとして尊敬しているだけです。
また、プロテスタント教会の方々と同じように偶像礼拝は禁じています。
ただ、私たちの聖像はモーセの「青銅の蛇」や「ケルビムの聖像」と同様に偶像ではありません。
私たちの信仰をご理解ください。
> プロテスタントのわたしにとって、
> 個人的にはどちらでもよいことだが。
それは、私たちも同じです。
殊に原理主義の方々が、
教理の些細な違いを論っているだけであると考えています。
そのようなことは
αマリヤ崇敬は間違っているω
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/psy/998655039/900-1000
をご覧になると明らかです。
彼等の教会は聖書を逐語的に解釈し、聖書に記述されていないことは全く認めないという人たちです。
聖書と無関係な事柄まで論い、進化論まで否定の対象としています。
αマリヤ崇敬は間違っているωのスレで、殊にヌマツダという方は
日本聖書刊行会の新改訳聖書を用いているようでした。
これは原理主義の特徴だと思えます。
さらに、彼は聖霊派を指示していました。
私たちは、このような新興宗教がプロテスタント教会と、正教会やカトリック教会との間に溝を造ろうとしているもの考えています。
プロテスタント教会の方々にどうかご理解を願いいたします。

48 :名無しさん@1周年:01/10/07 18:46
>>36
>>34
> > その他にも、色んな文献等をくっつければ、簡単に説は成立するわよ。
> > 「おまけに、処女懐妊は母マリアと魔術師との創作で、
> > イエスはローマ兵との間に生まれた子というのが本当である。
> > イエスの教えを歪めるために、弟子たちから見捨てられていた
> > 母マリアの、自分を高く上げたいという腐り切った欲望と、
> > キリスト教を潰したい魔術師が、手を結んで聖書に付け加えた説。
> > こんな女を崇敬や尊敬をするのは間違っている」と言えばいいのよ。
>
> こういうキリスト教徒を侮辱するようなことを言うな、といってるの。
> 君はキリスト教と関係の無い人間だろ。
>>34はマリアさんが提案した仮定ですよ。
原理主義が言っている「マリア崇敬」の批判は、>>34のようなキリスト教徒の侮辱と同等であるということです。

49 :ヌマツダ:01/10/08 00:09
>18
>新教の仮定「聖書以外に、神の言葉の存在は認めない。」は、
>「主日を安息日とするのは迷信であり誤謬である。」
>「モーセは偶像礼拝をした。」
>「正典と偽典を区別する根拠が無い。」
>「聖書には神の言葉ではない誤謬が含まれる。」
>という結論に達する。
ウエストミンスター信仰告白による「聖書は、神のみ言葉である」は、
「主日を安息日のことでだれにも批評されてはならない」に通じ、
「モーセは主に言われてケルビムや青銅の蛇を造った」事を理解し、
「見えざる教会の権威によって信仰告白の宣言により正典と偽典を区別」し、
「教会を肉の腐敗と悪魔や世の敵意に対して・・・聖書を最も必要なものとしている」
ことがわかる。
使徒継承の問題は、「見えざる教会」の説明により解決され、
新教は俗に「聖書のみ」とは言え、「聖書のみ」を確立するが故に、
聖書成立までの聖伝は、ローマ教会の迷信とは区別して例外的に認めている。
聖書成立期までの聖伝はローマ教会固有の所有権に属さず、
正教にもローマ教会にもプロテスタント諸教会にもあてはまる共通項である。

>47
>日本聖書刊行会の新改訳聖書を用いているようでした。
>これは原理主義の特徴だと思えます。
別に原理主義だからではなく、利用している検索システムのHPが新改訳なだけ、
自分でもっている「新共同訳」を自分で入力するのが面倒だからが使用の理由。
>さらに、彼は聖霊派を指示していました。
たんに宝殿イエス教会の内藤正俊牧師の本を読んだ影響です。

50 :ヌマツダ:01/10/08 00:19
今の日本のカトリック教徒が、マリヤ崇敬で一枚岩とは思えません。
以下の記事はどうでしょうか?
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1835556&tid=a4ja4bca5ada5ja59a5h65a4offckdca4kbaaciua4aba4ja4aba4ca4bfa4na1a9&sid=1835556&mid=894

51 :名無しさん@1周年:01/10/08 01:57
数年前、東京で新旧両教会の代表者が会議を開いた。
新教側から質問が出た。「マリヤをどうするのか?」すると、旧教側の神父が「あれは迷信です」と言ってのけた。
同行した尼僧たちが眼をパチクリさせていると、彼は「この方々にはまだ認識されていないが、幹部の者たちはそう理解しています。
ただみんながわかるまでには、時間を貸して下さい」という。
森山諭の本より

それから、日本のカトリック幹部が、聖体奉仕会の落涙に批判的なのは、彼らもマリヤ崇敬は迷信であり、それに伴う奇跡が起こっても、インチキ又は悪魔的なものであるという事を認識しているからではないか。
わかっていながら迷信にしがみ付くのはよせ。

52 :名無しさん@1周年:01/10/08 02:18
使徒の時代から、日曜が安息日となっていた。コロサイ2:16
したがって、日曜を安息日とする事は聖書に反しない。

仮に、日曜を安息日とする事が間違いであっても、
だからといって、マリヤ崇敬をしても良いという事にはならない。

53 :名無しさん@1周年:01/10/08 02:59
>>51

また、森山諭牧師の本の引用か・・・。
さんざんCLB氏や他の人達が信頼できない本だって
証明していたはずだ。
俺さんよ、あんたは学習するってことがないのか。
へたに引用して、切り替えされて往生していたろ!

54 :名無しさん@1周年:01/10/08 03:48
>>53
無駄な抵抗はやめろ。
お前が悪あがきをしても
マリヤ崇敬が間違いである事は
変動しない。

55 :チ    ン:01/10/08 03:53
マリア崇敬が間違いであるかどうかはしらないが、
最近、カトリックでも正統派でないのに「正統派」を名乗る人が、
議論でボコボコに負けたっていう話は知ってる?

56 :名無しさん@1周年:01/10/08 04:00
カトリック教徒が掲示板上で、傍観者を名乗ってプロテスタント批判をしたり、プロテスタントを名乗って同様の妨害をする場合が以前ありました。惑わされないようにしてください。

57 :名無しさん@1周年:01/10/08 12:51
>>54

吉本のコントで、めちゃくちゃにやられていた奴が
「今日はこの辺で許してやろう」っていうのがあったな。

俺クンは議論そのものを常に避けて「聖書個所の指摘」+
「断言」で終わっている。思考が限られているね。

58 :名無しさん@1周年:01/10/08 13:45
49 :ヌマツダ :01/10/08 00:09
> ウエストミンスター信仰告白による「聖書は、神のみ言葉である」は、
「聖書は、神のみ言葉である」と思っているだけで、「聖書以外の霊感による神の言葉の存在」をも認めないわけではないのでしょ。
> 「主日を安息日のことでだれにも批評されてはならない」に通じ、
これは、単に個人的に安息日が守れなくてもよいと言うだけ。
主が聖別し戒める土曜日の安息日を、教会が礼拝を守りかつ休日として主日に変更したのは、
「聖書以外の霊感による神の言葉の存在」を認めることになります。
> 「モーセは主に言われてケルビムや青銅の蛇を造った」事を理解し、
だから、私たちの第七回全地公会の決議の神の言葉に従って聖像を造りました。
モーセの時代以降しばらくは、神の言葉が口伝でした。
後に聖書として認められケルビムや青銅の蛇が記述されているモーセ五書は、バビロン捕囚以降に記述されました。
私たちの第七回全地公会の決議を否定することは、
口伝でケルビムや青銅の蛇を扱っていたイスラエルの民は全て、偶像を扱っていたことになります。
また、我々も偶像を扱うことを禁じています。主の戒める「偶像」は、芸術や人形など全ての形を指しているのではありません。
偶像とは、礼拝の目的で作られた架空造形などを指します。勿論、被造物を礼拝しても偶像礼拝です。
特に、教会で扱う聖像は実在する物の形であり、それ自体を礼拝しているものでもありません。
主の戒める「偶像」を、全ての形であるとする主張こそ、あなた方かってに定めたがイエスが批判した「人間の言い伝え」「自分の言い伝え」というものです。
詩篇 78:2 わたしは口を開いて箴言をいにしえからの言い伝えを告げよう
とあるように、イエスは全ての言い伝えではなく、「人間の言い伝え」や「自分の言い伝え」を批判したのです。
与えられた神の言葉は、教会によって伝えなければなりません。それが福音です。聖書から福音や教理、信条が導かれるのではありません。
福音が先にあり、教理や信条に基づく霊感による聖とされた書物が、教会によって区別されたものが聖書です。

59 :名無しさん@1周年:01/10/08 14:11
>>58補足
ヌマツダさん。
>>58のような議論はすでに済んだ筈です。
同じ話を蒸し返すようなことはしないで下さい。
>>58にたいするレスで、また聖像等に対する崇敬と、神もしくは偶像に対する崇拝や礼拝の定義が同じだなんて書き込まないで下さいね。
私たちは、
崇拝=礼拝:畏れ敬いかつ賛美し、祭壇を築いて奉じ、御旨に従い仕えること。
崇敬:天や地に存在する神が聖とされた被造物に対する、特別な尊敬。
としているんで。また、我々が定義し用いている語彙を、他の教会の人にとやかく言われる筋合いはありません。
尊敬を崇敬と言って何が悪いんですか?
霊的な対象に意志を伝えることを一般に「祈る」と言って何が悪いんですか。
カトリックで聖堂のことを、俗に「オミドウ」と言いますが、
漢字で「御御堂」になるから変だって言ってるのと同じです。
そんなことを言うと、敬称を重ねる「牧師先生」って何だという話に発展する。
こういう、低次元の話はもういい加減に止めましょう。

60 :名無しさん@1周年:01/10/08 14:22
>>55
> 最近、カトリックでも正統派でないのに「正統派」を名乗る人が、
> 議論でボコボコに負けたっていう話は知ってる?
聖書の逐語霊感説に立脚する原理主義の人達が、
議論でボコボコに負けたっていう話は聞いたことあるよ。
こんなところで議論しても、その議論の深みには限界があると思います。
どうせなら、バチカンのにある教理庁の人たちと近代聖書学を駆使して議論しないとあまり意味ないね。
原理主義のような新興宗教に入会する人を増やすだけ。

61 :名無しさん@1周年:01/10/08 14:40
>>49
> 使徒継承の問題は、「見えざる教会」の説明により解決され、
それは、あなた方が造った「人間の言い伝え」です。
> 新教は俗に「聖書のみ」とは言え、「聖書のみ」を確立するが故に、
> 聖書成立までの聖伝は、ローマ教会の迷信とは区別して例外的に認めている。
確か、俺氏もケルビムの聖像や青銅の蛇についても例外とか言ってたけど、
あなた方は逃げ場が無くなったら例外という言葉を頻繁に使う。
それなら何故、第七回全地公会の決議やマリア崇敬に関して例外にはならないのだろうか。
どうせあなた方は、エフェゾ公会議の決議のマリアを「神の母」とするのは無効で、
同じ会議の決議で、当時のコンスタンチノープル総主教ネストリウスを異端として有罪にしたことは、
「例外」として有効とするというのでしょう。
あーあほらし。

62 :名無しさん@1周年:01/10/08 17:27
>>57
> 吉本のコントで、めちゃくちゃにやられていた奴が
> 「今日はこの辺で許してやろう」っていうのがあったな。
一票投じます。
俺氏やヌマツダ氏は、まさに吉本の“池のめだかさん”ですわ。
“かにバサミ”をしても、引きずられるだけ。
池のめだかさんを知らない方には、ローカルなネタで済みません。

63 :ヌマツダ:01/10/08 18:32
>58
>、「聖書以外の霊感による神の言葉の存在」をも認めないわけではないのでしょ。
「聖書は、神のみ言葉である・・・
神がその民にみ旨を啓示された昔の方法は、今では停止されている。」
「聖書以外の霊感による神の言葉の存在」を認めない。
が、改革派と違い聖霊派は「聖霊様」の言葉、今現在に起こる「異言」を認めている。
>「聖書以外の霊感による神の言葉の存在」を認めることになります。
聖書にある「週の初めの日」と「安息日のことでだれにも批評されてはならない」から導いたもの。
>だから、私たちの第七回全地公会の決議の神の言葉に従って聖像を造りました。
公会の決議、決め事は神の言葉ではない。
>モーセの時代以降しばらくは、神の言葉が口伝でした。
旧約の口伝の神の言葉が旧約聖書になったのを説明しているだけ。
>私たちの第七回全地公会の決議を否定することは
「決め事」と「神の言葉の口伝」を一緒にしないで下さい。
あなたがたは、人の言葉と神の言葉を一緒くたにして聖伝承と言っている。
>口伝でケルビムや青銅の蛇を扱っていたイスラエルの民は全て、偶像を扱っていたことになります。
聖書によれば、神に言われて造ったことと分かります。偶像ではありません。
イスラエルの民の公会の決議によるものではありません。公会なら人の言い伝えだから偶像でしょう。

64 :ヌマツダ:01/10/08 18:32
>58
>被造物を礼拝しても偶像礼拝です。
だから当然、礼拝堂に実在する物の形の被造物を置けば、偶像礼拝とみなされるでしょう。
>とあるように、イエスは全ての言い伝えではなく、「人間の言い伝え」や「自分の言い伝え」を批判したのです。
その通りでしょう。ローマの人間の自分の言い伝えは指していません。
>与えられた神の言葉は、
与えられた神の言葉は、イエス様のみ言葉やパウロやルカ・ヨハネに代表される使徒の言葉、
新約聖書です。それが福音です。
古代教会が決めた福音を覆したり矛盾するようなローマ教会から、
福音や教理、信条が導かれるのではありません。
イエス様のみ言葉やパウロやルカ・ヨハネに代表される使徒の言葉が先にあり、それが福音となって、
教理や信条に基づく霊感による聖とされた書物が、古代教会によって区別されたものが聖書です。
>61
>それは、あなた方が造った「人間の言い伝え」です。
それは人間の言い伝えのローマ教会の意見です。

65 :マリア:01/10/08 18:39
もし、マリア崇敬=尊敬を拒否する場合。
マルコの福音書からなら、導き出せる鍵が隠されているともいえる。

ただ、この場合、ヨゼフがタビデの系統という証しや、
処女懐妊であったという根拠は否定される可能性もあるわね。
そうなると、預言の成就は否定される恐れもある。
それから、一番重大なのが、イエズスは神ではない可能性も指摘される。
マホメットのように、イエズスを預言者とする説ならいいけども。
神道的に「神人であった」という証しは、充分成立するわけだけどね。

マリアは人間イエズスのみの母だったという説なら、
イエズスの受胎に、彼女の信仰は考慮されない。
もちろん、天使が彼女に告げ知らせる必要もないわね。
天使が彼女を崇めるような言葉を言う必要もないものね。

しかし、新約聖書に用いる福音書が制定時には、
福音書として、マリア尊敬=崇敬の肯定資料になる
マタイとルカのものが採用されている。
この頃には、既にマリア崇敬が
広く行われてきた証しとも言えるでしょうね。

何より、あたしの母方の先祖が、
異端審問に掛けられながらも、
旧来のユダヤ人の習慣の保持には努めたのに、
どうしてマリアへの崇敬は積極的に肯定したのか?
ここにも意味はあると思うのよ。

66 :マリア:01/10/08 19:11
ヌマツダさん、あなたの主張には無理があるの。
尊敬=崇敬であるのは、既に周知の通り。

正典とされる聖書の伝承から解き明かした結果は、
カトリックもプロテスタントも、
尊敬=崇敬ということを行っているの。

像を使うか否かは、信心道具として用いるか、
また否かによって大きく異なる。
カトリック信仰にあっては、聖像は信心道具でしかない。
オーソドックスのイコンと同じものよ。

あなたや俺さんに起こった現象を解き明かすのには、
霊的に解き明かせば、
1,その像にマリアの魂が入っていると思っていた節があった。
2,その像を持つことによって、何かを期待した。
その時点で、カトリック的には異端だから、
変なものがやって来ても仕方がないでしょうね。
このように、聖像の扱いについては、
カトリック信者は、厳重なる注意が自然に身に付いているの。

あなた方の身の上に怒った事は、正しい崇敬を知らぬゆえのこと、
カトリック信者は思うでしょうね。
ただ、あたしは、心理的側面の方を重視するけどね。

67 :ラッキースミス:01/10/08 19:13
べつに、カトリックでは聖書に書いて無くたっていいんだよ。
基本的なところが分かってないな、君。
カトリック教会は、聖書の正式の解釈者であると自認している。教会が
聖書の管理者と考えているんです。聖書は君が思っているようにこの世にあ
たえられたもののではなく、教会に任せられたものなのだとカトリックは
考えているんです。
つまり、教会の権威の一つが、聖書を解釈することなんですよ。普通人
は聖書を解釈する資格はないんです。なぜなら、それは、個人の能力
を越えた課題となってしまうからです。だって、私たちはペブル語や
ギリシャ語、考古学や教父たちの著書をしらないでしょ。
 まず、カトリック教理をプロテスタント神学の光学のもとに照明して
もここではナンセンスです。それより、君は、この点をしっておくといい。
 カトリックはこう信じているということです。つまり、キリスト教は
不文および成文形式でカトリック教会にまかされた「信仰の遺産」である
ということです。
 カトリックは聖伝を付加した聖書を持っている、というプロテスタント側
のありふれた考え方ではダメです。そこにあるのは、不文形式(伝承)
および成文形式(聖書)で、幾世紀にもわたって伝承されている原伝承
であり啓示であり信仰の遺産であるとしています。
 不文伝承は、成文伝承(聖書)の不足を補うために用いられている
という考え方です。
 そこら辺の認識から、始めないとマリヤ崇敬をブーブー言っていても
ただの外野のヤジです。

要は、カツラが言いたいことは↑のようなことなのかなあと思います。

なんだ、意外に長くなってしまった。そんなつもりは無かった・・・

このごろ、文章がながくなるなあ。もっと、簡潔にまとめるようにしますね。
今回は許せ。

ちなみに、カツラは議論に負けて以来、おとなしくなった。

68 :名無しさん@1周年:01/10/08 19:56
>>63 :ヌマツダ :01/10/08 18:32
> 神がその民にみ旨を啓示された昔の方法は、今では停止されている。」
停止されたのは何時ですか。その停止は何時啓示されたの?
もし、イエスが「人間の言い伝え」「自分の言い伝え」の批判から停止されたのなら、
新約の正典や主日が安息日という啓示は嘘になりますね。
> 「聖書以外の霊感による神の言葉の存在」を認めない。
> が、改革派と違い聖霊派は「聖霊様」の言葉、今現在に起こる「異言」を認めている。
「異言」は認めて「預言」は認めないのはどうしてですか?
二ケア・コンスタンチノープル信経では、聖霊の働きとして「預言者を通して語り賜えリ。」と宣言されています。
教会の教理や信条、即ち伝承はこの預言に相当します。
何を理由に私たちの第七回全地公会の決議を教父たちが得た霊感による預言の神の言葉であることを否定するのでしょうか。
もし、
> 公会の決議、決め事は神の言葉ではない。
のであれば、共和制英国議会で定めたウエストミンスター信仰告白も神の言葉ではありませんね。
霊感において皆無な資料です。ですから、三位一体を認める箇所、主日に関する箇所、三位一体に関する霊感的資料となりうる正典を定める箇所も神の言葉ではない筈です。
すなわち、あなた方の教理では、三位一体、主日に関する根拠が全く無く、異端の神を礼拝しているよいう誤謬の可能性を認めることになります。
> あなたがたは、人の言葉と神の言葉を一緒くたにして聖伝承と言っている。
あなたが、我々の教理を否定するために、勝手に区別しているだけです。
モーセの時代の言い伝えと我々の言い伝えの違いを、納得できる根拠を示してくださ。
> 聖書によれば、神に言われて造ったことと分かります。偶像ではありません。
即ち、それが記されているモーセ五書が神の言葉であるという伝承と、公会議の伝承の違いを示してください。

69 :名無しさん@1周年:01/10/08 20:12
>>64 :ヌマツダ :01/10/08 18:32
> だから当然、礼拝堂に実在する物の形の被造物を置けば、偶像礼拝とみなされるでしょう。
だから、ケルビムを至聖所においたモーセ、その伝承を引き継いだイスラエルの民は偶像礼拝したことになると言っているんです。
> その通りでしょう。ローマの人間の自分の言い伝えは指していません。
ローマ人として聖伝承が定められたのではありません。普遍の教会の預言によって定められたのです。
> 与えられた神の言葉は、イエス様のみ言葉やパウロやルカ・ヨハネに代表される使徒の言葉、
> 新約聖書です。それが福音です。
だから、そのルカやヨハネが引き継いだ福音や信条を言い伝えで守ってきたのは教会やその教父達です。
大体、福音記者のヨハネは、使徒ヨハネであるかどうかも不明であり、どのヨハネか特に根拠はありません。
それにも関わらず、ヨハネ福音書は権威付けられています。また、どの福音書も全て一人が書いたという根拠は殆どありません。
むしろ、そうでない根拠しか存在しません。モーセ五書がモーセ自身が書いたのではなく、伝承によって書かれたのと同じです。

70 :ヌマツダ:01/10/08 20:19
>モーセの時代の言い伝えと我々の言い伝えの違いを、納得できる根拠を示してくださ。
モーセ時代の言い伝えに、旧約聖書と
旧約聖書にないテモテ2: 3: 8「ヤンネとヤンブレ」の名前のように、
パリサイ人の言い伝えの違いです。
あなたがたの主張が可なら、
パリサイ人の言い伝えも可にしないと「神の言葉」の辻褄があわなくなります。
>即ち、それが記されているモーセ五書が神の言葉であるという伝承と、公会議の伝承の違いを示してください。
むしろあなたが同じ事を証明することです。
ユダヤ教は、バビロン捕囚以降に記述されたモーセ五書の伝承と、
キリスト教の伝承に何が同じだと言うのですか?

71 :ヌマツダ:01/10/08 20:28
>69
>だから、ケルビムを至聖所においたモーセ、その伝承を引き継いだイスラエルの民は偶像礼拝したことになると言っているんです。
神の命令と人間の決め事を一緒にしないで下さい。
偶像に祈って崇敬と礼拝は違うと言っているクセに、
>至聖所と礼拝堂は違うのに、神の命令と人間の決め事を一緒にするのか?
だから、そのルカやヨハネが引き継いだ福音や信条を言い伝えで守ってきたのは教会やその教父達です。
古代教会や教父も聖書も、プロテスタントにとっても正教にとっても
教会のものであって、ローマの専有物ではない。

72 :ヌマツダ:01/10/08 20:30
>至聖所と礼拝堂は違うのに、神の命令と人間の決め事を一緒にするのか?
だから、そのルカやヨハネが引き継いだ福音や信条を言い伝えで守ってきたのは教会やその教父達です。
訂正:
至聖所と礼拝堂は違うのに、神の命令と人間の決め事を一緒にするのか?
>だから、そのルカやヨハネが引き継いだ福音や信条を言い伝えで守ってきたのは教会やその教父達です。

73 :ヌマツダ:01/10/08 20:44
>ユダヤ教は、バビロン捕囚以降に記述されたモーセ五書の伝承と、
>キリスト教の伝承に何が同じだと言うのですか?
補足
キリスト教は復活のイエス様や父から下された聖霊によって、
神の言葉を預かって来たが、
ローマ教会のように人間の決め事を神の言葉と認めるならば、
イエス様を処刑した当時のユダヤの最高法院の人間の決め事を神の言葉と認めることになる。
また旧約聖書は最高法院が編纂し決めたのだから、ユダヤ教に所有権や解釈権がある事になる。
ユダヤ教のラビからすれば、キリスト教などペテン師のナザレ人の分派の異端なのだから、
神を語る資格はないことになる。
啓示による神の言葉を求めるのか、教会や最高法院の人間の決め事に求めるかの違いが、
新旧教会の神にどちらが近いかの尺度とも言える。

74 :ヌマツダ:01/10/08 20:50
タダ唯一の神は、ケルビムや青銅の蛇はタダ一つしか造らせず、
タダ唯一の神を求めぬ、
沢山の人間の業は、マリヤ像や天使像のように沢山造り至る所に置いている。

75 :ヌマツダ:01/10/08 21:13
>沢山の人間の業は、マリヤ像や天使像のように沢山造り至る所に置いている。
沢山の人間の業は、マリヤ像や天使像を沢山造り、至る所に置いている。

76 :名無しさん@1周年:01/10/08 21:42
>74
ヌマツダ
>タダ唯一の神は、ケルビムや青銅の蛇はタダ一つしか造らせず、
タダ唯一の神を求めぬ、
沢山の人間の業は、マリヤ像や天使像のように沢山造り至る所に置いている。

こんな理屈ってあり?
こういう考え方は、後代の人間(つまり21世紀のヌマツダ氏)が考え出した
「人の教え」ですな。何の根拠も権威もないよ。

77 :名無しさん@1周年:01/10/08 21:46
>67、ラッキースミスさん
>カトリック教会は、聖書の正式の解釈者であると自認している。教会が
聖書の管理者と考えているんです。聖書は君が思っているようにこの世にあ
たえられたもののではなく、教会に任せられたものなのだとカトリックは
考えているんです。
つまり、教会の権威の一つが、聖書を解釈することなんですよ。普通人
は聖書を解釈する資格はないんです。なぜなら、それは、個人の能力
を越えた課題となってしまうからです。だって、私たちはペブル語や
ギリシャ語、考古学や教父たちの著書をしらないでしょ。
 まず、カトリック教理をプロテスタント神学の光学のもとに照明して
もここではナンセンスです。それより、君は、この点をしっておくといい。
 カトリックはこう信じているということです。つまり、キリスト教は
不文および成文形式でカトリック教会にまかされた「信仰の遺産」である
ということです。
 カトリックは聖伝を付加した聖書を持っている、というプロテスタント側
のありふれた考え方ではダメです。そこにあるのは、不文形式(伝承)
および成文形式(聖書)で、幾世紀にもわたって伝承されている原伝承
であり啓示であり信仰の遺産であるとしています。
 不文伝承は、成文伝承(聖書)の不足を補うために用いられている
という考え方です。
 そこら辺の認識から、始めないとマリヤ崇敬をブーブー言っていても
ただの外野のヤジです。


うまくまとめてくれました!
俺氏やヌマツダ氏にも、スミス氏が示してくれたくらいの理解力が
欲しいね。無い物ねだりかな。

78 :マリア:01/10/08 21:53
>>73ええ。ユダヤ教ではそれが正統だし、
マリアやイエズスについての別の伝承もある。
よって、キリスト教のものではなく、ユダヤ教のもの。
違う次元のものを、同じにしてここで論じる事自体が間違い。

だから、あたしが先に書いたでしょう?
崇敬を間違いだというなら、
聖書をも否定しなければならなくなるって。
プロテスタントは、マリア崇敬を肯定する教会が、
公認した福音書を用いているの。
カトリックが独自解釈を加えた可能性のある聖書を、
正典として保持しているのだから。
それに、崇敬を尊敬に言い換えた程度だしね・・・。
崇敬=尊敬だから、そう変わりはないわけよ。

>>74そうなると、人の絵を書くことは禁じられるし、
人の像を作ることも禁じなくてはならない。人物写真もダメなの。
なぜなら、その絵や像を写真を見ながら、その人に思いをはせるから。
(特に故人の場合、余計にそうなってしまう)

カトリックやオーソドックスの像やイコンには、
このような意味があるのよ。
偶像崇拝か否かとなると、否となるのが自然の理論よ。

大切な部分は、そこじゃないでしょ?
次の証拠を示しなさい。

79 :名無しさん@1周年:01/10/09 11:59
>>70 :ヌマツダ :01/10/08 20:19
> モーセ時代の言い伝えに、旧約聖書と
> 旧約聖書にないテモテ2: 3: 8「ヤンネとヤンブレ」の名前のように、
> パリサイ人の言い伝えの違いです。
説明になっていません。

> あなたがたの主張が可なら、
> パリサイ人の言い伝えも可にしないと「神の言葉」の辻褄があわなくなります。
いいえ、パリサイ人の伝承を引き継いでいるのは、むしろあなたがたです。
あなたが頻繁に示すウエストミンスター信仰告白のことに旧約の正典を示す箇所で、
カトリック教会や正教会で正典として認めてい書物が一部含まれいないのはご承知だと思います。
ウエストミンスター信仰告白の旧約正典の定め方は、キリスト教会オリジナルの伝承ではなく、
新約時代以降のユダヤ教における伝承に従っています。この事実は、クムラン遺跡で発見された「死海写本」により明らかになりました。

> むしろあなたが同じ事を証明することです。
いいえ、違います。
> ユダヤ教は、バビロン捕囚以降に記述されたモーセ五書の伝承と、
> キリスト教の伝承に何が同じだと言うのですか?
我々の伝承の中で、旧約時代の伝承が新約の伝承と等価であると定めており、
それに対する疑問を提示したのはあなた方です。
旧約時代の伝承が新約の伝承と等価であること定めたとき、
どのような矛盾が発生するかを指摘するのはあなた方の役目です。
むしろ、等価でないとした場合に発生する矛盾が解決されいないのは、
これまでの議論で散々繰り返してきました。
等価でないとした場合に発生する矛盾点を解決する方が、
あなた方の主張を通すための必要条件になる筈です。

80 :名無しさん@1周年:01/10/09 12:10
>>71 名前:ヌマツダ :01/10/08 20:28
> 神の命令と人間の決め事を一緒にしないで下さい。
> 偶像に祈って崇敬と礼拝は違うと言っているクセに、
神の命令まで、伝承を十把一絡げに「人間の言い伝え」として一緒にしているのはむしろあなた方です。

> だから、そのルカやヨハネが引き継いだ福音や信条を言い伝えで守ってきたのは教会やその教父達です。
> 古代教会や教父も聖書も、プロテスタントにとっても正教にとっても
> 教会のものであって、ローマの専有物ではない。
勿論、カトリック教会もローマ司教区だけで専有しているわけではありません。
というより、聖書は、ルカやヨハネが引き継いだ福音や信条を言い伝えで守ってきた使徒継承の教会が所有するもので、
少なくとも、使徒継承の教会ではないプロテスタント教会の物ではありません。
使徒継承の教会でありうる、ローマ・カトリック教会か東方正教会のどちらか一方です。

81 :名無しさん@1周年:01/10/09 12:17
>>73 :ヌマツダ :01/10/08 20:44
> 補足
> キリスト教は復活のイエス様や父から下された聖霊によって、
> 神の言葉を預かって来たが、
> ローマ教会のように人間の決め事を神の言葉と認めるならば、
> イエス様を処刑した当時のユダヤの最高法院の人間の決め事を神の言葉と認めることになる。
> また旧約聖書は最高法院が編纂し決めたのだから、ユダヤ教に所有権や解釈権がある事になる。
> ユダヤ教のラビからすれば、キリスト教などペテン師のナザレ人の分派の異端なのだから、
> 神を語る資格はないことになる。
> 啓示による神の言葉を求めるのか、教会や最高法院の人間の決め事に求めるかの違いが、
> 新旧教会の神にどちらが近いかの尺度とも言える。
いいえ、違います。イエスが処刑された頃、イエスがペトロに約束して建てた教会はまだ存在しませんでした。
教会が建てられたのは、イエスの復活後50日経ったの聖霊降臨からです。

82 :名無しさん@1周年:01/10/09 12:27
>>72
> 至聖所と礼拝堂は違うのに、
我々の聖堂には、聖所と至聖所があります。
マタイ 27:51 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、
マルコ 15:38 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
ルカ 23:45 太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。
によって、祭司長しか入れなかった聖所に、また大祭司しか入れなかった至聖所に、
一般信者が入れるようになったのです。

83 :名無しさん@1周年:01/10/09 12:42
>>79-82補足
俺氏もヌマツダもいい加減にしろ。
どうせ、こういうアホ見たいな議論を、レスが1000に達するまで続けるんでしょ。
それで、レスが1000に達したら、また同じ文句>>1-3のスレを立てて、
振り出しに戻すんでしょ。
それで再び、
「無駄な抵抗はやめろ。」
「マリヤ崇敬が間違いであるという事実は変動しない。」
とか以前の議論の記憶を喪失したかのような書き込みをする。
このように大体図式が決まっている。
ヌマツダさん。今まで、この同じスレ何回立てられたと思う。
第2心と宗教板にも「αマリヤ崇敬は確実に間違っているω」ていう同じスレ立ってるし。
この振る舞いから、あなた方が、ストーカーって言われても当然です。

84 :名無しさん@1周年:01/10/09 13:16
        / ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄\
       /   ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,  ヽ
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      ̄| |     ⌒    ⌒ , | |   プロテスタント逝ってよし
      |  |      (●  ●)  | |
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   /  /__  .Y  __二__         |

85 :名無しさん@1周年:01/10/09 13:17
        / ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄\
       /   ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,  ヽ
      /  /   === \  ヽ
     /__ /   ┏      ┓\__ヽ
      ̄| |     ⌒    ⌒ , | |   プロテスタントは人殺しのルッターが始めた宗教である.ポアである.
      |  |      (●  ●)  | |
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86 :名無しさん@1周年:01/10/09 13:18
        / ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄\
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      ̄| |     ⌒    ⌒ , | |   ルッターは姦淫罪に染まり,信仰を捨てた.悪魔は喜んでいるのだ.ポアなのだ.
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87 :名無しさん@1周年:01/10/09 13:32
>>83
そうだそうだ、もうカトリックは敗北したのだ。これ以上敗者をいじめるのは
ヒューマニズムの精神に反する。(藁)

88 :名無しさん@1周年:01/10/09 13:57
>>87
そうだそうだ、もう原理主義は敗北したのだ。これ以上敗者をいじめるのは
ヒューマニズムの精神に反する。(藁)

89 :名無しさん@1周年:01/10/09 15:30

            ⊆ニ(二(ニニ⊇   ⊆ニ(二(ニニ⊇
        ./ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ
       / ____/_________________ヽ
      ,/ ̄ ̄ ┏━, / ̄ ̄ ̄|| ||. ̄ ̄ ̄ ̄ |||  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄...| |
     ,/ ∧ ∧. i┸i //. ∧ ∧ || / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    _.,/. (・Д・ ) | :::|// (゚Д゚ ) < >>1を迎えにきました
   |/,,,,,へ⊂ ヽ  .//  ,/  ノ/ ||\______________
  ,/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄//|_/ ̄ ̄ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
  |~ ゜ ̄゜ ̄ ̄ ̄~~| ̄ ̄   =。|┃       |━━━━━...............|
  |______: |,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,,゜,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,東京精神病院,,,,,[|
 ._|]0::∴:::0::[二二il:]    ,-―-、 ,,|         |       .     [|
 |====== ;...........|  /,  ̄ヽ |~~|.        |  /,  ̄ヽ |     {|
 ヽニ[_]ヾニニヽ''''''|―-|.(※)|':|''''|.'''''''''''''''''''''''''''''|''''''''|.(※)|:|'''''''''''''''''/
     ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ



|  俺を回収に来ました
\     
   ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
         ________     
    ―――――――、     ヽヽ
.   /.  ̄ ̄ ̄//. ̄ ̄| ||____ヽヽ   
  /.    ∧// ∧ ∧| || 東京都  ヽ ヽ           
 [/____(゚_//[ ].゚Д゚,,) || 清掃局  |  |
. ||_    _|_| ̄ ̄ ∪|.|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|  |
. lO|――|O゜.|____|.||.-――――┴―|
 |_∈口∋ ̄_l__l⌒l | | コ□ニ//l⌒lソ

90 :名無しさん@1周年:01/10/09 15:32


                 ┌─┐
                 |ぷ.|
                 |ろ |
                 │原│
                 │理│
                 │主 .|
                 │偽 .|
      バカ    ゴルァ  │ !!.│
                 └─┤    プンプン
    ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ  (`Д´)ノ    ( `Д)
    | ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─| ̄ ̄ ̄|─□( ヽ┐U
〜 〜  ̄◎ ̄  . ̄◎ ̄   ̄◎ ̄   ◎−>┘◎

91 :名無しさん@1周年:01/10/09 15:34

カト批判は麻薬の味。

これがないと、自己喪失しちゃいそう。うふ。

92 :マリア:01/10/09 15:57
カトリック批判を常にしていないと、
プロテスタントはやっていけないのかしら?
そんなはずは、ないでしょう。

93 :名無しさん@1周年:01/10/09 16:47
彼等のカト批判依存症の性癖はどうしようもないな。

94 :名無しさん@お腹いっぱい:01/10/09 16:50
まだやってたのかよ。いいかげん目を覚ませ。ヌマ。これが生きがいなんて悲しいぞ。
外出て体動かせ。運動神経が鈍くても気功ぐらいはできるだろう。

95 :名無しさん@1周年:01/10/09 18:12
済んだ議論を度々蒸し返すのは止めろ。
お前等のカト批判依存症のオナニーなんかひけらかすんじゃない。
お前等は、壊れたレコードみたいに
「無駄な抵抗はやめろ。」
「マリヤ崇敬が間違いであるという事実は変動しない。」
のようなステロタイプなことしか言えんのか。
針戻せちゅうに。

96 :ヌマツダ:01/10/09 18:53
94 :名無しさん@お腹いっぱい、久しぶりだな。
>外出て体動かせ。
今、外の仕事だ。体を動かしている。

だんだんキリスト教の正統がギリシャ正教ではないか?と言うのが分かってきた。
聖伝がある上で、第二戒とイコン、安息日と復活日の件が切っ掛けでそう思えた。

プロテスタントの理屈を知り得た訳では無いが、今までのレスから考えると、
今のプロテスタントのやっていることは、ローマ・カトリックの分派だから、
「聖書のみ」とはいえ、やはりローマの聖伝を引き継いでいる。
ペテロ>教皇>ローマ教会>福音>聖伝>聖書の理屈を突き崩さない限り、
ローマ・カトリックの十八番、マリヤ祈りの批判は何も言えん。

とりあえずカトリックの理屈は大体わかった。だがマリヤ祈りを認めた訳ではない。
今度はプロテスタントの理屈を、
何か「α新教の分派主義は間違いであるΩ」でも立てて、
プロテスタントの論客の言い分でも聞いて勉強するか?
が、まだスレ立てる気はなし。。。

97 :ヌマツダ:01/10/09 18:56
ナゼか文字化け?
すまん、訂正する。
>今、外の仕魔セ。体を動かしている。
今、外の仕事だ。体を動かしている。

98 :ヌマツダ:01/10/09 18:58
あれ?18:54は、「外の仕魔セ。」だったが、
18:56には、「外の仕事だ。」に戻っている?
許せ。儂のPCの表示が変に成った様だ!

99 :マリア:01/10/09 21:27
オーソドックスには、カトリック同様の生神女マリアへの祈りも、
取次ぎの概念もあるから、カトリックとほぼ変わらない。
理屈が分かれば、相違程度のものでしかないわ。

首位権については、エルサレム教団が無くなってからは、
ローマ司教に伺いを立てる習慣があったの。
これが、ローマ首位権の根拠となっているわけ。
ペトロが最後に牧した共同体もローマだし、
ローマ司教はペトロの後継者というわけ。

補足だけど、母の家の言い伝えが正しければ、
ペトロが携わったのは、主にユダヤ人信徒共同体で、
パウロが携わったのは、主に現地人信徒共同体らしいわ。
二つの流れが存在していたけど、
両者は互いに、二代目司教を認識していたということで、
ペトロの後継者ということも言えるでしょう。

100 :マリア:01/10/09 21:55
キリスト教が、ローマ帝国の国教になって、
首都がコンスタンチノープルに移って、
ローマ教区も寂れていって、主導権は
もう一つの教皇のタイトルを持つ総主教がいる
マルコの後継者のアレキサンドリア教区や
ローマと同じペトロの後継者を擁する
アンティオキア教区へ移っていったの。

もはや、ローマに伺いを立てる意味は無くなった
のだけど、この習慣は形式的に続いていたの。
後にローマ市が教皇の下で復興していって、
皇帝は、これに脅威をもったのでしょうね。
コンスタンチノープル教区は、この習慣に反対して、
他の教区に働きかけて、ローマへの伺いをやめるように促した。
公会議至上主義になったわけだけど、
引き続き、ローマへ伺いは絶える事が無かったらしいわ。

ローマは、カルケドン公会議で巻き返しに成功して、
教皇権威を公に認めさせて首位が確定したけど、
ローマとコンスタンチノープルの解釈は違ったわけ。
他の総主教区は、模様眺めが多かったようね。
身内の異端問題で、教区自身が大変な時だったしね。
公平な視点で見れれば、どちらの主張もどっちもどっちだもの。
綱渡りしていたのよ。

東西分裂後も、地元人の総主教を擁していたアンティオキア総主教区は、
どっちもつかずの態度を取りつづけて、ローマを破門にしなかった。
そして、ついに18世紀にローマの首位を認めた総主教が出たわけ。

その後、その総主教が死ぬと、
コンスタンチノープルが介入して、
合同賛成の派閥が負けて出て行ったのよ。
それが、メルキト・カトリックといわれる合同教会。

その後、再び合同賛成派の台頭を恐れてか、
コンスタンチノープルは、ギリシア人の総主教を派遣しつづけたの。
これは、100年位前までそうだったと記憶するわ。

101 :名無しさん@1周年:01/10/10 14:49


  ∧ ∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (  ,,) < プロテスタントは堕落した人達が始めた分派です〜.
  ./  |   \______________
 (___/


  ∧ ∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  (,,゚Д゚) <  なんつったりして!
  ./  |    \_____________
 (___/


102 :マリア:01/10/10 15:11
プロテスタントの成立は、
ローマ教区の腐敗や聖伝承の悪用への反対が根底にあるのよ。
だから、別にプロテスタントは悪くない。
そして、マリア崇敬が悪いわけでもない。

悪いのは、この時代においても人の心から出る「悪」だったのよ。

103 :名無しさん@1周年:01/10/10 19:18
マリアが「神の母(ΘΕΟΤΟΚΟΣ)」は、カトリック教会と正教会が共に認めている敬称です。
特に、正教会では生神女と言っています。
「神の母」という敬称はエフェゾ公会議(431)で公に認められましたが、
この公会議で同時に有罪となったネストリウス異端とは密接な関わりがあります。
この「神の母」はキリストとの親子関係、即ち単なる続柄を示す敬称で、
父なる神の続柄と同様に、キリストが被造物であるもしくは始まりがあるこということを意味しません。
「神の母」という敬称はエフェゾ公会議以前から、教父の間の書簡の中で用いられていました。
しかし、コンスタンチノープル総主教ネストリウスは、この敬称を用いることに強く反対しました。
その理由は、キリストを1つのペルソナとして認めなかっためです。
彼は、正統教理の「キリストは神であり且つ人である」ではなく、「神又は人である」と考えました。
言い換えると、キリストは神というペルソナと人というペルソナを持っており、
キリストが神であるときは人ではなく、人であるときは神ではないと主張しました。
そのため、キリストを人としてのマリアの続柄を「主の母」と認めたとき、キリストはもはや神として認められず、「神の母」という続柄を否定しなければならなくなります。
一方、正統教理では、キリストは神であり且つ人であるため、マリアの続柄は「主の母」であり且つ「神の母」とならなければなりません。
従って、マリアを「神の母」と認めない新教は現代のネストリウス異端に相当します。
このように、かつて有罪となった異端は現代でもしばしば見られます。
例えば、三位一体を認めない「エホバの証人」は、現代のアリウス異端であり、
福音派の一部のリベラルには、ケニス・コーセンなどによる地獄を否定した教えがあり、これは黙示録のニコライ派に相当します。

104 :名無しさん@1周年:01/10/10 23:20
俺+ヌマツダ=カトリックストーカー

以下、彼らのホンネ。

カトリック教会が気になって仕方がない。
かまってほしくてしょうがない。
大教会を批判することで大物になった気がして楽しい。
勉強できなく運動神経が鈍く、誰もまともに相手をしてくれなかったが、
カトリック批判なら2ちゃんで、いろんな人が相手をしてくれる。
ここが俺たちの生き甲斐だ。

ってなトコでしょ?

105 :マリア:01/10/11 00:39
やっぱり、変な現象が原因でしょうね。

106 :名無しさん@1周年:01/10/11 00:44
>やっぱり、変な現象が原因でしょうね。

そうかー。でも「金縛り」なんてまず医者に診てもらいたかったね。
逆恨みする前に。

107 :名無しさん@1周年:01/10/11 00:48
ドイツ・プロの宗教家は何故かバチカン詣でをするらしい。
そしてあの荘厳さにびっくりするとか。
たしかにある種のコンプレックスなんだろ。
だからカトはもうちっと鷹揚に構えたらどうだ。太っ腹なところみせて。

108 :マリア:01/10/11 01:24
>>106本当に、それは言えるわ。
でもね、人の話しも聞かずに薬渡して、
「ハイ、さようなら」って感じの医者も多いようね。
精神科も心療内科も、外科なんかに比べると報酬少ないのよ。

>>107プロテスタントの離教が、
自分たちの先輩たちに原因があったとしても、
教会法上認めるのはスレスレの線ね。

認めると、保守原理主義派が「異端」「誤謬」と騒ぐからね。
聖伝承の否定が、カトリックの腐敗が根底にあったなんて、
保守原理主義は認めないからね。
「聖伝承を否定して離教した方が悪い」の一点張りでしょうね。

109 :名無しさん@1周年:01/10/11 13:49
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
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仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。

110 :名無しさん@1周年:01/10/11 15:52
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
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仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。
仏教に比べ、キリスト教は何と底が浅く、幼稚なことか。

111 :名無しさん@1周年:01/10/11 15:56
神道に比べ、仏教は何と底が浅く、幼稚なことか。

112 :名無しさん@1周年:01/10/11 15:59
神道に比べ、仏教は何と底が浅く、幼稚なことか。
神道に比べ、仏教は何と底が浅く、幼稚なことか。
神道に比べ、仏教は何と底が浅く、幼稚なことか。
神道に比べ、仏教は何と底が浅く、幼稚なことか。
神道に比べ、仏教は何と底が浅く、幼稚なことか。
神道に比べ、仏教は何と底が浅く、幼稚なことか。
神道に比べ、仏教は何と底が浅く、幼稚なことか。
神道に比べ、仏教は何と底が浅く、幼稚なことか。
神道に比べ、仏教は何と底が浅く、幼稚なことか。
神道に比べ、仏教は何と底が浅く、幼稚なことか。

113 :名無しさん@1周年:01/10/11 16:48
ホンマ。
彼等のような原理主義の存在は、私たちセム的一神教の評判を損ねますね。
ええ加減にして欲しい。

114 :名無しさん@1周年:01/10/12 19:36
いくら詭弁を並べても、荒らしても、
マリヤ崇敬が間違いであるという事実は
変動するものではありません。

115 :名無しさん@1周年:01/10/13 00:50
>>114

えーっ? うそだぁ。全然証明できてないくせに!

116 :名無しさん@1周年:01/10/13 16:45
>>43 :金 玉姫 :01/10/06 17:10
> >>41
> 1,崇敬=崇拝議論を続ける。

古いレスになりますが、崇敬におけるコメントを少しさせて貰います。
あなた方は、私たちの聖像や天使や聖人に対する崇敬、
即ち神が聖とされた被造物に対する敬いをも否定されるのですね。

聖書にあるヘブライ語動詞「ヤーレー」は、恐怖の感情、災いの予感以外に、神に対する畏敬や畏怖の念で用いられています。
出エジプト 14:31 イスラエルは、主がエジプト人に行われた大いなる御業を見た。民は主を畏れ、主とその僕モーセを信じた。
詩篇 112:1 ハレルヤ。いかに幸いなことか/主を畏れる人/主の戒めを深く愛する人は。
詩篇 86:11 主よ、あなたの道をお教えください。わたしはあなたのまことの中を歩みます。御名を畏れ敬うことができるように/一筋の心をわたしにお与えください。
上に示したこれらの箇所で、「畏れる」や「畏れ敬う」と訳されている語彙が「ヤーレー」です。
この「ヤーレー」という動詞は更に神が聖とした被造物に対しても用いられます。
レビ記 19:3 父と母とを敬いなさい。わたしの安息日を守りなさい。わたしはあなたたちの神、主である。
レビ記 26:2 あなたたちはわたしの安息の日を守り、わたしの聖所を敬いなさい。わたしは主である。
これらの箇所で「敬いなさい」と訳されているのは「ヤーレー」という動詞です。
従って聖書においても、神が聖別した被造物に対する畏敬や畏怖の伴う特別な尊敬を表す箇所が存在します。

117 :名無しさん@1周年:01/10/13 17:08
>>114
> いくら詭弁を並べても、荒らしても、
>>109-112はどう見てもカトリックや正教の荒らしではないですよ。
> マリヤ崇敬が間違いであるという事実は
> 変動するものではありません。
そういう手垢じみた、ステロタイプの文句を繰り返しても、
プロテスタント教会が使徒継承の教会にはなれないの。

118 :ヌマツダ:01/10/14 21:56
>プロテスタント教会が使徒継承の教会にはなれないの。
「るうてる」9月号
● ELCA(アメリカ福音ルーテル教会)総会から
聖公会とのフルコミュニオン
 しかし、フルコミュニオンを実現して行くという事は、必然的に、互いの教会の教職制度を、
互換性のあるものとして認め合うという事へと繋がって行かざるを得ない。
ここに、今回のELCA総会の中で問題になった最大の論点である、
「歴史的使徒継承」の問題が起こってくる。
米国聖公会の監督(ビショップ)は、宗教改革期を通じて、
カトリック教会からの使徒的継承を間断なく受け継いできた。
つまり、使徒ペテロから始まるビショップとしての継承を、
今も引き継いでいる歴史的ビショップとしての権威を持ち、
その継承を受けていないビショップの存在を認めない。
更に、教職按手を授ける権限を持つものは、
この「歴史的使徒継承」を受けたビショップのみであるとされている。
一方、ルーテル教会は、宗教改革の伝統の中で、形式的なものではなく、
福音的信仰的なものとして、この「使徒継承」を受け止めてきた。
従って、ELCAのビショップ(監督)には、聖公会の理解するような形での、は、存在しない。
 それでは、教職の制度を互換性のあるものとして行くという場合、
ELCA側が聖公会から「歴史的使徒継承」を受けて行く事になるのか、
それとも、ルーテル教会の「福音的」使徒継承を、
聖公会側が歴史的なものと同等に認めるのか、
その部分が曖昧なままでは「一致協定」を承認するわけには行かなかった、
という結果であったと受け止められる。
今回の「一致協定」の否決は、決して対話の終結を意味するものではない事が、
ELCA総会でも確認された。

119 :ヌマツダ:01/10/14 22:10
東方正教会
聖 書 と 聖 伝

正教会:
簡単です。歴史からあなたたち福音派はルーテルの時代、
西暦1500年ごろ現れたことを知っているからです。従って、
1500年間存在しなかったのです。
「主」は「1500年後からあなたがたと一緒にいます」とは言わず、
「あなたたちと一緒に世の終結までいる」と言われました。
また「主」は「いる」という動詞を、現在形で用いていて、
「いるでしょう」という未来形は用いていません。
また「いつも」と強調しているのは、使徒継承が使徒時代から直接始まり、
絶え間なく「すべての日々に」続くことであり、
後になってから始まるのではないことを明確に述べるためです。
 私たち正教徒はこの使徒継承を得ています、それはこれから証明する通り、
信じることのすべてが使徒時代から始まっているからです。
しかし、あなたがたの信じることは使徒継承によるものではありません。
それはいま言ったように、
あなたがたの信仰は西暦1500年ごろに始まったからです。
従って、私たちは使徒継承を得ており、真理があるのです。
もし「主」がこの使徒継承を使徒たちからではなく、
あなたがたが出現した1500年まで間違えたのなら、
あなたがたに使徒継承と真理があるでしょう。しかしこれは有り得ないことです。

福音派:
私たちも使徒たちから始まる使徒伝承を受け継いでいます。
ただ本当に正しい教会を正教会とか、カトリックとか、
プロテスタントとかの教会にあると限定しません。
私たちにとって教会とは目に見えないものであり、A 教会、
あるはB教会に属する使徒時代からこの世の終わりまでのキリスト信者全員を含むのです。

120 :ヌマツダ:01/10/14 22:14
ウェストミンスター信仰基準(新教出版社)新教新書240
日本基督改革派教会大会出版委員会編
ウェストミンスター信仰告白

第二十五章 教会について

 一 公同または普遍の教会は、見えない教会であり、
そのかしらなるキリストのもとに、
過去・現在・未来を通じてひとつに集められる選民の全員から成る。
それは、すべてのものをすべてのもののうちに満たしているかたの配偶者、
からだ、また満ちみちているものである1。

121 :ヌマツダ:01/10/14 22:15
真理の柱また土台は教会ですが、教会はキリストのからだであり(コロサイ1:24)、
キリストのからだの部分部分は「あなたがた」から成り立っている(エペソ5:30)。
また「あなたがた」は使徒と預言者という土台の上に建てられている(エペソ2:20)。
そして使徒と預言者のことは聖書に記されている訳です。また、
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。 」
(テモテへの手紙第2: 3:16)
教会の権威は従、主たる使徒や預言者の言葉である「聖書」の権威に依存します。

122 :ヌマツダ:01/10/14 22:16
参照:
エペソ人への手紙
2:18 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、
父のみもとに近づくことができるのです。
2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、
今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、
キリスト・イエスご自身がその礎石です。
エペソ人への手紙
5:23 なぜなら、キリストは教会のかしらであって、
ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
エペソ人への手紙
5:30 私たちはキリストのからだの部分だからです。
5:31 「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
5:32 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
コロサイ人への手紙
1:24 ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。
そして、キリストのからだのために、私の身をもって、
キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。
キリストのからだとは、教会のことです。
テモテへの手紙第1
3:15 それは、たとい私がおそくなったばあいでも、
神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。
神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。

123 :名無しさん@1周年:01/10/15 22:57
申命記4:16
堕落して、自分たちのために、どんな形の彫像をも造らないようにしなさい。男の形も女の形も。
17
地上のどんな家畜の形も、空を飛ぶどんな鳥の形も、
18
地をはうどんなものの形も、地の下の水の中にいるどんな魚の形も。
23
気をつけて、あなた方の神、主があなた方と結ばれた契約を忘れることのないようにしなさい。あなたの神、主の命令にそむいて、どんな形の彫像をも造ることのないようにしなさい。

124 :名無しさん@1周年:01/10/15 22:58
1、マリヤ崇敬が間違いである事は証明済みである。>>1

2、聖書から反論出来なくなるとカトリック教徒は「ルルド、ファチマ、落涙
はどうなのか?」と言ってくるので、それにも説明をつけた。>>2

3、それでも意地になって反発する者がいるから、その者たちの心理状態まで分析した。>>3

カトリック教徒には、間違いから離れる他、道はない。

125 :名無しさん@1周年:01/10/15 23:04
マリア様が処女だったなんて聖書のどこにも書いてないんだけど。

126 :名無しさん@1周年:01/10/15 23:32
>>125
マリヤに様を付けるところを見ると
カトのようだ。変なカトだ。

マリヤはイエス生むまでは処女だったが。
マタイ1:23
ルカ1:34

カトの永世処女説は間違い

127 :名無しさん@1周年:01/10/15 23:35
126補足
マタイ:13:55

128 :マリア:01/10/16 20:35
>>118その問題があるわけよ。
聖公会のビショップとは、主教ね。
ルーテル教会のものは、監督ね。
定義の違いが、どうしても出てしまうのよね。
ルターは司教ではなかったから、叙階が有効かとなった時に
聖公会側から見れば、手続き上の不備があるわけなのよね。
もし、フルで行くなら、ルター派側に叙階の秘蹟を施さなければ
ならなくなるということよ。

>>123そう。何もつくってはならないから、
芸術としての価値あるものでも、
タリバンのように叩き潰さないといけない。
写真も、タリバン政権下では禁じられているの。
なぜなら、あなたが示した根拠によれはそうだから。

鏡にも水面に顔を映してもならないのよ。
鏡は異教が礼拝用具に用いるし、
なぜなら、自分の姿を知ることは、偶像崇拝につながるから。

人の顔も見てはならない、美しいと思うことは
既に心で偶像崇拝をやっているから。
そうなると、目は潰すために存在するものとなるのよ。
そうではない。目は神が作って下さったもののはずよね?

公会議において、当方のイコンと西方の聖像は、
この規定には当たらないと判断されてしまったわけよ。

>>126カトリックは大所帯だから、色んなのがいるわ。
それに、人間は様々よ。

129 :名無しさん@1周年:01/10/16 23:24
最近、マリア関係スレを見ていて思ったが、
イエスの母を、崇敬とかいう尊敬の対象にするなら、別に問題はないだろう。

しかし、イエスの母の偶像について何かするなら、それは非常に忌まわしい。
この偶像に対して、崇敬したり、祈ったり、願ったり、供えたりする事は、
すべて悪霊に対してする事なのである。

カトリック、プロテスタント、それ以外であろうと、全てのキリスト教徒は、
この行為を完全に排斥しなくてはならない。

まぁ、完全は無理なので極力か。

130 :名無しさん@1周年:01/10/20 18:16
>>118-122
ヌマちゃん。同じ話を蒸し返すなって言ってるだろ。
使徒継承の定義は安手云々など言ってません。
プロテスタント教会は破門されたんですから異端なんです。

131 :名無しさん@1周年:01/10/20 18:30
>>123
偶像礼拝を目的でなければ、モーセのように「青銅の蛇」、「ケルビムの聖像」のように造ったって構わないの。
文字通り目的を問わず(芸術や人形など)も禁じるって、ヌマちゃんはイスラム教徒か。
また>>116のように、被造物でも神が聖としたものなら崇敬はするべきなんです。
同じ議論を蒸し返さないでください。

132 :名無しさん@1周年:01/10/20 18:36
>>126
マタイ1:23
ルカ1:34

永世処女説を否定する根拠にはなりません。
新共同訳聖書の「兄弟」に関する解説でも読んでみて下さい。
逆に肯定する根拠は聖書には殊にありませんが、伝承の違いを議論しているだけなんで、
いい加減にこういう話は止めましょう。

133 :名無しさん@1周年:01/10/20 18:53
>>121
2テモテ 3:16 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
の個所は、
> 教会の権威は従、主たる使徒や預言者の言葉である「聖書」の権威に依存します。
の根拠になりません。聖書の全てが霊感の書物であり、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益であることの根拠にしかなりません。
聖書が、教会の全ての権威に対する有益性を包含しているという文章ではありません。
またこの頃の「聖書」とは、旧約の霊感書物を指します。
ヌマちゃんも新教のステロタイプなことをカトペするのではなく、
もう少し論理的なことを述べて下さい。

134 :考える名無しさん:01/10/20 19:01
>>103
>従って、マリアを「神の母」と認めない新教は現代のネストリウス異端に相当します。
主流派のプロテスタントはマリアがテオトコスである事を否定しはしないのでは?
ただ、テオトコスだからといってアドラチオの対象にすべきでないといっているだけ
だと思う。

135 :名無しさん@1周年:01/10/20 19:04
>>130-133補足
ヌマちゃん、>>96ででこのスレの議論諦めたんでしょ。
>>103>>116のまともな反論無さそうだし。
それどころか、議論をまた振り出しに戻そうとしている。
以前の議論の記憶を喪失したみたいにね。
もしかしたら、>>118-122でヌマちゃんのコテハン使っているのは「俺」氏じゃないのか。

136 :名無しさん@1周年:01/10/20 19:07
>>134
そうだったんですか。
従って、マリアを「神の母」と認めない>>1は現代のネストリウス異端に相当します。
っと改めるべきですね。

137 :名無しさん@1周年:01/10/20 19:55
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi/psy/1001600351/l50

138 :ヌマツダ:01/10/20 21:41
レス復活。イエス・キリスト復活。まさに復活。
>135
96で終わりにしようとしたら、破門だの異端だの言い出した時に、
なにげに、いろんなHP見ていたら、話題に当たっていた記事があったので、
UPしたまで。

ローマ司教が、破門を言ったところで、即、異端になると考えていません。
新教側は、ローマ司教こそサタンの教会と言って破門しています。
ローマ司教至上主義を否定しているからです。
ローマ司教に隷属する各司教の教会には破門の権限はないでしょうが、
ローマ司教から離脱したり(新教)、関係を絶った教会(正教)には、
使徒伝承は引き続いてますし、権限はあります。
ギリシャ正教会は、ローマ司教を破門しています。
共同贖罪者としてマリヤを主と同等の地位に引き上げようとする、
ローマ司教は異端です。

>116、「敬う」ことが同じ「ヤーれー」で書き表されているなら、
主の「像」を造らないように神を敬うと同じに、
マリヤやイエスの「像」を造らず敬うのが筋だろう。

>103、彼は、正統教理の「キリストは神であり且つ人である」ではなく、
>「神又は人である」と考えました。
「像」を認めた公会と同様、新教全体とは言わないが、
新教の一部は、「キリストは神であり且つ人である」を認めません。
ペンテコステ派の宝殿イエス教会の内藤牧師とか、
「俺」氏の引用する森山牧師はソウでしょう。
ですが、
改革派は、「神の母」の称号を用いることをしませんが、
ハイデルベルク・ウエストミンスターの各信仰告白を用いる新教は、
「キリストは神であり且つ人である」と認めています。

139 :名無しさん@1周年:01/10/21 01:37
>>138 :ヌマツダ :01/10/20 21:41
> レス復活。イエス・キリスト復活。まさに復活。
> >135
> 96で終わりにしようとしたら、破門だの異端だの言い出した時に、
> なにげに、いろんなHP見ていたら、話題に当たっていた記事があったので、
> UPしたまで。
その割には、ヌマツダさんの議論の仕方に進化が見られませんね。
皮肉じゃないよ。本当のことだから。

> ローマ司教が、破門を言ったところで、即、異端になると考えていません。
> 新教側は、ローマ司教こそサタンの教会と言って破門しています。
> ローマ司教至上主義を否定しているからです。
> ローマ司教に隷属する各司教の教会には破門の権限はないでしょうが、
ルターこそサタンに隷属しているという言い方もできますね。農民戦争で散々犠牲者を出したんですから。
あなた言ってことは、何時も教理の違いを主張するだけで根拠は言わない。
それで、証明されたとか勝手に結論付ける。

> ローマ司教から離脱したり(新教)、関係を絶った教会(正教)には、
> 使徒伝承は引き続いてますし、権限はあります。
> ギリシャ正教会は、ローマ司教を破門しています。
> 共同贖罪者としてマリヤを主と同等の地位に引き上げようとする、
> ローマ司教は異端です。

仮に認めたとしましょう。カトリック教会が既に破門されているのですから、
カトリック教会からの破門の如何に関わらず、正教からも破門済み。
現在の正教会からも使徒継承の教会として認められていないでしょ。
正教会から、一聖公使徒継承教会として認められてから言うべき理屈です。
また、正教は伝承の中で「共同贖罪者」という語彙を用いないだけ。至聖女マリヤの崇敬の動機はほぼ同じです。

140 :名無しさん@1周年:01/10/21 01:37
>>138 :ヌマツダ :01/10/20 21:41
> >116、「敬う」ことが同じ「ヤーれー」で書き表されているなら、
> 主の「像」を造らないように神を敬うと同じに、
> マリヤやイエスの「像」を造らず敬うのが筋だろう。
読解力が無いのか論理解析力が無いのか、ホント呆れてしまいますね。
私は、被造物に対する崇敬の例を示したんです。主が聖別した被造物も敬うべきです。

> >103
> 「像」を認めた公会と同様、新教全体とは言わないが、
> 新教の一部は、「キリストは神であり且つ人である」を認めません。
私はね、その一部をネストリウス異端だと言っただけ。好きに分裂を創っててください。

> ペンテコステ派の宝殿イエス教会の内藤牧師とか、
> 「俺」氏の引用する森山牧師はソウでしょう。
> ですが、
> 改革派は、「神の母」の称号を用いることをしませんが、
> ハイデルベルク・ウエストミンスターの各信仰告白を用いる新教は、
> 「キリストは神であり且つ人である」と認めています。
それなら、「マリアは神の母であり且つ主の母である」を認めるべきです。
また、ハイデルベルク・ウエストミンスターの信仰告白自体に何の信頼性があるんでしょうか。旧約の正典の定め方がラビ(ユダヤ教の教師)たちのヤブナ会議に基づいるという誤謬も見られますしね。
このように教理の違いだけを言うだけだったら、ゾンビみたいな議論を復活させるのは止めてください。「復活」は単に話の蒸し返しの言い代えじゃないですか。

141 :名無しさん@1周年:01/10/21 02:03
>>140補足
ヌマツダさんへ。
未信者であると自称していきながら、新教の肩入れをされるのは結構なんですが、
「マリアの永世処女」など正教会にも関係する事柄であるにも関わらずカトリック教会のみを糾弾されますよね。
場合によっては、正教会の立場から「マリアの共同贖罪者」を持ち出してカトリック教会を批判する。
結局、マリア崇敬が嫌とじゃなくてカトリック教会が嫌だってことでしょ。
そんな動機なら、カトリック誤謬告発スレッドでも行って議論してくれるかなぁ。
マリア崇敬を議論するだけなら、カトリック教会と正教会の何れかの正当性、
若しくは新教の誤謬の是非を示せば十分なんですから。

142 :ヌマツダ:01/10/21 10:15
>140
>私は、被造物に対する崇敬の例を示したんです。主が聖別した被造物も敬うべきです。
敬うのに「像」を造る事を禁じているでしょう。
旧約に敬うのに像を建立した例を挙げれば納得も行くでしょうけれど、
像による崇敬の例でないじゃないですか。
被造物を敬うのに「像」を用いてイイのなら、
カエサルの物はカエサルに神の物は神に返しなさい。とのイエスの言葉や、
奴隷よ主人を敬いなさい。のパウロの言葉からして、
ローマ皇帝の像を敬わなかった古代キリスト教徒の殉教は一体なんなんだ。

>ゾンビみたいな議論を復活させるのは止めてください。
>「復活」は単に話の蒸し返しの言い代えじゃないですか。
公会の決定を神の言葉だと語って、
「崇敬」は単に「聖人を模した偶像崇拝」の言い代えじゃないですか。

143 :マリア:01/10/21 14:27
聖像やイコンは信心道具であり、魂は宿っていないのよ。

144 :名無しさん@1周年:01/10/21 15:03
>>142 :ヌマツダ :01/10/21 10:15
> >140
> >私は、被造物に対する崇敬の例を示したんです。主が聖別した被造物も敬うべきです。
> 敬うのに「像」を造る事を禁じているでしょう。
そんなこと、何処にも書いてありません。偶像が禁じられているだけです。偶像を逐語解釈的に全ての形を指した場合、
モーセの「青銅の蛇」、「ケルビムの聖像」どころか、芸術や人形など目的を問わず禁じられることになり、現実的にも論理的にも奇異な事が生じます。
> 旧約に敬うのに像を建立した例を挙げれば納得も行くでしょうけれど、
> 像による崇敬の例でないじゃないですか。
聖像を聖別された被造物として考えた場合の崇敬の例を示しました。
また少なくとも、マリア崇敬そのものは正当化できますね。マリアが聖別された被造物と考えれば、聖像を認めるか否かに関わらず、十分納得できますね。
> 被造物を敬うのに「像」を用いてイイのなら、
> カエサルの物はカエサルに神の物は神に返しなさい。とのイエスの言葉や、
> 奴隷よ主人を敬いなさい。のパウロの言葉からして、
> ローマ皇帝の像を敬わなかった古代キリスト教徒の殉教は一体なんなんだ。
マタイ 22:21の「神のもの」が聖別されたものであることを意味するとは限りませんね。
また、ネロなどのローマ皇帝が神に聖別されたって誰が言いましたか?

145 :名無しさん@1周年:01/10/21 15:03
>>142 :ヌマツダ :01/10/21 10:15
> >ゾンビみたいな議論を復活させるのは止めてください。
> >「復活」は単に話の蒸し返しの言い代えじゃないですか。
> 公会の決定を神の言葉だと語って、
> 「崇敬」は単に「聖人を模した偶像崇拝」の言い代えじゃないですか。
ヌマツダさんは、過去の全ての公会議を神の言葉として否定することが出来なかったのでしょ。
例えば、第七回二ケア公会議を否定することは、第一回二ケア公会議も否定することになりキリストの神性も否定しなければならなくなる。
だから、公会議の決定に関係なく教会の福音が保てることを主張できなかったわけ。
また、ヌマツダさんの主張は、教理の違いを唱えているだけ。聖伝を認めたときの矛盾点を指摘しないと何時まで経っても終わりませんよ。
それに対して、私たちは聖伝を否定したときの矛盾点を指摘したのに全然論理的な解決が得られませんでしたね。
私が「ゾンビ」みたいと述べたのは、教理の違いを唱えているだけのカキコ、
例えば、“「崇敬」は単に「聖人を模した偶像崇拝」”というのを言って言っているんです。

146 :ヌマツダ:01/10/21 19:23
>145
>だから、公会議の決定に関係なく教会の福音が保てることを主張できなかったわけ。
旧教側は、聖伝、聖伝と言っているが、
その聖伝なる451年のカルケドン会議の28条には、
コンスタンチノープルとローマは同等の地位を持つとあるそうではないか。
これをローマ司教のレオ1世が、時のローマ皇帝に迫ってローマ首位を認めさせた。とか、
ローマ皇帝に迫った内容も聖伝。
東方教会で、会議の決定を破る司教だ。と言って交代騒ぎになったそうで。
聖伝同士にも矛盾や反故が見られますね。神の言葉といえるのでしょうか?

ローマ首位の根拠になったリキニウス表も聖伝としては疑わしいもので、
今、歴史上一番最古の歴代のローマ司教の表として、341年のリキニウス表がある。
その表では初代ローマ司教のペテロの在位期間が26年云々だそうで、
逆さ磔の殉教を64年頃として遡ると、40年頃就任と言うことになり、
イエス様の復活が33年ごろだとすると、7年後にローマに居たことになる。
ローマ人への手紙は早くとも56年頃と言われているのだから、
ローマ16:21−23の挨拶にペテロへの挨拶がないのは、
ローマにペテロが居ない反証でしょう?
パウロの書簡は早いものがテサロニケ人への手紙の50年頃で、
第二伝道旅行の49年のテサロニケは使徒行伝にも書かれている時期なのに、
70年頃に書かれたとされる使徒行伝にも書かれていない。
リキニウス表では、ペテロはパウロの第二伝道旅行の前にローマに居ると言う。
ペテロはユダヤ人の伝道の為にエルサレムに居たはずで、
パウロは異邦人の伝道の為に伝道旅行をしていたのに、
ペテロは何時エルサレムの監督を離れたのでしょう?
その怪しい表、リキニウス表が、神の言葉「聖伝」ですか?

147 :ヌマツダ:01/10/21 19:24
>145 >それに対して、
>私たちは聖伝を否定したときの矛盾点を指摘したのに全然論理的な解決が得られませんでしたね。
「聖書のみ」を曲解して結論づけたあなた方の言い分は、理解できませんね。
「顔貸せや。」と言ったら「手足」も付いてくる。
首の部分「顔だけ」で生きている人間なんて居ません。
どこぞの司教(ドニ司教?)とか、マジンガーZには出てくるかもしれませんが。
「聖書のみ」と言ったら「聖書編集の会議(と言う聖伝)」も付いて来るに決まってます。
そこを「聖書のみは、編集された活字だけで証明せよ」と言う曲解をあなた方は持ち出したのです。
ルターは「聖伝を整理する時間が欲しい」と言って、聖伝を否定するのにも、
生涯研究しながらだったから、「聖書のみ」の根拠造りは、ルター派内では実は未完なのですよ。
改革派のカルバンの方は、カルバンの手紙、信仰の手引き、キリスト教綱要など、
詳しく見ていないので分かりませんが。

148 :ヌマツダ:01/10/21 19:28
>“「崇敬」は単に「聖人を模した偶像崇拝」”
と言うのは、以下のレスの説明と疑問に同じ。
αマリヤ崇敬は確実に間違っているω
100 名前:ヌマツダ 投稿日:2001/10/21(日) 17:44
100取り!
>99
>あなたは、被造物である他者に対し、挨拶のためのお辞儀を禁じているのですか?
未信者なので、異教徒であるがお辞儀は禁じませんがね。

香を焚き屈曲という動作は「礼拝」でしょう。
仏や精霊などに対する「尊敬」を表す「挨拶」は「礼拝」ですね。
中国の廟に祀られている人(孔子・媽祖・関羽)や、
寺院に祀られている宗祖や仏や菩薩や諸天にも、
墓や仏壇の位牌にあるご先祖様にも、
香を焚き屈曲という動作をしますがね。
それはアラー(アラビア語の「神」)相手ではないが「拝む」と言いますが。
ご先祖様やお釈迦様や天照様(ある説では卑弥呼らしい)など、
正月やお彼岸や盆や暮れや命日など、ことある事に「挨拶」してますよ。
唯一のアラー(神)など信じちゃいないが、
被造物で他者である「人」を「尊敬」して「挨拶」しています。
異教徒と同じ事やって、
「キリスト教徒」のご先祖様や聖人の場合は「崇敬」、
「異教徒」のご先祖様や聖人は「崇拝」ですか?

149 :+++:01/10/21 19:40
>その聖伝なる451年のカルケドン会議の28条には、
コンスタンチノープルとローマは同等の地位を持つとあるそうではないか。

それ、嘘だね。
28条にはローマが第一、コンスタンチノープルが第二位にあるって書いてあるよ。
確認してごらん。
ヌマツダさんって正教用語を使っているけど、正教の人なの?

150 :ヌマツダ:01/10/21 19:49
>143 :マリア :01/10/21 14:27
>聖像やイコンは信心道具であり、魂は宿っていないのよ。
受肉でないから、信心道具なのか?
ロザリオは成るほど「祈るカズ数え道具」として信心道具といえるだろう。
しかし、イコンや聖像となると「祈る対象」なのだから、
「道具」の範囲を超えているでしょう。
「祈る対象」が「道具」なら、異教の「祈る道具」を「偶像崇拝」とは言えなくなる。
以前にキリスト教の「像」には「霊は籠もっていない」、
異教の「像」には「霊は籠もっている」ので、異教とキリスト教は違うと言ったレスがあった。
だが、実際に何かしらの霊が籠もっている籠もっていないは、
サニワでもしなければ分からないことで、
籠もっていようが籠もっていまいが、ヨリシロを認めた事になるだろう。
「青銅の蛇」には「神の癒す力」が、
「ケルビムの像」には「神の言葉の石板を守る力」が、籠もっていたのではないのか?
そう言う解釈なら、悪霊の入る隙はないはず。七つの悪霊など入る余地はない。
が、ヨリシロを認めて置いて、霊が入っていません。は可笑しい。
ロザリオや聖像への司祭の祝別は何か?お祓いとかわらんではないか。お祓いは開眼式とも違う。
同じ行為や物でも、キリスト教の場合はOK。異教は駄目と言っているに過ぎない。
それは、他のカトリックらしき人の以下のレスにも言える。
αマリヤ崇敬は確実に間違っているω
102 名前:ヌマツダ 投稿日:2001/10/21(日) 18:14
>99
>マリアの聖像に対しては、御言葉の受肉として敬っています。
イエス様のこの世での存在が受肉であり、
そのときのイエス様の肉体には神の子イエスの魂が宿っていたのではないですか?
今は天にイエス様は居り、この世には聖霊様が居るのではないのですか?
この世にイエス様の霊魂があるなら、「再臨」が起こっていることになります。
十字架のイエス像は受肉ではありません。イエス像にイエスの霊はないのですから。
イエス様は神なのですから、神の像を造るのは、偶像禁止に引っかかるでしょう。
そうなればイエスの人間母マリヤの像は尚更受肉とはならないでしょう。

151 :ヌマツダ:01/10/21 20:00
>149
>28条にはローマが第一、コンスタンチノープルが第二位にあるって書いてあるよ。
エンデレ書店の何かの本にでもあるの?出典を求む。
コンスタンチノープルと同等云々の件は、
山川出版社のキリスト教史Tにあったので、根拠の資料の改竄を気にする。
市販されている山川出版社が間違いを載せている事になる。
原文はラテン語なのギリシャ語なの?各国語なの?
ラテン語があって、ギリシャ語がないのなら、正教側ではドウ伝えているのか疑問だ。

152 :ヌマツダ:01/10/21 21:02
>151、追加。
山川出版社のでは書いていなかった部分の補強で、
百科事典で検索したが、
確かにコンスタンチノープルは二位だが、
ローマと「同等の権威を付与」は嘘ではないようだ。
149には、28条の全文をカキコしてくれたら、有り難かった。
<抜粋>
カルケドン公会議 (451)は同時にコンスタンティノープル総主教座に
名目的にはキリスト教界第 2 の,
実質的にはローマと同等の権威を付与したが,
レオはこの決議第 28 条に対しては激しく抗議した。

153 :新井こうじ:01/10/21 21:13
たとえ迷信だろうが真理だろうが信じてる人がそれで癒されればそれが真理と言うものだ。
プロテスタントの教会だって迷信は沢山あるんだよ。
それが無いのは無教会だけ。
洗礼・聖餐だって儀式なんだから。
だからマリヤ崇拝で癒される人がいればそれはそれでいいのでは

154 :名無しさん@1周年:01/10/22 01:46
>>146
マリヤ崇敬は、旧教と正教に共通している聖伝です。
旧教のみを否定しても意味ありません。我々が正教の聖伝が正しいと言えば済むことです。
だから、こういう議論はカトリック誤謬告発スレッドでして下さいって言ってるでしょ。
議論を特殊化しないで下さい。

>>147
> 「聖書のみ」と言ったら「聖書編集の会議(と言う聖伝)」も付いて来るに決まってます。
> そこを「聖書のみは、編集された活字だけで証明せよ」と言う曲解をあなた方は持ち出したのです。
曲解ではありません。「聖書のみが神の言葉」∨「聖書のみが神の言葉ではない」は常に真であることはご存知でしょう。
こういうのをトートロジって言うんですね。数学ではよく背理法っていう証明でよく用いられています。
私は「聖書のみが神の言葉」が偽であることを示せば、「聖書のみが神の言葉ではない」は真になる、
あなたが、「聖書のみが神の言葉ではない」が偽であることを示せば、「聖書のみが神の言葉」は真になる。
こういう議論をしないと話が終わらないと提案したんです。ヌマツダさんがこの提案が嫌と言うのなら、議論の際限を考えないストーカーと見なして議論を打ち切らせて貰います。

155 :名無しさん@1周年:01/10/22 02:19
>>148
> 香を焚き屈曲という動作は「礼拝」でしょう。
どうして、そのような定義をしなければならないのですか?何故、それを特別な尊敬、すなわち礼拝と区別した崇敬と定義する余地が無いのですか?
あなたは、何時も違いを言うだけで理由を言いませんね。
> 仏や精霊などに対する「尊敬」を表す「挨拶」は「礼拝」ですね。
勿論、こういう異教の霊的対象物への尊敬や挨拶は禁じています。しかし、礼拝とは言いません。
聖書の言葉を用いると「口寄せ」というのではありませんか。
異教でも霊的対象物は空想的なものではありませんからね。
仏も元々実在する人間とすればの話ですが。
西方浄土の阿弥陀仏の像に挨拶すると偶像礼拝かも知れませんね。
もう少し、定義を正確に扱って議論してくださいね。
> 墓や仏壇の位牌にあるご先祖様にも、
> 香を焚き屈曲という動作をしますがね。
異教徒の習慣や振る舞いがどうかしたんですか?
仏教徒が断食したら、我々は断食を禁じろと?
仏教徒がお経に節を付けて歌えば、聖歌や賛美かも禁じろと?
理屈になってませんね。

>>150
> >99
> >マリアの聖像に対しては、御言葉の受肉として敬っています。
> イエス様のこの世での存在が受肉であり、
> そのときのイエス様の肉体には神の子イエスの魂が宿っていたのではないですか?
キリストの場合と聖像の場合とで、同じ「御言葉の受肉」という語彙を用いただけです。
キリストに対する礼拝も、聖像の崇敬も、聖書を読むのも、聖歌を歌うのも、
神の御言葉を敬うということに因んでいます。神の御言葉という情報をどう扱うか問題です。
そいう意味で、殊に聖像に対して御言葉の受肉」という表現をしただけです。

156 :名無しさん@1周年:01/10/22 10:38
>>154補足
聖伝がリキニウス表を根拠にしているにしても、リキニウス表そのものが聖伝かどうかは分かりません。
もしかすると、リキニウス表そのものは単なる歴史的資料かもしれません。
我々がローマにペテロの後継者が存在するとするのは、ペテロがローマで殉教したことを主に根拠としていますから。
それは、教理を詳しく調べる必要があります。
もし逆に、リキニウス表そのものが聖伝であると仮定して、その聖伝が霊感による神の言葉であるとします。
そこで、同じ霊感による神の言葉である聖書は歴史的記述において誤謬が無いといえるしょうか。
ルカ福音書で記述されている当時の皇帝名前は、実際とは異なっていることは知られています。
また、詩篇でダビデが書いたとされる詩に、ダビデの死後の史実について記述があることも知られています。
つまり、霊感による神の言葉が歴史的資料として誤謬が無いとは言えません。
聖伝も然りです。
生憎、手元にあまり資料がありませんので、断定的な言い方が出来ないのはとりあえずご了承ください。
また、そこまで旧教の聖伝のみを否定的に捕らえるというのでしたら、旧教の伝承を否定したと仮定し、
正教のマリヤに関する聖伝に絞って議論されればどうでしょうか?
ヌマツダさんも十分ご存知だと思いますが、議論を明確にするために正教のマリヤに関する伝承を挙げておきます。
マリヤの永貞童女。→永世処女
マリヤの至聖女。→聖母(無原罪ではない)
マリヤの生神女。→神の母
聖人(マリヤ)の転達→取次ぎ
以上の伝承は、旧教の伝承においても包含しています。
聖母マリアの無原罪の御宿り、被昇天、共同贖罪者は東西分裂後に旧教が公にした伝承なので、
正教では認められていません。ただし、これは自論にすぎませんが共同贖罪者は、正教の至聖女認めるために聖書から導かれる論理的前提ではないかと思います。

157 :マリア:01/10/22 15:18
>>150この程度のものは審神にも入らないわ。
ちょっとした霊能力があったら、
きちんとしたカトリック家庭や教会にある聖像には
聖母マリアの霊を始め、霊は何も見えないはずよ。
祝別をすることによって、聖なる物=信心用具に変化するわけよ。
祝別された「聖なる物」というのと、神の魂、
あるいは聖人の魂が宿っている「神像」「仏像」は全く別。

あたしには、聖像に魂が宿っているか否かは、見ればわかるのよ。
きちんと祝別されたもので、なおかつきちんとした
信心用具として用いているなら魂は宿っていないのよ。
神によって祝別されたものと、魂が宿るという意味はまったく違うわ。
証拠に、あたしはいろんな教会やしっかりした信者の家庭の聖像に
霊が宿っているのを見たことがない。神道に変わった後もね。

158 :マリア:01/10/22 15:19
あたしは、あなたの感じたものは、何らかの精神的なものが
原因だと考えているけど、霊的なものの場合次のことが多いのよ。
まず、間違った捉えで聖像を置いているなら、
そこの周りに霊は寄ってくる。
何が寄って来るかというと、祭られたい願望の悪霊よ。
それから、助けてほしい、あの世へ行きたいという霊が寄って来るの。
そして、悪霊の巣になって色んな悪さを人にし始めるの。

こういう現象がなぜ起こるかというと、
神道の場合でも、神棚の場所や方角に制限のあるように、
カトリックや正教で公認されていない間違った捉えで
聖像やイコンに向き合うと、その弱みに付け込んで寄ってくるの。
霊的世界の恐ろしさは、こういうところにも現れてくるわけよ。
特に、神に関わる物には悪いものも寄って来るのよ。
気が枯れた神社なんかは、霊狐の溜まり場になる。
それと一緒よ。

何度も言うけど、イコンや聖像は祈る対象ではないのよ。
ここの捉えが、あなたは理解できていないのよ。
祈りを捧げる対象物でなく、聖母マリアのイメージを映し出したもの。
その聖なるイメージから、聖母マリアを記念し、記憶し、賛美し、
そして、主への取次ぎを祈るのよ。
その全ては、聖母への祈り天使祝詞に集約されているわね。
「めでたし聖寵満ち満てるマリア/主御身と共にまします
御身は女の内にて祝せられ/御胎内の御子イエズスも祝せられたもう
天主の御母聖マリア/罪人なる我等のために
今も臨終の時も祈りたまえ」(あってるかしら?)

159 :名無しさん@1周年:01/10/22 18:46
>>134
>>136
マリヤが神の母ではないことは>>1で証明済み

160 :名無しさん@1周年:01/10/22 18:49
>>153
>>2を読め

161 :ヌマツダ:01/10/22 20:54
>154
>「聖書のみが神の言葉」∨「聖書のみが神の言葉ではない」は常に真であることはご存知でしょう。
「聖伝が神の言葉」∨「聖伝が神の言葉ではない」は常に真であることはご存知でしょう。
>「聖書のみが神の言葉」が偽であることを示せば、「聖書のみが神の言葉ではない」は真になる、
「聖伝が神の言葉」が偽であることを示せば、「聖伝が神の言葉ではない」は真になる、
にも使えますな。が、マリヤ崇敬を「真」に導くことにならない。

>155
>何故、それを特別な尊敬、すなわち礼拝と区別した崇敬と定義する余地が無いのですか?
「香を焚き屈曲という動作が礼拝」が偽であれば、「香を焚き屈曲という動作が崇敬」が真である。
異教徒は、聖像崇敬であって、偶像崇拝でない。世界の多神教と仲良く世界平和。いいことですな。
マリヤ崇敬を「真」とする理由にならない。

>聖書の言葉を用いると「口寄せ」というのではありませんか。
「異教の挨拶は口寄せ」は偽で「キリスト教の挨拶は口寄せでない」は真か。
なんでもカトリックが「真」なんだろ。魔女裁判の答えみたいに決まってるがな。

>異教徒の習慣や振る舞いがどうかしたんですか?
キミは異教化した事を認めないのさ。
初期のキリスト教徒は、マリヤ像も持たなかったし、香を焚き屈曲などしなかった。
ローマ皇帝の像に香を焚き屈曲を拒んで殉教した。
ローマ帝国のキリスト教国教化によって、キリスト教が異教化した事実を認めたようなモノだ。
「香を焚き屈曲」が「似ているから」でなく「同じ行為」なのだよ。
皇帝「像」をマリヤ「像」に変え、「崇」拝を「崇」敬と言い換えただけ。
かわったので「同じ」事を「似ている」と強弁しているの。
何でもローマが真になる魔女裁判的結論。

>キリストに対する礼拝も、聖像の崇敬も、聖書を読むのも、聖歌を歌うのも、
>神の御言葉を敬うということに因んでいます。
聖書と聖歌には、神の「言葉」はあるが、「像」が「言葉」と言うのは。。。。
神はロゴスであった。。。「物質」と「言葉」の違いもわからんとは。

162 :ヌマツダ:01/10/22 20:54
>156
歴史記述の問題も重大だが、
なにより、神の言葉であるローマ人への手紙と使徒行伝に、
ローマの監督としてのペテロが語られていなく、
新約外典はペテロがローマで殉教した事を述べているにすぎないのに、
後世のローマ司教が、ペテロが初代ローマ司教だ。と言うリキニウス表という聖伝を根拠にしている。
マラキの予言みたいに、丁稚上げの教皇一覧表みたいなのが聖伝なわけ。
そんな聖伝が「神の言葉」だと真剣に言うのだから、やはり笑える。儂、未信徒のままでよかった。
こんな宗教の「本筋」だと自分を信じているヤツの気が知れない。

>157
マリアさんの言うことはわかるよ。
教会やカトリック家庭や学校にある「像」はカラッポだと。
カラッポの像相手では「崇拝」とは言えない。
カラッポの像に挨拶することを「崇敬」と言うのがわかった。

>158
祝別されなかったカラッポの像に悪霊が入って悪さした。と解釈できた。ソレは認める。
カトリックの信仰はする気がないから、カラッポに成ってくれない「像」を放棄したのは正解だった。
気の枯れた神社みたいに危ないからね。
伝道の書(コヘレトの言葉)にもある。空の空。と。
今の私にはカトリックは向かないな。
同じ「像」崇敬なら、儂の信じた神以外は認めないと言って戦争するような宗教と違って、
神道や道教みたいに異教の方が心広くなれ安心立命だ。

163 :名無しさん@1周年:01/10/22 21:02
マリア像は悪魔の巣窟

164 :うひゃひゃ:01/10/22 21:14
聖書崇拝と言われようが、イエス崇拝と言われようが、
プロテスタントが、ますますシンプルで正統的なキリスト教に思えてきた。
神の言葉の受肉であるが、カラッポの像に向かって、マリヤをイメージしながら、
罪人なる我等のために今も臨終の時も祈りたまえ。
なんてアホらしくて言えねぇーよ。
イエス様、キリスト様の有り難みが見あたらねぇ。

信じているヤツには悪いが。
マリヤ拝みで安心を得ているのはソレはソレでいいさ。
が、キリスト様、イエス様を通して祈ってるっては見えないぜ。
何でもミサではキリスト様を拝んでいるようだが。。。
マリヤ教って言われたってしかたねぇさ。

165 :マリア:01/10/22 22:16
>>162いいところまできているけど、ちょっと認識が不完全ね。
一応、補足しておくわね。
カトリック信者は、カラッポの像に挨拶をしているのではないのよ。
像自身に挨拶するということは、ありえないのよ。
祝別されているから、聖なる物だという考えはもっているけど、
聖なる物=神が宿るものという捉えはないのよ。

イコンや聖像の使い方については、
例えば、死んだ身内の写真を時々眺めて、
おばあさんの思い出に浸るということがあるわね。それと同じなのよ。
記念・記憶・賛美と取次ぎの祈りに用いるための回想に使うものなの。

さて、次は霊的なことだけど、
確かに、祝別を受けていないものなら像に入ることもある。
ただ、祝別を受けているものの場合は、聖像に入るのではなくて、
聖霊によって祝別された聖像の周りに寄ってくるのよ。
これは、聖像の持ち主が、聖像に聖母マリアの霊がいるとか、
不思議な力があると信じている場合、人が出す波長と
霊が出す波長が合ってしまうから、誘われて寄って来るの。
これが見ようによって、聖像の中にいると見えるわけ。
こういう概念は、カトリックやオーソドックスにはないから、
悪いものだけが寄って来てしまうのよ。金縛りはその危険信号よ。

もう一度、重ねて言っておくけど、聖なるものであるということと、
神やマリアの魂が宿っているということは、
カトリックでは同意義ではないから、注意してね。
区別しておけば、霊は波長を合わせる隙がないから寄り付けないのよ。
プロテスタントでは、この区別が理解できないから
同意義にしてしまって、危険であると捉えているわけ。
だから、プロテスタント的な考えをもったまま聖像に接するのは、
非常に危険だということであるわけよ。

166 :マリア:01/10/22 22:29
>>161香を炊くのは、
あたしの先祖たちのグループもやっていたようよ。
当然、一緒に会堂を使っていた
その周囲にいたキリスト教でないユダヤ人もやっていたそうよ。
香をたく習慣はそこのところだと思うけどね?

祭儀の順序も、ヤコブによる典礼は、
イエズスの兄弟ヤコブに定められたもので、
これにも香は使われるはずよ。
プロテスタントが礼拝で香を辞めたのは、
最後の晩餐で香を用いたということが
書いていないかららしいわよ。

167 :名無しさん@1周年:01/10/22 22:34
>>162 ヌマツダ君
>神の言葉であるローマ人への手紙と使徒行伝に、
ローマの監督としてのペテロが語られていなく、

誰が聖書にペトロがローマの監督だと書いてあるって言ってるんだ?
聖書に書いてないから歴史的事実ではないってことかね?

>神の言葉であるローマ人への手紙と使徒行伝

未信者が「神の言葉」っていうのもおもろいけど、それを決めたのは
古代教会だよ。

>そんな聖伝が

と例示しているものが聖伝ではないんだから笑える。


>こんな宗教の「本筋」だと自分を信じているヤツの気が知れない。

だったら、ストーカーよろしくカトリック批判をやめなって。
寄生虫か、あんたは? ほっとけばいいんじゃないの?


それに君の論理の欠点は、教会に働く神の霊を認めないことだ。
教会の歴史を神学的にどう理解するかということを等閑視している。
聖書だ、神の言葉だっていうわりには、その神と教会の関係は
堕落の文脈でしか語っていない。
簡単に言えば、君の言っている神は批判する手段としての偶像でしかない。

168 :名無しさん@1周年:01/10/22 22:41
ヌマツダ氏よ。

はっきり言うけど、自分の身の程を考えたほうがいいぜ。
学生時代、そんなに勉強しなかったのがミエミエだ。
教義批判ができるほど君はものを知らなすぎる。
自分じゃ結構なこと書いているつもりみたいだが、おそまつにも
ほどがある。

自分の名を出して書けることか、よく考えてみな。

169 :マリア:01/10/22 22:54
>>164霊的に言うと、プロテスタントは無難だわ。
ただ、聖なる印を与えられた人を
過度に低くしてしまうところがある時もあるし、
またその逆もあるからね・・・。

聖徒の交わりは、死後も及ぶと
カトリックやオーソドックスは考えているし、
実際やはり、霊的な世界ではあるのよね。

カトリック・オーソドックス・単性論・ネストリウスは、
聖書も伝承の一部とみなしているから、そうではないのよ。
神からのものと、聖徒の交わりから入ってくるという
見方もできるわけ。

プロテスタントの、そういう霊的な世界は拒絶するところは、
まぁ、それはそれで無難だからいいのよ。
聖書を読んで各自がイメージする世界が入ってくるから。
ただ、カリスマ派のやってることは、かなり怪しいから
ちょっと気をつけた方がいいと思うわね。

そして、プロテスタントではマリア崇敬は、尊敬と形を変えて
行われていることも、イエズスの他の聖書の登場人物を
イメージすることも死人と聖徒の交わりをやっていると
カトリックやオーソドックス側から見れば映るのよね。

「してるのに、不思議なこと言う人たちだな・・・」となるのよ。

170 :名無しさん@1周年:01/10/22 23:10
>>132
マリヤがイエスの他に、産んだ息子の数は
マタイ13:55に書かれているだけでも4人
数も数えられないのか?
その他、娘も産んでいた。56節

171 :名無しさん@1周年:01/10/22 23:13
>>166
そうそう、イエス様だって誕生の時、東方から3人のマギたちが乳香、没薬
を持ってきた。それって香のことだよ。
イエス様に香を捧げることはきわめて聖書的じゃないか。
またマリアさんの言うとおりルカ1:10で大勢の民衆は香をたいている間祈っていたと記述がある。香の習慣はユダヤ教の流れからきたものだ。

172 :名無しさん@1周年:01/10/22 23:24
ヌマツダの恥さらしは
「心と宗教」板の伝統名物
みたいなもんだからな。

173 :名無しさん@1周年:01/10/22 23:24
>>130
リヨンの商人ヴァルドーは財産を貧民に与え
聖書をフランス語に翻訳し、町中に、国中に、ヨーロッパ中に
福音を説教して回った。彼を異端と呼ぶカトリックの方がおかしいぞ。

174 :不毛な議論やってるね:01/10/22 23:31
カトリックは崇敬を認めるが、崇拝は認めない。それは8世紀のニケア公会議
からずっと一緒。
公会議の教え
1.第二ニケア公会議(787年)
「ご絵またはご像にささげられる尊敬というのは、それがあらわしている人
に対するものであり、その姿に尊敬をささげるものは、それが示す人を尊敬
することになる。」
2.第二バチカン公会議
(51)「聖人に対する正しい崇敬が、われわれの行動的な愛の中に存在すること、
またその愛によって、われわれならびに教会のより大いなる善のために、われわれは
聖人の生涯から模範、交わりから参与、取り次ぎから補助を求めるものであることを
信者に教えなければならない。他方では天の住人とのわれわれの交わりは、信仰の
明るい光のもとに理解されるならば神に対する礼拝を弱めるものではなく、かえって
それを豊かに富ませるものである。」(教会憲章1964年)
(111)「聖人は、伝統に従って教会において崇敬され、その真正な聖遺物と肖像とは
尊敬される。」(典礼憲章1963年)

 聖人を尊敬することは、全く悪いことではない。キリストは人間としてはマリア様の
身体を母の胎としてお生まれになったのだから、マリア様を特別に尊敬することは
全く妥当なこと。神の像を刻んだり拝む対象として像が建てられるわけでなし、
こんなことは、ここのスレにあるほどには本来問題にはならない瑣末なことだ。

175 :名無しさん@1周年:01/10/22 23:35
マタイ5:10
義のために迫害されている者は幸いです。
天の御国はその人のものだからです。

マタイ5:19
だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、
また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者
と呼ばれます。
しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で
偉大な者と呼ばれます。

176 :名無しさん@1周年:01/10/22 23:39
>>174
ローマ法王が、お手手のシワとシワを合わせて
マリア像拝んでる写真を見たぞ。

177 :名無しさん@1周年:01/10/23 05:41
>>176
> ローマ法王が、お手手のシワとシワを合わせて
> マリア像拝んでる写真を見たぞ。

これは忌まわしい!
万物の主を差し置いて、得体の知れないものを拝んでいる。

エルサレムの神殿は、なぜ、イスラム教に与えられているのかを、
よく理解しなければならない。

とはいえ、彼は、和解する者であり、謝罪する者でもある。
彼の病は快方へと向かっており、病が完全に癒えたのなら、
神のみを拝し、イエスの友となるであろう。

178 :ヌマツダ:01/10/23 05:53
>167
>誰が聖書にペトロがローマの監督だと書いてあるって言ってるんだ?
ローマ・カトリックが使徒継承の正統性に、
我々は「ペテロの教会」と言うのがある。
ソウではない証明の為だ。権威に嘘がある事になる。
>と例示しているものが聖伝ではないんだから笑える。
聖伝でもないモノをローマは自分の権威の証明に使う。
ローマがペテロの教会でアル根拠は、初代がペテロだからではないか。
神の言葉の聖伝に無いモノがローマの正統性の根拠なのか。
根拠の聖伝を示して欲しい。

>それに君の論理の欠点は、教会に働く神の霊を認めないことだ。
宗教改革をした人たちの教会にも「教会に働く神の霊」はあったろう。
ソレは認められる。

>168
聖伝と言いながら、人のレスには「聖伝」とだけ答えて、
「根拠」の聖伝も示さないで、「根拠、根拠」と答えているのは君たちの方ではないか。
「像」の肯定。の公会だけ言って、年代を挙げていない。
両方がそろったのは、このスレの174 になって出た。

179 :名無しさん@1周年:01/10/23 06:37
米カトリック教会ワシントン大司教のセオドア・マカリック枢機卿は
十月十一日、アフガニスタンの抗争が集結するまで週に一日断食する
よう教区内の全カトリック者に呼び掛けた。

この呼び掛けは市内の聖マタイ大聖堂でのミサで行われたもの。
九月十一日の テロ攻撃での死者を憶える適切な方法だとして
「私はワシントン大司教区のすべ てのカトリック者に、
教会の通常の標準に従って、戦争が終わるまで少なくとも
週に一日断食し、苦行とざんげという神聖な行いを続けるよう
要請する」と同枢機卿は語っている。

180 :not168:01/10/23 08:01
>ヌマツダさん

 ペテロについて新約聖書の中からは、使徒行録10章からカイザリアでイタリア出身の
ローマ市民コルネリオに洗礼を授ける個所が記されている。ペトロはその後、パレスチナ
で、さらにシリヤのアンテオケなどで活躍されたといわれている。最後はローマに滞在し、
明らかにそこでペトロの第一の手紙、第二の手紙を書いた。

 次に、教皇ピオ11世のころ1940年から1949年に聖ペトロ大聖堂地下の広大な発掘が
行われ、聖ペトロの墓の問題も決定的に解明されている。

 ペトロの墓が2世紀にすでに知られていたばかりでなく、崇敬されていたことは次の
2つの記録からも明らかだと言われている。
 フリギヤ出身のローマの司祭ガイウスの手紙とラテン教会著述家テルトゥリアヌスの
証言だ。

 色々な時代考証や聖書と聖伝の検証をへて、現在は学問的にも次のことは確言されている。
1.ペテロはローマにいたこと
2.彼はネロ帝治下64年に殉教したこと
3.彼の墓所はヴァチカンの丘の異教徒の墓地につくられたこと。
4.ガイウスの語る「トロパイオン」の上に、4世紀の古いペテロ聖堂、さらに16世紀の新聖堂も
  建造されたこと。

181 :名無しさん@1周年:01/10/23 09:14
>>146
> ローマ首位の根拠になったリキニウス表も聖伝としては疑わしいもので、
古いレスになるが、調べてみて判ったけど、リキニウス表じぇなくて、リベリウス表じゃないのか?
もう少し、信頼性の高い出典および書き込みをして欲しいですね。
矛盾を指摘するときは、できるだけカトリック教会の文献を直接示して貰わないと、
本当にリベリウス表は単なる歴史資料的根拠ではなく、それそのものを聖伝としているのかどうか、後の確認が困難になるでしょ。
また、カトリック教会の伝承では、ペトロの足跡の詳細は不明となっている筈です。
リベリウス表の歴史的信頼性がないのは認めますが、ペトロの後継者がリヌスである根拠は
リベリウス表以外にも存在します。それは3世紀の学者イレニウスおよびへゲシップスの資料だそうです。
伝承では、後継者リヌスはペトロの伝道旅行に同行していたらしく、後にペトロがローマで殉教したとなれば筋が通るものと思われます。
また、これは正式な伝承かどうかはわかりませんが、リヌスとは使徒言行録のリノスという説もあります。

182 :名無しさん@1周年:01/10/23 09:42
>>161 :ヌマツダ :01/10/22 20:54
> にも使えますな。が、マリヤ崇敬を「真」に導くことにならない。
その通りです。この命題の限界は他にもあります。聖書のみが神の言葉であるというのを証明できたとしても、
聖書が神の言葉であるかどうかを証明したことにはなりません。私はただ、議論の限界を明らかにしようとしているだけです。

>155
> 異教徒は、聖像崇敬であって、偶像崇拝でない。

異教徒の像は聖像ではありません。聖像は我々の教理で定義されているものです。
ですから、聖像崇敬でもありません。私たちは偶像礼拝を禁じでいますが、
ヌマツダさんもご存知の通り、カトリック教会において偶像礼拝は十戒の第一戒のカテゴリーに入ります。
第一戒では偶像礼拝以外にも、迷信即ち異教の信仰を禁じています。

> マリヤ崇敬を「真」とする理由にならない。
その通りです。私はこのスレでマリア崇敬を「真」であることを、論理的に導こうなどとは思っていません。
それは、聖書が神の言葉であるというのを証明するというくらい極めて困難であることを知っています。
何故なら、神が決めたことという風な説明しかできないからです。
1+1=2が人間が定めたことと知りながら、それを他の定理から導くようなものです。
早くこんな議論は止めましょう。

> 「異教の挨拶は口寄せ」は偽で「キリスト教の挨拶は口寄せでない」は真か。
口寄せという習慣自体、カトリック伝承や教理の中では禁じられています。

> 初期のキリスト教徒は、マリヤ像も持たなかったし、香を焚き屈曲などしなかった。
それは事実かどうかは知りませんが、そのような習慣の変化は良くあることです。
ニサンの月の15日の「過ぎ越し祭」を、グレゴリオ暦の春分の最初の満月に最初の日曜日「復活祭」に変更したのと同様に。

> ローマ皇帝の像に香を焚き屈曲を拒んで殉教した。
もしネロ皇帝がキリストに繋がれた聖人だったら拒まなかったでしょう。

183 :名無しさん@1周年:01/10/23 10:48
>>182補足
マリア崇敬に関する伝承を肯定する論理的根拠に限界があるのは認めます。
ですから、私たちはマリア崇敬を否定する根拠を否定する議論で留めています。
即ち、聖書及び聖伝の中でのヌマツダさんの指摘に対し、それは矛盾ではないことを示しているだけなんです。
ヌマツダさんはひたすら指摘し続け、我々がそれが聖書や伝承において矛盾ではないことを示し続けるしかないのです。
ヌマツダさんももう少し、こスレでの目的を自覚して貰いたいですね。
また、例えば我々は、伝承を肯定する論理的根拠を示すために、否定して時に発生する奇異な事柄を示すことがありました。
それに対し、
> 未信者なので、異教徒であるがお辞儀は禁じませんがね。
というレスがありましたが、仮にヌマツダさんが信者に成ったとして、仮に全ての人に対するお辞儀を禁じてしまえばヌマツダさんの理屈が通ってしまいます。
論理的トートロジを用いても尚限界があるのは仕方がありません。トートロジを用いなければ、尚更絶望的です。
>>18などで、
> なぜなら、どの教派の教会も教理において論理的に閉じているてめである。
と述べた意味はこのことです。
いい加減にこういう議論は諦めましょう。

184 :名無しさん@1周年:01/10/23 11:00
異教徒の青森県三戸郡新郷村戸来の人びとが、キリストを拝んだり、日曜日に休日をとれば、
私たちの、キリストに対する礼拝や主日に対する変更をしなければならないわけ?
ヌマツダさん、わけわかんねぇ〜。

185 :名無しさん@1周年:01/10/23 11:51
>>150のレス且つ>>155補足
> 十字架のイエス像は受肉ではありません。イエス像にイエスの霊はないのですから。
だから、単に御言葉を敬うために、聖像を崇敬しているだけ。それ以上のものではありません。
> イエス様は神なのですから、神の像を造るのは、偶像禁止に引っかかるでしょう。
> そうなればイエスの人間母マリヤの像は尚更受肉とはならないでしょう。
聖像をキリストそのものとか、神だとは考えていません。だから聖像礼拝も偶像礼拝もしていません。

186 :名無しさん@1周年:01/10/23 12:08
聖像や崇敬は、聖書に矛盾がないように私たちの伝承の中で定義されているものです。
ヌマツダさんはその定義を勝手に変更して、奇異な命題を導いているだけです。
ヌマツダさんは
出エジプト 20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
だけを読んで、聖像、芸術、人形、など目的を問わず禁じるわけですよね。
私たちは、聖書の他の箇所、「青銅の蛇」や「ケルビムの聖像」の箇所を読んでそうではない解釈を導いているのです。
あなたの理屈では、
出エジプト 20:13 殺してはならない。
を読んで、人だけではなく、動植物の如何も問わず、とにかく「殺す」と言う行為を禁じましょうと言っているのと同じですね。
殺してはならない対象は人であるというのは、聖書の他の箇所を読まねばなりません。

187 :名無しさん@1周年:01/10/23 14:17
>>186補足
出エジプト 20:13 殺してはならない。
だけでは、人を対象にしているにしても、どの場合に適応するのか詳細不明ですね。
戦争のような正統防衛はどうなのか、これも聖書の他の箇所を読まねば判りません。

>>182補足
> > ローマ皇帝の像に香を焚き屈曲を拒んで殉教した。
> もしネロ皇帝がキリストに繋がれた聖人だったら拒まなかったでしょう。
さらに、その像が聖務を行う司祭によって祝別されていなければなりません。
私たちの聖像は、マリアさんの言う通り、その像自身に魂が宿っているなんてことは考えません。
聖像とは、あくまで神が聖としたものとして崇敬の対象になるんです。
ですから、御言葉を表現する形であっても、司祭の祝別が施されていないのなら、
崇敬の対象とならず単なるオブジェになってしまいます。
これは、随分以前に述べたことですね。

188 :名無しさん@1周年:01/10/23 15:10
>>187訂正
誤:聖像とは、あくまで神が聖としたものとして崇敬の対象になるんです。
正:聖像とは、あくまで神が聖として権威付けられたものとして崇敬の対象になるんです。

189 :マリア:01/10/23 17:56
皆さん、マリア崇敬の問題は、
プロテスタント諸派も「尊敬」という形でやっている。
聖像とは、祝別された像を指し、そこには魂は宿っておらず
記念・記憶・賛美の取次ぎに用いるものである。
ほかの宗教の像と同じ用い方をしてはならない。

これで皆さん、いいかしら?

190 :マリア:01/10/23 18:00
教皇権の話題に移ってきているようだけど、
あたしの母の家の言い伝えでは、
ペトロは主にユダヤ人グループに支持があったらしいわね。

しかし、筆頭使徒であり、イエズスの後継者とかいう情報が
多分パウロあたりから流れたらしくて、こうなったらしいのよ。
聖書の通り、ペトロは同位の中の首位であっても、
自分に過失が多いことも知っていたから、
ヤコブがいつも議長役だった。

一度弟子の間で喧嘩になった時に、
イエズスから叱られたから特に用いてなさそうね。
パウロがそういう話を聞いて、そう言ったのでしょうね。

191 :マリア:01/10/23 18:04
母の先祖のグループではパウロの受けは悪かったみたいね。
異邦人グループはパウロ支持者が多かったけど、
ペトロが筆頭使徒だということを知っていたから、
認めていたらしいとのことよ。
それから、次の司教のリヌス以降も認めていたらしいということよ。
だから、これでローマは正当性はあるのよ。

でね、ローマの首位の背景には、何度も言うように
教義上の問題が起こればローマへというのがあって、
これは確かに、エルサレム教団が滅んだという理由もあるわよ。
しかし、ペトロが首位という認識が全教会にあったから、
このようなことになったの。

後に皇帝の影響力の強いコンスタンチノープルが、
教権の方が王権より優勢に立ちつつあるローマを恐れて、
これを崩しにかかって成功した時期があったということよ。
しかし、「ローマ詣で」は相変わらず続いた結果、
カルケドン公会議で順位が決定したのよ。

192 :マリア:01/10/23 18:05
それまでは、首都移転でローマが寂れた後は
アレクサンドリアやアンティオキアに神学上の中心が移り
コンスタンチノープルは首都の教会として機能していた。
しかし、「ローマ詣で」で持ち上がった
他の教区の様々な問題に意見したり、
公会議開催の判断を下すのはいつもローマだったの。
首都コンスタンチノープルではなかったのよ。
重大なことでは、公会議の開催を指示するのもローマ。

コンスタンチノープルは、ローマに準じて2位よ。
ローマと同等という意味は、皇帝の権威でということよ。
しかし、事実上はローマの首位を認めた公会議だったのよ。
ローマの判断も肯定することを決めたということよ。
どこにも、公会議録には何も書いてないだろうけど、
そんな皇帝と教皇の権力争いの事情なんて、誰も書きやしないわよ。

193 :名無しさん@1周年:01/10/24 11:40
>>150のレス且つ>>185補足
> > 十字架のイエス像は受肉ではありません。イエス像にイエスの霊はないのですから。
> だから、単に御言葉を敬うために、聖像を崇敬しているだけ。それ以上のものではありません。
> > イエス様は神なのですから、神の像を造るのは、偶像禁止に引っかかるでしょう。
> > そうなればイエスの人間母マリヤの像は尚更受肉とはならないでしょう。
> 聖像をキリストそのものとか、神だとは考えていません。だから聖像礼拝も偶像礼拝もしていません。
また、キリストの御言葉の受肉と、聖像の御言葉の受肉とは全く異なります。
キリストの御言葉の受肉の神秘とは、聖書のみならず我々の知りえない限りない全ての御言葉の受肉です。
一方、形によって表現できる神の御言葉は有限であることは我々はよく知っています。
その形を祝別し神によって聖とし(他の被造物から区別し、神に選ばれたものとして権威付ける)、
その形(即ち聖像)で表現されている御言葉を敬っているのです。
また、聖像を敬ったからと言って、それ自体を神として礼拝しているわけではありません。
それは、聖所や主の御名を敬うのと同様です。
聖所や主の御名自体を神として礼拝などしていません。

194 :名無しさん@1周年:01/10/24 16:32
170 :名無しさん@1周年 :01/10/22 23:10
>>170 :名無しさん@1周年 :01/10/22 23:10
> マリヤがイエスの他に、産んだ息子の数は
> マタイ13:55に書かれているだけでも4人
> 数も数えられないのか?
> その他、娘も産んでいた。56節

マタイ 13:55 この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。
確かに4人ですね。
マタイ 12:50 だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である。」
にあるように、天の父の御心を行う人が少なくとも4人いたんでしょう。
天の父の御心を行う人はもっといたと思いますが、その人は皆マリアが出産する必要があるんでしょうか。
マリアが地上にいない現在は、天の父の御心を行う人は存在しないということでしょうか。
あーアホらし。

195 :名無しさん@1周年:01/10/24 19:26
>>194
気は確か?

196 :名無しさん@1周年:01/10/24 20:28
>>195
聖書の中の「兄弟」「姉妹」は必ずしも、2親等の関係を指すとは限らないんです。
従兄弟を意味することもあり、意味が広いんです。
そのようなことは、新共同訳聖書の解説や、フランシスコ会訳聖書の注釈にも述べられています。
ですから、指摘のマタイ13:55の箇所は、殊にマリアの永世処女を否定する根拠にはならないんですね。

197 :名無しさん@1周年:01/10/24 21:07
使徒がマリア崇拝をした記録はない。
なぜか?

198 :名無しさん@1周年:01/10/24 21:13
>>197
まだ生きてたから。
生きてたから祈る必要も無く、直接話しすればよかったんですね。
互いのために祈りましょうって直接言えばいいんです。
そんなこと、考えれば直ぐに分かることでしょ。

199 :名無しさん@1周年:01/10/24 21:20
使徒のうち、最も長生きしたヨハネも、マリア崇拝しなかったぞ。
なぜか?何時どのような理由で始まったのか?

200 :名無しさん@1周年:01/10/24 21:26
コックリ3のお告げで始めました。

201 :名無しさん@1周年:01/10/24 21:38
>>199 名前:名無しさん@1周年 :01/10/24 21:20
> 使徒のうち、最も長生きしたヨハネも、マリア崇拝しなかったぞ。
> なぜか?何時どのような理由で始まったのか?
崇拝はしなかっただろうな。尊敬はしただろうけど。
ヨハネが尊敬しなかったっていう根拠は?
無いのは根拠にはならないよ。
否定する根拠があって、初めてヨハネもマリア崇敬しなかったぞって言えるけど。
また、カトリック教会の伝承では、ヨハネ福音書は使徒ヨハネが書いたことになっています。その福音書には、

ヨハネ福 19:26-27 イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。

とあります。
レビ記 19:3 父と母とを敬いなさい。わたしの安息日を守りなさい。わたしはあなたたちの神、主である。
の「敬いなさい」は「畏敬」を意味する「ヤーレー」というヘブライ語動詞ですから、
ヨハネもマリア様を敬っていたのでしょうね。

202 :名無しさん@1周年:01/10/24 21:56
>>201補足
> 使徒のうち、最も長生きしたヨハネも、マリア崇拝しなかったぞ。
使徒のうちヨハネが最も長生きしたにしろ、聖書のどの書物にもマリアの死後の記録がないのですからね。
使徒ヨハネが、マリアの死後どうしたのかは聖書の中では不明です。

203 :>199 使徒に託されたキリストの母は敬うべきだと思わないか?:01/10/24 21:57
 マリア様を母として預かったでしょ。
【それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、
この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。】
 有名なマタイ・マルコ両福音書に次のようにあらためて主が諭す個所あるでしょ
【神は、『父と母を敬え』と言い、『父または母をののしる者は死刑に処せられる
べきである』とも言っておられる。】

エペソの教会への手紙6章2節
【「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。】

204 :名無しさん@1周年:01/10/24 22:05
>>203
> エペソの教会への手紙6章2節
> 【「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。】

その通りです。旧約の「父と母を敬いなさい。」は、新約においても有効です。
皆さん、マリア様を敬いましょう。

205 :マリア:01/10/24 22:24
>>204ほとんどの教会は、定義は違ってもやっているわよ。
聖母が神から与えられた使命を受け入れ、
果たしていることは聖書には書かれてあるから、
誰もこのことは否定できないのよ。

206 :名無しさん@1周年:01/10/24 22:48
>>201
崇敬したって記録だってないぞ。
ギリシャやローマの女神崇拝の影響だよ。

207 :名無しさん@1周年:01/10/24 22:50
>>204

>>1よりコピペ
イエスが人として生まれたのはマリヤからであるが、
神として生まれたのは、全てのものが造られる前であり、
マリヤは神の母では有り得ない。コロサイ1:15

208 :マリア:01/10/24 23:10
>>207人であり神であるイエズスの母マリア。
神の母マリア=生神女マリヤの名称には、
こういう意味があるわね。
プロテスタントを名乗る多くの派は、
イエズスは人であり神であるとは認めているはずよ。

209 :マリア:01/10/24 23:15
>>207神によって祝福された母胎を持つ女性、
主の母親としての記載は聖書にあるわね。

210 :>207さん:01/10/24 23:15
204ではないが、一言。コロサイ1:15は、的外れな聖書の引用だと思う。

 神と切っても切り離せない確実な女性がキリストの母であるマリア様
であることは福音書の色々な個所を総合的に考えれば自然な解釈。

エリサベトをマリアが訪問したときには、聖霊に満たされたエリサベトが
マリア様をこの上なく賛美している。そのときに「わたしの主のお母様が
わたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。」という賛美の
ことばまで発している。ルカによる福音書の1章43節をお読みになったら
よい。

211 :マリア:01/10/24 23:33
後、ユダヤ的な視点も必要でしょうね。

ユダヤ人の定義とは、ユダヤ人の母から生まれなければ、
本来はユダヤ人とは認められないのよ。
ユダヤ人に産まれたことを、神と母親には
感謝するのは当然のことよね。
もし、母親がユダヤ人でなければ、
その人はユダヤ人とはみなされないのだから。

だから、人であり神であるイエズス・キリストを宿した
母胎を持つ女であるマリアには、
尊敬される資格があったということなのよ。

212 :名無しさん@1周年:01/10/24 23:38
崇拝ではなく崇敬だとか言って煙に巻くなよ。
何が何でも崇拝でなく崇敬だと言いたいなら
悪魔崇敬だ、結局悪い事には変わりない。

213 :名無しさん@1周年:01/10/24 23:53
>>210
イエスが神として生まれたのは、天地創造の前です。
イエスは被造物ではないのです。
神が人となられて生まれたのはマリヤからですが、
マリヤは神を生み出したわけではありません。
ル1:43はマリヤは人としての主イエスの母という
意味です。神の母とは書いてありません。
マリヤを拝めとも書いてありません。

214 :名無しさん@1周年:01/10/25 00:06
>211
それは最近のユダヤ教の見解であり、聖書的には
母が誰であるかではなく、父が誰かが重要。
単に「妻」と呼ばれるだけで、聖書に名を記され
ていない女は少なくない。

ユダヤ教徒がゴイムを娶った場合、生まれた子が
ユダヤ人の血を引いていない可能性があるという
考えから、ユダヤ人が、そのような主張をしている
にすぎない。

215 :マリア:01/10/25 00:46
>>214母の方では、アメリカに渡るまでずっとこうだったらしいわよ?

216 :マリア:01/10/25 01:05
>>213それでは、三位一体説は崩れると
カトリックやオーソドックスでは考えているの。
父は子と聖霊を発出したという理論が崩れるからね。
マリアは、あくまで神の魂を持ち、人の肉体を持った
イエズスの母親という理論だから。

父と子の一体説の三位一体説なら、
むしろ単性論に近いような気がするわね。

217 :名無しさん@1周年:01/10/25 06:07
イエスの母を崇敬するという行為は、問題無いと思う。

それは、神の義でもなく、御国の条件でもなく、イエスの御言葉でもない、
すなわち、信仰とは無関係の事だからである。
であるから、好きにしたら良いと思う。

しかし、イエスの母などと言われる、女の偶像に何かするなら汚らわしい。
それこそ、神に敵対する行為であり、イエスの母、すなわちマリアに
敵対する行為でもある。

その女の偶像は、聖徒たちが幾度となく切り倒しても生えてくる、
アシェラなのである。

218 :>213:01/10/25 07:55
あのね、屁理屈に聞こえるかもしれないけど、ルカ1:43前後の
主という言葉はみんな同じ言葉「κυριου」という語が使われているんだ。
ルカ1:45
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
での「主」も同じ。主と神は同義であることは明白でしょ?カトリックが教義として
定めてきた色々な事柄は、異端を排除するためにあいまいな見解を排除する
意味で生まれてきたものも多い。我々の主イエス・キリストの母聖マリアという呼び方
が正解だと思うならば、そう思えば良いよ。たとえそれが正しい解釈、聖書の記述の
枠を離れていない解釈だとしてもだ、マリア様を崇敬することを否定する根拠には
ならないし、やはりマリア様は主の御母として敬うべき対象であることはむしろ確実に
なるだけだよ。マリア崇敬は間違いだなんて大風呂敷を広げないほうがいいね。

219 :名無しさん@1周年:01/10/25 14:19
>>213 :名無しさん@1周年 :01/10/24 23:53
> イエスが神として生まれたのは、天地創造の前です。
> イエスは被造物ではないのです。
> 神が人となられて生まれたのはマリヤからですが、
> マリヤは神を生み出したわけではありません。
> ル1:43はマリヤは人としての主イエスの母という
> 意味です。神の母とは書いてありません。
> マリヤを拝めとも書いてありません。
確かに、主「アドナイ」は一般名詞です。
しかし、我々はエフェソ公会議でキリストは神であり且つ人であることを認めました。
そして、キリストが神であるときは人でなく、人であるときは神ではない、
神または人というネストリウスの考えは異端となしました。
もし、キリストが神であり且つ人であることを認めれば、マリアはキリストとの続柄として、
神の母であると同時に主の母であることを認めることになります。
また、神の母という続柄は御父と同様に、キリストに始まりがあるとか、被造物であることを意味しません。
あなたは景教の方ですか?

220 :名無しさん@1周年:01/10/25 14:30
>>206 :名無しさん@1周年 :01/10/24 22:48
> 崇敬したって記録だってないぞ。
> ギリシャやローマの女神崇拝の影響だよ。
聖書にマリアに死後の記述がないからってブーブー言うな。
もう少しまともな理屈を言え。

>>207 :名無しさん@1周年 :01/10/24 22:50
> イエスが人として生まれたのはマリヤからであるが、
> 神として生まれたのは、全てのものが造られる前であり、
> マリヤは神の母では有り得ない。コロサイ1:15

そんなに、神の母を認めるのが嫌なら、景教になりゃいいじゃないか。

221 :マリア:01/10/25 14:43
>>217ルターの理論ね。それなら、一応筋が通るのよ。

しかし、これは公会議の決定=聖霊から下されたもの
=絶対。というのがカトリックとオーソドックス。
しかし、プロテスタントは、公会議は認めないし
聖書が聖伝承の一部だということも認めない。

プロテスタントは、聖書が先で、伝承が後と考えるからね。
でも、聖書が先なら、福音書はひとつで良かったのでは?
と思うし、内容がばらばらだしね・・・。
これこそ、聖書が伝承の一部という証ではないのかしら?
とあたしは思えてくるわけよ。

ただ、最古だといわれるマルコの福音書に沿うなら、
今の旧教系の教会がやっているマリア崇敬が
覆る可能性も出てくる。
しかし、これだとイエズスは神でなく
神が遣わした預言者であったとなる可能性も出てくるのよね・・・。

222 :名無しさん@1周年:01/10/25 14:46
>>219および>>220補足
>>>207 :名無しさん@1周年 :01/10/24 22:50
> 神として生まれたのは、全てのものが造られる前であり、
このキリストに於ける生まれるという概念に、時間的意味を設けるのはいけません。
そんなことをするとエホ証になってしまいます。
エホ証はアダムより先に生まれた単なる凄い人と考えています。
キリストは御父から永遠に生まれた方です。
ですから、キリストに「生まれる」という語彙を時間的意味や始まりの意味を持たせてはいけません。
「生まれた」というのは関係として重要な意味を持つんです。
ですから、キリストが神であり且つ人であることは、マリアが「神の母」であると同時に「主の母」であるという関係を持っているのです。

223 :マリア:01/10/25 14:50
>>219でも、ネストリウス派もマリア崇敬をやっているのよね。
「キリストの母マリア」という解釈で
正教に近い崇敬をやっているのよ。

プロテスタントは、崇敬を尊敬と変えてやっていることを
認めないところも多いけど、
ネストリウス派は、はっきりと認めているのよね。

224 :名無しさん@1周年:01/10/25 15:10
>>217 名前:名無しさん@1周年 :01/10/25 06:07
> しかし、イエスの母などと言われる、女の偶像に何かするなら汚らわしい。
> それこそ、神に敵対する行為であり、イエスの母、すなわちマリアに
> 敵対する行為でもある。
私たちは、単に神が聖別し権威付けられた被造物に対し特別な敬いを行っているだけです。
その特別な敬いを崇敬と言って区別しているだけです。
また、>>201はマリアの一般的な敬いの理由に過ぎません。
ですから、少なくとも「愚人女」の否定にしかならないんですね。
マリアへの尊敬を崇敬と言うには他の根拠を示す必要があります。
我々にとって、聖人や福者のような神に聖とされた人は、以下に挙げる聖書の箇所に基づきます。
ローマ 8:17 もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。
コロサイ 1:24 今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。

これに対し、シメオンがマリアにこう預言する箇所があります。
ルカ 2:35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

このようにして、マリアをキリストと共に苦しんだ共同贖罪者とし、
神に聖別された人として崇敬できるのです。
勿論、聖別された被造物でも、それ自身を神として崇めたりするのは禁じていますが。

225 :名無しさん@1周年:01/10/25 15:36
西暦90年に行われたラビ(ユダヤ教の教師)たちのヤブナ会議に基づいて
一部の新教の神学者たちが霊感の書物から排除したものの中にトビト記があります。
このトビト記の中に、大天使ラファエルがトビトに述べた言葉あがあります。
トビト 12:12 さて、今だから言うが、トビトよ、あなたが祈り、サラが祈ったとき、その祈りが聞き届けられるように、栄光に輝く主の御前で執り成しをしたのは、だれであろうわたしだったのだ。あなたが死者を葬っていたときもそうだった。
我々が認める、マリアの執り成しは特にこれ以上のものではありません。
キリストの仲介とも区別しています。もし聖人の取り成しと、キリストの仲介が同じなら、
キリストは我々のために祈っているだけになってしまいます。
キリストはあくまで、新しい契約の仲介者なのです。

226 :名無しさん@1周年:01/10/25 17:28
>>224補足
> >>217 名前:名無しさん@1周年 :01/10/25 06:07
> しかし、イエスの母などと言われる、女の偶像に何かするなら汚らわしい。
> それこそ、神に敵対する行為であり、イエスの母、すなわちマリアに
あなたはが、モーセの「青銅の蛇」や「ケルビムの聖像」に何かするなら汚らわしいと思われるのは結構です。
青銅の蛇は癒しのために掲げられ、「ケルビムの聖像」は至聖所に置かれたのですからね。

227 :ヌマツダ:01/10/25 18:19
聖書と中東問題を語るスレ
374 :名無しさん@1周年 :01/10/25 02:08
クリスチャン新聞最新号によると、パキスタンで300万人(全体の3%)のクリス
チャンが難民支援に尽力、また戦争反対を訴えているという。彼らの中には救済列車
設置の計画を立てているグループもある。パキスタン国境でアフガン難民支援に粉骨
砕身する日本人クリスチャンもいるという。泣かせる話である。ところで、キリスト
教徒になったユダヤ人の記事も興味深い。彼は建国前のイスラエル・ハイファで生ま
れ、正統派ユダヤ教徒の家庭に育ち、ハバットという正統派のユダヤ教徒となる。彼
は六日間戦争の折に神の語りかけを受け、新約聖書を熟読し、クリスチャンになる。
伝道者としてドイツ・東欧はじめ世界中を飛び回る彼は言う。「ユダヤ人は、異邦人
やクリスチャンの教えの上に信仰を築きたくない、神の言葉の上に信仰を立てたいと
願っています。しかし神様は親イスラエルでも反アラブでも、またその逆でもありま
せん」

228 :ヌマツダ:01/10/25 18:22
>227、を挙げたのは、
つまり、新約聖書は神の言葉だが、
クリスチャンの言葉は、聖伝と言われる公会議の決定や教父の著書であっても、
神の言葉と認識されていない。例があると言うこと。

229 :ヌマツダ:01/10/25 18:26
>226
>青銅の蛇は癒しのために掲げられ、「ケルビムの聖像」は至聖所に置かれたのですからね。
信心道具に使ってないことを、カトリック側のレスで証明したようなモノだ。
神の言葉の青銅の蛇やケルビムの例は、
クリスチャンの言葉の公会議の言う信心道具ではないわけ。

230 :ヌマツダ:01/10/25 18:34
>214
を読んで思ったのだが、レスの「マリア」さんはメノラなのか?
カトリック内の被抑圧者の意見と言うことか?
カトリックで日系ユダヤ人とは珍しい。

231 :ヌマツダ:01/10/25 18:42
>198
ヨハネの寿命とイエスの母マリヤの寿命とどっちが長い?
マリヤ没後のヨハネのマリヤへの祈りが無いのでは?
ヨハネはマリヤ没後の彼女への賛美をナゼ書かなかったか?
没後の亡きマリヤへの執り成しの祈りは、正当化できませんな。

232 :名無しさん@1周年:01/10/25 18:43
http://www.f2.dion.ne.jp/~goldman/

233 :ヌマツダ:01/10/25 18:47
>186
殺してはならない。の件から。
聖書の他の箇所を読んでも、マリヤ像に尊敬を、信心道具として。
とは、書いていない。

234 :ヌマツダ:01/10/25 18:54
>180、181
ペテロの伝道が、聖書に組み込まれなかった事からして、
神の言葉からはずした外典や教父文書並の扱いと言うこと。
つまり神の言葉に選ばれなかった。
2世紀の骨と判明しても、ペテロの骨とは断定できない。
それは、仏教のブッタガヤから発掘された骨が、
紀元前4世紀頃の骨なので、釈迦の骨だ。と、
断定できないのと同じ。
神の言葉なる公会議や教令の聖伝には、
ローマ司教がペテロの教会と言われる根拠は、結局無い訳だ。
歴史検証は、聖伝ではないと私にカトリック側スレでは答えていましたからね。

235 :ヌマツダ:01/10/25 18:59
>180、181
ローマでペテロが殉教したのは、文献的にはペテロ行伝が根拠なのでは?
それは聖書からはずされ外典なので聖伝とはされない。理屈だったのでは?

236 :名無しさん@1周年:01/10/25 19:08
>>221
> >>217ルターの理論ね。それなら、一応筋が通るのよ。

残念ながら、ルターともプロテスタントとも関係がない。
私の思考の根底には、複数の宗教が存在している。

> ただ、最古だといわれるマルコの福音書に沿うなら、
> 今の旧教系の教会がやっているマリア崇敬が
> 覆る可能性も出てくる。
> しかし、これだとイエズスは神でなく
> 神が遣わした預言者であったとなる可能性も出てくるのよね・・・。

もちろん、イエスは神ではない。

エルサレムの神殿が証しするコーランにも、イエスは地位の高い
使徒にすぎないと書いてあるし、イエス本人も、預言者たちと同じ
僕仲間だと言っているのであるから。

237 :名無しさん@1周年:01/10/25 19:14
コーランはキリスト教じゃないよ
何考えてんだか

238 :名無しさん@1周年:01/10/25 19:17
マホメットが紙かよおい!

239 :名無しさん@1周年:01/10/25 19:19
>>224>>226
> >>217 名前:名無しさん@1周年 :01/10/25 06:07
> > しかし、イエスの母などと言われる、女の偶像に何かするなら汚らわしい。
> > それこそ、神に敵対する行為であり、イエスの母、すなわちマリアに
> > 敵対する行為でもある。
> 私たちは、単に神が聖別し権威付けられた被造物に対し特別な敬いを行っているだけです。
> その特別な敬いを崇敬と言って区別しているだけです。

私は、女の偶像に対して語っているのであるが。

> あなたはが、モーセの「青銅の蛇」や「ケルビムの聖像」に何かするなら汚らわしいと思われるのは結構です。
> 青銅の蛇は癒しのために掲げられ、「ケルビムの聖像」は至聖所に置かれたのですからね。

「青銅の蛇」や「ケルビムの聖像」については、一言も語っていない。
特に、神の御座であるアークに供え付けられたケルビムの聖像など、
誰が非難できようか。

240 :名無しさん@1周年:01/10/25 19:41
>>237
> コーランはキリスト教じゃないよ
> 何考えてんだか

天使ガブリエルを信用できないか?

>>238
> マホメットが紙かよおい!

彼は預言者である。

241 :名無しさん@1周年:01/10/25 19:43
ニセ預言者だ

242 :名無しさん@1周年:01/10/25 19:46
ガブリエルじゃなくコーランが信用できん

243 :名無しさん@1周年:01/10/25 19:48
イスラム教徒の振りして荒らしてもマリヤ崇敬は間違いだよ!

244 :名無しさん@1周年:01/10/25 19:53
>>239
ケルビムやヘビは、神様の命令で例外的に造ったもの。
しかも、聖書にそれは書かれている。
しかも、崇敬しているわけではない。

しかし、マリヤの像を造れとか崇敬しなとか、神様は言ってないし、
聖書にもそんな記録はない。

245 :名無しさん@1周年:01/10/25 19:56

じゃあカトリックは異端なのか?

246 :名無しさん@1周年:01/10/25 20:00
異端視されたくなかったら偶像を捨てろ

自分を正統化するためにコーランを持ち出すなんて
異端どころか他宗教だろうが!

247 :名無しさん@1周年:01/10/25 20:04
カトリックは聖書よりコーランを選んだ
従ってカトリックはキリスト教ではなく
イスラム教なのだ

248 :名無しさん@1周年:01/10/25 20:53
>>241
> ニセ預言者だ
>>242
> ガブリエルじゃなくコーランが信用できん

ムハンマドやコーランは、エルサレムの神殿が
証ししているのである。

>>243
> イスラム教徒の振りして荒らしてもマリヤ崇敬は間違いだよ!

私は、マリア崇敬は信仰ではないので、好きにすれば良い、
と言ったのである。
マリアを崇敬した所で、神の義でもなければ、
御国に入れるわけでもないからである。

249 :名無しさん@1周年:01/10/25 20:54
>>244
> >>239
> ケルビムやヘビは、神様の命令で例外的に造ったもの。
> しかも、聖書にそれは書かれている。
> しかも、崇敬しているわけではない。
>
> しかし、マリヤの像を造れとか崇敬しなとか、神様は言ってないし、
> 聖書にもそんな記録はない。

まったく、その通りである。

250 :名無しさん@1周年:01/10/25 20:56

このスレ気に入った!

251 :名無しさん@1周年:01/10/25 20:58
>>246
> 異端視されたくなかったら偶像を捨てろ
>
> 自分を正統化するためにコーランを持ち出すなんて
> 異端どころか他宗教だろうが!

これは私に言っているのであろうか?
コーランでは偶像崇拝などは、まったく許されない。

特に、女の偶像は忌み嫌われる。
よりによってサタンを拝んでいる、とまで書かれている。

252 :名無しさん@1周年:01/10/25 21:14
>>244
>ケルビムやヘビは、神様の命令で例外的に造ったもの。
神自身が掟を破っているって解釈なのね。(笑)

253 :マリア:01/10/25 21:59
>>228プロテスタントでは、副読本や説教も禁じられているとは、
あたしは聞いたことがないけどね・・・。

>>229それなら、神自身が人に対して契約を破ったということね。
偶像崇拝を禁じておきながら、偶像崇拝につながるものを置いたのだから。
ユダヤ教の世界は、神が命じられたといっているけど、
本当は違っていたりする場合もあるらしいわ。

なぜ、蛇を嫌いながら青銅の蛇なのか?
なぜ他の民が用いていたものに原型がある
ケルビムをこの神が使用するのか?

254 :マリア:01/10/25 23:05
それから、キリスト教の歴史だけど、
ユダヤ教同様に、最初から聖書があったわけではないの。
もし、最初に聖書があったのなら、
福音書はひとつしか要らない。
しかし、そうではないのが現実なわけよ。
オーソドックスやカトリックの成り立ちを否定する前に、
様々な人の信仰からキリスト教が成立していったということを、
もう一度考えてもらいたいわね。

あたしの母の先祖達が、
パウロの説に恐怖を抱いたにも関わらず、
時はパウロの説を正統とした。だから、これを受け入れた。

そして、いつしかイエズスは神となり、マリアは神の母となった。
神による処女懐妊、出産、そしてイエズスを育てた。
イエズスを神と呼ぶなら、彼女は神なるイエズスの母。

255 :マリア:01/10/25 23:06
それから、聖像のことだけど、
迫害を通り抜けた彼らが気づいたものは、
マリアが神から選ばれた女性であったこと。
そして、その生きた姿のイメージに救いを求め、
時の流れは、それを許した。流れとしては、極自然なものよ。

本当なら、イエズスはメシアとして神から派遣されてきた
と信じるのがユダヤ的。でも、時はイエズスを神としたの。
本当に、使徒時代に立ち戻りたければ、
イエズスを神と呼ぶことはやめるべきよ。
神に遣わされたメシアか預言者と呼んだ方が、正解よ。

キリスト教でありたいなら、
ヨゼフの家の子、マリアの子イエズスを神と呼び、
マリアもまたその母と受け入れるしかないでしょう。
聖像は、人の心を癒しつづけてきた神聖な信心道具。
青銅の蛇やケルビムと何ら変わりのないもの。

256 :名無しさん@1周年:01/10/26 13:58
> 228 :ヌマツダ :01/10/25 18:22
> >227、を挙げたのは、
> つまり、新約聖書は神の言葉だが、
> クリスチャンの言葉は、聖伝と言われる公会議の決定や教父の著書であっても、
> 神の言葉と認識されていない。例があると言うこと。
ですから、カトリック教会では公会議の決定ではなく、最終的に教皇が教理や道徳に関して全教会に対して決定をくだした内容にうちて不可謬性が発生すると考えています。
かといって、公会議の決議に神の言葉を含まないとも考えていません。
聖像に関しての聖伝は、公会議の決議および教皇の決定があるため、聖霊の霊感による神の言葉として不可謬です。

257 :名無しさん@1周年:01/10/26 14:05
>>229 :ヌマツダ :01/10/25 18:26
> >226
> >青銅の蛇は癒しのために掲げられ、「ケルビムの聖像」は至聖所に置かれたのですからね。
> 信心道具に使ってないことを、カトリック側のレスで証明したようなモノだ。
その通りです。聖像に対して礼拝などしておりません。あなたの勘違いであり、誤解です。
> 神の言葉の青銅の蛇やケルビムの例は、
> クリスチャンの言葉の公会議の言う信心道具ではないわけ。
だから、形を造った例を示したにすぎません。
聖所が信心道具に用いられていたのは明らかです。
聖書に信心道具を造ったり用いたりしてはならないなど何処にも書いてありません。

258 :名無しさん@1周年:01/10/26 14:13
>>231 :ヌマツダ :01/10/25 18:42
> >198
> ヨハネの寿命とイエスの母マリヤの寿命とどっちが長い?
> マリヤ没後のヨハネのマリヤへの祈りが無いのでは?
> ヨハネはマリヤ没後の彼女への賛美をナゼ書かなかったか?
> 没後の亡きマリヤへの執り成しの祈りは、正当化できませんな。
没後の話は、聖書の何処にもかいてありません。
それが、どうかしたのでしょうか?
聖書は、教会の今日までの記録を書き残す必要があるのでしょうか?
例えば、何時から復活祭がグレゴリオ暦の春分の最初の満月の最初の日曜日になったとか。
もし聖書に、マリアの没っした記録があって、そのうえでマリアに対する祈りの記述が無かったのならば、あなたの理屈も通ると思いますが。

259 :名無しさん@1周年:01/10/26 14:19
>>233 :ヌマツダ :01/10/25 18:47
> >186
> 殺してはならない。の件から。
> 聖書の他の箇所を読んでも、マリヤ像に尊敬を、信心道具として。
> とは、書いていない。
そうですね。ルターの農民戦争には「殺してはならない」が適応されないことなど、聖書の何処にもかいてませんね。
律法を守るには、聖書が全て各々の事例に関する記述が必要と言うのでしょうか?
実に馬鹿ばかしです。

260 :名無しさん@1周年:01/10/26 14:35
>>234 :ヌマツダ :01/10/25 18:54
> >180、181
> ペテロの伝道が、聖書に組み込まれなかった事からして、
> 神の言葉からはずした外典や教父文書並の扱いと言うこと。
> つまり神の言葉に選ばれなかった。
聖書は霊感による書物であるというだけ。
霊感の書物だからといって、偽典のように異端の書物でないかぎり、
外典などは単なる誤謬も多少ありうるであろう普通の書もつであるということです。
霊感の書物でなからといって、その内容を全て否定したら、世の中にある聖書以外の全てのドキュメントが読めなくなってしまいます。
外典は霊感の書物でなく、ただの歴史的書物ですから、情報の劣化もありうるでしょう。
情報の劣化に応じて、1次情報、2次情報というように情報の次数で表せば、
外典の場合相当高い次数になるでしょうね。
私たちは、そういう外典を聖伝の根拠にしているのではありません。
私たちの聖伝が、その外典と一致する箇所があっただけなんです。
聖書の内容だって、それ自体の根拠があるのは稀でしょ。
聖伝も、聖書と同様に神が定めた言葉という以外、根拠がないのです。
つまり、1+1=2と同様に自明なのです。

261 :名無しさん@1周年:01/10/26 14:53
>>234 :ヌマツダ :01/10/25 18:54
> 2世紀の骨と判明しても、ペテロの骨とは断定できない。
> それは、仏教のブッタガヤから発掘された骨が、
> 紀元前4世紀頃の骨なので、釈迦の骨だ。と、
> 断定できないのと同じ。
> 神の言葉なる公会議や教令の聖伝には、
> ローマ司教がペテロの教会と言われる根拠は、結局無い訳だ。
> 歴史検証は、聖伝ではないと私にカトリック側スレでは答えていましたからね。
また、神の言葉のすべては、考古学的根拠が必要なのでしょうか?
ノアの箱舟の考古学的根拠がなければ、ノアの洪水の伝承は神の言葉ではないのでしょうか。
神がエジプトから救ったという伝承が神の言葉であるには、その伝承に考古学的若しくは歴史的根拠が必要なのでしょうか。
また、あなたは「歴史」という概念を間違って解釈しています。
「歴史」とは一般に、「人間社会が時間の経過とともに移り変わってきた過程と、その中での出来事。また、それをある秩序・観点のもとにまとめた記録・文書。」
であり、主にドキュメント化されたことを対象とします。
ですから、歴史的最古の一神教と言えば、実はエジプトのアメンホテプ四世の時代のアテン神信仰になるんです。
その頃、旧約の伝承はまだ口伝でしたからね。

262 :名無しさん@1周年:01/10/26 15:01
>>235 :ヌマツダ :01/10/25 18:59
> >180、181
> ローマでペテロが殉教したのは、文献的にはペテロ行伝が根拠なのでは?
> それは聖書からはずされ外典なので聖伝とはされない。理屈だったのでは?
だから、外典は霊感の書物ではない、情報の劣化も有り得る単なる歴史的書物なんです。
そして、外典を根拠に聖伝があるのではありません。外典に聖伝と一致する内容があるというだけです。
神の言葉の全てが歴史的または考古学的根拠が必要ならば、旧約聖書とかどうなるんですか。
「霊感による神の言葉には、歴史的根拠が必要である。」という勝手な命題を造らないでください。
我々は、「霊感による神の言葉には、歴史的根拠が必要である。」なんて一言も言っていません。

263 :名無しさん@1周年:01/10/26 15:16
>>244 :名無しさん@1周年 :01/10/25 19:53
> >>239
> ケルビムやヘビは、神様の命令で例外的に造ったもの。
> しかも、聖書にそれは書かれている。
> しかも、崇敬しているわけではない。
>
> しかし、マリヤの像を造れとか崇敬しなとか、神様は言ってないし、
> 聖書にもそんな記録はない。

確かに殺してはならなの例外、イスラエルとアマレクの戦いがありますね。
出エジプト 17:5 主はモーセに言われた。「イスラエルの長老数名を伴い、民の前を進め。また、ナイル川を打った杖を持って行くがよい。
出エジプト 17:11 モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。

このように、例外は全て聖書に書いていないと駄目っていう理屈ですか?
ルターに農民戦争をしろって神は言ってないでしょ。

264 :名無しさん@1周年:01/10/26 17:21
>>256補足
私たちは、聖書や聖伝のような既に我々に示された有限の言葉だけを
霊感による神の言葉と考えているのではありません。
例えば、ミサ中などの司祭による説教や講話も聖霊による預言として考えています。
もし説教や講話や教えが霊感によるものでなければを、態々教会まで聞きに行って何の意味があるでしょうか。
それなら、「俺」氏みたいに家で聖書のみを読んで、葬式やクリスマス廃止など、聖書を独自解釈していればいいことになります。
ただし私たちは、司祭の説教や講話が不可謬だとは考えていません。つまり、その説教や講話の全てが混じりけのない神の言葉である考えているわけではありません。
その説教や講話を聞く我々も、注がれた油による霊感によって判断します。
1コリント 6:19 知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。
マタイ 18:17 それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。
また黙示録には、「耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くがよい。」いう言葉が頻繁に出てきます。
神の言葉は、聖書のみでも、聖伝のみでもなく、教会を通して聞くことができると考えています。
聖書でさえ聖霊による霊感によって読み理解しなければ意味がありません。
2ペテロ 1:20 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。

265 :ヌマツダ:01/10/26 22:21
>その説教や講話を聞く我々も、注がれた油による霊感によって判断します。
新約聖書にはそんな記述はない。油注がれし者はメシア。
舌のような炎が一人びとりに留まって語らせるのが霊感によるもの。

>2ペテロ 1:20 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。
ペテロの言う「聖書」は「旧約聖書」。新約に当てはめられない。

>262
不可謬性と歴史的整合性は関係ないわけ?
歴史的でないが不可謬だ。と言う理屈はカトリックでは通るんだ。
神の言葉の天動説のカトリックの科学性にも言える事なんだけど。
カトリックの言う神の言葉って非科学的で非歴史的でも不可謬性あり。なんだ。

266 :ヌマツダ:01/10/26 22:42
未信者だから言えるのだが、
カトリックの理屈は、
ボスニアやコソボのセルビア人や
アフガニスタンのタリバンのパシュトゥン人の主張みたいに、
キリスト教のローマ・カトリック人の主張ってしか見えないよ。
自分に都合のいい言葉と取り決めが、本来的なモノはドウであれ、
ペテロの教会と思いこんでいる教会が福音と神の言葉を決める。と言う、
理屈の上に成り立っているからね。
新約聖書の各書に神の言葉の価値を認めるのではなく、
教会が選んだので、神の言葉になった。と言う理屈であると読める。
ロザリオやマリヤ像は悪霊のすみかと悪さの温床になるが、
聖書は、神を知り近づくのに有益で、実際クリスチャンになる切っ掛けでもある。
悪霊や金縛りや不幸を寄せる偶像と、
神の言葉の聖書の違いは、実際上明らかである。
毒麦は麦と一緒に育っても結果を見れば、未信徒にとっても明らかだ。
未信徒にも「神の言葉」と分かるもの。と、
未信徒には悪さを働くもの。との差が。
神は愛である。
神の愛は相手の心構えによって金縛りに遭わせはしないし、
まして信心道具を悪霊の巣にしない。
霊のないカラッポの像の危険は、
イエス様が七つの霊を追い出した話しからして分かること。
悪霊に憑かれた人から悪霊を追い出しても、
追い出した霊が仲間を連れてその人に戻ってきて、
追い出した以前よりその人が悪くなる。話のように。
人は生ける神の宮で偶像の宮ではないこと。
人には神の愛が籠もらなければならないこと。
人はキリストの肢体であること。
古い人を捨て新しい人を着ること。
愛がなければやかましいシンバル。
そのことから、
悪霊のヨリシロの偶像とその周辺を認めた言葉を、
「神の言葉」とすることは出来ない。

267 :7743:01/10/26 23:04
炉宇魔脅屠はマリヤ教・教会決定原理主義者であり、
中絶禁止をしながら成人図書の出版社やピル製薬会社の株を握る組織である。
民主制や自由のない、思想統制・一党独裁・全体主義・ファシズムの性格を持つ。

268 :ナザレの分派:01/10/26 23:14
ノアの母、アブラハムの母、モーセの母、ダビデの母、
エレミヤの母、イザヤの母、ダニエルの母は、
マリヤとは違い、謙遜さから尊敬・崇敬されるべきである。
イエス様は人であり神であるが、産み道具マリヤは単に人だ。
人のクセに神の母の称号は不遜である。

269 :名無しさん@1周年:01/10/27 10:48
>>265 :ヌマツダ :01/10/26 22:21
> >その説教や講話を聞く我々も、注がれた油による霊感によって判断します。
> 新約聖書にはそんな記述はない。油注がれし者はメシア。
> 舌のような炎が一人びとりに留まって語らせるのが霊感によるもの。
コリント 1:21 わたしたちとあなたがたとをキリストに固く結び付け、わたしたちに油を注いでくださったのは、神です。
1ヨハネ 2:20 しかし、あなたがたは聖なる方から油を注がれているので、皆、真理を知っています。

> >2ペテロ 1:20 何よりもまず心得てほしいのは、聖書の預言は何一つ、自分勝手に解釈すべきではないということです。
> ペテロの言う「聖書」は「旧約聖書」。新約に当てはめられない。
少なくとも、旧約聖書はそうするべきですね。またこれからは、あなたも聖書のみという理屈を新約聖書においても拡張するのは止めてください。


> >262
> 不可謬性と歴史的整合性は関係ないわけ?
> 歴史的でないが不可謬だ。と言う理屈はカトリックでは通るんだ。
そんな意味で言っているのではありません。
歴史的根拠が必要条件ではないと言っているだけです。

270 :名無しさん@1周年:01/10/27 10:48
>>265 :ヌマツダ :01/10/26 22:21

> 神の言葉の天動説のカトリックの科学性にも言える事なんだけど。
> カトリックの言う神の言葉って非科学的で非歴史的でも不可謬性あり。なんだ。

天動説に関する裁きは不可謬の対象にはなりません。何故なら、これはローマ教区で行われた異端裁判に過ぎず、また教義に関する決定と直接関係ありません。
ついでに、教皇の不可謬権について説明します。
第一バチカン公会議で定められた教義憲章で主に強調されている内容は、教皇の首位権に関するものです。
「それゆえ、あたかも公会議が教皇以上の権威を持つかのように考えて、公会議に教皇に裁決に対する異議を申し立てることが可能である主張する者は、真理の道から外れている。」
すなわち、教皇は公会議よりも高い裁決における最高権威を持っているということです。
それに対し、教皇の不可謬性に関しては極めて限定されています。
「教皇が使徒座から宣言する時、すなわち全キリスト教徒の牧者として教師として、その使徒伝来の最高権威によって全教会が守るべき信仰や道徳に関する教義を決定する時に、この不可謬性を持つことを望んだのである。」
ここで重要なのは、不可謬性の発生条件が「教皇が使徒座から宣言する時」、「全キリスト教徒の牧者として教師として」であり、
またその対象が「全教会が守るべき信仰や道徳に関する教義」なのです。
この不可謬の対象である「全教会が守るべき信仰や道徳に関する教義」はあくまで「教義」であり、その教義の内容に「全教会が守るべき信仰や道徳」が含まれるのです。
また興味深いことは、
「最高権威である使徒座の裁決は、何人によっても再審査することはできないし、何人も教皇の決定を裁く権利を持たない。」
とありますが、あくまで教皇の決定に対する裁きを否定しているのであって、教皇自身の裁きを否定するような命題は全くありません。
即ち、教会の歴史通りのことが教理になっているのです。
カトリック教会はこのような教理によって、伝承の無矛盾性を安定的に保っているのです。

271 :名無しさん@1周年:01/10/27 12:37
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=a5ada5ja59a5h65a4n3fbda1gia4r65a4a8a4fa4afa4c0a45a4a4&sid=1835217&mid=1137
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835217&tid=a5ada5ja59a5h65a4n3fbda1gia4r65a4a8a4fa4afa4c0a45a4a4&sid=1835217&mid=1142

ガリレオ裁判のことはここにもでていたよ。
カトリック教会は天動説を否定したのじゃなさそうだ。
ガリレオが十分な証拠もなく完全に天動説を証明できていなかったのに、
彼の考えに基づいて「聖書の記述は誤っている」と主張したから、教会は信仰のこととして
ガリレオを裁判にかけたんだって。

272 :名無しさん@1周年:01/10/27 14:38
>>271
> 彼の考えに基づいて「聖書の記述は誤っている」と主張したから、教会は信仰のこととして
> ガリレオを裁判にかけたんだって。

そのようなことは、よくあることです。
カトリック教会は原理主義のように、進化論自体を否定も肯定もしません。
進化論を元に聖書が誤謬だという意見に対して反対するだけです。

273 :名無しさん@1周年:01/10/27 14:58
>>266
それって、論駁に負けた者の捨て台詞ではありませんか。
聖像は偶像であるという命題を持ち出したのはあなた方です。
礼拝と崇敬と一般の尊敬を同じだという命題を持ち出したのあなた方です。
私たちは、私たちの教理の中で聖像や崇敬を定義しており、定義なのですから自明なのは当たり前です。
2等辺三角形の2辺が等しいと言っているのと同じです。
あんた方が、私たちの教理の命題の変更を勝手に行い、奇異な命題を演繹しては矛盾だと言っているだけです。
矛盾が発生するのは当たり前です。
普通、定義や公準のような自明な命題を疑うときは、まずそれら全ての自明な命題を認め、
その上で演繹した場合にどのような矛盾が発生するかを調べるというものです。
むしろ、「聖書のみが神の言葉」という前提で演繹したときのの方が、
奇異な命題や例外が発生しますね。
それは、あなた方に矛盾があるということです。
ヌマツダさんも、もう少し論理的かつ科学的な理屈を言うように心掛けてください。

274 :名無しさん@1周年:01/10/27 15:24
>>273および>>184補足
>>148は、ヌマツダさんの典型的な非論理的発言ですね。
異教の習慣との類似性を論駁しどうしよういうのでしょうか。

>>184
> 異教徒の青森県三戸郡新郷村戸来の人びとが、キリストを拝んだり、日曜日に休日をとれば、
> 私たちの、キリストに対する礼拝や主日に対する変更をしなければならないわけ?

外にも例はあります。大辞林 第二版より
「悪事やよくない仕事をやめて正業につく。堅気になる。また、単に現在の職業をやめる意でも使う。」
という意味で用いられる「足を洗う」という言葉があります。
これは仏教用語からきています。インドの僧は終日、はだしで街じゅうを托鉢(たくはつ)しなければなりませんでした。
寺に帰ると足を洗い清め、心身ともに清浄になることが一日の日課の終わりとしました。これが宗教的行事になり、いつのまにか悪事から抜け出すという意味になったそうです。
ところで、
ヨハネ福  13:14 ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。
っとありますが、あなたはキリストは仏教徒だったと主張したいのでしょうか?

275 :マリア:01/10/27 16:47
>>265残念ね。これだから、霊的なことに無知な人は困る。
推測でしか、ものを言うことが出来ないからね。
聖霊派という流れも、どうやらあなたのような思想から
発生したことも、よく理解できるわね。

神からの聖霊の言葉を、語れる者は少ない。
神から選ばれた者でしか、そのようなことは身に起こらない。
もし、自分の真似をすれば誰にでもできるという人がいるなら、
それは非常に危険なことであり、気をつけなければならない。
聖書には、その判断法は一切記されていない。
しかし、なぜ記されなかったか?あなたは、考えたことはある。

儀式は、一定の形式がある。これは、色々な決まり事がある。
しかし、これを放棄すれば、危険のほうが多くなるのよ。
使徒は直接イエズスを知っているけど、以後はそうではない。

聖体祭儀には、聖霊の力が及ぶのは、確認済みだけど、
カリスマ運動には、色んな気が入り混じっていて、怪しい。
どちらかというと、潜在意識や脳内麻薬による自己催眠、
そんなもののほうが多いわね。

プロテスタントにいた仲間からは、聖霊派には、
それにプラスして色んな悪霊的な影響が大きい場合も多いという。
カトリックとプロテスタント、この差だけなのに、
どうしてこういう差が起こるのかしら?

276 :マリア:01/10/27 16:48
>>266神に出会うのは、その神の導きがあるから。
聖書はただの書物。これも、信心道具のひとつでしかない。
神を知るための道具のひとつでしかない。
もう一段上へ行くなら、正しいイメージが出来ないといけない。
そのイメージに必要だったのが、旧約では青銅の蛇とケルビム。

新約(キリスト教の成立)からは、十字架やイコンや聖像。
これが必要になったということよ。

皆が神を知れるなら、書物を含めこのようなものは必要不可よ。
洗礼を受け、按手されるだけで十分だから。
皆が神を知れないから、道具が必要なわけ。

277 :マリア:01/10/27 17:25
さてと、再確認のために書いておくわ。

悪霊は、知識を豊かにすればするほど、惑わしにくる。
知識を得るなら、それと同時に基本も確認しないといけない。
「信仰・愛・希望」この三つの意味が分からなくなると、
魔の信仰に陥る。

また、神への向き合い方を知らないと、魔が気になり、魔に陥る。

278 :名無しさん@1周年:01/10/27 17:35
>>268 :ナザレの分派 :01/10/26 23:14
> ノアの母、アブラハムの母、モーセの母、ダビデの母、
> エレミヤの母、イザヤの母、ダニエルの母は、
> マリヤとは違い、謙遜さから尊敬・崇敬されるべきである。
> イエス様は人であり神であるが、産み道具マリヤは単に人だ。
単に人であることは認めています。
イエス様は人であり神であるから、マリアは主の母であり神の母です。
> 人のクセに神の母の称号は不遜である。
神の母が人でなしなんて誰がいいましたか。景教みたいなこと言わんとってください。

279 :ナザレの分派:01/10/27 17:58
>278 イエス様は人であり神であるから、マリアは主の母であり神の母です。
父方はドウなる。身ごもらせた父方の神なる聖霊は、
イエス様は人であり神であるから、主の父であり神の父です。ってなるか?
またヨセフの種でないから、主の父であり神の父です。ってならないだろう。
論理的にドウなのですか?

280 :名無しさん@1周年:01/10/27 18:24
>>279 :ナザレの分派 :01/10/27 17:58
> >278 イエス様は人であり神であるから、マリアは主の母であり神の母です。
> 父方はドウなる。身ごもらせた父方の神なる聖霊は、
> イエス様は人であり神であるから、主の父であり神の父です。ってなるか?
理屈から言えばそうなりますね。
御父は、キリストに対し人として且つ神としての父というペルソナを持っているというのは別におかしいことではありません。

281 :名無しさん@1周年:01/10/27 18:27
>>280日本語になってないので訂正。
誤:御父は、キリストに対し人として且つ神としての父というペルソナを持っているというのは別におかしいことではありません。
正:御父は、キリストが人として且つ神として、父という1つのペルソナを持っているというのは、別におかしいことではありません。

282 :マリア:01/10/27 18:34
父・神は、子・神を発出した。これで十分ね。
ついでに、父・神と子・神は同じ神である。
これが重要ね。

父なる神が人間なら、あなたの理屈は正解だけどね。

マリアの母胎は聖霊で満たされ、そこに宿ったのがキリスト。
しかし、魂は違う。父から発出された神の魂。
確かに、この部分だけを捉えると、確かにあなたの理屈も正解。
しかし、マリアが出産したのは、
神であり人であるキリストのイエズス。

マリアは神であり人であるイエズスの母であり、
もし、人であるイエズスの母だけなら、
イエズスは人でしかないとなるから、公会議は退けたようね。

283 :ヌマツダ:01/10/27 18:38
>274、
青銅の蛇とケルビムの像の目的は、
「癒しと飾り」で「信心道具」でないでしょう。
カトリックは旧約で認められた「信心道具」としての「聖像」だ。と、
定義している。前提がおかしい。

カトリックのある人は、
異教の像は、霊が像の中に、だから偶像。
キリスト教の像は、聖霊は像の周辺に、だから聖像。
だが、前提になる神の言葉にその説明があるのでしょうか?

私は、異教とキリスト教に共通する事があるから、
キリスト教は共通することを変更しなければならない。とは、
言っていない。

改革派は新約聖書の記述から、日曜日の件を説明している。

像に対して同じ事をしているのに、異教徒には偶像として禁じ、
自分たちローマ・カトリックには聖像として肯定している。
のは、神の言葉としての論理の問題ではあるまい。

像を禁止した。のを、
神と称す者には崇拝。神と称さない者には崇敬。と定義して、
偶像を禁止した。ので、聖像は禁止していない。となる。
像の禁止に、
像を造る「目的」や、「どういう像」を造ってはならない。と、
書かれているはず。
「自分たちの為に」像を造ったのでは?
天にいる「人の形の像を」造ったのでは?
尊敬を表す為に天にいる人に「祈る為に」。
みな禁止事項に引っかかっていませんか?
青銅の蛇は「癒す為」に使っているが「祈る為」には使ってないし、
ケルビムは「箱の装飾の為」に使っていますが?
そう言う意味で「信心道具」と言う「聖像」とは、
違った使われ方ですがね。

284 :ヌマツダ:01/10/27 18:49
「像」の単語が、旧約のヘブライ語や70人訳の旧約や新約のギリシャ語で、
ドウ表現されているか分からないが、
正教は「イコン」は認めたが、立体「像」は認めなかったのと関連があるのでは?
第二戒が守られている。
また、正教では、土曜が安息日で、日曜が復活日であって、安息日の変更はない。
と言うのを、ローマ・カトリックは引き継いで居ないのはナゼ?

285 :ヌマツダ:01/10/27 19:26
>280-181、
聖霊は、人ではないが、神であるはず。
マリヤは、人ではあるが、神でないはず。
人であるキリストの「子なる神」より聖霊が出るのはおかしいのでは?

>御父は、キリストが人として且つ神として、
>父という1つのペルソナを持っているというのは、
>別におかしいことではありません。

キリストの父、キリストの母は、キリストが人として且つ神として、
共通に言えるであろう。
問題は「キリスト」ではなく「人」や「神」の語を使った場合に問題が出る。

母のマリヤは、イエス様の「主の母」「キリストの母」で、
「神の母」と言うのなら、
父なる神から発出した聖霊は、イエス様の「主の父」「キリストの父」で、
「人の父」か?
ネストリウスは毒殺されたそうだが、公会議の言う「神の母」は本当に神の言葉?

286 :名無しさん@1周年:01/10/27 22:08
>>283 :ヌマツダ :01/10/27 18:38
> >274、
> 青銅の蛇とケルビムの像の目的は、
> 「癒しと飾り」で「信心道具」でないでしょう。
それは、聖書からは肯定も否定もできない未知な命題です。

> カトリックは旧約で認められた「信心道具」としての「聖像」だ。と、
> 定義している。前提がおかしい。
じゃあ、カトリックは旧約で認められた「信心道具」としての「聖像」だとしたとき、
どのような矛盾が発生するか示してください。

287 :名無しさん@1周年:01/10/27 22:10
>>283 :ヌマツダ :01/10/27 18:38
> カトリックのある人は、
> 異教の像は、霊が像の中に、だから偶像。
> キリスト教の像は、聖霊は像の周辺に、だから聖像。
> だが、前提になる神の言葉にその説明があるのでしょうか?
聖霊は像の周辺になんてこと言ってません。聖像は、聖所と同じように神によって聖とされたものとして敬っているのです。
その聖とするときに働くのが聖霊です。

> 私は、異教とキリスト教に共通する事があるから、
> キリスト教は共通することを変更しなければならない。とは、
> 言っていない。
それなら、
> 「異教徒」のご先祖様や聖人は「崇拝」ですか?
に対して違うと答えてさせて貰います。

> 改革派は新約聖書の記述から、日曜日の件を説明している。
どう説明しているのですか。キリストは安息日など律法より信仰を重んじるようにと命じましたが、
安息日に聖別に対する否定まではしませんでした。聖別された安息日を神の言葉なしに変更するのは律法に反します。

288 :名無しさん@1周年:01/10/27 22:10
>>283 :ヌマツダ :01/10/27 18:38
> 像に対して同じ事をしているのに、異教徒には偶像として禁じ、
> 自分たちローマ・カトリックには聖像として肯定している。
> のは、神の言葉としての論理の問題ではあるまい。
だから、異教徒が足洗いをしたら、キリストは異端なの?

> 像を禁止した。のを、
> 神と称す者には崇拝。神と称さない者には崇敬。と定義して、
> 偶像を禁止した。ので、聖像は禁止していない。となる。
> 像の禁止に、
> 像を造る「目的」や、「どういう像」を造ってはならない。と、
> 書かれているはず。
「ケルビムの像」、「青銅の蛇」と同様に「目的」に応じて聖像を造っています。

> 「自分たちの為に」像を造ったのでは?
違います。自分たちの為ではない像が「ケルビムの像」や「青銅の蛇」や「聖像」です。
その像に礼拝を捧げて、始めて自分たちの為の像になります。
つまり、その像自身を神と見なせば、ケルビムの像でも自分たちの為になります。
> 天にいる「人の形の像を」造ったのでは?
自分たちの為ではない像でなければ、いいのではないのでしょうか。

> 尊敬を表す為に天にいる人に「祈る為に」。
> みな禁止事項に引っかかっていませんか?
どのように引っかかるのでしょうか。具体的に示してください。

> 青銅の蛇は「癒す為」に使っているが「祈る為」には使ってないし、
それは、聖書に記述がないだけで、肯定も否定も出来ません。

> ケルビムは「箱の装飾の為」に使っていますが?
その目的のみであるかどうかは、肯定も否定も出来ません。

また、聖像に対して祈っているのではなく、聖像を敬っているだけです。
祈る対象は、聖像が表す対象です。

> そう言う意味で「信心道具」と言う「聖像」とは、
> 違った使われ方ですがね。
いいえ違います。ヌマツダさんの誤解です。

289 :ヌマツダ:01/10/27 22:16
>286 名前:名無しさん@1周年 :01/10/27 22:08
>じゃあ、カトリックは旧約で認められた「信心道具」としての「聖像」だとしたとき、
信心道具としての記述を旧約から示してください。
「癒しと飾り」の記述は旧約にあります。
主のモーセへの命令は「癒しと飾り」としての像の禁止には読めません。
旧約の偶像の禁止は、信心道具としての像の禁止として矛盾します。

290 :名無しさん@1周年:01/10/27 22:26
>>285 名前:ヌマツダ :01/10/27 19:26
> >280-181、
> 聖霊は、人ではないが、神であるはず。
そうですね。
> マリヤは、人ではあるが、神でないはず。
そうですね。
> 人であるキリストの「子なる神」より聖霊が出るのはおかしいのでは?
なぜ?
>
> >御父は、キリストが人として且つ神として、
> >父という1つのペルソナを持っているというのは、
> >別におかしいことではありません。
>
> キリストの父、キリストの母は、キリストが人として且つ神として、
> 共通に言えるであろう。
> 問題は「キリスト」ではなく「人」や「神」の語を使った場合に問題が出る。
> 母のマリヤは、イエス様の「主の母」「キリストの母」で、
> 「神の母」と言うのなら、
> 父なる神から発出した聖霊は、イエス様の「主の父」「キリストの父」で、
> 「人の父」か?
聖霊がキリストを「生んだ」という、聖書や使徒信条やニケヤ・コンスタンチノープル信条みおける記述の箇所は認められません。
聖霊とキリストの親子関係を示す箇所の存在は認めていません。

> ネストリウスは毒殺されたそうだが、公会議の言う「神の母」は本当に神の言葉?
ネストリウスの不幸な末期と、公会議とどう関係があるのですか。

291 :名無しさん@1周年:01/10/27 22:34
>>284 名前:ヌマツダ :01/10/27 18:49
> 「像」の単語が、旧約のヘブライ語や70人訳の旧約や新約のギリシャ語で、
> ドウ表現されているか分からないが、
> 正教は「イコン」は認めたが、立体「像」は認めなかったのと関連があるのでは?
> 第二戒が守られている。
カトリック教会では、第九戒が守られてます。
正教会とカトリック教会が違うだけ。

> また、正教では、土曜が安息日で、日曜が復活日であって、安息日の変更はない。
> と言うのを、ローマ・カトリックは引き継いで居ないのはナゼ?
教会による安息日の変更は他にも例があります。
初代教会の復活祭は、ユダヤ暦の二サンの月の14日でした。
それが、第一回二ケア公会議から、アレクサンドリア方式の満月の計算と、ユリウス暦の春分の日の計算が行われ、
春分の日の最初の満月の最初の日曜日に祝われることになりました。

292 :名無しさん@1周年:01/10/27 22:37
それにしても、ケルビムと穢れた女の偶像とを一緒にするのは、
非常によろしくない。

ケルビムは、神が定めた世界最高の依代の一つである、契約の櫃の
飾り付けで、この一対のケルビムの間から神は語るとされている。
そして、この規定が書かれたトーラーは、ユダヤ教、キリスト教、
イスラム教で認められているのである。

この世界最高の神聖な依代である契約の櫃、すなわちアークと
聖徒たちが何度切り倒しても生えてくる、穢れた女の偶像、
すなわちアシェラとを同列で語る事などは、まったく非常識なのである。

293 :名無しさん@1周年:01/10/27 22:42
>>289 名前:ヌマツダ :01/10/27 22:16
> >286 名前:名無しさん@1周年 :01/10/27 22:08
> >じゃあ、カトリックは旧約で認められた「信心道具」としての「聖像」だとしたとき、
> 信心道具としての記述を旧約から示してください。
> 「癒しと飾り」の記述は旧約にあります。
そういう記述のみがあるだけです。
同様に、キリストが被造物であるか否かは、聖書の記述以外の推測をするしかありませんね。

> 主のモーセへの命令は「癒しと飾り」としての像の禁止には読めません。
十戒の主の戒めは、聖像の禁止には読めません。
> 旧約の偶像の禁止は、信心道具としての像の禁止として矛盾します。
いいえ、あなたの誤解です。

294 :名無しさん@1周年:01/10/27 22:48
>>292 名前:名無しさん@1周年 :01/10/27 22:37
> それにしても、ケルビムと穢れた女の偶像とを一緒にするのは、
> 非常によろしくない。
それは、定義によりますね。
イスラム教にとっては、キリストは単なる預言者で、天使であるケルビムの方が尊いことになりますね。
仏教にとっては、キリストより仏陀であるゴーダマ・シッダールタの方を尊ぶに決まっています。

295 :ヌマツダ:01/10/27 22:58
儒教は孔子を、道教は馬祖(林××と言う女性)・関羽を、
神道は天皇や大国主命(出雲国造のご先祖)や平将門を、
仏教は釈尊や宗祖を、「敬って」参拝をします。
日本の翻訳では「神」と言われる事であっても、
概念的には「ご精霊」や「仏」や「御霊」であって、
「バアル」「アシェラ」「モロク」「ベル」のような、
中近東の「神」である「主」ではありません。
エジプトのパロやバビロンのネブカドネザル王、ローマの皇帝の相手のような、
「我らの主と唱える」キリスト教の言う礼拝ではありません。
同じ昔の人を敬うと言ったら、
ユダヤ教もアブラハム・モーセ・ダビデを敬います。

キリスト教の聖人は生前「キリスト」を神として崇拝し、
例に挙げた人物ガタは「キリスト」を神とは知らない人物だったかです。
「キリスト」以前の人間やキリスト教布教前の人間を敬ったからと言って、
キリスト教側が勝手に異教の敬いを旧約で言う神礼拝に位置づけているだけです。

同じ旧約を持つ、ユダヤ教やプロテスタントのキリスト教やイスラム教が、
人の形の像を崇敬に使わないのだから、
十戒の像の禁止は、聖像の禁止を意味するのは共通ではありませんか?

296 :名無しさん@1周年:01/10/27 23:00
> >>292
> > それにしても、ケルビムと穢れた女の偶像とを一緒にするのは、
> > 非常によろしくない。
> それは、定義によりますね。
> イスラム教にとっては、キリストは単なる預言者で、天使であるケルビムの方が
> 尊いことになりますね

私は、天使のケルビムについては、語ってはいない。
契約の櫃のケルビムの聖像について、語ったのである。

297 :名無しさん@1周年:01/10/27 23:01
>>291補足
カトリック教会と正教会と共に変更した伝承があります。
それは堅信の秘蹟、正教会では傅膏機密です。
初代教会において堅信は、使徒による安手でした(使徒言行録 19:2-6) 。
それが、教父時代になってから、司教が聖別して聖香油を安手と共に、洗礼を受けて人に授けるようになりました。

298 :名無しさん@1周年:01/10/27 23:06
>>296
> 私は、天使のケルビムについては、語ってはいない。
> 契約の櫃のケルビムの聖像について、語ったのである。
私は、ケルビムの聖像を尊いと思うか、マリアの聖像を尊いと思うか、
宗教によると言ってみたかっただけ。

299 :名無しさん@1周年:01/10/27 23:09
>>295
> 同じ旧約を持つ、ユダヤ教やプロテスタントのキリスト教やイスラム教が、
> 人の形の像を崇敬に使わないのだから、
> 十戒の像の禁止は、聖像の禁止を意味するのは共通ではありませんか?
そういう宗教があるというだけですね。

300 :名無しさん@1周年:01/10/27 23:18
>>299補足
ヌマツダさん。
結局、あなたの目的は、カトリック教会や正教会に対して、
他の宗教との相違を論っているだけじゃないですか。
初めはプロテスタントの改革派教会で、
次は、ユダヤ教、イスラム教、儒教、道教、神道、仏教、陰陽道、ヒンドゥー教、ゾロアスター教、霊友会、創価学会、世界真光文明教団。。。。
何時まで続くか分かりませんね。

301 :名無しさん@1周年:01/10/27 23:27
>>298
> >>296
> > 私は、天使のケルビムについては、語ってはいない。
> > 契約の櫃のケルビムの聖像について、語ったのである。
> 私は、ケルビムの聖像を尊いと思うか、マリアの聖像を尊いと思うか、
> 宗教によると言ってみたかっただけ。
ケルビムの聖像が供えられている契約の櫃は、この世における
至高の神の玉座である。この神の御座は、ユダヤ教、キリスト教、
イスラム教ともに認められているのである。神はお嫌いか?

マリアの像が尊いと思うなら、それはもはや神から離れているのである。
その偶像は、イエスの母とは、何の関係もない。

302 :名無しさん@1周年:01/10/27 23:36
>>301 :名無しさん@1周年 :01/10/27 23:27
> >>296
> ケルビムの聖像が供えられている契約の櫃は、この世における
> 至高の神の玉座である。この神の御座は、ユダヤ教、キリスト教、
> イスラム教ともに認められているのである。神はお嫌いか?
新約という新しい契約を授かって、聖所や至聖所で尊ばれるものか代わっただけと、我々で解釈しているだけです。

> マリアの像が尊いと思うなら、それはもはや神から離れているのである。
> その偶像は、イエスの母とは、何の関係もない。
あなた方の宗教の中でそのように思われるのは、それはそれで結構です。
教理や信条が違うのは仕方のないことです。

303 :名無しさん@1周年:01/10/28 00:00
>>302
> >>301
> > ケルビムの聖像が供えられている契約の櫃は、この世における
> > 至高の神の玉座である。この神の御座は、ユダヤ教、キリスト教、
> > イスラム教ともに認められているのである。神はお嫌いか?
> 新約という新しい契約を授かって、聖所や至聖所で尊ばれるものか
> 代わっただけと、我々で解釈しているだけです。
ケルビムは否定されていない。その時まで神によって隠されているにすぎない。

> > マリアの像が尊いと思うなら、それはもはや神から離れているのである。
> > その偶像は、イエスの母とは、何の関係もない。
> あなた方の宗教の中でそのように思われるのは、それはそれで結構です。
> 教理や信条が違うのは仕方のないことです。
神との契約書である聖書やコーランでは、女の偶像は忌み嫌われ、
聖徒たちに何度も切り倒されているのである。

304 :名無しさん@1周年:01/10/28 00:12
>>303 :名無しさん@1周年 :01/10/28 00:00
> ケルビムは否定されていない。その時まで神によって隠されているにすぎない。
私も、その頃に至聖所に契約の箱を置く、典礼方式を否定している訳ではありません。
キリストが大祭司になってから、典礼方式の大幅な変更があったと考えているだけです。

> 神との契約書である聖書やコーランでは、女の偶像は忌み嫌われ、
> 聖徒たちに何度も切り倒されているのである。
私たちも、偶像を禁じています。
恐らく、あなたにとっての「偶像」や「神」などの定義は異なるとは思いますが。

305 :マリア:01/10/28 00:28
>青銅の蛇とケルビムの像の目的は、
>「癒しと飾り」で「信心道具」でないでしょう。
これは、信心用具なのよ。
あなたが連想する信心用具とは、全く違うのよ。
「癒しと飾り」はそうなのよ。聖像も、癒しと飾りなのよ。

306 :名無しさん@1周年:01/10/28 00:41
>>305
> 「癒しと飾り」はそうなのよ。聖像も、癒しと飾りなのよ。
そのような理屈も可能ですね。
聖像を癒しと飾りの目的に、掲げたり、至聖所に置いたりという動作を、
屈曲する、乳香を焚く、前に明かりを灯す、適当に飾る、
などに変化させたり、加えたりしただけですね。
「青銅の蛇」に対する動作と、「ケルビムの像」に対する動作が異なるように、
「聖像」に対する動作が別に存在するだけですね。

307 :名無しさん@1周年:01/10/28 00:48
>>304
> 私も、その頃に至聖所に契約の箱を置く、典礼方式を否定している訳ではありません。
> キリストが大祭司になってから、典礼方式の大幅な変更があったと考えているだけです。
であるから、>>292において、このスレに出てくる偶像の類いと、
至高善である神の玉座のケルビムの聖像とを、同列に語るべきではない、
と書いたのである。

> > 神との契約書である聖書やコーランでは、女の偶像は忌み嫌われ、
> > 聖徒たちに何度も切り倒されているのである。
> 私たちも、偶像を禁じています。
> 恐らく、あなたにとっての「偶像」や「神」などの定義は異なるとは思いますが。
私はあるホームページで、法王が女の偶像に手を合わしている姿を見た。
神に捧げられるはずの尊敬や愛情が、いったい何所に向けられているの
であろうか?それを隣人に捧げたのなら、天国に入れるだろうに。

このようにして、人は偶像の奴隷に成り下がるのである。

308 :名無しさん@1周年:01/10/28 00:54
>神に捧げられるはずの尊敬や愛情が、いったい何所に向けられているの
であろうか?それを隣人に捧げたのなら、天国に入れるだろうに。

307さんにとって、愛情とは初めから量が決まっているものなのだろうか?
子供が産まれたら、最初の子にかけられるべき愛が2つに分けられてしまうのか。10人いれば、さらに愛はうすまるものなのか?

マリア様を愛するからと言って、キリストに向けられるべき愛が減るとは
カトリック信徒は誰も思っていないだろう。
愛は無限に広げることができる。
愛情を注ぐ人ほどさらに愛が深くなる。
君の心配は杞憂です。

309 :名無しさん@1周年:01/10/28 01:00
>>306補足
というかヌマツダさんは、単に「敬い」に於ける動作表現に対し、
聖書のみで限定したいらしい。特に聖書の記述で肯定も否定もされていない事柄までね。
そのために、プロテスタント教会の聖書解釈を持ち出したに過ぎないんですね。
ホント呆れてしまいます。
プロテスタント教会とカトリック教会とで教理に違いがあるのは当然です。
それがどうしたと言うのでしょうか。
カトリック教会は「聖像」や「崇敬」どころか、「神」「礼拝」「救い」などオリジナルな定義が他にも沢山あるんです。
そんなにカトリック教会が嫌いなら、カトリック洗礼をしなければいいんですね。

310 :名無しさん@1周年:01/10/28 01:14
>>307
> 至高善である神の玉座のケルビムの聖像とを、同列に語るべきではない、
> と書いたのである。
それは、あなたの意見ですね。そう思われるのはあなたの自由です。

> 私はあるホームページで、法王が女の偶像に手を合わしている姿を見た。
> 神に捧げられるはずの尊敬や愛情が、いったい何所に向けられているの
> であろうか?それを隣人に捧げたのなら、天国に入れるだろうに。
> このようにして、人は偶像の奴隷に成り下がるのである。
あなたの偶像の定義と、私の偶像の定義が異なるのですから、
あなたがそう思われるのは仕方のないことです。

311 :マリア:01/10/28 01:22
>>306だから、人がそれを強制しない限り、ほっておけばいい。
カトリックはカトリックの掟で、
これを有効に祝別する司祭がいるからね。
プロテスタントの信者が、何も知らずにやれば、
それは危険だとも思うわね。

なぜなら、あたしの母の先祖達が感じていたように、
ひょっとしたら、イエズスは神ではなかったかも知れない。
しかし、時の流れは、イエズスが神と位置付けた。
また、聖像も癒しに必要だと位置付け、
青銅の蛇のように使って、実際に多くの人が癒されていた。

また、先の対戦中に、ルター派の牧師は兵士達に
マリアの絵を描いて見せて勇気付け、
多くの兵は生き残った。
聖像の正しい使用法も、このようなものよ。

しかし、後に出てきたプロテスタントは、
これをおかしいと指摘して、自分達の祭儀から無くした。
その根底には、ローマ総大司教区の腐敗があった。
最初はただ、それだけのことだった。

それから、霊的には、もはや聖像を祝別できる
司祭がいなくなったのだし、当然の結果。
またそれは、霊的な流れとして
良かったことという読み方もできるわね。
有効な祝別が出来ないのに、聖像を置けばダメだものね。

その点、聖公会や単性論、ネストリウス派なんかは、
それぞれに大司教や総主教がおり、有効な祝別を
行える土壌にあるから、
聖像やイコンが生き残ったともいえるでしょうね。

312 :名無しさん@1周年:01/10/28 01:28
>>307
> 至高善である神の玉座のケルビムの聖像とを、同列に語るべきではない、
> と書いたのである。
ちょっと質問。以下に挙げる聖なる被造物を尊い順に並べ貰えますか?
聖所、至聖所、祭壇、マナ、青銅の蛇、ケルビムの像、契約の箱、十戒の石版

313 :名無しさん@1周年:01/10/28 01:30
>なぜなら、あたしの母の先祖達が感じていたように、
ひょっとしたら、イエズスは神ではなかったかも知れない。

ここの議題とは違うけど、マリアさん、質問させてください。
マリアさんのご先祖様たちはネストリウス派の流れを汲む景教の方たちだったんですか?

314 :マリア:01/10/28 01:44
いいえ。イエズスをメシアと捉えていた
ギリシャかローマの初期のユダヤ人グループらしいわよ。
結構裕福だったのか、故国の情報にも精通していたようね。

メシア=神説は、最初はユダヤの伝統から言って、
ありえないからかなり疑問視していたのだけど、
時の流れが神説に傾いたから、
これを聖霊の導きとして、受け入れたらしいのよ。

聖像が広まってきた時も疑問に思っていたようだけど、
別に災いが起きなかったし、人々は心を癒されるし、
これも導きと感じて受け入れたらしいわ。

そういう言い伝えが残っているだけのことよ。
一族が、カトリック信仰から
離れないためのものかも知れないけどね。

315 :マリア:01/10/28 01:58
もし本当なら、グループ中の誰かがイエズスを見たのか、
それとも一族の中に使徒に連なる支持者がいて、
そこから伝え聞いた話をひとまず先に、持ち帰ったのかもね。

パウロの説には、かなり気分を悪くしていたようで、
迫害者が、内部分裂を煽りに来たと考えてもいたようだし。
十字架の贖罪説とかは、ユダヤ的に考えてありえないとか、
かなり保守的な思想を持つグループだったと思うわよ。

316 :名無しさん@1周年:01/10/28 02:00
なるほど、ネストリウスと勘違いしてすみませんでした。
マリアさんの話は説得力ありますね。
マリアさんのスレで幽霊のことについて尋ねたのも私です。
こちらでお礼もうしあげます。

317 :名無しさん@1周年:01/10/28 02:03
>>315
なるほど、当時のそういう状況って使徒行伝くらいからは読みとれない
けど、情報が錯綜していた時代を生々しく伝えますね。
パウロの説に気分を悪くしていたなんて、ありそうだな。

318 :マリア:01/10/28 02:47
>>316いえいえ。別に構わないわ。
ただし、これはあたしの母の家に伝わるもので、
元来これが他に話されることはないの。

ユダヤ出自であることを他に知られたくない
という母の一族の願いがあるから。
日本人面して、みんな生活しているからね。
誰かがアメリカと気づいても「そうよ」」だけだから。

それから、幽霊の話は、聞き流しておけばいいわよ。
カトリックには、そういう説はないもの。
悪いものに関して知るのは、信仰の妨げにもなることもあるし、
それでいいと思う。カトリック説もある意味正しいから。

>>317ええ。色んな説が飛び交ってて、
信者のみならず、使徒たちも大変だったでしょうね。
母の先祖は、ペトロが筆頭だと聞いていたらしく
後のローマ司教首位説も、
こんなところから来たのかも知れないわね。

319 :マリア:01/10/28 03:29
カトリックの聖伝承のみならず、聖書はこの伝承の一部。
そして、ユダヤ教の旧約聖書だって、そんなもの。
時の積み重ねによって、成立したもの。

後に受け入れられたり、削除されたり、
そんなことは当たり前だったの。
ユダヤ教でも、聖書にない秘儀があるわよ。

預言者たちも、ひょっとしたら
鎮魂帰神法を用いていたかもね。
こういうものは、洋の東西問わず秘密にされるから。

祓魔術も、この流れのもの。
非常に高度な知識とテクニックと経験がいるのよ。
簡単に捉える向きもプロテスタントの一部に
あるようだけど、あたしは非常に危険を感じるわね。

320 :名無しさん@1周年:01/10/28 19:08
>>308
> マリア様を愛するからと言って、キリストに向けられるべき愛が減るとは
> カトリック信徒は誰も思っていないだろう。
イエスの母を愛する事については、なにも語っていない。
法王が手を合わせている穢れた偶像に、尊敬や愛が注がれている事を、
非難しているのである。

隣人を愛するなら御国は近いが、偶像を愛するならゲヘナが近いのである。

321 :名無しさん@1周年:01/10/28 19:22
>>310
> >>307
> > 至高善である神の玉座のケルビムの聖像とを、同列に語るべきではない、
> > と書いたのである。
> それは、あなたの意見ですね。そう思われるのはあなたの自由です。
ケルビムは、神が命じてモーセに造らせたものである。
女の偶像は、誰が命じて造らせたのであろうか?

> > 私はあるホームページで、法王が女の偶像に手を合わしている姿を見た。
> > 神に捧げられるはずの尊敬や愛情が、いったい何所に向けられているの
> > であろうか?それを隣人に捧げたのなら、天国に入れるだろうに。
> > このようにして、人は偶像の奴隷に成り下がるのである。
> あなたの偶像の定義と、私の偶像の定義が異なるのですから、
> あなたがそう思われるのは仕方のないことです。
定義が違ったとしても、その本質は同じなのである。
神に捧げられるはずの信仰心が、偶像に捧げられる事を言うのである。
偶像に捧げられた信仰心は、悪霊に捧げられたのである。

322 :名無しさん@1周年:01/10/28 19:38
>>312
> >>307
> > 至高善である神の玉座のケルビムの聖像とを、同列に語るべきではない、
> > と書いたのである。
> ちょっと質問。以下に挙げる聖なる被造物を尊い順に並べ貰えますか?
> 聖所、至聖所、祭壇、マナ、青銅の蛇、ケルビムの像、契約の箱、十戒の石版

私には、全てを並べる事は出来ないし、確信も無いのであるが、
一番は十戒の石板で、二番がケルビムの像を具えた契約の櫃であろう。
しかし、最も尊き者が、契約の櫃のケルビムの間、すなわち贖いの
座の上から語られるのである。

ところで、これは何か意味があるのであろうか?

323 :名無しさん@1周年:01/10/28 22:34
>>321 :名無しさん@1周年 :01/10/28 19:22
> ケルビムは、神が命じてモーセに造らせたものである。
> 女の偶像は、誰が命じて造らせたのであろうか?
女の偶像を造るようにと、神が命じるわけがありません。
ただし、マリア様の聖像は、私たちが神として信じる聖霊が命令して造りました。
恐らくあなたは認めてはくれないでしょうがね。それは仕方がないことですね。
我々との信条や定義の違いにどのような疑問をお持ちなのでしょうか?

> 定義が違ったとしても、その本質は同じなのである。
いいえ、違います。定義が異なれば信条の本質は全く変化します。
> 神に捧げられるはずの信仰心が、偶像に捧げられる事を言うのである。
> 偶像に捧げられた信仰心は、悪霊に捧げられたのである。
偶像と定義されている物に信仰心を捧げたら、当然それを悪霊に捧げたことになります。
定義が異なれば信条の本質は全く変化する例を示しましょ。
例えば、キリストは被造物とし、且つキリストに礼拝すると偶像礼拝になりますね。
何故なら、キリストを偶像と定義したからです。
定義次第で信条は幾らでも異なる信条を造ることができます。
あなたと私とで、前提とする命題が異なるだけなのです。

324 :名無しさん@1周年:01/10/28 22:55
>>322 :名無しさん@1周年 :01/10/28 19:38
>>312
> 私には、全てを並べる事は出来ないし、確信も無いのであるが、
> 一番は十戒の石板で、二番がケルビムの像を具えた契約の櫃であろう。
一番が至聖所、二番聖所、三番祭壇という返事があると思っていたが。
まあどうでも結構です。私も、正確に並べられるとは思っていませんから。
あなたは結局、聖別された被造物の議論で、
殊にカルビムの像と他の聖物を比較しようとしましたね。
> 至高善である神の玉座のケルビムの聖像とを、同列に語るべきではない、
> と書いたのである。
あくまで仮ですが、偶像ではないマリアの聖像が存在した場合、
同列に語るべきではないという議論は出来ないのです。
同列に語るべきではないとは、偶像に対して言えることです。
前提がはっきりしないまま議論をするのは止めてください。
> ところで、これは何か意味があるのであろうか?
つまり、そういうことです。

325 :名無しさん@1周年:01/10/28 23:12
>>323補足
ここで挙げたのは、キリスト教独自の新約以降の演繹例です。
手前味噌な例を示してしまいましたが、ご了承ください。

326 :名無しさん@1周年:01/10/29 00:30
>>323
> ただし、マリア様の聖像は、私たちが神として信じる聖霊が命令して造りました。
それは、聖霊ではない。神との契約書に矛盾している。

また、聖霊によるもので最高のものは、天使ガブリエルによるコーランである。
これによっても、当然、偶像は退けられるのである。

> 我々との信条や定義の違いにどのような疑問をお持ちなのでしょうか?
私が語っている事は、神との契約書に書かれている事にすぎない。
また、イエスの母マリアが、自分の偶像を造る事など、許すはずもない。

327 :名無しさん@1周年:01/10/29 00:30
>>300補足
かつてヌマツダさんは、未信者として「αマリヤ崇敬は間違っているω」というスレで、
>545 :ヌマツダ :01/09/11 20:08
> 私は未信徒だが、信じる為に求道の立場でいろいろなキリスト教の見方を見ていくのに、
> 彼に言ってもキリスト者の答えは出ないだろうから、私には何の益にならない。
ということを言いました。「求道」などと空々しい事をよく、いけしゃあしゃあと言えたものですね。
それとも、「求道」という語彙を知らない単なる無知としか言いようがありません。
ヌマツダさんは、キリスト教の中で唯一教理の誤謬を認めない教会である「カトリック教会」に対し、
何らかの誤謬を見つけ、キリスト教全体を否定しようとしているように考えられても仕方がありませんね。
>>162からその推測はほぼ間違いないとは思いますが、もしそうならそれで結構です。
洗礼を受けるか否かの問題はあなたで解決してください。
あなたが入信するかどうかで、>>162のようなことを言われる筋合いはありません。
>523 :ヌマツダ :01/09/10 23:57
> 本当言うと必須条項として、今まで私に反論して来た、名無し@1周年の方には、
> コテハンで討論したい。と考えているが、強制もできんし、結局、希望条項だな。
ホント、コテハンにしなくてよかったです。

328 :名無しさん@1周年:01/10/29 00:37
>>326 名前:名無しさん@1周年 :01/10/29 00:30
> >>323
> > ただし、マリア様の聖像は、私たちが神として信じる聖霊が命令して造りました。
> それは、聖霊ではない。神との契約書に矛盾している。
そう断定できる根拠は?

> また、聖霊によるもので最高のものは、天使ガブリエルによるコーランである。
その根拠は?

> 私が語っている事は、神との契約書に書かれている事にすぎない。
> また、イエスの母マリアが、自分の偶像を造る事など、許すはずもない。
それって、直接訊いたんですか?

329 :CLB?:01/10/29 00:39
>ホント、コテハンにしなくてよかったです

そうだよね。ボクなんか、「俺」氏に名指しでめちゃくちゃに
攻撃されたからね。おかしなイラスト使ってやられたよ・・・。

過去ログ見てみてね。

330 :名無しさん@1周年:01/10/29 00:45
>>324
> >>312
> > 私には、全てを並べる事は出来ないし、確信も無いのであるが、
> > 一番は十戒の石板で、二番がケルビムの像を具えた契約の櫃であろう。
> 一番が至聖所、二番聖所、三番祭壇という返事があると思っていたが。
> まあどうでも結構です。私も、正確に並べられるとは思っていませんから。

至聖所に神が降臨するのではなく、契約の櫃に神が降臨するのである。
特に十戒の石板は、神自らの指で書かれたものであり、それを収めた
契約の櫃がなければ、至聖所は成り立たないのである。

> あなたは結局、聖別された被造物の議論で、
> 殊にカルビムの像と他の聖物を比較しようとしましたね。
> > 至高善である神の玉座のケルビムの聖像とを、同列に語るべきではない、
> > と書いたのである。
> あくまで仮ですが、偶像ではないマリアの聖像が存在した場合、
> 同列に語るべきではないという議論は出来ないのです。
> 同列に語るべきではないとは、偶像に対して言えることです。
> 前提がはっきりしないまま議論をするのは止めてください。

言っている意味がよく解らないが、私が語っている事は、
ケルビムは、神がモーセに造らせたもので、聖であると言う事である。

331 :名無しさん@1周年:01/10/29 01:00
> >>326 名前:名無しさん@1周年 :01/10/29 00:30
> > >>323
> > > ただし、マリア様の聖像は、私たちが神として信じる聖霊が命令して造りました。
> > それは、聖霊ではない。神との契約書に矛盾している。
> そう断定できる根拠は?
聖書に散々書いてある。十戒がそうであるが、一番解り易いのが、
申4.15-19あたりであろうか。

それにしても、どれほどの女の偶像が切り倒された事であろうか。

> > また、聖霊によるもので最高のものは、天使ガブリエルによるコーランである。
> その根拠は?
これは何度も書いているが、エルサレムの神殿がコーランを
証しするのである。

> > 私が語っている事は、神との契約書に書かれている事にすぎない。
> > また、イエスの母マリアが、自分の偶像を造る事など、許すはずもない。
> それって、直接訊いたんですか?
彼女の信仰を疑うのであろうか?

332 :名無しさん@1周年:01/10/29 11:49
>>330 :名無しさん@1周年 :01/10/29 00:45
> >>312
> 至聖所に神が降臨するのではなく、契約の櫃に神が降臨するのである。
> 特に十戒の石板は、神自らの指で書かれたものであり、それを収めた
> 契約の櫃がなければ、至聖所は成り立たないのである。
さあ、そうも断定できませんね。バビロン捕囚の後、神殿が再建されましたが、エズラ記などには契約の箱について殊に何も記述されていませんでした。
もしかすると、伝承に従って契約の箱を再び造ったかもしれません。
再建後、契約の箱造ったか否か何れにしろ、至聖所に何を置くか、また神はどう働きかけるかは伝承に依存します。
私たちも、新約の伝承に従って聖像を造っています。

> 言っている意味がよく解らないが、私が語っている事は、
> ケルビムは、神がモーセに造らせたもので、聖であると言う事である。
それは、我々の聖像の否定の理論にどう繋がるのでしょうか。
論理的な飛躍は止めてください。

333 :名無しさん@1周年:01/10/29 12:03
>>331 :名無しさん@1周年 :01/10/29 01:00
> > > それは、聖霊ではない。神との契約書に矛盾している。
> > そう断定できる根拠は?
> 聖書に散々書いてある。十戒がそうであるが、一番解り易いのが、
> 申4.15-19あたりであろうか。
「それは、聖霊ではない。」という根拠を訊いたんです。答えになっていません。
「あなたたちは何の形も見なかった。 」
そのときは見ませんでした。
「ひれ伏し仕えてはならない。」
聖像を聖所などと同様に敬っているだけで、仕えてはいません。

> それにしても、どれほどの女の偶像が切り倒された事であろうか。
そうですね。

> これは何度も書いているが、エルサレムの神殿がコーランを
> 証しするのである。
あなたにとって、証しと書く数の問題なんですね。わかりました。

> 彼女の信仰を疑うのであろうか?
いいえ。あなたの証言を疑っているだけです。勘違いしないでください。
ホント、あなたは論理的飛躍が多いですね。

334 :名無しさん@1周年:01/10/29 12:05
>>333訂正
誤:あなたにとって、証しと書く数の問題なんですね。わかりました。
正:あなたにとって、証しとは書く数の問題なんですね。わかりました。

335 :名無しさん@1周年:01/10/29 13:37
>>333補足
> 「あなたたちは何の形も見なかった。 」
> そのときは見ませんでした。
また、わたしたちは、伝承に従って知っている事柄のみを形で表現しているだけです。
その上、それを厳密に正確に表現するのは困難であり、象徴としてただの似姿として表現しているだけです。
ケルビムの像も伝承に従って造られただけで、態わざケルビム様を呼んで石膏で型を採らせて貰って造ったわけではないでしょ。
石膏で型を採ったとしても、精密さには限界があることは原理的に分かることです。

> 神との契約書に矛盾している。
それは、あなたの単なる誤解です。

336 :名無しさん@1周年:01/10/29 14:32
>>335さらに補足
> > 神との契約書に矛盾している。
> それは、あなたの単なる誤解です。
というか、あなたの信じる神との契約内容に対し一致しないだけです。
私たちは、あなたの信じる神「アラー」と契約を結んだ覚えはありません。
あなたがお持ちの契約はあなたで守ってください。
あなたの契約ではお人形も禁じているんでしょ。お好きにどうぞ。

337 :@@@@@@@:01/10/29 14:56
まだやってるのか。半年以上やってないか。
聖書自体が迷信だっつーのに。傍目からみたら哀れ。。

338 :sage:01/10/29 16:19
ヌマツダさんは、聖霊に関して「異言」がとてもお気に入りのようですが、
>>63
> 改革派と違い聖霊派は「聖霊様」の言葉、今現在に起こる「異言」を認めている。
1コリント 14:5 あなたがた皆が異言を語れるにこしたことはないと思いますが、それ以上に、預言できればと思います。異言を語る者がそれを解釈するのでなければ、教会を造り上げるためには、預言する者の方がまさっています。
1コリント 14:6 だから兄弟たち、わたしがあなたがたのところに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つでしょう。
1コリント 14:22 このように、異言は、信じる者のためではなく、信じていない者のためのしるしですが、預言は、信じていない者のためではなく、信じる者のためのしるしです。
とあるように、聖霊を単なるシャーマニズム的な側面だけで説明するのはよくありません。
教会は「聖霊の神殿」というのをいちいち議論するつもりはないですが、一応は以上のことだけは気になったので言っておきます。

339 :名無しさん@1周年:01/10/29 16:22
>>338
しまった。
重要でないものをあげてしまった。

340 :マリア:01/10/29 18:37
>>338シャーマンになるには、非常時でない限り
それなりの基本を持ってないと、なれないのよ。

聖母マリアに天使が受胎告知をしたり、
ヨゼフにも天使がやってきたのと一緒よ。
彼らには、凡人に無い基本を持っていたからこそ、
そういうことが訪れたのよ。
知識の面でなく、悟りの世界の住人か否かという意味だけどね。

341 :@@@@@@@:01/10/29 18:47
何処のスレか忘れたが、イスラムもマリヤムを崇敬しているそうだ。
ムハマドは断食の時の啓示によって、神は唯一であり、その唯一の神から、
イーサーは預言者に過ぎず、マリヤムは人間の母親だと、理解したようだ。
イスラムは、霊魂というか鬼神というジンに、良いジン、悪いジンがある。と認めている。
ガブリエルなどの天使も認めている。
また、カーバ神殿に「石」を安置して、巡礼の中心をなしている。
バーミヤン遺跡の偶像破壊をしたイスラムですら、
信仰の中心に偶像崇拝をしている。
この世の現れを見るにつけ、
モーセの神とイエスの神とムハマドの神は違うのではないか?と思う。
それぞれ「唯一の神」を語る、別々の心霊ならば、霊界の陰謀合戦に思える。
破門されたマルキオンの考えのように、旧約と新約の神は別神で、
旧約の神は「呪いの神」で、新約の神は「愛の神」と言う説が正しく思える。
クルアンの神はドウいう神かは分からないが。
唯一の神が、中近東や中央アジア、東南アジアに、
ユダヤ・キリスト教対イスラム教のテロ対報復戦争を引き起こしている。
パキスタン・インドネシア・フィリピンでイスラムが、
アメリカ系やカトリック系に荒れている。
南欧にいるカトリックはいまは安全で、
東南・南アジアのカトリックはテロの対象だ。
同じマリヤに執り成しの祈りをしていても、境遇に差がある。
極東にいるイスラムが比較的平和な人間であることが、極東を平和にしている。
極東に一神教の心霊が少ないので、戦争に成らずに済んでいると思う。
そう言う事から、マリアを崇敬に導く聖書は迷信だと思う。

342 :ヌマツダ:01/10/29 19:04
>327 :名無しさん@1周年 :01/10/29 00:30
何気に「イエス様が今日の朝は小雨か天気にしてくれると良いな」とか、
「イエス様が心臓の痛みを消してくれるならば有り難い」とか思うと、
叶う、治る。と言う事が「イエス信心」を自分に持たせる切っ掛けになっている。
他人から、キミのは気分的なモノや暗示の類であろう。と言われようが、
「マリヤ信心」よりズット有り難いと日頃思っている。
もし、イエスを語る何かしらの「霊」によると確信できるならば、
キリスト教に依るモノでないと断定できる。求道の結果がでると思う。
自分を癒し励ます「霊」ならば、私にとって、その「霊」こそが守護「霊」である。
しかし「創造主」とは思えない。
果たして、「霊」を見られる「スレのマリアさん」は、私の思うこの「霊」を、
ドウ見るのであろうか?
「聖人の霊」「天使の霊」「聖霊」「悪霊」「占いの霊」「凡人の霊」?

343 :マリア:01/10/29 19:16
>>341なかなか複雑なもんでさ、エルサレム問題を巡っては
ユダヤ対キリスト・イスラム連合で、
そのほかの地域では、基本的に三者は対立関係でしかないわ。

ユダヤ=キリスト連合という捉えは、すごく危険よ。
アメリカは、ユダヤ人が経済の足腰を牛耳っている国ということよ。
イギリスも、そうということだけに過ぎないわ。
それに、アメリカにはもうひとつ危ないのがいる。
プロテスタント中心のキリスト教原理主義者ってんのがね。
これが、今のブッシュ政権の基盤のひとつなのよ。

聖書は、旧約も新約も聖伝承とされる文書化されたものを
寄せ集めたもの。
何が正しくて、何が正しくないかは、
その時代に応じて変わることも多かったのよ。

344 :名無しさん@1周年:01/10/29 19:26
>>342
それはそれで結構なんじゃないかな。
わざわざ特定の教会教理に、道場荒しのようなのりで自分の信条を突き合せなくても。
もし、そういう気分になれば、
ルカ 9:49-50 そこで、ヨハネが言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました。」
イエスは言われた。「やめさせてはならない。あなたがたに逆らわない者は、あなたがたの味方なのである。」
という言葉でも思い出すようお勧めします。

345 :ヌマツダ:01/10/29 19:55
>344さん、有り難う。
マタイ-18:19
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。
もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、
天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
マタイ:18:20
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、
わたしもその中にいるからです。」

346 :ヌマツダ:01/10/29 19:59
テサロニケT- 4:14
私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。
それならば、神はまたそのように、
イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。
4:15
私たちは主のみことばのとおりに言いますが、
主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、
死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
4:16
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、
ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
4:17
次に、生き残っている私たちが、
たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、
空中で主と会うのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
4:18
こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

347 :ヌマツダ:01/10/29 20:01
マタイ-16:27
人の子は父の栄光を帯びて、
御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。
その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。
16:28
まことに、あなたがたに告げます。
ここに立っている人々の中には、
人の子が御国とともに来るのを見るまでは、
決して死を味わわない人々がいます。」

348 :名無しさん@1周年:01/10/29 23:42
>>332
> > 至聖所に神が降臨するのではなく、契約の櫃に神が降臨するのである。
> > 特に十戒の石板は、神自らの指で書かれたものであり、それを収めた
> > 契約の櫃がなければ、至聖所は成り立たないのである。
> さあ、そうも断定できませんね。バビロン捕囚の後、神殿が再建されましたが、
> エズラ記などには契約の箱について殊に何も記述されていませんでした。
> もしかすると、伝承に従って契約の箱を再び造ったかもしれません。
> 再建後、契約の箱造ったか否か何れにしろ、至聖所に何を置くか、
> また神はどう働きかけるかは伝承に依存します。
私が語っているのは、神がモーセに造らせたアークである。

> 私たちも、新約の伝承に従って聖像を造っています。
神の契約書にどのような聖像を造れと、書いてあるのか?

> > 言っている意味がよく解らないが、私が語っている事は、
> > ケルビムは、神がモーセに造らせたもので、聖であると言う事である。
> それは、我々の聖像の否定の理論にどう繋がるのでしょうか。
> 論理的な飛躍は止めてください。
神が命じたものは聖である。神が禁じたものは何であろうか?

349 :名無しさん@1周年:01/10/29 23:54
>>333
> 「それは、聖霊ではない。」という根拠を訊いたんです。答えになっていません。
> 「あなたたちは何の形も見なかった。 」
> そのときは見ませんでした。
> 「ひれ伏し仕えてはならない。」
聖霊、天使ガブリエルも、当然、偶像を禁じている。
偶像を造らせるなら、それは、いったい誰なのであろうか?

> 聖像を聖所などと同様に敬っているだけで、仕えてはいません。
それは、紛れもなく偶像崇拝である。皆、偶像に良き者が宿ると
勘違いして敬うのである。それが悪霊であるとは知らずに。

貴方が神を愛する時、隣人を愛する時、そこは聖所になるのである。

> > これは何度も書いているが、エルサレムの神殿がコーランを
> > 証しするのである。
> あなたにとって、証しとは書く数の問題なんですね。わかりました。
これは誤解を招いたようだ。これは、何度も同じ事を書いて
申しわけないが、という意味であった。

しかし、私の文章が「証しは書く数が問題」とは、とても読めないが。

350 :名無しさん@1周年:01/10/30 00:02
>>335
> また、わたしたちは、伝承に従って知っている事柄のみを形で表現しているだけです。
> その上、それを厳密に正確に表現するのは困難であり、象徴としてただの似姿として
> いるだけです。
神は何の形もないのであるから、像を作るな!、
と禁止されているのであるが。

> ケルビムの像も伝承に従って造られただけで、態わざケルビム様を呼んで石膏で
> 型を採らせて貰って造ったわけではないでしょ。
> 石膏で型を採ったとしても、精密さには限界があることは原理的に分かることです。
神がモーセに造らせた物に、何か疑問でもあるのであろうか?

>>336
> 私たちは、あなたの信じる神「アラー」と契約を結んだ覚えはありません。
> あなたがお持ちの契約はあなたで守ってください。
> あなたの契約ではお人形も禁じているんでしょ。お好きにどうぞ。
アラーとは、貴方の父なる神である。
貴方は、神と契約していない事を、自分自身で告白している。

351 :マリア:01/10/30 00:05
>>342かなり厳しいことを言われることは覚悟なのでしょうから、
かなり厳しく言わせていただくわね。

まぁ言うと、自分のイエズス像を作り上げてきて
それだけを拝んできたわけね。
聖書の都合のいい場所を選んで、それにくっつけて。
まぁ、そこまでは多かれ少なかれ誰もやるから普通なの。
厳しい人は、それをも偶像崇拝と呼ぶけどね、誰でもやることよ。
しかし、選ぶ個所によってだけど、
それだけだと他を排斥するところまでは至らないのよ。
他者は他者、自分は自分。全く関係ないはずよ。

しかし、あなたが一体何を拝んでいたのかは何か。
今までのレス、そして
>「マリヤ信心」よりズット有り難いと日頃思っている。
その「霊」の正体は、ここの心の置き方にあるわけよ。
自分の心をよく見つめ直して御覧なさい。

まぁ、知識の多い人も、我と神を忘れてよく陥ってるからね。
あなたは言葉以外の知識を知らなかったから、
仕方が無いといえば、仕方は無い。

352 :ヌマツダ:01/10/30 01:02
351さん答えになっていません。
私は天候を左右する力はないし、自分の治癒能力とは思えないから。
心の置き方や自分の心を拝んでいるとは思えません。
高校の時に教会から離れて以降は、心の中でイエス様の一神教を、
お釈迦様・仏舎利の一神教に見立ててすり替えたのです。
その後、お釈迦様の衛星のように守護心霊として、
関羽を語る霊、平将門を語る霊、大黒様を語るの霊、と、
自分の信じる御霊様には事欠きませんでした。
人の霊であって想像の産物の偽仏でないからと。
転職前後から、お釈迦様から又イエス様に戻っただけです。
ところがイエス様の衛星のように、
ペテロ、マリヤやドミニコ、26聖人?、コルベ、
ウリエル・ラファエル・ガブリエルにすり替わらなかった。
高山右近、支倉常長、イグナチオ・ロヨラ、フランシスコ・ザビエルの肖像画は、
実在の人物であり、日本関連の心霊として見ていてシックリ行くのですが?
天使は想像の産物に感じられ、マリヤは偽マリヤばかりに感じられ、
ロザリオのマリヤは特に胡散臭くて、受け付けません。
天使でもミカエルを渋々認める。と言った心境なのです。
よくヨハネの黙示録は胡散臭くて嫌なのに、旧約のダニエルに拘ります。
マタイ・マルコ・ヤコブとパウロは読む気になるが、ヨハネやルカを納得できません。
キリスト教徒になるには、釣り合いが取れていないのでダメなのは分かるのですが。
仏教流に言うと、過去世に何があったかしれませんが?そんな縁です。
私にとってはイエス様も一種の御霊様ですから。
どうしても輪廻転生・因果応報の三世の縁起の発想からしか思い浮かばない。
創造論・贖罪論・三位一体・信仰義認からの発想が出来ないのが最大の原因か?
聖書にある、テサロニケTのパウロ生前中に携挙とマタイの不死の人々が、
ドウ見ても結果的に嘘だというのが、キリスト教を一番信用できない理由です。
再臨が来ないのに、もうパウロは殉教してこの世にいないし、
イエス在世時代からの2000年長寿者は生存していません。
再臨がないので、この世での存続上、ローマ頂上のピラミッドの論理構築で、
ペテロ教皇・マリヤ崇敬が替わりに生えてきた。と感じられるのです。
どうもイエス様の説いた事ではないと。

353 :ヨセフ:01/10/30 01:04
マリアって処女で妊娠した人でしょ。
そんなわけないよね。
きっとどっかで悪いことしてきて、子供できちゃったんだけど、
正直にいえなくて、「神様の子供なのよ」なんて言っちゃったんじゃないかな?
それを信じたヨセフ君のほうが純粋だよ。
そして、子供を育てたんだから、彼をこそ崇拝すべきなんじゃないですか?

354 :マリア:01/10/30 02:10
>>352あなたを含め、人は神というものをよく知らない。
大きすぎて理解できないから、人はそれを小さくしようとする。

>私は天候を左右する力はないし、
>自分の治癒能力とは思えないから。
このレスにあるように、あなたの中の神の捉えというのは、
こういうものと理解している。ということの証なのよ。

キリスト教で言う神とは、全ての源である普遍な存在者よ。
それ以上もなく、またそれ以下でもない。
ありとあらゆるものを司る存在者よ。

あなたの霊的な目は、自分の世界に合わないものは、
悪霊の世界にしか見えない目ということよ。
そして、その自分の結論と聖書の文句を重ね、
神の目から見て普遍の法則であると位置付けているわけ。
ただ、あなたは、自分でもこのことには気づけない。

そして、あなたがあたしの回答を
良く吟味せず、はぐらかすのはどうしてかしら?

それは、自分の目=神の目であるから、
これを否定するものは許さないという、
その「霊」によるものよ。

時の流れを神の流れとしてみることが出来ない。
全ての存在は、神が許したものということを、
あなたは知らない。

355 :マリア:01/10/30 02:16
>>350キリスト教徒は、アラーという神を知らない。
ユダヤ教徒も、アラーという神を知らない。

だから、アラーの神は契約をムスリムとしか結んでいない。
そういうことよ。

356 :マリア:01/10/30 02:19
ヌマツダさん。しかし、あなたが一体何を拝んでいたのかは何か。
今までのレス、そして
>「マリヤ信心」よりズット有り難いと日頃思っている。
その「霊」の正体は、ここの心の置き方にあるわけよ。
自分の心をよく見つめ直して御覧なさい。
再度上げておくわ。

357 :名無しさん@1周年:01/10/30 19:50
348 :名無しさん@1周年 :01/10/29 23:42
> 私が語っているのは、神がモーセに造らせたアークである。
モーセが造ったアークはネブカドネツァルのバビロン軍によってどっかに逝ってしまったんです。
ですから、神がモーセに造らせたアークに限定するなら、それ以降のことをあなたが語ることはできませんね。
さらに、その後の至聖所について語ろうと思えば伝承が必要になります。
だから、
> 私たちも、新約の伝承に従って聖像を造っています。
と言っているんです。
> 神の契約書にどのような聖像を造れと、書いてあるのか?
私たちの神との契約は、コーランではなく、我々の霊感の書物を含む聖伝です。
その聖伝には、聖像を造って崇敬するようと定められています。

> 神が命じたものは聖である。
そうですね。
> 神が禁じたものは何であろうか?
色いろありますね。

358 :名無しさん@1周年:01/10/30 20:14
>>349 :名無しさん@1周年 :01/10/29 23:54
> 聖霊、天使ガブリエルも、当然、偶像を禁じている。
> 偶像を造らせるなら、それは、いったい誰なのであろうか?
あなた方イスラム教も含まれます。あなたが礼拝するアッラーは私たちが定義する唯一の神ではありません。

> > 聖像を聖所などと同様に敬っているだけで、仕えてはいません。
> それは、紛れもなく偶像崇拝である。
それは、あなたの教理でそうなっているだけ。
> 皆、偶像に良き者が宿ると
> 勘違いして敬うのである。それが悪霊であるとは知らずに。
それは同感です。

> 貴方が神を愛する時、隣人を愛する時、そこは聖所になるのである。
それは、素晴らしい信仰表現ですね。

> これは誤解を招いたようだ。これは、何度も同じ事を書いて
> 申しわけないが、という意味であった。
> しかし、私の文章が「証しは書く数が問題」とは、とても読めないが。

「これは何度も書いているが、エルサレムの神殿がコーランを
証しするのである。」に対して、
「あなたにとって、証しとは書く回数の問題なんですね。わかりました。」
と書けばよかったですね。

また、少し過去のレスになりますが、
>>331
> 聖書に散々書いてある。十戒がそうであるが、一番解り易いのが、
> 申4.15-19あたりであろうか。
のように、あなたにとって他の宗教の伝承の書物を引用されますが、
あなたの聖なる書物は「コーラン」のみでしょ。
「コーラン」から、偶像の定義の説明をきかせて欲しいですね。
ついでに、あなたの教派も教えて。
「スンニー派」ですか、「シーア派」ですか、それともその他ですか。

359 :名無しさん@1周年:01/10/30 21:03
>>345
> >344さん、有り難う。
いいえ、どういたしまして。
>>327補足および>>352のレス
人それぞれ、信じられることや胡散臭く思うものは違うんです。
偶像の定義の仕方も違うんです。
まして、部外者のあなたが「キリスト教はこうあるべきだ!!」
みたいなこと言って何の御利益(ごりやく)があるの。
もし、ある宗教の考えが胡散臭く思うなら、それを信じなければいいのです。
ヌマツダさんの気持ちも分かりますが、神経質に考えすぎですね。

360 :名無しさん@1周年:01/10/31 00:27
>>355
> >>350キリスト教徒は、アラーという神を知らない。
> ユダヤ教徒も、アラーという神を知らない。
>
> だから、アラーの神は契約をムスリムとしか結んでいない。
> そういうことよ。
アッラーとは神という意味であり、アッラーとはヤハウェである。
唯一なる神しか存在しないのに、それを異なる呼び方で呼び、
異なる解釈を与えているにすぎない。

361 :名無しさん@1周年:01/10/31 00:39
>>357
> 348
> > 私が語っているのは、神がモーセに造らせたアークである。
> モーセが造ったアークはネブカドネツァルのバビロン軍によってどっかに
> 逝ってしまったんです。
> ですから、神がモーセに造らせたアークに限定するなら、
> それ以降のことをあなたが語ることはできませんね。
よく意味がわからないので、以下の質問について尋ねるが・・・、

>>312
> ちょっと質問。以下に挙げる聖なる被造物を尊い順に並べ貰えますか?
> 聖所、至聖所、祭壇、マナ、青銅の蛇、ケルビムの像、契約の箱、十戒の石版
この契約の櫃は、神がモーセに造らせた物ではないのであろうか?
そして、それがある場所を至聖所と言ったのではないのであろうか?

> 私たちの神との契約は、コーランではなく、我々の霊感の書物を含む聖伝です。
> その聖伝には、聖像を造って崇敬するようと定められています。
聖書に書かれていないのに、どうして信じるのか?
神は、聖像なら敬っても良い、と言ったのであろうか?
当然、十戒の石板を収めたアークは、神自らが臨在する、
とトーラーには書いてあるが。

362 :名無しさん@1周年:01/10/31 00:46
>>358 その1
> >>349 :名無しさん@1周年 :01/10/29 23:54
> > 聖霊、天使ガブリエルも、当然、偶像を禁じている。
> > 偶像を造らせるなら、それは、いったい誰なのであろうか?
> あなた方イスラム教も含まれます。あなたが礼拝するアッラーは
> 私たちが定義する唯一の神ではありません。
私は、イスラム教徒ではない。そして、上記したように、
アッラーは、創造主であり、イエスの神であり、貴方の神である。

> > 貴方が神を愛する時、隣人を愛する時、そこは聖所になるのである。
> それは、素晴らしい信仰表現ですね。
このような言葉に反応するなら、貴方も神に向かっている。

> 「これは何度も書いているが、エルサレムの神殿がコーランを
> 証しするのである。」に対して、
> 「あなたにとって、証しとは書く回数の問題なんですね。わかりました。」
> と書けばよかったですね。
これも意味がよく判らないが、証しとは当然、書く回数の問題ではない。

現在、天と地の権能はイエスに与えられている。エルサレムの神殿は、
誰がイスラム教に与えたのであろうか?

363 :名無しさん@1周年:01/10/31 00:53
>>358 その2
> また、少し過去のレスになりますが、
> >>331
> > 聖書に散々書いてある。十戒がそうであるが、一番解り易いのが、
> > 申4.15-19あたりであろうか。
> のように、あなたにとって他の宗教の伝承の書物を引用されますが、
> あなたの聖なる書物は「コーラン」のみでしょ。
> 「コーラン」から、偶像の定義の説明をきかせて欲しいですね。
> ついでに、あなたの教派も教えて。
> 「スンニー派」ですか、「シーア派」ですか、それともその他ですか。
上にも書いたが、私はイスラム教徒ではない。
私は聖典を学ぶ者である。

コーランは、聖書を証しするものである。
であるから、偶像の定義は、神がモーセに語ったものである。

364 :マリア:01/10/31 01:07
>>360いいえ。何なら、同じ事をユダヤ教徒に尋ねて御覧なさい。
「あなたが同じものと言っているだけである。
私達には関係ない」って言うわよ。
無理やりくっつけようとしたって、
どうしてアラブ人にそのようなものを下す理由があるのか、
彼らには理解不能だもの。
アラブ人の神が、自分達の神を利用しているって思ってるわよ。

「ユダヤ人でないものが、ユダヤ教を利用している」
そうにしか見えないのよ。
イエズスを預言者だと言ったのも、気に触るのだけどね。

365 :マリア:01/10/31 01:23
>アッラーは、創造主であり、イエスの神であり、貴方の神である。
それが、違うのよ。ユダヤ教でもキリスト教も
それを認めないのよ。残念ながらね。
マホメットの妄想か、神を名乗る
アラーなる存在の仕業というのが、定説なの。

だから、アラーの神の契約はイスラム教徒にしか有効でないの。
イスラム教徒が、全てに及ぶと思っているだけ。
また、これもキリスト教徒にも言える事よ。
ユダヤ人から見れば、大変迷惑な話でしかないわけよ。

あなたの言いたいことは良く分かるけど、
キリスト教はイスラム教を認めていないから、
それによって意見しようなんていう考えは、持っても無駄。

366 :マリア:01/10/31 01:45
>聖書に書かれていないのに、どうして信じるのか?
>神は、聖像なら敬っても良い、と言ったのであろうか?
ユダヤ教の聖書は、聖伝承を集めたものなの。
その時になって、削除されたり、付け加えられたりするものなの。
秘儀も多数存在していたけど、それは書かれる事はないのよ。

あたしの母の先祖はユダヤ人だから、
代々の言い伝えでそう聞かされているの。
解釈の変更があっても、神から来たものなら
別にそれはそれでいいのよ。

ただ、今のユダヤ人は、秘儀に精通している人以外は
このことは知らないらしいわ。
そして、あなた方もそれを知らないのよ。

また、初期キリスト教には、
ユダヤ人の祭司階級の流入もあったから、
これを良く理解していた可能性があるのよ。

新約は、様々な伝承の一部を、聖書として編集したものなのよ。
イエズスに関する記述と、使徒たちの宣教と手紙、
こういうものを、公会議の認定を経て載せたの。
しかし、プロテスタントはこれを知らないから認めないけど。

聖書に書いてなくても、聖霊によって導かれた公会議で
定められたものは、聖なる言葉であり、啓示なのよ。
よって、他教やプロテスタントがどうのこうの言っても無駄なの。
公会議を認めないものは、枠外だから。

だから、この点を裁くには、聖書によってでは無理があるのよ。

367 :7743:01/10/31 21:52
今日の聖句 2001年10月31日 死に打ち勝つ

神の御前で、そして、
生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、
その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。
御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。
とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。
そのとき、人々は自分に都合の良いことを聞こうと、
好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、
作り話の方にそれて行くようになります。
しかしあなたは、どんな場合にも身を慎み、苦しみを耐え忍び、
福音宣教者の仕事に励み、自分の務めを果たしなさい。
わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。
世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、
決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。
今や、義の栄冠を受けるばかりです。
正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。
しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、
だれにでも授けてくださいます。
(テモテへの手紙二 4章 1〜 8)日本聖書協会発行『聖書 新共同訳』より引用

368 :新教28号:01/10/31 21:58
御言葉を宣べ伝えなさい。(聖書)

好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、
作り話の方にそれて行くようになります。(聖伝)

主が来られるのをひたすら待ち望む人には、
だれにでも授けてくださいます。(信仰義認)

369 :名無しさん@1周年:01/10/31 23:26
>>364 >マリアさん
> >>360いいえ。何なら、同じ事をユダヤ教徒に尋ねて御覧なさい。
> 「あなたが同じものと言っているだけである。
> 私達には関係ない」って言うわよ。
> 無理やりくっつけようとしたって、
> どうしてアラブ人にそのようなものを下す理由があるのか、
> 彼らには理解不能だもの。
> アラブ人の神が、自分達の神を利用しているって思ってるわよ。
>
> 「ユダヤ人でないものが、ユダヤ教を利用している」
> そうにしか見えないのよ。
> イエズスを預言者だと言ったのも、気に触るのだけどね。
第三者の意見を持ち出しても意味がない。貴方はどう思うのか?

>>365
> >アッラーは、創造主であり、イエスの神であり、貴方の神である。
> それが、違うのよ。ユダヤ教でもキリスト教も
> それを認めないのよ。残念ながらね。
> マホメットの妄想か、神を名乗る
> アラーなる存在の仕業というのが、定説なの。
>
> だから、アラーの神の契約はイスラム教徒にしか有効でないの。
> イスラム教徒が、全てに及ぶと思っているだけ。
> また、これもキリスト教徒にも言える事よ。
> ユダヤ人から見れば、大変迷惑な話でしかないわけよ。
>
> あなたの言いたいことは良く分かるけど、
> キリスト教はイスラム教を認めていないから、
> それによって意見しようなんていう考えは、持っても無駄。
他人の意見などは、どうでもよろしい。貴方はどう思うのか?

370 :名無しさん@1周年:01/10/31 23:29
>>366 >マリアさん
> >神は、聖像なら敬っても良い、と言ったのであろうか?
> ユダヤ教の聖書は、聖伝承を集めたものなの。
> その時になって、削除されたり、付け加えられたりするものなの。
> 秘儀も多数存在していたけど、それは書かれる事はないのよ。
>
> あたしの母の先祖はユダヤ人だから、
> 代々の言い伝えでそう聞かされているの。
> 解釈の変更があっても、神から来たものなら
> 別にそれはそれでいいのよ。
>
> ただ、今のユダヤ人は、秘儀に精通している人以外は
> このことは知らないらしいわ。
> そして、あなた方もそれを知らないのよ。
一体何が言いたいのか、よく判らないが、
秘儀には女の偶像を、敬えと書いてあるのであろうか?

> また、初期キリスト教には、
> ユダヤ人の祭司階級の流入もあったから、
> これを良く理解していた可能性があるのよ。
>
> 新約は、様々な伝承の一部を、聖書として編集したものなのよ。
> イエズスに関する記述と、使徒たちの宣教と手紙、
> こういうものを、公会議の認定を経て載せたの。
> しかし、プロテスタントはこれを知らないから認めないけど。
>
> 聖書に書いてなくても、聖霊によって導かれた公会議で
> 定められたものは、聖なる言葉であり、啓示なのよ。
> よって、他教やプロテスタントがどうのこうの言っても無駄なの。
> 公会議を認めないものは、枠外だから。
>
> だから、この点を裁くには、聖書によってでは無理があるのよ。
なぜ、聖書より人間の会議を優先するのか?

371 :774:01/10/31 23:38
>なぜ、聖書より人間の会議を優先するのか?

そういう二者択一的な発想ではないよ。
神の霊が人間を通じて働くか、働かないかということを言っている
じゃないのかな。
公会議は、カトリックでは、教会に対する、あるいは信徒に対する、
キリストの約束に基づいて、権威があるんだと、考えている。
受け入れないのは自由だが。

人間云々で言えば、宗教改革者だって「人間」であり、その教えは
「人の教え」と言えるからね。どうしてそういう宗祖が必要なのか
、なぜ権威を認めているのかってことだね。

聖書のみだけを権威にしている教派なんて、事実上存在しないよ。

372 :マリア:01/10/31 23:57
>>669
>第三者の意見を持ち出しても意味がない。貴方はどう思うのか?
だから、やっても無駄。
カトリックへの聖霊の導きを、他から見た判断で行っても無駄。

>他人の意見などは、どうでもよろしい。貴方はどう思うのか?
同じ事よ。述べた通りよ。

>>370
>一体何が言いたいのか、よく判らないが、
>秘儀には女の偶像を、敬えと書いてあるのであろうか?
その件は、あたしには答える権利はないわ。
秘儀の細部は、その資格がある者だけの秘密よ。
書くとか、書かないとかいう問題以前のものよ。
これを外へ明かすことは、禁じられているはずよ。

ただ、神はカトリック教徒や正教徒には
ある条件下に限って許されている。
それだけのことよ。

>なぜ、聖書より人間の会議を優先するのか?
時の流れの中に、神は真理を人に表す。
ユダヤ教徒にはユダヤ教徒に、
キリスト教徒にはキリスト教徒に、
イスラム教徒にはイスラム教徒に応じたものが用意される。

それらが、同じ神か否かは同じ神であり、別の神である。
この表現が何を意味するか分かるかしら?
理解できないなら、以後あたしは答えることは出来ない。

373 :マリア:01/10/31 23:58
>>371それも正しいわ。

374 :名無しさん@1周年:01/11/01 00:49
>>371 >774さん
> >なぜ、聖書より人間の会議を優先するのか?
>
> そういう二者択一的な発想ではないよ。
> 神の霊が人間を通じて働くか、働かないかということを言っている
> じゃないのかな。
> 公会議は、カトリックでは、教会に対する、あるいは信徒に対する、
> キリストの約束に基づいて、権威があるんだと、考えている。
> 受け入れないのは自由だが。
キリストの約束は守られたのであろうか?
敵を愛し、他人の負債を許すなら、誰もが受け入れるだろうが。

> 人間云々で言えば、宗教改革者だって「人間」であり、その教えは
> 「人の教え」と言えるからね。どうしてそういう宗祖が必要なのか
> 、なぜ権威を認めているのかってことだね。
>
> 聖書のみだけを権威にしている教派なんて、事実上存在しないよ。
聖書に矛盾するなら、何か変だと思わないか?
特に、トーラーと福音は、誰が否定できるのであろうか?

375 :マリア:01/11/01 01:10
>>374
>キリストの約束は守られたのであろうか?
>敵を愛し、他人の負債を許すなら、誰もが受け入れるだろうが。
人は弱きものである。それゆえ、罪も犯す。

>聖書に矛盾するなら、何か変だと思わないか?
聖書を正しく理解するなら、矛盾しない。
なぜならば、聖書が正であり否であり正であることを
知れば良いのである。
人がそれを理解できないのは、不幸であり、また幸である。

376 :名無しさん@1周年:01/11/01 01:13
>>372 >マリアさん
> >>669
> >第三者の意見を持ち出しても意味がない。貴方はどう思うのか?
> だから、やっても無駄。
> カトリックへの聖霊の導きを、他から見た判断で行っても無駄。
カトリックは、聖霊の導きを受けながら、法王が謝罪するような、
過ちを犯したのであろうか?
個人的には、彼の行ないは認めるところは多くあるが。

> >他人の意見などは、どうでもよろしい。貴方はどう思うのか?
> 同じ事よ。述べた通りよ。
アッラーは、別物であるという事であろうか?
エルサレムの神殿を有しながら。

> >>370
> >一体何が言いたいのか、よく判らないが、
> >秘儀には女の偶像を、敬えと書いてあるのであろうか?
> その件は、あたしには答える権利はないわ。
> 秘儀の細部は、その資格がある者だけの秘密よ。
> 書くとか、書かないとかいう問題以前のものよ。
> これを外へ明かすことは、禁じられているはずよ。
>
> ただ、神はカトリック教徒や正教徒には
> ある条件下に限って許されている。
> それだけのことよ。
であるなら、秘儀などは持ち出さない事である。
それは隠されているのだし、何の議論も出来ないのであるから。

> >なぜ、聖書より人間の会議を優先するのか?
> 時の流れの中に、神は真理を人に表す。
> ユダヤ教徒にはユダヤ教徒に、
> キリスト教徒にはキリスト教徒に、
> イスラム教徒にはイスラム教徒に応じたものが用意される。
>
> それらが、同じ神か否かは同じ神であり、別の神である。
> この表現が何を意味するか分かるかしら?
> 理解できないなら、以後あたしは答えることは出来ない。
まったくよく判らないが・・・、
ほんとは同じ神なのに、人が頑ななゆえに違うと言い張っている、
という事であろうか?

377 :名無しさん@1周年:01/11/01 01:24
>>375 >マリアさん
> >>374
> >キリストの約束は守られたのであろうか?
> >敵を愛し、他人の負債を許すなら、誰もが受け入れるだろうが。
> 人は弱きものである。それゆえ、罪も犯す。
であるなら、公会議の権威などは、なんのであろうか?

> >聖書に矛盾するなら、何か変だと思わないか?
> 聖書を正しく理解するなら、矛盾しない。
> なぜならば、聖書が正であり否であり正であることを
> 知れば良いのである。
> 人がそれを理解できないのは、不幸であり、また幸である。
であるなら、具体的に聖書より引用されれば良い。

378 :マリア:01/11/01 01:35
>>376
>カトリックは、聖霊の導きを受けながら、
>法王が謝罪するような、過ちを犯したのであろうか?
>個人的には、彼の行ないは認めるところは多くあるが。
人は過ちを犯すもの。それと、公会議の決定は無関係よ。
そのときの人に、正しく解釈できる力があるか否かよ。
しかし、人の過ちはある目的のために神は許される。
神が与えられたもの。よって正とする。
ヨハネ・パウロ2世は、知らない振りをしているけど
よく知っているわ。

>アッラーは、別物であるという事であろうか?
>エルサレムの神殿を有しながら。
その神殿は、今はムスリム方だけのためのもの。
なぜかしら?

>まったくよく判らないが・・・、
>ほんとは同じ神なのに、
>人が頑ななゆえに違うと言い張っている、
>という事であろうか?
聖書の中でもコーランの中でも、人を殺すなといいながら、
一方で人を殺せという。何故か?
よって、あたしには今はこの件は答えられない。
また時を待つわ。

379 :マリア:01/11/01 01:55
>であるなら、公会議の権威などは、なんのであろうか?
公会議の権威にはいつでも聖霊の業がある。
あなたは、カトリック教徒でないのだから、関係はない。

>であるなら、具体的に聖書より引用されれば良い。

なら問うが、あなたは下記の言葉をどう理解したのか?
> なぜならば、聖書が正であり否であり正であることを
> 知れば良いのである。
> 人がそれを理解できないのは、不幸であり、また幸である。

380 :名無しさん@1周年:01/11/01 10:27
>>360 :名無しさん@1周年 :01/10/31 00:27
> アッラーとは神という意味であり、アッラーとはヤハウェである。
> 唯一なる神しか存在しないのに、それを異なる呼び方で呼び、
> 異なる解釈を与えているにすぎない。
確かに "the god" に相当する「アイル=イラーフ」から由来するので神でしょう。
しかし、神の定義が異なれば偶像礼拝になります。同じ天地万物の創造主を礼拝してもです。
私たちは、神の定義の中に「三位一体の唯一の神」という条件を含んでいます。あなたか方の神の定義にはそれがありません。
他にも神の条件として、私たちの普遍の教会、即ち神の民の祖先であるイスラエルの神について、
出エジプト 20:2 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
申命記 5:6 「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。
とありますが同じ条件を認めながら、
出エジプト 32:4 彼はそれを受け取ると、のみで型を作り、若い雄牛の鋳像を造った。すると彼らは、「イスラエルよ、これこそあなたをエジプトの国から導き上ったあなたの神々だ」と言った。
は偶像礼拝になります。例えば、同じ天地創造の神と言っても、異なるものを指して神として礼拝した場合、それは偶像礼拝になるのです。
それは、あなたから見て、私たちの三位一体の神の礼拝に対して偶像礼拝であると主張するのと同じです。

381 :名無しさん@1周年:01/11/01 10:54
361 :名無しさん@1周年 :01/10/31 00:39
>>357
> 348
> > > 私が語っているのは、神がモーセに造らせたアークである。
> > モーセが造ったアークはネブカドネツァルのバビロン軍によってどっかに
> > 逝ってしまったんです。
> > ですから、神がモーセに造らせたアークに限定するなら、
> それ以降のことをあなたが語ることはできませんね。
> よく意味がわからないので、以下の質問について尋ねるが・・・、
> この契約の櫃は、神がモーセに造らせた物ではないのであろうか?
> そして、それがある場所を至聖所と言ったのではないのであろうか?

あなたが言った事は覚えています。
>>330
> 至聖所に神が降臨するのではなく、契約の櫃に神が降臨するのである。
> 特に十戒の石板は、神自らの指で書かれたものであり、それを収めた
> 契約の櫃がなければ、至聖所は成り立たないのである。
もし、あなたが語っているところの、神がモーセに造らせた契約の櫃がなければ、至聖所は成り立たないのであるならば、
ネブカドネツァルのバビロン軍によって契約の櫃が紛失し、そしてバビロン捕囚帰還後に再建した神殿の至聖所は成り立たなくなるでしょ。
言ってることの矛盾も甚だしい。

> 聖書に書かれていないのに、どうして信じるのか?
なぜ、私があなたのコーランを信じないとだめなんですか。
私たちの宗教の信仰なんだからほっといてください。
部外者が言う筋合いはありません。
> 神は、聖像なら敬っても良い、と言ったのであろうか?
あなたのコーランに書いていないだけ。私たちの宗教団体がそういう神の啓示が聖霊によってあったんですから仕方がありません。
> 当然、十戒の石板を収めたアークは、神自らが臨在する、
> とトーラーには書いてあるが。
私たちの書物では、必ずしもそうではありません。
私たちを、勝手にムスリムにしないでください。

382 :名無しさん@1周年:01/11/01 11:01
>>362 :名無しさん@1周年 :01/10/31 00:46
> 私は、イスラム教徒ではない。そして、上記したように、
> アッラーは、創造主であり、イエスの神であり、貴方の神である。
いいえ、コーランを認めた時点でそれは否定されます。

> このような言葉に反応するなら、貴方も神に向かっている。
それはどうも。でもあなたと一緒にしないで下さい。

> これも意味がよく判らないが、証しとは当然、書く回数の問題ではない。
私も、なあなたの非論理的な理屈は理解できません。

> 現在、天と地の権能はイエスに与えられている。
イスラム教では認められていません。
> エルサレムの神殿は、
> 誰がイスラム教に与えたのであろうか?
イスラム教の過激な組織でしょう。

383 :名無しさん@1周年:01/11/01 11:09
363 :名無しさん@1周年 :01/10/31 00:53
> 上にも書いたが、私はイスラム教徒ではない。
> 私は聖典を学ぶ者である。
コーランを認めているので、少なくともキリスト教徒ではない部外者。

> コーランは、聖書を証しするものである。
> であるから、偶像の定義は、神がモーセに語ったものである。
いいえ違います。コーランでは、原罪を否定しています。グノーシス的な異端の書物でである、偽典というものです。

384 :名無しさん@1周年:01/11/01 11:22
>>382訂正
> >>362 :名無しさん@1周年 :01/10/31 00:46
> > 私は、イスラム教徒ではない。そして、上記したように、
> > アッラーは、創造主であり、イエスの神であり、貴方の神である。
> いいえ、コーランを認めた時点でそれは否定されます。
間違えました。「イエスは神であり」ではなく、「イエスの神であり」でしたね。
あなたの信条です。コーランに基づいて信仰を保っててください。

> これも意味がよく判らないが、証しとは当然、書く回数の問題ではない。
私も、なあなたの非論理的な理屈は理解できません。

> > エルサレムの神殿は、
> > 誰がイスラム教に与えたのであろうか?
> イスラム教の過激な組織でしょう。
これも嘘でしたね。ローマ軍が与えてくれたんでしょ。

385 :名無しさん@1周年:01/11/01 12:02
>>360-363
キリスト教とイスラム教を習合させようなんて無理です。
あなたはあなたで、コーランを信じれば結構です。
このスレでイスラム教への勧誘してどうするの。
ムスリムでもないくせに。

386 :名無しさん@1周年:01/11/01 14:32
>>374
> 聖書に矛盾するなら、何か変だと思わないか?
> 特に、トーラーと福音は、誰が否定できるのであろうか?
イスラム教自体は、コーランのみを認めており、トーラーと福音を認めていません。
また、コーランを指示するあなた自身がトーラーを否定することになります。
コーラン自体が、トーラーと矛盾しているからです。訳文で申し訳ありませんが(確かイスラム教はアラビア語原典でなければ神の言葉として認めないらしい)、その箇所を示します。
2.牝牛:35しかし(その後)アーダムは主から(特別の)御言葉を頂戴し、主は御心を直して彼に向かい給うた。まことに主はよく思い直し給うお方。主は限りなく慈悲ぶかお方。(井筒俊彦訳:岩波文庫)
このような「原罪」を打ち消すような箇所は、私たちの書物トーラーの中にはありません。
また、アラビア語原典でなければ神の言葉として認めないイスラム教徒が、私たちのヘブライ語原典、ギリシャ語原典の書物をどうやって認めるというのでしょうか。

387 :名無しさん@1周年:01/11/01 14:38
>>377 :名無しさん@1周年 :01/11/01 01:24
> であるなら、公会議の権威などは、なんのであろうか?
であるから、公会議の権威は教会内で通用すること。
あんたら、部外者には関係ありません。

388 :名無しさん@1周年:01/11/01 15:14
>>376
> カトリックは、聖霊の導きを受けながら、法王が謝罪するような、
> 過ちを犯したのであろうか?
> 個人的には、彼の行ないは認めるところは多くあるが。
教皇が不可謬なのは、あくまで教義の決定のみにおいてです。
教皇本人の行いは関係ありません。
私たちは、教会に属する人間に過ちと、教会の教義自身に誤りとは別です。
私たちは、教会の教義の誤りを否定しているのです。
教会の教義の誤りを認めれば、聖書も例外ではなくなります。
聖書自身も教会の人が書いたのですから。

389 :名無しさん@1周年:01/11/01 15:15
誤字もありましたのでもう一度、教皇の不可謬権について説明します。
第一バチカン公会議で定められた教義憲章で主に強調されている内容は、教皇の首位権に関するものです。
「それゆえ、あたかも公会議が教皇以上の権威を持つかのように考えて、公会議に教皇に裁決に対する異議を申し立てることが可能である主張する者は、真理の道から外れている。」
すなわち、教皇は公会議よりも高い裁決における最高権威を持っているということです。
それに対し、教皇の不可謬性に関しては極めて限定されています。
「教皇が使徒座から宣言する時、すなわち全キリスト教徒の牧者として教師として、その使徒伝来の最高権威によって全教会が守るべき信仰や道徳に関する教義を決定する時、
神が聖ペトロに約束した助力によって、教皇には不可謬性が与えられている。救い主である神は、自分の教会が信仰と道徳について教義を決定する時に、この不可謬性を望んだのである。」
ここで重要なのは、不可謬性の発生条件が「教皇が使徒座から宣言する時」、「全キリスト教徒の牧者として教師として」であり、
またその対象が「全教会が守るべき信仰や道徳に関する教義」なのです。
この不可謬の対象である「全教会が守るべき信仰や道徳に関する教義」はあくまで「教義」であり、その教義の内容に「全教会が守るべき信仰や道徳」が含まれるのです。
また興味深いことは、
「最高権威である使徒座の裁決は、何人によっても再審査することはできないし、何人も教皇の決定を裁く権利を持たない。」
とありますが、あくまで教皇の決定に対する裁きを否定しているのであって、教皇自身の裁きを否定するような命題は全くありません。
即ち、教会の歴史通りのことが教理になっているのです。
カトリック教会はこのような教理によって、伝承の無矛盾性を安定的に保っているのです。

390 :マリア:01/11/01 15:24
少し喋りすぎたわ。後は、時が来るのは待つとするわ。

391 :名無しさん@1周年:01/11/01 15:25
>>374
> キリストの約束は守られたのであろうか?
> 敵を愛し、他人の負債を許すなら、誰もが受け入れるだろうが。
マタイ 5:44 しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
祈ってるぞ。
ルカ 6:27 「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。
こんなに親切に説明してあげているのに、まだご不満?
マタイ 5:39 しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。
ルカ 6:29 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。
散々私たちの教会を愚弄していますが、また打ち足りないの?
ホント、サディスティックね。

392 :名無しさん@1周年:01/11/01 15:34
>>377
> であるなら、具体的に聖書より引用されれば良い。
プロの謳い文句の「聖書のみ」っていう伝承は、聖書のどこから引用すればいいのだろう。
うーム、謎だ。

393 :名無しさん@1周年:01/11/01 15:41
どうせ、「俺」が、ムスリムに化けて出て来たのだろう。
「俺」って何処までスケベなんだろう。でも似合ってるね。板に付いてるね。
さすが原理主義。一脈通じるところがある。

394 :名無しさん@1周年:01/11/01 15:50
>>390
> 少し喋りすぎたわ。後は、時が来るのは待つとするわ。
待っても無駄かも。このスレに書き込んですムスリム野郎は理屈通じないから。
また頓珍漢なこと書いてくるに違いない。

395 :名無しさん@1周年:01/11/01 15:51
「俺」氏も遂に血迷いやがった。
ムスリムに成って可愛そうに。

396 :名無しさん@1周年:01/11/01 16:04
> 上にも書いたが、私はイスラム教徒ではない。
> 私は聖典を学ぶ者である。
キリスト教の教理が気にいらなければ、ムスリムになればいいじゃないか。

397 :名無しさん@1周年:01/11/01 17:07
>>396補足
> 私は聖典を学ぶ者である。
私たちのマリア崇敬が、あなたの聖典の学びの何の邪魔になるの。
アラビア語を勉強して、勝手にムスリムになればいいじゃなか。
キリスト教との比較なんて、あなた一人でやってくれ。

398 :名無しさん@1周年:01/11/01 17:19
大体、「俺」氏は唯物論者だから、キリスト教信仰を捨ててムスリムに成っても不思議じゃなさそうだし。

399 :名無しさん@1周年:01/11/01 17:24
「俺」氏がカトリック批判する動機は、教会そのものを嫌っているような気がすけど。
だから、聖書至上主義を謳うんじゃないだろうかな。
「俺」氏ってなんでそんなに教会が嫌いなんだろう。
単なる人嫌いかなぁ。

400 :名無しさん@1周年:01/11/01 17:25
400ゲット。

401 :旧教28号:01/11/01 17:49
御言葉を宣べ伝えなさい。(使徒継承の教会伝承)

好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、
作り話の方にそれて行くようになります。(分裂を造りまくる新教)

ああ、愚かな者よ、行いの伴わない信仰が役に立たない、ということを知りたいのか。
(信仰義認の誤解を指摘する聖句)

402 :名無しさん@1周年:01/11/01 18:27
>>376
> まったくよく判らないが・・・、
都合が悪くなるとそういうことをいう。
> ほんとは同じ神なのに、人が頑ななゆえに違うと言い張っている、
> という事であろうか?
出エジプト 20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
申命記 5:9 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
つまり、神の定義の誤りは神を否むことになり、厳しく戒められています。

403 :名無しさん@1周年:01/11/01 18:58
>>376
> であるなら、秘儀などは持ち出さない事である。
> それは隠されているのだし、何の議論も出来ないのであるから。
聖伝は私たちにとって秘儀ではありません。聖伝は既に教会に啓示された事柄です。
聖書のみが神の言葉であるという考えは、啓示などの全く根拠のない新教が勝手に造りだした制限です。
教皇が認めていないものは秘儀に相当するかも知れませんが。

404 :旧教正教28号:01/11/01 19:25
御言葉を宣べ伝えなさい。(使徒継承の教会伝承)

好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、
作り話の方にそれて行くようになります。(分裂を造りまくる新教)

主が来られるのをひたすら待ち望む人には、
だれにでも授けてくださいます。(新教原理を除くクリスチャン)

405 :名無しさん@1周年:01/11/01 20:31
>>403少し訂正
>>376
> であるなら、秘儀などは持ち出さない事である。
> それは隠されているのだし、何の議論も出来ないのであるから。
聖伝は私たちにとって秘儀ではありません。聖伝は既に教会に啓示され公にされている事柄です。
聖書のみが神の言葉であるという考えは、啓示などの全く根拠のない新教が勝手に造りだした制限です。
教皇が認めていないものは秘儀に相当するものも存在するかも知れませんが。

406 :名無しさん@1周年:01/11/01 21:17
>>381補足
>>330
> 至聖所に神が降臨するのではなく、契約の櫃に神が降臨するのである。
って、コーランにはどのように書いてあるか教えて欲しいです。
別に、ムスリムではないことが不都合の理由にはならないかと思いますが。
検索で調べようとしたんですけどなかなか見つからなくって。
あなたならご存知の筈と思いますので、お願いします。

407 :名無しさん@1周年:01/11/01 22:11
>>363
> コーランは、聖書を証しするものである。
嘘もいい加減にしてください。

ムーサー→モーセ
イーサー→イエス
マルヤム→マリア
ジブリール→ガブリエル
マスィーフ→メシア

9. 梅悟章30-31
ユダヤ人はウザイルを,アッラーの子であるといい,キリスト教徒はマスィーフを,アッラーの子であるという。これはかれらが口先で言うところで,昔の不信心な者の言葉を真似たものである。かれらにアッラーの崇りあれ。かれらは(真理から)何と迷い去ったことよ。
かれらは,アッラーをおいて律法学者や修道士を自分の主となし,またマルヤムの子マスィーフを(主としている)。しかしかれらは,唯一なる神に仕える以外の命令を受けてはいない。かれの外に神はないのである。かれらが配するものから離れて(高くいます)かれを讃える。
2. 牝牛章116
「アッラーは御子をもち給う」などと言うものがある。ああ何ともったいないことだ。天と地の一切のものをもち給う御方ではないか。あらゆるものがアッラーに恭順の意を表しておるではないか。

コーランでは、キリストを神の子としても認めてないですね。それに対し、

マタイ 16:16-18 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

ルカ 1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。

って、ムハンマドに現れたジブリールの言葉でしょ。全く一致しませんね。

408 :名無しさん@1周年:01/11/01 22:16
>>407補足
>>363
> 私は聖典を学ぶ者である。
嘘をつくのもいい加減にしろ。
調べれば直ぐに分かります。

409 :名無しさん@1周年:01/11/01 22:18
http://www.sex-jp.net/dh/02/

410 :名無しさん@1周年:01/11/01 23:30
>>378 >マリアさん
> >>376
> 人は過ちを犯すもの。それと、公会議の決定は無関係よ。
> そのときの人に、正しく解釈できる力があるか否かよ。
公会議は、人が行なうのである。

> しかし、人の過ちはある目的のために神は許される。
> 神が与えられたもの。よって正とする。
人の過ちは、その人自身に対する他人の過ちを許すなら、神に許される。

> >アッラーは、別物であるという事であろうか?
> >エルサレムの神殿を有しながら。
> その神殿は、今はムスリム方だけのためのもの。
> なぜかしら?
彼等の義の方が勝っているからであり、それこそがコーランをも認める事になるのである。

> 聖書の中でもコーランの中でも、人を殺すなといいながら、
> 一方で人を殺せという。何故か?
> よって、あたしには今はこの件は答えられない。
> また時を待つわ。
土俵は同じである。皆殺しているのであるが、その中で誰がより義とされるかである。

>>379
> >であるなら、公会議の権威などは、なんのであろうか?
> 公会議の権威にはいつでも聖霊の業がある。
> あなたは、カトリック教徒でないのだから、関係はない。
公会議の権威が聖霊の業であるなら、それを証明するのは、カトリック教徒である。
良い木から悪い実がなったのであろうか?私は、認める人も多いのであるが。

> >であるなら、具体的に聖書より引用されれば良い。
>
> なら問うが、あなたは下記の言葉をどう理解したのか?
> > なぜならば、聖書が正であり否であり正であることを
> > 知れば良いのである。
> > 人がそれを理解できないのは、不幸であり、また幸である。
まったくよく判らない。
トーラーや福音は、どうして正であり否であり正であるのか?

411 :名無しさん@1周年:01/11/01 23:35
>>380
> >>360 :名無しさん@1周年 :01/10/31 00:27
> > アッラーとは神という意味であり、アッラーとはヤハウェである。
> > 唯一なる神しか存在しないのに、それを異なる呼び方で呼び、
> > 異なる解釈を与えているにすぎない。
> 確かに "the god" に相当する「アイル=イラーフ」から由来するので神でしょう。
> しかし、神の定義が異なれば偶像礼拝になります。同じ天地万物の創造主を礼拝してもです。
> 私たちは、神の定義の中に「三位一体の唯一の神」という条件を含んでいます。
> あなたか方の神の定義にはそれがありません。
神の定義は、誰が言ったのであろうか?神がモーセに直接言ったの
であろうか?人類の教師イエスが言ったのであろうか?

> 例えば、同じ天地創造の神と言っても、異なるものを指して神として礼拝した場合、
> それは偶像礼拝になるのです。
> それは、あなたから見て、私たちの三位一体の神の礼拝に対して偶像礼拝である
> と主張するのと同じです。
三位一体の神の礼拝というのは、神の契約書に規定されているので
あろうか?

412 :名無しさん@1周年:01/11/01 23:44
>>381
> 361 :名無しさん@1周年 :01/10/31 00:39
> あなたが言った事は覚えています。
> >>330
> > 至聖所に神が降臨するのではなく、契約の櫃に神が降臨するのである。
> > 特に十戒の石板は、神自らの指で書かれたものであり、それを収めた
> > 契約の櫃がなければ、至聖所は成り立たないのである。
> もし、あなたが語っているところの、神がモーセに造らせた契約の櫃がなければ、
> 至聖所は成り立たないのであるならば、
> ネブカドネツァルのバビロン軍によって契約の櫃が紛失し、
> そしてバビロン捕囚帰還後に再建した神殿の至聖所は成り立たなくなるでしょ。
> 言ってることの矛盾も甚だしい。
再建した神殿に、神の御座である契約の櫃がないのなら、当然、
至聖所は成り立たない。そこに神は臨在はないのであるから、
それは至聖所ではない。

> > 聖書に書かれていないのに、どうして信じるのか?
> なぜ、私があなたのコーランを信じないとだめなんですか。
> 私たちの宗教の信仰なんだからほっといてください。
> 部外者が言う筋合いはありません。
私は、コーランを信じよ、と言ったのではなく、聖書に禁止されて
いる事を、どうして信じるのか?、と言ったのである。

> > 神は、聖像なら敬っても良い、と言ったのであろうか?
> あなたのコーランに書いていないだけ。私たちの宗教団体がそういう神の啓示が
> 聖霊によってあったんですから仕方がありません。
私がコーランを使うのは、聖霊によるという、非常に曖昧な定義を
制するためである。それは、聖霊によるもので最大のコーランを
差し置いて、聖霊によるなど言うからである。ましてや、
聖書にも矛盾しているのに。

> > 当然、十戒の石板を収めたアークは、神自らが臨在する、
> > とトーラーには書いてあるが。
> 私たちの書物では、必ずしもそうではありません。
トーラー、すなわちモーセ五書を否定するのであろうか?

413 :名無しさん@1周年:01/11/01 23:51
>>382
> >>362 :名無しさん@1周年 :01/10/31 00:46
> > 私は、イスラム教徒ではない。そして、上記したように、
> > アッラーは、創造主であり、イエスの神であり、貴方の神である。
> いいえ、コーランを認めた時点でそれは否定されます。
これは、コーランに書いてあるのに、なぜ否定されるのか?

> > 現在、天と地の権能はイエスに与えられている。
> イスラム教では認められていません。
コーランは、福音も証ししているのである。福音に書かれているなら、
コーランはそれをも認めるのである。

>>384
> > > エルサレムの神殿は、
> > > 誰がイスラム教に与えたのであろうか?
> > イスラム教の過激な組織でしょう。
> これも嘘でしたね。ローマ軍が与えてくれたんでしょ。
神の宮は、人が人に与えるものであろうか?

>>385
> >>360-363
> キリスト教とイスラム教を習合させようなんて無理です。
> あなたはあなたで、コーランを信じれば結構です。
> このスレでイスラム教への勧誘してどうするの。
> ムスリムでもないくせに。
先ほども書いたが、コーランの用いるのは、キリスト教関連のスレで
良く出てくる、聖霊という概念を、けん制するためである。
神の契約書に矛盾しながら、聖霊が語ったなら正であるなどと言うのを、
たしなめる為である。

414 :名無しさん@1周年:01/11/01 23:58
>>386
> >>374
> > 聖書に矛盾するなら、何か変だと思わないか?
> > 特に、トーラーと福音は、誰が否定できるのであろうか?
> イスラム教自体は、コーランのみを認めており、トーラーと福音を認めていません。
そのような事は、まったくコーランに書かれていない。
トーラー、詩篇、福音を証ししている。

> また、コーランを指示するあなた自身がトーラーを否定することになります。
> コーラン自体が、トーラーと矛盾しているからです。訳文で申し訳ありませんが
> (確かイスラム教はアラビア語原典でなければ神の言葉として認めないらしい)、その箇所を示します。
> 2.牝牛:35しかし(その後)アーダムは主から(特別の)御言葉を頂戴し、主は御心を
> に向かい給うた。まことに主はよく思い直し給うお方。主は限りなく慈悲ぶかお方。(井筒俊彦訳:岩波文庫)
> このような「原罪」を打ち消すような箇所は、私たちの書物トーラーの中にはありません。
あなたが人々の罪を許すなら、天の父もあなたの罪を許す、
と書いてあるが。

>>388
> >>376
> > カトリックは、聖霊の導きを受けながら、法王が謝罪するような、
> > 過ちを犯したのであろうか?
> > 個人的には、彼の行ないは認めるところは多くあるが。
> 教皇が不可謬なのは、あくまで教義の決定のみにおいてです。
> 教皇本人の行いは関係ありません。
> 私たちは、教会に属する人間に過ちと、教会の教義自身に誤りとは別です。
> 私たちは、教会の教義の誤りを否定しているのです。
> 教会の教義の誤りを認めれば、聖書も例外ではなくなります。
> 聖書自身も教会の人が書いたのですから。
教会の教義と、神との契約書が同じであるわけがないが。

415 :名無しさん@1周年:01/11/02 00:05
>>402
> >>376
> > まったくよく判らないが・・・、
> 都合が悪くなるとそういうことをいう。
都合が悪いと言うより・・・、

>>372
> それらが、同じ神か否かは同じ神であり、別の神である。
> この表現が何を意味するか分かるかしら?
この表現が何を意味するのかが、分からないのである。
あなたには分かるか?

> > ほんとは同じ神なのに、人が頑ななゆえに違うと言い張っている、
> > という事であろうか?
> 出エジプト 20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたり
> してはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。
> わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
> 申命記 5:9 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしては
> ならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、
> 父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、
> つまり、神の定義の誤りは神を否むことになり、厳しく戒められています。
三位一体などという定義は、何所に書いてあるのか?

416 :名無しさん@1周年:01/11/02 00:13
>>405
> >>403少し訂正
> >>376
> > であるなら、秘儀などは持ち出さない事である。
> > それは隠されているのだし、何の議論も出来ないのであるから。
> 聖伝は私たちにとって秘儀ではありません。聖伝は既に教会に啓示され公にされている事柄です。
思うに、>>366のマリアさんの文章の秘儀は、聖伝の事ではなく、
物質に対しての、御霊入れとか神降しの類いの秘儀ではないか。

> 聖書のみが神の言葉であるという考えは、啓示などの全く根拠のない新教が
> 勝手に造りだした制限です。
私は、聖書のみが正しいなどと言っているのではなく、聖書に
矛盾するなら、おかしいと思わないのか?、と言ったのである。

>>406
> >>381補足
> >>330
> > 至聖所に神が降臨するのではなく、契約の櫃に神が降臨するのである。
> って、コーランにはどのように書いてあるか教えて欲しいです。
> 別に、ムスリムではないことが不都合の理由にはならないかと思いますが。
> 検索で調べようとしたんですけどなかなか見つからなくって。
> あなたならご存知の筈と思いますので、お願いします。
コーランに直接書いてあるのではなく、それは、トーラーに書いてある、
ご存知の、出エジプト記25.22、である。

417 :名無しさん@1周年:01/11/02 00:45
>>407
> >>363
> 9. 梅悟章30-31
> ユダヤ人はウザイルを,アッラーの子であるといい,キリスト教徒はマスィーフを,
>アッラーの子であるという。これはかれらが口先で言うところで,昔の不信心な者の
> 言葉を真似たものである。かれらにアッラーの崇りあれ。かれらは(真理から)
> 何と迷い去ったことよ。
> かれらは,アッラーをおいて律法学者や修道士を自分の主となし,またマルヤムの
> 子マスィーフを(主としている)。しかしかれらは,唯一なる神に仕える以外の
> 命令を受けてはいない。かれの外に神はないのである。かれらが配するものから離れて
> (高くいます)かれを讃える。
> 2. 牝牛章116
> 「アッラーは御子をもち給う」などと言うものがある。ああ何ともったいないことだ。
> 天と地の一切のものをもち給う御方ではないか。あらゆるものがアッラーに恭順の
> 意を表しておるではないか。
>
> コーランでは、キリストを神の子としても認めてないですね。それに対し、
これは、三位一体の、神のひとり息子という概念に対する、痛烈な批判である。

> マタイ 16:16-18 シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
> すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。
> あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
> わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。
> 陰府の力もこれに対抗できない。
> わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、
> 天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
>
> ルカ 1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。
> だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
>
> って、ムハンマドに現れたジブリールの言葉でしょ。全く一致しませんね。
神が聖別して世につかわされた者を、神の子と言うのであるし、イエス本人も、
預言者たちや、聖書の言葉を守るものたちと、同じ僕仲間である、
と言っているのである。

418 :名無しさん@1周年:01/11/02 10:38
>>411 :名無しさん@1周年 :01/11/01 23:35
> 神の定義は、誰が言ったのであろうか?神がモーセに直接言ったの
> であろうか?人類の教師イエスが言ったのであろうか?
神ご自身が人間に仰せになったと考えています。
それをあなたが認めるか否かはあなたの自由です。
認めない人は過去に沢山存在しましたからね。
そういう人々が私たちを迫害してきました。

> 三位一体の神の礼拝というのは、神の契約書に規定されているので
> あろうか?
私たちのドキュメントではない神と私たちとの契約である聖伝に記されています。
聖書はその契約の一部ですが、そのドキュメント化された契約さえ、神に対して認めなければ契約にはなりません。
その認めるという行為を一般に「信仰」と呼ぶのではないのでしょうか。

419 :名無しさん@1周年:01/11/02 11:49
>>412
> 再建した神殿に、神の御座である契約の櫃がないのなら、当然、
> 至聖所は成り立たない。そこに神は臨在はないのであるから、
> それは至聖所ではない。
神が住むために臨在する場所が成り立たないというだけです。
あなたが、臨在が成り立たない場所を至聖所と呼ばないのはあなたの自由です。
当時のイスラエルの民には、神の臨在する場所が必要であると、主がお考えになったのでしょう。
だから、至聖所は祭儀の時であるか否かを問わず、大祭司しか入ることが出来なかったのです。
再建以降はただ祭壇のある垂れ幕の奥を指し、新約以降は
マタイ 27:51 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、
ヘブル 9:11 けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司としておいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、
という伝承によって、祭壇がある場所を指すようになりました。
常に臨在する場所ではなくても、神が聖別される場所は存在します。
出エジプト 3:5 神が言われた。「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。」
この聖所の中で更に聖なる場所を特に至聖所と呼んでいるだけです。
再建以降の伝承があなたと異なるだけなんです。
そもそも、あなたがコーランに基づいて議論したとき、
アブラム(アブラハム)とハガルの間で生まれた男の子、イシュマエルの子孫の伝承に従えばいいではないですか。
イスラエルの伝承やキリスト教の伝承など無視して頂いて結構です。
あなたは、モーセより遥か以前に分かれた民の伝承を守ればいいのですから。

420 :名無しさん@1周年:01/11/02 12:13
>>412
> 私は、コーランを信じよ、と言ったのではなく、聖書に禁止されて
> いる事を、どうして信じるのか?、と言ったのである。
どうしてかって?それは、聖伝承を神の言葉とするからです。
聖書の中には古い伝承も沢山存在し、それらの全てが不可変であるとは認めていないからです。
例えば、日曜日を安息日にするとか、復活祭をユダヤ暦からユリウス暦に変更するとか、契約の箱のない至聖なる場所に祭壇を置くとか。
もし、コーランとトーラーのみの伝承に従うべきだとお思いでしたら、そのような宗教団体をお造り下さい。

> 私がコーランを使うのは、聖霊によるという、非常に曖昧な定義を
> 制するためである。
どこが曖昧なんですか?その曖昧さに問題をお感じですか?
> それは、聖霊によるもので最大のコーランを
> 差し置いて、聖霊によるなど言うからである。
そうすれば、なぜ曖昧ではなくなるのですか。
> ましてや、
> 聖書にも矛盾しているのに。
それは、コーランのことでうすか?

> トーラー、すなわちモーセ五書を否定するのであろうか?
確かに、トーラーでは臨在はアークに対して定義されていますね。
しかし、私たちはトーラー以降の伝承も認める必要があります。
もしあなたがトーラー以降の伝承を認めたくないのなら、是非そういう宗教団体をお造りください。

421 :マリア:01/11/02 12:24
>>410答えられる範囲はお答えしましょう。
>公会議は、人が行なうのである。
否。聖霊の導きの業がなければ、行えないのよ。

>人の過ちは、その人自身に対する他人の過ちを許すなら、神に許される。
その答えは正であり、否である。それだけで全てを見ることは出来ない。
神は必要のないものを、人に与えることはない。
コーランにも、聖伝にも、トーラーにも、その答えはある。

>彼等の義の方が勝っているからであり、
>それこそがコーランをも認める事になるのである。
あなたは、あたしの言っている意味が理解できない。ただ、それだけよ。

>土俵は同じである。
>皆殺しているのであるが、その中で誰がより義とされるかである。
そんなことを言っている内は、あなたも何も理解できないわ。

422 :マリア:01/11/02 12:26
>公会議の権威が聖霊の業であるなら、
>それを証明するのは、カトリック教徒である。
>良い木から悪い実がなったのであろうか?
>私は、認める人も多いのであるが。
はてさて?聖霊の導きによるものとは、信者は知っていることよ。
信者でない人には知らないことだし、関係のないことよ。

>まったくよく判らない。
>トーラーや福音は、どうして正であり否であり正であるのか?
普通の質問なら、何でもOKだけど、この件に関しては無理よ。
分かってからでないと、質問してはならない決まりなのよ。
しかし、あなたはそのことを知らないから、質問を続ける。
なぜかしら?

423 :マリア:01/11/02 12:27
>>416
>思うに、>>366のマリアさんの文章の秘儀は、聖伝の事ではなく、
>物質に対しての、御霊入れとか神降しの類いの秘儀ではないか。
さて、理解できないかったら、そういった推測をするわけね。
確かに、理解できないから、このようなところに来て
コーランを持ち出したりするのだものね。

>私は、聖書のみが正しいなどと言っているのではなく、聖書に
>矛盾するなら、おかしいと思わないのか?、と言ったのである。
自分でカトリックやオーソドックスのイコンや聖像の定義を調べ、
どう扱われているのか調べなさい。

>>417
>神が聖別して世につかわされた者を、神の子と言うのであるし、
>イエス本人も、預言者たちや、聖書の言葉を守るものたちと、
>同じ僕仲間である、と言っているのである。
さて、それはどこの解釈かしら?キリスト教のものではないわね。

424 :名無しさん@1周年:01/11/02 13:31
>>413 :名無しさん@1周年 :01/11/01 23:51
> これは、コーランに書いてあるのに、なぜ否定されるのか?
コーランは私たちの伝承に反するから。

> コーランは、福音も証ししているのである。福音に書かれているなら、
> コーランはそれをも認めるのである。
それは、あくまでコーランが定義する福音の証しでしょ。
あなたが、それを受け入れるのは結構ですが。

> 神の宮は、人が人に与えるものであろうか?
当時のエルサレムの神殿を神の宮と認める人に言ってください。

>>385
> 先ほども書いたが、コーランの用いるのは、キリスト教関連のスレで
> 良く出てくる、聖霊という概念を、けん制するためである。
> 神の契約書に矛盾しながら、聖霊が語ったなら正であるなどと言うのを、
> たしなめる為である。
牽制してどうするの?
確かに、コーランが正しければ聖書は間違い、聖書が正しければコーランが間違いになりますが。
そんなこと、あなた一人で考えてください。

425 :名無しさん@1周年:01/11/02 13:44
>>414 :名無しさん@1周年 :01/11/01 23:58
> そのような事は、まったくコーランに書かれていない。
> トーラー、詩篇、福音を証ししている。
そう信じるなら結構です。好きにしてください。

> あなたが人々の罪を許すなら、天の父もあなたの罪を許す、
> と書いてあるが。
「ゆるす」でも、特に赦すの方はね。これからも犯し続ける罪に対してではなく、犯した罪に対して赦して下さるのです。

> 教会の教義と、神との契約書が同じであるわけがないが。
そう思うのはあなたの勝手です。
神からの契約を認めるのを、ムハンマドを通して受けたものか教会を通して受けたかの違いです。
ムハンマドも教会も同じ人間です。あなたはムハンマドの啓示を信じたらいいんです。
わたしは教会を通した啓示を信じますので。

426 :名無しさん@1周年:01/11/02 13:48
>>
> 三位一体などという定義は、何所に書いてあるのか?

427 :名無しさん@1周年:01/11/02 13:54
>>415
> 三位一体などという定義は、何所に書いてあるのか?
書いていないのは仕方がありません。
聖書は伝承の一部の書物であり、教義を直接示す書物ではありません。
そういう意味では、コーランと扱い方が違います。
聖書自体、霊感によって読まなければ正しい信仰は得られません。
私たちの教義には、信仰のありかたも定められています。
これを認めないのはあなたの自由ですが。

428 :名無しさん@1周年:01/11/02 14:00
プロの聖書主義は、論理的に破綻するな。
聖書を定めたのは人間の会議だし、結局はカトや正教などの旧教の信仰の基礎になった聖伝なしに正統な聖典は存在しないよ。
正典が定められたのっていつだっけ?

429 :名無しさん@1周年:01/11/02 14:17
>>416 :名無しさん@1周年 :01/11/02 00:13
>>405
> 思うに、>>366のマリアさんの文章の秘儀は、聖伝の事ではなく、
> 物質に対しての、御霊入れとか神降しの類いの秘儀ではないか。
それは、秘儀どころか、異端の祭儀礼ですね。
わたしたちの聖伝にそのようなものはありません。

> 私は、聖書のみが正しいなどと言っているのではなく、聖書に
> 矛盾するなら、おかしいと思わないのか?、と言ったのである。
聖書と一致しないまた記述されていない事柄を矛盾と言っているのですか?
それなら、トーラーとコーランは矛盾しています。
コーランがトーラーを証ししているというのであれば、トーラーの本文をそのまま引用されていなければなりません。
私たちは、聖霊の導きによって伝承を新たにされていくものと考えています。
聖書は現在の伝承の土台です。この考えを認めるか否かはあなたの自由です。

> コーランに直接書いてあるのではなく、それは、トーラーに書いてある、
> ご存知の、出エジプト記25.22、である。
コーランとトーラーが一致しないのですから、コーランを認めた時点でトーラーを否定していることになります。
ですから、この場合トーラーを引用できません。

430 :名無しさん@1周年:01/11/02 14:29
>>414 :名無しさん@1周年 :01/11/01 23:58
> あなたが人々の罪を許すなら、天の父もあなたの罪を許す、
> と書いてあるが。
あなたがそのように解釈されるのは結構なんすが、もしコーランがトーラーの証しをするのなら、
トーラーの本文をそのまま引用するべきです。
それは、私たちの聖伝を牽制するときの理屈と同じです。
元々無いものを付け加えるのは私たちの聖伝と、あなたの持ち出すコーランと同じ振る舞いになります。

431 :名無しさん@1周年:01/11/02 14:50
>>417 :名無しさん@1周年 :01/11/02 00:45
> これは、三位一体の、神のひとり息子という概念に対する、痛烈な批判である。
三位一体の話をしているのではありません。神の子について話をしているのです。
> 神が聖別して世につかわされた者を、神の子と言うのであるし、イエス本人も、
> 預言者たちや、聖書の言葉を守るものたちと、同じ僕仲間である、
> と言っているのである。
コーランに基づいて、神の子の存在を認めないのか、私たちの新約聖書に基づいて、神の子の存在を認めるのかどっちかにしてください。
「神の子は存在する」∧「神の子は存在しない」(∧は且つ)は常に偽ですからね。
もし、あなたがコーランを認めた場合は、新約聖書を一切引用できなくなります。
それは、「神の子は存在する」∧「神の子は存在しない」の命題を用いなくても、
あなたが聖伝を牽制するときの理屈を用いれば、新約聖書の引用を一切禁止できます。
トーラーに関しても同様です。
ただし、あなたが聖伝を牽制するときの理屈を用いずに、トーラーと新約聖書とコーランを同時に認めたり、
トーラーとコーランを同時に認めたり、若しくは我々のように新旧約聖書と聖伝とを同時に認めたりするのはあなたの自由です。
若しくは、生粋のムスリムのようにコーランのみを認めるでも結構じゃないですか。
あなたの信条ですので好きに選んでください。

432 :名無しさん@1周年:01/11/02 16:21
>>414 :名無しさん@1周年 :01/11/01 23:58
> > イスラム教自体は、コーランのみを認めており、トーラーと福音を認めていません。
> そのような事は、まったくコーランに書かれていない。
そうですね。書かれていないかもしれませんね。調べたわけではありませんが。
> トーラー、詩篇、福音を証ししている。
トーラー、詩編の書物を指して、その証しであると書いてあるのですか?
若しくは、コーランにトーラー、詩編を聖典として選べと書いてあるのですか?
あなたが聖伝を牽制するときの理屈を用い、且つコーランと同時にトーラー、詩編を同時に認める場合は以上の何れかが満たされなければなりません。
ただ一部が引用されているだけなら、その引用された記述しか信頼できませんね。
私たちの場合、どの書物を聖典と認めるかは聖典自体から根拠として導くのではなく
、伝承です。

433 :名無しさん@1周年:01/11/02 16:40
>>420補足
>>412
> 私は、コーランを信じよ、と言ったのではなく、聖書に禁止されて
> いる事を、どうして信じるのか?、と言ったのである。
また聖伝を定める根拠は、私たちがアブラハムからの子孫である、神の民の継承者であることです。
コーランを預言したムハンマドは何を根拠に継承していると主張できますか?
イシュマエルから、ムハンマドまでの継承を明らかにしてください。
イシュマエルから、ムハンマドまでどのような神を礼拝してきたのでしょうか?
コーランから示してください。
モーセの民の継承は、イシュマエルからムハンマドまでの継承とは異なります。

434 :マリア:01/11/02 17:09
>>429
>それは、秘儀どころか、異端の祭儀礼ですね。
>わたしたちの聖伝にそのようなものはありません。
そう。それは、一見正解。しかし、不正解な回答でもあるわ。
各秘蹟一般や、ミサの式次第とか、色んなものにその影響はあるわ。
そして、一番影響が濃いものは、エクソシストと知られるもの。
この技術は、イエズスから発生しているものであり、
また、古い秘儀の流れを新たな聖伝承からアレンジした最大のものよ。

435 :名無しさん@1周年:01/11/02 23:28
>>434
「エクソシスト」
それを忘れてました。
こういう書き込みは疲れますね。
偶には間違いがあっても勘弁してください。

436 :マリア:01/11/02 23:52
>>235いえいえ。本当はあなたの言っていることが
正解というのが、基本なのよ。
しかし、たまに正解だけど正解じゃない時もある。

437 :名無しさん@1周年:01/11/03 01:20
>>418
> > 三位一体の神の礼拝というのは、神の契約書に規定されているので
> > あろうか?
> 私たちのドキュメントではない神と私たちとの契約である聖伝に記されています。
神の契約書に書いてないなら、なぜ信じるのか。

>>419
> >>412
> > 再建した神殿に、神の御座である契約の櫃がないのなら、当然、
> > 至聖所は成り立たない。そこに神は臨在はないのであるから、
> > それは至聖所ではない。
> 神が住むために臨在する場所が成り立たないというだけです。
> あなたが、臨在が成り立たない場所を至聖所と呼ばないのはあなたの自由です。
それでは、質問を戻して言うが、神の御座の契約の櫃と、至聖所と、
どちらが尊いか?

>>420
> >>412
> > 私は、コーランを信じよ、と言ったのではなく、聖書に禁止されて
> > いる事を、どうして信じるのか?、と言ったのである。
> どうしてかって?それは、聖伝承を神の言葉とするからです。
それでは、聖書を捨てる事になるが?

> > > > 当然、十戒の石板を収めたアークは、神自らが臨在する、
> > > > とトーラーには書いてあるが。
> > > 私たちの書物では、必ずしもそうではありません。
> > トーラー、すなわちモーセ五書を否定するのであろうか?
> 確かに、トーラーでは臨在はアークに対して定義されていますね。
であるなら、貴方は誤解していたと言うことであるが。

438 :名無しさん@1周年:01/11/03 01:24
>>424
> > 神の宮は、人が人に与えるものであろうか?
> 当時のエルサレムの神殿を神の宮と認める人に言ってください。
神の業を否定するのであろうか。

> 確かに、コーランが正しければ聖書は間違い、聖書が正しければコーランが
> 間違いになりますが。
> そんなこと、あなた一人で考えてください。
特に、偶像に関しては、聖書もコーランもまったく矛盾がない。
なぜ、聖書にもコーランにも否定されている事を肯定するのか?

>>427
> >>415
> > 三位一体などという定義は、何所に書いてあるのか?
> 書いていないのは仕方がありません。
> 聖書は伝承の一部の書物であり、教義を直接示す書物ではありません。
これはあなたの本音であろうか?
聖書は、神との契約書であり、教義を直接示す書物であるが。

>>429
> >>416 :名無しさん@1周年 :01/11/02 00:13
> >>405
> > 思うに、>>366のマリアさんの文章の秘儀は、聖伝の事ではなく、
> > 物質に対しての、御霊入れとか神降しの類いの秘儀ではないか。
> それは、秘儀どころか、異端の祭儀礼ですね。
> わたしたちの聖伝にそのようなものはありません。
これは、マリアさんが秘儀なるものを語りながら、その内容は言わない
ので、良く分からないのであり、憶測に過ぎない。

> それなら、トーラーとコーランは矛盾しています。
> コーランがトーラーを証ししているというのであれば、トーラーの本文を
> そのまま引用されていなければなりません。
その必要はない。コーランは、モーセを証ししているからであるが。

439 :名無しさん@1周年:01/11/03 01:34
>>431
> コーランに基づいて、神の子の存在を認めないのか、私たちの新約聖書に基づいて、
> 神の子の存在を認めるのかどっちかにしてください
神の子とは、ヨハ10章22にあるように、『父が聖別して、世につかわ
された者』と言うなら、福音、コーランとも問題ないのである。
しかし、『三位一体の子なる神』といった時点で、それは聖書にない
概念であり、コーランはそれを否定するのである。

> 若しくは、生粋のムスリムのようにコーランのみを認めるでも結構じゃないですか。
コーランのみしか認めないなら、それこそコーランの否定である。

> トーラー、詩編の書物を指して、その証しであると書いてあるのですか?
> 若しくは、コーランにトーラー、詩編を聖典として選べと書いてあるのですか?
4女.161、五食卓.50.109、6家畜.155
『コーラン』岩波文庫・井筒俊彦訳

>>433
> また聖伝を定める根拠は、私たちがアブラハムからの子孫である、
> 神の民の継承者であることです。
> コーランを預言したムハンマドは何を根拠に継承していると主張できますか?
『大王の都』と言いたいところであるが、現在は、まむしの子らが
有しているので、いつも言うエルサレムの神殿である。
正確に言うなら、キリスト教こそ異邦人になるのである。
しかし、行なう者は、誰でも御国の住人であるのだが。

440 :名無しさん@1周年:01/11/03 01:48
>>421 >マリアさん
> >公会議は、人が行なうのである。
> 否。聖霊の導きの業がなければ、行えないのよ。
それは、聖人義人が行なうならそうである。
しかし、それほど聖徒がいるなら、神の宮が与えられるだろう。

> >それこそがコーランをも認める事になるのである。
> あなたは、あたしの言っている意味が理解できない。ただ、それだけよ。
>
> >土俵は同じである。
> >皆殺しているのであるが、その中で誰がより義とされるかである。
> そんなことを言っている内は、あなたも何も理解できないわ。
反論にもなっていないが。

>>423
> >>416
> >思うに、>>366のマリアさんの文章の秘儀は、聖伝の事ではなく、
> >物質に対しての、御霊入れとか神降しの類いの秘儀ではないか。
> さて、理解できないかったら、そういった推測をするわけね。
貴方が言わないからであるが。

> >>417
> >神が聖別して世につかわされた者を、神の子と言うのであるし、
> >イエス本人も、預言者たちや、聖書の言葉を守るものたちと、
> >同じ僕仲間である、と言っているのである。
> さて、それはどこの解釈かしら?キリスト教のものではないわね。
黙22章9。

441 :マリア:01/11/03 02:33
>それは、聖人義人が行なうならそうである。
>しかし、それほど聖徒がいるなら、神の宮が与えられるだろう。
カトリック教会では、そう定められていて、実際そうなのよ。
ユダヤの伝統も、ある程度引いている証ね。

イスラム教は、別の意味でそうなのだけど、
あなたはまだそれを知らないだけに過ぎない。

>反論にもなっていないが。
ええ。あたしの問いに答えられないからね。
その部分に当たる答えを出すことは、
あたしには禁じられているのよ。

しかし、それは、あなたには関係ない話だから、
あなたは、それを理解しようとしないだけよ。
理解したなら、答えが変わるはずだから、答えるわよ。

>貴方が言わないからであるが。
イスラム教は、ユダヤ教の系譜と言い張るなら、
知らないのがおかしいわね。
あなたは、真にコーランを理解するなら、
意味が理解できるかもしれないし、
逆に、全く理解できなくなるかもしれない。
今のところ、あなたが属しているのは、後者のようね。
まぁ、今はそれでいいのかも知れないけど、ね。

>黙22章9。
それは天使が言ったこと。イエズスが言ったことではないわよ。
キリストの御言葉であるという意味を、取り違えているようね。

442 :名無しさん@1周年:01/11/03 11:17
>>437 :名無しさん@1周年 :01/11/03 01:20
> 神の契約書に書いてないなら、なぜ信じるのか。
同じ質問を繰り返さないでください。
契約が、契約書である書物でなけらばならないと、なぜ信じるんですか。
その根拠が無い限り、その疑問に答える義務は発生しません。

>>419
> >>412
> それでは、質問を戻して言うが、神の御座の契約の櫃と、至聖所と、
> どちらが尊いか?
調べてみないと分かりません。私は、至聖所のように思いますが。
あなたは答えられるのですか。

> それでは、聖書を捨てる事になるが?
いいえ、違います。聖書を含めた伝承の中で、可変なものと不可変なものとがあります。
そして、聖書と今の私たちの伝承と一致する部分は不可変な信仰基準と考えています。

> であるなら、貴方は誤解していたと言うことであるが。
いいえ。あなたはトーラー以降の伝承を否定すればそうなるというだけです。
神殿の再建以降も臨在がはあったというのは考えられます。
なざなら、再建後も特別な祭儀以外は大祭司も入ることが出来なかったからです。
その臨在の垂れ幕がキリストの贖いによって除かれ、
臨在ではなく祭儀のときみに神が降臨する至聖所が成り立つようになったと考えています。
あなたが、トーラーしか認めないのはしかたがありませんが、何故旧約ではトーラーしか認めないのでしょうか。
あなたの、聖典の選び方の基準が正しいと信じる理由を教えてください。

443 :名無しさん@1周年:01/11/03 11:51
>>438 :名無しさん@1周年 :01/11/03 01:24
> 神の業を否定するのであろうか。
あなたが認める神の業と、私の認める神の業が違うだけです。

> 特に、偶像に関しては、聖書もコーランもまったく矛盾がない。
> なぜ、聖書にもコーランにも否定されている事を肯定するのか?
私たちが認める聖書とは矛盾しないからです。
コーランとは矛盾するため、コーランを認めないだけです。
幾度も言うようにコーランと聖書は矛盾しています。

> これはあなたの本音であろうか?
> 聖書は、神との契約書であり、教義を直接示す書物であるが。
聖書は契約書の一部です。教義も契約の一部です。ただ、教義という契約の全てが聖書という契約書に含めれていないというだけです。
ベン図でも描いて考えてみてください。実際、聖書においてもコーランにおいてもそれだけで教義が一意的に定まれないのは事実です。
キリスト教もイスラム教もそれぞれの教義に従って多くの分派が存在します。
教義などの伝承の保証は、神の民を継承しているかどうかです。
例えば、エフェソ公会議でネストリウス異端が発生すると同時に、正統な神の民はキリストが神であり且つ人であるという教義を決定しました。

> これは、マリアさんが秘儀なるものを語りながら、その内容は言わない
> ので、良く分からないのであり、憶測に過ぎない。
まあ、マリアさんと誤論を続けて下さい。他の人の議論なので、私も議論の意味を性格に把握できません。

> その必要はない。コーランは、モーセを証ししているからであるが。
それなら、モーセがトーラーを証ししたという記述がコーランに示されているのですか。
そうでなければ、コーランがトーラーから引用していることが立証されません。
ただ、モーセを証ししているとうだけになってしまいます。

444 :叡智(ヌース):01/11/03 14:21
グノーシスとはギリシア語で知識を意味することばだ。
だが、ギリシア哲学における知識が最初は神秘的なものから出発しながら、
だんだんとことばによって真理を伝えるという知識、
語られうるロゴスになっていったのにたいし、
グノーシス主義のめざしたものは神との合一をめざす神秘的な知識であった。
ヨーロッパの合理主義はその祖先である、
オリエントの霊と肉体の直接的な一致をめざす思想に、
つねにゆり動かされる運命をもっているのだ。

しかし、ここでも、ディオニュソス教が哲学のなかにとりこまれていったように、
グノーシス主義の影響をうけた、より合理的な哲学が成立する。
プロティノスを代表者とする新プラトン主義の哲学であった。
●プロティノス、エジプト生まれ(204〜269)新プラトン主義の哲学者。
プロティノスが使った主な概念は、
一者(ト・ヘン)、叡智(ヌース)、質料(ヒューレー)、自然(フユシス)という
ギリシア哲学伝来のものであった。

プロティノスはこの世界に根拠をあたえている神を「一者(ト・ヘン)」とよんだ。
このことばで私たちが思いだすのは、
パルメニデスの「あるもの(存在するもの)」である。
「あるもの」とは、部分をもたない「一つであるもの」であった。
つまり、「一者」とは完全無欠なものに哲学があたえた呼び名なのだ。
プロティノスはまたこの「一者」のことを「根元的な美」だと考えた。
ここでも、プロティノスの哲学はプラトンに近く、
新プラトン主義とはプラトンのうちの神秘的な要求を拡大した哲学であったともいえる。

万物は一者から生まれ、一者へ帰ろうとする。
だが、プラトンの善のイデアが私たちが到達することができないものだったように、
私たちも一者を理解することはできない。ただ近づきうるのみである。
新プラトン主義でも、強烈な現実否定の情熱と神秘主義が結婚している。
かれらの哲学の目的もまた、自己を脱して(エクスタシス)、
この一者と合一することであった。
人が思惟するのも、花が咲くのも、ただ一者に近づくためだとプロティノスは言った。

445 :叡智(ヌース):01/11/03 14:22
だが、このように彼方にある「一者」と、
この現実の世界はどのように関係しているのだろうか。
プロティノスは太陽や泉の比喩でこの両者の関係を説明した。
太陽はたえず万物に光をあたえるが、自分はいつも変わらぬ明るさで輝いている。
あるいは、泉はこんこんとわき出るが、涸れてしまうことがない。
プロティノスはこの関係を「流出」と名づけた。
これはたしかにうまい説明であり、
キリスト教の発想や近代の哲学の発想にまでヒントをあたえるものであった。
●流出
A 一者は絶えず私たちの存在に根拠をあたえている。
B しかし、いくら私たちの世界に根拠をあたえつづけても減ることがない。

もうひとつのプロティノスの思想の特徴は、
「一者」とこの世界をつなぐヌースという存在を考えたということであった。
ヌースは知性とか叡智とか訳され、
理性あるいは精神にあたえられた神秘的な名であった。
ヌースとは神の思惟によって産みだされたイデアの世界と考えるとわかりやすい。
私たちはまたヌースをロゴスであるとも聖霊であるとも考えることができる。
新プラトン主義が古代と中世をつなぐ架け橋となったのは、
ギリシア哲学の成果を宗教的なかたちでまとめあげ、
キリスト教に引きわたしたからであった。
そのなかでも、一者 − ヌース − 私たちの魂という世界の三分法は、
キリスト教の三位一体論の成立に大きな影響をあたえたとされている。
●ヨーロッパ哲学史において光は真理のメタファーである。
私たちが太陽を直接見ることはできないように、
私たちは直接一者を理解することができない。
太陽の光が散乱して地上を包む光となるように、
この世界はヌースによって包まれている。
そして私たちが光を見ることができる器官である眼をもっているように、
私たちの魂の純粋な部分はヌースと通じている。
★一者と私たちの世界をつなぐものはヌースである。
魂のうちで純粋な部分は、
この神のヌース(叡智)の世界とつながった、いわば下級のヌースなのである。
この経路を逆にたどって、私たちはエクスタシスし(自分を脱げだし)神と合一する。

446 :名無しさん@1周年:01/11/03 14:39
ダニエル10章にでてくる、ミカエルに助けられたという
神の使いってだーれだ?

447 :ヌマツダ:01/11/03 14:40
>443 :名無しさん@1周年 :01/11/03 11:51
>> 神の業を否定するのであろうか。
>あなたが認める神の業と、私の認める神の業が違うだけです。
神の業かどうかを、また聖霊の働きによるものかどうかを、見分ける基準は?
聖霊の働きである証拠や論拠を示して欲しい。

>> これはあなたの本音であろうか?
>> 聖書は、神との契約書であり、教義を直接示す書物であるが。
>聖書は契約書の一部です。教義も契約の一部です。ただ、教義という契約の全てが聖書という契約書に含めれていないというだけです。
教義は契約の一部でないでしょう。
教義の三位一体論の成立には「神の言葉」でない、
ギリシア哲学の「グノーシスの概念」が入っていますから。
ギリシア哲学を神の言葉とする公会議の決定でもあるんですか?
新プラトン主義:一者(あるもの)→ヌース(知性)→人々の魂
三位一体論:ヤハウェイ(「私はある」と言う神)→イエス(人且つ神)→人類
聖書での実例:父なる神→聖霊→聖霊によるバプテスマのキリスト者
の説明上の概念は同一ですが。

448 :旧約聖書(新改訳):01/11/03 14:56
dan-10: 1
ペルシヤの王クロスの第三年に、ベルテシャツァルと名づけられていたダニエルに、一つのことばが啓示された。そのことばは真実で、大きないくさのことであった。彼はそのことばを理解し、その幻を悟っていた。
dan-10: 2
そのころ、私、ダニエルは、三週間の喪に服していた。
dan-10: 3
満三週間、私は、ごちそうも食べず、肉もぶどう酒も口にせず、また身に油も塗らなかった。
dan-10: 4
第一の月の二十四日に、私はヒデケルという大きな川の岸にいた。
dan-10: 5
私が目を上げて、見ると、そこに、ひとりの人がいて、亜麻布の衣を着、腰にはウファズの金の帯を締めていた。
dan:10: 6
そのからだは緑柱石のようであり、その顔はいなずまのようであり、その目は燃えるたいまつのようであった。また、その腕と足は、みがきあげた青銅のようで、そのことばの声は群集の声のようであった。
dan-10: 7
この幻は、私、ダニエルひとりだけが見て、私といっしょにいた人々は、その幻を見なかったが、彼らは震え上がって逃げ隠れた。
dan-10: 8
私は、ひとり残って、この大きな幻を見たが、私は、うちから力が抜け、顔の輝きもうせ、力を失った。
dan-10: 9
私はそのことばの声を聞いた。そのことばの声を聞いたとき、私は意識を失って、うつぶせに地に倒れた。
dan-10:10
ちょうどそのとき、一つの手が私に触れ、私のひざと手をゆさぶった。
dan-10:11
それから彼は私に言った。「神に愛されている人ダニエルよ。私が今から語ることばをよくわきまえよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼が、このことばを私に語ったとき、私は震えながら立ち上がった。

449 :旧約聖書(新改訳):01/11/03 14:57
dan-10:12
彼は私に言った。「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。私が来たのは、あなたのことばのためだ。
dan-10:13
ペルシヤの国の君が二十一日間、私に向かって立っていたが、そこに、第一の君のひとり、ミカエルが私を助けに来てくれたので、私は彼をペルシヤの王たちのところに残しておき、
dan-10:14
終わりの日にあなたの民に起こることを悟らせるために来たのだ。なお、その日についての幻があるのだが。」
dan-10:15
彼が私にこのようなことを語っている間、私はうつむいていて、何も言えなかった。
dan-10:16
ちょうどそのとき、人の姿をとった者が、私のくちびるに触れた。それで、私は口を開いて話し出し、私に向かって立っていた者に言った。「わが主よ。この幻によって、私は苦痛に襲われ、力を失いました。
dan:10:17
わが主のしもべが、どうしてわが主と話せましょう。私には、もはや、力もうせてしまい、息も残っていないのです。」
dan-10:18
すると、人間のように見える者が、再び私に触れ、私を力づけて、
dan-10:19
言った。「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」彼が私にこう言ったとき、私は奮い立って言った。「わが主よ。お話しください。あなたは私を力づけてくださいましたから。」
dan-10:20
そこで、彼は言った。「私が、なぜあなたのところに来たかを知っているか。今は、ペルシヤの君と戦うために帰って行く。私が出かけると、見よ、ギリシヤの君がやって来る。
dan-10:21
しかし、真理の書に書かれていることを、あなたに知らせよう。あなたがたの君ミカエルのほかには、私とともに奮い立って、彼らに立ち向かう者はひとりもいない。

450 :名無しさん@1周年:01/11/03 15:04
別に聖句並べなくてもいいから、
だれか答えてくれよ!
ここででてくる神の使いの名前を

451 :名無しさん@1周年:01/11/03 15:16
聖伝承を持つローマ教が答えてくれるんでないの?

452 :旧約聖書(新改訳):01/11/03 15:18
num-11:24
ここでモーセは出て行って、主のことばを民に告げた。そして彼は民の長老たちのうちから七十人を集め、彼らを天幕の回りに立たせた。
num-11:25
すると主は雲の中にあって降りて来られ、モーセと語り、彼の上にある霊を取って、その七十人の長老にも与えた。その霊が彼らの上にとどまったとき、彼らは恍惚状態で預言した。しかし、それを重ねることはなかった。
num-11:26
そのとき、ふたりの者が宿営に残っていた。ひとりの名はエルダデ、もうひとりの名はメダデであった。彼らの上にも霊がとどまった。――彼らは長老として登録された者たちであったが、天幕へは出て行かなかった。――彼らは宿営の中で恍惚状態で預言した。
num-11:27
それで、ひとりの若者が走って来て、モーセに知らせて言った。「エルダデとメダデが宿営の中で恍惚状態で預言しています。」
num-11:28
若いときからモーセの従者であったヌンの子ヨシュアも答えて言った。「わが主、モーセよ。彼らをやめさせてください。」
num:11:29
しかしモーセは彼に言った。「あなたは私のためを思ってねたみを起こしているのか。主の民がみな、預言者となればよいのに。主が彼らの上にご自分の霊を与えられるとよいのに。」
num-11:30
それからモーセとイスラエルの長老たちは、宿営に戻った。

453 :旧約聖書(新改訳):01/11/03 15:18
num-12: 4
そこで、主は突然、モーセとアロンとミリヤムに、「あなたがた三人は会見の天幕の所へ出よ。」と言われたので、彼ら三人は出て行った。
num-12: 5
主は雲の柱の中にあって降りて来られ、天幕の入口に立って、アロンとミリヤムを呼ばれた。ふたりが出て行くと、
num:12: 6
仰せられた。「わたしのことばを聞け。もし、あなたがたのひとりが預言者であるなら、主であるわたしは、幻の中でその者にわたしを知らせ、夢の中でその者に語る。
num-12: 7
しかしわたしのしもべモーセとはそうではない。彼はわたしの全家を通じて忠実な者である。
num-12: 8
彼とは、わたしは口と口とで語り、明らかに語って、なぞで話すことはしない。彼はまた、主の姿を仰ぎ見ている。なぜ、あなたがたは、わたしのしもべモーセを恐れずに非難するのか。」
num-12: 9
主の怒りが彼らに向かって燃え上がり、主は去って行かれた。

454 :新約聖書(新改訳):01/11/03 15:39
acts- 1:22
すなわち、ヨハネのバプテスマから始まって、私たちを離れて天に上げられた日までの間、いつも私たちと行動をともにした者の中から、だれかひとりが、私たちとともにイエスの復活の証人とならなければなりません。」
acts- 1:23
そこで、彼らは、バルサバと呼ばれ別名をユストというヨセフと、マッテヤとのふたりを立てた。
acts- 1:24
そして、こう祈った。「すべての人の心を知っておられる主よ。
acts- 1:25
この務めと使徒職の地位を継がせるために、このふたりのうちのどちらをお選びになるか、お示しください。ユダは自分のところへ行くために脱落して行きましたから。」
acts- 1:26
そしてふたりのためにくじを引くと、くじはマッテヤに当たったので、彼は十一人の使徒たちに加えられた。
acts: 2: 1
五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
acts- 2: 2
すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
acts- 2: 3
また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
acts- 2: 4
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
acts- 2: 5
さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国から来て住んでいたが、
acts- 2: 6
この物音が起こると、大ぜいの人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、驚きあきれてしまった。

455 :新約聖書(新改訳):01/11/03 15:51
matt: 7:24
だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。
matt: 7:25
雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
1cor:10: 4
みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。
matt:16:18
ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
rev: 6:16
山や岩に向かってこう言った。「私たちの上に倒れかかって、御座にある方の御顔と小羊の怒りとから、私たちをかくまってくれ。
rom: 9:33
それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
1pet: 2: 8
「つまずきの石、妨げの岩。」なのです。彼らがつまずくのは、みことばに従わないからですが、またそうなるように定められていたのです。
luke: 8: 6
また、別の種は岩の上に落ち、生え出たが、水分がなかったので、枯れてしまった。
luke: 8:13
岩の上に落ちるとは、こういう人たちのことです。聞いたときには喜んでみことばを受け入れるが、根がないので、しばらくは信じていても、試練のときになると、身を引いてしまうのです。

456 :名無しさん@1周年:01/11/03 15:53
聖句なら、本で読むが、
並べなくても、
なにか気に召さないのですか?
それとも、はぐらかし?

457 :名無しさん@1周年:01/11/03 16:03
>446 :名無しさん@1周年 :01/11/03 14:39
>ダニエル10章にでてくる、ミカエルに助けられたという
>神の使いってだーれだ?
アバエルよ。我が輩は御霊である。名前はまだ無い。

458 :名無しさん@1周年:01/11/03 16:07
>446 :名無しさん@1周年 :01/11/03 14:39
アバエルよ。
>神の使いってだーれだ?
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1002136719/448-449
を読んでの通り、「そこに、ひとりの人がいて」と言う、
神の使いには名は書いていないぞよ。

459 :旧約聖書(新改訳):01/11/03 16:08
dan: 2:31
王さま。あなたは一つの大きな像をご覧になりました。見よ。その像は巨大で、その輝きは常ならず、それがあなたの前に立っていました。その姿は恐ろしいものでした。
dan: 2:35
そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。
dan: 3: 1
ネブカデネザル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。
dan: 3: 3
そこで太守、長官、総督、参議官、財務官、司法官、保安官、および諸州のすべての高官は、ネブカデネザル王が立てた像の奉献式に集まり、ネブカデネザルが立てた像の前に立った。
dan: 3: 7
それで、民がみな、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、および、もろもろの楽器の音を聞いたとき、諸民、諸国、諸国語の者たちは、ひれ伏して、ネブカデネザル王が立てた金の像を拝んだ。
dan: 3:12
ここに、あなたが任命してバビロン州の事務をつかさどらせたユダヤ人シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴがおります。王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝みもいたしません。」
dan: 3:15
もしあなたがたが、角笛、二管の笛、立琴、三角琴、ハープ、風笛、および、もろもろの楽器の音を聞くときに、ひれ伏して、私が造った像を拝むなら、それでよし。
しかし、もし拝まないなら、あなたがたはただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。どの神が、私の手からあなたがたを救い出せよう。」
dan: 3:18
しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」
dan:11: 8
なお、彼は彼らの神々や彼らの鋳た像、および金銀の尊い器を分捕り品としてエジプトに運び去る。彼は何年かの間、北の王から遠ざかっている。

460 :旧約聖書(新改訳):01/11/03 16:10
lev:26: 1
あなたがたは自分のために偶像を造ってはならない。また自分のために刻んだ像や石の柱を立ててはならない。あなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない。わたしがあなたがたの神、主だからである。
deut: 4:25
あなたが子を生み、孫を得、あなたがたがその地に永住し、堕落して、何かの形に刻んだ像を造り、あなたの神、主の目の前に悪を行ない、御怒りを買うようなことがあれば、
deut: 9:12
そして主は私に仰せられた。「さあ、急いでここから下れ。あなたがエジプトから連れ出したあなたの民が、堕落してしまった。彼らはわたしが命じておいた道から早くもそれて、自分たちのために鋳物の像を造った。」
1sam: 6: 5
あなたがたの腫物の像と、この地を荒らしたねずみの像を作り、イスラエルの神に栄光を帰するなら、たぶん、あなたがたと、あなたがたの神々と、この国とに下される神の手は、軽くなるでしょう。
2kgs:17:41
このようにして、これらの民は主を恐れ、同時に、彼らの刻んだ像に仕えた。その子たちも、孫たちも、その先祖たちがしたとおりに行なった。今日もそうである。
2kgs:18: 4
彼は高き所を取り除き、石の柱を打ちこわし、アシェラ像を切り倒し、モーセの作った青銅の蛇を打ち砕いた。そのころまでイスラエル人は、これに香をたいていたからである。これはネフシュタンと呼ばれていた。
2kgs:21: 3
彼は、父ヒゼキヤが打ちこわした高き所を築き直し、バアルのために祭壇を立て、イスラエルの王アハブがしたようにアシェラ像を造り、天の万象を拝み、これに仕えた。

461 :旧約聖書(新改訳):01/11/03 16:10
2chron:34: 3
彼の治世の第八年に、彼はまだ若かったが、その先祖ダビデの神に求め始め、第十二年に、ユダとエルサレムをきよめ始めて、高き所、アシェラ像、刻んだ像、および、鋳物の像を除いた。
ps:78:58
また彼らは、高き所を築いて神の怒りを引き起こし、刻んだ像で、神のねたみを引き起こした。
ps:106:20
こうして彼らは彼らの栄光を、草を食らう雄牛の像に取り替えた。
isa:30:22
あなたは、銀をかぶせた刻んだ像と、金をかぶせた鋳物の像を汚し、汚れた物としてそれをまき散らし、これに「出て行け。」と言うであろう。
isa:41:29
見よ。彼らはみな、偽りを言い、彼らのなす事はむなしい。彼らの鋳た像は風のように形もない。
isa:42: 8
わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。
isa:48: 5
わたしは、かねてからあなたに告げ、まだ起こらないうちに、聞かせたのだ。『私の偶像がこれをした。』とか、『私の彫像や鋳た像がこれを命じた。』とかあなたが言わないためだ。
isa:57: 8
あなたは、とびらと柱のうしろに、あなたを象徴する像を置いた。あなたはわたしを捨てて、裸になり、寝床に上ってそれを広げ、彼らと契りを結び、彼らの寝床を愛し、その象徴物を見た。

462 :旧約聖書(新改訳):01/11/03 16:11
jer: 8:19
聞け。遠くの地からの私の民の娘の叫び声を。「主はシオンにおられないのか。シオンの王は、その中におられないのか。」「なぜ、彼らは自分たちの刻んだ像により、外国のむなしいものによって、わたしの怒りを引き起こしたのか。」
jer:10:14
すべての人間は愚かで無知だ。すべての金細工人は、偶像のために恥を見る。その鋳た像は偽りで、その中に息がないからだ。
jer:22:28
このエコヌヤという人は、さげすまれて砕かれる像なのか。それとも、だれにも喜ばれない器なのか。なぜ、彼と、その子孫は投げ捨てられて、見も知らぬ国に投げやられるのか。
jer:50:38
その水の上には、ひでりが下り、それはかれる。ここは刻んだ像の国で、彼らは偶像の神に狂っているからだ。
jer:51:17
すべての人間は愚かで無知だ。すべての金細工人は、偶像のために恥を見る。その鋳た像は偽りで、その中に息がないからだ。
jer:51:52
「それゆえ、見よ、その日が来る。――主の御告げ。――その日、わたしは、その刻んだ像を罰する。刺された者がその全土でうめく。
ezek: 7:20
彼らはこれを、美しい飾り物として誇り、これで彼らの忌みきらうべきもの、忌むべきものの像を造った。それで、わたしはそれを、彼らにとって汚物とする。
ezek: 8:10
私がはいって行って見ると、なんと、はうものや忌むべき獣のあらゆる像や、イスラエルの家のすべての偶像が、回りの壁一面に彫られていた。
ezek:16:17
あなたは、わたしが与えた金や銀の美しい品々を取って、自分のために男の像を造り、それと姦淫を行なった。
micah: 5:13
わたしは、あなたのただ中から、刻んだ像と石の柱を断ち滅ぼす。あなたはもう、自分の手の造った物を拝まない。
hab: 2:19
ああ。木に向かって目をさませと言い、黙っている石に向かって起きろと言う者よ。それは像だ。それは金や銀をかぶせたもの。その中には何の息もない。

463 :名無しさん@1周年:01/11/03 17:33
きみたち、誰の子羊、それとも?

464 :名無しさん@1周年:01/11/03 17:35
ぼくたち、アバエルの子羊、それとも?

465 :名無しさん@1周年:01/11/03 17:39
>mark:14:36
>またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。
>しかし、わたしの願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさってください。」
>rom: 8:15
>あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、
>子としてくださる御霊を受けたのです。
>私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
>gal: 4: 6
>そして、あなたがたは子であるゆえに、
>神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、
>私たちの心に遣わしてくださいました。
だから、アバエルの子羊。

466 :マリヤ:01/11/03 17:42
あたいたち、マリアの子羊!アバエルはヨシュア側よ。

467 :ベルゼバブ:01/11/03 17:47
アバエルがなんだ!
俺は元、天使!
今は悪魔(テヘへ

468 :民族浄化:01/11/03 17:58
パレスチナ・カナン侵略は復讐でなし、「あなたの」隣人でないから、可。
deut: 6: 5
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
lev:19:18
復讐してはならない。あなたの国の人々を恨んではならない。
あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。

deut: 7: 1
あなたが、はいって行って、所有しようとしている地に、
あなたの神、主が、あなたを導き入れられるとき、
主は、多くの異邦の民、
すなわちヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、
ペリジ人、ヒビ人、およびエブス人の、
これらあなたよりも数多く、また強い七つの異邦の民を、
あなたの前から追い払われる。
deut- 7: 2
あなたの神、主は、彼らをあなたに渡し、あなたがこれを打つとき、
あなたは彼らを聖絶しなければならない。
彼らと何の契約も結んではならない。容赦してはならない。
deut- 7: 3
また、彼らと互いに縁を結んではならない。
あなたの娘を彼の息子に与えてはならない。
彼の娘をあなたの息子にめとってはならない。
deut- 7: 4
彼はあなたの息子を私から引き離すであろう。
彼らがほかの神々に仕えるなら、
主の怒りがあなたがたに向かって燃え上がり、
主はあなたをたちどころに根絶やしにしてしまわれる。
deut- 7: 5
むしろ彼らに対して、このようにしなければならない。
彼らの祭壇を打ちこわし、石の柱を打ち砕き、彼らのアシェラ像を切り倒し、
彼らの彫像を火で焼かなければならない。
deut- 7: 6
あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。
あなたの神、主は、地の面のすべての国々の民のうちから、
あなたを選んでご自分の宝の民とされた。

469 :マリア:01/11/03 18:07
>>447
>神の業かどうかを、また聖霊の働きによるものかどうかを、
>見分ける基準は?聖霊の働きである証拠や論拠を示して欲しい。
時の流れと共に聖霊は人を導く。人には、見えないものよ。
だから、人は疑うのよ。

>教義は契約の一部でないでしょう。
>教義の三位一体論の成立には「神の言葉」でない、
>ギリシア哲学の「グノーシスの概念」が入っていますから。
生命の木は、何本の柱によってなっているのかしら?
神の意思は、時に人の目から見れば矛盾するものが多い。
あたしの言ってる意味が分かるかしら?
信じたくないなら、信じないことが一番よ。
神の世界に近づこうとする者は、邪の世界にも近いところにいるのだから。

470 :ヌマツダ:01/11/03 18:19
>num:12: 6
>仰せられた。「わたしのことばを聞け。もし、あなたがたのひとりが預言者であるなら、
>主であるわたしは、幻の中でその者にわたしを知らせ、夢の中でその者に語る。
民数記の12章にあるように、主は幻や夢で語り知らせるのが、主の言葉、神の言葉です。

>jas: 3:15
>そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。
>num-11:25
>すると主は雲の中にあって降りて来られ、モーセと語り、彼の上にある霊を取って、
>その七十人の長老にも与えた。その霊が彼らの上にとどまったとき、彼らは恍惚状態で預言した。
>しかし、それを重ねることはなかった。
>acts- 2: 3
>また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
>acts- 2: 4
>すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
公会議などの聖伝は、
民数記の11章や使徒行伝の2章のように、霊が人の上にとどまって、語り出した事ではない。
七十人の長老たちが会議を催して決定した言葉が、神の言葉ではないのです。
七十人の長老たちが恍惚状態で預言した。御霊が話させてくださる言葉が、神の言葉です。

471 :名無しさん@1周年:01/11/03 18:21
>1cor:10: 4
>みな同じ御霊の飲み物を飲みました。
>というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。
>matt:16:18
>ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。
>わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
岩はローマ司教ではありません。使徒継承とローマ首位は作り話の権威です。
聖書上からは教会の頭も岩もキリストです。

>1tim: 4: 1
>しかし、御霊が明らかに言われるように、
>後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、
>信仰から離れるようになります。
キリストや聖霊によるのではなく、教皇の教令とマリヤによる予言に逸れていきました。

>rev: 9:20
>これらの災害によって殺されずに残った人々は、その手のわざを悔い改めないで、
>悪霊どもや、金、銀、銅、石、木で造られた、
>見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を拝み続け、
>ezek: 7:20
>彼らはこれを、美しい飾り物として誇り、
>これで彼らの忌みきらうべきもの、忌むべきものの像を造った。
>それで、わたしはそれを、彼らにとって汚物とする。
聖人像や天使像を拝み続け、聖堂の美しい飾り物として誇り、像を造った。
公会議は尊敬するべき像として造って、その手のわざを悔い改めませんでした。

>rev:16:14
>彼らはしるしを行なう悪霊どもの霊である。
>彼らは全世界の王たちのところに出て行く。
>万物の支配者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
アステカやインカの王、アフリカや南洋の酋長、
印度の藩王や中国の皇帝、日本の大名に出ていきました。
新教との宗教戦争に備えて、彼らを集めるためである。

472 :名無しさん@1周年:01/11/03 18:22
B人は、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められ救われるのであり、マリヤ崇敬によって救われるものではない。ガラテヤ2:16

473 :マリア:01/11/03 18:49
>七十人の長老たちが恍惚状態で預言した。
>御霊が話させてくださる言葉が、神の言葉です。
あなた方は、その意味するところを知らないだけよ。
こう言っても、理解できないでしょうけどね。

>岩はローマ司教ではありません。
>使徒継承とローマ首位は作り話の権威です。
>聖書上からは教会の頭も岩もキリストです。
ペトロの本名はシモンよ。
何故、彼はシモン・ペトロと称しているのかしら?

>キリストや聖霊によるのではなく、
>教皇の教令とマリヤによる予言に逸れていきました。
あなた方は、使徒伝承を否定して他へ行ったのだから、
カトリック教会とは、何の関係もないはずよ。

>聖人像や天使像を拝み続け、聖堂の美しい飾り物として誇り、
像を造った。
>公会議は尊敬するべき像として造って、
>その手のわざを悔い改めませんでした。
人間って、自分に都合の悪いものは、捨てるだけで物足りず、
何でも悪いものに結び付けて忌み嫌うものよ。
それをする心がどこにあるのか、理解したくないからね。

>>472マリアがいなければ、
イエズスは地上には現れなかった。
時の流れは、そういっているけど、いかが?

474 :マリア:01/11/03 19:05
>アステカやインカの王、アフリカや南洋の酋長、
>印度の藩王や中国の皇帝、日本の大名に出ていきました。
>新教との宗教戦争に備えて、彼らを集めるためである。
勝手な解釈ね。笑うわ。

475 :名無しさん@1周年:01/11/03 20:56
>>442訂正
誤:そして、聖書と今の私たちの伝承と一致する部分は不可変な信仰基準と考えています。
正:そして、聖書と今の私たちの伝承と一致しないこと以外の部分は不可変な信仰基準と考えています。

476 :名無しさん@1周年:01/11/03 22:08
>>439 :名無しさん@1周年 :01/11/03 01:34
> 神の子とは、ヨハ10章22にあるように、『父が聖別して、世につかわ
> された者』と言うなら、福音、コーランとも問題ないのである。
> しかし、『三位一体の子なる神』といった時点で、それは聖書にない
> 概念であり、コーランはそれを否定するのである。
三位一体の議論などしていません。議論をそらすのは止めてください。
コーランは何も神の子の否定に三位一体の聖一位格の神の子と限定していません。ただ神の子の存在を否定しています。
それに対し福音書の中で、神の子の存在を認めていることは、神の子の定義の如何に関わらず、コーランと矛盾することになります。
だから、俳仲律である「神の子は存在しない」∨「神の子は存在する」が常に真ですから、コーランか福音書かどちらかを選ぶべきだと言っているのです。

> コーランのみしか認めないなら、それこそコーランの否定である。
> トーラー、詩編の書物を指して、その証しであると書いてあるのですか?
> 若しくは、コーランにトーラー、詩編を聖典として選べと書いてあるのですか?
> 4女.161、五食卓.50.109、6家畜.155
> 『コーラン』岩波文庫・井筒俊彦訳
確かに、4女.161詩編、五食卓.50トーラー109福音書、6家畜.155聖典
の記述がありましたね。出典ありがとうございます。
コーランに福音書が記述されていて、福音書と一致しないのは、コーラン自身の矛盾であり、
コーランが間違いであることになります。
また、福音書には
マルコ 1:2、ルカ 3:4
イザヤ書が記述されていますが、コーランにはトーラー(律法書)のだけではなく、ハタフラー(預言書)であるイザヤ書の記述はあるのでしょうか。

477 :名無しさん@1周年:01/11/03 22:10
>>439
> 『大王の都』と言いたいところであるが、現在は、まむしの子らが
> 有しているので、いつも言うエルサレムの神殿である。
> 正確に言うなら、キリスト教こそ異邦人になるのである。
> しかし、行なう者は、誰でも御国の住人であるのだが。
答えになっていません。なぜ現在はキリスト教徒が神の民の異邦人であり、ムハンマドがトーラーの記述に反して異邦人ではないのかを訊いているのです。
ムハンマドにとって、キリスト教徒が異邦人であるのは当たり前です。
ムハンマドが預言を受けるまで、彼はどのような継承による神の民であり、その民はどのような神を礼拝してきたかを教えてください。
聖書でも、コーランでも、歴史的根拠でも信頼性のある出典なら何でも結構です。
ムハンマドが異邦人であると開き直っても、キリスト教徒が神の民の異邦人であることの否定にはなりません。

478 :名無しさん@1周年:01/11/03 22:39
>476 :名無しさん@1周年 :01/11/03 22:08
>「神の子は存在しない」∨「神の子は存在する」が常に真ですから、
>コーランか福音書かどちらかを選ぶべきだと言っているのです。
旧約聖書には、神の子の定義はないとでも?

>> しかし、『三位一体の子なる神』といった時点で、それは聖書にない
>> 概念であり、コーランはそれを否定するのである。
>三位一体の議論などしていません。議論をそらすのは止めてください。
「三位一体の子なる神は存在しない」∨「三位一体の子なる神は存在する」が常に真ですから、
コーランか福音書かどちらかを選ぶべき。と言う命題をおかしいと思わないのかね。
神の子の概念に、ギリシア哲学のグノーシス主義を受け入れた論理構造に。

>477 :名無しさん@1周年 :01/11/03 22:10
>ムハンマドが異邦人であると開き直っても、キリスト教徒が神の民の異邦人であることの否定にはなりません。
ギリシア人は、ユダヤ人からみれば、ユダヤ教に改宗しなければ、異邦人で、
改宗すれば、神の民になれるのだ。
キリスト教は、いったんユダヤ教に入ってからキリスト教徒になる訳ではないだろう。
ギリシア人やローマ人が最初からキリスト教徒になるのなら、
旧約聖書を根拠に言えば、彼らは最初から異邦人である。
旧約聖書を持ちながら、新約聖書で否定しているなら、
旧約聖書に根拠を置いて、継承による神の民とは主張できない。
だから旧約聖書を用いて、イスラム教よりキリスト教が云々を言うのは筋違い。
ユダヤ教から旧約聖書を元に、継承による神の民とは、言えることだ。
キリスト教はイエス処刑の時点で、
ユダヤ教からナザレの分派として破門されたようなものだから、
旧約聖書からいえば、木に掛けられた者は呪われる。アーメン。からして、
呪われたものであって、継承による神の民とは、言えない。

479 :名無しさん@1周年:01/11/03 22:44
>>470 :ヌマツダ :01/11/03 18:19
> 民数記の12章にあるように、主は幻や夢で語り知らせるのが、主の言葉、神の言葉です。
新約聖書では必ずしもそうではありません。

> 公会議などの聖伝は、
> 民数記の11章や使徒行伝の2章のように、霊が人の上にとどまって、語り出した事ではない。
> 七十人の長老たちが会議を催して決定した言葉が、神の言葉ではないのです。
> 七十人の長老たちが恍惚状態で預言した。御霊が話させてくださる言葉が、神の言葉です。

1コリント 14:29 預言する者の場合は、二人か三人が語り、他の者たちはそれを検討しなさい。
1コリント 14:31 皆が共に学び、皆が共に励まされるように、一人一人が皆、預言できるようにしなさい。
1ペテロ 1:10-12 この救いについては、あなたがたに与えられる恵みのことをあらかじめ語った預言者たちも、探求し、注意深く調べました。
預言者たちは、自分たちの内におられるキリストの霊が、
キリストの苦難とそれに続く栄光についてあらかじめ証しされた際、それがだれを、あるいは、どの時期を指すのか調べたのです。
彼らは、それらのことが、自分たちのためではなく、
あなたがたのためであるとの啓示を受けました。それらのことは、天から遣わされた聖霊に導かれて福音をあなたがたに告げ知らせた人たちが、
今、あなたがたに告げ知らせており、
天使たちも見て確かめたいと願っているものなのです。

信仰を互いに確かめ合い調べるのも、預言者の務めです。公会議はそういう場です。

480 :名無しさん@1周年:01/11/03 23:13
>>478
このような人に俳仲律の話しをしたのが間違っていました。
A∨¬Aは真、A∧¬Aは偽、という違いに注意してください。
何れも同値の命題ですが。
ただし、¬否定、∧且つ、∨又は、です。
あなたが、コーランと福音書と旧約聖書を同時に認めてもらってもそれはそれで構いません。
私たちは特に迷惑だとはおもいませんので、好きにしてください。

481 :ヌマツダ:01/11/03 23:34
>479 :名無しさん@1周年 :01/11/03 22:44
>信仰を互いに確かめ合い調べるのも、預言者の務めです。公会議はそういう場です。
公会議は、司教など監督職の集まりであっても、預言する者の集まりではありません。

>新約聖書でも、ペテロ・アナニヤ・パウロには、主は幻や夢で語り知らせています。
acts- 9: 4
彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」という声を聞いた。
acts- 9: 5
彼が、「主よ。あなたはどなたですか。」と言うと、お答えがあった。
「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
acts- 9: 6
立ち上がって、町にはいりなさい。
そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。」
acts: 9: 7
同行していた人たちは、声は聞こえても、だれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
acts- 9:10
さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。
主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、「主よ。ここにおります。」と答えた。
acts- 9:12
彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、
目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」
acts:10:17
ペテロが、いま見た幻はいったいどういうことだろう、と思い惑っていると、
ちょうどそのとき、コルネリオから遣わされた人たちが、シモンの家をたずね当てて、
その門口に立っていた。
acts:10:19
ペテロが幻について思い巡らしているとき、御霊が彼にこう言われた。
「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。
acts:22:17
こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、
acts-22:18
主を見たのです。主は言われました。
『急いで、早くエルサレムを離れなさい。
人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』

482 :名無しさん@1周年:01/11/03 23:39
> ギリシア人は、ユダヤ人からみれば、ユダヤ教に改宗しなければ、異邦人で、
> 改宗すれば、神の民になれるのだ。
そうですね。ユダヤ教の人々が神の民である間はね。
> キリスト教は、いったんユダヤ教に入ってからキリスト教徒になる訳ではないだろう。
> ギリシア人やローマ人が最初からキリスト教徒になるのなら、
キリスト教の教会は旧ユダヤ教において分派する前に、神の民になりました。そして、もう一方の分派は神の民ではなくなりました。それが今日のユダヤ教です。
ギリシア人やローマ人がキリスト教に改宗するころは、キリスト教の教会は神の民でした。
> 旧約聖書を根拠に言えば、彼らは最初から異邦人である。
いいえ。割礼を受けている人たちもいました。その人たちが異邦人を改宗させたと考えればいいのではないのでしょうか。
> 旧約聖書を持ちながら、新約聖書で否定しているなら、
> 旧約聖書に根拠を置いて、継承による神の民とは主張できない。
新約聖書で否定しているなどと、あなたが勝手にそう思っているだけです。
> キリスト教はイエス処刑の時点で、
> ユダヤ教からナザレの分派として破門されたようなものだから、
> 旧約聖書からいえば、木に掛けられた者は呪われる。アーメン。からして、
> 呪われたものであって、継承による神の民とは、言えない。
処刑されたころは、まだ教会は存在しませんでした。分裂もしていません。
復活後50日後に教会が発生し、そのあと安息日の問題などで分裂が生じたのです。
キリストが処刑された後も、キリストがメイアであるか否かの議論が食いちがいあっただけです。
また、キリストを破門することはできません。なぜならキリストは新しい大祭司ですから。
キリストは復活した後、立てられた教会の外のユダヤ人が破門されたことになります。

483 :名無しさん@1周年:01/11/03 23:45
>>481 :ヌマツダ :01/11/03 23:34
> 公会議は、司教など監督職の集まりであっても、預言する者の集まりではありません。
どうしてそう断定できるのですか。

> 新約聖書でも、ペテロ・アナニヤ・パウロには、主は幻や夢で語り知らせています。
公会議のときに、それまでに見た夢やら幻の記憶を呼び起こせばいいのでしょ。
それを解釈する人がいたりすれば十分信頼性があると思うけどね。

484 :名無しさん@1周年:01/11/03 23:49
>>483補足
ヌマツダさんは、聖書は夢をみながら、若しくは幻を見ながら書いたものというのですか。
そうではなくて、それを思い出して書かれたものでしょ。

485 :名無しさん@1周年:01/11/03 23:53
>>484補足
また、聖書には夢や幻の内容じゃなくて、史実をそのまま記述されている箇所もたくさんあるでしょ。
これらは、神の言葉から除かれるんですか。

486 :1コリント12章:01/11/04 00:01
12:3 ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。
12:4 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。
12:5 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。
12:6 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。
12:7 一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。
12:8 ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、
12:9 ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、
12:10 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。
 

487 :名無しさん@1周年:01/11/04 00:01
>>485補足
史実までも、幻や夢に焼き直さないと神の言葉にはならないの?
ヌマツダさんは、シャーマニズムにはまりすぎ。
幻覚きのこでも食べて、新しい宗教を作ってみてください。

488 :名無しさん@1周年:01/11/04 00:05
1コリント12章12:8 ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、
これは、いいポイントを突いていると思います。
ヌマツダさんも知恵の言葉を語るように。
幻覚きのこばっかり食べても駄目だぞ。

489 :名無しさん@1周年:01/11/04 00:07
>>488補足
1コリント12章12:8のある人が集まって公会議を開いたんですよ。
ヌマちゃん分かった。

490 :名無しさん@1周年:01/11/04 00:19
http://www.miniflo.com/bbs/test/read.cgi?bbs=psy&key=1001942906

491 :名無しさん@1周年:01/11/04 00:39
>>441 >マリアさん
> >それは、聖人義人が行なうならそうである。
> >しかし、それほど聖徒がいるなら、神の宮が与えられるだろう。
> カトリック教会では、そう定められていて、実際そうなのよ。
> ユダヤの伝統も、ある程度引いている証ね。
法王は、数々の過ちを謝罪し、神の義を示した。
なぜ、理解しないのか?

> >反論にもなっていないが。
> ええ。あたしの問いに答えられないからね。
> その部分に当たる答えを出すことは、
> あたしには禁じられているのよ。
貴方の問いに答えて、『その答えは正であり、否である。』と言われても、
どうする事も出来ないが。

> >貴方が言わないからであるが。
> イスラム教は、ユダヤ教の系譜と言い張るなら、
> 知らないのがおかしいわね。
秘儀は隠されているのであるし、貴方は言えないのなら、
誰が分かるのであろうか?

> >黙22章9。
> それは天使が言ったこと。イエズスが言ったことではないわよ。
> キリストの御言葉であるという意味を、取り違えているようね。
黙22章16で、『わたし、イエス』と書いてあるが。

492 :名無しさん@1周年:01/11/04 00:46
>>442
> >>437 :名無しさん@1周年 :01/11/03 01:20
> > 神の契約書に書いてないなら、なぜ信じるのか。
> 同じ質問を繰り返さないでください。
> 契約が、契約書である書物でなけらばならないと、なぜ信じるんですか。
> その根拠が無い限り、その疑問に答える義務は発生しません。
それは、『神との契約が、聖書でなければならないと、
なぜ信じるんですか。』という事になってしまうが。

> >>419
> > >>412
> > それでは、質問を戻して言うが、神の御座の契約の櫃と、至聖所と、
> > どちらが尊いか?
> 調べてみないと分かりません。私は、至聖所のように思いますが。
> あなたは答えられるのですか。
当然、契約の櫃であろう。そこは神の御座であるからである。
至聖所は、契約の櫃を置く場所なのである。

> > それでは、聖書を捨てる事になるが?
> いいえ、違います。聖書を含めた伝承の中で、可変なものと不可変なものとがあります。
> そして、聖書と今の私たちの伝承と一致しないこと以外の部分は不可変な信仰基準と
> 考えています
そして、問題は、聖書と伝承が矛盾するところである。
貴方の信仰が試されているのである。どちらを信じるのか?

> あなたが、トーラーしか認めないのはしかたがありませんが、何故旧約では
> トーラーしか認めないのでしょうか。
> あなたの、聖典の選び方の基準が正しいと信じる理由を教えてください。
わたしは、旧約はトーラーしか認めないとは言っていない。
特に重要だと思っているのだが。

493 :名無しさん@1周年:01/11/04 00:54
>>443
> >>438 :名無しさん@1周年 :01/11/03 01:24
> > 神の業を否定するのであろうか。
> あなたが認める神の業と、私の認める神の業が違うだけです。
神の宮など、人が決めることは出来ない。

> > 特に、偶像に関しては、聖書もコーランもまったく矛盾がない。
> > なぜ、聖書にもコーランにも否定されている事を肯定するのか?
> 私たちが認める聖書とは矛盾しないからです。
聖書に、偶像を作って崇敬せよ、と書いてあるのであろうか?

> 教義などの伝承の保証は、神の民を継承しているかどうかです。
> 例えば、エフェソ公会議でネストリウス異端が発生すると同時に、正統な神の民は
> キリストが神であり且つ人であるという教義を決定しました。
数々の過ちを犯したことを、法王は謝罪して神の義を示した。
そして、神の民になるのである。貴方は、どうするのか?

> > その必要はない。コーランは、モーセを証ししているからであるが。
> それなら、モーセがトーラーを証ししたという記述がコーランに示されているのですか。

 『聖クルアーン』 日本ムスリム協会
6. 家畜章
 154. 以前,われはムーサー(モーセ)に啓典を授けた。これは善行をする者に
 対する完全,無欠の啓典であり,凡てのことを詳細に解明し,導きであり,
 慈悲である。恐らくかれらは,主との会見を信じるであろう。

494 :名無しさん@1周年:01/11/04 01:00
>>476
> 三位一体の議論などしていません。議論をそらすのは止めてください。
これは、貴方が>>380で言い始めたことであるが。

> コーランは何も神の子の否定に三位一体の聖一位格の神の子と限定していません。
> ただ神の子の存在を否定しています。
 『聖クルアーン』 日本ムスリム協会
4. 婦人章
 マルヤム(マリア)の子マスィーフ・イーサー(メシア・イエス)は,只アッラーの
 使徒である。マルヤムに授けられたかれの御言葉であり,かれからの霊である。
 だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。「三(位)」(三位一体の神の子)
 などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。
 誠にアッラーは唯―の神であられる。かれに讃えあれ。かれに,何で子があろう。
 天にあり,地にある凡てのものは,アッラーの有である。管理者としてアッラーは
 万全であられる。

> イザヤ書が記述されていますが、コーランにはトーラー(律法書)のだけではなく、
> ハタフラー(預言書)であるイザヤ書の記述はあるのでしょうか。
探したが、見当たらなかった。トーラー、福音、詩篇より重要視
していないようだ。

> >>439
> > 『大王の都』と言いたいところであるが、現在は、まむしの子らが
> > 有しているので、いつも言うエルサレムの神殿である。
> > 正確に言うなら、キリスト教こそ異邦人になるのである。
> > しかし、行なう者は、誰でも御国の住人であるのだが。
> 答えになっていません。なぜ現在はキリスト教徒が神の民の異邦人であり、
> ムハンマドがトーラーの記述に反して異邦人ではないのかを訊いているのです。
神の宮を持つなら、それは、神の民に近いのである。
ムハンマドは、トーラーの記述に反していないが。

> ムハンマドにとって、キリスト教徒が異邦人であるのは当たり前です。
コーランに沿って言うなら、神に帰依する者は、全て神の民である。

495 :名無しさん@1周年:01/11/04 01:14
>>492 :名無しさん@1周年 :01/11/04 00:46
> それは、『神との契約が、聖書でなければならないと、
> なぜ信じるんですか。』という事になってしまうが。
そのとおりだと思います。
1+1=2であると、なぜ認めなければならいのという問いと同じ。
そういう、根拠の無い命題を、自明な命題といいます。
そういう命題が存在するのはそれはそれで仕方がないのです。

> 当然、契約の櫃であろう。そこは神の御座であるからである。
> 至聖所は、契約の櫃を置く場所なのである。
それなら、福音書にある神殿の垂れ幕は何なのでしょうか。
その垂れ幕の奥が至聖所になりますね。臨在が成り立つかどうかは知りませんが。

> > > それでは、聖書を捨てる事になるが?
> > いいえ、違います。聖書を含めた伝承の中で、可変なものと不可変なものとがあります。
> > そして、聖書と今の私たちの伝承と一致しないこと以外の部分は不可変な信仰基準と
> > 考えています
> そして、問題は、聖書と伝承が矛盾するところである。
いいえ違います。伝承自体が不可変であると仮定すると、聖書という伝承自体が矛盾していることになります。
何故なら、聖書の中の伝承も変わり続けているからです。伝承自体は変化しうると仮定すれば矛盾は発生しません。

> 貴方の信仰が試されているのである。どちらを信じるのか?
従って、その仮定を信じます。

> あなたが、トーラーしか認めないのはしかたがありませんが、何故旧約では

> わたしは、旧約はトーラーしか認めないとは言っていない。
それならエズラ記は何故認めないのですか。その基準とは何ですか?

496 :名無しさん@1周年:01/11/04 01:49
494 :名無しさん@1周年 :01/11/04 01:00
>>476
> > 三位一体の議論などしていません。議論をそらすのは止めてください。
> これは、貴方が>>380で言い始めたことであるが。
いいえ。それは別の話です。>>380で採りあげた三位一体は、神の定義がイスラム教とキリスト教と異なるという議論のためです。
今は、教典において「神の子の存在」を認めているか否かの議論をしているのです。
三位一体はこの議論では直接関係ありません。

> コーランは何も神の子の否定に三位一体の聖一位格の神の子と限定していません。
> ただ神の子の存在を否定しています。
「「三(位)」(三位一体の神の子) などと言ってはならない。止めなさい。」
とありますが、「かれに,何で子があろう。」が理由になっています。
神の子が存在しないから、三位一体の神の子が存在しないのですから、
三位一体の聖一位格の神の子と限定した否定ではないですね。

> 探したが、見当たらなかった。トーラー、福音、詩篇より重要視
> していないようだ。
そのように、聖書の中には重視されない伝承が存在するのです。
(注)
コーランでは、たまたまイザヤ書であったというだけで、私たちには関係ないですよ。
私たちは私たちの持っている聖書から、重視する伝承が決まってますから。

> 神の宮を持つなら、それは、神の民に近いのである。
> ムハンマドは、トーラーの記述に反していないが。
現在、あなたが認めるところの神の宮を持っているのはイスラム教徒ですよね。
それなら、そのイスラム教徒のようにコーランのみを正典とするべきです。

> コーランに沿って言うなら、神に帰依する者は、全て神の民である。
あくまで、コーランに沿って言うならですよね。
あなたがそう考えるのは自由だとは思いますが。

497 :++++:01/11/04 01:58
>>447
ヌマツダ君
>ギリシア哲学を神の言葉とする公会議の決定でもあるんですか?

公会議の議論の中で信仰の内容をはっきりと説明するため、ギリシャ哲学の概念を
用いたのは本当です。しかし、それは手段でしかありません。実際に、テキスト
読んでますか? (日本語訳でいいですから)。
あなたは、「キリスト教が哲学を使った」ということに過剰に反応して
いるに過ぎません。無知な原理主義者が良くやることです。
「ギリシア哲学を神の言葉とする」なんて誤解がどっから出て来るんでしょうか。

まして信者でもないあなたにとって「神の言葉」なんてどうでもいいことでしょう。
ここに、どうでもいい戯れ言書くくらいなら、少し時間使って勉強したら
いいんじゃないですか?
その方が自他共に益となるでしょう。

言葉が過ぎたとは思いますが、あなたの書き込みを見ていると、ホントに嫌に
なります。知性や教養って何なのだろうと考えさせられます。

498 :マリア:01/11/04 02:50
>法王は、数々の過ちを謝罪し、神の義を示した。
>なぜ、理解しないのか?
教会内に教義の運用を狭義に捉え、
人を迫害したカトリック信者がいたことを謝っただけよ。

>貴方の問いに答えて、『その答えは正であり、否である。』
>と言われても、どうする事も出来ないが。
理解すれば、あたしはちゃんと答えるわよ。
あなたは、理解することを恐れてしようとしないでしょ?
だから、答えられないのよ。

>秘儀は隠されているのであるし、貴方は言えないのなら、
>誰が分かるのであろうか?
近づきたいと思えば、近づくことができるわ。
理解が出来ないなら、近づくことはおろか、
二度と人前に立つことは許されないわ。

>黙22章16で、『わたし、イエス』と書いてあるが。
それは、別の言葉よ。一緒にすると、ダメよ。
あのね、その前の話はヨハネが天使を拝もうとするから
天使は自分を拝むなと言ったのよ。

そして、16章のこの話しは全然別物の話しなのよ。
その後の記述が意味しているわ。
イエズスが神である正当性もここに明らかにされているわ。

何故、イエズスは天使を「私の使い」と言い、
主なる神はイエズスでなく、天使を送らねばならなかったのか?
カトリックやオーソドックスの信徒に、
天使や聖人達の取次ぎに概念が生まれるは、
むしろ正統性があるわけよ。

それをいけないというのが、このスレッドの作者。
神の意志は、天使にもたらせられるということを
肯定しながら否定しているわけよ。
そして、聖人は聖なることを実践し、
人のために働いたことも肯定しながら否定しているわけ。

499 :名無しさん@1周年:01/11/04 16:49
>>496補足
>>494
> 神の宮を持つなら、それは、神の民に近いのである。
> ムハンマドは、トーラーの記述に反していないが。
コーランが認めている福音書は、こう記されています。
ルカ 21:24 人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」
要するに、自分達を異邦人と認めているのです。

>>495補足
> いいえ違います。伝承自体が不可変であると仮定すると、聖書という伝承自体が矛盾していることになります。
例えばこのような例があります。
出エジプト 20:25-26 しかし、もしわたしのために石の祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。のみを当てると、石が汚されるからである。
あなたは、階段を用いて祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所があらわにならないためである。
これに忠実に造られた神殿の跡がいまでも残っているそうです。
エゼキエル 43:17 これを支える中段の四辺は長さ十四アンマ、幅十四アンマである。その周囲の縁は高さ二分の一アンマ、周りの溝の幅は一アンマである。祭壇の階段は東に向いている。

>>482補足
> > キリスト教はイエス処刑の時点で、
> > ユダヤ教からナザレの分派として破門されたようなものだから、
> 処刑されたころは、まだ教会は存在しませんでした。分裂もしていません。
ヨハネ福  18:31 ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは、「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。
とあるように、ユダヤ人自身ではなく、あくまでローマの遣いである総督ピラトに裁かせたのです。
十字架刑は、あくまでローマ帝国の処刑方法で、ユダヤ人にない処刑方法です。
ユダヤ人は破門のためにキリストを十字架に引き渡したのではなく、ユダヤの王と名乗ったローマ帝国の反逆者として引き渡したのです。
ですから、十字架の罪状書は「ユダヤの王、ナザレのイエス」となっています。

500 :名無しさん@1周年:01/11/04 17:01
>>493
> 神の宮など、人が決めることは出来ない。
でうから、そのエルサレムを踏み荒らしたアラビア人は自分が異邦人であることを証ししていることになるのです。

> 聖書に、偶像を作って崇敬せよ、と書いてあるのであろうか?
書いていません。ですから、聖像を崇敬しています。

> 数々の過ちを犯したことを、法王は謝罪して神の義を示した。
> そして、神の民になるのである。貴方は、どうするのか?
意味が判りません。
神の民がメンバーが罪を犯すというのはしばしばあることでそれは認めます。それを我々は毒麦と言っています。
しかし、神の民である教会の礎である岩、即ち教理に誤りがあるとは認めません。
>>389をお読みください。

501 :名無しさん@1周年:01/11/04 20:23
>>359
ヌマツダさん。
幾らあなたが胡散臭いと思って神経質に考えるのは結構だけど、
それを他人に振り撒くのは止めてください。
あなたがキリスト教を胡散臭いと思うのは仕方がありません。
胡散臭いと思う人がいるから、我々には窘逐(迫害)される歴史があったのです。

義の為に窘逐せらるる者は福なり,天国は彼等の有なればな
り。
人我の為に爾等を詬り,窘逐し,爾等の事を譌りて諸の悪し
き言を言わん時は,爾等福なり,喜び楽めよ,天には爾等の
賞多ければなり。

502 :ヌマツダ:01/11/04 20:53
>501さんへ、地の塩と成って下さい。

マタイ: 5:10
義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
5:11
わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、
また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。
5:12
喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。
あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。
(つづき)
マタイ- 5:13
あなたがたは、地の塩です。
もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。
もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。

503 :とおりすがり:01/11/04 22:15
マリア崇拝がイカンとか言っているけど、そもそもキリスト教自体が、
多神教的性格を持っているわけよ。
偶像崇拝を禁じていながら、十字架上のイエスを崇拝しているわけでね。
ま〜〜、要するに大目に見てくれということだ。

504 :名無しさん@1周年:01/11/05 01:03
>>495
> > それは、『神との契約が、聖書でなければならないと、
> > なぜ信じるんですか。』という事になってしまうが。
> そのとおりだと思います。
それでは、聖書を否定されるのか?

> > 当然、契約の櫃であろう。そこは神の御座であるからである。
> > 至聖所は、契約の櫃を置く場所なのである。
> それなら、福音書にある神殿の垂れ幕は何なのでしょうか。
> その垂れ幕の奥が至聖所になりますね。臨在が成り立つかどうかは知りませんが。
その垂れ幕は、聖所と至聖所を分けるものであると書いてある。
臨在は、十戒の石板を収めた契約の櫃である、と書いてあるので、
櫃が無いなら成り立たないと考えられる。

> いいえ違います。伝承自体が不可変であると仮定すると、
> 聖書という伝承自体が矛盾していることになります。
> 何故なら、聖書の中の伝承も変わり続けているからです。
> 伝承自体は変化しうると仮定すれば矛盾は発生しません。
別に否定はしないが、偶像を肯定する理由にもならないが。

> > わたしは、旧約はトーラーしか認めないとは言っていない。
> それならエズラ記は何故認めないのですか。その基準とは何ですか?
そのような事は、一言も言っていないが。
まだまだ、私は勉強不足なので否定する根拠すら、存在しなのであるが。

505 :名無しさん@1周年:01/11/05 01:08
>>496
> > コーランは何も神の子の否定に三位一体の聖一位格の神の子と限定していません。
> > ただ神の子の存在を否定しています。
> 「「三(位)」(三位一体の神の子) などと言ってはならない。止めなさい。」
> とありますが、「かれに,何で子があろう。」が理由になっています。
> 神の子が存在しないから、三位一体の神の子が存在しないのですから、
> 三位一体の聖一位格の神の子と限定した否定ではないですね。
三位一体の神の子と限定している。神の子を聖別して使わされた者とし、
メシア、生ける神の子というなら、肯定している。

> > 探したが、見当たらなかった。トーラー、福音、詩篇より重要視
> > していないようだ。
> そのように、聖書の中には重視されない伝承が存在するのです。
それは、仕方が無いと思う。

> > 神の宮を持つなら、それは、神の民に近いのである。
> > ムハンマドは、トーラーの記述に反していないが。
> 現在、あなたが認めるところの神の宮を持っているのはイスラム教徒ですよね。
> それなら、そのイスラム教徒のようにコーランのみを正典とするべきです。
コーランは、トーラーは完全・無欠の啓典である、
とまで言いきっているのであるが。

> > コーランに沿って言うなら、神に帰依する者は、全て神の民である。
> あくまで、コーランに沿って言うならですよね。
> あなたがそう考えるのは自由だとは思いますが。
これは、コーランに書いてある事であるが。

506 :名無しさん@1周年:01/11/05 01:15
>>499
> >>496補足
> >>494
> > 神の宮を持つなら、それは、神の民に近いのである。
> > ムハンマドは、トーラーの記述に反していないが。
> コーランが認めている福音書は、こう記されています。
> ルカ 21:24 人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。
> 異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」
> 要するに、自分達を異邦人と認めているのです。
これは、終末の予兆と再臨についてだが、その予兆が現れて、
もう2000年も経ってしまったのであろうか?

>>500
> >>493
> > 神の宮など、人が決めることは出来ない。
> でうから、そのエルサレムを踏み荒らしたアラビア人は自分が
> 異邦人であることを証ししていることになるのです。
上に書いたように、終末の予兆が約2000年も前にあったのなら、
そうなるであろう。しかし、イエスは実のならないイチジクに、
肥料をやらなかったのであろうか?

> > 聖書に、偶像を作って崇敬せよ、と書いてあるのであろうか?
> 書いていません。ですから、聖像を崇敬しています。
それでは、聖書に聖像を作って崇敬せよ、と書いてあるのであろうか?

> 神の民がメンバーが罪を犯すというのはしばしばあることでそれは認めます。
> それを我々は毒麦と言っています。
> しかし、神の民である教会の礎である岩、即ち教理に誤りがあるとは認めません。
教理には、毒麦は蒔かれていないのであろうか?

それから、お願いしたい事があるが、ちゃんと文章を完全にしてから、
書きこんでいただけないか。非常にレスが付けにくいのであるが。

507 :名無しさん@1周年:01/11/05 01:23
>>498 >マリアさん
> 教会内に教義の運用を狭義に捉え、
> 人を迫害したカトリック信者がいたことを謝っただけよ。
聖霊の木から、殺し屋の実が成ったのであろうか?

> >貴方の問いに答えて、『その答えは正であり、否である。』
> >と言われても、どうする事も出来ないが。
> 理解すれば、あたしはちゃんと答えるわよ。
> あなたは、理解することを恐れてしようとしないでしょ?
> だから、答えられないのよ。
貴方は、答えを出して、それを批判される事を恐れているのでは
ないだろうか?だから、答えを出さないのではないか?

> >秘儀は隠されているのであるし、貴方は言えないのなら、
> >誰が分かるのであろうか?
> 近づきたいと思えば、近づくことができるわ。
> 理解が出来ないなら、近づくことはおろか、
> 二度と人前に立つことは許されないわ。
秘儀を知らなくても天国に入れるが。御国に入る事こそ、
最大の秘儀ではないのであろうか。

> そして、16章のこの話しは全然別物の話しなのよ。
> その後の記述が意味しているわ。
> イエズスが神である正当性もここに明らかにされているわ。
黙22章10を挟んだ前後の文章が、同じ天使によるものではない、
と言われるのであろうか?もしそう思うなら、ここにいる他の方々に、
伺わなくてはならないが。

> 何故、イエズスは天使を「私の使い」と言い、
> 主なる神はイエズスでなく、天使を送らねばならなかったのか?
イエスはその時まで、神の右に座しておかねばならない、
と書いてあるが。

> それをいけないというのが、このスレッドの作者。
> 神の意志は、天使にもたらせられるということを
> 肯定しながら否定しているわけよ。
> そして、聖人は聖なることを実践し、
> 人のために働いたことも肯定しながら否定しているわけ。
このスレは、偶像を否定していると思われるが。

508 :名無しさん@1周年:01/11/05 01:29
>>503 >とおりすがり
> 偶像崇拝を禁じていながら、十字架上のイエスを崇拝しているわけでね。
> ま〜〜、要するに大目に見てくれということだ。
貴方は正直だ!
それゆえに、他の人より義とされるだろう。
偶像と浮気せず、神一筋なら、さらに良い。

509 :マリア:01/11/05 04:10
>聖霊の木から、殺し屋の実が成ったのであろうか?
人とは心を惑わしやすいもの。
原罪があるのだから、仕方がないことよ。

>貴方は、答えを出して、それを批判される事を恐れているのでは
>ないだろうか?だから、答えを出さないのではないか?
それは無いわよ。こういうしきたりだからよ。
しかし、あなたはそれを理解できないでしょう。
そこに答えが隠されているの。

>秘儀を知らなくても天国に入れるが。御国に入る事こそ、
>最大の秘儀ではないのであろうか。
>あら、一部正解だけど、知らなくてもは間違えているわね。
>聖なる事をする人は、みんな知らないようで知っていることよ。
>黙22章10を挟んだ前後の文章が、同じ天使によるものではない、
>と言われるのであろうか?もしそう思うなら、ここにいる他の方々に、
>伺わなくてはならないが。
ハハハ。まさか!
あのね、これには天使を拝もうとしたと書いてあるでしょ。
言葉を伝えるのは天使。その天使をヨハネは拝もうとしたのよ。
だから、天使は私を拝むなと言ったわけよ。
天使本人がヨハネに言っている言葉と、イエズスの言葉を
伝えている部分を同じに見てはならないわ。

>イエスはその時まで、神の右に座しておかねばならない、
>と書いてあるが。
その意味も、あなた達の解釈とは全く違うのよ。
でも、キリスト教の捉えは、この点については正確に捉えているわね。
秘儀の遺産が、ここにも現れているわ。

>このスレは、偶像を否定していると思われるが。
あなた、見る目が無いわね(笑)精神的に疲れた人の言葉よ。
互いに争わせるための。

510 :マリア:01/11/05 04:53
ちょっと、伊勢へ行く前に、横取りするわね。
>コーランは、トーラーは完全・無欠の啓典である、
>とまで言いきっているのであるが。
それはそれでいいのよ。ムスリムのためのものだから。

>これは、コーランに書いてある事であるが。
それも、ムスリムのためのものだから、それはそれでいいのよ。

511 :マリア:01/11/05 05:04
コーランは、ムスリムのためのもの。
ユダヤ教徒のためのものでもなく、
キリスト教徒のためのものでもない。

だから、そんなものを持っている民は、
本来はエルサレムの神殿を管理することは出来ないの。
まだ、異教に占領された状態であるわけ。
もう一つの奥義が、全ての天啓の民に理解されるまではね。

案外、何でもないものだったりするわよ。
秘儀で示される伝承が、全ての人が理解するようになったら、
その時は訪れるわよ。
でも、それまでは、それは秘儀として封印されているの。

512 :名無しさん@1周年:01/11/05 11:49
>>502 :ヌマツダ :01/11/04 20:53
> あなたがたは、地の塩です。
> もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。
> もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
それなら、あなたも地の塩なるためにカトリック信者になってください。

513 :名無しさん@1周年:01/11/05 12:04
>>504 :名無しさん@1周年 :01/11/05 01:03
> > > それは、『神との契約が、聖書でなければならないと、
> > > なぜ信じるんですか。』という事になってしまうが。
> > そのとおりだと思います。
> それでは、聖書を否定されるのか?
あなたは、日本語がわからないのですか?私は、
> 1+1=2であると、なぜ認めなければならいのという問いと同じ。
> そういう、根拠の無い命題を、自明な命題といいます。
> そういう命題が存在するのはそれはそれで仕方がないのです。
と言いました。聖書を信じる、1+1=2を信じる、ユークリッド幾何学の第五公準に矛盾がないと信じる、
のと同様に聖伝のような自明なことがらを信じると言いたかったのです。

> その垂れ幕は、聖所と至聖所を分けるものであると書いてある。
> 臨在は、十戒の石板を収めた契約の櫃である、と書いてあるので、
> 櫃が無いなら成り立たないと考えられる。
それなら、新約聖書に出てくる神殿の垂れ幕は臨在が成り立つと考えるのですね。

> > いいえ違います。伝承自体が不可変であると仮定すると、
> > 聖書という伝承自体が矛盾していることになります。
> > 何故なら、聖書の中の伝承も変わり続けているからです。
> > 伝承自体は変化しうると仮定すれば矛盾は発生しません。
> 別に否定はしないが、偶像を肯定する理由にもならないが。
ですから、偶像は肯定していません。

> そのような事は、一言も言っていないが。
> まだまだ、私は勉強不足なので否定する根拠すら、存在しなのであるが。
それなら、あなたには疑問の動機すらないことになりますね。
このような議論はあなたから引くべきです。

514 :名無しさん@1周年:01/11/05 12:18
>>505 :名無しさん@1周年 :01/11/05 01:08
> 三位一体の神の子と限定している。神の子を聖別して使わされた者とし、
> メシア、生ける神の子というなら、肯定している。
それが言えるのは、神の子が聖一位格の神ではないという命題のみが、コーランに書かれていればの話です。
「かれに,何で子があろう。」と書かれている時点で、ただ神の子の存在を否定している他の余地がありません。

> > そのように、聖書の中には重視されない伝承が存在するのです。
> それは、仕方が無いと思う。
あわたしたちも、我々の聖書に対して同じ考えを持っています。
我々の聖書の伝承の一部である限りそれが成り立つのです。
頼りとなるのは、わたしたち神の民すなわち教会の継承です。私たちは、それを一、聖、公、使徒継承の教会という言葉で表します。

> コーランは、トーラーは完全・無欠の啓典である、
> とまで言いきっているのであるが。
なぜ、そう信じるのですか?

> これは、コーランに書いてある事であるが。
なぜ、コーランに書かれてあることが正しいと信じるのですか?

515 :名無しさん@1周年:01/11/05 12:30
>>506 :名無しさん@1周年 :01/11/05 01:15
>>499
> > 要するに、自分達を異邦人と認めているのです。
> これは、終末の予兆と再臨についてだが、その予兆が現れて、

> もう2000年も経ってしまったのであろうか?
> 上に書いたように、終末の予兆が約2000年も前にあったのなら、
> そうなるであろう。しかし、イエスは実のならないイチジクに、
> 肥料をやらなかったのであろうか?

そのようなことを言っても、あなた達が異邦人であることの否定にはなりません。


> それでは、聖書に聖像を作って崇敬せよ、と書いてあるのであろうか?
伝承にはあります。聖書の伝承の一部です。

> 教理には、毒麦は蒔かれていないのであろうか?
蒔かれてはいません。毒麦は人を対象にします。

> それから、お願いしたい事があるが、ちゃんと文章を完全にしてから、
> 書きこんでいただけないか。非常にレスが付けにくいのであるが。
そう思うなら、あなたから引き下がって貰えれば結構です。
あなたの信条ですから、本来ならあなた自身で考えればいいことです。
私も、ただあなたの疑問に出来るだけ答えているだけですので、
多少の誤字脱字、文法の誤りはご了承ください。

516 :名無しさん@1周年:01/11/05 12:42
しかし、このスレで判ってきたことは、もしムスリムと論駁したときは、
最終的には教会の使徒継承を根拠に挙げるしか無いってことだね。
プロテスタントなんて簡単に吹っ飛んでしまいます。

517 :名無しさん@1周年:01/11/05 13:34
>>512補足
山上の垂訓は、イエスが公生活で最初に述べられた聖句です。それは、当時の神の民ユダヤ人のための説教でした。
キリストが、まずは神の民のために来られたことを示す箇所があります。
マタイ 15:26-27 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、
女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
神の民以外の異邦人はパン屑を貰うことはあっても、キリストには子たちとは呼ばれないのです。
ですから、地の塩になる為には、まず神の民になることが必要条件となります。
神の民にならずして、地の塩になることはありえないのです。

518 :名無しさん@1周年:01/11/05 13:38
>>515訂正
誤:伝承にはあります。聖書の伝承の一部です。
正:伝承にはあります。聖書の伝承の一部です。

519 :名無しさん@1周年:01/11/05 13:43
>>515また訂正
誤:伝承にはあります。聖書の伝承の一部です。
正:伝承にはあります。聖書は伝承の一部です。

520 :名無しさん@1周年:01/11/05 14:01
>>513補足
> と言いました。聖書を信じる、1+1=2を信じる、ユークリッド幾何学の第五公準に矛盾がないと信じる、
ユークリッド幾何学の第五公準とは、
直線Aと、直線A上にない点Bがあるとする。
点Bを通り、且つ直線Aと交わらない直線Cはただ1つ存在する。

ちなみに、
点Bを通り、且つ直線Aと交わらない直線Cは存在しない。(楕円幾何の公準)
点Bを通り、且つ直線Aと交わらない直線Cは複数存在する。(双曲幾何の公準)
となるような公準が成り立つ幾何学の定義のしかたを非ユークリッド幾何学といいます。
それぞれの公準の定め方において、矛盾はまだ見つかっていません。
また、矛盾が無いことも証明されていません。

521 :名無しさん@1周年:01/11/05 17:02
>>501補足
「窘逐」は窘(たしな)めると、逐(お)うという漢字から成り立つ熟語ですね。
ギリシア語の「迫害」という語彙は、逐い駆けるとう意味から由来するそうな。
彼らは何処までも逐い駆けてきますね。

522 :名無しさん@1周年:01/11/05 17:42
>>513補足
> > その垂れ幕は、聖所と至聖所を分けるものであると書いてある。
> > 臨在は、十戒の石板を収めた契約の櫃である、と書いてあるので、
> > 櫃が無いなら成り立たないと考えられる。
> それなら、新約聖書に出てくる神殿の垂れ幕は臨在が成り立つと考えるのですね。
若しくは、臨在のない至聖所を認められるのでしょうか。
何れにしろ、イエスの時代まで至聖所が存在することには変わりありません。
もし、エズラ記を認めてしまえば、モーセが造った契約の櫃のない至聖所を認めることになります。
あなたは、コーランに従ってエズラ記を認めませんが、私たちの伝承ではエズラ記や列王記下を認めています。
あなたがコーランを信仰基準するというのでしたら、何故そう信じるのでしょうか。
そのような問いは、私たちに何故聖伝を信じるのかという、自明な事柄にたいする問いと全く同じです。
このような議論はまったく鼬ごっこではありませんか。
そうやって、我々を窘逐する意味があるのでしょうか。

523 :名無しさん@1周年:01/11/05 19:00
>>520補足
こうじゅん 【公準】
〔postulate〕
(1)〔哲〕「要請(ようせい)(2)」に同じ。
(2)〔数〕 一般には、証明はされないが、証明の前提として要請される基礎的な命題のこと。ユークリッド幾何学においては、幾何学的作図に関する一群の基礎命題を指す。現在では公理と同義であり、両者は区別されない。

ようせい えう― 【要請】
(名)スル
(1)必要なこととして、実現を願い求めること。乞い求めること。「援助を―する」
(2)〔哲〕〔(ドイツ) Postulat〕公理ほど自明ではないが、証明なしに原理として立てられる命題。特にカントは、無条件的に妥当する道徳命令の根拠である人間の自由・魂の不死・神の存在を理論理性では証明しえないとしながらも、実践理性の要請としては確保した。公準。

聖伝も、私たちにとって公準のようなもので、聖書や1+1=2、0で割る事の禁止、幾何学の公準にように、
特に論理的に証明される事柄ではないのですね。それを「自明」とう言葉で表現しました。
分っるかなぁ?分かんねぇだろうなぁ。いぇ〜い。

524 :名無しさん@1周年:01/11/05 21:47
>>513補足
> のと同様に聖伝のような自明なことがらを信じると言いたかったのです。
ですから、「自明」というのは厳密にいえば近似的表現になりますね。
別に哲学的概念を導入しようとは思いませんが、公準を語彙として用いるとすると、
聖伝は私たちが認める公準であるということです。
聖書や1+1=2、0で割る事の禁止、幾何学の公準と同じく、
その根拠を求めても意義がありません。
このような議論はいい加減にやめてください。

525 :名無しさん@1周年:01/11/05 22:32
>>524補足
ロゴスの立場から言えば、聖伝に対する根拠は神秘であるというべきではないでしょうか。

526 :名無しさん@1周年:01/11/05 23:02
だから、あなたはあなたで、「コーラン、トーラー、詩編、福音書のみを信仰基準とする。」
という公準を定めて、その公準を信仰とする宗教団体を興せばいいんですね。
そして、「コーランのみが信仰基準とする。」ムスリムが踏み荒らしている神の宮を、
あなたが興した宗教団体で占領すれいいですね。

527 :名無しさん@1周年:01/11/06 01:13
>>509
> >聖霊の木から、殺し屋の実が成ったのであろうか?
> 人とは心を惑わしやすいもの。
> 原罪があるのだから、仕方がないことよ。
血まみれの手で、公会議は聖霊によるなど言っても、誰も信じないが。

> >貴方は、答えを出して、それを批判される事を恐れているのでは
> >ないだろうか?だから、答えを出さないのではないか?
> それは無いわよ。こういうしきたりだからよ。
> しかし、あなたはそれを理解できないでしょう。
> そこに答えが隠されているの。
誰のしきたりなのか?

> >黙22章10を挟んだ前後の文章が、同じ天使によるものではない、
> >と言われるのであろうか?もしそう思うなら、ここにいる他の方々に、
> >伺わなくてはならないが。
> ハハハ。まさか!
> あのね、これには天使を拝もうとしたと書いてあるでしょ。
> 言葉を伝えるのは天使。その天使をヨハネは拝もうとしたのよ。
> だから、天使は私を拝むなと言ったわけよ。
おお、良く読んだらそうであった。申し訳ない。今まで勘違いしていた。

> >イエスはその時まで、神の右に座しておかねばならない、
> >と書いてあるが。
> その意味も、あなた達の解釈とは全く違うのよ。
> でも、キリスト教の捉えは、この点については正確に捉えているわね。
> 秘儀の遺産が、ここにも現れているわ。
それでは、貴方の解釈を書いていただけるか?

> >このスレは、偶像を否定していると思われるが。
> あなた、見る目が無いわね(笑)精神的に疲れた人の言葉よ。
> 互いに争わせるための。
それは、スレの作者の真意はそうであるが。

> だから、そんなものを持っている民は、
> 本来はエルサレムの神殿を管理することは出来ないの。
> まだ、異教に占領された状態であるわけ。
> もう一つの奥義が、全ての天啓の民に理解されるまではね。
貴方も、2000年前に予兆が現れたと考えているのであろうか。

528 :名無しさん@1周年:01/11/06 01:19
>>513
> > その垂れ幕は、聖所と至聖所を分けるものであると書いてある。
> > 臨在は、十戒の石板を収めた契約の櫃である、と書いてあるので、
> > 櫃が無いなら成り立たないと考えられる。
> それなら、新約聖書に出てくる神殿の垂れ幕は臨在が成り立つと考えるのですね。
>>522
> 若しくは、臨在のない至聖所を認められるのでしょうか。
> 何れにしろ、イエスの時代まで至聖所が存在することには変わりありません。
> もし、エズラ記を認めてしまえば、モーセが造った契約の櫃のない至聖所を
> 認めることになります。
神の臨在の無い至聖所は、まったく意味が無いが。

> > そのような事は、一言も言っていないが。
> > まだまだ、私は勉強不足なので否定する根拠すら、存在しなのであるが。
> それなら、あなたには疑問の動機すらないことになりますね。
> このような議論はあなたから引くべきです。
誰もが勉強不足なのであるが。

>>514
> > メシア、生ける神の子というなら、肯定している。
> それが言えるのは、神の子が聖一位格の神ではないという命題のみが、
> コーランに書かれていればの話です。
> 「かれに,何で子があろう。」と書かれている時点で、ただ神の子の存在を
> 否定している他の余地がありません。
前述したとおり、三位一体を完全否定しているのである。
まだまだ、コーランを引用した方がよろしいか?

> > コーランは、トーラーは完全・無欠の啓典である、
> > とまで言いきっているのであるが。
> なぜ、そう信じるのですか?
コーランに書いてあるからであるが。

> > これは、コーランに書いてある事であるが。
> なぜ、コーランに書かれてあることが正しいと信じるのですか?
聖書に矛盾しないからであるが。

529 :名無しさん@1周年:01/11/06 01:29
>>515
> > もう2000年も経ってしまったのであろうか?
> > 上に書いたように、終末の予兆が約2000年も前にあったのなら、
> > そうなるであろう。しかし、イエスは実のならないイチジクに、
> > 肥料をやらなかったのであろうか?
>
> そのようなことを言っても、あなた達が異邦人であることの否定にはなりません。
2000年前に終末の予兆があった、と考えているという事であろうか?
滅びの子が神殿に座り込み、自分は神だと言ったのであろうか?
それと、私はイスラム教徒ではないが。

> > それでは、聖書に聖像を作って崇敬せよ、と書いてあるのであろうか?
> 伝承にはあります。聖書は伝承の一部です。
聖書をその程度に考えているのであろうか?

> > 教理には、毒麦は蒔かれていないのであろうか?
> 蒔かれてはいません。毒麦は人を対象にします。
それでは、教理に関与した毒麦はいないのであろうか?

> あなたは、コーランに従ってエズラ記を認めませんが、私たちの伝承では
> エズラ記や列王記下を認めています。
認めていないとは、言っていない。コーランに書いてないだけだが。

>>520>>523>>524はよく分からない。

530 :マリア:01/11/06 03:05
>>627
>血まみれの手で、公会議は聖霊によるなど言っても、
>誰も信じないが。
人の導きで時の流れが定まってきたと考えるなら、そうでしょうね。
しかし、時の流れは普遍なるものと知っていれば、
聖なる決定は聖霊に導かれていることも知る。
時に、大多数の人の意思とは無関係に時は流れていく。
天災、事故、不慮の死亡、誤解と対立etc。

>誰のしきたりなのか?
このしきたりは、万教共通のものよ。
預言の解釈と、神の預言か否かは、非常に困難を極めるからよ。
正しく預言を解釈するために身に付けるものよ。
知識の多い者ほど、理解できなくて身を滅ぼすからね。

>それは、スレの作者の真意はそうであるが。
偶像=他者=悪よ。ここに来る否定派はそれだけよ。
それが彼らが奉じている神の正体よ。

>貴方も、2000年前に予兆が現れたと考えているのであろうか。
本当は、叡智はいつの世にも与えられているわよ。
いつでも、人が気付かないだけよ。
神は、いつでも人が気付くように鍵を与えてくれている。
「正であり、否であり、正である」
この意味も、よく理解できる時が訪れるでしょうよ。

531 :マリア:01/11/06 03:16
かってに横入りするわね。
>聖書をその程度に考えているのであろうか?
補足だけど、ユダヤ教においても、本来はそのようなものよ。
また、それは聖なる伝承の一部なのよ。

原理派プロテスタントは、後から出てきたせいなのか、
それを理解しようとはしないわね。
今のユダヤ人の多くも、これを忘れてしまったし・・・。
もしかして、イスラム教でも、そうなのかしら?

532 :名無しさん@1周年:01/11/06 13:40
>>528 :名無しさん@1周年 :01/11/06 01:19

> 神の臨在の無い至聖所は、まったく意味が無いが。
無いのは、否定も肯定の根拠にもなりません。

> > そのような事は、一言も言っていないが。
> > まだまだ、私は勉強不足なので否定する根拠すら、存在しなのであるが。
> それなら、あなたには疑問の動機すらないことになりますね。
> このような議論はあなたから引くべきです。
> 誰もが勉強不足なのであるが。
勉強不足を否定しているわけではないのです。
矛盾と思われる箇所を知ったから疑問が生じたわけでしょ。
その箇所さえ知らないとなれば、初めから疑問が無かったのであり、単なる誤解であったということです。

>>514
> > メシア、生ける神の子というなら、肯定している。
> それが言えるのは、神の子が聖一位格の神ではないという命題のみが、
> コーランに書かれていればの話です。
あなたは、言語理解力をおもちですか?
わたしは、「神の子が聖一位格の神ではないという命題のみ」がコーランに書かれてるわけではないから、
福音書やトーラー、詩編との矛盾があると指摘しているのです。

> 前述したとおり、三位一体を完全否定しているのである。
> まだまだ、コーランを引用した方がよろしいか?
三位一体の否定は、単なる神の子が神ではないという命題にすぎません。
そんなもの何回示されても意味ありません。
コーランが神の子の存在を否定している限り、福音書及びトーラー、詩編と矛盾します。
それが、コーランで引用されていることは、コーラン自身の論理的自己矛盾になります。

> > コーランは、トーラーは完全・無欠の啓典である、
> > とまで言いきっているのであるが。
> なぜ、そう信じるのですか?
コーランに書いてあるからであるが。

> 聖書に矛盾しないからであるが。
しているじゃないですか。聖書が神の子の存在を認め、コーランがそれを否定しているのですから。
また、ムスリムはエルサレムを踏み荒らしている異邦人です。
それに対し、私たちの聖伝には矛盾がありません。

533 :名無しさん@1周年:01/11/06 13:59
>>529 :名無しさん@1周年 :01/11/06 01:29
> そのようなことを言っても、あなた達が異邦人であることの否定にはなりません。
> 2000年前に終末の予兆があった、と考えているという事であろうか?
> 滅びの子が神殿に座り込み、自分は神だと言ったのであろうか?
意味がわからいません。イスラム教徒が異邦人ではないことの答えになっていません。
> それと、私はイスラム教徒ではないが。
そうですね。イスラム教徒は自ら異邦人を実証しているが、神の宮に居ないあなたも異邦人ではないわけではありませんよね。

> > 伝承にはあります。聖書は伝承の一部です。
> 聖書をその程度に考えているのであろうか?
勿論、聖書は最も大切な伝承の一部です。
私たちの聖伝の大部分を占めています。

> それでは、教理に関与した毒麦はいないのであろうか?
ありません。教理を誤って解釈し、そういった間接的なかたちで教理「が」関与した毒麦はありますが。
しかし、教理を誤って解釈して導かれた命題は、既にその時点で教理ではありません。

> 認めていないとは、言っていない。コーランに書いてないだけだが。
あなたの持論では、契約書のみというドキュメント化されたものしか認めないというのではなかったのですか?
記述されていない命題を否定するというのが、あなたの持論ではなかったのですか?
あなたは、コーランに記述のない書物は認めるべきではありません。
もしそうでなければ、これからは、私たちの聖伝を牽制するために、聖書に記述がないから否定するべきだという理屈は一切用いないでくださいね。

534 :名無しさん@1周年:01/11/06 14:19
>>529
>>520>>523>>524はよく分からない。
まずは、>>523で「公準=要請」という言葉の意味を理解してください。
「公準」の典型的な例が、>>520です。
私たちの聖伝や、聖書、1+1=2、0で割ることの禁止、幾何学の公準は、
証明なしに原理として立てられる命題であるということです。
一方、
> 神の契約書に書いてないなら、なぜ信じるのか。
という問いは、聖伝は聖書の記述以外も包含するように定義されているのですから、
聖伝を何故信じるのかに帰着しますね。
聖伝は私たちにとって証明なしに原理として立てられる命題ですから、
「神の契約書に書いてないなら、なぜ信じるのか。」という問いは、
「どうして1+1=2なの?」という問いに等しいナンセンスなものです。
この説明でわからないというのでしたら、諦めてくださって結構です。

535 :名無しさん@1周年:01/11/07 01:17
>>530 >マリアさん
> >血まみれの手で、公会議は聖霊によるなど言っても、
> >誰も信じないが。
> 人の導きで時の流れが定まってきたと考えるなら、そうでしょうね。
> しかし、時の流れは普遍なるものと知っていれば、
> 聖なる決定は聖霊に導かれていることも知る。
詳しく勉強したわけではないが、キリスト教による迫害、弾圧の
凄まじい歴史は、貴方もご存知であろう。
聖霊に導かれながら、世の中が暗黒に成ってしまったのだろうか。

> >誰のしきたりなのか?
> このしきたりは、万教共通のものよ。
> 預言の解釈と、神の預言か否かは、非常に困難を極めるからよ。
> 正しく預言を解釈するために身に付けるものよ。
> 知識の多い者ほど、理解できなくて身を滅ぼすからね。
それでは、預言以外の事に付いては、普通に話していただけるか?

> >貴方も、2000年前に予兆が現れたと考えているのであろうか。
> 本当は、叡智はいつの世にも与えられているわよ。
> いつでも、人が気付かないだけよ。
> 神は、いつでも人が気付くように鍵を与えてくれている。
もう一度質問するが、終末のユダヤの艱難はすでに来たのであろうか?

> 「正であり、否であり、正である」
> この意味も、よく理解できる時が訪れるでしょうよ。
根拠も述べずに、相手の無理解を指摘するのは、相手に良くない印象を与えるが。

>>531
> >聖書をその程度に考えているのであろうか?
> 補足だけど、ユダヤ教においても、本来はそのようなものよ。
> また、それは聖なる伝承の一部なのよ。
それ故に、散らされるのであるか。

> 原理派プロテスタントは、後から出てきたせいなのか、
> それを理解しようとはしないわね。
> 今のユダヤ人の多くも、これを忘れてしまったし・・・。
> もしかして、イスラム教でも、そうなのかしら?
これは、密教部分のことを言っているのだろうか?

536 :名無しさん@1周年:01/11/07 01:31
>>532
> > 神の臨在の無い至聖所は、まったく意味が無いが。
> 無いのは、否定も肯定の根拠にもなりません。
神が臨在しないのなら、尊くないが。

> 勉強不足を否定しているわけではないのです。
> 矛盾と思われる箇所を知ったから疑問が生じたわけでしょ。
> その箇所さえ知らないとなれば、初めから疑問が無かったのであり、
> 単なる誤解であったということです。
これは、私がエズラ記を否定している、と貴方が誤解している、
という話しで、矛盾や疑問などはまったく関係のない話しであるが。

> あなたは、言語理解力をおもちですか?
> わたしは、「神の子が聖一位格の神ではないという命題のみ」が
> コーランに書かれてるわけではないから、
> 福音書やトーラー、詩編との矛盾があると指摘しているのです。
良く意味がわからないが。

> 三位一体の否定は、単なる神の子が神ではないという命題にすぎません。
> そんなもの何回示されても意味ありません。
> コーランが神の子の存在を否定している限り、福音書及びトーラー、詩編と矛盾します。
> それが、コーランで引用されていることは、コーラン自身の論理的自己矛盾になります。
コーランは、神格化した神の子という概念を否定しているのであって、
神が聖別して使わされた、神の子を否定したものではない。
イエスはメシアであり、非常に地位の高い御使いであると書いてある。

537 :名無しさん@1周年:01/11/07 01:35
>>533
> > > そのようなことを言っても、あなた達が異邦人であることの否定にはなりません。
> > 2000年前に終末の予兆があった、と考えているという事であろうか?
> > 滅びの子が神殿に座り込み、自分は神だと言ったのであろうか?
> 意味がわからいません。イスラム教徒が異邦人ではないことの答えになっていません。
終末の予兆であるユダヤの艱難後、時が満ちるまで異邦人に荒らされる、
という預言を理由に、現在のイスラム教徒を異邦人と呼ぶなら、
すでに予兆が始まった事を、貴方は証明しなければならないが。

> > それでは、教理に関与した毒麦はいないのであろうか?
> ありません。教理を誤って解釈し、そういった間接的なかたちで教理「が」
> 関与した毒麦はありますが。
イエスは、そのような時は、その実によって見わけなさいと言われたが。

> 記述されていない命題を否定するというのが、あなたの持論ではなかったのですか?
> あなたは、コーランに記述のない書物は認めるべきではありません。
> もしそうでなければ、これからは、私たちの聖伝を牽制するために、
> 聖書に記述がないから否定するべきだという理屈は一切用いないでくださいね。
私は、聖書も認めている。ヒンドゥー聖典に原始仏典も。

538 :ふらんちぇすこ:01/11/07 01:51
まだやってたのか。偉いな。
でもあんまり他所行くなよ>俺

539 :マリア:01/11/07 01:51
>詳しく勉強したわけではないが、キリスト教による迫害、
>弾圧の凄まじい歴史は、貴方もご存知であろう。
>聖霊に導かれながら、
>世の中が暗黒に成ってしまったのだろうか。
さて、イエズスがいつ他教徒を襲ったかしら?
人は時に愚かな者。相手の正体に気付けない時がある。
そして、相手もその者の正体に気付けない時がある。

>それでは、預言以外の事に付いては、
>普通に話していただけるか?
いつでも普通に話しているわよ。
それをあなたが理解できないだけよ。

>もう一度質問するが、
>終末のユダヤの艱難はすでに来たのであろうか?
いつでも終末よ。彼らが気付くまで。

>根拠も述べずに、相手の無理解を指摘するのは、
>相手に良くない印象を与えるが。
なら、あたしの立場を理解すべきよ。
理解しないから、こう言うのよ。

>それ故に、散らされるのであるか。
なぜに、そう思うの?コーランが正しいから?
彼らは全てを試練として受け止める民よ。
誤解してはならないわ。

>これは、密教部分のことを言っているのだろうか?
知っていれば、このような質問は無いでしょう。
本来、ここまで知っているなら、誰も争いに反対するし、
誰も他を貶すことも無いでしょう。
神に反対しない民はほっておくものよ。

540 :名無しさん@1周年:01/11/07 10:56
>>536 :名無しさん@1周年 :01/11/07 01:31
>>532
> 神が臨在しないのなら、尊くないが。
それなら、あなたは単なる聖所に対しては尊ばないのですか?
レビ記 19:30 わたしの安息日を守り、わたしの聖所を敬いなさい。わたしは主である。
レビ記 26:2 あなたたちはわたしの安息の日を守り、わたしの聖所を敬いなさい。わたしは主である。
これは、私たちの聖書に反します。

> これは、私がエズラ記を否定している、と貴方が誤解している、
> という話しで、矛盾や疑問などはまったく関係のない話しであるが。
あなたにとって、コーランが信仰基準なんでしょ。
議論の中で、コーランが最も新しい書物です。ですから、トーラーや福音書などにコーランが記述されている筈がありません。
従って、コーランが議論の唯一の頼りです。もし聖伝を一切用いずに書物を選ぶとすればコーラン、トーラー、詩編、福音書、かろうじてイザヤ書になります。

> 良く意味がわからないが。
できれば、何処がどう分からないのか具体的に述べてもらえますか?

541 :名無しさん@1周年:01/11/07 10:57
>>536 :名無しさん@1周年 :01/11/07 01:31
> 三位一体の否定は、単なる神の子が神ではないという命題にすぎません。
> そんなもの何回示されても意味ありません。
> コーランは、神格化した神の子という概念を否定しているのであって、
> 神が聖別して使わされた、神の子を否定したものではない。
「かれに,何で子があろう。」という一句で、その限定は全てなくなります。

> イエスはメシアであり、非常に地位の高い御使いであると書いてある。
コーランには、メシアが神の子であることを否定する箇所もあります。

いいですか。分かりやすく説明しましょう。
Aさんが、aという三毛猫を飼っていたとします。
Bさんが、三毛猫の子猫が欲しかったとします。
ただし、三毛猫から必ず三毛猫が生まれるとは限りません。
BさんがAさんに。
B:お宅のaちゃんに三毛猫の子猫いる?
A:aには三毛猫の子猫はいません。
Bさんは三毛猫の子猫でなくてもいいから、とにかく子猫が欲しくなりました。そこで、
B:aちゃんに子猫いるの?
A:aには子猫はいません。
と答えました。さて、上記のAさんとBさん議論で明らかになったのは、「A:aには子猫はいません。」によって、
三毛猫aには三毛猫どころが、白い猫、黒い猫、トラ猫、全ての子猫の存在の可能性が否定されているということです。
すなわち、「かれに,何で子があろう。」という一言で、あなたがコーランのどのような箇所を引用しても、
コーランが神の子の存在を否定していることになるのです。
ここまで、幼稚に噛み砕いても理解できないのでしたら、どうすればいいのでしょうか。
うーム。。。。。

542 :名無しさん@1周年:01/11/07 11:20
>>537 :名無しさん@1周年 :01/11/07 01:35
> 終末の予兆であるユダヤの艱難後、時が満ちるまで異邦人に荒らされる、
> という預言を理由に、現在のイスラム教徒を異邦人と呼ぶなら、
> すでに予兆が始まった事を、貴方は証明しなければならないが。
私が示す必要はありません。コーラン若しくはあなたがが福音書を認める時点で、
その予兆の必然性を認めたことになるのですから。

> > それでは、教理に関与した毒麦はいないのであろうか?
> ありません。教理を誤って解釈し、そういった間接的なかたちで教理「が」
> 関与した毒麦はありますが。
> イエスは、そのような時は、その実によって見わけなさいと言われたが。
マタイ 3:10 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
火に投げ込まれなかったがゆえに、私たちは約2000年の継承を保つことができたのです。

> 私は、聖書も認めている。ヒンドゥー聖典に原始仏典も。
それは、あなたの好きにしてください。ハイデッガーの「時間と存在」、サルトルの「嘔吐」、マキャヴェリーの「君主論」、飯島愛の「プラトニックセックス」など世の中には沢山の書物があります。
あなたが任意に選べばいいのではないのでしょうか。あなたの信条ですので、任意に公準を定めて、それを信条としてください。

543 :名無しさん@1周年:01/11/07 16:47
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1002775486/l50
スレ違い

544 :名無しさん@1周年:01/11/07 19:16
日本人には、イスラム研究者はいても、イスラム教徒など
たいした数はいない。
いたとしても、ほとんどがアラブ人にナンパされて結婚した
バカ女くらいだ。
どこかのバカがイスラム教徒の振りして荒らしてるものと
思われる。
本当にイスラム教徒で、キリスト教徒を相手に論争
したいのなら、他のスレへ行ってくれ。
この辺が良いだろう↓
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1002775486/l50

テロ関連なら↓
http://news.2ch.net/test/read.cgi/news5/1003068183/l50

ここはマリヤ崇敬の問題についてのみ論ずる場だ。

545 :名無しさん@1周年:01/11/07 19:29
無人島で自爆テロの練習してちょ

546 :名無しさん@1周年:01/11/07 20:30
ムスリムうざい

547 :名無しさん@1周年:01/11/07 21:26
>>503
何が通りすがりだ
見え透いてんだよ

548 :名無しさん@1周年:01/11/07 21:44
イスラム教はキリスト教から見れば
新興宗教みたいなものだ。

549 :名無しさん@1周年:01/11/07 23:44
偶像を拝まないだけカトリックよりマシだな

550 :名無しさん@1周年:01/11/08 01:28
>>539 >マリアさん
> >詳しく勉強したわけではないが、キリスト教による迫害、
> >弾圧の凄まじい歴史は、貴方もご存知であろう。
> >聖霊に導かれながら、
> >世の中が暗黒に成ってしまったのだろうか。
> さて、イエズスがいつ他教徒を襲ったかしら?
イエスは他教徒を襲っていない。
それなのに、キリスト教徒は襲ったのであろうか?

> >もう一度質問するが、
> >終末のユダヤの艱難はすでに来たのであろうか?
> いつでも終末よ。彼らが気付くまで。
そのような曖昧なものではないが。イエスは、選民たちが不意を
付かれることがないように、その時の予兆を詳しく語っている。

> >それ故に、散らされるのであるか。
> なぜに、そう思うの?コーランが正しいから?
> 彼らは全てを試練として受け止める民よ。
> 誤解してはならないわ。
神の訪れの時を、彼らは知っていたのであろうか。

> >これは、密教部分のことを言っているのだろうか?
> 知っていれば、このような質問は無いでしょう。
> 本来、ここまで知っているなら、誰も争いに反対するし、
> 誰も他を貶すことも無いでしょう。
偶像に反対して、このような議論になったのではない。
契約の櫃のケルビムと、他の偶像とを比較するべきではない、
と語ったところ、現在の状況になったのである。

それこそが、自然な流れだったのかもしれないが。

> 神に反対しない民はほっておくものよ。
しかし、偶像は、ほんとに困ったものである。ほどほどに。

551 :名無しさん@1周年:01/11/08 01:31
>>540
> >>532
> > 神が臨在しないのなら、尊くないが。
> それなら、あなたは単なる聖所に対しては尊ばないのですか?
> レビ記 19:30 わたしの安息日を守り、わたしの聖所を敬いなさい。
>        わたしは主である。
> レビ記 26:2 あなたたちはわたしの安息の日を守り、わたしの聖所を敬いなさい。
>       わたしは主である。
> これは、私たちの聖書に反します。
その時代には、至聖所に契約の櫃があり、神の臨在があるので、
非常に尊い。しかし、神の臨在がないなら、これより尊くないが。

> > > わたしは、「神の子が聖一位格の神ではないという命題のみ」が
> > > コーランに書かれてるわけではないから、
> > > 福音書やトーラー、詩編との矛盾があると指摘しているのです。
> > 良く意味がわからないが。
> できれば、何処がどう分からないのか具体的に述べてもらえますか?
かみ砕いて、もう一度説明していただけるか?

552 :名無しさん@1周年:01/11/08 01:36
>>541
> >>536 :名無しさん@1周年 :01/11/07 01:31
> > 三位一体の否定は、単なる神の子が神ではないという命題にすぎません。
> > そんなもの何回示されても意味ありません。
> > コーランは、神格化した神の子という概念を否定しているのであって、
> > 神が聖別して使わされた、神の子を否定したものではない。
> 「かれに,何で子があろう。」という一句で、その限定は全てなくなります。

> > イエスはメシアであり、非常に地位の高い御使いであると書いてある。
> コーランには、メシアが神の子であることを否定する箇所もあります。

  聖クルアーン 日本ムスリム協会
9. 悔悟章
 30. ユダヤ人はウザイル[エズラ]を,アッラー[神]の子であるといい,
 キリスト教徒はマスィーフ[メシア]を,アッラーの子であるという。
 これはかれらが口先で言うところで,昔の不信心な者の言葉を真似たものである。
 かれらにアッラーの崇りあれ。かれらは(真理から)何と迷い去ったことよ。

 31. かれらは,アッラーをおいて律法学者や修道士を自分の主となし,
 またマルヤム[マリア]の子マスィーフを(主としている)。しかしかれらは,
 唯一なる神に仕える以外の命令を受けてはいない。かれの外に神はないのである。
 かれらが配するものから離れて(高くいます)かれを讃える。

たぶんこれを誤解していると思うが、ここの神の子とは、唯一の神に
まるで子供でも居るかのように拡大解釈して、神と並べて崇拝する事を、
戒めているのである。

ユダヤ教徒、キリスト教徒が聖書の神の子の解釈を、大幅に踏み出して、
神の子を神格化したのである。そして、それを否定しているのである。

この部分だけ読むと、誤解するかもしれない。

553 :名無しさん@1周年:01/11/08 01:41
>>542
> >>537
> > 終末の予兆であるユダヤの艱難後、時が満ちるまで異邦人に荒らされる、
> > という預言を理由に、現在のイスラム教徒を異邦人と呼ぶなら、
> > すでに予兆が始まった事を、貴方は証明しなければならないが。
> 私が示す必要はありません。コーラン若しくはあなたがが福音書を認める時点で、
> その予兆の必然性を認めたことになるのですから。
示さないなら、神の家・祈りの家が、現在、異邦人に荒らされていると
は証明できない。そこは予兆が起こるまでは、聖なる場所なのだから。

> > イエスは、そのような時は、その実によって見わけなさいと言われたが。
> マタイ 3:10 斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、
> 切り倒されて火に投げ込まれる。
> 火に投げ込まれなかったがゆえに、私たちは約2000年の継承を
> 保つことができたのです。
毒麦が集められて火で焼かれるのは、世の終わりであるが。

> > 私は、聖書も認めている。ヒンドゥー聖典に原始仏典も。
> それは、あなたの好きにしてください。ハイデッガーの「時間と存在」、
> サルトルの「嘔吐」、マキャヴェリーの「君主論」、飯島愛の
> 「プラトニックセックス」など世の中には沢山の書物があります。
> あなたが任意に選べばいいのではないのでしょうか。あなたの信条ですので、
> 任意に公準を定めて、それを信条としてください。
ちょっと面白いかも。
まったく未熟であるが、私の専門は、世界の聖典なのだが。

554 :マリア:01/11/08 21:02
>>550毎回悪いわね。一番先に言っておくのを忘れたけど、
経典の言葉を理解するには気をつけなさいね。
言葉は、色んな解釈を人に与えるわ。
そして、人から出る解釈全ては、誤りでもあるわ。
神から出るものには、どんな色付けを加えてはならない。
しかし「秘儀により知りえた色づけ」は神からのものであるので例外なの。

>イエスは他教徒を襲っていない。
>それなのに、キリスト教徒は襲ったのであろうか?
人とは、誤解から狂信に至るものよ。

555 :マリア:01/11/08 21:03
>そのような曖昧なものではないが。イエスは、選民たちが不意を
>付かれることがないように、その時の予兆を詳しく語っている。
それは、文字通りなら正しく、またその逆でもあるのよ。
その単純な読み方は、正しくもあり、正しくないわ。
言葉の中に何が隠されているか。それを考えなければならない。
秘儀によらないものは、神の言葉だとは言えない。
幾通りの読み方ができるということは、そういうことよ。

>神の訪れの時を、彼らは知っていたのであろうか。
みんな知らないわ。しかし、信じているでしょうよ。
これも、色んな解釈ができるからね。

>偶像に反対して、このような議論になったのではない。
>契約の櫃のケルビムと、他の偶像とを比較するべきではない、
>と語ったところ、現在の状況になったのである。
それは無知から来る人間同士のものよ。
信仰の基本と秘儀は、互いに折り重なっているわ。
それが分かれば、全ては解けるわ。

556 :マリア:01/11/08 21:04
>しかし、偶像は、ほんとに困ったものである。ほどほどに。
偶像とは、狭義には異教が用いるものを指す。
広義には神に拠らず、人が作り上げたもの全てを指すのよ。
逆から見ると、神と通じる秘儀に拠らず、
人の空想によって作り上げたものは、全て偶像よ。

自分の目に見えたり感じるものだけを信用したり、
逆に、むやみに目に見えないものだけを
信用したりすることはしてはいけないのよ。
そして、またその逆でもあるのよ。

557 :名無しさん@1周年:01/11/09 00:42
>>554 >マリアさん
> 神から出るものには、どんな色付けを加えてはならない。
> しかし「秘儀により知りえた色づけ」は神からのものであるので例外なの。
悪霊から出たものも、あるのではないだろうか?

> >イエスは他教徒を襲っていない。
> >それなのに、キリスト教徒は襲ったのであろうか?
> 人とは、誤解から狂信に至るものよ。
公会議が聖霊によるものである根拠にならない。

>>555
> >そのような曖昧なものではないが。イエスは、選民たちが不意を
> >付かれることがないように、その時の予兆を詳しく語っている。
> それは、文字通りなら正しく、またその逆でもあるのよ。
> その単純な読み方は、正しくもあり、正しくないわ。
これでは、神の宮が異邦人に踏み荒らされている事を、証明できないが。

> >神の訪れの時を、彼らは知っていたのであろうか。
> みんな知らないわ。しかし、信じているでしょうよ。
> これも、色んな解釈ができるからね。
イエスを信じた人々は、神の訪れの時を知っていた。
信じないマムシの子らが、現在、また集められているが。

> >偶像に反対して、このような議論になったのではない。
> >契約の櫃のケルビムと、他の偶像とを比較するべきではない、
> >と語ったところ、現在の状況になったのである。
> それは無知から来る人間同士のものよ。
> 信仰の基本と秘儀は、互いに折り重なっているわ。
> それが分かれば、全ては解けるわ。
神の御座であるケルビムの聖像、これを聖と言わないのなら、
自分が誰であるのかを、告白することになるが。

558 :名無しさん@1周年:01/11/09 00:50
>>556 >マリアさん
> >しかし、偶像は、ほんとに困ったものである。ほどほどに。
> 偶像とは、狭義には異教が用いるものを指す。
> 広義には神に拠らず、人が作り上げたもの全てを指すのよ。
> 逆から見ると、神と通じる秘儀に拠らず、
> 人の空想によって作り上げたものは、全て偶像よ。
偶像による神と通じる秘儀は、大昔に封印されたのではないかな?
大方の偶像が、ついには悪霊の住みかになるからであるし、
サタンが、人の心を神から切り離すのに使うからである。

であるから、ほんの少しの例外を除いて、神による偶像は存在しない。
偶像を用いなくても、人が神に通じる秘儀があるのではないか。

> 自分の目に見えたり感じるものだけを信用したり、
> 逆に、むやみに目に見えないものだけを
> 信用したりすることはしてはいけないのよ。
> そして、またその逆でもあるのよ。
正論であるが。

559 :マリア:01/11/09 01:22
>悪霊から出たものも、あるのではないだろうか?
そういうものは、自ら滅びる運命よ。
これまでの歴史の中で、証明されてきたことよ。

>公会議が聖霊によるものである根拠にならない。
いいえ。これはユダヤの秘儀の継承の証し。
聖書に載せてはならない秘儀の流れ。

>これでは、神の宮が異邦人に踏み荒らされている事を、
>証明できないが。
あなたは、別のことを言ったのだから、
あたしはそのことについて答えたのみ。
コーランは、イスラム教徒のもの。ユダヤ教のものではないわ。

>イエスを信じた人々は、神の訪れの時を知っていた。
>信じないマムシの子らが、現在、また集められているが。
これをあなたはその程度にしか解いていない証拠よ。

>神の御座であるケルビムの聖像、これを聖と言わないのなら、
>自分が誰であるのかを、告白することになるが。
ええ。ユダヤ人達はこれを打ち捨て、
ムスリムもこれに習い青銅の蛇もケルビムも置かないわけ。

しかし、キリスト教徒に、神は代わりに聖像を与えたのよ。
霊的解釈を施すなら、こういうことになるわ。
そして、祝別という儀式も与えた。

560 :マリア:01/11/09 02:06
>偶像による神と通じる秘儀は、
>大昔に封印されたのではないかな?
>大方の偶像が、ついには悪霊の住みかになるからであるし、
>サタンが、人の心を神から切り離すのに使うからである。
悪霊教の信者は、みんなそう言うわ。
神と悪霊なら、悪霊の方が力があると思っているから。
生命の木に添って歩むなら、死の木に陥ることは無い。
その逆も然りよ。時の流れを無視するから解けなくなる。
生は生きる。死は滅びる。こういう流れなのよ。

それから、封印された物は、
青銅の蛇とケルビムに守られた契約の石版。
しかし、ユダヤもムスリムもこれを認めながら、
破壊したことをも素晴らしい行いとして認めるわ。

>であるから、ほんの少しの例外を除いて、
>神による偶像は存在しない。
>偶像を用いなくても、人が神に通じる秘儀があるのではないか。
偶像とは、人が見渡した世界から論ずる解釈。
見えないもの、感じられないものにすることにより、
悪の心は人を狂わせてきたのよ。これが、悪霊の役割。

>正論であるが。
そう思うならば、人の事はほっておけばいいのよ。
主なる神の民は、主の名によって歩めばいいし、
他の民は、それぞれの神の名によって
歩めば良い事なのだから。
これは、トーラーにもきちんと書いてあるわよ。
コーランでは、この個所は無視されているかも
しれないけれどね。

異教徒を見たら殺せなんて、コーランによくも書いたものだわ。
時が来れば、良く分かるわよ。

今はコーランはトーラーの成立を証しないし、
当然福音の成立も証しない。その逆は、然りだけどね。
次の時間が必要よ。

561 :名無しさん@1周年:01/11/10 01:06
>>559 >マリアさん
> >公会議が聖霊によるものである根拠にならない。
> いいえ。これはユダヤの秘儀の継承の証し。
> 聖書に載せてはならない秘儀の流れ。
公会議が聖霊によるなら、それは預言である。
それで世は明るくなったのであろうか?

> >これでは、神の宮が異邦人に踏み荒らされている事を、
> >証明できないが。
> あなたは、別のことを言ったのだから、
> あたしはそのことについて答えたのみ。
それでは、神の宮が、現在、異邦人に踏み荒らされている事の根拠を、
書いていただけるか?キリスト教も一時、踏み荒らした事になるのであろうか?

> コーランは、イスラム教徒のもの。ユダヤ教のものではないわ。
イエスは、ユダヤ教のものであろうか?キリスト教のものであろうか?
それとも、イスラム教のものであろうか?

> >イエスを信じた人々は、神の訪れの時を知っていた。
> >信じないマムシの子らが、現在、また集められているが。
> これをあなたはその程度にしか解いていない証拠よ。
根拠が書かれていない。根拠なしに否定するなら、それを中傷と言うが。

> >神の御座であるケルビムの聖像、これを聖と言わないのなら、
> >自分が誰であるのかを、告白することになるが。
> ええ。ユダヤ人達はこれを打ち捨て、
> ムスリムもこれに習い青銅の蛇もケルビムも置かないわけ。
青銅の蛇は、当の昔に打ち砕かれた。しかし、ケルビムの聖像の契約の櫃は、
ユダヤ人がいつ打ち捨てたのであろうか?

> しかし、キリスト教徒に、神は代わりに聖像を与えたのよ。
> 霊的解釈を施すなら、こういうことになるわ。
誰が貴方に、悪霊に住処を与えよ、と言わせるのか?

> そして、祝別という儀式も与えた。
それは、神を愛し、隣人を愛する事より、大切な事であろうか?

562 :名無しさん@1周年:01/11/10 01:15
>>560 >マリアさん
> >大方の偶像が、ついには悪霊の住みかになるからであるし、
> >サタンが、人の心を神から切り離すのに使うからである。
> 悪霊教の信者は、みんなそう言うわ。
聖書にも書いてあるが。

> 生命の木に添って歩むなら、死の木に陥ることは無い。
> その逆も然りよ。時の流れを無視するから解けなくなる。
> 生は生きる。死は滅びる。こういう流れなのよ。
生命の木に至る道は、正々堂々と書いてある。

> それから、封印された物は、
> 青銅の蛇とケルビムに守られた契約の石版。
> しかし、ユダヤもムスリムもこれを認めながら、
> 破壊したことをも素晴らしい行いとして認めるわ。
青銅の蛇は打ち砕かれたが、契約の櫃は行方不明なのであるが。

> 偶像とは、人が見渡した世界から論ずる解釈。
> 見えないもの、感じられないものにすることにより、
> 悪の心は人を狂わせてきたのよ。これが、悪霊の役割。
聖書に書いてある偶像は、目に見えるし、壊れもするが。

> >正論であるが。
> そう思うならば、人の事はほっておけばいいのよ。
そう思うなら、横レスは付けない事であるが。

> 主なる神の民は、主の名によって歩めばいいし、
> 他の民は、それぞれの神の名によって
> 歩めば良い事なのだから。
> これは、トーラーにもきちんと書いてあるわよ。
> コーランでは、この個所は無視されているかも
> しれないけれどね。
神は唯一ではなかったか?

> 異教徒を見たら殺せなんて、コーランによくも書いたものだわ。
そのような事は、どこに書いてあるのだろうか?

> 今はコーランはトーラーの成立を証しないし、
> 当然福音の成立も証しない。その逆は、然りだけどね。
コーランは、トーラーも福音も証ししている。その逆はない。

563 :マリア:01/11/10 03:30
>>561回答よ。
>公会議が聖霊によるなら、それは預言である。
>それで世は明るくなったのであろうか?
ならば聞くけど、全てがイスラム教になった地方は良くなったのかしら?
タリバンが支配する地方は、
女医がいない土地では死ぬしかないけど、どうかしら?
文字通りにやっているところほど、こんなもんよ。キリスト教徒一緒。

>それでは、神の宮が、現在、異邦人に踏み荒らされている事の根拠を、
>書いていただけるか?
>キリスト教も一時、踏み荒らした事になるのであろうか?
イスラム教=非ユダヤ人が何故ユダヤ人の領域を勝手に管理するの?
あそこは、ユダヤ人のためのものよ。おかしいじゃない。
まぁ、時が来れば、誰のものでもあり、誰のものでもなくなるけど。

>イエスは、ユダヤ教のものであろうか?キリスト教のものであろうか?
>それとも、イスラム教のものであろうか?
イエズスはユダヤ人。しかし、キリスト教徒のものよ。
イスラム教も、別解釈で役割を認めているわね。

>青銅の蛇は打ち砕かれたが、契約の櫃は行方不明なのであるが。
青銅の蛇がいないところに、もはや契約の櫃はいらないわ。

>根拠が書かれていない。根拠なしに否定するなら、それを中傷と言うが。
根拠を知りたければ、
あたしの質問であなたが答えられなかったことを
理解すればいいことよ。そしたら、そこに答えはあるわ。

564 :マリア:01/11/10 03:30
>青銅の蛇は、当の昔に打ち砕かれた。
>しかし、ケルビムの聖像の契約の櫃は、
>ユダヤ人がいつ打ち捨てたのであろうか?
さっき書いた通りよ。打ち捨てたのと一緒よ。

>誰が貴方に、悪霊に住処を与えよ、と言わせるのか?
あなたが答えられなかった質問の意味が理解できたら、
この意味は必ず解ける。良くお考えなさい。

>それは、神を愛し、隣人を愛する事より、大切な事であろうか?
それを分かっているなら、秘儀の意味が分かるはず。
しかし、誰も互いにそれに気付かない。今日も互いに争っているわ。
あなたも、あたしの言っていることが分からない。
何故、コーランではユダヤのことが理解できないの?

565 :マリア:01/11/10 03:55
>聖書にも書いてあるが。
人は文字に惑わされやすいわ。
ひとつの言葉でいろんな意味に解釈するわ。
秘儀に基づいて解かねば、人は狂う。

>生命の木に至る道は、正々堂々と書いてある。
上と同じ回答よ。

>青銅の蛇は打ち砕かれたが、契約の櫃は行方不明なのであるが。
なぜなら、神が聖とされたものをつぶしてしまったから。
もういらないのよ。
キリスト教徒には、新しい聖像を与えたけどね。

>聖書に書いてある偶像は、目に見えるし、壊れもするが。
だから、文字に惑わされている証拠。
偶像とは、壊れるもの全てを指すの。

>そう思うなら、横レスは付けない事であるが。
では、あなたのキリスト教徒の争いに、
コーランを持ってこないことよ。
旧約聖書と新約聖書と両者の伝承を用いなさい。
コーランは、キリスト教徒のものではないわ。

566 :マリア:01/11/10 03:57
>神は唯一ではなかったか?
ユダヤの神は、ユダヤ人のものでしかないの。
ミカの預言書をお読みなさい。
イスラム教でも、
他の民は十戒どおりに迫害してはならないはず。

>そのような事は、どこに書いてあるのだろうか?
では、何故イスラム教徒はそうするの?
書いてなければしないはずよ。

>コーランは、トーラーも福音も証ししている。その逆はない。
やはり、それでは話しにならないわ。
コーランはキリスト教徒のものではないという証じゃない。

キリスト教のことをコーランで解くのはおよしなさい。
キリスト教のことは、新約と旧約と両者の伝承によって
話しなさい。

567 :ミリアム:01/11/10 16:10
>566 :マリア :01/11/10 03:57
>>神は唯一ではなかったか?
>ユダヤの神は、ユダヤ人のものでしかないの。
>ミカの預言書をお読みなさい。
旧約はユダヤ人の書。キリスト教は旧約から導き出されたモノでないでしょうよ。
新約ではパウロが神が唯一であるからには異邦人の神でもある。と言っているわ。

>他の民は十戒どおりに迫害してはならないはず。
旧約でも他の民をジェノサイドしているわ。

>>そのような事は、どこに書いてあるのだろうか?
>では、何故イスラム教徒はそうするの?
>書いてなければしないはずよ。
コーランやイスラム法学者が言っています。

>>コーランは、トーラーも福音も証ししている。その逆はない。
>やはり、それでは話しにならないわ。
>コーランはキリスト教徒のものではないという証じゃない。
新約はユダヤ教徒のものではないというあかしじゃない。

>キリスト教のことをコーランで解くのはおよしなさい。
ユダヤ教のことを新約で解くのはおよしなさい。ともいえるわ。

568 :ミリアム:01/11/10 16:20
ユダヤの神もイスラムの神も同じ性格だわよ。
他の民と戦争するし、豚も食べないし。
おのれ以外を拝む奴は赦さない。って潔癖。
キリスト教がローマ・ギリシャ神の愛や哲学を混ぜたから、
アラビア半島周辺のセム・ハム族の神とは別になったの。
キリスト教のマルキオンは言ったわ。
イエスの神は愛の神だが、ユダヤ人の神は復讐の神で別の神だってね。
神道流に言えば、
旧約とコーランのアッラー(神)や天使ミカエルは荒ぶる神だけど、
イエスやパウロの言う神は和霊なの。聖霊や天使ガブリエルなどは奇霊ね。

569 :ミリアム:01/11/10 16:21
★★イスラム教徒に仕返しを。★★
8 :名無しさん@1周年 :01/10/07 22:08
>>6
いや?旧約聖書のモーセ五書には、七つの民を滅ぼせ。などと言って、
神の命令で人殺しやってますよ。
なんでも死海文書にある十戒では、
人を殺すなかれ、ではなく、殺人罪を犯すなかれ、とあるそうで、
その意味の差は、
人を殺すなかれ、はどんな人も殺しては成らないが、
殺人罪を犯すなかれ、の場合は、
人は場合によっては殺しても良いが、
「殺してはならない条件の人間」を殺した場合は、
殺人罪を犯す事になると言うもの。
現在のイスラエルのユダヤ人にとってのパレスチナ人というのは、
旧約ヨシュア時代のヘブル人にとってのカナンの七つの民と同じに見るんですよ。
だから滅ぼそうとしている。

570 :ミリアム:01/11/10 16:22
★★イスラム教徒に仕返しを。★★
20 :名無しさん@1周年 :01/10/13 22:03
>>8
 その異教徒の「七つの民を滅ぼせ」の結果がこれだね。

これらの町町の分捕り品と家畜はことごとく、イスラエル
の人々が自分たちのために奪い取った。彼らはしかし、
人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある
者は一人も残さなかった。主がその僕モーセに命じられた
とおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそのとおり
にした(ヨシュア記11.14-15)

イスラム教徒出て来い、いてまうぞパート2
127 :名無しさん@1周年 :01/09/24 21:16
コーランより抜粋

9_5
聖月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し、またはこれを捕虜にし、
拘禁し、また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。だがかれらが
梅悟して、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をするならば、かれらのために
道を開け。本当にアッラーは寛容にして慈悲深い方であられる。

9_29
アッラーも終末の日をも信じない者たちと戦え。またアッラーと使徒から、
禁じられたことを守らず、啓典を受けていながら真理の教えを認めない者
たちには、かれらが進んで税〔ジズヤ〕を納め、屈服するまで戦え。
 聖書には、こういった「神」に従って殺戮や侵略・略奪
を繰り返した人も描かれているんだよね....。まあ、現代で
もたくさんの「ヨシュア」が、「正義」「神」のため、破壊
と殺戮を行っているけど。

571 :ミリアム:01/11/10 16:23
イスラム教徒出て来い、いてまうぞパート2
135 :名無しさん@1周年 :01/09/25 23:25
>>134
馬鹿、日本人は独逸人と違って民族絶滅なんて計画しなかったぞ。
因みにアラブではヒトラーは英雄だよ。
ユダヤ人を殺したから。イスラム凶徒はナチスと同じ。


やはりコーランの引用は反響があるね。ではもう1つやってみよう。
井筒俊彦訳「コーラン」(岩波文庫) 括弧内は井筒註。

8 戦利品 15
これ、信徒の者、罰当たりどもが進軍して来るのに出逢った時、彼らに背を向けてはならぬ。
一時わきに避けて次の合戦に備えるためとか、ほかの隊に合流するためとかいうのなら別だが、
(合戦の)日に敵に背を見せるような者は、忽ちアッラーのお怒りを背負いこみ、
行く先はジャハンナム(ゲヘナの火)。行きつく先はおそろしいぞ。

8 戦利品 16
彼ら(敵軍)を殺したのは汝ら(回教徒)ではない。アッラーが殺し給うたのだ。
射殺したのはお前(マホメット)でも、実はお前が射殺したのではない。
アッラーが射殺したのだ。これは信者たちに有難い恩寵を経験させようとしてし給うたのだ。
まことにアッラーは耳敏く、一切に通じ給う。

8 戦利品 39
信仰なき者どもに言ってやるがよい、もし(悪事を)やめれば、過ぎたことは、
大目に見ても頂けよう。だが、また逆戻りするようなら、古い昔の人々の先例が
あるではないか(昔、無信仰の故に絶滅された人々の話がよい見せしめ)、と。

8 戦利品 40
反逆行為がなくなるまで、そして宗教がすべてアッラーに帰一するまで、彼らと戦い続けよ。
もし向こうが(反逆を)やめるなら、アッラーが彼らの行動を監視していていて下さるぞ。

こうして書いていると気付くが、イスラム狂の問題点を百万回書き連ねるより、
イスラム狂自身に語ってもらう方が何倍も説得力がある。
イスラム原理主義とは、コーランを正確に理解したイスラム狂だという事がよくわかる。

572 :ミリアム:01/11/10 16:24
聖書と中東問題を語るスレ
177 :名無しさん@1周年 :01/09/24 19:22
今回のテロでいろいろイスラム狂を調べたが、酷いものだった。

コーラン(九,五)より

 神聖な月が明けたときは,神に伴侶を帰するもの(一神教の徒でないもの)は
 出会い次第殺せ。彼らを捉え,追い込み,待ち伏せよ。
 しかし彼らが悔い改め,礼拝の努めを守り,喜捨を差し出すなら放免せよ。

 と命じ,また,ユダヤ教徒やキリスト教徒との戦いについては,イスラム教徒の支配を
 彼らが認めるまで戦うように,

 さらに聖典を授与されながら真の信仰を拒否するものに対しては,
 彼らが平身低頭して貢税(人頭税)を提出するまで戦え。

だって。
言い換えれば、全世界をイスラム狂徒に変えるまで、
「イスラム狂徒以外の物を盗み、殺し、改宗させろ」
ということ。
とんでもないカルトだ。
こんなの信じている奴らが日本にいることは許されるのか?

573 :ミリアム:01/11/10 16:25
イスラム教徒出てこいっ、 殺してやる!!
20 名前: あずみ 投稿日: 2000/12/09(土) 01:10

イスラムの男性は経典の民(ユダヤ教、キリスト教)の女性とは結婚
できますが、イスラムの女性は異教徒とは結婚できません。

例として、PLOのアラファト議長はムスリムですが、奥さんは
キリスト教徒です。

イスラム教徒出てこいっ、 殺してやる!!
27 名前: 名無しさん@1周年 投稿日: 2000/12/10(日) 04:46
>24
イスラムのルール:
1)イスラム→他宗教への改宗は不可。代償は死。
(現実に結婚時に創価学会に折伏されたイラン人(男)が帰国後
身柄を拘束されて処刑されている。創価学会員の女性は当局の扱
いで日本に帰国(国外追放処分とは違う模様)。
2)他宗教の信仰は容認。ただしイスラム教徒に対しての布教行
為は禁止。ペナルティーは内容によりさまざま(鞭打ちから死刑まで)。

574 :ミリアム:01/11/10 16:26
イスラム教徒出てこいっ、 殺してやる!!
385 名前: アラーより 投稿日: 2001/05/02(水) 13:53

我らのしるしを信じない者は、いまに火に投げ込んでやる。
 皮膚が焼けただれる度に我らは何度でも皮膚を取り替えて、彼らに懲罰を味わわせてやろう。
誠に神は威力あり、聡明であらせられる。
コーランでは来世が現世の延長に過ぎないこと人間死後の状態は現世の生活における精神状態を反映するものである事、来世において、その報いを受けなければならない。
 17:13、14 我らは全ての人の首にめいめいの鳥(運命)を結び付けておいた。

イスラム教徒出てこいっ、 殺してやる!!
409 名前: コーヒー牛乳 投稿日: 2001/05/16(水) 01:47

ラー イラーハ イッラッラーフ ムハンマド ラスールッラー!
アシュハド アッラー イラーハ イッラッラーフ ワ アシュハド アンナ
ムハンマダン ラスールッラー!

575 :ミリアム:01/11/10 16:27
イスラム教徒出てこいっ、 殺してやる!!
418 名前: コーヒー牛乳 投稿日: 2001/05/16(水) 20:11

イスラム教が悪いのではなく、一部の信者とイスラム社会が悪い。
イスラムとはアラピア語で「平和、純粋、従順」を表す。
真のイスラム教徒とは、神に従い他者に奉仕を捧げ善行を成す者のこと。
「聖地を巡って争う」ような偶像に振り回された偶像崇拝者などイスラム教徒とはいわない。
それはもはやイスラムの名を騙った偽信者、反逆者だ。
イスラムの最も重要で尊い義務はザカート(喜捨)とサダカ(慈善行為)。
あとは屁みたいなもんです。

コーラン第3章
「あなたがたは愛するものを施しに使わない限り、信仰を全うし得ないであろう。
あなたがたが施しに使うどんなものでも、アッラ―は必ず御存知である。」

言葉でも行いでも他人を傷つけないことはサダカであり
常に微笑みを絶やさず親切に話すこと、盲人の手を引くこと、病人の世話をすること
落胆する者を励ますこと、友人に自分の持ち物を快く貸すことなど
どんな些細なサダカも惜しみなく与え尽くし、行う者こそが敬虔なイスラム教徒。
一日5回礼拝し、コーランを読み、ラマダン月に断食を行い、豚肉を食べない人間がイスラム教徒ではない。

576 :ミリアム:01/11/10 16:28
イスラム教徒出てこいっ、 殺してやる!!
419 名前: コーヒー牛乳 投稿日: 2001/05/16(水) 20:12

「寛容なる者は、アッラーに近く天国に近く、人に近くて地獄からは遠い。
吝嗇なるものは、アッラーからも天国からも人からも遠く、地獄に近い。
まことにアッラーは心の狭い吝嗇な信者よりも
イスラームの教義に暗くとも困窮者に恵みを施す寛容な人を賞でたもう」ーbyもはめっど

コーランなど読まずとも、柔和で寛容、他者に施す者がムスリムだ。
メッカ巡礼、礼拝など二の次、三の次、四の次。いやむしろいらん。
クリスチャンもまたしかり。
ラマダンの目的とは、断食によって飢える者と同様の苦しみを味わうことで
困窮、飢餓に喘ぐ人々への施しの大切さを体験的に痛感すること。
又、施しや慈善行為をし、日頃の悪い行い(他人の悪口など)、悪癖を戒めることにある。
従って、喜捨と善行の伴わないラマダンなど笑止。ダイエットも同然。
ラマダン中は、歯磨き粉や座薬まで使えないなんてのはくだらん、無視してヨシ。

どんな宗教であれ「宗教・宗派」に固執し、教えの真髄を見失い
瑣末な諍いをするような信仰者は皆立派な偶像崇拝者だ。
三大偶像崇拝宗教の代表はユダヤ、キリスト、イスラム教の一神教。
極論を言えば、宗教そのものが偶像。
公平にみると、偶像崇拝として忌まれる仏教が一番偶像に捉われてない気がするな。
比較的、諸宗教にも寛容なんじゃないの。

577 :ミリアム:01/11/10 16:29
イスラム教徒出てこいっ、 殺してやる!!
451 名前: シンパではないですが 投稿日: 2001/05/21(月) 16:03

イスラムであることは神に帰依するということで、まっとうな教徒は以下の義務をはたします。
--------------
つまりイスラム教徒にはどんな「おつとめ」があるのか。
「六信五行(ろくしんごぎょう)」という義務があります。
 「六信」とはムスリムが信じなければならない六つのことです。
 「神」「天使」「啓典」「預言者」「来世」「天命」。この六つ。
 「啓典」は、「コーラン」のこと。ユダヤ教やキリスト教の教えを引き継いでいますから、イスラムでも最後の審判はあって、人々は天国と地獄に振り分けられる。「来世」とはそういうことです。最後の「天命」というのは、どういうイメージなのか私はよくわかりません。
 「五行」は、ムスリムが行わなければならない五つのことです。
 「信仰告白」「礼拝」「断食」「喜捨」「巡礼」の五つ。
もともとはイスラム教はユダヤ教、キリスト教の兄弟宗教で、一神教三兄弟の末っ子なのです。
同じ神をあがめる訳であり、アッラーというのは勿論神のことです。
また、まっとうなイスラム教徒はユダヤ経、キリスト教徒のことを「啓典の民」と呼び尊重しますし、
イエス・キリスト自身も主要な預言者です。
今問題になっているのは、聖典を文字通りに解釈するイスラム至上主義的な考え方を持つ人々であり
それは一部の勢力です。

578 :ミリアム:01/11/10 16:54
レビ記 18: 2
「イスラエルの人々に告げて言え。わたしはあなたがたの神、主である。
18: 3
あなたがたは、あなたがたが住んでいたエジプトの地のならわしをまねてはならない。またわたしがあなたがたを導き入れようとしているカナンの地のならわしをまねてもいけない。彼らの風習に従って歩んではならない。
18: 4
あなたがたは、わたしの定めを行ない、わたしのおきてを守り、それに従わなければならない。わたしは、あなたがたの神、主である。
18: 5
あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守りなさい。それを行なう人は、それによって生きる。わたしは主である。
18: 6
あなたがたのうち、だれも、自分の肉親の女に近づいて、これを犯してはならない。わたしは主である。
18: 7
父をはずかしめること、すなわちあなたの母を犯すことをしてはならない。彼女はあなたの母であるから、彼女を犯してはならない。
18: 8
あなたの父の妻を犯してはならない。それは、あなたの父をはずかしめることである。
18: 9
あなたの姉妹は、あなたの父の娘でも、母の娘でも、あるいは、家で生まれた女でも、外で生まれた女でも、犯してはならない。
18:10
あなたの息子の娘、あるいはあなたの娘の娘を犯してはならない。それはあなた自身をはずかしめることだからである。
18:11
あなたの父の妻があなたの父に産んだ娘は、あなたの姉妹であるから、あなたはその娘を犯してはならない。
18:12
あなたの父の姉妹を犯してはならない。彼女はあなたの父の肉親である。

579 :ミリアム:01/11/10 16:55
レビ記 18:13
あなたの母の姉妹を犯してはならない。彼女はあなたの母の肉親であるから。
18:14
あなたの父の兄弟をはずかしめてはならない。すなわち、その妻に近づいてはならない。彼女はあなたのおばである。
18:15
あなたの嫁を犯してはならない。彼女はあなたの息子の妻である。彼女を犯してはならない。
18:16
あなたの兄弟の妻を犯してはならない。それはあなたの兄弟をはずかしめることである。
18:17
あなたは女とその娘とを犯してはならない。またあなたはその女の息子の娘、あるいはその娘の娘をめとって、これを犯してはならない。彼女たちは肉親であり、このことは破廉恥な行為である。
18:18
あなたは妻を苦しませるために、妻の存命中に、その姉妹に当たる女をめとり、その女を犯してはならない。
18:19
あなたは、月のさわりで汚れている女に近づき、これを犯してはならない。
18:20
また、あなたの隣人の妻と寝て交わり、彼女によって自分を汚してはならない。
18:21
また、あなたの子どもをひとりでも、火の中を通らせて、モレクにささげてはならない。あなたの神の御名を汚してはならない。わたしは主である。
18:22
あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。これは忌みきらうべきことである。
18:23
動物と寝て、動物によって身を汚してはならない。女も動物の前に立って、これと臥してはならない。これは道ならぬことである。

580 :ミリアム:01/11/10 16:56
レビ記 18:24
あなたがたは、これらのどれによっても、身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国々は、これらのすべてのことによって汚れており、
18:25
このように、その地も汚れており、それゆえ、わたしはその地の咎を罰するので、その地は、住民を吐き出すことになるからである。
18:26
あなたがたは、わたしのおきてとわたしの定めを守らなければならない。この国に生まれた者も、あなたがたの間の在留異国人も、これらの忌みきらうべきことを、一つでも行なうことがないためである。
18:27
――あなたがたより先にいたこの地の人々は、これらすべての忌みきらうべきことを行なったので、その地は汚れた。――
18:28
あなたがたがこの地を汚すことによって、この地が、あなたがたより先にいた国民を吐き出したように、あなたがたを吐き出すことのないためである。
18:29
これらの忌みきらうべきことの一つでも行なう者はだれであろうと、それを行なう者は、その民の間から断たれる。
18:30
あなたがたは、わたしの戒めを守り、あなたがたの先に行なわれていた忌みきらうべき風習を決して行なわないようにしなさい。それによって身を汚してはならない。わたしはあなたがたの神、主である。」
19: 1
ついで主はモーセに告げて仰せられた。
19: 2
「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。
19: 3
おのおの、自分の母と父とを恐れなければならない。また、わたしの安息日を守らなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。
19: 4
あなたがたは偶像に心を移してはならない。また自分たちのために鋳物の神々を造ってはならない。わたしはあなたがたの神、主である。

581 :ミリアム:01/11/10 16:57
イスラム教徒出てこいっ、 殺してやる!!
494 名前: コーヒー牛乳 投稿日: 2001/05/24(木) 18:14

パキスタンでは窃盗における刑罰で四肢切断を施行しています。
(アフガニスタン、イラン、イラク、ナイジェリア、サウジアラビア、ソマリア、スーダンなども)
日本で厨房が一度や二度CD万引きしたって大抵、泣き落としで許されるというのに
貧しさからやむを得ず犯したかもしれない過ちによって
体の一部を失った上に一生泥棒の汚名を背負って虐げられながら生きていかねばならんとは。

インドネシア人女性が出稼ぎ先のアラブで雇用主に強姦され
妊娠させられ、女性が姦通罪で死刑宣告されたことがありましたが、類似のケースは多くあります。
(この場合、インドネシアのNGOの反対運動によって結局、釈放されましたが)
パキスタンでもレイプされると女性が性交に同意しなかったことを4人のムスリム男性が
立証しない限り、被害者側が姦通罪、私通罪で刑罰を受けることがあります。
(石打による処刑か公場での鞭打ち刑に処せられる)

イランでシーア派法学が背景にあるシャーリアによって制定された刑法では
同性愛者はキスしただけで60回の鞭打ち。
血縁関係のない男同士が裸でいっしょに寝ただけでも両者99回の鞭打ち。
肛門挿入のない性行為は両者100回の鞭打ち。
合意のもとに肛門挿入した場合、挿入者と被挿入者は供に死刑。
・・・ってことになってます。
同性愛は立証要件が難しいようで、容疑をかけられるだけで拷問を受けたりします。
なかには濡れ衣をきせられ冤罪で拷問死も。
処刑方法も拷問禁止条約違反にも関わらず、石打ち刑、斬首刑、クレーンからの投下
などを公共の場で見せしめに施行される場合もあります。
「石打の刑」は聞くとたいしたことなさそうだけど最も残虐な処刑法です。
処刑者の下半身を地面に埋め後頭部に布袋を被せ
処刑執行人達が石をぶつけじわじわ殺していきます。
次第に布袋は鮮血で染まり、鼻は砕け、眼球は潰れ顔がグチャグチャになって死にます。
締首刑は最も楽だと思われ。

582 :ミリアム:01/11/10 16:58
イスラム教徒出てこいっ、 殺してやる!!
495 名前: コーヒー牛乳 投稿日: 2001/05/24(木) 18:15

一説によるとイランでは80年代からこれまで
4000人以上の同性愛者が処刑されたとされてます。
近頃、イラン政府は「同性愛だけで処刑した」という国際的な批判から回避するために
必ず強姦、麻薬所持、スパイ、飲酒などの罪名(汚名)も被せた上で処刑しているようです。

こういう事件が単に反イスラム感情を植え付けるだけでなく
日本がイスラム教国から亡命してきた外国人に難民認定するとか
その辺を何とかしろという風に世論が向かうといいんだけどなあと思います。
それから、訂正。破られたのはコーラン一冊じゃなくハディースも含め三冊でした。

583 :ミリアム:01/11/10 16:58
イスラム教徒出てこいっ、 殺してやる!!
652 名前: 名無しさんの主張 投稿日: 2001/05/27(日) 04:54

http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=TV&action=m&board=1835057&
tid=a1vla3a4naga5a4a5
sa5ia5ma57a5a2a1wa4acfzfya4rbbha4ca4bfbbv7o&sid=1835057&mid=
70

ポルノ出演のイラン女性、「石打ち」で処刑
投稿者: agi8309 2001年5月23日 午前 1時04分
メッセージ: 70 / 72


 【テヘラン21日=久保哲也】二十一日付のイラン保守系紙による
と、八年前に国内制作のポルノビデオに出演したとされるイラン人女
性(35)が二十日、テヘラン市内の刑務所で、地中に埋められ、石
で打たれて処刑された。

 イスラム教の戒律が厳しく、外国人や異教徒でも女性は全身を覆う
イスラム式服装を強制されるイランでは、ポルノは当然、ご法度。海
外で制作されたものは現在、違法に流通しているが、国内で制作され
たのが確認されたのは極めて異例だという。イランのイスラム法では、
石打ちの刑は不倫や売買春などに適用される。
(5月23日00:39)


やっぱイヤだよな<異スラム凶 。少なくともオイラは絶対改宗しな
い。

584 :ミリアム:01/11/10 16:59
イスラム教徒出てこいっ、 殺してやる!!
666 名前: コーヒー牛乳 投稿日: 2001/05/27(日) 17:06

>>661
ネットウォッチ板にそんなスレが・・・。シャミルさんも大変だなあ。
>>652
それにしても気の毒だ。
諸悪の根源はホメイニとその革命だ。
彼女が頭から下を土中に埋められてる時の恐怖ってどんなものだったんだろ。南無・・。

去年、イランでラマダン中に喫煙していた弟を咎めた風紀民兵に腹をたて
ナイフで刺し殺した少年が死刑判決を受けたんだけど
公開処刑が執行される寸前、この少年に息子を殺された被害者の父親が赦免を申し出たため
被告は処刑を免れるという出来事があった。
この感動的なドラマに広場の観衆は歓喜し拍手喝采だったらしい。
しかし、不倫した人とか同性愛者は拷訊され学級会程度の裁判しか受けられずに
石打ち刑や瓦礫の生き埋め刑などの残虐刑に処されているというのに
殺人者が極刑を許され、それがまかり通るということが理解できない。
第一、首吊りなんか自殺志願者の間でも一番ポピュラーで好感度の高い楽な死に方だというのに。
もともと世間は「事件は突発的だし被告はまだ18歳の少年なのに判決が重過ぎる」
という風に受刑者に同情的だったらしい。・・・これは一体。

道徳律や正義はコーランの傀儡になっていると思う。
例えば、飲酒と喫煙はどちらが罪か判断がつかないようなものなのに
喫煙はコーランに規定がないから禁止されていないし、法にもふれない。
単にマホメットの時代にはタバコがなかっただけなのに。
飲酒したら40〜80回の鞭打ち刑って国もあるのに喫煙には
何のお咎めなしってのはなんだか理不尽だ。
喫煙は吸わない人間の健康も損ねるんだから、宗教的にはよろしくないと思うが。
別にイランでもみんな禁止事項を結構、狡賢く違反してるようだ。
要は密告されなければいいんだなー。
イスラム諸国って革命から、日本の社会と比べ時代が逆行してってると思う。
マレーシアでは5年位前に伝統衣装着用を唱道しはじめたり
小中学校の催しでの歌やダンスはダメ、女性の髪の毛が写っている野外広告の禁止とかしたり
・・なんか戦中みたいだなぁ。  

585 :ミリアム:01/11/10 17:00
出エジプト記 21:23
しかし、殺傷事故があれば、いのちにはいのちを与えなければならない。
21:24
目には目。歯には歯。手には手。足には足。
21:25
やけどにはやけど。傷には傷。打ち傷には打ち傷。
21:26
自分の男奴隷の片目、あるいは女奴隷の片目を打ち、これをそこなった場合、その目の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない。
21:27
また、自分の男奴隷の歯一本、あるいは女奴隷の歯一本を打ち落としたなら、その歯の代償として、その奴隷を自由の身にしなければならない。
21:28
牛が男または女を突いて殺した場合、その牛は必ず石で打ち殺さなければならない。その肉を食べてはならない。しかし、その牛の持ち主は無罪である。
21:29
しかし、もし、牛が以前から突くくせがあり、その持ち主が注意されていても、それを監視せず、その牛が男または女を殺したのなら、その牛は石で打ち殺し、その持ち主も殺されなければならない。
21:30
もし彼に贖い金が課せられたなら、自分に課せられたものは何でも、自分のいのちの償いとして支払わなければならない。
21:31
男の子を突いても、女の子を突いても、この規定のとおりに処理されなければならない。
21:32
もしその牛が、男奴隷、あるいは女奴隷を突いたなら、牛の持ち主はその奴隷の主人に銀貨三十シェケルを支払い、その牛は石で打ち殺されなければならない。
21:33
井戸のふたをあけていたり、あるいは、井戸を掘って、それにふたをしないでいたりして、牛やろばがそこに落ち込んだ場合、
21:34
その井戸の持ち主は金を支払って、その持ち主に償いをしなければならない。しかし、その死んだ家畜は彼のものとなる。

586 :ミリアム:01/11/10 17:00
レビ記 20:26
あなたがたはわたしにとって聖なるものとなる。主であるわたしは聖であり、あなたがたをわたしのものにしようと、国々の民からえり分けたからである。』
20:27
男か女で、霊媒や口寄せがいるなら、その者は必ず殺されなければならない。彼らは石で打ち殺されなければならない。彼らの血の責任は彼らにある。」

587 :ミリアム:01/11/10 17:01
申命記 17: 2
あなたの神、主があなたに与えようとしておられる町囲みのどれでも、その中で、男であれ、女であれ、あなたの神、主の目の前に悪を行ない、主の契約を破り、
17: 3
行ってほかの神々に仕え、また、日や月や天の万象など、私が命じもしなかったものを拝む者があり、
17: 4
それがあなたに告げられて、あなたが聞いたなら、あなたはよく調査しなさい。もし、そのことが事実で、確かであり、この忌みきらうべきことがイスラエルのうちに行なわれたのなら、
17: 5
あなたは、この悪事を行なった男または女を町の広場に連れ出し、男でも女でも、彼らを石で打ちなさい。彼らは死ななければならない。
17: 6
ふたりの証人または三人の証人の証言によって、死刑に処さなければならない。ひとりの証言で死刑にしてはならない。
17: 7
死刑に処するには、まず証人たちが手を下し、ついで、民がみな、手を下さなければならない。こうしてあなたがたのうちから悪を除き去りなさい。

588 :ミリアム:01/11/10 17:02
申命記 22:16
その女の父は長老たちに、「私は娘をこの人に、妻として与えましたが、この人は娘をきらいました。
22:17
ご覧ください。彼は口実を構えて、『あなたの娘に処女のしるしを見なかった。』と言いました。しかし、これが私の娘の処女のしるしです。」と言い、町の長老たちの前にその着物をひろげなさい。
22:18
その町の長老たちは、この男を捕えて、むち打ちにし、
22:19
銀百シェケルの罰金を科し、これをその女の父に与えなければならない。彼がイスラエルのひとりの処女の悪口を言いふらしたからである。彼女はその男の妻としてとどまり、その男は一生、その女を離縁することはできない。
22:20
しかし、もしこのことが真実であり、その女の処女のしるしが見つからない場合は、
22:21
その女を父の家の入口のところに連れ出し、その女の町の人々は石で彼女を打たなければならない。彼女は死ななければならない。その女は父の家で淫行をして、イスラエルの中で恥辱になる事をしたからである。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。

589 :ミリアム:01/11/10 17:03
申命記 22:22
夫のある女と寝ている男が見つかった場合は、その女と寝ていた男もその女も、ふたりとも死ななければならない。あなたはイスラエルのうちから悪を除き去りなさい。
22:23
ある人と婚約中の処女の女がおり、他の男が町で彼女を見かけて、これといっしょに寝た場合は、
22:24
あなたがたは、そのふたりをその町の門のところに連れ出し、石で彼らを打たなければならない。彼らは死ななければならない。これはその女が町の中におりながら叫ばなかったからであり、その男は隣人の妻をはずかしめたからである。あなたがたのうちから悪を除き去りなさい。
22:25
もし男が、野で、婚約中の女を見かけ、その女をつかまえて、これといっしょに寝た場合は、女と寝たその男だけが死ななければならない。
22:26
その女には何もしてはならない。その女には死刑に当たる罪はない。この場合は、ある人が隣人に襲いかかりいのちを奪ったのと同じである。
22:27
この男が野で彼女を見かけ、婚約中のその女が叫んだが、救う者がいなかったからである。
22:28
もしある男が、まだ婚約していない処女の女を見かけ、捕えてこれといっしょに寝て、ふたりが見つけられた場合、
22:29
女と寝たその男は、この女の父に銀五十シェケルを渡さなければならない。彼女は彼の妻となる。彼は彼女をはずかしめたのであるから、彼は一生、この女を離縁することはできない。

590 :ミリアム:01/11/10 17:30
567 :ミリアム :01/11/10 16:10
>他の民は十戒どおりに迫害してはならないはず。
旧約でも他の民をジェノサイドしているわ。
→ 569と570、を読めば分かるわね。

568 :ミリアム :01/11/10 16:20
ユダヤの神もイスラムの神も同じ性格だわよ。
→ 女については、578-580、にレビ記から抜粋しているわ。
この引用の最後がミソなの。
女の人を襲うのと鋳物を造る偶像崇拝は同じ扱いよ。
姦通(とされる事)の罰は同じね。
→ 581-584、イスラムでの実例よ。
→ 585-589は、旧約での根拠だわ。
聖霊の導きで、聖伝は神の言葉で、などと言うけど、
「私が命じもしなかったものを拝む者」
「霊媒や口寄せがいるなら、その者は必ず殺されなければならない。」
って石打ちの刑の対象に列挙されているわね。
ステパノの殉教は石打だったわよね。パウロも石打ちに遭って死んだものと勘違いされましたね。
イエスは十字架刑。ヤコブは城壁から突き落としの刑。だったけど。
ユダヤ教徒はモーセの書の通りに実行しただけ。

おのれ以外を拝む奴は赦さない。って潔癖。
→ 570-574、はコーランからね。

同じ神なので、
→ 573、が可能なの。

イスラムの概要については、
→ 575-577、だわ。

591 :うひゃひゃ:01/11/10 17:53
最後の預言者ムハマドを認めず、
人に対してアラー(神)に対するよう祈る異教徒どもは、
神の裁き、テロの犠牲となるが良い†
うひゃひゃ。。。。(はあと
自爆テロ・炭疽菌は、神のご意志。イッシャ・アラー(爆)
ムスリムを裏切るパキ国にも神の罰をA神は偉大なり。アラー・アクバル♪

592 :まりや:01/11/10 17:58
今日の書き込み運勢をどうぞ
http://www46.tok2.com/home/nichuranai/index.htm

593 :マリア:01/11/10 19:00
>>567ミリアムさん、いらっしゃい。
>旧約はユダヤ人の書。
>キリスト教は旧約から導き出されたモノでないでしょうよ。
>新約ではパウロが神が唯一であるからには異邦人の神でもある。
>と言っているわ。
そうよ。今のキリスト教は、ユダヤ人のものじゃないもの。
そこから秘儀の伝統を受け継いでいるという話しよ。

>旧約でも他の民をジェノサイドしているわ。
神の名のもとに。ね。そうしなければ、ダメだったからよ。

>コーランやイスラム法学者が言っています。
でしょ。

>新約はユダヤ教徒のものではないというあかしじゃない。
一部を除いて、そういうことよ。他の人のためのものよ。

>ユダヤ教のことを新約で解くのはおよしなさい。ともいえるわ。
その通りよ。だから、あたしは分けているところは分けているのよ。
ただし、キリスト教は初期はユダヤ人のものだったから、
秘儀については、共通部分もあるのよ。イスラムにもね。
ただし、まだその時ではないから三つの民は互いに認め合えないのよ。

>旧約とコーランのアッラー(神)や天使ミカエルは荒ぶる神だけど、
>イエスやパウロの言う神は和霊なの。聖霊や天使ガブリエルなどは奇霊ね。
いいえ。旧約とアラーの神は別のものよ。兄弟ではあるけどね。
それから、全ての神には同じように荒御霊もあり、和御霊もある。
天使たちは、この眷属よ。

594 :マリア:01/11/10 19:16
あら、訂正があるわ。
ユダヤの神とアラーの関係は、親子であり、兄弟である。
それから、イエズスの言う神は、ユダヤの神だったけど、
パウロの言う神は、ユダヤの神とは親子であり、兄弟なの。
そして、その神は元は一つであり、三つなのよ。

何故こんな手の込んだことをするかって?
それは、元の神の事情よ。

595 :名無しさん@1周年:01/11/11 01:31
>>563 >マリアさん
> >>561回答よ。
> >公会議が聖霊によるなら、それは預言である。
> >それで世は明るくなったのであろうか?
> ならば聞くけど、全てがイスラム教になった地方は良くなったのかしら?
> タリバンが支配する地方は、
> 女医がいない土地では死ぬしかないけど、どうかしら?
> 文字通りにやっているところほど、こんなもんよ。キリスト教徒一緒。
タリバンと比べるのは意味がない。彼らは、聖書を学んでいるのであろうか?
そうすれば、完全に文字通りやっていると言えるのであるが。

> >それでは、神の宮が、現在、異邦人に踏み荒らされている事の根拠を、
> >書いていただけるか?
> >キリスト教も一時、踏み荒らした事になるのであろうか?
> イスラム教=非ユダヤ人が何故ユダヤ人の領域を勝手に管理するの?
> あそこは、ユダヤ人のためのものよ。おかしいじゃない。
神が追い出したのではなかったか?

> >イエスは、ユダヤ教のものであろうか?キリスト教のものであろうか?
> >それとも、イスラム教のものであろうか?
> イエズスはユダヤ人。しかし、キリスト教徒のものよ。
> イスラム教も、別解釈で役割を認めているわね。
イエスは、天と地の一切の権能を有している。彼がする事であるが。

> >青銅の蛇は打ち砕かれたが、契約の櫃は行方不明なのであるが。
> 青銅の蛇がいないところに、もはや契約の櫃はいらないわ。
あまり良く理解されていないようだ。

596 :名無しさん@1周年:01/11/11 01:37
>>565 >マリアさん
> >青銅の蛇は打ち砕かれたが、契約の櫃は行方不明なのであるが。
> なぜなら、神が聖とされたものをつぶしてしまったから。
> もういらないのよ。
> キリスト教徒には、新しい聖像を与えたけどね。
そのような事は、聖書のどこに書いてあるのであろうか?

>>564
> >誰が貴方に、悪霊に住処を与えよ、と言わせるのか?
> あなたが答えられなかった質問の意味が理解できたら、
> この意味は必ず解ける。良くお考えなさい。
貴方は、私の質問に答えられないようだ。

> >それは、神を愛し、隣人を愛する事より、大切な事であろうか?
> それを分かっているなら、秘儀の意味が分かるはず。
神は愛である事であろうか。しかし、偶像を愛している人達がいる。
神を愛するなら神におり、偶像を愛するならどこにいるのであろうか。

> 何故、コーランではユダヤのことが理解できないの?
ユダヤ教徒であろうと、キリスト教徒であろうと、
行なう者は、全て入れると書いてあるが。

597 :名無しさん@1周年:01/11/11 01:48
>>565 >マリアさん
> 人は文字に惑わされやすいわ。
> ひとつの言葉でいろんな意味に解釈するわ。
> 秘儀に基づいて解かねば、人は狂う。
しかし、このような事は初めて聞いたが、キリスト教徒には、
このような考えの方が、多くいるのであろうか?

> だから、文字に惑わされている証拠。
> 偶像とは、壊れるもの全てを指すの。
広義においては正であるが、狭義においては否である。
しかし、世に執着するものが狭義の偶像をも持つのではないかな。
いずれ神は、人の中に住むと言われているのに。

> ユダヤの神は、ユダヤ人のものでしかないの。
> ミカの預言書をお読みなさい。
具体的な場所を指示していただけるかな。

> イスラム教でも、
> 他の民は十戒どおりに迫害してはならないはず。

> >そのような事は、どこに書いてあるのだろうか?
> では、何故イスラム教徒はそうするの?
> 書いてなければしないはずよ。
であるから、どこの事について言っているのであろうか?
多神教徒に対しての迫害であろうか?神は非常に問題のある民族を、
滅ぼしたり、散らしたりするのであるから。

> >コーランは、トーラーも福音も証ししている。その逆はない。
> やはり、それでは話しにならないわ。
> コーランはキリスト教徒のものではないという証じゃない。
その逆とは、否はないという意味である。
コーランは、この囲いにいない他の羊たちの物であるが、それを、
神の家、祈りの家が証ししている、と言っているのである。

> キリスト教のことをコーランで解くのはおよしなさい。
> キリスト教のことは、新約と旧約と両者の伝承によって
> 話しなさい。
偶像に関しては、旧約、新約、コーラン共に矛盾はない。
伝承とやらが問題なのではないかな?それは人の言い伝えか?

598 :マリア:01/11/11 01:55
>タリバンと比べるのは意味がない。
>彼らは、聖書を学んでいるのであろうか?
>そうすれば、完全に文字通りやっていると言えるのであるが。
そういうことよ。結局はいくら良い法を作っても
人間側の解釈で、様々になってしまうの。

公会議は、ユダヤの秘儀の通りにやっているけど、
そこから出たことをどう解釈するかで、
良くなったり悪くなったりするのよ。
だから、秘儀によって解く事を忘れてはいけないの。

ユダヤの秘儀継承者達も、ここ最近2000年で
黒魔術に嵌っていく人が多い。寂しいことよ。
そして、キリスト教にもイスラム教にも
足を引っ張る呪術者がいる。

>神が追い出したのではなかったか?
秘儀で解けば、神は新たな試練を民に与えたとなるの。

>イエスは、天と地の一切の権能を有している。
>彼がする事であるが。
ええ。キリスト教ではそうよ。コーランでは?

>あまり良く理解されていないようだ。
ええ。民の混乱を避けるために、他の説をわざと用意したのよ。
もうときも近いし、別に出してもいいでしょう。
時が来れば、また戻ってくるわ。

599 :マリア:01/11/11 02:31
>しかし、このような事は初めて聞いたが、キリスト教徒には、
>このような考えの方が、多くいるのであろうか?
旧教系統の教会なら、
公会議での決定や聖人たちの言葉等を当てる。
正しい読み方が出来ないと、死の木への道へ
自分や人を追いやって滅ぼしてしまうから。
ただ、その解釈が狂った時代もあるわ。
それは、ユダヤ人たちと一緒ね。

>広義においては正であるが、狭義においては否である。
いいえ。狭義で解くなら、広義は必要ないわ。

>しかし、世に執着するものが
>狭義の偶像をも持つのではないかな。
>いずれ神は、人の中に住むと言われているのに。
人の信仰がどこにあるかということなのよ。
自分が作り上げた偶像を信仰しているか、神を信仰しているか。
当時、その地方にいた人は、偶像の中に人が入り、
神託と称して人々を搾取していたの。
人々も、それを知っていながら怖いから従っていたのよ。

600 :マリア:01/11/11 02:32
>具体的な場所を指示していただけるかな。
もし知らないなら、4章よ。
この章は、平和が来ることを預言したもの。全部読んで。
そして、5節にこうあるわ。
全ての民は皆、自分の神の名によって歩むが、
我々は、神である主の御名によって歩む。

>多神教徒に対しての迫害であろうか?
そうよ。あたし達にも目が向くようになって来ているからね。
ユダヤ人の神社好きは、一見異様だけれども。
まぁ、これはね・・・。

>神は非常に問題のある民族を、
>滅ぼしたり、散らしたりするのであるから。
いいえ。全部人にやらせているのよ。
裏を返せば、人が勝手にやっているの。
本当に神が滅ぼす時は、天災によって滅ぼすわ。

601 :マリア:01/11/11 02:32
>その逆とは、否はないという意味である。
>コーランは、この囲いにいない他の羊たちの物であるが、
>それを、神の家、祈りの家が証ししている、
>と言っているのである。
では、やっぱりキリスト教には関係ないわ。
イスラム教の「神の家」「祈りの家」だからよ。

>偶像に関しては、旧約、新約、コーラン共に矛盾はない。
>伝承とやらが問題なのではないかな?それは人の言い伝えか?
ならば、もう分かりきったことよ。
ユダヤ教とも、キリスト教とも、イスラム教は関係ないのよ。
ただ、トーラーと福音の文字だけを
持って行った教えということになるの。
そこには、ユダヤの秘儀もなければ、
新約の秘儀もないのだからね・・・。

602 :マリア:01/11/11 03:11
>>596ごめんね。前後してしまったわ。
>そのような事は、聖書のどこに書いてあるのであろうか?
全部聖書に書いていると考える癖がある内は、
ユダヤ教のことも、各種旧教系の教えのことも理解できないわよ。

>貴方は、私の質問に答えられないようだ。
では、あたしの質問に答えることよ。
なぜなら、あなたは人の感情によって話しているから、
あたしは聞き入れないのよ。
あたしの質問が分かれば、理解できるはずよ。

>神は愛である事であろうか。しかし、偶像を愛している人達がいる。
>神を愛するなら神におり、偶像を愛するならどこにいるのであろうか。
偶像の定義が分かっていないからよ。
前のスレに、当時の背景が書いてあるから、それが答えよ。

>ユダヤ教徒であろうと、キリスト教徒であろうと、
>行なう者は、全て入れると書いてあるが。
なら、ユダヤ人の秘儀も、旧教系の秘儀も
理解できるはずなのに、どうして理解できないの?

603 :マリア:01/11/11 03:24
全ては解釈の異なるところから生じた争い。
互いの秘儀を互いに人の感情で判断するから
理解できないところから出た争い。

互いに理解できるようになれば、
そのときこそ神は人に宿り、再びひとつになれる。
イスラムの出現は、秘儀から解けばそういう意味もあるのよ。

604 :名無しさん@1周年:01/11/11 19:59
603は自称霊能者

605 :名無しさん@1周年:01/11/11 23:16
603
は危険人物
だまされるな

606 :名無しさん@1周年:01/11/12 01:23
>>598 >マリアさん
> >タリバンと比べるのは意味がない。
> >彼らは、聖書を学んでいるのであろうか?
> >そうすれば、完全に文字通りやっていると言えるのであるが。
> そういうことよ。結局はいくら良い法を作っても
> 人間側の解釈で、様々になってしまうの。
人間の解釈ではないが。ユダヤ教徒やキリスト教徒たちの聖典を、
知らぬ事がないように、とコーランに書いてある。

> 公会議は、ユダヤの秘儀の通りにやっているけど、
> そこから出たことをどう解釈するかで、
> 良くなったり悪くなったりするのよ。
> だから、秘儀によって解く事を忘れてはいけないの。
当然、聖霊は解釈を間違えないように預言するのではないかな。

> >神が追い出したのではなかったか?
> 秘儀で解けば、神は新たな試練を民に与えたとなるの。
であるなら・・・、
> イスラム教=非ユダヤ人が何故ユダヤ人の領域を勝手に管理するの?
> あそこは、ユダヤ人のためのものよ。おかしいじゃない。
この文章が成り立たなくなるが。

> >あまり良く理解されていないようだ。
> ええ。民の混乱を避けるために、他の説をわざと用意したのよ。
> もうときも近いし、別に出してもいいでしょう。
> 時が来れば、また戻ってくるわ。
神がいらないから契約の櫃をつぶしたとか、青銅の蛇がいなければ
櫃はいらないとか、あまりいいかげんな事は言わない方が良いと思うが。

>>599
> 当時、その地方にいた人は、偶像の中に人が入り、
> 神託と称して人々を搾取していたの。
> 人々も、それを知っていながら怖いから従っていたのよ。
これは、ある一部の例にすぎないのではないだろうか。
アシェラ像の中にも、人が入っていたのであろうか?
青銅の蛇は、香を焚かれていただけではなかったか?

607 :名無しさん@1周年:01/11/12 01:28
北部同盟万歳

608 :名無しさん@1周年:01/11/12 01:30
>>600 >マリアさん
> >具体的な場所を指示していただけるかな。
> もし知らないなら、4章よ。
> この章は、平和が来ることを預言したもの。全部読んで。
> そして、5節にこうあるわ。
> 全ての民は皆、自分の神の名によって歩むが、
> 我々は、神である主の御名によって歩む。
これは、神が唯一であることを否定している文章とは思えないが?

> >神は非常に問題のある民族を、
> >滅ぼしたり、散らしたりするのであるから。
> いいえ。全部人にやらせているのよ。
> 裏を返せば、人が勝手にやっているの。
> 本当に神が滅ぼす時は、天災によって滅ぼすわ。
神は人も使って、滅ぼしたり散らしたりしているのではないかな。

> >その逆とは、否はないという意味である。
> >コーランは、この囲いにいない他の羊たちの物であるが、
> >それを、神の家、祈りの家が証ししている、
> >と言っているのである。
> では、やっぱりキリスト教には関係ないわ。
> イスラム教の「神の家」「祈りの家」だからよ。
十字軍で取りに行ったのではなかったかな?

> >偶像に関しては、旧約、新約、コーラン共に矛盾はない。
> >伝承とやらが問題なのではないかな?それは人の言い伝えか?
> ならば、もう分かりきったことよ。
> ユダヤ教とも、キリスト教とも、イスラム教は関係ないのよ。
> ただ、トーラーと福音の文字だけを
> 持って行った教えということになるの。
> そこには、ユダヤの秘儀もなければ、
> 新約の秘儀もないのだからね・・・。
一部の預言を除いて、トーラーも福音も、全ての人々への御国の
招待状であり、秘儀など無くても理解できる様になっているの
ではないかな。聖職者の腐敗は、避けられないのであるから。

609 :名無しさん@1周年:01/11/12 01:37
>>602
> >神は愛である事であろうか。しかし、偶像を愛している人達がいる。
> >神を愛するなら神におり、偶像を愛するならどこにいるのであろうか。
> 偶像の定義が分かっていないからよ。
> 前のスレに、当時の背景が書いてあるから、それが答えよ。
上に疑問を呈しておいた。

> >ユダヤ教徒であろうと、キリスト教徒であろうと、
> >行なう者は、全て入れると書いてあるが。
> なら、ユダヤ人の秘儀も、旧教系の秘儀も
> 理解できるはずなのに、どうして理解できないの?
密教・秘教、隠された教義・奥義は、無限大にある。
そして、キリスト教派内ですら、また多くの違ったものを持っている。
特定しなければ、何を指すかも分からないが。

>>603
> 互いに理解できるようになれば、
> そのときこそ神は人に宿り、再びひとつになれる。
> イスラムの出現は、秘儀から解けばそういう意味もあるのよ。
多くの先の者はあとになり、あとの者は先になると書いてあるが。

610 :マリア:01/11/12 11:14
>>606
>人間の解釈ではないが。ユダヤ教徒やキリスト教徒たちの聖典を、
>知らぬ事がないように、とコーランに書いてある。
けど、文字しか知らない。それはなぜかしら?
時が来ていないからよ。

>当然、聖霊は解釈を間違えないように預言するのではないかな。
ならば、何故時は来なかったのかしら?

>この文章が成り立たなくなるが。
いいえ。やはり今は互いに異教徒ということよ。

>神がいらないから契約の櫃をつぶしたとか、青銅の蛇がいなければ
>櫃はいらないとか、あまりいいかげんな事は言わない方が良いと思うが。
いいえ。そうなるのよ。

>これは、ある一部の例にすぎないのではないだろうか。
>アシェラ像の中にも、人が入っていたのであろうか?
>青銅の蛇は、香を焚かれていただけではなかったか?
ええ。そこからのお告げだといえば、人が入っていることと同じ。
何とでも言えるものよ。
だから、秘儀によって解かねばならないのよ。

611 :マリア:01/11/12 11:28
>これは、神が唯一であることを
>否定している文章とは思えないが?
それは正解であり、正解でなく、また正解よ。
全ての聖なるものは、同じ所から出ているから、正解。

>神は人も使って、
>滅ぼしたり散らしたりしているのではないかな。
さて?それはどうかしら?
十字軍は間違いであったし、
イスラエルのパレスチナ侵攻も間違い。
神に忠実な異教徒を殺すのは、間違っているわ。
イスラム教に基づき、他の民を根絶やしにするのも間違い。
だから、間違い。

>十字軍で取りに行ったのではなかったかな?
はて?キリスト教の神の家は、キリスト教の神の家。
ユダヤ教の神の家は、ユダヤ教の神の家。
イスラム教の神の家は、イスラム教の神の家。
どけもこれも、同じ所から出ているけど、
今はまだ関係のないもの。

>一部の預言を除いて、トーラーも福音も、
>全ての人々への御国の招待状であり、
>秘儀など無くても理解できる様になっているの
>ではないかな。聖職者の腐敗は、避けられないのであるから。
いいえ。それを人の文字で読むなら神のものではない。
それを人の言葉で聞くなら、神のものではないわ。
人が作った神ものよ。これは、偶像よ。

612 :マリア:01/11/12 11:36
>密教・秘教、隠された教義・奥義は、無限大にある。
>そして、キリスト教派内ですら、
>また多くの違ったものを持っている。
>特定しなければ、何を指すかも分からないが。
今分からないのなら、時が来れば分かるわ。

>多くの先の者はあとになり、
>あとの者は先になると書いてあるが。
古の秘儀によって、人々は神を知る。
多くの先の者=人の言葉での解釈、
人の文字によって読む解釈を神のものとする者の多く。

613 :マリア:01/11/12 11:44
さて、時を急ぐようだから、これで〆にしましょう。

神の言葉は、人の言葉や文字によって解いてはならない。
なぜなら、人の言葉は人のものであり、
その文字も人のものであるから。
これらによって解くなら、もはや神のものではない。
その裏に隠されている神の意思を読まなければならない。

ただし、それらはある時は神を知る助けとなる場合もある。
そして、ある時は助けにならない。死の木に向かう場合もある。
よって、否であり、正であり、否である。

614 :マリア:01/11/12 11:47
あら、訂正。
>ただし、それらはある時は神を知る助けとなる場合もある。
これを一番最後にしてね。

615 :マリア:01/11/12 12:03
青銅の蛇について

青銅の蛇は神によって与えられたもの。
しかし、何故それが必要だったのか?
それは、人は弱いものだからよ。

神の行われた技の、記念・記憶・賛美のために、
二度と忘れないように。十戒と共に置かれたもの。

カトリックの聖像について
神と共に生きた者、あるいは全てを神に任せ従った者の、
記念・記憶・賛美のためのもの。
あるいは、人として現れた人の子=子なる神である
キリストであるイエズスの、記念・記憶・賛美のためのもの。
これを秘儀で解けば、偶像ではない。となる。
その像は神や聖人として拝むためのものでなく、
思い起こすためのものであるから。

もし、それを神であり、聖人であると拝むなら、
それは既に人が作った物。妄想である。
人の言葉や文字を神であると拝むのと同じである。

616 :マリア:01/11/12 12:13
人が古の秘儀によって全ての聖典を解くことを思い出した時、
聖櫃は戻ってくる。青銅の蛇も戻ってくる。
エルサレムは正なる都として再び輝きを取り戻す。

その時は、終わりであり、始まりである。
全てが一つとなり、互いに証し合える。
もはや、聖地は異邦人のものでもなくなるわ。
神の民のものになる。
これを嫌うものは、自ら滅びへの道を歩むわ。

その古の秘儀は、皆知っていて知らないというもの。

617 :ヌマツダ:01/11/12 18:43
なぜならメシアはあらゆる敵をその足もとに置くときまでは、
支配を続けることになっているからである。
最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
(コリントT15:25〜26、詩編110:1)
彼は、ほかの大祭司のように、まず自分の罪のため、
次に民の罪のために、日々、いけにえをささげる必要はない。
なぜなら自分をささげて、一度だけ、それをされたからである。
(ヘブル7:27)
しかし今や私達を繋いでいたものに対して死んだのであって、
私達は律法から解放され、
その結果、古い文字によってではなく、
新しい霊によって仕えているのである。
(ローマ7:6)
神は私たちに力を与えて新しい契約に、仕える者とされたのである。
それは文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。
(律法の)文字は人を殺し、(キリストの)霊は人を生かす。
(コリントU3:6)
わたしたちは、四方から艱難を受けても窮しない。
途方に暮れても行き詰まらない。
迫害にあっても見捨てられない。倒されても滅びない。
(コリントU4:8〜9)
なぜなら患難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、
練達は希望を生み出す事を知っているからである。
そして希望は失望に終わる事はない。
なぜなら私達に賜っている聖霊によって、
神の愛が私達の心に注がれているからである。
(ローマ5:3〜5)
「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてある通り、
それと同じ信仰の霊を持っているので、
わたしたちも信じている。それ故信じている。
(コリントU4:13、詩編116:10)
それとも
「神は私達の内に住まわせた霊を嫉むほどに愛しておられる」
と、聖書に書いてあるのは、虚(むな)しい言葉だと思うのか。

618 :ヌマツダ:01/11/12 18:44
(ヤコブ4:5、イザヤ54:8)
何よりもまず、お互いの愛を熱く保ちなさい。
愛は多くの罪をおおうものである。
不平を言わずに、互いにもてなし合いなさい。
(ペテロT4:8〜9)
語る者は、神の御言葉(みことば)を語る者にふさわしく語り、
奉仕する者は、
神から賜る力による者にふさわしく奉仕するべきである。
それは、すべてのことにおいて、
イエズス・キリスト(=ヨシュア・メシア、ヘブライ語)によって、
神があがめられるためである。
栄光と力とが代々限りなく、彼にあるように、アーメン。
(ペテロT4:11)
このように、いつまでも存続するものは、
信仰と希望と愛と、この三つである。
このうちで最も大いなるものは愛である。
(コリントT13:13)
そして、善を行う事と施しをする事とを、忘れてはいけない。
神は、このようないけにえを喜ばれる。
(ヘブル13:15)
最後に言う。
主にあって、その偉大な力によって強くなりなさい。
(エフェソ6:10)
 マラナ タ(アラム語)
われらの主よ、来りませ。
(コリントT16:22、ヨハネ黙示録22:20)

619 :ヌマツダ:01/11/12 18:45
愛する者たちよ。自分で復讐をしないで、
むしろ、神の怒(いか)りに任せなさい。なぜなら、
「主が言われる。復讐はわたしのするところである。
わたし自身が報復する」と書いてあるからである。
(ローマ12:19、ヘブル10:30、申命記32:35)
「あなたがたの律法に、
『わたしは言う、あなたがたは神々である』
と書いてあるではないか。」
(ヨハネ福音書10:34、詩編82:6)
「この世の子らは、めとったり、嫁いだりするが、
かの世に入って死人からの復活にあずかるにふさわしい者達は、
めとったり、嫁いだりすることはない。
彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、
神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。」
(ルカ20:34〜36)
死人の復活も、また同様である。
朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえり、
卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、
ヨワイものでまかれ、ツヨイものによみがえり、
肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。
肉のからだがあるのだから、霊のからだもあるわけである。
(コリントT15:42〜44)
なぜならメシアはあらゆる敵をその足もとに置くときまでは、
支配を続けることになっているからである。
最後の敵として滅ぼされるのが、死である。
(コリントT15:25〜26、詩編110:1)

620 :ヌマツダ:01/11/12 18:46
舌は火である、不義の世界である。
舌は私達の器官の一つとして備えられたものであるが、
全身を汚し生存の車輪を燃やし、自ら地獄の火で焼かれる。
私達は舌で父である主を賛美し、
また舌で神にかたどって造られた人間を呪います。
(ヤコブ3:6、3:9)
キリストは私達の為に、呪いとなって、
私達を(旧約)律法の呪いから贖(あがな)い出して下さった。
(旧約)聖書(申命記)に「木に架けられた者は呪われる」
と書いてある。
それはアブラハムの受けた祝福がイエズス・キリストにあって、
異邦人に及ぶ為であり、約束された御霊(みたま)を、
私達が信仰によって受ける為である。
(ガラテア3:13〜14、申命記21:23)
なぜなら人は心に信じて義とされ、
口で告白して救われるからである。
(ローマ10:10)
ゆえに、それは人間の意志や努力によるのではなく、
ただ神の憐(あわ)れみによるのである。
(ローマ9:16)
憐れみを行わなかった者に対しては、
仮借のない裁きが下される。
(神の)憐れみは(終わりの日の)裁きに打ち勝つ。
(ヤコブ2:13)

621 :ヌマツダ:01/11/12 18:47
 ホサナ メンブロメ バルカンマ アドナイ。(ヘブライ語)
いと高きところの者よ救いを賜え、
主のみ名によって来たる者に祝福あれ。
(ニコデモ福音書=ピラト行伝)
私達があなた方に伝えた事は、私自身、主から受けたものです。
即ち主イエズスは引き渡される夜、
パンを取り、感謝の祈りを捧げてそれを裂き、
『これは、あなた方の為の私の体である。
私の記念としてこのように行いなさい』と言われました。
また食事の後で杯も同じようにして、
『この杯は、私の血によって立てられる(エレミヤの)新しい契約である。
飲む度に、私の記念としてこのように行いなさい。』
と言われました。
だから、あなた方は、このパンを食べこの杯を飲むごとに、
主が来られる時まで、主の死を告げ知らせるのです。
(コリントT11:23〜26、エレミア31:31〜34)
さて、カイザリアにコルネリオという名の人がいた。
イタリア隊と呼ばれた部隊の百卒長(ひゃくそつちょう)で、
信心深く、家族一同と共に神を敬い、
民に数々の施しをなし、絶えず神に祈っていた。
(使徒10:1〜2)

622 :ヌマツダ:01/11/12 18:48
イエズスは答えられた、「第一の戒(いまし)めはこれである、
『シェマァ、イスラエる。 アドナイ エろヘ-ヌ、アドナイ エはっド。
 ヴェアはヴッタ エット アドナイ エろヘーは。
 ベほる れヴァヴェはー、ウヴゥほる ナフシェはー、ウヴゥほる メオデはー、』
(ヘブライ語:申命記6:4〜5)
『イスラエルよ、聞け。
主(しゅ)なる私達の神は、ただ独りの主である。
心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、
主なるあなたの神を愛せよ』。
(マルコ12:29〜30、マタイ22:34〜40、ルカ10:25〜28、申命記6:4〜5)
予言者や夢占いをする者があなた達の中に現れ、
しるしや奇跡を示して、そのしるしや奇跡が言った通り実現した時、
「あなたの知らなかった他の神々に従い、これに仕えようではないか」
と誘われても、
その予言者や夢占いをする者の言葉に耳を貸してはならない。
あなたの神、主はあなた達を試し、心を尽くし、魂を尽くして、
あなたの神、主を愛するかどうか知ろうとされるからである。
(申命記15:2〜4)
偶像造りの野心は王を知らない人をも駆り立てて、
偶像崇拝を広めさせた。
彼は権力者に取り入るため、
腕を振るって肖像を実際よりも美しいものに作り上げた。
多くの人は職人の見事なわざに引かれ、
先程まで人間として敬っていた者を、
今や礼拝の対象と見なすようになった。
この事は人間の生涯にとって罠となった。
災難や権力に支配された人々が、神聖な名を石や木に与えたから、
(知恵の書14:18〜21)

623 :ヌマツダ:01/11/12 18:48
命のないものに望みを賭ける人々は惨めだ。
彼らは人の手で造られたものを神々と呼ぶ。
技術の生み出した金銀の作品、動物の像、
昔の人が加工した役に立たない石などを。
(知恵の書13:10)
彼らは神を知る点で間違っただけではない。
無知から生じた大きな戦いのうちに生きながら、
次のような悪事を平和と呼んでいる。
流血と殺害、盗みと偽りが至るところにあり、
堕落、不信、騒動、偽証、
善人への迫害、恩恵の忘却、魂の汚染、性の倒錯、
結婚の乱れ、姦淫、好色が至るところにある。
(知恵の書14:22、26)
命のないものに命を乞い、全く経験のないものに助けを求め、
自分の足さえ使えないものに旅の安全を願う。
(知恵の書13:18)

624 :ヌマツダ:01/11/12 18:49
律法の全体は、
「デウテラ デ ホモイア アウテ、
 アガペーセイス トン ペレーシオン スー オース セアウトン」(ギリシャ語)
「δευτερα δε ”оμοια αυτη”
 αγαπησειζ τον πλησιον σου
 ωζ σεαυτον.」(ΚΑΤΑ ΜΑΘΘΑΙΟΝ22:39)
「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」という、
この一句に尽きるからである。
気をつけるがよい。
もし互いにかみ合い、食い合っているなら、
あなたがたは互いに滅ぼされてしまうだろう。
(ガラテア5:14〜15,マタイ22:39,マルコ12:31,ルカ10:27,レビ19:18)
なぜなら律法をことごとく守ったとしても、
その一つの点に落ち度があれば、
全体を犯したことになるからである。
たとえば「姦淫(かんいん)するな」と言われた方は、
また「殺すな」とも仰せになった。
そこで、たとい姦淫はしなくても人殺しをすれば、
律法の違反者になったことになる。
だから自由の律法によって裁かれるべき者らしく語り、
かつ行いなさい。
(ヤコブ2:10)
互いに愛し合う事の外は何人にも借りがあってはならない。
人を愛する者は律法を全うするのである。
「姦淫するな、殺すな、盗むな、貪(むさぼ)るな」
など、そのほかに、どんな戒めがあっても、結局、
「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」
と言う、この言葉に帰する。
愛は隣り人に害を加えることはない。
だから愛は律法を完成するものである。
(ローマ13:8〜10,レビ19:18)

625 :ヌマツダ:01/11/12 18:49
兄弟たちよ。あなたがたにお勧めする。
怠惰な者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、
すべての人に対して寛容でありなさい。
だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、
お互いに、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべてのものを識別して、良いものを守り、
あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。
(テサロニケT5:14〜17、21〜22)
みことばを教えてもらう人は、教える人と、
すべて良いものを分け合いなさい。
すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、
霊にまくモノは、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。
私達は、善を行うことに、うみ疲れてはならない。
たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。
だから、機会のあるごとに、だれに対しても、
とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。
(ガラテア6:6、6:8〜10)
あなたが知っている通り彼においては、信仰が行いと共に働き、
その行いによって信仰が全うされ、
こうして「アブ・ラハム(多くの父)は神を信じた。
それによって彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、
そして彼は「神の友」と唱えられたのである。
(ヤコブ2:22〜23、イザヤ41:8、創世記15:6)

626 :ヌマツダ:01/11/12 18:50
私(イエズス)の弟子であるという名のゆえに、
この(キリストの)小さい者のひとりに
冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、
決してその報いからもれることはない。
(マタイ10:42)
霊魂の無い体が死んだものであると同様に、
行いの無い信仰も死んだものなのである。
(ヤコブ3:26)
人は言う、「彼の手紙はオモミがあって力強いが、
会って見ると外見弱々しく、話はつまらない」。
(コリントU10:10)
多くの人が肉によって誇っているから、わたしも誇ろう。
あなた方は賢い人たちなのだから、
喜んで愚か者を忍んでくれるだろう。
実際、あなた方は奴隷にされても、
食い倒されても、略奪されても、
いばられても、顔をたたかれても、それを忍んでいる。
言うのも恥ずかしい事だが、私達は弱すぎるのだ。
もしある人があえて誇るなら、
わたしは愚か者になって言うが、私もあえて誇ろう。
もし誇らねばならないのなら、わたしは自分の弱さを誇ろう。
(コリントU11:18〜21)

627 :ヌマツダ:01/11/12 18:51
すると、どこに私達の誇りがあるのか。全くない。
なんの法則によってか。行いの法則によってか。
そうではなく、信仰の法則によってである。
私達は、こう思う。
人が義とされるのは、(割礼の)律法の行いによるのではなく、
信仰によるのである。
それとも、神はユダヤ人(ヘブルびと)だけの神であろうか。
また、異邦人の神であるのではないか。
確かに、異邦人の神でもある。
まことに神は唯一であって、
割礼のある者(ユダヤ人)を信仰によって義とし、
また無割礼の者(異邦人)をも信仰のゆえに義とされるのである。
(ローマ4:27〜30)
なぜなら、律法を行うことによっては、
すべての人間は神の前に義とせられないからである。
律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。
(ローマ4:20)
欲が孕んで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。
(ヤコブ1:15)
死のとげは罪である。罪の力は律法である。
(コリントT15:56)
そこで、律法によっては、
神の御前に義とされる者は一人もないことが、明らかである。
なぜなら、「信仰による義人は生きる」からである。
(ガラテア3:11、ハバクク2:4)
私達の行った義のみわざによってではなく、
ただ神の憐(あわ)れみによって再生の洗いを受け、
聖霊により新たにされて私達は救われたのである。
この聖霊は私達の救い主イエズス・キリストを通して、
私達の上に豊かに注がれた。
(テトス3:5〜6)

628 :ヌマツダ:01/11/12 18:52
’アーレフ Bベース Gギメル Dダーレス Hヘー Wワーウ Zザイン Hヘース Tテース Yヨード
Kカーフ LラーメドMメーム Nヌーン Sサーメク ’アイン Pペー Sツァーデ Qコーフ Rレーシュ
Sシーン Tターウ
αアルファβベータγガンマδデルタεイプシロンζゼータηイータθシータιイオタ
κカッパλラムダμミューνニューξクサイοオミクロンπパイρローσシグマτタウ
υユプシロンφファイχカイψプサイωオメガ
ΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩ

629 :ヌマツダ:01/11/12 18:54
【 聖書要略 】
ラ パラブラ デ ディオス エスペランサ パラ トダス
 使徒信経
われは天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、
またその御(おん)独り子、
我らの主(しゅ)イエズス・キリスト、
すなわち聖霊(せいれい)によりて宿(やど)り、
童貞マリア(=マリヤム=マリハム)より生まれ、
(サンヒドリン=ユダヤ最高法院の大祭司長カイヤファによって)
(ローマ帝国ユダヤ属州ポンティウス・ピラト総督=)
ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、
十字架に付けられ、死して葬られ、
古聖所に降りて、三日目に死者のうちより甦(よみがえ)り、
天に昇りて全能の父なる天主の右に座し、
かしこより、
生ける人と死せる人とを裁かん為に来り給う主を信じ奉る。
われは聖霊、聖なる公教会、諸聖人の通功、
罪の赦し、肉身の甦(よみがえ)り、終わりなき命を信じ奉る。
アーメン。
(マタイ1:1〜25、27:1〜66、28:1〜20)
(マタイ22:44、マルコ12:36、ルカ20:42、詩編110:1、テモテ3:16)
 主の祈り
天にまします我らの父よ.
願わくは、み名の尊まれんことを、み国の来らんことを、
み旨(むね)の天に行わるる如(ごと)く、
地にも行なわれんことを、
我らの日用の糧を、今日われらに与えたまえ。
我らが人に赦す如く、我らの罪を赦したまえ。
我らを試みに引き給(たま)わざれ。
我らを悪より救い給え。
アーメン。
(マタイ6:9〜13、ルカ11:2〜4)
 栄唱
願わくは、父と子と聖霊とに栄えあらんことを、
初めに在(あ)りし如く、
今も何時(いつ)も代々(よよ)に到るまで。
アーメン。

630 :マリア:01/11/12 18:59
これらを人の言葉で聞き、人の文字によって解いてはならない。
神を偶像の中に入れようとする者は、死に向かうわ。

631 :ヌマツダ:01/11/12 18:59
公教会祈祷文(中央出版社)カトリック中央協議会編

聖体拝領後の祈 七六頁
【 キリストに向う祈(聖イグナシオ)アニマ・クリスティ 】
願わくはキリストの御魂(おんたましい)われを聖ならしめ、
キリストの御体(おんからだ)われを救い、
キリストの御血(おんち)われを酔わしめ、
キリストの御側腹(おんわきばら)より滴りし水われを潔(きよ)め、
キリストの御受難(ごじゅなん)われを強(つよ)めんことを。
慈愛深きキリスト、わが願いを聴き容(い)れ、
御傷(おんきず)のうちにわれを隠したまえ。
主を離るるを許し給わず、悪魔のわなよりわれを護り給え。
臨終の時にわれを招き、主の御許(おんもと)にいたらしめ、
諸聖人と共に、世々に主を賛美するを得しめ給え。
アーメン。

632 :ヌマツダ:01/11/12 19:00
【 霊操 】イグナチオ・デ・ロヨラ著
第二週 第四日 二つの旗についての黙想[第一部 ルシフェルの旗]

第一要点 すべての敵の首領が、
・・・炎と煙の大玉座に座しているすさまじい姿を想像する。

第二要点 ルシフェルが数限りない悪魔を呼び集め、
・・・散開させ、全世界に送ることを考察する。
どんな地方でも、・・・、どんな人物であろうとも、
ルシフェルはその一つをも見落とさないのである。

第三要点 ルシフェルが配下にする説教を考察する。
人々に網を投げ、鎖をからめるように勧めている様を考察する。
まず第一に、富への欲望をもって人々をいざない、
それによってもっと自然に世の空しい名誉を抱くようになり、
ついに底知れない傲慢に一層たやすく陥るようにさせる。
・・・。従って、・・・。ルシフェルは人々を
この三段階から他のあらゆる悪徳に引きずり込むのである。

633 :ヌマツダ:01/11/12 19:35
acts: 2: 4
すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
acts: 5: 9
そこで、ペテロは彼女に言った。「どうしてあなたがたは心を合わせて、主の御霊を試みたのですか。見なさい、あなたの夫を葬った者たちが、戸口に来ていて、あなたをも運び出します。」
acts: 6: 3
そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判の良い人たち七人を選びなさい。私たちはその人たちをこの仕事に当たらせることにします。
acts: 6:10
しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができなかった。
acts: 8:29
御霊がピリポに「近寄って、あの馬車といっしょに行きなさい。」と言われた。
acts:10:19
ペテロが幻について思い巡らしているとき、御霊が彼にこう言われた。「見なさい。三人の人があなたをたずねて来ています。
acts:11:12
そして御霊は私に、ためらわずにその人たちといっしょに行くように、と言われました。そこで、この六人の兄弟たちも私に同行して、私たちはその人の家にはいって行きました。
acts:11:28
その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。
acts:16: 7
こうしてムシヤに面した所に来たとき、ビテニヤのほうに行こうとしたが、イエスの御霊がそれをお許しにならなかった。
acts:19:21
これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。
acts:21: 4
私たちは弟子たちを見つけ出して、そこに七日間滞在した。彼らは、御霊に示されて、エルサレムに上らぬようにと、しきりにパウロに忠告した。

634 :ヌマツダ:01/11/12 19:36
rom: 1: 4
聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
rom: 1:11
私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。
rom: 2:29
かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。
rom: 7: 6
しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。
rom: 8: 2
なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。
rom: 8: 4
それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。
rom: 8: 5
肉に従う者は肉的なことをもっぱら考えますが、御霊に従う者は御霊に属することをひたすら考えます。
rom: 8: 6
肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。
rom: 8: 9
けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
rom: 8:11
もしイエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも生かしてくださるのです。
rom: 8:13
もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。

635 :ヌマツダ:01/11/12 19:36
rom: 8:14
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。
rom: 8:15
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
rom: 8:16
私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
rom: 8:23
そればかりでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
rom: 8:26
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
rom: 8:27
人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
rom:15:19
また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。その結果、私はエルサレムから始めて、ずっと回ってイルリコに至るまで、キリストの福音をくまなく伝えました。
rom:15:30
兄弟たち。私たちの主イエス・キリストによって、また、御霊の愛によって切にお願いします。私のために、私とともに力を尽くして神に祈ってください。

636 :ヌマツダ:01/11/12 19:38
1cor: 2: 4
そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。
1cor: 2:10
神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。
1cor: 2:11
いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。
1cor: 2:12
ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。
1cor: 2:13
この賜物について話すには、人の知恵に教えられたことばを用いず、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばをもって御霊のことを解くのです。
1cor: 2:14
生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
1cor: 2:15
御霊を受けている人は、すべてのことをわきまえますが、自分はだれによってもわきまえられません。
1cor: 3: 1
さて、兄弟たちよ。私は、あなたがたに向かって、御霊に属する人に対するようには話すことができないで、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように話しました。
1cor: 3:16
あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。
1cor: 6:11
あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。
1cor: 7:40
私の意見では、もしそのままにしていられたら、そのほうがもっと幸いです。私も、神の御霊をいただいていると思います。
1cor: 9:11
もし私たちが、あなたがたに御霊のものを蒔いたのであれば、あなたがたから物質的なものを刈り取ることは行き過ぎでしょうか。
1cor:10: 3
みな同じ御霊の食べ物を食べ、
1cor:10: 4
みな同じ御霊の飲み物を飲みました。というのは、彼らについて来た御霊の岩から飲んだからです。その岩とはキリストです。

637 :ヌマツダ:01/11/12 19:38
1cor:12: 1
さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていていただきたいのです。
1cor:12: 3
ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
1cor:12: 4
さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
1cor:12: 7
しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
1cor:12: 8
ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
1cor:12: 9
またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
1cor:12:11
しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
1cor:12:13
なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
1cor:14: 1
愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
1cor:14:12
あなたがたのばあいも同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるよう、熱心に求めなさい。
1cor:14:37
自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい。
1cor:15:44
血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
1cor:15:45
聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは、生かす御霊となりました。
1cor:15:46
最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありません。御霊のものはあとに来るのです。

638 :ヌマツダ:01/11/12 19:39
2cor: 1:22
神はまた、確認の印を私たちに押し、保証として、御霊を私たちの心に与えてくださいました。
2cor: 3: 3
あなたがたが私たちの奉仕によるキリストの手紙であり、墨によってではなく、生ける神の御霊によって書かれ、石の板にではなく、人の心の板に書かれたものであることが明らかだからです。
2cor: 3: 6
神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
2cor: 3: 8
まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。
2cor: 3:17
主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。
2cor: 3:18
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
2cor: 5: 5
私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です。神は、その保証として御霊を下さいました。

639 :ヌマツダ:01/11/12 19:39
gal: 3: 2
ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
gal: 3: 3
あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。
gal: 3: 5
とすれば、あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇蹟を行なわれた方は、あなたがたが律法を行なったから、そうなさったのですか。それともあなたがたが信仰をもって聞いたからですか。
gal: 3:14
このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。
gal: 4: 6
そして、あなたがたは子であるゆえに、神は「アバ、父。」と呼ぶ、御子の御霊を、私たちの心に遣わしてくださいました。
gal: 4:29
しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を迫害したように、今もそのとおりです。
gal: 5: 5
私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。
gal: 5:16
私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません。
gal: 5:17
なぜなら、肉の願うことは御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。この二つは互いに対立していて、そのためあなたがたは、自分のしたいと思うことをすることができないのです。
gal: 5:18
しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません。
gal: 5:22
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
gal: 5:25
もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
gal: 6: 1
兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
gal: 6: 8
自分の肉のために蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、御霊のために蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取るのです。

640 :ヌマツダ:01/11/12 19:40
eph: 1:17
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
eph: 2:18
私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。
eph: 2:22
このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
eph: 3: 5
この奥義は、今は、御霊によって、キリストの聖なる使徒たちと預言者たちに啓示されていますが、前の時代には、今と同じようには人々に知らされていませんでした。
eph: 3:16
どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
eph: 4: 3
平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。
eph: 4: 4
からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。
eph: 5:18
また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。
eph: 6:17
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
eph: 6:18
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。

641 :ヌマツダ:01/11/12 19:42
phil: 1:19
というわけは、あなたがたの祈りとイエス・キリストの御霊の助けによって、このことが私の救いとなることを私は知っているからです。
phil: 2: 1
こういうわけですから、もしキリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
phil: 3: 3
神の御霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇り、人間的なものを頼みにしない私たちのほうこそ、割礼の者なのです。
col: 1: 8
私たちに、御霊によるあなたがたの愛を知らせてくれました。
1thess: 5:19
御霊を消してはなりません。
2thess: 2:13
しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
1tim: 4: 1
しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。
heb: 9:14
まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。
heb:10:29
まして、神の御子を踏みつけ、自分を聖なるものとした契約の血を汚れたものとみなし、恵みの御霊を侮る者は、どんなに重い処罰に値するか、考えてみなさい。
jas: 4: 5
それとも、「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。」という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。

642 :ヌマツダ:01/11/12 19:42
1pet: 1: 2
父なる神の予知に従い、御霊の聖めによって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人々へ。どうか、恵みと平安が、あなたがたの上にますます豊かにされますように。
1pet: 1:11
彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。
1pet: 4:14
もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。
1john: 3:24
神の命令を守る者は神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます。神が私たちのうちにおられるということは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知るのです。
1john: 4:13
神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
1john: 5: 6
このイエス・キリストは、水と血とによって来られた方です。ただ水によってだけでなく、水と血とによって来られたのです。そして、あかしをする方は御霊です。御霊は真理だからです。
1john: 5: 8
御霊と水と血です。この三つが一つとなるのです。
jude:19
この人たちは、御霊を持たず、分裂を起こし、生まれつきのままの人間です。

643 :ヌマツダ:01/11/12 19:44
rev: 1: 4
ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。常にいまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、
rev: 1:10
私は、主の日に御霊に感じ、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。
rev: 2: 7
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者に、わたしは神のパラダイスにあるいのちの木の実を食べさせよう。」』
rev: 2:11
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。勝利を得る者は、決して第二の死によってそこなわれることはない。」』
rev: 2:17
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。わたしは勝利を得る者に隠れたマナを与える。また、彼に白い石を与える。その石には、それを受ける者のほかはだれも知らない、新しい名が書かれている。」』
rev: 2:29
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』
rev: 3: 1
また、サルデスにある教会の御使いに書き送れ。『神の七つの御霊、および七つの星を持つ方がこう言われる。「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、生きているとされているが、実は死んでいる。
rev: 3: 6
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』
rev: 3:13
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』
rev: 3:22
耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」
rev: 4: 2
たちまち私は御霊に感じた。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、
rev: 4: 5
御座からいなずまと声と雷鳴が起こった。七つのともしびが御座の前で燃えていた。神の七つの御霊である。

644 :ヌマツダ:01/11/12 19:44
rev: 5: 6
さらに私は、御座――そこには、四つの生き物がいる。――と、長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。これに七つの角と七つの目があった。その目は、全世界に遣わされた神の七つの御霊である。
rev:14:13
また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行ないは彼らについて行くからである。」
rev:17: 3
それから、御使いは、御霊に感じた私を荒野に連れて行った。すると私は、ひとりの女が緋色の獣に乗っているのを見た。その獣は神をけがす名で満ちており、七つの頭と十本の角を持っていた。
rev:21:10
そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。
rev:22:17
御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください。」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。

645 :ヌマツダ:01/11/12 19:45
matt: 3:16
こうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
matt: 4: 1
さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
matt:10:20
というのは、話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。
matt:12:28
しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。
matt:22:43
イエスは彼らに言われた。「それでは、どうしてダビデは、御霊によって、彼を主と呼び、
mark: 1:10
そして、水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。
mark: 1:12
そしてすぐ、御霊はイエスを荒野に追いやられた。
luke: 2:27
彼が御霊に感じて宮にはいると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、はいって来た。
luke: 4: 1
さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、
luke: 4:14
イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。
luke: 4:18
「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。しいたげられている人々を自由にし、

646 :ヌマツダ:01/11/12 19:45
john: 1:32
またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまられるのを私は見ました。
john: 3: 5
イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国にはいることができません。
john: 3: 6
肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。
john: 3: 8
風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」
john: 3:34
神がお遣わしになった方は、神のことばを話される。神が御霊を無限に与えられるからである。
john: 6:63
いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。
john: 7:39
これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
john:14:17
その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
john:15:26
わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。
john:16:13
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
john:16:14
御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
john:16:15
父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。

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