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出口王仁三郎の霊界物語part2

1 :名無しさん@1周年:03/01/06 05:32
前スレ
http://life.2ch.net/test/read.cgi/psy/1018168233/l50

2 :名無しさん@1周年:03/01/06 05:33
注:四次元の立場から見ても三次元球は平面ではありません。
  円を三次元の立場から見てもあくまでも曲線に囲まれた図形であるように。

3 :名無しさん@1周年:03/01/06 06:29
あまり深く考えるな。

4 :名無しさん@1周年:03/01/06 06:41
娯楽本と割り切ってしまえば良い。

5 :名無しさん@1周年:03/01/06 07:55
>注:四次元の立場から見ても三次元球は平面ではありません。
>円を三次元の立場から見てもあくまでも曲線に囲まれた図形であるように。

 四次元以上の幾何学が分かっていないどころか、三次元の幾何学も
分かっていないみたいだね。

 円は、三次元では、見る角度によっては、単なる線分に見える。
「あくまでも曲線に囲まれた図形」として見えるとは限らない。同様に
 四次元でも、三次元の球は、見る角度によっては、平面の円に見える。


6 :名無しさん@1周年:03/01/06 08:03
>>2

 今、紙に円を描いて、その円を切り取って、その円を色んな
角度から見てみな。線(分)にしか見えない角度があるから。


7 :名無しさん@1周年:03/01/06 08:50
王仁さんが言う「地は平らか」というのは、霊界での風景のことだと思うけど
ね。天国と霊国の「太陽」の高度に関する記述がどこかにあったはず。そこで
「地は平らか」ということが述べられていたと思うけど(記憶違いならスマソ)。
霊界の「太陽」と対比させて、霊界の「地」を説いたんじゃないだろか。

それに、王仁さんが大いに啓発された神道家本田親徳の著作には、すでに地球
が丸いという説が紹介されている。それどころか、太陽の自転周期が25時間
だということまで検証されている。あの超人的な読書家の王仁さんが、これを
読み落としているはずがない。

8 ::03/01/06 09:54
高天原においては、大神様が日輪様と現はれ給ふところを東となし、これに対す
るを西となし、それから高天原の右の方を南となし、左の方を北とするのです。
さうして天界の天人は、何れのところにその顔と体躯(からだ)とを転向すると
も、みな日月(じつげつ)に向かってゐるのです。その日月に向かうたところを
東といふのです。(霊界物語、第47巻第20章)

霊界においては、どこに顔を向けても日月に向かうことになるので、日の出も
日没もない。つまり、「地球が丸い」と考えると説明がつかなくなります。

9 :名無しさん@1周年:03/01/06 18:19
>今、紙に円を描いて、その円を切り取って、その円を色んな
>角度から見てみな。線(分)にしか見えない角度があるから。

それ以外の角度では円に見えるだろ。
真円、楕円かは問わず。
君はある特定の見方だけで物を判断するのか?

球とて3次元世界でも一方向から見れば円だ。
でもそれをもって「これは球ではなく円だ」と主張するのか?

10 :名無しさん@1周年:03/01/06 18:23
>霊界においては、どこに顔を向けても日月に向かうことになるので、日の出も
>日没もない。つまり、「地球が丸い」と考えると説明がつかなくなります。

地球が「平坦」だと説明がつくのか?
理屈を聞こう。

11 :名無しさん@1周年:03/01/06 18:48
>>9

>それ以外の角度では円に見えるだろ。
>真円、楕円かは問わず。
>君はある特定の見方だけで物を判断するのか?

 ある角度と言ったが、二次元の円を、三次元目の軸に直角で見たら
そうなるのだが、それは二次元と三次元の違いがもっともはっきり
する視点となる。

>球とて3次元世界でも一方向から見れば円だ。
>でもそれをもって「これは球ではなく円だ」と主張するのか?

 三次元の幾何学がまったく分かってないねえ。「球とて3次元世界でも
一方向から見れば円だ」ということはないよ。三次元の球は三次元では
どの方向から見ても真ん中が膨れあがっている球だ。
 もっとも、片目しかない場合は立体視が出来なくて奥行きが見えない
から、二次元的な目となって円に見えるが。
 三次元の球は、四次元では四次元目の軸に対しては厚みがゼロ。しか
し三次元の球は、三次元ではどの軸に対しても厚みがある。

 君は言えば言うほど自分の無知をさらけ出していることにいい加減
気がついた方がいいと思うがね。こっちは、君に三次元の幾何学を教
えなくてはいけないので馬鹿らしくなってくる。


12 :名無しさん@1周年:03/01/06 19:11
>三次元の球は三次元ではどの方向から見ても真ん中が膨れあがっている球だ。

たとえば太陽はどう見える?
煤をつけたガラスを使って見てごらん
また陰の出来ないよう照明を当てられた球はどうだ?

13 :名無しさん@1周年:03/01/06 19:14
また騙し絵みたいな手法で円を球らしく見せることもできるな。

14 :名無しさん@1周年:03/01/06 19:20
>>12

 さらに馬鹿らしいことを言い出したな。そんなことは三次元と
四次元での物の見え方の違いとはまったく関係ない。


15 :名無しさん@1周年:03/01/06 19:24
>14
>三次元の球は三次元ではどの方向から見ても真ん中が膨れあがっている球だ。
君もこう言っているが?

4次元でも球と円は明確に区別されるだろ?

もとを正せば高次元からみれば地球は平坦だとイタイ発言があったわけだが。




16 :名無しさん@1周年:03/01/06 19:38
>>15

 馬鹿らしいね。三次元の幾何学が分かっていない者に
四次元以上の幾何学を説明しても無意味だということが
よく分かったよ。これ以上説明を求めるなら、少なくとも
三次元の幾何学を勉強し直してからにして欲しい。


17 :名無しさん@1周年:03/01/06 19:40
>16
君も本当にわかっているのかね?
4番目の次元軸て何?

18 :名無しさん@1周年:03/01/06 19:44
>>17

 次元軸はいくらでも取れる。三次元で終っている高校レベルの
幾何学ではなくて、大学レベルの幾何学を学んでいれば、こんな
質問はしないだろう。


19 :名無しさん@1周年:03/01/06 19:44
3次元の見方では平面やら立体やらとなるが4次元では別の概念が加わる
んじゃない?

20 :名無しさん@1周年:03/01/06 19:45
>18
では何?
具体的にどうぞ。

21 ::03/01/06 19:59
>10

うむ。仮に地表面が平坦だったとしても、「何れのところにその顔と体
躯(からだ)とを転向するとも、みな日月(じつげつ)に向かってゐる」を
説明することはできない。

ただ、地球が球体の場合には、太陽の影になる部分(夜)が必ず存在
するはずから、ますます記述と合わなくなる。霊界での地球を平坦とし
た方が矛盾が少ないと思われる。

22 ::03/01/06 20:11
球とは、ある点から等距離rにある点の集合を球面とするから、4次元の
球面を表わす式はこうなるね。

(x-x0)^2+(y-y0)^2+(z-z0)^2+(u-u0)^2=r^2

この球面と、4次元での平面u=u0の交線は、この式にu=u0を連立させて
できる式 (x-x0)^2+(y-y0)^2+(z-z0)^2=r^2 だが、それは3次元での球
面と等しい。ところが、これは4次元での平面u=u0上の点の集合でもある
わけだから、すべて4次元のある平面の上に乗っている。言い換えると、
3次元での球面は、4次元では平面の一部である。

23 :名無しさん@1周年:03/01/06 20:39
で4次元軸て実際何?

24 :名無しさん@1周年:03/01/06 21:08
>>23

>で4次元軸て実際何?

 幾何学の多次元空間が分かっている者は、こんな質問はしない。
分かっていない者がこんな質問をする。分かれば、こんな質問は
無意味だということが分かるだろう。


25 :『霊界物語』 第2巻 「序」:03/01/06 21:09
霊界の消息に通ぜざる人士は、私の『霊界物語』を読んで、
子供だましのおとぎ話と笑はれるでせう。
ドンキホーテ式の滑稽な物語と嘲る方もありませう。
中には一篇の夢物語として顧みない方もあるでせう。
また偶意的教訓談と思ふ方もありませう。
しかし私は何と批判されてもよろしい。
要は一度でも読んでいただきまして、霊界の一部の消息を窺ひ、
神々の活動を幾分なりと了解して下されば、
それで私の口述の目的は達するのであります。

26 :名無しさん@1周年:03/01/06 21:16
>>5
三次元でどの角度から見ても円はただの線分には見えませんよ?
もしかして縦の軸と直角の方向から見たら線分だとでも思ってるの?
縦の軸と直角の方向から見るということは二次元の立場から
円を眺めることだってことが分かって言ってる?
二次元の立場では言うまでもなく円は曲線に囲まれた図形です。
円が線分と感じられるのは奥行きの存在しない世界、即ち一次元の世界だけ。


27 :名無しさん@1周年:03/01/06 21:23
スマソ、>>26の”縦の軸”ってのは”高さの軸”の間違いっス。

28 :名無しさん@1周年:03/01/06 21:33
>>22
四次元におけるu=0の立場はすなわち三次元の立場だよ?
すなわち我々が見る球と同じ姿として球を眺めること。
もちろん平面ではない。
球が平面図形として円に見えるのは、
三次元の軸のうちの一つを完全に無視した状態に於いてだけ。
これは別に四次元の立場から見なくても三次元の立場でも出来ること。
例えば球に光を当てて逆方向に平らな板を置いてその影を眺めると
円に見えるよね?こういう作業をすると円に”見える”。
でもそれは元の図形ではなくてあくまでも立体である球を平面に投影した
写像に過ぎないんだよ。


29 :名無しさん@1周年:03/01/06 21:37
>>11
>球とて3次元世界でも
>一方向から見れば円だ」ということはないよ。
これが分かってるのなら四次元の立場から四つ目の次元軸の座標が0の場合に
球は平面に見えないことは分かるはずだが・・・
ついでに言えば円を三次元目の軸と直角方向から眺めても
円は曲線に囲まれた図形だってことも分かるはずだが・・・

30 :名無しさん@1周年:03/01/06 23:56
高度が上がれば太陽が近くなるので気温が上昇する(?)

とかいうのも、四次元の視点の話なのでせうか。

31 :名無しさん@1周年:03/01/07 01:55
四次元の立場から見れば三次元に於いては認識出来ない
空間の曲がりを認めることが出来る。
しかし、曲がりが平坦として見えるなどということはありません(w

32 :名無しさん@1周年:03/01/07 02:58
>>28

>四次元におけるu=0の立場はすなわち三次元の立場だよ?
>すなわち我々が見る球と同じ姿として球を眺めること。

 「三次元の立場」の「立場」って何だ?「立場」なんて言葉を使うのは、
まったく次元について分かっていないことの証明みたいなものだな。
 22 で書かれている式では、u=u0 の場合は、四次元における三次元球で、
四次元から見た三次元球と、三次元から見た三次元球は、同じ姿とは見え
ないのだよ。
 それは、二次元球(円)と三次元球が、二次元では同じ形に見えるが、
三次元では同じ形に見えないのと同じ。それとも、君には、三次元で円と
球が同じ形に見えるかね。


33 :名無しさん@1周年:03/01/07 02:58
>>4
娯楽本としての「霊界物語」の価値を知りたい。
たとえば「マハーバーラタ」や「古事記」や「旧約聖書」は
それぞれの宗教に於ける”聖典”だけど、信者以外の人にも
楽しめる娯楽読み物になっていますよね?
わたしゃ、神話や宗教関係の文学が好きなの。
だから興味あるんですが、図書館にも置いてないし買うには高い。
つーわけでどうしようか迷ってるわけです。

34 :名無しさん@1周年:03/01/07 03:04
>>33

>娯楽本としての「霊界物語」の価値を知りたい。

 お笑いの本としても傑作。まあ、お笑いの好みにもよるが、
抱腹絶倒の滑稽諧謔本としても楽しめると思う。


35 :名無しさん@1周年:03/01/07 03:04
>>32
馬鹿ですね。
三次元で見ようが二次元で見ようが四次元で見ようが
円は円だし球は球です。
あなたの「円を三次元軸と垂直に見れば線分になる」という
あまりにも荒唐無稽な説に対して「立場」という言葉を使って
懇切丁寧に説明してあげてるだけなのに・・・
三次元軸と垂直に見るということは一つの次元軸を無視して見るということです。
つまりは二次元住人なるものが存在すると仮定した場合に
その二次元住人と同じ視点で円を眺めるということです。
しかし残念ながら二次元の住人がいたとしても円は曲線で囲まれた図形であって、
線分には見えません。
線分になるのは円を切断した場合だけ。
同じく球は切断面は平面になるけど、どのような高次元から見てもあくまでも閉曲面です。
それが平面と感じられるのは高次元の視点ではなく、
二次元以下の低次元の視点に於いてのみです。

36 :名無しさん@1周年:03/01/07 03:07
>四次元から見た三次元球と、三次元から見た三次元球は、同じ姿とは見え
>ないのだよ。
同じ姿ですよ(w
円は三次元から見ても二次元から見ても同じ図形です(w

37 :名無しさん@1周年:03/01/07 03:10
>>34

 霊界物語の滑稽諧謔の一端を書いたホームページ。

http://www2.nkansai.ne.jp/users/tukinoya/kokei01.htm


38 :名無しさん@1周年:03/01/07 03:11
もちろん「見る」という行為は光学的な三次元の行為であって、
仮に平面世界の存在を考えたとしても厚みのない物体を
「見る」ことは不可能ですが、その辺りは四次元の場合でも同じなので
敢えて無視して考えます。

39 :33:03/01/07 03:12
>>37
サンクス。
諧謔もいいけど、叙事詩的なロマンはあるの?
そういうのも楽しみたい。
神話文学を読む際の楽しみの一つですからね。

40 :33:03/01/07 03:14
追加、次元の話はもうよろしい。
落ち着け双方共。

41 :名無しさん@1周年:03/01/07 03:16
スサノオノミコトを主役とした一種の英雄譚では?

42 :名無しさん@1周年:03/01/07 03:26
四次元とか三次元とかを出口王仁三郎が考えてるわけもなし。
不毛な言い争いすんな。
お釈迦様もキリスト様も地球が丸いことなんて知らなかったよ。
非信仰者から見ればそう考えるのが当然。
だが信仰者から見ればそう考えないのが当然。

43 :名無しさん@1周年:03/01/07 03:53
天地の構造を図解したのであって、
我々の見ている次元軸とは展開が違うだけだ。
見方の違いだ。

44 :名無しさん@1周年:03/01/07 04:38
王仁信者ウザイ。
非信者もいるんだからそれに合わせろや。

45 :名無しさん@1周年:03/01/07 05:21
天動説云々は意図的に無視されてるのか?
あと、火の雨が降るぞと信者を騙した所行も黙認か?

46 :名無しさん@1周年:03/01/07 05:49
著作権切れてるんだったら誰かどこかにUPしろや

47 :名無しさん@1周年:03/01/07 06:41
>>35

>>35

 四次元がまったく分かってないね。二次元と三次元をごちゃ混ぜに
して四次元に当てはめても四次元は分からないね。
 三次元球は、三次元ではピンポン玉にたとえれば表面の殻に囲まれて
内側と外側が分離されている。ところが、三次元球は、四次元では、
四次元目の軸に関しては内側を囲む表面を持たないから、内側と外側
が分離せず、その三次元球には内側というものが存在しない。そして
三次元ではピンポン玉の中に何か入っていればその殻を壊さないと中身は
取り出せないが、四次元では殻を壊さなくても中身を取り出せる。つまり、
三次元では殻によって全方向が閉じられているかに見える三次元球は、
四次元では殻によって閉じられず、内側が外に露出しているものとして
見える。
 これ以上四次元の話をしても無駄だから、四次元について書くなら、
四次元について書かれた幾何学の入門書でも読んでからにして欲しい。
四次元では卵の殻を壊さずに中身が取り出せるといった話で説明して
あるから。


48 :名無しさん@1周年:03/01/07 07:02
ところで、神界が4次元だという証拠でもあるのか?
まずそれを出してくれ。>47

49 :名無しさん@1周年:03/01/07 07:22
>>47
確かに四次元目の軸方向に対して開かれてはいるけど、
三次元空間上で曲面に囲まれてることに変わりはない。
君は三次元に於ける切断”面”を四次元から見た三次元空間に当てはめて
その切断”面”が平”面”だと考えてるみたいだが、それは明らかな間違い。
四次元空間に於いて四次元目の軸と直線方向に交わるのは
”面”ではなくて”空間”なの。
四次元図形は”面”ではなく”空間”で切断される。
球が曲”面”で囲まれた三次元図形であることは四次元でも五次元でも
ヒルベルト空間でも変わらない。
地上、即ち地球表面が”平坦”であるか否かはあくまでも三次元上での
問題であって、そこに四次元を持ち出しても曲面が平面に変わることはない。
それを三次元空間の切断平面に於ける曲線は平面に於いてだけ曲線であるわけでは
ないということで説明したんだけどね。
球面は四次元空間に於ける切断平”空間”上の曲面ではあるので、
別の切断空間上の座標と交わることは有り得ないという意味で、
四次元上では特殊な曲面ではあるけどね。
それは丁度三次元空間内に於いて平面上に収まる線とそうでない
線があるのと同じことだね。

というか君の文章は>35に対する反論として成り立ってない。

50 :名無しさん@1周年:03/01/07 07:30
>>49
>というか君の文章は>35に対する反論として成り立ってない。
これはピンポン玉内部のものを壊さずに
取り出せても>35の内容の反駁にはならないってことです。
ピンポン玉云々に対しては「だからどうなの?」としか言い様がない。

51 :名無しさん@1周年:03/01/07 07:33
>>49
>四次元空間に於いて四次元目の軸と直線方向に交わるのは
>”面”ではなくて”空間”なの。
スマソ、「直線方向」ではなく「直角方向」の間違いですた。

52 :名無しさん@1周年:03/01/07 07:40
>>48
現在の最先端の理論物理学では宇宙は26次元であるという説が有力です。
無論、霊界について超弦理論が触れることなどありませんがね(w

53 :名無しさん@1周年:03/01/07 07:52
>>48

>ところで、神界が4次元だという証拠でもあるのか?
>まずそれを出してくれ。>47

 そもそも、三次元に住む人間が、三次元の概念を抽象化して
多次元に拡張した多次元空間論が、霊界に当てはまるとは考え
ないが、霊界のことを考える粗雑なモデルとしてはそこそこ
使える部分もあるだろうというだけの話。


54 :名無しさん@1周年:03/01/07 07:57
それなら生半可な知識で四次元とか持ち出すよりも
「霊界から見れば平坦なんだよ」と言えばいいだけのことじゃん。
「知の欺瞞」って本を一度読んでみて。

55 :7:03/01/07 09:18
>>49

せっかくレスをいただいたので、補足しますね。4次元空間での「平面」とは
どう定義するかという問題ですけど、例えばu=u0という「空間」上の任意の2点
A(x1,y1,z1,u0),B(x2,y2,z2,u0)を選んだとき、ベクトルABと、u軸方向の
単位ベクトルの内積が常にゼロであれば、ベクトルABはu方向に対して常に直交
するから、u=u0という空間は「平面」であると言えると思います。実際に内積
をとってみると、u=(0,0,0,1)だから、
内積(u,AB)=(x2-x1)*0+(y2-y1)*0+(z2-z1)*0+(u0-u0)*1=0
です。これは、どのようなA,Bの組み合わせにおいても成り立ちます。

だから、「空間」u=u0は4次元的な意味で「平面」と呼んでも差し支えないと
思います。

56 :名無しさん@1周年:03/01/07 14:44
>>55
三次元空間を「四次元的な意味での平面」と呼ぶことに意味があるとは思えないけど・・・・
一般的な定義として平面とは二次元空間のことを指すし、
わざわざ「四次元に於ける平面は三次元空間である」などという新定義を作り出す必要はないと思います。
あとその説明に内積の計算を持ち出す必要もないと思います。

そもそも地球が平坦であるかどうかは二次元空間である地表が曲がっているかどうかの話なので、
「四次元に於ける平面は三次元空間である」という新定義を持ち出しても
「四次元から見れば地球は平坦に見える」という説の助けにはならないのでは?

57 :名無しさん@1周年:03/01/07 14:56
>>55
でも確かに>>22ではあなたは「四次元的な意味での平面は三次元である」
という立場から説明をしていますね。
よく読みもせずに短絡的にそれを批判した>>28については謝ります。

58 :名無しさん@1周年:03/01/07 15:45
「ここに在る物は他にも存するが、ここに無い物はどこにも存在しない」
という言葉がピッタリな書物ですな。

59 :名無しさん@1周年:03/01/08 00:26
四次元・三次元の話は、これくらいにすれば・・・

正直、信者同士の『霊界物語』研究の雑談的会話なら兎も角、
信者でもない人にそういう説明はいけないよ。
解釈になってるし、『霊界物語』が判るの?
霊界が判る?宇宙が判る?四次元?決め付け?
『霊界物語』の言葉を引用するなり、他の聖師様の資料を
引用するなりして、説明すべきでしょ?
他の事をどうして言えるのか?余り自分の言葉に置き換えないように
しなければ、間違えた事を伝えかねない。

60 :名無しさん@1周年:03/01/08 07:56
とにかく高いし図書館にもなかなか置いてないので、
紹介されてた冒頭部分以外でももっとドラマティックな場面を
色々と読めるサイトとか紹介していただけませんか?

61 :名無しさん@1周年:03/01/09 00:24
さて、錦之宮が競売に掛けられたわけだが、
大本裏神業は、どの様な運命をたどるのか。

62 :7:03/01/09 13:09
>>59

ここは別に大本の布教所じゃないわけだから、霊界物語にはこう書いてある、
それを自分はこう解釈する、という具合にソースを明らかにしさえすれば自由
に議論していいと思いますけどね。

霊界物語が外部批判に耐えられないような脆弱なものなら話は別ですが。私は
そうは思わないし、もしそう思ったら霊界物語の拝読など何年も続けませんよ。

63 :7:03/01/09 13:13
そもそも、霊界物語は身魂相応にしか読めない、と王仁サンが言っている
んだから、身魂相応に考えたことを書けばいいのですよ。

もちろん、自分の解釈の部分はちゃんとそう断って書くべきだけどね。

64 :名無しさん@1周年:03/01/09 13:40
聖書からトマスの『神学大全』が生まれたと思うと・・・
宗教の聖典なんてものは後世の信者達が時代に合わせて内容を付与していくもんだわな。
ヒンドゥーでは宇宙創造神ブラフマン(ヴィシュヌ)は聖音「Ω」の神らしいが、
「ス」の神が原初の神であるっていうのは間接的にインドの影響受けてる?
空海も『吽字義』や『声字実相義』で「阿」と「吽」から世界が生まれたとか
言ってると聞いたことあるけど。
旧約聖書で最初に声があったこととかも含めて古今東西の宗教の
共通性が感じられて面白いね。

65 :名無しさん@1周年:03/01/09 17:07
そういえば霊界物語には神代文字が存在
してたと記されているらしいですね、
崇神天皇の時代に無くなったとか。

66 :名無しさん@1周年:03/01/09 19:16
実は、四次元・三次元の話を楽しく読ませて頂いた一人なんですが、
我田引水的自論解釈を強行して、第三次大本事件を煽動した大本本部
の悪い事例を思えば、たとえ『霊界物語』の研究だからとはいえ、
ことわり書きのないまま議論ばかり先行させては、危険だと警告するのが
『霊界物語』という神示を大切に思う者の執るべき発言となるのも当然
というものではないですか。
そもそも>>1に書いてあって然るべきことわり書きがないこのスレで、
発言に注意する意味の意見を書き残しておく必要があると思ったのも事実。
アクセルとブレーキの関係でもある。ブレーキが無ければ暴走が待っている。
『霊界物語』の解釈の危険性を熟知している者同士の研究目的の議論で、
しかるべき立場をわきまえた、『霊界物語』の研究は
どんどんやってもらえば良いと思う。ただ初心者の多い2chなので、
十分考慮の必要なことは今後においても当然のことと思う。悪気はない。

67 :1:03/01/10 05:57
>そもそも>>1に書いてあって然るべきことわり書きがないこのスレで、

ここは『霊界物語』に少しでも興味持った人が集うスレだと思ったので、
ことわり書きなんてものを入れなかっただけっス。
スレ立て人の私自身が大本の信者でも出口さんの崇拝者でもありませんから。

信仰の対象にしようとは全く考えていなくとも、
文学、娯楽としてのみ『霊界物語』に興味を持つのも、
近代宗教史の於ける一史料として『霊界物語』に興味を持つのも、
宗教学的、哲学的解釈の対象として『霊界物語』に興味を持つのも、
スレ住人の自由だと思ってます。

もし、ことわり書きを今から入れるとするならば、
「ここは荒らし、煽り以外には自由に開かれたスレであるので、
 一方的な立場から他のスレ住人の参加態度に干渉するのはやめて下さい」
とでも入れときましょうか?

68 :7:03/01/10 09:17
>>66

私自身も数年前にネット上で霊界物語の存在を知り、いつの間にかはまって
しまったひとりなんですが。私の「初心者時代の経験」から言えば、人が書い
たことを鵜呑みにするなんていう状態には程遠かった。ちょっと聖書をかじ
ったことがあったので、そういう教義をコピペした形跡なんかがひどく鼻に
ついてしまって。賛美歌など、キリストを瑞霊に置き換えただけじゃないか、
どこが違うんだ、というのが正直な感想でした。だけど、後でいろいろな問題
にぶつかった時に、最初に荒唐無稽だと思われた霊界物語の一節に深い真実が
隠されていることに気付いてハッとする。そういう経験の積み重ねによって、
疑惑が薄らいでいったのです。

最初に疑いがない人、ないし疑うことを知らない人は、どんなものでもその
堂奥に到達することはないと断言できる。なぜなら、疑うこと=真理を求める
ということだから。求めない者には、いつまで経っても与えられないでしょう。

66さんの心配はごもっともですが、他人の言う評判を鵜呑みにするような人は
いくら霊界物語を読もうとその本当の「ありがたさ」が判るはずがないのだ
から、一度、疑惑の泥沼の中で数年間のたうちまわってみる方がその人のため
になるかもしれない。

69 :7:03/01/10 09:27
疑ふ事は総て神界に対して奉りて畏れ多き事なれども、蓋し事に由る也。
奇怪(あやし)き事柄と思ふ時は、譬へ神界の御事なりとも、何処までも
考へざる可らず。只神の言なりとて前後の区別も無く、直ちに信ずる時は
迷信に陥り、却って真正(まこと)の道を毀(そこな)ひ破る可し。
(裏の神諭、明治三十六年六月一日)

70 :名無しさん@1周年:03/01/10 22:02
>>67 >ここは荒らし、煽り以外には自由に開かれたスレであるので、

>発言に注意する意味の意見を書き残しておく…
と、>>66に書き込みました。荒らしでも、煽りでもない「意見」です。

>近代宗教史の於ける一史料として…、宗教学的、哲学的解釈の対象として

こうした見方ができるのは、宗教学・哲学だけでなく、
教学全般に精通していないとできません。

「現代の錚々たる学者すらも、未だ神霊界の何たるを了解し得ない世情
だから、一般人が何ほど鯱鉾立ちになつたところで、
この神示の物語が批判されやうはずがない。」 
『霊界物語』第五十三巻「序文」

>文学、娯楽としてのみ『霊界物語』に興味を持つのも

まっ、何にせよ、読んで頂ければ良いと思います。
ただ、文学作品ではなく神示であるという点を無視して、『霊界物語』を
身勝手に批評したところで、どれだけの意味があるでしょうか。

71 :名無しさん@1周年:03/01/11 04:06
>ただ、文学作品ではなく神示であるという点を無視して、『霊界物語』を
>身勝手に批評したところで、どれだけの意味があるでしょうか。

神示とやらが如何に荒唐無稽か世間に知らしめ、騙される人を減らせる。
これ、重要。

72 :名無しさん@1周年:03/01/11 09:12
>>71

>神示とやらが如何に荒唐無稽か世間に知らしめ、騙される人を減らせる。

 どうやって、「神示とやらが如何に荒唐無稽か」を認識したのかな。
 霊界物語を読んだのかな?



73 :名無しさん@1周年:03/01/11 09:17
 『瑞能神歌』を読むだけでも王仁三郎の神示が荒唐無稽とは言えない
ということが判ると思うが。


74 :名無しさん@1周年:03/01/11 13:52
>72
スレよく読め。

75 :名無しさん@1周年:03/01/11 14:22
「耳で見て、眼で聞き、鼻で物食うて、口で臭かねば神は判らぬ」
と聖師様は言われました。
疑惑の泥沼の中で数年間のたうちまわってみるというのも、
『霊界物語』の研究をするというのも、ようは同じことで
それぞれに誠心誠意努力すれば判りかけるという事だと思います。
その本質を探究してやろうという思いが、必要なのです。
聖師様の著作を荒唐無稽と思うなら、その御教え真髄を
徹底的に探求すればよい。人に頼らず、自分の力で『霊界物語』や
その他の著作物を読破し、内容を十分に吟味して、それから結論を
出せばいい。その過程を無視して、
いかに神の心を知ることができるだろうか。

76 :名無しさん@1周年:03/01/11 15:25
75は「耳で見て、眼で聞き、鼻で物食うて、口で臭かねば・・・」
をやっているのか?


77 :名無しさん@1周年:03/01/11 21:13
>>70
>こうした見方ができるのは、宗教学・哲学だけでなく、
>教学全般に精通していないとできません。
そりゃ何も知らずに解釈しろなんて言わないですよ(w
聖書も仏教経典も知識もなしに解釈するなんて不可能。
ていうか宗教書に限らず文学でも経済書でも何でも一緒です(w
そんな当たり前のことをわざわざ言ってどうするの?
>ただ、文学作品ではなく神示であるという点を無視して、『霊界物語』を
>身勝手に批評したところで、どれだけの意味があるでしょうか。
ホメロスも旧約聖書もマハーバーラタも信仰者にとっては宗教的作品です。
しかし、それを現代の人間が文学として楽しむことは自由です。
信者として教えを絶対化した立場から信仰を持たない人に
発言するのはやめて欲しい。
信仰者にとっては”神示”であっても、非信仰者にとっては
ただの書物です。そこんとこ宜しく。

78 :名無しさん@1周年:03/01/11 21:15
それと『霊界物語』で出口王仁三郎が語ったことを
立論の根拠とするのもやめてね。
出口さんの言葉は、信者にとっては問答無用の真実であっても、
他の人にとっては違うんだから。

79 :名無しさん@1周年:03/01/11 21:18
>>75
はっきり言って、大本信者以外は『霊界物語』から
神の心を知ろうとなんて思ってません。
なんでそんな簡単なことがわからないのですか?

80 :名無しさん@1周年:03/01/12 00:10
>>79

>はっきり言って、大本信者以外は『霊界物語』から
>神の心を知ろうとなんて思ってません。

 大本信者ではありませんけど『霊界物語』から神の心を知ろうと
思っていますが、何か?


81 :名無しさん@1周年:03/01/12 00:23
無駄なこった。
広大無辺な神の心を知ることなどはできない
ただ断片をかいま見ることができるのみ。

82 :名無しさん@1周年:03/01/12 00:36
>>80
大本信者でないなら王仁三郎信者でしょう?
同じようなものじゃん(w
信仰心がなかれば特定の本から神の心を知ろうなんて思わんよ。

83 :名無しさん@1周年:03/01/12 00:57
>>81

 「神の心は凡夫の心 凡夫の心は神ごころ」
     (『霊界物語』第15巻余白歌)


84 :名無しさん@1周年:03/01/12 00:59
つか、神って何スか?

85 :名無しさん@1周年:03/01/12 01:04
>83
なら「霊界物語」など必要なしってことだろ
凡夫そのままで神の心なんだからさ!
つまり東洋版「指輪物語」なんだね。

86 :名無しさん@1周年:03/01/12 01:59
なぜに「指輪物語」?

87 :名無しさん@1周年:03/01/12 02:01
漏れも「霊界物語」を別に崇拝してるわけではないが、
妙な煽りがいるのはどうも気分悪いな。
>>77の言葉で言えば、信仰者にとってはあくまでも神示なのだから、
それに対して外部の人間が云々する権利はなかろう。

88 :名無しさん@1周年:03/01/12 03:09
外部の人間にとってはあくまでも神示じゃないのだから、
それに対して信者が云々する権利はなかろう。

89 :名無しさん@1周年:03/01/12 03:18
>>88

 神示と信じない者にとって神示ではないというのは正しいが、
『霊界物語』を読んでいないのに『霊界物語』はどうだこうだ
と決めつけるのはどうかと思うな。読まなければ『霊界物語』が
こういうものだと結論めいたことは言えないはずだから。


90 :名無しさん@1周年:03/01/12 03:19
神示というのも意見
神示じゃないとするのも意見
それだけのこと
>>88が人の意見を云々する権利はなかろう。

91 :名無しさん@1周年:03/01/12 04:33
神示というのも意見
神示じゃないとするのも意見
それだけのこと
>>90が人の意見を云々する権利はなかろう。


92 :名無しさん@1周年:03/01/12 16:56
つーか、宗教に限らず、どのような物に対しても物の見方っていうのは
一つに限定されることは有り得ませんからね。
互いに互いの立場を尊重し合いましょうや。
「神示ではこうだ」と「神示って何だよ(藁」のやり合いじゃ
いつまでも平行線を辿るだけです。
世の中、歩み寄りってもんが必要なのよ(w

93 :名無しさん@1周年:03/01/12 16:57
>>89
同意。読みもせずに馬鹿にするって態度は失礼ですよね。

94 :名無しさん@1周年:03/01/13 05:37
科学者の苦労を知りもせずに莫迦にした王仁三郎は無礼者ですよね。

95 :名無しさん@1周年:03/01/13 06:05
じゃあ王仁三郎は苦労してないのか?

96 :名無しさん@1周年:03/01/13 06:55
>>94

>科学者の苦労を知りもせずに

 王仁三郎は獣医を志して解剖に明け暮れた時期もあるし、科学者の
苦労を知りもせずというのは間違いでは?


97 :名無しさん@1周年:03/01/13 11:12
上田喜三郎青年は牛乳屋さんで成功しましたが、
牛乳屋さんは聖師御推奨の職業なのか。
すると昨今の雪印のような食品事件は何を意味するのか。

98 :名無しさん@1周年 :03/01/13 17:40
当初は普通の牛乳屋でしたが
後に人造牛乳に転職しました

牛乳屋で成功したという
史実は確認されていません

聖師が制定した四大綱領に
「適宜の事務」
というのがあって
現代語に意訳すると
適性に応じた職業選択の自由
云う感じになるかと思われます


99 :名無しさん@1周年:03/01/13 18:14
科学者を「阿呆だ」といったのは事実らしいな。

100 :名無しさん@1周年:03/01/13 19:38
でもさ、王仁師より田中さんのほうが偉いと思うぞ。

101 :名無しさん@1周年:03/01/13 21:39
>>100

 田中さんって、ノーベル賞をもらった田中さんのこと?
 偉いというのは、有名だという意味のつもりならそうだろう。

 しかし、田中さんの場合は実験の失敗が発見につながった、
棚ボタで運が良かった人という気がするが。


102 :名無しさん@1周年:03/01/13 23:20
>101
それこそ神の御わざの現われともいえないこともないと思うが
言霊で神風をふかせるより、よっぽど人々のためになる。

103 :丑寅金神:03/01/13 23:29
人のためになることがそのままいいことだと思う、その心、
その心こそ、外国の悪神に尻の毛まで抜かれた証拠じゃ。
情けなや、情けなや。

104 :名無しさん@1周年:03/01/14 01:11
>>103

 丑寅金神を僭称することこそ、
「その心こそ、外国の悪神に尻の毛まで抜かれた証拠じゃ。
情けなや、情けなや。」



105 :名無しさん@1周年:03/01/14 08:44
>>98

>当初は普通の牛乳屋でしたが
>後に人造牛乳に転職しました

回顧歌の中で、子牛に飲ませる分まで売りに出したので、子牛がひょろひょろ
になっているのを見て涙した、という歌がありましたね。私はああいう王仁
さんのやさしさがたまらなく好きだ。雪印事件も、その後の狂牛病さわぎも、
気のせいかその裏に王仁さんのやさしさが重なる気がする。人間の分際で神事
を勝手に推測するのはいけませんが。

106 :名無しさん@1周年:03/01/14 15:12
歴史的人物として王仁三郎を見ると、
芸術に宗教に政治に軍事にと、その活動領域の広さに
驚くと共に、その全体像を捉えにくいカオス的な人間性を感じますね。
そういうところが面白いなぁ。
民俗学者の鎌田東二郎が、弘法大師空海と出口王仁三郎の共通性に
言及してたな、そういえば。

107 :105:03/01/14 18:25
>106

いわゆる「大化物」ですよね。善人が覗けば善が映り、悪人が覗けば悪が映る。
霊界物語の第1巻に、ヨルダン川にかかる黄金の反橋が出てきて、その橋は
「一面には金色燦爛としてゐるから、おのおの自分の身魂が映って本性を現
はすやうになってゐる。それで中には非常な猛悪な悪魔が現はれて来ても渡
られないので、その橋を通らずに、橋の下の深い流れを泳いで彼岸(むかふぎ
し)に着く悪神も沢山ある。」という代物で、ちょうど審神役の王仁さんに
対応しているのですね。

鏡には、対象がそのまま映るから、なかなか正体が見えてこない。これは王仁
さんだと思っていると、それは自分自身の心が映っていたりする。国常立大神
の御顔も、見る人によって慈悲深くも鬼のようにも見えると言いますが、これ
と同じかもしれません。こういうわけで、「全体像を捉えにくいカオス的な
人間性」ということになるのでしょう。

108 :106:03/01/14 20:52
ということは、漏れは出口王仁三郎が善そのものに
見えないから悪人ってことですか?
鬱だ・・・

109 :名無しさん@1周年:03/01/15 03:48
『霊界物語』第七巻「凡例」
要するに本巻の総説にもあります通り、
この霊界物語は人智をもつて解説することは到底できませぬから、
すべて文字のままを拝読し、身魂(みたま)相応に解釈すれば
結構だと思ひます。

身魂相応に解釈すれば、自ずと自分の本性が反映されるもの。
改心なくして、納得もまたないと思います。

110 :名無しさん@1周年 :03/01/15 08:08
聖師ちゃまに文句が夷いたい方は
81巻総説「天地はえぬきの極元」くらい
読んでから逝ってね

111 :105:03/01/15 09:35
>108
読み始めは私もそうでしたよ。三童子の言葉を借りれば、

「三国ケ岳に大蛇(をろち)がをるの、鬼婆がをるのと吐(ぬか)して、言向和
(ことむけやは)すの、征服するのとは何のことだい。鬼婆も大蛇も、鬼も悪魔
も、貴様の胸に割拠してゐるのを知らぬのか。鬼婆を言向和さうと思へば、貴
様たちの腹の中の鬼婆から先へ改心さして出て行きやがれ。大馬鹿者奴(め)。
ウーン」(第20巻第9章「童子教」)

ということになるのでしょうね。ちょうど、世界を立て替えんと息巻いていた
大本幹部達が、大本事件で真っ先に立て替えられてしまったのと同じです。

112 :名無しさん@1周年:03/01/15 14:08
>>111
ま、おそらく漏れは一生王仁三郎信者になることはないと思うが・・・

113 :名無しさん@1周年:03/01/15 14:10
ただ、歴史的人物としてのイメージが宗教的にはどう解釈されるか、
という意味で興味深かったです。
あ、>>112は悪意があっての発言ではありませんので・・・

114 :名無しさん@1周年:03/01/15 20:35
トリックスター 王仁三郎

115 :名無しさん@1周年:03/01/17 00:48
>>114
鎌田さん?

116 :名無しさん@1周年:03/01/18 02:05
今日、図書館でちょっと読んでみたよ。
結構面白そう。
新たな神話って感じで興味感じた。
文章も名文かどうかは文学的素養のない俺にはわからないけど、
割と読みやすいと思った。
宗教的感銘を受けるかどうかは最後まで読んでないからまだわからない。

117 :名無しさん@1周年:03/01/18 10:06
八幡の本はあいかわらず高いですか?

118 :名無しさん@1周年:03/01/18 21:14
目茶高いです

119 :名無しさん@1周年:03/01/18 21:35
鎌田 東二(カマタ トウジ)
1951年、徳島県生まれ。國學院大学文学部哲学科卒。武蔵丘短期大学助教授。
著書に『神界のフィールドワーク』『記号と言霊』(青弓社)、
『翁童論』『老いと死のフォークロア』(新曜社)、『場所の記憶』(岩波書店)他。


120 :名無しさん@1周年:03/01/19 02:46
電子ブックス版『霊界物語』は、3万円くらいだから
本にした場合の値段考えるとかなり安いな。
まあ平凡社の世界大百科事典が電子ブックスなら2万円程だから、
それに比べりゃ十分高いが。

121 :名無しさん@1周年:03/01/19 22:42
age

122 :山崎渉:03/01/20 05:28
(^^)

123 :名無しさん@1周年:03/01/20 14:39
>>118
和さん(ご冥福をお祈りします)と洋ちゃんとこのビジネスを批判してはいけんよ。
少発行部数の書籍類は割高になるのです。でもCDROMは別かな―。

124 :名無しさん@1周年:03/01/21 17:01
それでも天声社、もとい地黙社発行の
エセ界物語よりはずっとまし

125 :名無しさん@1周年:03/01/21 18:14
霊界物語、シークレット・ドクトリン、古事記大講、神秘学概論
個人的にこの辺は全部制覇したいと思ってたが、
霊界物語と神秘学概論しかまだ制覇出来てない。
「オカルト板に帰れ!!」なんて言わないでね(w

126 :名無しさん@1周年:03/01/22 09:10
>125

スウェデンボルグが一冊も入っていないのはいただけませんなあ。
それに、ブラバッキーは王仁三郎の在世期間と重なるけど、ああいう霊界の
大峠とも言うべき時期に出た霊能者を鵜呑みにするのは危険だと思います。
国常立大神の側も、盤古の側も死力を尽くして闘っていたわけだから、当然
盤古の息がかかった霊能者だっていたはずです。

ところで、福島久がブラバッキーと名乗る鬼から攻撃を受けた話はご存知で
しょうか。

127 :名無しさん@3周年:03/01/22 09:33
>>125  若き同学へ
次の旅に立つ前に、以下について答えてみて下さい。(時間は無制限)
@『霊界物語』は3日で読め、と説かれていますが、この理由を霊的・体的・力的
各側面から述べて下さい。
A天使には181階級有る、と説かれていますが、この理由を述べて下さい。
B「北光開眼」において天使はどちら側の目を失ったか。その理由を述べて下さい。
決して煽りではありません。これからの進路の参考になると思います。
最後に大先達Pythagorasの言葉を送ります。
 Hirundinem domi ne recipias.

128 :127:03/01/22 09:49
>>125
回答は不要(おそらく煽られる) 
『神秘学概論』はR.Steinerの西川隆範師訳のものですか?他の書ですか?
『シークレット・ドクトリン』を読まれる前に同じHPBの"Isis Unveiled”も。


129 :名無しさん@3周年:03/01/22 19:21
アホな神道家なんかは、同時代のブラバッキーに代表される西洋神秘学の復興と国常立大神
は同じく地に封じられていた神の蘇りであるとか・・・。極端になるとそれはルシファーで
あり、ルシファーとは光の神であり何たら・・・。そんな単純なもんじゃないだろうと俺も
思うが。武田はんですら、似たような事書いてたもんな。盤古大神と日本の神の闘いっての
はとても興味深いです。

130 :名無しさん@3周年:03/01/22 19:25
>>126
いえ、鵜呑みにしちゃいません。
何を鵜呑みにするかも決めかねてますし(w
>>127
漏れの手には余ります…

131 :126:03/01/22 19:46
>129

国常立大神が魔王で、人間のワケミタマを栄養源にして生き永らえている
と主張するトンデモ神道家がおりましたな。立て替えられる側の神の手先
に使われていることも知らんと...。

>盤古大神と日本の神の闘いってのはとても興味深いです。

盤古は盤古でも偽者(ウラル彦)ですけどね。

132 :名無しさん@3周年:03/01/22 19:55
何がトンデモで何がアホなのか、判定する基準が分からんよ〜

133 :名無しさん@3周年:03/01/22 20:33
「片目を失った天使」ってのはエジプトのホルス神を思い出すが・・・。あんまり
関係ないかな。

134 :名無しさん@3周年:03/01/22 22:00
もともと、魔王のワケミタマがどうとか言ってたのは初期の武田氏も影響受けていた
金井南龍氏だよね。トンデモ度が急激になったのは、その弟子の代あたりからのよう
な気がする。スサノウはルシファーだからこれからはルシファーの時代だとか。それ
こそ立て替えられる側の神の手先に使われてるだけだよな。

135 :126:03/01/23 08:55
>134

おやおや、実名が出てしまいました(^^)。

ご存知かと思いますが、金井氏の教学は極右?的と言ってよいほどのエリート
主義で、高天原に上がれる人間はごくごくわずか、大部分は魔王の餌食になる
としています。それどころか、定期的にエリートが出ないとこの世は滅ぼされ
てしまうんだと。

これが、今の宗教の大部分を占めている「大中教」(霊界物語第6巻)の型に
なっていると思います。つまり、偽盤古の教えです。門前市をなす宗教のほと
んどが、絶対的権力を持つ教祖を担ぎ上げて、世界を救うのだと主張する。
その教祖を神のように崇めて、ご機嫌を取りつつ絶対服従すれば、めでたく
高天原へ行けるのだとして、嫌々、「剣の刃渡り」やら、「釘下駄の行」に
精を出している...。

どこの「大中教」も、教義の根本にあるものは同じです。

136 :名無しさん@3周年:03/01/23 17:02
>>132
宗教に於ける基準とは「何を信じるか」の一点に尽きるのです

137 :名無しさん@3周年:03/01/23 17:16
>>136

 基準は、「何を信じるか」ではなくて、愛善が中心になっているか否か。

 「高天原に上がれる人間はごくごくわずか、大部分は魔王の餌食になる
としています」 ← こんな考えのどこに愛善があるか?ということを
考えれば、偽物というのはすぐに判明する。ブラバッキーの考えも
中心に愛善なんてない。


138 :名無しさん@3周年:03/01/23 17:31
>>136
禿同! 『霊界物語』的に表現すれば、大神様の愛の善の熱と真の信の光に
包まれつつ、奇魂を働かせて理解・判断すること。


139 :名無しさん@3周年:03/01/23 17:47
なるほどなるほど。俺は南龍氏の「地に封じられた国津神を表に出す」ことと、王仁聖師の
再評価を早くからやってた事に関しては好感もあったんだけど、一方でその冷酷なまでの神
道理論にどうにも納得できないものがあったんだよね。中心に愛と善があるかどうかですね
確かに・・・。目からウロコが落ちるような思いですよ。このスレに来て良かったです。

140 :138:03/01/23 17:48
いかん!真と信が逆だった―!


141 :名無しさん@3周年:03/01/23 17:57
愛善とやらが基準になるかどうかということ自体が
「何を信じているか?」で振り分けられると思うのだが・・・

142 :名無しさん@3周年:03/01/23 17:58
って、ただの横レスです。
136じゃないよ。

143 :名無しさん@3周年:03/01/24 21:27
南方熊楠がブラヴァツキーに対してかなり辛辣な評価を下してるそうですね。
熊楠と親好のあった真言宗僧侶土宜法竜が、西洋の神秘思想に興味を示していた時、
「今流行りのブラヴァツキーなどはただの寄せ集めだ」と言って、
参考にする価値もないし、読む必要はないと忠告したそうです。
ただ、熊楠はカバラの神秘思想については、
西洋に於ける密教のようなもので、一定の体系性を備えた思想であると、
ブラヴァツキーに比べれば幾分か肯定的な評価だったとか。

144 :名無しさん@3周年:03/01/24 23:17
ナチスの御用学者にも神智学系がけっこういたのもうなずけるよ。ブラバッキーの理論は
高尚なようでいて、結局は人種差別の体系だもんね。王仁さんとかみ合うはずが無い。
カバラに関しては、確かにもっと研究されてもいいですね。まあ例の日ユ同祖的なものが
絡んでくるとややこしくなってきそうだけど・・・。王仁さんは日ユの関係について何か
言及しておられたのでしょうか・・・?。

145 :名無しさん@3周年:03/01/25 05:55
八幡書店のCD「ONISAVULO」を聴く。
ナカナカイイ!

146 :名無しさん@3周年:03/01/25 07:31
>>130 霊国天人と想われる若き同学へ
基本は『霊界物語』の素読(音読)。一切の有形無形の書巻は参考書。
基本の行を反復継続する事により、何時の日か、大神様からの内流によって、
平易な文言の奥に隠されている、<あなない教秘密法門の扉が開かれる>と
教示されております。


147 :名無しさん@3周年:03/01/25 08:53
>>146

>あなない教秘密法門

 「あなない教秘密法門」、そんな言葉を王仁三郎が言っているのかい?


148 :名無しさん@1周年:03/01/25 10:24
>>144

直弟子の
三浦一郎師の
著書を読んでナモ!

149 :グリーンマン:03/01/26 02:16
>>143
王仁三郎の弟子の合気道開祖の植芝盛平さんが和歌山の田辺出身で
若いころ南方熊楠と親交があったとか。一緒に神社合祀反対運動
したという話がある。「わしはあの時、生まれてはじめて国事に奔走
しとるのじゃという欣快を味わったものじゃ。南方爺さんは偉いお方
じゃった」と植芝さんは語っている。
田辺では南方と植芝さんの活躍で反対運動は大変な成果をあげたよう。
和歌山だから真言宗が盛んで南方は密教を評価していたみたいだし、
植芝さんも若いころ真言宗の寺で学問を学んだようです。
王仁三郎によれば空海は厳の御霊だといっていますが真言宗と
王仁三郎とのつながりは興味ぶかいですね。
丸山貫長さんとか、大国美都雄先生が著書で紹介している山岡瑞円
さんとか。山岡瑞円和尚は昭和18年『皇道と密教』という本を出し
てますが戦時中で大本事件もあってか出口王仁三郎とか大本とかは
出てこないのに「皇道」ということでほとんど『霊界物語』の教え
を引用してますよ。その天皇に関する考え方などは戦前らしいです
けど。


150 :名無しさん@3周年:03/01/26 06:10
熊楠は密教を評価していたというよりも、
実際に真言宗徒だったんじゃなかった?
勿論、熊楠らしく独創的な解釈を持っていて、
南方曼陀羅っていうのが有名ですよね。
しかし、王仁三郎といい熊楠といい、
近代日本には並外れてスケールの大きい人物が何人も現れていますねぇ。

151 :グリーンマン:03/01/27 01:23
そうそう南方曼陀羅。明治15年に16歳のとき初めて両親と
弟とともに高野山に参拝したというからそうなんでしょうね。
でも僧侶の土宜法竜に「金粟王如来第三仏 南方熊楠より、
子分 法竜米虫殿へ」なんて書簡を送る真言宗徒なんて
熊楠以外いないでしょうね(笑
丹波という独特の風土が王仁三郎聖師を生んだように、
紀州熊野という特別な風土が熊楠や植芝さんのようなユニーク
な人物を生んだんでしょうか。
南方曼陀羅はともかく(笑) 神社合祀反対運動はエコロジー運動
の先駆として高く評価されていますが『霊界物語』でも第一巻の
第十四章の「神界旅行の一」で、息を引き取った男が急転直下で地獄
の底に落ちていったのを見て不思議に思った王仁三郎が芙蓉仙人に
訊ねて、



152 :151の続き:03/01/27 01:24
『一体地獄といふものには道は無いのでせうか』
とたづねてみた。仙人いふ。
『この者は前世においても、現世においても悪事をなし、
殊に氏神の社を毀(こぼ)つた大罪がある。それは旧い社
であるからといふて安価で買取り、金物は売り、材木は
焼き棄てたり、または薪(たきぎ)の代りに焚いたりした。
それから一週間も経たぬまに病床について、黒死病(ペスト)
のごときものとなつた。それがため息を引取るとともに、
地が割れて奈落の底へ墜ち込んだのである。すなはちこれは
地獄の中でも一番罪が重いので、口から血を吐き泡を吹き、
虚空を掴(つか)んで悶え死に死んだのだ。しかもその肉体は
伝染の憂ひがあるといふので、上の役人がきて石油をかけ焼き
棄てられた』との答へである。

なんてありますね。当時の似非神主たちなどが進んでこの男の
ようだったのに熊楠や植芝さんや白井光太郎などの小数の人たち
のがんばりには頭が下がりますね。
神道学者の鎌田東二さんはあと何人もの熊楠のような存在がいればと、
それこそ嘆いていましたよ。

153 :名無しさん@3周年:03/01/27 01:45
 南方熊楠は、王仁三郎と大本をボロクソに貶していたんじゃなかったかな。



154 :グリーンマン:03/01/27 02:18
そりゃ中村古峡の『変態心理』にも寄稿したらしいから
あのへんの情報を信じていたかもね。大本というより鎮守の森の
生態系や先祖伝来の信仰は尊んではいたけど神道の哲学そのものは
真言宗と比べて粗末なものと思っていたらしいけど。
「ボロクソに貶していた」というのは直接には知らないけどたしか
大本教以前の「大本」という言葉について論じていたような。

155 :名無しさん@3周年:03/01/27 09:56
まあ、熊楠の学問や思想の傾向からして、
型の国や言霊学の思想には賛同しそうにはありませんね。
ボロクソに貶しててもおかしくはない。

156 :名無しさん@3周年:03/02/01 15:20
霊界物語は大本信徒連合会の愛善世界社の方が
いいのですか。天声社、八幡書店がありますが
・・・・

157 :名無しさん@3周年:03/02/02 00:35
神様、最終的に全ての… 一切の魂は救われるのでしょうか?

158 :名無しさん@3周年:03/02/02 00:54
文庫サイズで読みやすいという利点を考えたら愛善世界社版がお薦めだな。原文に忠実だし。まだ全巻刊行されてないけど。

八幡書店版は6巻分を1冊に纏めてあるが、百科事典級のデカさがやや難。今は一部品切れ状態のはずだが、将来コンパクトにした廉価版を全巻刊行する予定らしい。

天声社版は見たことないから、何も言えませぬ。

159 :名無しさん@3周年:03/02/02 02:38
サイズを考えればCD-ROM版が一番か。
でも電子ブックスってちょっと抵抗あるのよね。
辞典とか調べる本ならいいんだけど、やっぱり読む本は
パラパラとページを捲って読みたい。

160 :156:03/02/02 16:54
158>>159>>どうも有り難うございました。
霊界物語読み終えるまで時間がかかりそう。

161 :名無しさん@3周年:03/02/02 17:48
ほんとは神示とか御経やコーランて
腹から声出して音読するのがベストらしいが
人が周りにいないド田舎に住んでる椰子はいいが
都会に住んでる椰子はどーしてんだらう?

やぱーり黙読派が多い?


162 :名無しさん@3周年:03/02/03 13:55
コーランは、アラビア語で書かれた芸術として見ても、最高峰だから、音読して
味わうのだと思います。今だにコーランを越えるものは出ていないとか。

お経の場合は、カトリックの典礼をラテン語でやるように、意味不明の呪文で
参加者をありがたがらせるためじゃないですか。お経の場合、ほとんどが釈迦
の没後にまとめられた教義を書いた「人造の書」で、そんなものを機械的に
唱えたって神通力が出るわけありません。

163 :162:03/02/03 14:10
お経の音読そのものを何度やっても意味がないことは、白隠禅師の有名な
逸話からも示すことができます。

禅師は、小僧時代から毎日、法華経を読呪されてきたと言いますから、
回数にして何千回になるでしょうけど、四十二歳のある日、きりぎりす
の声を聴きつつ読呪していて、忽然として法華経の深い妙理を悟り、
思わず声を挙げて泣いたと言います。

世に法華経の読呪を重ねる人は、何万人もいるでしょうけど、白隠禅師
と同じ深みにまで理解を進めた人は、暁天の星のごとく稀でしょう。
音読すれば、理解が深まるというわけでもありませんし。強いて言うな
ら、「体で読み続ける」しか手がなさそうです。

164 :名無しさん@3周年:03/02/03 15:12
お経というか、真言はやっぱり基本的に音読するものなんじゃないですか?
密教だけでなく、ヒンドゥー教なんかでもやっぱりサンスクリットの発音ってのは
重要みたい。
インドの宗教っていうのは、言葉の力に対する信仰みたいのが強いし、
どこか言霊を重視する日本の古神道と通じるところがある気がする。
詳しくは知らないけど。

165 :月光浴:03/02/03 19:54
>>164
密教と修験神道は関係が深いとよく聞きますが、三密 (印をくみ、心に仏を念じ、真言を唱える)
というようにかなり重要視されている部分で
 それと似たような感じで,何か言葉を声に出して発音するとき
例えば「あ」と発音しますよね。そのとき既に舌と口は(あ)という「型」
すなわち「あ」という印を組み(あ)表現しています。
 「い」なら(い)の型から「い」という音が生まれますよね。
それと関係づけてもよいのかわかりませんが
例えば物語ならばその世界観に浸るにも その世界をイメージし口が型を現しそして 生きた音として発音が生まれる。
という考え方があるようで。まさに拝読は「体で読む」といった感じなのでしょうかね。
それにしても簡単に音読/拝読といってもその中には何か意味や理由が
あるようですし、また「3日で読む」とか霊界物語が「口述書」である事
>>166「心の中に三を念じて、口に一をいふことは出来ない」という文も何かそれと関係があるような気もするのですが、どうなのかな

しかし そこまで考えなくてもごく自然に赤子心のような素直な気持ちになれば
いつの間にか自然と口から声が溢れてくるような気もしますし☆(よく気分が良いと鼻歌歌っている人とかいますよね)
 それとは別に何か事情のある方は別に無理して声を出す必要も無いと思いますし、
拝読出来ない状態というのもある種、何かの因縁かもしれませんし
またそうやって拝読/音読する(場)を確保する為の努力というものももしかしたら
神様から与えられた修養の一つと思った方が前向きだと。。。思うのですけど。

満員電車の中で声を出して読んでいたら、周りが引いて 目の前の席が空いた
「これこそ音読/拝読の御利益だ」などチョット笑えませんが(>_<)

 高姫を 恨む心が 闇の淵 笑い読むこそ 歩は進みけり
 くされ(鎖)縁 禅で切るのも 全然(禅々)に 終着(執着益)駅はまだ見えずカナ
 同根の 教えの兄弟なりなれば 共に手を取り 進むが神みち(満ち)

166 :月光浴:03/02/03 19:56
霊界物語四十七巻第九章

(ry・・・・愛悪とは、体主霊従といつて、自然界における自愛または世間愛をいふのである。
いま口述者が述ぶる世間愛とは、決して世の中の、いわゆる博愛や慈善的救済をいふのではない。おのれが種族を愛し、あるひは
郷里を愛し、国土を愛するために他を虐げ、あるいは亡ぼして、自己団体の安全を守る、偏狭的愛を指したのである。
それからまた信仰には、真と偽がある。真の信仰とは、心の底から神を理解し、神を愛し、神を信じ、かつ死後の生涯を固く信じて、
神の御子たる本分を尽くし、何事も神第一とするところの信仰である。
また偽りの信仰とは、いはゆる偽善者どものその善行を飾る武器として、
内心に悪を包蔵しながら、表面宗教を信じ神を礼拝し、あるひは宮司などに
寄付金をなし、その金額を石または立札にしるさしめて、自己の器量を誇るところの信仰である。あるひは商業上の便利のために、
あるひはわが処世上の都合のために、表面信仰を装ふ横着者の所為を称して、偽りの信仰といふのである。要するに、神仏を松魚節と
して、自愛の道を遂行せむとする悪魔の所業をいふのである。かくのごとき信仰は、神に罪を重ね、自ら地獄の門扉を開く醜行である。
真の神は、愛善と信真の中にこそましませ、自愛や偽信の中にまします
はずはない。かかる自愛や偽信の中に潜入する神は、いはゆる八岐の大蛇、悪狐、餓鬼、畜生の部類である。高天原の天国および霊国に
あっては、人の言葉みなその心より出づるものであるから、その言ふところは思ふところであり、思ふところは、すなはち言ふところである。
心の中に三を念じて、口に一をいふことは出来ない。これが高天原の
規則である。いま天国といつたのは、日の国のことであり、霊国といった
のは、月の国のことである。・・・・・・・・・(ry

うーん身につまされるようです・・・ (¬¬;

神典の進展するも 時代より 驚天するも教典の教へ

167 :月光浴:03/02/03 19:58
福はーうち〜
鬼もーうち〜

遅れをとって
  ウィーッス  ∧_∧∩
       (´∀`*//   
    ⊂二     /
     |  )  /
    口口/    ̄)  
      ( <⌒<.<
      >/

節分の 煎り豆 生豆撒く(蒔く)型 鬼(オニ)笑う やがて芽(目)が出る 花(鼻)が咲く

168 :名無しさん@3周年:03/02/03 22:05
・・・可愛い。

169 :162:03/02/04 09:53
>>164

真言のサンスクリットの意味を知れば、そんな子供騙しなど吹き飛んでしまう
でしょう。たとえば、最も有名な光明真言は、

「オーン 不空なるものよ、毘盧遮那よ、大印あるものよ、摩尼と蓮華
よ、光明を放ちたまえ、フーン」

で、「ほとけの智慧の光明を我らにお与え下さい」位の意味です。これを日本
語で何度唱えても、そんなにありがたい気持ちにならないから、箔つけに訳の
わからないサンスクリット読みにするのです。「自宅勤務」を「SOHO」と言い
換えると、確かに「コスモポリタン」(都会人)になったように錯覚するで
しょうけど、百万遍「南無SOHO大菩薩」と唱えても、それだけでは成功しない
でしょう。一番大切なことは、「SOHO」という言葉の魔力に対する迷信を払拭
して、「SOHO」の中味を見据えることです。

170 :162:03/02/04 10:17
霊界物語の第63巻第4章では、ベルが陀羅尼品を唱える場面が出てきます。
この経文は、自分という存在は実態がないものだから、嘆き悲しむ
こともなく、病気や災害に会うこともない、というような意味ですが、
もし「我」という存在に実態がないのなら、泥棒をしてまで「我」に
利益を願い、身の無事を祈る必要もありません。ベルの行動は矛盾して
います。

真言が現世利益を得るために使われる時にも、同じような茶番がくり
広げられます。加護を求める先は諸仏ですが、どの仏も「我」を乗り越
えていて、いくら喉から血を吐いて真言を唱えたとしても、おいそれと
エコヒイキに応じてくれそうにありません。むしろ、現世利益を叶えな
い方がその人の我欲の消滅に役立つと見て、見殺しにするだけでしょう。

「我」にとらわれて、「無我」を百万遍、しかも本格的にサンスクリット
で唱えても、仏には届きません。実際のところ、こういう唱え方がされ
ているケースの方が多いと思います。

171 :162:03/02/04 10:34
>>165-166

気に入った文章が、ひとりでに口をついて出る、という感じなら結構だと
思います。音読の方が、黙読よりもよい、ということは、聖師自らが
はっきりおっしゃっているのだから、疑問の余地はないと思います。ただ、
音読することが「媚び」になることを私は恐れます。神様へのご機嫌
取りの音読になるのなら、それはやめた方がいいと思う。

>商業上の便利のために、あるひはわが処世上の都合のために、表面信仰
>を装ふ横着者の所為を称して、偽りの信仰といふのである。要するに、
>神仏を松魚節として、自愛の道を遂行せむとする悪魔の所業をいふの
>である。

音読することで、有形無形の「ご利益」を期待してこれを行なう限り、
「自愛の道を遂行する」ことにつながっていると思います。聖書には、
汝の神の名をみだりに唱えるな、祈るときは閉じこもって一人きりで祈れ、
とあります。神の名を唱えたり、人前で祈ったりする表面的なことが
信仰の本質ではないからです。音読もまた、下手をするとこれと同じ
ような「自愛の業」に陥ってしまうと思います。

172 :名無しさん@3周年:03/02/04 16:58
真言は元来サンスクリット語圏で作られたもので、
別に日本人のための拍付けでも何でもないわけだが・・・
「内容をこそ重視する」という立場に立つならば、
王仁三郎の「黙読よりも音読」という教え自体を疑うのが筋でしょ。
そもそも「内容ではなく言葉そのものに力が宿る」という”信仰”に対して
「内容がないよう〜」という反論は成り立ちませんぜ?
別に真言なんて信じちゃいないが、あなたの文章読んでると
「何様ですか?」と言いたくなってくるな。

173 :月光浴:03/02/04 17:01
>>171
「聖師自らがはっきりおっしゃっているのだから、疑問の余地はないと思います」と言いながら
音読が媚びになるとから恐れるとか、チョット理解に苦しみますが、、それにそういう変な理屈も
「自己愛」なのではないですか?
とにかく神様への媚びだ、ご機嫌取りだなどくどくど余計な事は考えずとも
(むしろ>>171さんが何故そんな事を考え心配しているのかの方が引っかかりますが)
最初は黙読でも音読でも、どんどん物語に親しむべきではないでしょうか。
そうすれば媚びるだ、ご機嫌取りだという発想そのものが生まれてはこないとは思いますし、
何が縁なのかは、わかりませんが最初は御利益目的でも 親しみ真剣に拝読しているうちに
真の主神がいずれ誠の道にそれぞれ導いてくれるのではないでしょうか。
(だいたい>>171さんは随分と御利益というものにこだわっているようですが、御利益とはいったい何を期待してるのか?それもよく判らないのですが・・・)

あなたは何故疑問の余地の無い所に、禅だキリスト教だなどわざわざ疑問を挟むのですか?
申し訳ないのですが もしかして拝読されていない事に対して>>171さんの
何か後ろめたさからそのような事をおっしゃられているような
気もするのですが・・・・???
そんな事で別に優劣の問題や選民的な発想をする必要など無いと思いますが。

心配だ不安と 勝手に思い込み 周りを引き込む業を消しなむ

ご利益を 避けて  御利益願うのも 虚偽の狭間の自愛の心

ご機嫌だ 媚びだと 浮かぶその元に 教への光照らす 慈愛

それよりもどうすれば 音読/拝読できる(場)をつくるかを皆で智恵を絞った方が修養にもなり
どれだけ発展的で有益かと思いますけれど。

174 :月光浴:03/02/04 17:02
>>171
キリスト教にかかわらず祈るときに一人きりで祈るのも、大勢で祈るのも 時と場合によるのでしょうしまた
いろいろな理由もあるでしょう。何故一方的に物事を偏って見るのでしょう? (心一つ)だと思いますよ。
また神の名とおっしゃいますが神の働きを理解し名を正確に発声出来る方が簡単におられますか?(w
また神の真の名を正確に唱える事自体が不信仰者にはどだい無理な話ではないかと思いますし
たとえば同じ言葉でもその言葉を発する者の (心の内にある その想い )により 
違ったものになりますよね。「アホっ!」と心の中に凶器を潜ませればそれは聞く人を傷つける
凶器ともなりえますし、「アホやなぁ〜」と親しみを込めれば愛情と親しみで相手を暖かく包む言葉になるでしょう。
>>168さんがAAを見て「可愛い」と思ったとき既にその心が天にあるのと同様ですよね。

美しい 可愛いと思うその御魂 心すでに天界にあがれり

音読する人は当然黙読もしているでしょうし、黙読しか出来ないという
状況にはそれなりの理由がある事でしょうし・・・
たとえば「霊に聞かせるように」拝読する感情や行為が既に他者に対する有形無形の慈愛のようなものだと思いますが。
また読んでいるうちに物語を通し、そういう慈愛や他者への思いやりの心も自然に培われるものではないのですか?

 とまぁ口うるさく 万公さん、みたいにまくし立てるのあと5倍ぐらい書き込みが増えそうなのでとりあえずこの辺で。。と

ところで>>171さんは随分ネガティブというか批判的内容や決め付けるような断定形な発言が多いようですが(たまたまなのかな?)
それはさておき
で?
どうすれば 音読/拝読できる(場)をつくれると思いますか?

 雪どけの とけるこおりの すがしさに ながれる清水 こころをうるわす

175 :月光浴:03/02/04 17:15
171
とまあぁわたしもちょっと言い過ぎた感じもするので・・・・スマソm(__)m

176 :名無しさん@3周年:03/02/04 19:19
実際のところ、アトムのオサーン以外に黙読派の人ってどのくらいいるのかな?

他の本ならいざしらず、霊界物語を音読しないっつーのは単純にもったいない
ってゆーか、王仁三郎・言霊学のことを否定してることに繋がんないか?
ちゃんと天祥地瑞まで読んだ?
もちろん漏れは音読してるよ。読める状況を一生懸命つくってさ。

とはいえオサーンの他宗に対する薀蓄は、参考になるときもある。ときどき。

177 :171:03/02/05 09:28
ありがたい祝詞ですら、唱える人の心によっては、世界を汚す元になる、とは、
第1巻にも明示されている通りです。

霊界物語の音読も同じじゃありませんか? それとも、霊界物語だけは例外なの
でしょうか。霊を磨くことによって、最終的に言霊を使いこなせるようになる
ということと、誰でも音読すれば言霊が働くと信じることは別問題です。

また、英訳したり、エスペラント訳した霊界物語を音読したら、その効果は
どうなるのですか?

霊界物語には、スウェデンボルグや、本田親徳や、仏典からかなり逐語的に
引用されている部分があります。そういう部分にも言霊的な力があるとお考え
でしょうか? あるいは、土人の言葉「エッポッポー」まで、言霊が発現して
いるとでも?

178 :171:03/02/05 09:58
霊界物語の音読によって、言霊の力で救われる、と信じる人は、恐らく
「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」と唱えることでも救われるので
しょうね。

ある意味、うらやましい(^^)。これは、皮肉じゃなくて本心からそう思う。

179 :月光浴:03/02/05 16:47
>>177さん
「第1巻にも明示されている通りです」という部分も、
黙読でも音読でも(その心のありかた)一つで濁りも清くなるという戒め的に語られている要素が大きいとは感じますが。また、それをもってして音読が意味ないとかいけないという発想はおかしくありませんか
そのあたりは大切なところでしょうが、それゆえ心を清め落ち着かせる事が必要と言われるのですよね。
霊界物語を読む事自体が鎮魂にもなるといわれているように。また物語りを構築する そのリズムというものも 音読により、よりリアルに実感できるのではないでしょうか。
たとえば英会話にしろ外国語を学ぶにしろその文章を黙読していても ヒアリングやリーディングが上達しませんよね^^
音楽などに於いても楽譜や 歌詞だけを見てその音楽や歌を楽しむ事は出来ないでしょうし
やはり黙読よりも音読がbetterだと思うのですが でもあまり強調しすぎて何故か戒律的にとられるのもなんなので 否定する方に勧めるのもこれぐらいにしたいと思います^^

とりあず「疑う女に釈迦が寝たふりして横チン見せた」などというお経を懸命に唱えるのも
どうなのか疑問ですが物語を読んでいる方にしては、ある意味教訓話ともとれるわけですね。。^^
まぁそれがどんなものであれ、宗教的教義やそれに係わるものものは(実際宗教だけではないでしょうが)
なにか理由やそれぞれ各自の人の因縁的なものもあるようですから頭から決め付けない方がよろしいと思いますよ^^
おいくつの方かはしりませんが(お若い方かと思ってましたが(>_<))年の功より亀甲・・・ではなく亀の功ですか?

打たれ強いのか何にしろ凹まないで元気そうで良かったですね^^
わたしは子供とお年を召した方には優しいので(笑)
最近は2chもなかなかそういった年配の方とお話する機会も少ないようなので嬉しく感じます(^^ゞ

晴天の 空を飛び交う 鳥の声 神の恵みはここにもありし

180 :月光浴:03/02/05 16:48
「初めに言葉ありき」なのか「言葉は道」か「神」なのかそのあたりはどうなのかさておき
その土地や風土が文化が言葉を生んだり、住む人やその使う言葉がその土地や環境に影響を与えている所を
見ると その民族や地域の人達が使う言葉も大雑把な解釈の上では言霊の働きと呼べるのではないでしょうか。
霊界物語を見ると神々や土着民が「ウロー ウロー」と喜びなのかおもしろい叫び方をしますよね。
そういう事からも「エッポッポー」などその使う地域や民族があるのでしたら、その地域や文化と関係のある
言霊の働きを含んでいると思いますが^^ いかかでしょう。

太古の言葉(原始的言語/あるいは野蛮な言葉/)といわれるものにはあるいは荒ぶるエネルギーというものが
含まれていたのかも知れませんが(w  それゆえに当時の権力者や為政者により言葉狩りが行われたり
いろいろな事情で次第に忘れ去られてしまったのかも知れませんが・・・!!!。・゚・(ノへ`)・゚・

エスペラントや各国の翻訳についてはどうなのでしょうねぇ(笑)
出口王仁三郎が何か当時の資料を残し其れを元に翻訳するのかな?まぁ言葉の壁もさることながら気になるのは
文化風習など違う人達にうまくユーモアが伝わるのか(神のユーモアも万国共通でしょうからその辺は心配する必要もないのでしょうけど(
(w むしろ屁とか小便茶などそんなユーモアこそが万国共通の言語なのかなもしれませんが)

万国の 端まで届くわらい声 しろしめはたすは 十曜の神旗

181 :月光浴:03/02/05 16:49
>>177さんがとらえる言霊という意味や その働きをいかように考え憧れをいだいているのかは知りませんが
人間同士の会話というものも言霊のキャッチボール見たいなものですよね。それによってお互いに影響を与え合ったり人を動かしたり。
またその人の声(トーン・声の質)を聞くだけでも今その人が何を考えどういう感情なのかも察する事も私たちの日常ではよくある事でしょうし
また極端な話、専門的な方などは声だけでその人の健康状態やあるいは発声器官の形からその対象の身体的特徴までも掴む事でしょうし。
話は飛びますが
北極圏に近い地域に住むエヌイットの一部にはお互いが向き合いながら歌を唄い相手の口の中に反響させるという不思議な風習があるらしく 歌や唄などリズムやその震動というのはやはり出口王仁三郎の提唱する(大宇宙の音)や
全てに流れるリズムなどにも関連しているようで興味深いところです。また見渡せば自然界の動物などはコミュニケーション以外にもいまだに現代人がわすれてしまったような
言霊的な働きの一部を平気で活用しているような気もすします。鯨やイルカなど海に住む哺乳動物の中には特定のリズムの歌(何故か唄?)
を歌い、その震動で固体識別をしたり、レントゲン並に内部をスキャンしてしまうのではともいわれ、同時に仲間を癒したり、魚を獲るために利用したりしているのも自然界の不思議です(人間から見た場合ですが)
もちろん水中という音(震動)を伝え易い陸上とは違った環境条件も関係有るのかも知れませんね。
太古の人々は自然と会話し、言葉により天地をゆり動かしていたと語り継がれていたようですがもしかしたら私たちが住んでいる現在よりも太古の環境の方が海など(母なる海というだけに)とかに近かったのかな(笑)
と読んでいる人が本気にされても困るので冒険野郎椎名誠さんばりのENJOY探検妄想話もおひらきにしておきましょう(w
 
  波の音 海辺の砂浜 潮の声 輝く月道 みなもに開く

182 :月光浴:03/02/05 16:50
それと古来からいわれる言霊の働きや 言語や学問的なものとをごっちゃにして考察するのもクレームがつきそうなので
ついでこの辺にしておくとして、実際学問の王様か、女王様か知りませんがこれから先将来に於いてこういった分野もどんどん研究され解明されて行く事でしょうし、またそう有って欲しいと感じるところです。
くだらない事のようなものの中に重要なものが潜み、各地に伝わる民話や童謡などの中に貴重な教訓や神の教えなどがそれとなく含まれていると出口王仁三郎も指摘しているように 
言霊や真言にしても文化や古いものをむやみに排除せず大切にしそういったものに敬意を払う事こそが本当の文明の進歩と発展となっていくのですかね。。。。
ちなみに言霊解の中で古事記に関して独特の解釈などありますよね。初めて読んだときは全く訳がわからなかったのですが最近ようやく:*:・( ̄∀ ̄ )。・:* こういうささいな悦びこそが神様の贈られる最大の報酬なのかな。と

もろもろの 迷信 因縁立て替えつ ケタリケタリの甘き神代

>>178
本心からそう思えるということはまたあなたもそれで救われているという事でしょうか?ミ☆
それにしても霊界物語の音読と「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」を唱える事と
何故無理やり関係つけるのですか? 其れによっての救いというものも それぞれどのように同一視されておられるのでしょう^^  
本心からそう思えるという事はとても凄いと思いますのでお聞かせ願えませんか?
もちろん皮肉ですよ(^^ゞ

ここにあると ゆれる草木言葉聞く さす指見ず(瑞)に 月をながむる

183 :月光浴:03/02/05 17:00
でも中々ユニークな発想なので178さんの主張はともかく着目点などは
いろいろ勉強になるかもしれませんね。
こちらはもちろん皮肉ではないですよ^^

意を得たと 掴む真理は 月の影 水面映る月ではすくえず

184 :28:03/02/05 18:59
>>182

わかりやすく説明すると、大国治立尊=ミロクの大神=天御中主神=阿弥陀如来
=ゴッド=天帝...という関係があるのだから(第6巻第1章)、「どの神様」を
崇拝するか、という問題はナンセンスです。「南無阿弥陀仏」とは、「南無
ミロクの大神」と同じことになるからです。

神様は公平無私だから、祝詞を唱えようと、念仏を唱えようと、唱え方にかか
わらず、人間の声を聞いて下さるはずだと思います。逆にいえば、たとえ上等
な唱え方であろうとも、唱える側の心がけが悪ければ、神様の心障りになるで
しょう。霊界物語の音読ならば耳を傾けるが、念仏は一切無視する、というの
ならそんなエコヒイキな神など本物であるわけがないと私は思う。

どんな悪人でも、改心すれば神の御子だ、という教えの裏は、どんな善人にも
特権が許されないということです。玉照彦をめぐる興亡で、三五教側が叱責を
受ける場面がありますね。いくら「正しい神」に対して「正しい祝詞」で祈る
人でも、少しでも「誠」に曇りがあれば、容赦なく叱責が来る。日ごろのよし
みで大目に見てくれるような神様じゃありませんよ(^^)。

月影を 桶にとめおく 愚かさよ 諸人あまねく 照らすを見ずや
空の月 指し示す指は 数多あり 指にこだわり 月を忘れる

185 :178:03/02/05 19:06
184は、「28」ではなくて「178」の誤りです。なぜかおかしな数字がはい
ってしまった。あと、興亡-->攻防の間違いです。

186 :名無しさん@3周年:03/02/05 19:22
言霊などの精神的な部分での功徳もさることながら
もっと物質的な面でいいますと
良い言葉や詩の音読や朗読は身体にすこぶる良いですからどんどんやりましょう。
口や喉だけではなく腹から声を出すことで全身に波動が響き渡り
細胞レベルどころかアストラル体レベルで身体が活性化します。
心もすっきりサワヤカになって一石二鳥です



187 :名無しさん@3周年:03/02/05 20:26
>>184
その発想で行くと、そもそも神が悪人なる者を創造して裁断するという
こと自体に疑いを持たざるを得なくなるような・・・
一神教に対するよくある批判の一つだけどね。
ま、個人的に念仏だの言霊だのと言った物の功徳はあまり信じてないので、
あなたの言いたいことには共感は出来るが。
宗教に於けるある種の言語行為(念仏、音読等)は、目的のための手段と
いうよりも結果、或いは証明っていう気がするな。
詳しく覚えていないけど、親鸞や法然にもそういう思想があったと思う。


188 :178:03/02/06 09:20
>>187

>宗教に於けるある種の言語行為(念仏、音読等)は、目的のための手段と
>いうよりも結果、或いは証明っていう気がするな。

そうなんですよ。それが言いたいのです。目的の手段だったとしたら、それは
方便のはずなのです。飴玉で子供を連れ出して、そのまま歯医者へ行かせる
ような。音読すればその言霊で救われるという信仰も、私のように屁理屈こね
て理性的に満足するまでとことん突き詰めるという信仰も、所詮は大慈大悲の
神様の方便のひとつなのでしょう。王仁先生は確か、大乗仏典とは、仏があら
ゆる方便を尽くして人間を救おうとする心、その心だけ理解すればよい、という
ようなことを言われていたと思います。ところが、救われる側から見ると、
自分の「救われ方」だけが髄一のように錯覚する。これは、私自身の反省も
含んでいるのですけども。

禅でも似たような問答がありまして、どうもそれが私の心の中にひっかかって
いたようです。その趣旨は、仏法を聞かねば成仏できないのならば、オシで
メクラでツンボの、ヘレンケラーのような人はどう救えばいいか、というもの
です。ヘレンケラー女史は、スウェデンボルグの著書で救われていますね。
神の慈悲が無限大である限り、オシでもツンボでも、愚かでも、石頭でも、
必ず救われるはずだと思います。

189 :178:03/02/06 09:31
霊界物語が「普通の書物」として扱われるようにならなければ、世界中に
広まることなどありえないと私は思います。

私は聖書も愛読しますが、一部の「聖書=完全無欠の神書」という偏狭な
思想を持つ教団に属する人には嫌悪感を感じるし、もし不幸にしてそう
いう人たちから聖書を紹介されたとしたら、一生縁がなかったでしょう。

「音読すると言霊の力が云々」という話は、「普通の人」から見たら、
実にカルトっぽい響きがあって、それがために霊界物語そのものの価値
を否定されるとしたら、損失は計り知れない。

190 :月光浴:03/02/06 11:43
>>189
言霊はとても大切なものでしょう!

むしろ言霊という分野をわざわざ隠して 広めようとする事のほうがよっぽどカルトチックではないですか^^
それではわざわざ何故 言霊解や天祥地瑞で配置にまでこだわりながら、いろいろそういうものを霊界物語の中に収容されているのですか?
内容が既に言霊や霊界について重要視しているのに どうして隠すのですか!読めばすぐわかる事ではないですか。

あなたの論法でいったら「霊界物語」という題名じたいが既にあやしいものととられますよね^^
まさか題名を変えますか? それとも内容から言霊や霊界に関する部分を削除しますか?
世界に広がればそれが「普通の書」と認知されるのでしょうし、「普通の書」と装わせるために
重要な部分をごまかすのですか?

むしろ>>189さんの主張の数々(拝読/音読から人の心を引き離す)事の方が損失とやらがが大きいと思いますよ^^
その他にもいままでの>189さんの主張の矛盾点やら自己庇護のためと思われるような歪曲箇所など指摘しましょうか?
それにしきりに飴玉のたとえとか神のたとえ話を脚色しながら自己弁護に徹しておられるようですが、
まさか神にでもなられたおつもりではないでしょうね^^


     そんしつを 計る 狭き人心 神の御心なぜ隠す

>>189さんは・・・・・・古来の人々の事や日本の文化をどう思っているのですか? カルト的 偏狭的なのはもしかして>>189さんの方ではありませんか^^
もしかして以前にも私以外の誰かにも指摘された事はありませんか? キリスト教の方を偏狭者よばわりするから広まらないとはお考えになりませんか?


敷島の大和の国は. 言霊の幸はふ国ぞ. 真幸くありこそ.
しきしまの やまとのくには ことだまの さちはふくにぞ まさきくありこそ

万葉集 巻十三 柿本人麻呂

191 :月光浴:03/02/06 11:48
>>189
わたしとしては別に189さんの事を裁こうとか晒してやろうとか、そういう気持ちは
持たないよう心がけているつもりですし、むしろお互い助け合えればと思うのですが。
またわたしもあなたも同じ霊界物語や教えを学ぶ同僚として、同時に
主神の御手の中に生けるもの同士としてお話しているとご理解願えれば幸いです。
しかしこれから先書き込みを重ねる事により、189さんの今までの主張の
矛盾点などをさらに指摘しながら進めなくてはならないと思いますし、またそれもこちら
としても少々心苦しい部分でもあるのですが・・・・・・・
わたしの言いたい事もおわかりになられますでしょうか^^

どうしましょうか?まだつづけますか・・・・・・・・?


始まりは 終わりの最後 連続の 広がり栄え 神の大慈悲

ともに手を取り 峠を越えなむ

192 :178:03/02/06 11:55
>>190-191

>いままでの>189さんの主張の矛盾点やら自己庇護のためと思われるような
>歪曲箇所など指摘しましょうか?

いや、むしろ指摘してもらった方がありがたいです。

193 :月光浴:03/02/06 12:00
>>184
ステキなうたですね^^
ご自分の事を歌われておられるのですか?
わたしに対してでしたらありがたく謹んでおうけしたいと思います。
まぁ内容は最初引きましたけど(笑)

それでも何度か詠むと中々味わいがありますね。もちろん大切な事なので肝に命じたいと感じました。
結構いい感性しておられるではないですか(^^ゞ これからもどしどしお詠い頂ければ嬉しいです。
  _n
 ( l    _、_
  \ \ ( <_,` )
   ヽ___ ̄ ̄  )   グッジョブ!! 
     /    /

194 :月光浴:03/02/06 12:16
>>192
そうですか(笑)
それを聞いて安心しました。 では始めましょうか^^

それではまず物語を拝読/音読することから始められてはいかがですか (^O^)

195 :名無しさん@3周年:03/02/07 06:48
宗教に於いて、ある種の方法論や独自の思想があるのは当然。
言霊の思想や霊界物語の音読や浄土宗や日蓮宗の念仏や題目もそうだろう。
しかし、それを知らない人はどうなるのか?
他言語の人間にはもちろん音読なんて出来ないし、
世界中の大部分の人は念仏なんて知らない。
絶対神の存在を前提とする宗教に於いてはそういう問題点が必ず出て来るんだよね。
何しろ世界には何十億という人間がいるんだから、
いくら熱心に布教活動を行ったところで、全人類を感化するなんて不可能なんだ。
でも、神の全能性と無限の慈悲を頼って「神様は全てをお救い下さる」として
現状を全肯定してしまうと、宗教行為や道徳そのものが無意味となってしまう。
そういう難しい問題について、178氏は考えているんだと思う。

196 :名無しさん@3周年:03/02/07 06:50
無論、選民の思想をもってすればあっさりこの問題は解決するけど、
神が限られた人だけを選ぶという思想にはやはり多くの人が抵抗感を持つはず。

197 :名無しさん@3周年:03/02/08 06:29
アトムはうそつきだから、黙読していると言いながら
実は音読しているという罠

というか、どんなに偉そうなこと書いても説得力まるで無し
見てみ、この苦しい言い訳↓

198 :名無しさん@3周年:03/02/08 07:02
名前: 名無しさん@3周年
E-mail:
内容:
615 名前: アトムの騎士=通りがかり 投稿日: 02/03/04 08:59

>>565

引用を確認してみて了解しました。私が「あの人」と言ったのは、アトムのおじさん=
自分のつもりだったんだけど。誤解を与えてしまったようで、すみません。私は音読した
ことはない、ということを言おうとしたのです。

>↑何を言ってるのか全然ワカラン

私が音読しない理由は、毎日忙しいので霊界物語を読むのは深夜と早朝になるのです。
家族は寝ているし、そんな時に音読はまずいでしょ?オヤジが死ぬ前、少しだけ音読して
聞かせてやったことはあります。しかし、ちょっと虚しさを感じましてね。意識がない人に
いくら聞かせたって、という醒めたものがあって。やっぱり、生きた人間が読んで、納得して
こそ霊界物語は生きるのだと思う。


199 :名無しさん@3周年:03/02/08 07:03

私としては、何も自分の意見の押し売りをするつもりはなくて、こういう議論の場のネタに
なればいい、という感覚なんです。私自身が糸の切れたタコみたいなものですからね。あとは
神ながら、ということでいいんじゃないかと(無責任かもしれないが)思うのです。逆に言えば、
アトムがヤチマタ人間の代表として、ナタ理屈を振りかざして皆様にいちゃもんを付けて、問答
を投げかけているのです。皆様はこの憐れな人間を言向け和し、救済しなければいけない。それ
ができないとすれば、あなた方もまた贋物です。そこに盲従と明従の差があると私は思っています
ので。

>↑自分のことぐらい自分でなんとかしろ

まあ、私はネタだから、お好きなように叩いてください。それでお互いの身霊が磨けるなら
私は大歓迎です。

>だってさ

御父君が亡くなられたのは気の毒だが、そこで物語を読み聞かせる
ことに虚しさを感じて止めてしまった、というのは明らかに言霊の
妙用、思想を無視、否定するものだと思う

御父君の肉体は聞けない状況でも、霊魂はきっと聞いててくれている
だろう、と前向きに考えるのが信仰というものじゃないだろうか?

この点がアトムの理屈信仰と揶揄される一番の問題点で、知識ばかり
で肝心の説得力に欠ける原因

信仰者じゃなくて宗教研究家なんだね、恐らく


200 :名無しさん@3周年:03/02/08 08:33
>>199

>信仰者じゃなくて宗教研究家なんだね、恐らく

 君は、さぞかし立派な信仰者なんだろうな。それで、他人の痛みや虚しさを
感じることも超越してしまったのだろう。


201 :名無しさん@3周年:03/02/08 11:26
コテハンを叩きたいのなら、自分もコテハン名乗るか2chの外でやってくれ。
見苦しい。

202 :名無しさん@3周年:03/02/09 16:45
八幡版『霊界物語』(全巻セット) 今なら語路合せ価格80K円!!
神田神保町 原書房にて!!

203 :グリーンマン:03/02/09 19:34
神人は常住不断言霊の助けを受けて生き栄ゆなり

出口瑞月

204 :アトム:03/02/10 09:09
>>197

人間は、生きているうちに心の中に天国を建設しておかなければ、死後にも天国
へ行けない、というのは霊界物語に書いてあるはずなんだけどね。死人に向かって
霊界物語を拝読すれば、死人が全部「成仏」するのなら、見直し聞き直し、
なんて回りくどいことはやめにして、365日24時間、墓場にスピーカーを持ち
こんで流せばいい。

「大本神諭」や「霊界物語」の音読そのものに威力があるのなら、初期の大本
幹部達はどうしてパリサイ人になってしまったのですか。彼等は、「道の真中
を歩け」とあれば、道路の真中を歩いて通行人の顰蹙を買い、「この世は真っ暗
がり」とあれば、白昼も行灯を並べてともしたという。

あなたが主張しているのは、材料が「霊界物語」に変わっただけで、やろうと
しているのは初期の幹部とそう変わらないように、私には見える。

205 :アトム:03/02/10 09:26
「大本神諭」は、芝居の役者のセリフが断片的に書いてあるだけだから、
芝居全体がわかるには「霊界物語」を読まねばならない、と王仁先生は
はっきり言っておられる。だから、読んだ人に対して「芝居の筋書きは
わかったか?」と訊ねるのは当然のことです。「声に出して読んだか」
ではなくて「わかったか」です。

「大本神諭」の例にもあったように、各自が勝手に解釈すると語句の取
り違えるという危険性がある。それはその通り。しかし、そうだからと
言って一切解釈を放棄するのも間違っていると思う。読む人が自分の頭
で考えて、その人の身魂なり、ネットプライスで解釈したものが「霊界
物語」の本質ではないでしょうか。

ネットプライスでないと、どんな読み物でも身につかないし、心に残る
こともないでしょう。いくら「霊界物語」をおろして芋粥にして食っても
「内分」は変わることはないと私は思う。こんなに美味いものを、そんな
もったいない食い方をするな、と言いたい。

206 :アトム:03/02/10 10:01
まあ、オヤジに向けて音読(とは言っても、病室だから小さい声だったが)し
つつ、魂の救済を願ったことは確かだけど、その裏には「音読で起こる奇跡」に
対する期待があったのは事実。「神ながら」なんて口で言うのは簡単だけど、
「死すべき者は死す」という当たり前の事実を受け入れるのに七転八倒した。
音読さえすれば、というのは論外として(^^)、たとえ頭で理解したことでも、
実際に自分の身に起こるまでは安心できん、というのが痛いほどわかった。
心の底にご利益期待を隠しもって、いくら殊勝に神様のご機嫌取りに奔走し
たって、そんなものは実を結ばない。期待が裏切られれば信仰も消えうせる。
それがオヤジの死と引き換えに得た教訓だった。私が、嫌われ者覚悟で「音読
万能原理主義」に刃向っているのも、元を正せばこういうわけだ。

207 :名無しさん@3周年:03/02/10 13:39
受け取り方は自由だね。
出口さんの意図こそが絶対とも言えない。
書物とは享受者あっての物だから。
って、あまりに宗教意識から離れた冷めた見方だけどさ。

208 :名無しさん@3周年:03/02/10 22:31
「音読万能原理主義」

そんなもんがあるとは初めて知ったよん。
原理主義的思想、そうした考え方自身が、およそ聖師さまの
目指された道とは、ほど遠いものになるだろうと思ふ。

209 :名無しさん@3周年:03/02/11 15:13
いかんわ。
文章が生理的に受け付けなかった。

210 :名無しさん@3周年:03/02/13 20:31
霊界物語を黙読しながら研究する人→アトム

霊界物語を音読しながら研究する人→たくさん


アトム、孤独に耐えてガンガレ!

211 :名無しさん@3周年:03/02/13 21:50
鉄腕!下条アトム

212 :マトム:03/02/13 22:17
また新しいコテハン思いついたぜ!

その名も「へーげる :03/02/11 14:26」だ!!

よろしくなっ!!


213 :アトム:03/02/14 13:06
>>210

群れて音読すれば、ひとりじゃないから安心できるのか。
単純すぎて、おじさんはうらやましいぞ(^^)

君たちは、霊界物語に書いてある以下の文章をどう読むんだ?

>私は単なる現今の大本教信者のみのために口述したのではない。現幽神すな
>はち三千世界の神仏、人類および禽獣、虫魚、草木などに安息を与へ、天国
>浄土を地上に建設せむために惟神的に三才の童子の耳にも解し易からしめむと、
>卑近な語を用ひて述べた神書である。

大本教信者以外の人に「黙読すると、アトムのオサーンみたいに四つ足身魂に
まりますよ」と説明するつもり? 一般の人が図書館行って、あたり構わず音読
したら、つまみ出されてしまうぜ。霊界物語が普通の本として扱われるようになら
なければ、世に広まらない。こんな簡単なこともわからんのかなア。

214 :名無しさん@3周年:03/02/14 19:43
王仁三郎が霊界物語は音読しろってどこかで言い残したんですか?
ソースを知ってる方、情報お願いします。

215 :アトム:03/02/15 15:45
>>214

ソースははっきりしませんが、「霊界物語を音読すると、まわりに集まって
きた霊が聞いて改心する」と言われたらしいですね。また、『三鏡』によると
大祥殿で、三味線に合わせて皆で音読する慣わしだったようで、それも
王仁先生の指示だったらしい(「物語拝読について」)。

では、音読さえしておれば「自動的に」身魂の浄化がなされるのかと言えば、
それは疑わしいと思います。たとえばその一例として、

「物語はただ読んでいてもいかぬ。何でもないようなことの中にでも大事な
事が書いてある。大事な事は馬や鹿や、あんな下の者が言っていること
が多いのや。」(『新月の光』、「霊界物語は真剣によめ」)

ふと、その前の文章を読んだら「そうや赤ん坊になればよい。智慧のある
赤ん坊になれ...」という言葉が書かれてました。これだけ見ても、ただ無心に
(赤子のように)音読しただけでは不完全だということがわかると思います。

216 :名無しさん@3周年:03/02/16 11:01
言霊の幸ふ国

217 :グリーンマン:03/02/16 11:02
伊藤 聖師さまは物語の拝読をお聞きになるのがお好きで、
吾々も若いとき枕元で読ましていただいたこともありましたが、
三浦さんは農園におられた時分によくなさったでしょう。

三浦 毎晩でしたの。ときには、こちらがくたびれるんですね。
それが一時間も二時間もでしょう。いまから考えたらもったい
ないことだけど(笑)。こっちは毎晩のことやから、今日は誰
かに代わってほしいナと思っても「いやあかん。お前、読まに
ゃいかん」とおっしゃるでしょ。子守唄みたいに聖師さまはそ
れがないとお休みにならなかったですわ。読ましていただくと、
とってもご機嫌で、高姫なんんかが出て来ると、顔を真っ赤に
して喜ばれるんですね。ご自分でご口述なさったのに、ほかの
人の著者を初めて聞くように、何度も聞いておいでになるのに、
赤いお顔してワアワアいうて喜ばれるんですよ。たまにてをは
に間違えたりすると「そこは違う」とおっしゃって一字一字直
されるんです。そのうちグゥグゥお休みになるから、もういい
かナと思って、こっそり足音をしのばせてお部屋から出ようと
すると、急に目を醒まして、「それから、どうやった?」とお
っしゃるんです。こっちも本当にくたびれましたわ。それが毎
晩でしょ。今から思えば、もったいないことですけど。一晩で
も読まんとお休みにならない。それが無上のお楽しみというか、
なんか知りませんけど・・・・。


218 :名無しさん@3周年:03/02/16 11:05
読み方でも、こう読むんやと、よく教えていただきました。そ
の人物の心持になって読まにゃいかんとおしゃって・・・・な
んぼ忙しくても一ページは読め、一ページ読む
時間がなかったら半ページでもいいとおしゃっておられました。
わたしが最初おそばにお従えさせていただいたときにけっこう
な神さんのお話しを聞かしていただけると思って喜んでおった
んですわ。そしたら、ちょっともそんなお話はなくて、物語を
読まされるばっかりなんです。あるとき、聖師さまのおそばに
来さしていただいたら、神様のお話を聞かしていただけると思
っていましたのに・・・・と申しあげましたら、
「神様のことはなんでもご神書にかいてあるから、今さら言う
ことはない。物語を読んだらいいのじゃ」「私たちは読んでも
さっぱりわからんのですけど、面白いから読ましていただいて
おります」「それでいいのや」とおっしゃって、潜在意識にな
って、必要なときにパッパッと出てくるからただ読んでおけば
よいと申されました。あるとき綾部にお供しましたとき、いつ
ものように拝読さしていただいておりました。聖師さまはよく、
物語は霊界で浮かばれない霊に聞かせるということをおっしゃ
っていたんです。そのとき、拝読しておりますと、横の階段を
トントントンと降りて来て、私の横にサッと
座る気配がしたんです。もちろん、肉眼では見えませんけど。
気持ちが悪かったので、あとで聖師さまに申し上げたら、浮か
ばれない霊が聞かせにもらいにきているということでした。そ
ういうことからも、ご神書の拝読は大切なんやとおっしゃて下
さいました。


219 :うちゅうじん:03/02/16 11:07
霊界物語はは宇宙人についてなんと書いてあるんですか?

220 :218の続き:03/02/16 11:08
話がとびますが、このごろ婦人会で、昇天されたみたまさんの
家へご神書の拝読に行かせていただいておるんです。○○さん
が昇天されたので、婦人会が拝読にいかせていただいたんです。
○○さんがに昇天されるときに「私は死というものを研究しな
がら死ぬ」とおっしゃたんだそうです。でも、そのあと、なん
ということもないから「○子(娘さん)ちゃん、死ぬときは、
こういうことやったと、お母さんから報告してもらわいかん
な」と冗談で言うておったんですが、ご神書を拝読さしていた
だいたそのその晩に、○子ちゃんが夢を見たそうです。
「今日は本当にけっこうやった。朝日がパーッと昇って、なん
ともいえぬいい気持ちやった」というて、ご神書拝読のお礼に
来られたそうです。私はその話を聞いて、霊界とこの世は壁ひ
とえというか、目に見えぬだけのことで、人間とお話をしてい
るのと同じことやと思いましたね。ことに、霊界に行くときは
物語の拝読が大事だということをお聞きしていたんですですけ
ど、こんな目の前にまざまざと見せつけられて、有り難いこと
やなと思ったんです。やっぱり聖師さまがおっしゃっていたよ
うに、たとえ半ページでも、毎日読ませていただかないといか
んなとつくづく感じされました。

伊藤 今のお話で思いましたんですけど、お通夜のときなんか
に、以前はかならずというぐらいに物語を拝読してあげました
ね。この頃はしたり、しなかったりのようですね。


221 :220の続き:03/02/16 11:10
三浦 二代さまは、前は物語がお好きでなかったそうですけど、
いつもおそろいでお休みになりましてね「クニさん、このごろ、
わしも物語が好きになったよ」・・・・・
「おもしろいな、その先読んでや」いうて、聖師さまとご一緒
にお聞きになりました。ご昇天になった晩も「クニさん、先生
は物語は好きやったで、ずーとっ読んであげてや
」とおっしゃいましたし、二代さまお一人のときでも「クニさ
ん、ちょっと読んでや」と、ご自分の方から所望されました。

山川 物語をお聞きになられるようになってから二代さまのお
顔が聖師さまに似てこられたということをよく伺いました。

『おほもと』昭和42年6月号の座談会より

222 :名無しさん@3周年:03/02/16 11:13
昇天より笑点みようぜ!

223 :グリーンマン:03/02/16 11:37
>>217
訂正
「ほかの人の著者を初めて聞くように」は
「ほかの人の著書」です。
須磨曽


224 :グリーンマン:03/02/16 12:35
王仁三郎は「人を見て法をとけ」で若い人たち相手の
『昭和青年』の座談会では理解してなければ読んでも
自身の鎮魂にもならないといってますね。
歴史を知らなくて語るなかれとも教えています。

記者 鎮魂帰神は只今お止めになつてゐられますがまた
 何時かの時期に……
出口 あれはうるさいでネ……魂の研けた者で、よく解
 したものがやるのはいいがそんなに研けた者は居ない。
 その癖やらすと邪霊がかかつてさつぱりいけない。皆
 邪霊のかかりそうな顔ばつかりだ。(出口氏外一座大
 笑)本当や。……
記者 何か条件をつけてある程度のお許しを頂くといい
 のですが、修行者などがよく聞きたがつてゐます。
出口 条件をつけるにも、条件をつける資格がないやな
 いか。
記者 霊界物語を拝読さして頂くのが鎮魂でないでせうか?
出口 それはそうだけれどまだ本当に霊界物語を解して
 居ないからいけない。もちつと研究会でも開いて勉強
 せねばいけない。


225 :グリーンマン:03/02/16 13:08
「大本」の信者でもいろいろでしょうが生前の王仁三郎聖師から
直接『霊界物語』の教示を受けたことでは大本でも有数の故木庭次守
さんは熱烈な音読論者ですね。木庭さんは「手を洗い、口をすすぎ
聖師の御前にある心を持って拝読する」が信条でした。

>>224
「理解してなければ読んでも自身の鎮魂にもならない」は
言い方まちがいました。まずはそのようになるように努力
することですね。

226 :アトム:03/02/17 09:34
>グリーンマンさん

貴重な資料情報をどうもありがとうございますm(_ _)m

私見ですが、王仁三郎が目指したのは「新しい宗教の建設」という
よりも「古い宗教の破壊」に近いと思います。ミロクの世には宗教
などあってはならない、と言っておられますよね。

では、「古い宗教」の何が悪かったかといえば

「...怠慢に流れしめたる大根元は、立教者たる教祖一人の宗教的信念
のなかに潜んでいるようである。彼らは神、または真如、または仏陀、
または実在と、その名称は種々変わるにしても、ある特定の神秘力の
働くと働かぬの如何に帰しているものである。....」
(『三鏡』、「宗教団とその教祖」)

つまり、名称はいろいろあるとも、ある対象を信じれば、神秘力が働い
て救われるという教えが禍していると言います。そういう独断的な発想
が「宗教固有の臭み」の元になっている。御幣があるかもしれないが、
この「宗教固有の臭み」=「迷信」と言い換えられるでしょう。

霊界物語にあるエピソードの多くは、「迷信」の打破です。太平柿に
御倉魚など、それまで人々が盲従してきた「迷信」の象徴になってい
ます。「迷信」を「誠の力」をもって破壊する、というのが霊界物語の
主要テーマだと思います。

では、今の「大本」に「大本臭」はないでしょうか。私は否定的ですね。
宗教臭を廃して、あらゆる迷信から人間を解放するべく書かれた霊界
物語を授かりながら、わざわざそれに「大本臭」を付け加え、一般人
から臭がられているのが現実ではないでしょうか。

227 :グリーンマン:03/02/20 02:42
>>266
僕は『霊界物語』の音読が話題になっていたので王仁聖師自身の言葉を紹介した
だけですが、べつに教えにも『霊界物語』の拝読にも落第生の劣等生ですので
ねんのため。また愛善苑のシンパであり、愛善苑が王仁三郎の意思(つまり誠)
だと思いますがまだ正式な信者なわけではないですけど。

> 私見ですが、王仁三郎が目指したのは「新しい宗教の建設」という
> よりも「古い宗教の破壊」に近いと思います。ミロクの世には宗教
> などあってはならない、と言っておられますよね。
>
> では、「古い宗教」の何が悪かったかといえば
>
> 「...怠慢に流れしめたる大根元は、立教者たる教祖一人の宗教的信念
> のなかに潜んでいるようである。彼らは神、または真如、または仏陀、
> または実在と、その名称は種々変わるにしても、ある特定の神秘力の
> 働くと働かぬの如何に帰しているものである。....」
> (『三鏡』、「宗教団とその教祖」)

『三鏡』といえば八幡書店のやつですか?なら「月鏡」の「宗教団とその教祖」を
引用するならどうしてその1,2ページ前にある「水鏡」の「真の宗教」を無視
するんですか。聖師は大本は「宗教」ではなく皇道であるといっているのも同じ
ことですが。真の宗教であり皇道である教えを示したのが王仁三郎でしょう。
それに王仁三郎が「教祖」と言う場合出口なお開祖をさす事ぐらい想像できるで
しょう。

確かに『霊界物語』は王仁三郎が「血であり肉であり」「血を枯らして」僕たちに
残してくれたものですから王仁三郎のにおいが強烈に感じられますよね。




228 :グリーンマン:03/02/20 02:43
どうやらアトムさんは王仁三郎の教えの根本である四大綱領、四大主義を理解
できてないようですね。もしかしたら直接詳しく学んだことがないのではない
のですか。どこかの講座を受けたことありましたっけ?

『霊界物語』は四大綱領、四大主義を生きるうえでの糧ですし、王仁三郎の教え
で四大綱領、四大主義が骨だとすると『霊界物語』は肉ですよね。
たとえば四大主義の第一である「清潔主義」は霊魂の罪の垢は神様(言霊)しか
洗うことはできないということを教えていますがこれが「迷信」だと主張するの
ですか?四大主義を否定するなら『霊界物語』は骨のないくらげの教えになって
しまいますよ。

言霊を否定するために水や植物でさえ人間の言葉に反応するといわれている時代に
三重苦のヘレンケラーを出してきてもはずれてますし、言霊とは霊妙な波動(調べ)
なのだから耳の聞こえない龍に通じるんですよ。(神界に通じること言霊の持ち主
のみ「月鏡」参照)
それに大本初期のパリサイ人たちは『霊界物語』に書いてある因縁で王仁三郎に反対
してるわけであり、言霊の神である素盞嗚尊を悪神だと思っているわけでそれを理由
に「「大本神諭」や「霊界物語」の音読そのものに威力があるのなら、初期の大本
幹部達はどうしてパリサイ人になってしまったのですか。」なんていうのも恣意的
ですね。後年彼らの熱心さを王仁三郎が懐かしんだのは知ってのとうりですが。


229 :グリーンマン:03/02/20 03:08
教団を否定したいようですが教団は神さまの意思(つまり誠)によって
「苦集滅道」の「集」の雛形として造られたものですよ。(『水鏡』参照)

『霊界物語』のテーマは序文にあるとうりですが、また日本の神々や人民が
主神への真の信仰を思い出すまでのドラマですね。霊界物語はまず南米の話
だろうが印度だろうが日本のこととして考えるべきでしょうが『霊界物語』の
御倉魚は『新月の光』で王仁三郎が「そんな事が言えるかい。」といっている
ように戦前の皇室財産と考えられていますよね。いまは資本家が持っているん
でしょうが。やはり日本の立替え立直しが課題ですよね。

重ねていいますが王仁三郎は歴史を知らなくて語るなかれと教え、
『霊界物語』発端(元「回顧録」の一部)にある「竜宮館(皇道大本)は変性
男子の神系と、変性女子の神系の二大系統が歴然と区別されてゐる。」という
こと無視しては『霊界物語』は半分も理解できないでしょう。

王仁三郎聖師が「誠」と言う場合「神様の真実」、「神様の意志」、
「神様の意志にしたがう」などのことを指すとおもいますがたとえば
王仁三郎聖師が入蒙前にのこした遺言的神示の「錦之土産」では、

神示   大正癸亥旧十月十四日

宇知丸は瑞の御魂の分霊にして大八洲彦命の精霊の再生なり。月の手によりて成れる神
示のプログラムに由りて選まれたる役員信者を総指揮すべき因縁にして霊魂上より云へ
ば瑞月の実子なり。神界の経綸につき一切を神示しあり。故に宇知丸の言は瑞月の言の
伝達なり。その思慮また瑞月の思慮なり。故に大本人は皆その指揮に従ふべし。(略)
瑞月は伊都能売大神の勅に依り後日のため茲に明示しおくものなり。
誠 誠 誠  月

なんてありますね。宇知丸というのは『大地の母』で王仁三郎の二十年目の弟子と
して紹介されている出口宇知麿さんのことで出口和明さんの父親、佐賀○平氏の
お祖父さんにあたります。彼などは明らかに 変性女子の神系ですよね。


230 :グリーンマン:03/02/20 04:08
『霊界物語』は音読することによって頭ではなく血で読むといわれ
「みたまのふゆ」をめぐまれると信者の中の熱心な人は思っています。
たとえば木庭次守さんは一回ひととうりは拝読するごとに魂が変わった
経験をもっているとか。それはたしかに「信仰的経験」ですが
マザーテレサのこれに似ているかも知れません。

> カトリック的には「祈る」事も大切。
> 祈る事によって神様に行動できる力を与えていただく。
> マザーテレサも毎日の祈り、ご聖体拝領を無しでは
> 一日もやっていけないとおっしゃっていました。
> まず彼女たちは祈る質と量からして私たちと違う。

もちろん出家した修道女の「キリストの花嫁」のマザーテレサと
「在家の弥勒」が理想であり目標である王仁三郎の弟子とは違い
ますしし、現在の愛善苑や大本の信者が「在家の弥勒集団」
としていえるのかどうかは彼ら自身が日々反省し精進していると思い
ますよ。機関誌など読むかぎり(w

カトリックの聖体拝領のソースは福音書の最後の晩餐の場面でしょうが
2000年前のこととはちがい、『霊界物語』の音読は王仁三郎自身
の言葉によるものですよね。それを「迷信」だと主張するアトムさん
の主張にははっきりいって「慢心」と「我」を感じました。
お互い見直し聞きなおししたいものですね。


231 :グリーンマン:03/02/20 04:58
訂正
>>217
「高姫なんんかが」は「高姫なんかが」です。
>>220
「お聞きしていたんですですけど」は「おききしていたんですけど」、
>>230
「ひととうりは拝読するごとに」は「ひととうり拝読するごとに」
などケアレスミスが多く多謝、須磨曽

232 :アトム:03/02/20 09:15
>>227

>するならどうしてその1,2ページ前にある「水鏡」の「真の宗教」を無視
>するんですか。

キリスト教の奇跡の最大とは、キリストの復活で、それは万人の罪の
贖いを意味することは、ご存知のはずです。それが本当の信ずべき
ことなら、万人がキリストに罪の赦しを願って、クリスチャンになれば
いい。なぜ大本が必要になるのか伺いたい。

王仁先生は「あヽ既成宗教」の中で、このキリスト教義について触れ、
「以上のごとき教理は、数千年以前の人智蒙昧なる野蛮時代におい
ては、多少の脅嚇もごまかしも効力があったであろうが」、現代には
通用しない、と書かれています。

迷信をもって、迷信を打ち破ることはできませんよ。どこの宗教でも
自分のところにこそ奇跡は起きると確信している。一心に信じること
だけで本物かどうか見抜けませんよ。あなたにもおわかりと思うが。

233 :アトム:03/02/20 09:32
>>228

なぜ、王仁先生がわざわざ聖書から引っ張り出してきた「パリサイ人」
という言葉を使われたか、考えたことがおありでしょうか。王仁先生
自身がイエスキリストと対比されて、教えが説かれているのは明白でしょう。
こう言っては失礼かもしれないが、読みが浅すぎますよ。

>>229

御倉魚が、皇室財産の譬えであったことは肯ける点が多々ありますが、
霊界物語は単なる大本史の覚書ではなく、未来人のために書かれた
ものですから、あるひとつの解釈に固定する必要はないと思います。
それに大本と関係のない一般人に「宇知丸さん」がどうの、「変性女子
の神系」がどうの言ったって無駄ですよ。

>>230

>2000年前のこととはちがい、『霊界物語』の音読は王仁三郎自身
>の言葉によるものですよね。それを「迷信」だと主張するアトムさん
>の主張にははっきりいって「慢心」と「我」を感じました。

読んでも無駄だとは言ってませんよ。音読という行為そのものに効果
があるとか、音読しなければ言霊が働かないから無効だ、などという
主張は迷信だと言っているのです。私は現代人で、おまけに科学の
一端に関わって飯を食う人間です。信じられるものは信じるし、信じら
れないものは信じない。それが「慢心」なら、しょうがないですね。


234 :アトム:03/02/20 09:42
「取違いの信仰」にはこういう一節があります。

「じつは、みな誰でも取違いのないものはない。今日のところ、
まだ本当にわかったものは一人もないのだ」
(昭和六年十一月)

壁にぶちあたって、自分の取違いに気付き、軌道修正できる
のは、固定したスタンスを持たぬ、私のような四つ足身魂の
風来坊に限られます。最初から「正教」という重しを背負って、
一歩も踏み出せない皆様がお気の毒。アトムの副守のたわ
ごとですので、どうぞ見直し聴き直しのほどを。

235 :グリーンマン:03/02/20 12:37
>>228
ぼくが何時キリストの復活を信じているといったのですか。
パリサイ人ってあったらキリストに反対するものであることなんか
だれでも知っているでしょう。マザーテレサですよキリストを
信じているのは。

236 :アトム:03/02/20 13:18
>>235

いや、あなたが「真の宗教」を引用してきた理由は、奇跡を宗教から
抜き去ると、それはただの倫理になってしまって、宗教の生命が
失われる、という王仁先生の主張を使って、「奇跡」=「霊界物語音読
の奇跡」という公式を当てはめたわけですよね。しかし、「奇跡」=
「キリスト復活の奇跡」という当てはめ方もできますよ。

「キリスト復活の奇跡は信じない」が、「霊界物語音読の奇跡は
信じる」という態度こそが、矛盾していると考えられたことはありませ
んか。回りを見渡して御覧なさい。自宗の奇跡だけを正当として
他宗の奇跡は一切認めない偏狭な迷信家で溢れている。

確かに、三鏡の「信じきること」で「迷信でも一生懸命であれば、それ
相応の天国に行く」と書かれています。しかし、それが本当ならば、
既存宗教のキリスト教や阿弥陀信仰で十分だったのではありませ
んか。

霊界物語に盛り込まれた精神とは、一切の迷信を廃して、自分の頭
で考えるという態度だと思っていますが、違いますか?

237 :アトム:03/02/20 14:00
>パリサイ人について

キリストに敵対したというだけじゃなくて、発想がとてもよく似ている
のですけどね。とにかく、品行の正しい彼等からすると、イエスは
悪の鑑だった。そのイエスが「我こそはユダヤの救世主なり」と宣言
した挙句、ユダヤを政治的に支配したローマ帝国に刃向う意志が
なかったので、「不敬罪」で死刑にしたのです。

マザーテレサは、キリストによる罪の贖いが目当ての一般のキリスト
教徒とは違い、現世にイエスの仁慈の教えを実現しようと努力したの
です。マザーは、非キリスト教徒にむしろ受けがいい。プロテスタント
など、「善行するかどうかは、罪の赦しには関係ない」などと、冷淡なる
ことドライアイスのごとしです。カトリックでさえ、「人にはそれぞれ使命
がありますから(自分には関係ない)」と口にする人もおります。

日本では、マタイ福音書を愛読して、それを行動原理とし、足尾鉱毒
事件に殉じた田中正造という人がいます。私は、彼などは霊界物語を
読まずして三五教の極意に達した大宣伝使だと思いますけどね。

238 :グリーンマン:03/02/20 23:11
>>236
>いや、あなたが「真の宗教」を引用してきた理由は、奇跡を宗教から
抜き去ると、それはただの倫理になってしまって、宗教の生命が
失われる、という王仁先生の主張を使って、「奇跡」=「霊界物語音読
の奇跡」という公式を当てはめたわけですよね。

違いますよ。「真の宗教」には奇跡なんてふれてないでしょう。
アトムさんが王仁三郎が目指したのは「新しい宗教の建設」という
よりも「古い宗教の破壊」に近いと思いますなんていっていたので
王仁三郎聖師は「真の宗教」である皇道であるところの四大綱領、
四大主義を示したといったんです。
時代に合わないなら自然にきえていくわけで「破壊」なんて王仁三郎の
仕事ではないですよ。
キリストの復活を聖師の「あヽ既成宗教」を引用して「迷信」だと主張
したのはアトムさん自身でしょう。ぼくが何時他宗教の奇跡や救いを否定
したのですか。清潔主義というのも王仁三郎(直)が開いた天国や霊国に
救われるためにですよ。


239 :グリーンマン:03/02/20 23:11
戦前大本の宣伝使がヨーロッパに宣伝に行ったときスイスのカトリック
の信者からずいぶんひどいいいかたで「お前たちのいう救世主などは、
偽救世主だ、聖書にこう書いてある。こう書いてある。聖書だけが本当
に信ずべきである。二千年前、神様はちゃんと道を示されている。
二千年たって、お前たちのような無学なものに神がかって、二千年前に
神が教えたような事を訂正せなならぬような、そんな神さまではない」とか、
「お前たちのやってきた事で、一番よい事はエスペラントを使っていること
だけだ。児戯に類するような霊界物語など宣伝してくれるな。
これは蒙古のような未開のところではうけいられるかしれないがヨーロッパ、
アメリカの文明社会では、とてもうけい入られない」とかいわれたとか。
まだ若い宣伝使が王仁聖師に「聖師さまの事を、こんなボロクソにいう者が
おりますが、こんなものでも死んで天国にゆけるでしょうか」と幼稚な質問を
すると王仁聖師はふっと考えられて、「うん、いける。せまーい天国や」と
いったとか。「あんなものは天国に行けるか!」ではなく「行ける」と自分を
たたいて来る人にも広やかな気持ちをもって見ていたようです。


240 :名無しさん@3周年:03/02/20 23:21
>>239
そういえば特に良いことも悪いこともせずに
「聖書こそすべて、他なんか間違っとる!」とかたくなに平穏に暮らしていたら
その「せまーい天国」に行けるそうですよ。

皆さん、悪いことをするくらいならそのほうがいいですよ。
勿論、良いことをたくさんすればもっと上に行けますよ。

241 :グリーンマン:03/02/20 23:54
>霊界物語に盛り込まれた精神とは、一切の迷信を廃して、自分の頭
で考えるという態度だと思っていますが、違いますか?

どう自分の頭でかんがえても言霊を尊ぶことは王仁三郎の根本主張であり
「迷信」ではありませんね。

ぼくがマザーテレサを引用したのは彼女があのような仕事ができたのは
まずなによりもカトリックの信仰があったからだと思いますよ。
日々祈りと聖体拝領で「神様に行動できる力を与えて」もらったから
でしょう。「大本」の信者の熱心な人が『霊界物語』の拝読で同じような
ものを与えられるといっているのに「迷信」だとは思いませんよ。
知らないところで陰徳を積んでいるかもしれないじゃないですか。

田中正造なんて昔「田中正造伝 嵐に立ち向かう雄牛」という外国人が書いた
伝記をよんだぐらいですが明治天皇への直訴とかおもしろいですね。
神道研究家のひとが田中正造とか秩父事件とかと禊教との関係を書いていたっけ。





242 :グリーンマン:03/02/21 00:28

パリサイ人(じん)が吾(わ)が罪(つみ)を
教(をしへ)の主(きみ)に負(お)はせつつ
その身(み)の安(やす)きを祈(いの)るをり
憐(あは)れみ給(たま)ひて瑞御魂(みづみたま)
千々(ちぢ)に心(こころ)を砕(くだ)きつつ
平安(やすき)と栄光(さかえ)を与(あた)へむと
仇(あだ)なす身魂(みたま)を守(まも)ります
その御恵(みめぐ)みは海(うみ)よりも
深(ふか)きを思(おも)ひ明(あき)らめて
夢(ゆめ)にも忘(わす)るる事(こと)なかれ
神(かみ)の愛(あい)には限(かぎ)りなし
人(ひと)の愛(あい)には限(かぎ)りあり

教(をしへ)の主(きみ)は出口直開祖ですかね。


243 :アトム:03/02/21 08:35
>>238

「あヽ既成宗教」で、キリスト教の教義を否定しているのは王仁先生
自身です。あなたが他教の奇跡や救いを否定しようがしまいが、
関係ない。キリスト教の奇跡、中でもキリストの復活を否定すれば、
キリスト教は「迷信」と断罪され、「古い宗教」として破壊されたのと
同じことです。これを称して、

>王仁三郎が目指したのは「新しい宗教の建設」という よりも「古い
>宗教の破壊」に近い

と書いたのです。別のところで、王仁先生は、既存宗教は崩壊寸前
で、あとは時間の問題だ、最後まで残るのはキリスト教だ、という
意味のことをコメントされています。

244 :アトム:03/02/21 08:45
>>239

キリスト教の連中から見たら、もっともだと思いますけど。誰も、死後の
世界へ行って確かめてきたわけではない。王仁先生自身は行かれた
はずだが、それだって証拠はない。これはキリスト教の連中も同じこと
で、お互いに確証のないことを言い争って「自分は正しい、相手が間
違っている」と主張して譲らない。

具体的に言えば、グリーンマンさんがキリスト教徒相手に言向け和そう
としても門前払いで、一向に埒が開かないでしょうね。相手の弱みを
掴んだつもりが、そのまま同じ弱みを相手に掴まれているわけだから。

迷信を持ち出しあって、言い争うよりも、言葉なくして相手をうならせる
宣伝方法があるのではないですか。その宣伝方法に頼る限り、霊界
物語は音読でなければならない、的なきまりは二次的なものにすぎ
ないのでは。

>>240

その発想がパリサイ人的です。

245 :アトム:03/02/21 09:26
大本の四大綱領、 四大主義だって、その根本にある「愛善と真信」の結合が
なければ意味がないでしょう。

第47巻第9章の部分を読むと、「自分が救われたい」という願望から悪事を
離れ、善事を行なうことすら、単なる「自愛」にすぎないのではないか、と思え
ます。心の底から、神への愛、隣人への愛に動かされて行動するのでなく
ては。礼拝も善行も、「神様へのご機嫌取り」になってはいけないと思います。

パリサイ人が非難されたのは、「神様へのご機嫌取り」のための、うわべだ
けの善行(偽善)に励んでいたからです。人間の死後、残るのは「内分」、
心の底にあるものだけですから、偽善は意味がないどころか、善行を重ね
るごとにかえって「自愛」を大きくしてしまいます。

霊界物語には、我欲を捨てて日本魂を発揮し、天下公共のために、神のため
に身を尽くして奉仕せよ、という教訓が繰り返し書かれています。第1巻の
「発端」からしてそうでしょう。霊界物語とは、「自愛」を捨てて日本魂を発揮
するマニュアルのようなものです。

私も含めて、霊界物語を初めて手にする人は、「自分が助かりたい」とか、
「自分が霊界の秘密を独占したい」など「自愛」のゆえです。しかし、読み進め
ていく内に、「自愛」が薄れていき、自分が助かるも助からぬも神様の御心
次第という気持ちになってくるでしょう。私の経験によれば、の話ですが。


246 :アトム:03/02/21 12:34
>>239(追加です)

>「うん、いける。せまーい天国や」

何度となく、読み返してみましたけど、「そんな狭い天国が本物なわけ
あるかい」という風にも読めますね。スウェデンボルグによれば、キリスト
教の修道僧達は、自分達が作り上げた神学こそが真実だと信じて、
死後は、日が射さない洞穴のようなところで、宝に囲まれているように
錯覚している。ところが、それは彼等が作り出した幻想にすぎず、
神の光で正体を暴かれると、たちまち目や鼻が欠けた醜い姿を曝し、
積み上げた宝も汚物に一変するといいます。こういう状態も、本人達が
自己満足しているという意味では「せまーい天国」かもしれない。

もともと、人類愛善には垣根がないのだから「せまーい天国」なんて
あるわけがない。「せまーい天国」とは、実は「地獄」の謎かけなんで
はないでしょうか。

247 :グリーンマン:03/02/25 19:58
>>243
>「あヽ既成宗教」で、キリスト教の教義を否定しているのは王仁先生
自身です。あなたが他教の奇跡や救いを否定しようがしまいが、
関係ない。キリスト教の奇跡、中でもキリストの復活を否定すれば、
キリスト教は「迷信」と断罪され、「古い宗教」として破壊されたのと
同じことです。

王仁聖師が「あヽ既成宗教」でキリスト教を批判しているところは
アダムとイヴの堕罪によって子孫の人類に原罪があるとする「原罪説」
と十字架にかかって死んだ神の「独り子」であるイエス・キリストの名
によって天帝に祈願する者「のみ」これを天国に再生せしめたまうという教理で、
肉体をともなったキリストの復活の話なんて直接ふれていないでしょう。
キリスト教や聖書にくわしくないけどキリストの肉体をともなった復活という
のは原罪や失楽園によって人類に招来した「死」の超克という意味があるんで
しょうか ?
カトリックでは無原罪の聖母はキリストと同じく肉体のまま天に昇っていった
ことになっていますけど。

248 :グリーンマン:03/02/25 19:59
キリストは『霊界物語』では、

その時成り出でましたる島は、前述のごとく淡島(あはしま)なりき。
淡島は現今の太平洋の中心に出現したる島なるが、この天地逆転の神業によりて、
その根底は弛(ゆる)み、つひに漂流して南端に流れ、地理家のいはゆる南極の
不毛の島となりにける。
而(しか)してこの淡島の国魂として、言霊別命の再来なる少名彦命(すくなひこ
のみこと)は手足を下すに由(よし)なく、つひに蛭子(ひるこ)の神となりて
か弱き葦舟に乗り、常世(とこよ)の国に永く留まり、その半分の身魂は根の国に
落ち行き、幽界の救済に奉仕されたるなり。
この因縁によりて、後世猶太(ゆだや)の国に救世主となりて現はれ、
撞(つき)の御柱の廻(めぐ)り合ひの過(あやま)ちの因縁によりて、
十字架の惨苦を嘗め、万民の贖罪主(あがなひぬし)となりにける。

僕にはこれ以上でも以下でもありません 。
ちなみに 王仁三郎は昭和10年に撮影した『昭和の七福神』(八幡書店発売の
ビデオ『蘇る出口王仁三郎』 )という映画の中で、

「吾こそは言霊清き蛭子なり国のあちこち歌碑(うたぶみ)建つるも」

と歌っています。



249 :グリーンマン:03/02/25 20:00
>あなたが他教の奇跡や救いを否定しようがしまいが、関係ない。

アトムさんが「キリスト復活の奇跡は信じない」が、「霊界物語音読の奇跡は
信じる」という態度こそが、矛盾していると考えられたことはありませんか
といっていたんでしょう。

>キリスト教の奇跡、中でもキリストの復活を否定すれば、キリスト教は「迷信」
と断罪され、「古い宗教」として破壊されたのと同じことです。

どうして王仁三郎が 既成宗教に批判的な意見をもっていたら、「古い宗教」
として破壊されたことになるのですか。
キリスト教だったら聖書学者や フェイエルバッハのほう影響力が強いですし
仏教だったら学者は大乗非仏論をとなえ、王仁三郎もたしか同じ丹波出身の
村上専精 博士を引用して肯定していますが、 逆に「あヽ既成宗教」では
宗教として小乗より評価している。大乗非仏論 が証明されたら大乗仏教は
「迷信」として「断罪」されるわけですか? 日本の葬式仏教が「崩壊」寸前
なのはいわなくてもわかりますが。
霊界は想念の世界だから信じる人がいるかぎり霊界は形成されるわけです。
それにキリスト教が最後までのこるなら「破壊」されてないでしょう。
アトムさんが王仁三郎の仕事を新しい宗教の建設「というより」古い宗教の破壊
といったいいかたはやはりわかりません。もちろん新しい宗教 というのは 、
「真の宗教」たる宇宙皇道 であると王仁三郎が「正教」意識 持って主張する
四大綱領、四大主義のことですが。
どうやらアトムさんは王仁聖師が戦後愛善苑で諸宗教との提携をすすめ喜んだこと
を無視しているのでは。
>>239 の話もあれは戦後の幹部だった故伊藤栄蔵さんの話で 戦後 カトリックの
教皇の使節が大本に来て「カトリックはようやく、このごろ、こうして諸宗教との
対話ということを一生懸命させていただいておりますが、実はこの方面では大本
さんは大先輩であります。」とか「大本さんが先輩であります。そして我々も
そうゆう風に一生懸命やるつもりです。」といったというオチがつく話です。


250 :グリーンマン:03/02/25 20:49
田中正造は王仁三郎聖師より約30年前に生まれた世代で若いころは祖父の影響で富士
赤間信仰の富士講の熱列な信者だったらしい 。病気平癒祈願とかも熱心にしたみたい。
「正造は従来物質上の霊物に感ずる事狂人の如し。或は樹を愛し、石を愛し、山を愛
し」など、もともと天地の自然のなかに造化のむすびの神をみる という自然感と儒教
的な国体意識と草莽としての義侠意識を生涯にわたっても持ち続けたひとでしょう。
「亡国を至るを知らざれば此れ即ち亡国」というのもそれからきているんだろうね。
富士講の食行身禄のみろく信仰と人間平等思想 などについては故宮田登さん の「大本
教」のことも論じている『ミロク信仰の研究』を参照してください。近代思想とキリス
ト教に接してからはきっぱりと捨て去ったらしいけど
晩年、谷中村の住民の戦いにそのような民間信仰が支えているのをみて若い時の記憶を
甦らせたそうです。
田中正造の「聖人」待望論を出口なお開祖と比べる学者もいますね。
もともと三宅雪嶺を「何宗にてもそしらず」と評価していたように宗教的寛容の持ち主
で日本における初期のスウェーデンボルグ受容者の新井奥邃や岡田式正座法の岡田虎二
郎、一燈園の西田天香などに期待していたらしい。晩年の田中正造が王仁三郎聖師にあ
ったらどうだったかな。


251 :グリーンマン:03/02/25 20:55
>私も含めて、霊界物語を初めて手にする人は、「自分が助かりたい」とか、
「自分が霊界の秘密を独占したい」など「自愛」のゆえです。しかし、読み進め
ていく内に、「自愛」が薄れていき、自分が助かるも助からぬも神様の御心
次第という気持ちになってくるでしょう。私の経験によれば、の話ですが。

それは晩年の田中正造が思い出したという富士講の食行身禄の歌 、

「富士の山 のぼりてみればなにもなし よしもあしきも 我がこころなり」

というやつですね。正造翁は「仏信者の秘訣であるべきか」といっている。
でも僕は王仁三郎聖師のこの歌の方が親しいですね。

天にかがやく月日の玉を 取つてみやうと野心をおこし
天教(てんけう)、地教(ちけう)の二つの山を 足の台にして背伸(せのび)をしたら
雲が邪魔して一寸(ちよつと)にや見えぬ 見えぬはずだよ盲の企(たく)み

そこでちよつくり息してみたら 雲が分れて銀河となつた
左手(ゆんで)に太陽わしづかみ 右手(めて)に月をばひん握(にぎ)り
顔に当てたら眼(め)ができた 顔にあてたら眼ができた。

『霊界物語』のテーマは慢心を捨てて生まれ赤子のように誠の神さまに
したがうということですね。


252 :アトム:03/02/26 17:26
>グリーンマンさん

信仰というのは、神と人間との直接的な関係であって、その間には何の
取次ぎもいらぬと私は思います。キリスト教にも善人と悪人がいるし、
仏教もイスラム教も、また大本でもそれは変わらないでしょう。各宗教
から善人だけ集めたら天国になるし、悪人だけ集めたら地獄になる。
王仁先生が望んだのは、この世を改造して天国に変えることだった
ので、善人にさえなったら目的は達するのです。その手段は、何教でも
構わない。だから、バハイ教などと提携を持ったわけでしょう。

結局、どの宗教を信じたら天国へいけるなんて「特典」を期待するのが
間違いじゃないかと思います。

キリスト教徒がキリストの復活にこだわるわけは、復活が「死に対する
勝利」の証で、その恩恵によって、キリストに頼るものの罪が帳消しに
なるからです。同じことを大本の人が、スサノオ大神に対して求めたら、
五十歩百歩だという気がする。そこに矛盾を感じないのなら、それは
個人の主義の問題だから、もう何も言いますまい。

253 :アトム:03/02/26 18:43
田中正造の日記に書いてあった文章です。

「キリスト何とて我を捨てたまうやと言えるなり(注:十字架上
でイエスが口にした言葉)。神に尽せることかくの如し。信仰の
厚き、ここに至る。信仰の完からぬものにてこの言の出ずる
なし」

王仁先生もまた、信仰の完き人であった。

254 :失礼します:03/02/27 01:31
如来教、天理教、今光教、黒住教、そして大本教 三千年一度に開く梅の花 神仕組は
延々と受け渡されバトンタッチされていく 丑寅の大金神国常立尊の世の立替建て直し
筆先 本当に世のし組みを担ってきた先人達 本当にご苦労様でした 大敬意

さて、王仁三郎先生もお書きになっている「真打は後から出てくるぞ」と。「尾張の半田まで」と
宗教弾圧は、国家警察がやったようで神霊的には神様の仕ぐまれていた事であった 先生も予言されている
つまり、一つの仕ぐみが終った時代が変わるという事です。又次の仕組に大本の精神を受け継いだ次の団体に
バトンタッチ 実際にすでにその団体は活動しています。つい最近本当(以前までは御魂での顕現)の国祖国常立大神様の復活祭を
終えた所です。どうぞ、是非最終の弥勒の世への神仕ぐみに参画いたしませんか  お待ちしております。誠

255 :名無しさん@3周年:03/02/27 02:09
、「自分が救われたい」という願望から悪事を
離れ、善事を行なうことすら、単なる「自愛」にすぎないのではないか、と思え
ます。心の底から、神への愛、隣人への愛に動かされて行動するのでなく
ては。礼拝も善行も、「神様へのご機嫌取り」になってはいけないと思います。


パリサイ人が非難されたのは、「神様へのご機嫌取り」のための、うわべだ
けの善行(偽善)に励んでいたからです。人間の死後、残るのは「内分」、
心の底にあるものだけですから、偽善は意味がないどころか、善行を重ね
るごとにかえって「自愛」を大きくしてしまいます。

霊界物語には、我欲を捨てて日本魂を発揮し、天下公共のために、神のため
に身を尽くして奉仕せよ、という教訓が繰り返し書かれています。


256 :アコム:03/02/27 02:10
スウェデンボルグによれば、キリスト 教の修道僧達は、自分達が作り
上げた神学こそが真実だと信じて、 死後は、日が射さない洞穴のよう
なところで、宝に囲まれているように 錯覚している。ところが、
それは彼等が作り出した幻想にすぎず、 神の光で正体を暴かれると、
たちまち目や鼻が欠けた醜い姿を曝し、 積み上げた宝も汚物に一変す
るといいます。こういう状態も、本人達が 自己満足しているという意
味では「せまーい天国」かもしれない。

もともと、人類愛善には垣根がないのだから「せまーい天国」なんて
あるわけがない。

257 :失礼します:03/02/27 02:25
出口王仁三郎先生は偉大だった。
先人達様方、何卒真実の力をお借り出来ないでしょうか  どうでしょう

258 :大本教被害者の会:03/02/27 08:20

>>257

 カルトは出てくるな!


259 :大本教被害者の会:03/02/27 08:25

>>254

>大本の精神を受け継いだ次の団体に
バトンタッチ 実際にすでにその団体は活動しています

 団体はもう要りません!

 カルトと団体はお断り!

 聖師の弟子は千騎一騎!

260 :大本教被害者の会:03/02/27 08:28

 ワールドメイトの人は

 「ウラナイ教の本部おほもと」の馬鹿信者に

 どんどん布教してくれれば好いから

 ここには出てこないでネ!

261 :大本教被害者の会:03/02/27 20:32

>>254

>今光教?

大馬鹿!

 厨房か?


262 :大本教被害者の会:03/02/27 20:36

>>254

 こんな所に出てくる暇があったら
自分でスレ立てて好きなように
やってくれよ。

 どんどんカキコんでやるから(藁)


263 :名無しさん@3周年:03/02/27 20:41
http://www.ultracyzo.com/worldmate/

264 :名無しさん@3周年:03/03/05 00:53
ぜひスピルバーグに映画化して欲しい。

265 :名無しさん@3周年:03/03/06 00:02
>>254
大本教以降 国際勝共連合 (出口の弟子笹川良一) 日本会議(勝共連顧問戸澤眞)
とアメリカに国を売っているカルトは面々と受け継がれているなw




     さ   す   が   戦   前   か   ら   ア   メ   の   犬

266 :ベンゼン中尉 ◆BENZENFG3I :03/03/06 00:33
出口の言うことも当たり外れはあるわけで、完璧ではないとおもたよ!!

267 :出口 王仁三郎:03/03/06 08:20

 >>265

「以降」って何だ?

 まだやってるゾ!

 それから無関係なものと一緒にするな

 親欧・亜はありえても親米・売国は教義上ありえない罠

 小沢一郎と一緒にしないでくださいネ

268 :出口 王仁三郎:03/03/06 08:22

>>265

「面々と受け継がれてる」って何?

日本語から勉強しなおしたら?


269 :名無しさん@3周年:03/03/06 22:13
「大本教」なんて書いている連中は相手にしなければ良いと思うが。

270 :出口 王仁三郎:03/03/07 08:22

 >>269

それは宗教色を薄めようとしている

「ウラナイ教の本部おほもと」の宣伝の結果であって

宗教を超えた大きな「大本文化」といったものもあるし、

宗教としての「大本教」もある。

 宗教として対外的にも対応できなければ

存在価値が薄くなるだけだ罠


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