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仏教は世界で一番難しい宗教

1 :名無しさん@3周年:03/01/30 15:30
俺は宗教について詳しくないんだが、
今仏教の本(ダライラマの仏教入門)読んでる。
で、入門編のくせににすごい難しさにびっくりした。
もしかして、仏教って世界で一番難しい宗教なんじゃねーの?
それとももっと難しい宗教ってある?



2 :名無しさん@3周年:03/01/30 15:39
2 …

3 : 遠征妻(・Θ・)ズリ子:03/01/30 15:43
どちらかというと貴方>>1の頭の構造が世界で一番不可解な構造になっていると思われます。

4 :思想・哲学:03/01/31 01:52
>>1
どこを見るか、どの側面を見るかで、異論反論
多々あろうかと思いますが、敢えて言いまーす。
仏教哲学って言うぐらいだから、宗教らしからぬ宗教・どっちかって言うと哲学なんでねえべ〜
と。

5 :名無しさん@3周年:03/01/31 07:10
本来の仏教は哲学的な学問ではなく、瞑想を通じて高次の意識を開発する道で、
哲学的なものは開発された意識による見え方。
だから高次意識が開発されなければ良くわからないのはあたりまえ。
上座仏教で行われてる瞑想がより釈迦の瞑想に忠実。


6 :朝まで名無しさん:03/01/31 07:22
>>1さんは仏教で1番難解なチベット密教から入られたようです。
仏教でひとくくりされてもなァ....
釈尊はその為に、対機説法をされています。
ご自分にぴったり受け入れられる教えまでご縁が有りますように。

7 :名無しさん@3周年:03/01/31 07:22
いいサイトだ♪http://homepage3.nifty.com/digikei/ten.html

8 :名無しさん@3周年:03/02/04 14:14
仏教は難解ではないです。慈悲喜捨を学びなさい。
言葉に惑わされてはいけません。本質をつかみなさい。

9 :イチロー:03/02/04 15:16
難解じゃあない=実際、できる!
とは、いかないところが・また別問題ってところが、またムツカシイとこで・・・・

10 :名無しさん@3周年:03/02/04 15:44
仏教のどこが難しいか言ってごらんなさい。
仏教なんて阿呆でもわかるよ。

11 :名無しさん@3周年:03/02/04 18:24
お釈迦様は対機説法をされたのだから、必ず受け入れやすい教えも
あるでしょう。

12 :名無しさん@3周年:03/02/04 18:51
仏教は難解です。
おそらく貴方の想像をはるかに超える難解さがあります。
だから仏教は阿呆にしか分からないのです。

13 :名無しさん@3周年:03/02/04 18:53
>>10
難しい漢字が多いんだもん。(T_T)

14 :名無しさん@3周年:03/02/04 18:55
一概に言えんもんを、どっちに決めろと言われても無理かと思う。
それが仏教だよ。

自分には自分の考え・・・それにたどり着いていないからこそ

これが禅なんだよ。
自分を洞察していく。とめどもな逝く。彼岸まで。
そん時分かるもんが無分別智。
これを言うておるだよ。
般若にて調ふべし。


15 :名無しさん@3周年:03/02/04 19:11
無分別ちとは何ですか


16 :名無しさん@3周年:03/02/04 20:00
thinking of thinkingであるよ

17 :名無しさん@3周年:03/02/04 20:08
>>15
心これ妙鏡台のごとし。その位相を鑑みなれ。
直指人心。
これにて調ふべし。

18 :名無しさん@3周年:03/02/04 20:16
無分別地とは何ですか?

19 :名無しさん@3周年:03/02/04 20:18
>>18
認識すれば対立はある。だから分別できる。
これは言語概念による思考による。
つまりは、言語を越えて捉えねばならん。つうこと。

【言語】←これを飛び越す。つまり概念ではない。


20 :名無しさん@3周年:03/02/04 20:20
言語で表わせないものとは何ですか??

21 :名無しさん@3周年:03/02/04 20:29
春に花 夏ほととぎす

秋は月 冬雪さえて冷やしかりけり。


by道元


22 :名無しさん@3周年:03/02/04 20:53
春夏秋冬はもちろん文字で表わせます。
概念は言葉で説明できます。
とりあえず言葉で説明してもらえないでしょうか。

23 :名無しさん@3周年:03/02/05 00:27
>>22
そんなわけのわからないおばかさんはほっときなさいな。
無分別智というのは、仏の智慧のことだよ。
仏ってのは、一言で言えば縁起だよ。
縁起ってのは、要するにあなたはあなたの周りのありとあらゆるものに
生かされているってことだな。
この考えを推し進めると、主客の対立を離れることになる。
分別というのは主客の対立を意味する仏教の言葉だよ。
そこから離れるのだから、無分別。
どくろちゃんも、わかった?

24 :名無しさん@3周年:03/02/05 00:59

主客の対立を離れても主客はやっぱり主客だな。
主客の対立を離れたところに何があると思う?
主客があるんだよ。

25 :名無しさん@3周年:03/02/05 09:25
>>24
対立のない主客。
これにて調ふべし(w
アクシュミデゴメソ

26 :名無しさん@3周年:03/02/05 11:45
対立を離れた主客を思考する無思考
これにて調ふべし

27 :名無しさん@3周年:03/02/05 12:10
世界で一番難しいのはキリスト教だと思うよ!
中身の濃さが違うからね。


28 :名無しさん@3周年:03/02/05 13:14
言葉で言い表すと、「主客」という風に難しい表現になってしまうけど、赤子に
でもわかるように言い直せば「よいことをなし、悪いことを避けよ」になると
思う。「よいこと、悪いこと」の定義を問う無かれ。赤子でも知っていることだ
から。人間は、主客対立がない状態で生まれてきて、成長とともに「我」と「彼」
を分別する思考を身につける。このために、赤子でも知っていることを実行
することができない。

仏教の教えは赤子にでもわかるほど易しいが、それを実行することは大の大人
にも(or,大人だからこそ)難しい。

29 :名無しさん@3周年:03/02/05 13:51

赤子には何もできない
主客が完全になっていなければ何も始まらない。
分別がなければキチガイの病院に入院せねばなるまい。
そこをよく弁えなければならない。
主客の無分別なんていうのは詭弁だね。
仏教のどこにそんな教えがある?

30 :名無しさん@3周年:03/02/05 14:33
善悪一如・・・善もなく悪も無い
思考する、また言葉にして伝えれば概念となる
ここがまあ、むずかすぃんじゃよ。

わたすはROMしとるので、好きにやったら良いよ

31 :名無しさん@3周年:03/02/05 14:43
善悪はない。あるのは主客。

32 :28:03/02/05 14:59
http://www.haginet.ne.jp/users/kaichoji/hw-zen9.htm

善悪がないのなら、釈迦は嘘を言っていることになる。
http://www.saganet.ne.jp/eirinji/ho14-1.htm

「善悪一如」とは、善と悪の区別がないということじゃなくて、物事に
は必ず善と悪の二面性があるということだよ。泥棒の善は、警察の悪と
いう風に、立場によっても変わるということでもある。

美醜も同じこと。美しいものは美しい、醜いものは醜い。あるがままに
感じて、それに執着しない。醜は美を羨望したりしない。これを「美も
醜も、相対比較だから存在しない」と空論に走るから、善悪も美醜も
味噌も糞もいっしょくたの土人形ができあがる。白は白、黒は黒と認める
のが仏法の基本だよ。

33 :名無しさん@3周年:03/02/05 15:03
>>32
「善悪一如」はキリスト教などの西欧的な正義と悪の価値観とは
全く異なりますね。

34 :28:03/02/05 15:12
>>33

イエスはちゃんと仏教的な価値観を理解していたと思われます。神殿の
献金の際に、神への献金の多さとは、額とは無関係だ、と喝破しますよ
ね。売春婦や取税人たちと親密に付き合ったのも、彼等が社会の底辺で
社会全体を支えているからです。悪だからと言って切り離してしまうと、
善の部分もまた失われてしまう。どんなものにも善悪の二面性がある
ごとく、どんな人間にも善悪を持っている。お互いにその善の部分を
できるだけ見せ合って、活かしあおうじゃないか、というのが仏教精神
で、イエスはそれを実践で示したと思います。

キリスト教の、単純至極の善悪二元論は、出来の悪い弟子達がイエスの
死後に勝手に付け加えたものです。

35 :28:03/02/05 15:24
イエスは、最も重要な戒律を教えてくださいと言われて、
「心を尽くしてあなたの神を愛しなさい、あなたの隣人をあなた自身の
ように愛しなさい」と明解に答えていますが、要するに「自分のことばか
り考えず、他人のことも気にしてあげなさい」ということです。これが、
「善をなせ、悪をなすな」の仏教の根本の教えに対応する。「主客」云々
なんて難しい言葉を使うから、よけいにわからなくなる。法句経も
スッタニパータも、釈迦はそんな屁理屈など捏ねていない。後世の頭
でっかちのヘボ弟子どもが、空理空論をねりあげたものが一人歩き
して、虎のような化物になり、今なお仏子の命を虎視眈々と狙いつつ、
仏道のわき道に身を隠しているのです。

36 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/05 15:25
横レス

私のレスが随所にコピペされてるね。
文体で大体分かるかと思うけど・・・。


37 :名無しさん@3周年:03/02/05 16:48
善悪などというものは人間が勝手に考えた価値判断。
本来そういうものはない。
こざかしい考えは捨てなければならない。

釈迦が善をなせと言ったのでしょうか。
弟子がそう受け取っただけなのでしょうか。
善悪観念ではどこまで行っても頭脳内の思考を出ることはありません。
仏典などいくら研究しても用をなさないということ。

38 :名無しさん@3周年:03/02/05 17:02
善悪一如とは善にも悪にも作用しながら、なおかつ善にも悪にも
染まらない、縁起の中に在りながら、しかも縁起から解放された
大いなる空性のことである。仏教とは弁証法と切っても切れない
法のことをいう。死後の世界があるかない等に対しての無記とは、
弁証法のことだと思ったりもするこの頃です。

手持ちの住金株が再び額面復帰した。うれちい2月の5日の独り言
復配にあやかれる日も近いだろう          なんちっち


39 :名無しさん@3周年:03/02/05 17:30
縁起から開放されることなどあるのだろうか?
縁起がなければ何も成立しませんが。
そのような無秩序が空性ですか?それは何もないのと同じですか?

40 :名無しさん@3周年:03/02/05 18:32

「縁起が無いと何も成立しない」と考える主体も又実体無き縁起の一法。
春の夜の夢の如し。

41 :名無しさん@3周年:03/02/05 18:37
縁起を無視することはキチガイか無知な人がすることですよ。

40は自分が発言していること自体を無視してどうするんですか!

42 :名無しさん@3周年:03/02/05 18:51
        __,,-――-、
        /    三ミ)、
      /     /```ヽミ、
      |  (''彡ノ   ,,`l |
       |  i,===__,ニ=、`l^l    >>40髑髏よ。ここで放置なさい。
        \ | ´’,ハ、__ノイノ   これ以上レスると、あなたの命の保障はできません!
         ヽ` ̄、し へ ノ|
          〉` ー'=' /|、_
     /`ーヘ、 ー--´ l| \ ̄ニ-、
    ノ、ノ^⌒へ\ー--‐'/,_ \   \
   /⌒  ,◎、  \ / | : ̄
  /::::    /|_.|イ-、 、V  ̄  :
  >-― __/、ニEl(,,ノ : |o  i : o
 (   / 〈 ニニノ : |   ``'''―'⌒
  \|   _ーノ  : |


43 :名無しさん@3周年:03/02/05 18:57
>>34
いやさ、イエスの教えじゃなくて神様は、善(信徒)と悪魔(異教徒)を
明確に二分してたわけで。

44 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/05 19:02
>>42
ROMはするけど、カキコはせんよ!
ちなみに・・・
>>39
>そのような無秩序が空性ですか?それは何もないのと同じですか?

空性と慈悲は車の両輪。必ず慈悲があります。

ではでは、失礼。

45 :28:03/02/05 19:27
>>43

イエスの時代のユダヤ教徒は、確かにそうでしたね。戒律に忠実で、神殿に
決められた十一税を納める人間が義人だと考えていた。しかし、イエスはその
考え方を真っ向から否定した。だから、イエス没後のキリスト教団は、パウロ
を中心に急速に「ユダヤ化」していったと言えるでしょう。ただ、戒律遵守が
「罪の贖い」の信仰に置き換わっただけで。現代においても、神の名の元に
一番人殺しをやっているのは、ユダヤ教徒ですしね(イエラエル)。

私には、どうしてもユダヤ教的「善悪二元論」と、イエスの思想とが同根だと
は思えないのです。イエスの思想は、むしろ仏教に近いですね。

46 :唯円ちゃん:03/02/05 19:40
うるせー。細かいことはどうでもいいんだよ。
今の大正大学出の坊さんがどんだけえらいっつーんだよ。
毎日キャバクラ来てるぞ(藁(巣鴨))

一番馬鹿がわかるように説法しろってーのw
民衆を助けろってーの

善悪総じてもって存知せざるなり

47 :名無しさん@3周年:03/02/05 19:41
つかそもそもキリスト教はアジア発祥。
古代の公会議(ほとんど東方でなされた)を遵守するキリスト教(例えば正教)などは、明らかに「西洋の宗教」などとはいえない。
何も知らないのに適当なこと言わないでくれ。>>33


48 :名無しさん@3周年:03/02/05 19:42
>>39
>縁起から開放されることなどあるのだろうか?
>縁起がなければ何も成立しませんが。
>そのような無秩序が空性ですか?それは何もないのと同じですか?

縁起に依存すれば世界は有であることになります
縁起を生起の磁場とすれば、世界は縦・横・空間の三軸に依存した
三次元世界に限定されてしまいます
空とは、
有にも依存せず
無にも依存せず
有でもあり無でもあるにも依存せず
有でもなく無でもなくにも依存せず
これらの如何なる限定にも依存することなく、
しかもこれらのいかなるものにも偏在する不壊の自性のことです

(正直わたしは何を言おうとしているのだろうか。)


49 :28:03/02/05 19:45
>>37

「小我」が囚われている善悪は、確かに小ざかしいから捨てなければいけ
ません。「我には得だが、他人には損」というガラクタな代物ばっかりだ
から。日常でも、エゴに凝り固まった人間を見ると嫌悪感を感じます。
それは、各自に備わった仏性が敏感に「悪」を感じ取るからです。
では、「大我」の段階ではどうか、と考えたら、「我」と「彼」の
区別がない価値判断だから、やることなすことすべてが皆にとって「善」
になる。もちろん、皆にとって「悪」になることをする選択肢は残っている
けど、「仏」はそんな馬鹿なことはしない。すべてが「善」ならば、
「善悪」の区別は不要になるから、「本来、善悪などない」という主張
は正しい。ただし、それは我欲を断ち切って仏になってからの話です。

釈迦が法を説いたのは、仏になっていない凡夫に対してだから、凡夫の
視線で「善悪」の区別をした上で、「よいことをせよ、悪いことをする
な」とわかりやすく説いたのだと思います。

良寛さんは、自分の身に覚えの無いことで袋叩きにあっても、それを
弁解しようともしない。悟りを開いた彼にとってみれば、「自分に都合
のよいこと=善」という凡夫の価値観が消えうせているので、痛い目に
遭うことも「悪」だとは感じない。では、「善も悪もない」と言い切って、
良寛さんが凡人をぶん殴ったとしたら、どうでしょう。もしそうなら、
良寛さんは悟ってなどいないと思います。単なる空論の楼閣の住人です。

50 :名無しさん@3周年:03/02/05 19:51
>>47
アジア発祥は強引じゃないですか?
あとキリスト教がヨーロッパを中心に広まっていったのは確かでしょう。
西洋の宗教と言っても良いと思いますが。

51 :名無しさん@3周年:03/02/05 19:57
>>1
難しいって?笑っちゃうね >>1 はアフォ w。
難しいと思うから難しいのだよ。

52 :28:03/02/05 20:04
わざわざ難しくして、自分を迷わせている人も少なくないことは確かだと思うよ。以下、友松円諦『仏陀のおしえ』講談社学術文庫、からの引用。

もし彼のさとりをもって煩瑣なる形而上学的思弁における論理のなかに見出さん
とするものがあったら、それは永久に彼の真精神にふれるものでない。彼のさとり
は実に人生問題の解釈でしかなかったのである。人生における苦の火を滅する
ことじたいに目的をもっていたのであって、「その火がどこから来たか」に
答えんとするものではなかった。人生の病苦を救うにあるのであって、その
薬品の来由を問答する要はないのである。(p.163)

53 :名無しさん@3周年:03/02/05 20:25
>から。日常でも、エゴに凝り固まった人間を見ると嫌悪感を感じます。
>それは、各自に備わった仏性が敏感に「悪」を感じ取るからです。

それはちがいます。
あなたのエゴが他の人のエゴに敏感に反応するからそう感じるのです。



54 :名無しさん@3周年:03/02/05 20:53
>>49
>では、「大我」の段階ではどうか、と考えたら、「我」と「彼」の
>区別がない価値判断だから、やることなすことすべてが皆にとって「善」

区別がない状態であるから苦悩する必要が生じるのです。
我、彼の区別をきちんとできる場合のみ、そのものを活かす働きが可能。
極性の相違を理解することにより初めて大我の視点に立つことができる。

55 :名無しさん@3周年:03/02/05 23:54
世俗諦においては区別=分別は必須です

56 :マンダム:03/02/06 01:10
おおい皆さん、ソレ等の言葉って、インド語ではないだろう?

57 :28:03/02/06 10:06
>>54

うん、個のレベルでは「我」と「彼」の区別はありますよ。機能もちゃんと
分かれている。親指と小指は、区別があるから自由闊達に働くことができる。
しかし、親指と小指は、ひとつの手に属するという視点で見ると、「我」と
「彼」の区別はない。指に一本一本切れ目が入っているわけじゃないしね。
「部分と全体」の二面性を見ることができれば、相手を不用意に傷つけると、
回りまわって自分を傷つける、という仕組みがわかる。それを無限大に拡大
していったものが仏智だと思うんだけど。

58 :28:03/02/06 10:12
>>53

あなたが、誰も目撃者がないところで人をはねたとして、そのまま轢き逃げ
したら、良心が痛みませんか? こういう場合の良心の働きもエゴで説明
できますか?

59 :名無しさん@3周年:03/02/06 10:19
轢き逃げなど致しません。
訳の分からないこと言わないで下さい。

60 :名無しさん@3周年:03/02/06 10:59
まぁーまぁー
「として」って書いてるんだし答えてあげたら?

私的には
良心=仏性は違うと思います。
良、不良や善、悪を越えたものも包括しているかと思います。

61 :28:03/02/06 11:19
>>60

良心=仏性、そのものズバリだとは思いません。しかし、凡夫の身では、
仏性を推測するための唯一の手がかりになると思います。良心を離れた
仏性、凡夫が理解不能な価値観が独立して存在するわけではなく、良心
の延長線上に仏性があるのだと思います。

62 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/06 11:39
横レス

仏性は慈悲。これは森羅万象の当体。
ライオンと、ライオンに喰われるシマウマにも等しくある。平等一枚の位相。
善悪にあらず。


63 :28:03/02/06 12:01
>>62

ライオンはライオンの、シマウマはシマウマの「性」に従うから、「平等一枚」
と言えるのです。しかし、人間の「性」はライオンともシマウマとも違う。
他人を「食い殺す」ことは、ライオンにとって義でも、人間にとってはそうで
はない。「性」に逆らっているのだから「悪」です。

64 :28:03/02/06 12:05
「法句経」で、釈迦は「やって、あとで後悔するようなことが悪である」
と明解に述べています。人間の「性」=良心に逆らうな、ということです。
人殺しにも善悪がない、と殺しまくったら、そいつは人間ではなくて
ライオンもどきです。いや、ライオンの風上にもおけぬ醜悪なる化物です。

65 :名無しさん@3周年:03/02/06 13:56
この世の相は流転する迷いの顕れだからこそ弱肉強食があるのです

66 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/06 14:26
>>64
そうですね。
仏性そのもんは、もともと慈悲つうもんがある。
だから「やって悪い事」と「やって善い事」の分別はつく。
だから慈悲のまんまで生きていけば当然、慈悲・慈愛の心で生活する。→これが仏智で「ありのまま」。
でも世俗諦では、たまに悪い人もおるんでそれだけでは人に騙されることもある。
だから分別智が必要。いわゆる・・・
仏智より〜分別智へ。
こうゆうことにて調ふべし。




67 :名無しさん@3周年:03/02/06 14:43
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/park/1038875471/132

68 :名無しさん@3周年:03/02/06 15:16
>>64 >>66
そうですね。
人を頃してもぜんぜん後悔しなければ、
それは善なる行いであると言えますね。
慈悲、仏性というものには善悪などありませんから。
「やって善いこと」を慈悲心でやったのであれば問題なしですね。

69 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/06 15:41
>>68
慈悲つうのは行動原理にはなり得ない。

つまり、生滅するゆえの「はかなさ」「いとおしさ」。
縁ありて「ある」もんでも、滅してしまうはかなさ。こうゆうもんかと思いまふ。

「人を頃す」ちゅう対象になるもんではない。
だから、自他不二、普遍的なもんであって主体から客体に向けるもんではない。
いわゆる主客未分化。無分別。


70 :名無しさん@3周年:03/02/06 16:00
>>69

行動原理ではないのですか。
善悪というものが無いということがますます明確になってきましたが、
無分別だから頃してもわたすには関係ない、そう聞こえますね・・・

71 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/06 16:25
>>70
>無分別だから頃してもわたすには関係ない、そう聞こえますね・・・

勝義諦から〜世俗諦へ・・・。
慈悲つうんは、人に施すもんでもないし、人から施されるもんでもない。無分別。
だから、分別して【対人間】つう「対象化」するんであれば、これは分別智で善悪を分別する。

無分別智→分別智。

ようするに、無分別に拘るのは「執着」。
正しく観察する(正見)。←これが分別智。
いわゆる八正道の実践がなければ仏教とは言えない。
何が正しくて、何が正しくないんか?これを見極めるベースが無分別。

72 :28:03/02/06 16:26
>>70

「善悪はない」という結論はその通りだと思いますが、くどいようですけど、
仏の目で見ての話です。たとえば、誰か飢えで苦しむ人があって、自分の持って
いるパンを分け与えたとすると、凡人から見たらそれは「善いこと」になるの
でしょうけど、仏にとっては慈悲心に従って「当たり前」のことをしただけ
だから、取り立てて「善」と呼ぶ必要はない。「悪」の方はどうかと言えば、
わざわざ慈悲心に反するようなことをする必要がないから、これまたありえない。
結局、仏になれば、なすことすべてが「中庸」にかなって(金的を射るという感じ)
外れようがない。もはや「当たり外れ」=「善悪」は意味を失う。

凡人は、慈悲心という「性」を逸脱して、「道ならぬこと」をすることが多い
から、どうしても「善悪」が出てきてしまう。これを、言葉尻だけとらえて、
「善悪などない」と否定してしまえば、たちまち魔道に落ちます。
本当に言葉は難しい(^^;

73 :名無しさん@3周年:03/02/06 16:39
だから、善悪はないのですよ。
善悪があると言ってしまうのは、あなたが凡人、
少なくとも仏の見地を正しく弁えていないからです。
そのような偏った物の見方をしていたのでは、
永久にその枠に嵌まったままになり、そこから出られないでしょう。
これはカルトの洗脳と原理は同じ。

74 :28:03/02/06 16:42
>>73

あなたは仏ではない。もし仏ならば、凡人を救うために方便で「善悪」を
立て分けて説くはずだから。あなたにはその慈悲がないから、仏のフリ
した偽者。

75 :名無しさん@3周年:03/02/06 16:43
>ようするに、無分別に拘るのは「執着」。

無分別に拘ることは捕らわれをなくす基本。
それを放棄してよいのは、何ものにも捕らわれなくなったと感じたとき。
最初から「捨てること」すらしなければ、どうしょうもないです。

76 :名無しさん@3周年:03/02/06 16:48
>>74
そもそも仏と自分たち凡夫の立場を完全に別けてしまっては、
悟ることができないだろう。
仏も人間である。

77 :28:03/02/06 17:00
>>76

仏には甘露でも、凡人には猛毒だ。

78 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/06 17:03
>>75
>最初から「捨てること」すらしなければ、どうしょうもないです。

無分別ちゅうのは、方便とすれば「捨てる」なんでしょうけど・・・
つまりは二項対立しない訳で、「捨てる」もない。有無ではない。つうことなんでしょう。
「拘る」⇔「拘らない」。この対立もないんでしょうね。

79 :名無しさん@3周年:03/02/06 17:17
いえ、言葉は言葉どおりに受け取っていただきたい。

「固定した考えを持たないそのままの自分の状態になること」
ということ。
言葉は記号ですから、
それが何を意味しているのかという共通の認識があればこそ通じるのです。
拘る・拘らない
これらは対立します。
しかし拘らないことが大切です。
そのままを受け取ればよい、簡単なことなのですが。

80 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/06 17:36
>>79
そーなんですよ(w
つまり「拘らない」を突き詰めると「拘る」になるんですね。

言語概念が、そうゆう性質なもんですから。

そのまま受け取ればイイんでしょう。


81 :名無しさん@3周年:03/02/06 18:00
髑髏の絵に描いた餅レスは他のレスの足を引っ張っている。引き続きROMしてて、おねがい。

82 :名無しさん@3周年:03/02/06 19:07
拘らない→囚われない→脱二元論→空性

拘るになるのは凡夫的なんですね

83 :名無しさん@3周年:03/02/06 23:04
毒矢の例えbyマッジマニカーヤこそお釈尊様の教えの精髄であります
釈尊様が苦行から離れられ中道によって悟りを得られたことを
素直に喜び、仏教の実存主義的生きかたに目を向けることを忘
れるのはいけないことなのです
実存主義的生きかたといっても、別にサルトルの本を読まなく
てもいいわけで、要は諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三宝印
を空論で拡散するのではなく、極めて日常的空間において実の
あるベースに仕上げていくことなのです。


84 :名無しさん@3周年:03/02/07 03:21
>つまり「拘らない」を突き詰めると「拘る」になるんですね。

そんなことはないよ。
「拘らない」ってことを
ちゃんと突き詰めてみた?

余計なものを取り払って
もともとの所へ帰るだけ。
難しく考えることはないでしょう。

85 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/07 09:14
>>84
>ちゃんと突き詰めてみた?

突き詰めんでも、中道。

86 :名無しさん@3周年:03/02/07 14:06
ロムってたものより、↓詳しく説明してくれ

>80
>つまり「拘らない」を突き詰めると「拘る」になるんですね。
>>85
>突き詰めんでも、中道

87 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/07 15:21
>>86
中道つうのは、「良い加減」「良い按配」。
38度の風呂にゆっくり入るのも、40度の風呂で身体を暖めるのも、丁度良い温度。
別に突き詰めんでも、その日の気分で熱い風呂か、ぬるい風呂か、どちらでも良い。


88 :名無しさん@3周年:03/02/07 15:50




ということで髑髏の隔離スレになったという話ぢゃよ



ここで世話になりなさい。他に来ないでね。





89 :空論者:03/02/07 16:07
面白い例ですね。あなたは、仏教学者ですか?
しかし、どてらでも良いと言えば
それはどっちかにかたよってしまう時があると言う事に理解できます。
だから、有に対し無に対してそれは空とは言えません、だから中道と
いえないと思います。よく見て分かるのが金剛般若経だと思います。
般若経典によれば、簡単に言うと無執着で物事を考えるそれが空といえます。


90 :名無しさん@3周年:03/02/07 16:08
>>87
だったら別に「拘らない」だって突き詰めんでもいいのでは?
言語概念にまでもっていかなくても思念によって解決できることだと思う

91 :空論者:03/02/07 16:18
すみません。
89に載したものですが。言葉は87にいった言葉です。

92 :名無しさん@3周年:03/02/07 16:25
中観における空と唯識における空の捉え方の相違はいかなるものでせうか?

93 :空論者:03/02/07 17:08
唯識に対してはあまり知識がないのですが簡単に述べてみます。
中観と言うのは、固定した概念にとらわれない、そして、独立固有の実体性を
もたないのが空性であり、中観の根本的なものです。
それに対して唯識は、空の思想を受け継ぐけれども独自の体系を打ち出します。
それが、アーラヤ識とマナスの心の種類を六種から八種の変革と理解します。そして、
識はあるとして、それはアーラヤ識(種子または訳では蔵)でかたずける事が出来る
そのアーラヤと言うものは無常を見つめる心でありそして、心の一部分は不変なものに近いから
我(アートマン)があるとする。それをマナスとし、それは実在しない我を実在すると錯覚し
それに執着することです。これが独自の理解であるが、これは戯論だと思いますが。
同じ時代に唯識と中観があったとしたのなら論争がたえなかったと思います。


94 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/07 17:33
>>89
>それはどっちかにかたよってしまう時があると言う事に理解できます。

空性であっても、この概念に凝り固まったら執着ですね。
言語そのものが分別概念でなりたつ訳ですから、もはや言語の世界観ではないですね。
原語に依らない。無門関。
>>90
>言語概念にまでもっていかなくても思念によって解決できることだと思う
そのとおりですね。


95 :名無しさん@3周年:03/02/07 18:09
>87 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/07 15:21
>>86
>中道つうのは、「良い加減」「良い按配」。
>38度の風呂にゆっくり入るのも、40度の風呂で身体を暖めるのも、丁度良い温度。
>別に突き詰めんでも、その日の気分で熱い風呂か、ぬるい風呂か、どちらでも良い。

 ↑ ええっ、中道ってこうゆうことですか?
   この喩え(説明)は適切なんでしょうか?

96 :空論者:03/02/07 18:19
>95
いいえ適切ではないです。
空思想は言語では表しずらく、理解しずらいものです。
自分で理解し自分なりの考察をおおなうとすると言葉の間違いが出てくるようになります。
おすすめの本を言いますと龍樹・中村元・講談社学術文庫からでています。
単行本からでていますし、買うのならお勧めです。
まじめにやるなら唯識の方が面白いとおもいますけど。

97 :名無しさん@3周年:03/02/07 18:19
どっちかというと 10度の冷水も80度の熱湯もさけ40度前後の 「良い加減」
の風呂に入れ が中道かと

日によって 体調や気分で 熱さを変えるのは応期説法の 自己バージョンともいうべきものでは??

98 :名無しさん@3周年:03/02/07 18:24
みなさま。髑髏の、ああいえば上祐、妄想仏教におつきあいいただいてありがとうございます。
からんでやってください。




99 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/07 18:42
>>96>>97
どうでもイイんだけど、「拘らない」に「拘る」は中道ではないよ。
琴の弦を強く張れば高い音になるんだし、弱く張れが低い音になる。
諸行無常、その時の温度や湿度はうつろい逝く。


100 :名無しさん@3周年:03/02/07 18:50
 ´,_ゝ`)プッ



        ∧∧  ミ _ ドスッ
        (   ,,)┌─┴┴─┐
       /   つ.  終  了 │
     〜′ /´ └─┬┬─┘
      ∪ ∪      ││ _ε3

101 :名無しさん@3周年:03/02/07 18:52
中道でもって固定概念を打ち砕くという意味では、それは最初にやるべきことではある。
それは大事、だが中道というのは、あるがままの自然の状態に回帰することが本意であって、
既に何らかの相を持っているものを取り除いていく作業は必須です。

言葉の上では何とでも言えるけど、言葉だけで中道を唱えるからおかしくなる。
それは中道の「概念」は言えるだろうけど、本当に解ったことにはならない。

102 :空論者:03/02/07 18:54
>99
あなたの哲学は間違っている。
それじゃ、弦というがそれが硬くて長いものならどうする?
緩くてみじかいものならどうする?
力が弱い人、力が強い人ならどうする?
初心者、技術達者ならどうする?
それが高い音、低い音になるのか?
だから、一つの概念にとらわれてはならないのではないだろうか。

103 :通りすがり:03/02/07 19:01
>>95
> ↑ ええっ、中道ってこうゆうことですか?
>   この喩え(説明)は適切なんでしょうか?

これは中道です。
貴方の考えは?




104 :名無しさん@3周年:03/02/07 19:07
>>93
レスありがとうございます。
どうも空というのはむずいですね
悪取空という言葉もあるそうだから、誤解も受けやすいのでしょうね


105 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/07 19:14
>>102
なになに、しかじかが⇒中道という概念ではないよ。
だから94レスで無門関と逝ってる。

ある人には36度の湯が、丁度イイのかもしれないし・・・
ある人には42度の湯が、丁度イイのかもしれない・・・
ある人には滝に打たれるのが、丁度イイのかもしれない・・・

既成の概念に依る、丁度イイではない。


106 :空論者:03/02/07 19:36
>105
お前は禅の者か?
それでは、お前のいっている言葉と言うのは戯論として理解するが良いか?
お前の言っている言語は業と煩悩で出来た原因で生じているものと。

107 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/07 19:46
>>106
貴殿は唯識論のほーでつね?
わたしは中論に傾倒しとりまふ。
レスが噛みあいませんか?

相対立するもの結論出るまじ。by道元。

108 :名無しさん@3周年:03/02/07 23:33

中論を誤解している人発見。
「中道とは程好い処」
確かに言葉にしてみればそうだがな、そうだが・・・・・・・・すまん、説明できん。
「修行し直してくれ」としか言えん。

109 :名無しさん@3周年:03/02/08 00:05
道元は形式論理学者だったのか
相対立するものへの触媒作用をするのが中道かと。

我々は凡夫だから、霊感や象徴によって仏の意を汲むことはできないが、
歴史上の先達はその資質を持って体得した法を後世のために文字に残してくれたのだと思う。
言葉によって経典が伝えられてきたからこそ、法を学ぶこともできるというものではないか。
今は情報化の時代、サンスクリット語やパーリ語の原点が翻訳され、それらに接することも出来る。
チベット仏教なんかもね。平安時代や鎌倉時代のお坊様から比べれば、羨ましいかぎりだし恵まれて
いる。これひとえに言葉のおかげ。


110 :空論者:03/02/08 01:11
>107
に言うが、
私は文献学をやっているもの。
それだけ言っておきます。
中村元大先生が好きだから原始仏教やってます。
ちょっと動機があやふやだけどそれはご勘弁を、
ちなみにチベットも、そんで比較宗教もやっています。
これ以上は無記……。

111 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/08 07:29
>>108
>「中道とは程好い処」
そうゆうことを私は逝ってますよ。程好い処と・・・。

>>109
>相対立するものへの触媒作用をするのが中道かと。
こうゆう考えも勿論あるんでしょう。
禅の公案ですと、対極するもんは両方手離す。選択しないとゆう事なんでしょうね。



112 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/08 07:36
>>110
>私は文献学をやっているもの。
そうですか。
そちらからの考察も面白そうですね。

>中村元大先生が好きだから原始仏教やってます。
そうですか。
これはこれは、良いスタンスかと思いまふ(^^

>ちなみにチベットも、そんで比較宗教もやっています。
そうですか。
幅広い考察。恐れ入ります。

>これ以上は無記……。
無記は仏教の深いとこ。
これにて調へば宜しきかと・・・。


113 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/08 07:42
>>109
>道元は形式論理学者だったのか

禅師で論理学者はいないかと思います。
むしろういった西洋哲学的なもんを破壊する。

経書に依るべからず。by道元。

114 :名無しさん@3周年:03/02/08 10:57
>>113
だから、あなたの言ってることは論理的にメチャメチャなんですね


115 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/08 11:15
>>114
仏教のルーツである、古代インド思想と・・・
西洋哲学における「論理的」をゴッチャにしてないか?

これはそもそも別もんだよ。


116 :名無しさん@3周年:03/02/08 11:52
>>115
シャレもわからない。自分しか見えないから。
人間観察、人間分析、ましてや説教はあなたには無理だよ

117 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/08 12:14
>>116
どうでもイイんだけど・・・
二元論法にて問われるも、その切り替えす術もなし。

降参しますた(ボソ

118 :名無しさん@3周年:03/02/08 12:40
日蓮宗ですら人から学ばないといけないんで難しい!百人いたら百人の異なる価値観から学ばないといけない!難しい!人の価値観は多彩だし

119 :名無しさん@3周年:03/02/08 17:22
何かさ、仏教のいろんなことを知識としてこねくり回しているうちに、わかったよ
うな気になったりするじゃない。聞いているとわかるような気がするんだけど、いざ
説明すると矛盾だらけだったり、言葉を弄んでるだけで肝心なものが伝わらないって
いうか、わかってないなかったり。でも自分では無意識のうちに自分の理解はなかな
かのもんだって思い込んでるから、いつまでたっても気付かないままで、きちんとわ
からない。そういうことが難しいっていうことなんだと思うな。

120 :名無しさん@3周年:03/02/08 17:30

なんとなく同意ですね。

121 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/08 17:31
>>119
>そういうことが難しいっていうことなんだと思うな。

貴殿の文面も、なかなか難しい。

122 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/08 17:44
>>119
>説明すると矛盾だらけだったり、言葉を弄んでるだけで肝心なものが伝わらないって

逆に言うと、言語ちゅうのは非常に合理的にできてるようで、そうじゃない。
二元論法においては便利とゆうこと。

仏教における不一不二の世界観においては、この説明においては必ずしも合理的ではない。
ようするに、言語はそれ自体が分別概念により成立つもんだから。


123 :名無しさん@3周年:03/02/08 18:09

それも同意ですね。
それでも、文章や言葉で伝えていくしか‥‥

思いつきません

124 :名無しさん@3周年:03/02/08 21:40
>>122
>言語はそれ自体が分別概念により成立つもんだから
言霊学という分野があるくらいだから言葉というのは尊いんじゃないの

般若心経のマントラの部分〜「羯諦 羯諦…」はより微細な次元で鳴り響く真言
を顕わしたもの。であるなら、人間界の二元論的粗大な言葉だってそれを潜在的
に孕んでいると考えるのが道理。繋がっているんだよ。
いずれにしても、分別が悪いという訳ではあるまい。分別概念で出来ている言語で
もって無分別とか不一不二とかを居丈高にいうのなら、いかにも肩手落ちだし、す
べてはそこで途切れてしまうような気がする。


125 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/08 22:39
>>124
ギャァティー、ギャァティーは一種のリズムなんだろうね。
3・3・7拍子の7は、何か意味があろんだろうね。
虹の7色も何かの意味があるともおうたなぁ。
「ゆらぎ」の微妙なアンバランスがかもしだすんか?
人間に心地よいアンバランスな響き、つうんがあるかと思う。

シンクロにシティーなんかは唯識派が歓びそうなテーマだけど、
この共時性つうのは、なんかこの「波」みたいなもんがあるんかも知れんね。
もともとは、「ゆらぎ」からするとアンバランスな世界なんだから、
それに共鳴する、つうことも有り得る。

126 :空論者:03/02/08 23:43
般若心経は真言とは見ないほうが良いですよ。
サンスクリット音写語からきている物の理解が多いけれど
仏教学分かる人なら問わないけど。
サンスクリット読みと訳はこんな感じです。
ガテー ガテー パーラガテー  パーラサムガテー ボーディ スヴァーハー
往ける者 往ける者 彼岸に往ける者 彼岸に全く(共に)往ける者 悟りよ 幸あれ

127 :名無しさん@3周年:03/02/08 23:52
ちょっと聞きたいのですが、
ある仏教の本を読んだら、輪廻とは生死の繰り返しの事だと‥
自分としては、それは輪廻転生じゃないかと思うのですが、輪廻と輪廻転生は同じなのでしょうか?
それと、釈迦は転生を説いているんでしょうか?


128 :空論者:03/02/09 00:05
輪廻と輪廻転生は同じと理解して良いですよ。

世尊は死に対しては無記でした。現象学的な質問にたいしては論争しなかったのです
議論などしているなら修行をして尊敬される人になりましょうと思ったのでしょう。
しかし、アーナンダ仏教(アーナンダが経典を大部分占めていたので、そう理解する方が良いです)
アーナンダは世尊をブッダ(覚った人)としておきたかったので、世尊以外はニルバーナ(涅槃)
をしないとしたのです。ちなみにアーナンダと言う人は25年間、世尊と遊行していた人です。


129 :しゃぁか:03/02/09 00:16
なにも、むつかしくおもうことも、かんがえることもない。

ごはんをおいしくたべて、きもちいいおま〇んこして、おしたのことをしんぱいしない。

これが、さとり。

130 :127:03/02/09 00:47
≫128
どうもです。
自分としては、輪廻とは、縁に触れて動かざるを得ない、意識、心、の色々な状態の繰り返しの事、転生とは別物と思っていたのですが・・
うーん、考えを改めねば・・困った


131 :名無しさん@3周年:03/02/09 01:09
空論者がいってることには大分難があるね。

132 :名無しさん@3周年:03/02/09 01:13
>>131
せめてどのように難があるのかくらい言いたまえ。
糞厨とおなじだぞ。

133 :名無しさん@3周年:03/02/09 01:57
俺は仏教学者でも深く勉強したわけでもないが……。

まずは、入りやすいところから入るべきだろ。
俺の場合は、実家がそうだと言うこともあり、浄土宗の考え方から。
で、「ちょっと待て、輪廻転生とか言うけれど、浄土宗にそういう考え方はないのか」
ということで唯識に少し手を出して、そこで止まっている。
難しく考えすぎなくても、ねぇ。

134 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/09 09:03
>>133
>ということで唯識に少し手を出して、そこで止まっている。
>難しく考えすぎなくても、ねぇ。

学者なんだから難しく考えないと。

>俺は仏教学者でも深く勉強したわけでもないが……。

やはり、学者なんだから向学心に燃えてもらわなと。


135 :名無しさん@3周年:03/02/09 10:25
>>125
いやね、実際に耳元で鳴り響くんだよ
微細な音の世界ね
ビシュダチャクラで聴くんだけどね
あれは本当に音の世界だったよ

密教では曼荼羅をビジュアライズさせるためにマントラを用いるんだって
マントラをつかってさらに微細な光や虹の彩なす五仏の浄土を体現させる
それらは人体を構築する五元素に対応しているんだって。

(あんたのいっているゆらぎというのは、心の連続体のことか)


136 :名無しさん@3周年:03/02/09 11:44
>>126
しかし仏教学の立場から考察すれば、<ガテー ガテー …>のところは、お釈迦様が
本来禁じた呪文でもあるわけでしょう。


137 :空論者:03/02/09 12:11
>136
それは、どの文献に書かれているのですか?
教えてください。

138 :名無しさん@3周年:03/02/09 12:23
>>137
わたしはほんのちょっとした仏教に関心を抱くオタにすぎません
あなたのように専門にその道を行く者でもありません。
雑学や耳学問にしかすぎないので、どの文献なんて聞かれたら、
戸惑ってしまいます。しかし、お釈迦様が占いとかまじないを
禁じたというなら、そのまじないの延長としてギャテーギャテーを捉
えればいいのかなあ?

139 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/09 12:32
>>135
>(あんたのいっているゆらぎというのは、心の連続体のことか)

「ゆらぎ」つうんは、規則正しいリズムにある微妙なズレ。このズレが人間を快くさせる。
この「ゆらぎ」がズウッと謎だったんだけど、近年の物理学で段々解明されつつある。F分の1ゆらぎ、だね。

宇宙創生の頃は、反物質と物質がバランスよくあった。
そのため互いに相殺するんなら、現象としての世界は存在しないことになる。
しかさながら、なんかのアクシデントで少々の反物質が消ええてしまい、バランスが崩れたのがF分の1だね。
だから、まあ偶然に世界が現出された。ちゅうことなんだろう。
つまり、反物質と物質の相殺しきれん「残り」が「世界」つうことになるね。
しかしながら、その消えた反物質つうんは一体何処に逝ってしもうたんだろう?不思議だね。

ようは、ブラックホールみたなもんなんだろうね。
そうゆう訳で、もしや反物質世界つうのもあるんじゃなかろうか?と考えてる学者もいるんだろうね。



140 :名無しさん@3周年:03/02/09 12:40
知識ばかりが横行する

141 :名無しさん@3周年:03/02/09 14:02
>>139
心の連続体はビッグバン以前だろうがブラックホールだろうが何ら
影響を受けないものなんだよ
しかしなんで急遽、物理学モードに論点がずれ込んじゃうのかなあ
最もこちらは物理のぶの字も解らんがなあ

消えた反物質の行方は心配しなくてもいいのではないの
反物質と物質という原因があっててバランスがくずれたF分の1という縁、条件
によって世界が出来あがったという立派な縁起の法則がはたらいているんだから、
修行者ならそれを逆観によって辿ることもできるだろうからよ。もしかしたら
そのF分の1というのが無明というのかもしれんではないか。
しかしまたぞろ戯論になってしまうかもしれんが、反物質という表現は如何にも
物質に相対化された二元性ぷんぷんだなあ

142 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/09 15:44
>>141
>しかしまたぞろ戯論になってしまうかもしれんが、反物質という表現は如何にも
>物質に相対化された二元性ぷんぷんだなあ

物質と言うても素粒子のことだから、数式上「あるはずだ」「なければオカシイ」。ちゅう話だね。
実際、電子の存在なんか確認しようがないんでしょうから・・・。
反物質にしても、数字が踊ってるにすぎないんだろうけど。
観測しようとして光線をあてても、その時点で正確には観測できない。byアインシュタイン



143 :138:03/02/09 16:22
>>137
http://www5.ocn.ne.jp/~ono13/page3.html
(5)、呪術の問題
「般若心経」は疑いもなく呪術の経典である。短いお経であるが、直接呪について述べて
いる部分は七分の一余におよんでいる。掲帝〜菩提僧莎訶まで唱えるだけでも、功徳があ
るといわれている。この「般若心経」の呪句について、中村元氏は選集第21巻「大乗仏教
の思想」において「ただし陀羅尼をとなえると功徳があるということも、もとはたいして
異様な呪術的意義をふくめていたのではなかったらしい。」(43頁)とし、更に漢訳者の玄
奘はその呪句の意味を「表現することを欲しなかった。」(44頁)とも指摘し、漢訳しない
でこの部分のサンスクリット語を音写して「異様な感じを与えるところに呪術的な効果を
ねらっていたのである。」(44頁)とも述べている。いずれにしても釈尊はバラモン出身の
僧によって、マントラ(真言・呪文)が教団へ持ち込まれた時、これを禁じた。中村元氏は同
書で「呪句を用いることは、原始仏教においては固く禁じられていた…」(43頁〉と述べて
いるごとく、釈尊と根本仏教の呪術に対する対応は禁止であったのである。「ブッダのこと
ば(スッタニパータ)」は「927 わが徒は、アタルヴァ・ヴェーダの呪法と夢占いと相の
占いと星占いとを行なってはならない。鳥獣の声を占ったり、懐妊術や医術を行なったり
してはならぬ。」(201頁、岩波文庫)と説いている。アタルヴァ・ヴェーダはバラモン教の
聖典の一つで除魔・攘災の呪詞を含んでいて民間に行われていた呪術を伝えている。


144 :133:03/02/09 22:00
>>134
俺、数学者(笑)
いや、まだ勉強中の駆け出しなんだけどね。


145 :髑髏仮面 ◆8Z1PfzdK1. :03/02/09 22:33
>>144
学者つうのは、一種独特の匂いがするもんだよ。

あなたは学者じゃない(w


146 :144:03/02/09 23:47
>>145
じゃあ、「数学人」ってことで(笑)
いずれにせよ、仏教とは(現時点では)縁もゆかりもない学問しとります。

147 :よるとし波:03/02/10 00:16
勉強は大事。語り合うことも大事。
そしてもっとも大事なことは 心の中にともし火のように 真の信仰心が
芽生えているかどうかってこと。
それのともってる人は 頭で学問的に理解してるだけの人とちがって
言葉に独特の魅力がでてくるよね。
でも、そのともし火ってどうやったらともせるってマニュアルがないからなあ。
それこそ、難しい。
男と女、すきだすきだといってりゃあ、愛だなって見えるけど愛の深さは人それぞれ。
信仰も知識という幅が拡がったからって、深さが増すとは限らない。
自分の脳の中の信仰を日々の暮らしの中で実践していくのは至難の技だよね。





148 :名無しさん@3周年:03/02/11 17:01
272 :髑髏仮面:03/02/11 00:34
おじちゃんが中学生の頃は、人を殺したいとは思わんかったね。
女性の裸がムショウに見たかった。
で、近くの映画館に逝っただよ。
谷崎潤一郎・原作、「卍(まんじ)」。成人指定、かつ総天然色。
切符切りの婆ちゃんは、金の魅力に負けて私をソット館内に入れたよ。
廻りを随分気にしながらね。

その時、初めて女の裸を観たんだよ。女優は若尾文子。
心臓はバッコン・バッコン。
まあ、これが私の青春時代だよ。

どーでも良いから、女の裸でも観れ!
貴殿は男か?

149 :名無しさん@3周年:03/03/09 21:40
>>1
オレは、ずぇったい、そうはおもわない。

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